2012年4月22日(日) 新潟  分水(その3)

分水路のすぐ脇に旧自在堰が残されていました。
自在堰というのは、固定堰に対比される用語で、ゲートを自在に上下させて、水位をコントロールできるという意味合いです。
旧自在堰は、昭和初期に完成したデザイン的にも優れた堰でした。土木遺産として、旧洗堰とセットで保存するようです。ゲートを上げ下ろしするために、堰柱にトラス型の橋梁を渡してありました。
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ゲートの巻き上げ機は、外されていました。堰柱間を移動するための橋梁が設置されていました。
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分水路の下流から振り返ると、自在堰の全景がよく見えました。大きな締め切りを造って、周辺の改造を行っているようでした。
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このあたりは、公園になっていて「花魁道中」が開催されるそうです。1週間前に終わったそうで、今年は、例年になく寒かったので、桜の開花が遅れたためか、園内の桜は、3分咲きでした。
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いよいよお目当てのものが目に入ってきました。

青山士(あおやまあきら)直筆の有名な石碑を松の木の中に発見・・・

青山士は、荒川放水路開削工事、信濃川大河津分水工事といった近代土木の黎明期を代表する工事を指揮した責任者でした。青山士は、大学卒業直後に恩師の廣井 勇の紹介状を持って、単身、パナマ運河の開削工事に従事したそうです。廣井 勇は、内村鑑三らと札幌農学校の同期。内村のキリスト教的博愛精神に影響を受け、土木の道に進んだのでないか?青山士もキリスト者として、恩師に感化されたのではないか?
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青山は、信濃川大河津分水工事の中核をなす可動堰の工事も現場で指揮し、「万象に天意を覚る者は幸いなり。人類の為、国の為」という有名な言葉を残しました。キリスト者でもあった青山らしい誠実さ、謙虚さ、清潔さが感じられる素晴らしい文言です。
この文言は、石碑の表、裏に彫られていました。
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裏側は・・・
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石碑には、分水路工事の概要が記されていました。
 ①可動堰(自在堰)
 ②固定堰
 ③第一床固
 ④第二床固
 ⑤床止
①~⑤の一連の施設に信濃川分水路工事の宿命的な課題が隠されていました。40kmの流路を10kmに短縮したため、洪水流のエネルギーを上手に殺すことができす、深刻な河床洗掘が発生しました。特に、第二床固直下の深刻な深掘れは現在でも大きな課題となっているようでした。
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石碑には、工事関係者の氏名も記されていました。
青山士は、『内務省新潟土木出張所長 内務技師』。当時は、土木関係は内務省に所属していたことがわかります。現在に置き換えると、”国土交通省北陸地方整備局長”でしょうか?
もう一人、分水を語る上で欠く事のできない人物の名前も記載されていました。
   宮本武之輔・・・
宮本は、『信濃川補修事務所主任 内務技師』。現在流に言うと、『国土交通省北陸地方整備局信濃川工事事務所長』に相当するのでしょうか?
この国家的な大事業は、青山、宮本の2名を中心にして成し遂げられたという感じがします。この2名は、性格は、かなり違っていたようですが、双方ともに厚い信頼を寄せ合っていたように思えます。
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自在堰の工事が、どのように行われたのかは、稿を改めて紹介します。

by camino0810 | 2012-08-28 06:21 | 新潟 | Comments(0)  

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