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2014年5月8日(木)中欧 その33 プラハ(その8)

プラハに来て3日目、朝から晴れました。
昨日は、結構歩きましたが、習慣とは恐ろしいもので朝5時起床、メールチェック、FBへの写真アップを済ませて、チェックアウトの準備をしました。
ホテルの窓から見た周りの建物はこんな感じ・・・お隣の建物はレンガ積みの部分をピンクかかった肌色でを塗っています。はす向かいの建物はかなりペンキがはげかかっていました。

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8時前にホテルをチェックアウトしました。ただ、40Lのバックパックはフロントに預けました。係りの人に14時頃取りに戻ると伝えました。
昨日と同様ブルタヴァ川の左岸をカレル橋まで歩き、そこからプラハ城のある丘に登りました。
トラム7号線のズボロヴスカー( Zborovská)停留所からみた電車通りは閑散としていました。


バラツキ―橋
の袂に来ました。このテラス護岸には転落防止策が付いていました。柵の無い部分との使い分けがわかりません。


イラーセク橋
から見た左岸の上流側は川と公園部分、下段道路と上段道路、建物の関係がよく判りました。


運河脇の街並みは軒が実に綺麗に揃っていました。


例のポンヌフの親柱はなかなか立派でした。



ポンヌフからはるか下流にカレル橋が見えました。


奇妙な赤ちゃんのオブジェが・・・僕の趣味ではありませんがインパクトはありました。


カレル橋の袂の広場まで来ました。閑散としていました。


カレル橋の袂の小さな水辺は絵葉書のように綺麗でした。



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カレル橋からプラハ城に続く坂道を登りました。如何にも古都プラハに相応しい街並みが続きます。


8時30分、朝食をマックで摂りました。無料トイレを借りるつもりで入店したものの、有料でした。10チェココルナ(50円)を支払って用を足しました。同じマックでもブダペストは無料でしたが・・・


坂の勾配が段々と立ってきました。アパートのような建物が増えてきました。


この一角にどこかで見たことがある銅像が・・・イギリスのチャーチルでした。



その奥にイギリス領事館らしき建物がありました。


道路から分岐した丘に上がる階段が見えてきました。


パリでも活躍したチェコ出身の画家ミュシャのレリーフがありました。1911年から24年までこのアパートに住んでいたようです。


階段から振り返った街並みも絵葉書の世界みたいでした。


階段を登りきると、プラハ城の城門前の広場に着きました。

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韓国人ツアー客が衛兵と一緒の写真を撮っていたので、僕もご相伴に預かる事に・・・チェコの衛兵は表情が豊かでした。観光客の挙措に反応して笑ったりしていました。ブダペストの衛兵は全く無表情でしだが・・・


今回の旅行で日本人観光客に出会ったのは、ブダペストの王宮だけ。。。韓国人や中国人のツアー客には結構出会いました。


昨日から何度も河畔から眺めた丘の上のプラハ城内にある大聖堂前の広場に来ました。ゴシック式の威厳に満ちた大聖堂でした。



セルフタイマーで自分撮りをしてみました。


この大聖堂も全体的な気分は、これまで見てきた大聖堂と大きな差異は感じませんでしたが、一箇所だけ違った箇所がありました。
イコンを描いた小さなファサードです。ロシア正教の影響を受けているようでした。実はこのブログを書いている時点でもうひとつ違いを発見しました。中央の尖塔がロシアの教会風の玉ねぎ型になっていることです。
この日、ウィーン行の電車内でFBに次のようなコメントをアップしていました。
今朝のプラハはまずまずの天気だった。
朝9時にホテルを出発。ブルタヴァ川の左岸側を下流に向けて歩いた。
プラハ城は小高い丘の上にある。王宮と大聖堂がセットになっていた。昨日何度も見上げた尖塔は大聖堂だった。これまでスペイン、フランス、イギリスでいろいろ大聖堂を見て来た。この聖堂は、ゴシックタイプで特段驚くほど規模や構造を持ったものではなかった。
ただひとつだけ驚かされたことがあった。
大聖堂の側面が一面のイコンで飾られていた。すべてモザイク風のタイルで出来ていた。
プラハは、東西キリスト教社会の接点ということだろうか?キリスト教のイスタンブールみたいなものだ。
そういえば、ブダペストの王宮脇の大聖堂のファサードは左右非対称で、右側は西欧風、左側がロシア風だった。」


大聖堂の裏手は煤で相当黒ずんでしました。


ロシア風の教会も併設されていました。


隣の広場にあった少年像の下腹部は擦られてピカピカになっていました。カレル橋でもピカピカになったレリーフがありました。誰か何のご利益で擦るのか・・・


ブルタヴァ川側の出口にも衛兵が警護していました。


展望台からプラハの街が一望できました。赤い屋根の向こう側にブルタヴァ川とバラツキ―橋やイラーセク橋が見えました。

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階段を下ってブルタヴァ河畔に向かいました。


壁の補修工事をしていました。モルタルの剥げた箇所を見ると、壁は砂岩系の岩石を扁平に整形した石材と目地材でできていることが判ります。

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電車道まで降りてきました。僕は昔ダム現場で現場監督の仕事もしていたので、岩盤にも興味があります。露頭と呼ばれる岩盤が剥き出しになった箇所がありました。
教科書に出てきそうな綺麗な層理面(層状の地層)が見えていました。岩種はチャートか石灰岩のように思えました。


ヨーロッパの古い建物が長持ちするのはこのような堅固な岩盤があることと地震自体が少ないことにあると言われますが、実際に街中で露頭を見たのは初めてでした。


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石畳の電車通りを河畔に向けて歩きました。


河畔の公園には第二次大戦のモニュメントがありました。


振り返るとプラハ城の大聖堂が見えました。


時刻は10時前、再び、ブルタヴァの河畔に戻って来ました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2014-10-08 17:26 | 中欧 | Comments(0)  

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