レグニッツ川の河畔を更に上流に向けて歩きました。
(出典:Google)
当日にアップしたFBの記事・・・
5月4日(水)、バンベルクは快晴、適温。
ドレスデン新駅発7時27分のIC2046で8時28分にライプチヒ到着。その後がまずくなった。肝心のICEが来なかった。到着ホームが変更になったのかもしれない。
DBのインフォに行って係りの人から別便の時刻表をもらった。別の電車でLichtenfels駅へ、ここで高速バスに乗り換えた。アウトバーンは日本の高速と大して変わらなかったが、周囲の景色は素晴らしかった。
そんな訳でバンベルク駅に着いたのが12時30分。5時間の長旅になり、相当疲れた。駅前で食べた昼食のチャーハンが実に美味かった。普段はサンドウィッチばかり食べているので、コメの飯を胃袋に入れると力が出る。
13時30分ホテルにチェックイン、14時から街歩きを始めた。
最高の天気に恵まれ、運河、高台の大聖堂周囲をひたすら歩いた。
人口7万の地方の小都市でも街は実に綺麗にしていた。
ヨーロッパは5月の新緑に限る。そんな言葉が浮かぶほどこの街の緑はフレッシュだった。
16時、旧市街のカフェで黒ビールを飲みながらこの記事を書いている。
散策路は砂利道で両脇に大きな樹木が植わっていました。この散策路は好天にも恵まれて実に快適でした。洪水や航行波から河岸を保護する役割を背負わせたように思います。フランスのミディ運河には大きなプラタナスが同じ目的で植えられていて独自の景観を演出していました。
旧運河は小さな水路になっていました。初代のマイン・ドナウ運河の痕跡でしょうか。
引き返して再び下流側を目指しました。住宅地はドレスデンと同様に路上駐車が許されていました。
旧運河脇の散策路を歩きました。
最初のノンネン橋まで戻ってきました。
旧運河は正式には「ルードウィッヒ・ドナウ・マイン運河」(1836年~1846年)と呼ばれていました。バイエルン王国のルートヴィヒ1世が年建設した運河でした。現在の2代目マイン・ドナウ運河(1960年~1992年)は大型船舶の通行を可能にした別ルートの運河だと思います。
ルートヴィヒ1世はこの運河の開削や鉄道を敷設を手掛けたたインフラ投資に熱心だった国王だったようです。ドイツの近代化や産業革命を支えたひとりかもしれません。以下、Wikipedia・・・
ルートヴィヒ1世(Ludwig I., 1786年8月25日 - 1868年2月29日)は、バイエルン王国の第2代国王(在位:1825年 - 1848年)。全名はルートヴィヒ・カール・アウグスト (Ludwig Karl August)。先王マクシミリアン1世の長子である。マクシミリアン1世はバイエルン選帝侯に即位する以前、フランス陸軍の将官としてストラスブールに赴任しており、ルートヴィヒも同地で生まれた。フランス王ルイ16世が名付け親を務めており、王の名を取ってルイ(Louis: ドイツ語でルートヴィヒ Ludwig)と命名された。母親はヘッセン=ダルムシュタット家のアウグステ・ヴィルヘルミーネである。1810年、バイエルン王太子となっていたルートヴィヒは、ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公女テレーゼと結婚し、1825年に父の死去によって王位を継承した。ルートヴィヒは芸術を奨励する一方、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学をランツフートからミュンヘンに移転し、工業化も奨励した。また、マイン川とドナウ川の間にルートヴィヒ水路を作る事業を始めた。1835年、ドイツ初の鉄道をバイエルン王国内のフュルトとニュルンベルクの間に敷設した。
河畔を歩く軍人姿の歩行者が写った写真から推定すると、1900年初頭に撮影された写真のように思えます。クレーンによる荷役や切り出した材木の運搬の様子が撮影されていました。
ドイツ語不如意ですが、バンベルク(マイン川)からケルハイム(ドナウ川)を結ぶ全長173kmの運河で、幅15m、深さ1.5m、建設期間1836年~1846年の10年といった内容だと思います。
その荷役用クレーンが保存されていました。物持ちのいい国だと思います。
大きなドラムは電気式のモーターでしょうか。
少し下流に行くと河畔に古風な集合住宅が建っていました。
1900年に撮影された写真と見比べると、同じ建物だと判りました。昔のものを大事にして上手に使いまわす国民性を感じます。イギリスと同様ドイツもストック社会だという実例でしょうか。大火事の度に壊しては建て替えてきた日本はフロー社会ですが、それぞれの伝統や文化があり、その良し悪しは一概には言えません。
写真から筏流しがあった事が判ります。木場と呼ばれる貯木場も何処かに用意されていたのでしょうか。
旧運河の最下流端が近づいてきました。木製アーチ支保工で補修をしているアーチ橋が見えてきました。
世界遺産に登録されたリトルヴェニスと呼ばれるバンベルクの核心部に着きました。
以下、次号・・・