2010年11月10日(水) 東京 高尾山 聖蹟桜ヶ丘
2011年 12月 24日
中高年のハイキングブームに加えて、ミシュランの観光ガイドで紹介されたことで、高尾山は、すっかり有名になったようです。東京に来て約40年、初めての高尾山でした。
今日は、快晴。期待できそうです。
京王線高尾山口駅のホームは、年輩のハイカーで溢れていました。。
9時に駅前で娘と待ち合わせて、参道を歩いて行くと、程なく、ケーブルカーの駅に・・・
今回は、ケーブルカーは使わず、歩いて登ることにしました。
途中に「東海自然歩道」の案内図が・・・高尾山から東海地方の山間をとおり大阪の箕面まで歩道が整備されているそうです。
この年の8月、9月にスペインで800kmを歩いて来たばかり・・・・距離的には同程度のようなので、宿泊施設と安全な道が整備されていれば、約1か月で踏破できるように感じました。
スペイン巡礼を一度経験すると、とにかく、歩くことへの抵抗感がなくなりました。
静岡県の三島市にいる兄のところへは、よく出掛けます。
こんな発想をするようになりました・・・。
仮に、歩きで考えると、想定ルートは、北本→圏央道沿いに高尾山→大月→河口湖→山中湖→御殿場→三島。自宅の北本市から三島までは約170km、1日平均30kmとして、概ね、6日で三島に行くことができる・・・
軍隊の行軍は、どうだったのか?
実際、13Kg程度のリュックを背負って、平均的な体力の僕の場合で、1日平均25km。多分、軍隊の歩兵の1日平均の歩行距離は、普通で20km、急ぎで30km程度ではなかったか?
兵士は、銃と背嚢と呼ばれる食糧や生活用品を詰めたカバンを肩から下げて歩いていたので、荷物の総重量は、せいぜい20Kg以下と想定されます。
つまり、軍事作戦を立案するうえでは、1日あたりの行軍距離を25km程度をベースにして、道幅、路面状態、勾配などを考慮して適宜決めていったのではないか・・・
「坂の上の雲」というテレビドラマを見ました。日本軍は、北朝鮮と中国の国境付近に上陸して、ロシア軍を追って、満州の奉天まで歩いたようです。仮に、上陸地点から奉天までが500Kmとすると、20日は最低必要です。
豊臣秀吉が、明智光秀を討つために中国地方の岡山付近から大阪と京都の中間点の天王山まで大急ぎで兵隊を戻しました。「中国おお返し」というそうです。ちょっとうろ覚えですが、5日で歩いたのでは・・・岡山~大阪間が、仮に、200kmとすると、1日平均40km。驚異的なスピードです。戦地に到着して、ほとんど休む間もなく、戦闘に入るわけですから、昔の兵隊さんも大変な苦労をされたということになります。
2011年3月11日の大震災の当日、会社がある大塚から自宅の北本まで歩いて帰宅しました。JRの運転再開が今日中にないと判断した時、歩いて帰宅することを簡単に決断できました。歩いた距離は約41km。8時間で歩き抜けました。貴重な経験でした。
歩き始めて1時間で、眺めのいい休憩所が・・・かすかに都心のスカイツリーが見えました。
北側には、圏央道の八王子ジャックションが・・・おかげで埼玉の人間には大変便利になりました。
程なく、高尾山薬王院の境内へ・・・
途中、「蛸供養碑」が・・・杉の大木の根が蛸の足に似ているので命名されたようです。
薬王院の境内には、沢山の観光客で溢れていました。
境内の中はこんな風・・・
頂上に続く道は快適でした。
麓のお蕎麦屋さんで昼食を摂った後、京王線「聖蹟桜ヶ丘駅」へ・・・宮崎アニメで有名な「耳をすませば」の舞台になったところです。
大栗川を渡って、ヘヤピンの道路を突きって、台地を登ると、住宅地がありました。この川辺の風景や坂道は、アニメの中の風景と似ていたように思えます。
お天気に恵まれたいい1日でした。
by camino0810 | 2011-12-24 17:58 | 東京 | Comments(0)