2017年5月7日(日)ドイツⅡ その61 グダンスク(6)

10時過ぎ、モトワヴァ運河河畔から聖マリア教会を目指して旧市街に入りました。
旧市街の街並みは、赤い三角屋根の建物が道路沿いに綺麗にずらりと並んでいて、内部は中庭になっていました。この街区パターンは欧州の各地でよく見掛けました。
その中で聖マリア教会は圧倒的な大きさを誇っていて、旧市街の中心的な存在のようでした。

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(出展 Google)

「木造クレーン」の門から旧市街に入りました。運河沿いの面は真っ黒ですが、市街地から見ると普通の赤レンガの建物でした。地味目なパステルカラーの建物は集合住宅だと思います。道路を駐車場にしてありました。

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所々、運河沿いの建物に通行門が設置されていて、運河と市街地を連絡していました。

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この通りの建物は入口に階段が付いていました。奥に聖マリア教会の尖塔が見えていました。

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ピンクの壁の建物は聖マリア教会の脇にある「王室礼拝堂」。1681年完成、グダンスクの黄金時代の作品。広場のライオン像にお客が集まっていました。


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聖マリア教会は修復工事中。欧州の旧市街は何処へ行っても歴史的な建造物は何処か補修中でした。


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聖マリア教会は赤レンガの大きな教会でした。1343年~1502年の約160年を掛けて建造されたそうです。1361年、グダンスクはハンザ同盟都市になりました。この教会はグダンスクの発展期に建造されていました。ケルン大聖堂の600年を筆頭に日本人から見て異常に長い建設工期の理由は一体どういう事か?
建設工事には①図面②材料③職人④お金⑤土地7合意形成などが必要です。バルセロナのサクラダファミリア教会はすでに130年以上の時間を掛けて今でも建設途中です。宗教施設の場合は、材料や仕上げレベルの高さが効いてくるのかもしれません。聖マリア教会の場合は、ハイレベルな仕上げをするための建設資金がまとまって調達できなかったためかもしれません。商人などの寄付で一定額の建設資金が調達できた段階で部分的に工事を行なう。その繰り返しで160年という時間が必要だったのではないかと推測します。
もう一つは「継ぎ足しの思想」もあったのではないかと思います。最初は小さい教会でしたが、経済力の増加に伴い設計変更を重ねて段々と大きくなったのではないか。小さい教会に外から被せるように柱や屋根を重ねて行ったのではないか。フランスのツールの大聖堂やドイツのシュットガルトの教会がそんな感じでした。
とにかく、この教会は完成後500年間に亘りグダンスクの変遷を観てきたコアな建物だと思います。大阪人にとっての大阪城、名古屋人にとっての名古屋城みたいなものでしょう。ファサードの高さは78m、市庁舎の82mと並んでランドマークの機能は今でも十分。


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聖マリア教会前の広場に、教会のレプリカが展示されていました。

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ブレーメン、リューベックにはカトリックの大聖堂がありました。同じハンザ同盟都市グダンスクには大聖堂は見当たりません。どうも司教が居なかったようです。それでも、聖マリア教会は大聖堂と同等の骨格を持っていました。上空から見ると十字架の形、ファサードは西向き、教会の長手軸が東西方向に向くなど大聖堂の基本ルールが感じられました。


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(出展 Google)

聖マリア教会脇の街路を歩いて行くと、「大武器庫」という建物に突き当たりました。


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豪華で精巧な彫刻のある建物で1605年の作品。

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振り返って見た聖マリア教会と建物群。

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ラドゥニ運河まで戻ってきました。

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建物にグダンスクの昔の絵図面が掲示されていました。絵図左に聖マリア教会、市庁舎が描かれていました。市庁舎が1561年完成なので、この絵図は16世紀後半~17世紀の黄金期にグダンスク。右手の大きな建物2棟は現在ではよく確認できません。第2次大戦の戦災で焼失したままなのかもしれません。手前の稲妻型の土塁と運河は旧市街の防衛インフラ、現在は道路や鉄道に変わっていました。

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絵図右端の門と橋が旧市街の入り口「高い門」かもしれません。絵図上のバルト海には沢山の帆船が浮かんでいてグダンスクの繁栄振りが伺えます。


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旧市街の南側だと思います。稲妻型運河に帆船が浮かんでいます。田園地区には風車が4基描かれていました。排水用兼製粉用の風車ではないかと思います。


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黄色い作業服の人が、旧市庁舎前の歩道を掃除していました。

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作業員の人たちのお蔭で綺麗な街並みが維持されていました。


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グダンスク本駅まで戻ってきました。

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緑の高層ビルが見えてきました。新市街のランドマークは初めての旅行者にはありがたい目印。

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歩道に奇妙な壁が展示されていました。ベルリンのポツダム駅広場でベルリンの壁が展示されていたことを想い出しました。もしかして、その壁の一部をグダンスクに運んできたのかもしれません。1989年のベルリン壁の崩壊を受けて、1990年「連帯」指導者だったレフ・ワレサがポーランド大統領ポーランドに就任しました。レフ・ワレサはグダンスクの造船所の労働者だったそうです。

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朝ホテルの窓から見えた「欧州連帯センター」と記念塔まで戻ってきました。よくよく考えると世界史に記載されるくらい大きな事件のあった場所にいるわけですが、歩いている時はそのような感慨などありませんでした。

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11時、ホテルに戻りました。写真左の白い建物が泊まったホテル、「欧州連帯センター」の傍にありました。

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ホテルはモトワヴァ川の中の島の近くに立地していました。折角の機会なので、造船所の方まで歩いてみました。かつてグダンスクはダンツィヒと呼ばれていた時代は軍港でした。その名残も沢山残されているようです。

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古めかしいアパートの向こうに造船所のクレーンが見えていました。

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造船所のクレーンはいささか旧式な感じがしました。造船不況なのか新規投資が滞っているように見受けられました。時間がなくなってきたのでホテルに引き返しました。


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12時、ホテルをチェックアウト。受付の女性は親切で英語も達者でした。空港への行き方と両替所の場所を丁寧に教えてもらいました。
本駅の前にあるピカピカのショッピングセンターに入りました。グダンスクの赤レンガをコンセプトにしたデザインかもしれません。

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ショッピングセンターはクラクフと似てお洒落なデザインでした。

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両替屋さんはショッピングセンターの地下にありました。朝イチに駅のATMで60ズォティー(1900円)のつもりが600ズォティー(18600円)をキャッシングするという大失態を演じました。市中の両替所の方が空港などより為替ロスが少なくて済みそうだと思いました。
ズォティーから日本円への両替ができないので、ユーロに両替しました。600ズォティー(18600円)⇒140ユーロ(16400円)、差額の2200円は両替手数料。この程度の損失で済んで良かったと思います。

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知り合いの人たちのお土産にチョコレートなどを買いました。支払いはカードと余りの小銭の混合支払いができました。一応、物価調査もしました。お肉コーナーでは豚と鶏のみで牛は見当たりませんでした。

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駅前の新市街地区には高層ビルやメルキュールホテルが建っていました。建築中のビルなど新規投資もあり、元気さを感じました。

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13時、グダンスク本駅前のバス乗り場に着きました。

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朝7時から13時までたかだか6時間の街歩きでしたが、グダンスクに来て良かったなと思いました。
これから、バスで空港に向かい、旅の出発点であるフランクフルトに戻りました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-01-06 19:37 | ドイツⅡ | Comments(0)  

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