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2013年5月8日(水) フランス その44 再び、パリその7

シャンジュ橋は、Pont au Change(両替橋)。この橋は、セーヌ右岸とシテ島を連絡する石造りのアーチ橋です。5月4日に家族で訪問しました。ノートルダム大聖堂はこの橋の袂にあります。

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この橋は、古い鳥瞰図の左上の一番立派な橋だと思います。沢山の建物が並んでおり、両替橋の名前のとおり、この橋も元は橋上住居で、両替商や金貸し商、今でいえば、銀行が橋の上にあったのでしょう。

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1575年製のこの付近を古地図で見ると、あることに気づきました。
当時、シテ島は左右2本づつの橋で陸側と連結されていました。古地図の上側が上流側ですが、シャンジュ橋は、地図の左上側の橋と思われます。現在は、地図の左下側の橋が消滅して、シテ島の最下流(古地図の下側)にポンヌフがあります。つまり、ポンヌフはこの消滅した橋が化けた橋と考えるのが自然です。ポンヌフを築造した時に、シテ島の片側のセーヌを全面的に締切、壊した橋の材料をポンヌフに再利用したと考えられます。
パリの街を含めてスペインやイギリスなどで古代ローマ時代の構造物などの過去の遺産を再利用した事例を見てきました。西ヨーロッパの国では”使い回し”が基本的なコンセプトのようでした。日本の”使い捨て文化”とは随分違っていました。

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シャンジュ橋の上から下流を眺めると、コンシェルジュリーやポンヌフが見えました。

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上流側には、鋼製のノートルダム橋とノートルダム大聖堂が見えました。

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シャトレー広場にやってきました。この近くにパリ市役所もあります。パリの街はこのあたりを1区として渦巻き状に外に向かって街区が発番されているそうです。
14時30分、遅めの昼食を摂ることに。。。

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河畔の道路沿いのカフェに入ってサンドウィッチと珈琲の簡単なランチにしました。フランスでの生活に慣れてきたせいか、1人でお店に入ることへの抵抗感も薄れていました。このカフェは、室内での喫煙がOKでした。

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これからの段取りは、17時にルーブルのピラミッドで家族と待ち合わせをした後、18時にカトリーヌとオペラでお別れをすることにしていました。
ルーブルは3年前に1日かけてじっくり鑑賞したので、今回はパス。あと3時間をどうす過ごすか考え中でした。
思わぬ事態が発生しました。
上の娘から僕のケータイに緊急電話が入りました。
「お母さんが行方不明になった。今すぐ、ルーブルの地下の受付に来てほしい・・・」
幸い、このカフェはルーブルから歩いて20分以内にあったので、慌てて支払いを済ませて、ルーブルのピラミッドに向かいました。

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地上の入り口に娘を呼び出して、事情を確認しました。
朝10時頃、チェックインの行列に2人で並んだそうです。娘がトイレに行って帰ってきた時に、カミサンがいなくなったそうです。娘は、15時まで入口で待ったものの、カミサンは現れず。。。
もしや誘拐でも娘の顔はひきつっていました。通路にへたり込んで泣き出す始末。昼食もとらずにずっと待ち続けていたようなので、館内のカフェで昼食を摂らせて落ち着かせました。
身長2m位の長身の男性受付係員の方と2人で善後策を相談しました。この方は非常に親身な対応をしてくれて、今でも感謝しています。
彼の提案はこうでした。
「ルーブルは17時に閉館になる。観客はすべてピラミッドの地上出口から出てくるので、出口で張っているのがベストなやり方ですよ。」
僕が、地上出口で長身の彼と一緒に待ち構え、娘は下の階段付近で待つことに・・・。僕は娘を安心させるため「お母さんは、多分、一人で館内を回っているはず、大丈夫、本人はケロッとして出てくるから・・・これまで、はぐれてもはぐれた場所に戻らず勝手に先に行ったことがあったよ」
1時間ほど待ち続けました。
17時過ぎ、ピラミッドの地上出口から観客がぞろぞろと出てきました。

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地下で張っている娘から電話がありました・・・「お母さんがいた」。
顔を合わせると、僕らの心配をよそに、カミサンは脳天気に「えーどうしたの?」と怪訝な顔を浮かべました。僕が事情を話すとさすがにバツが悪そうでした。
親身な応対してくれた長身の彼にお礼を言って、ルーブルを離れ、メトロでオペラに向かいました。カトリーヌに会うためです。
18時過ぎにオペラで下車。赤いスーツを着たカトリーヌと3日ぶりに再会。スズランの花をお土産に頂きました。

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最後に僕とカトリーヌの2ショット。ポーズを取ろうとした時、彼女がススッと体を寄せてきたのでちょっとばかりびっくりしました。

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カミサンと娘は、そのままシャルル・ドゴール空港に向かいました。僕は、彼女の車で近くの彼女の会社に・・・オペラの近くにはラファイエットという有名なデパートやユニクロがありました。ユニクロはロンドンの目ぬき通りにも出店していました。今や「世界のユニクロ」といってもいいでしょう。
会社の守衛室に預けてあった40Lのリュックを背負って、カトリーヌにお礼とお別れを言いました。
僕:「Please come to Japan and meet us ・・・」
彼女:「Promise,promise・・・」2回繰り返しました。
去年の9月、”Tokyo 2020"が決まったので、東京に来たらと彼女にメールしました。「選手ではなく観客で行きます・・・」と軽くエスプリを効かせた返事がきました。
メトロの駅の近くのカフェで一休みして、3日から今日までの6日間を想い出しながらカフェオレを頂きました。ルーブルを除いて、大したトラブルもなく、無事に旅行を終えたことを感謝しました。

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シャルル・ドゴール空港行きの列車に乗るため”北駅”に向かいました。

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以下、次号。

by camino0810 | 2014-02-20 06:57 | フランス | Comments(1)  

Commented by yuki at 2014-03-09 00:54 x
その節はお騒がせしました…。半狂乱になってお父さんとカトリーヌさんに電話したのが懐かしい。。旅行記じっくり読ませてもらってます☆\(^o^)/

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