今日は、車でスロバキア中部山岳地方のスキーリゾート地ヤスナに行きました。
地図のスキーマークが付いている場所です。トルナバからおよそ300km東にありました。
出発は朝の6時過ぎでした。
高速道路は空いていました。ウラジミールは、平均140km/Hのスピードで運転しました。スペイン、イギリス、フランスもそうでしたが、ヨーロッパの人は日本より車を飛ばすように思えます。
古城の傍を通過していきました。スロバキアにはこんな感じの古城が沢山あるようでした。
田園地帯をどんどん走っていきました。
7時、サービスエリアのコンビニでトイレ休憩。ミネラルウォーターやチョコレートの品揃えは実に豊富でした。
サンドウィッチが少し品薄になっていました。日本みたいに角型に切った食パンのサンドウィッチはあちらでは見た記憶がありません。バゲットに挟んだタイプが主流のようです。
どこに行ってもトイレはチェックします。
ウラジミールと2ショット。
彼は54歳、この歳で孫が1人のジージです。快活、好奇心旺盛で生活力にあふれた気持ちのいい男です。
彼は、スペイン巡礼をすでに5回経験しています。
2010年、確か2回目の巡礼の時、彼はアドリアナと親子2人で歩きました。その時、僕と彼らは800kmの巡礼路を一緒に歩きました。巡礼宿がだいたい同じだったので、夜になるとバルで一緒に飲んだりしました。それで友達になったというわけです。
巡礼にすっかりはまった感じの彼は、来年は、ポルトガルルート、再来年はアルプスを越えるローマ巡礼を計画しているとか・・・
集合写真でセンターの僕の右側の黒の女性が、フランスのカトリーヌ。去年の5月に遊びに行きました。その右のうす緑の女性は、フェロー諸島のクリスチーナ。この2名もスペインを2回以上歩いています。
彼に「もう一度スペインを歩くのか?」と聞かれてました。
スロバキアの地方部は豊かな自然と上手にお付き合いしているようでした。かなたの川沿いの街もなんかいい感じです。
古城の近くを通過する時、ウラジミールは車の速度をわざわざ緩めてくれました。
お城は、絶壁の上の、防衛、監視、通信の各機能が高い場所に立地していました。領民に威圧感を与える高みも必要でしょう。
「これらの城では、通信用の狼煙を発信していた」と彼から説明がありました。狼煙は、電話やネットがない時代には非常に重要な通信手段。敵の襲来をいち早く仲間に伝えることは洋の東西を問わず大事です。
岐阜の金華山の頂上にある岐阜城は、これらすべての機能を満足する高機能なお城ですが、水がないことが弱点。頂上に雨水を貯める池はありましたが・・・
高速道路は、平野部から山間部に入りました。
川を横断する橋梁は斜張橋でした。ブラチスラバのUFO橋は先駆的な斜張橋、スロバキアは高い橋梁技術を持っているようです。
ICで橋梁工事をやっていました。支間が小さいので総足場で橋桁を造っていました。そういえば、ICに料金所はありません。スロバキアは本来の意味のFree Wayです。
ドナウ川の支川沿いの一般道を走りました。
沿川の風景は特段日本と変わった感じはありません。いい景色です。
牧草地の斜面に沢山家が並んでしました。なかなか豊な気分を感じます。
リジョムベロクという川沿い街で休憩。この街には大きな製紙工場や大学がありました。スロバキア中部の県庁所在地かもしれません。
工場で働く従業員用のアパートがたくさん建っていました。
「Katolicka Univerzita」という大学は、アドリアナの夫ヤンが卒業した大学だそうです。邦訳は、「カトリック大学」。日本でいえば上智大学、桜美林大学、東洋大学、大正大学のような宗教をベースにした大学のようです。
街を抜けると一面の草原になりました。
巨大なダム湖の湖畔を通過しました。大きなフィルダムが見えました。
グーグルの地図でみると、ダム近くに変電所らしきプラントがあるので、もしかして発電用のダムでしょうか。。。下流にあるリジョムベロクの製紙工場の電力を供給しているのかも。
湖岸道路を右折して、山道に入りました。車は、渓流沿いの道を登っていきました。
9時にお目当ての鍾乳洞の入り口に到着。スキーリゾート地ヤスナはここから車で10分程度上った場所です。
三ツ星のリゾートホテルもありました。
ウラジミール、ヤン、僕の3人で洞穴ツアーに向かいました。ウラジミールの奥さんアンとアドリアナは、ここで待機しました。
以下、次号・・・