2017年5月2日(火)ドイツⅡ その30 ツェレ(2)

リューネブルク発10時59分IC2371号は定刻11時37分にツェレに到着しました。
ツェレの町は、ハノーバーの北東約40キロ、ハンブルクの南120キロにある人口7万の地方都市でした。ヴェーザー川の支川アラー川の河畔にあり、下流には3日前に歩いたブレーメンがあります。
ツェレは『北ドイツの真珠』と呼ばれる観光都市で木組みの家が沢山並んだ観光地でした。
予約したホテルまで歩いて、40Lの重いバックパックを預けるのが先決です。駅の西側の通りを歩いてホテルに向かいました。

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(出展 Google)

ドイツは日本が進めている『多自然川づくり』のお手本とした国だと聞いています。確か、『近自然工法』という名前が付いていたと思います。
ホテルの近くに流れている小川にそのコンセプトらしきものを感じました。川は写真上から下に流れています。河岸は人工物がなく自然な感じに仕上げていました。排水口の出口は大きな石を並べていました。生物への優しい配慮を感じました。


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下流側・・・木製の階段を付けて、水辺のアクセスもしっかり確保されていました。河畔の遊歩道を気持ちよく歩ける配慮も感じます。
これまでドイツ沿線の車窓からこんな感じの小川を沢山見てきました。ドイツ全土に『近自然工法』が浸透しているようです。

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しばらく歩くと『ラウンドアバウト』に出会いました。

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ラウンドアバウトの中央のリングは花壇になっていました。

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12時、予約したホテルに到着しました。四つ星のモダンなホテルでした。このホテルは観光スポットとは駅を挟んで反対側にありました。観光スポットから大分離れている分リーズナブルなお値段で予約できました。今日のホテルもアーリーチェックインができて助かりました。

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部屋に荷物を入れて一休みして13時30分、街歩きを開始しました。来た道を東に向けて歩きました。
ドイツの木組みの家の構造が丸裸になっていました。構造材の材木の間に赤レンガを詰めていました。同じような絵柄はデュッセルドルフでも見ました。


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ツェレの駅は小さな駅ですが、リューネブルクの駅舎と似た可愛らしい気分を感じました。クリーム色の壁も何かいい感じです。


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駅前通りを東に歩いて行きました。沿道の風景にも木組みの家を髣髴とさせるデザインにしてありました。


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道路脇の公園に入ってみました。芝生の手入れも文句なしでした。

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公園の一角に機械の部品が展示されていました。
普通の人には何かのオブジェに感じるかもしれません。土木の世界に長年浸かってきた自分にはその正体は概ね想定できました。
トンネルを掘削する泥水シールド機のヘッドに付いているローラービットではないかと思いました。イボイボの突起をぐるぐる回すと岩盤でも削ることが可能です。

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これは泥水シールドの掘削土砂と水を運搬するポンプだと思います。


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しばらく歩くと別の公園にたどり着きました。お堀の脇の散策路は水辺とのアクセスがしっかり確保されていました。


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クリーム色の建物が見えてきました。

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この公園は、旧市街に離接する公園でクリーム色の建物はお城でした。


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(出展 Google)

懐かしいロゴを発見しました。青地に黄色のホタテ貝はスペイン巡礼のロゴではないかと思いました。去年のドイツ旅行でレーゲンスブルクに行った時、旧市街の中に『聖ヤコブ教会』を偶然見つけました。ドイツ人もフランス人と同様中世時代から熱心にゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して歩いていたようです。
http://camino0810.exblog.jp/26512603/


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お城の周りの堀をぐるりと歩いてみました。


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お城の名前は『シュロス城』、リューネブルクの領主でもあったツェレの大公のために17世紀に建てられたお城だそうです。写真左側の塔はゴシック様式、右がルネサンス様式だとか・・・
このお城も補修中でした。

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お城の反対側がお目当ての旧市街の入り口でした。

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冷たい雨が依然として降り続いていました。ツェレの核心部に入っていきました。
以下、次号・・・


# by camino0810 | 2017-09-22 05:57 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月2日(火)ドイツⅡ その29 ツェレ(1)

どんなに疲れていても朝6時には目が覚めますが、睡眠の質が悪いせいか、スッキリした気分はありません。連日の疲れが抜け切れていませんでした。
旅行中、ホテルではドイツのテレビを観ていましたが、ドイツ語不如意なのでさっぱり理解できません。それでも天気予報程度ならその内容は理解できます。
ドイツの天気予報のキャスターはカジュアルな服装でした。残念にもツェレのお天気は雨でした。

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そんなことでホテルでは英語のBBCを観ていました。このブログを書いているは9月17日ですが、2日前に北朝鮮が2回目の「火星12号」というICBMを発射しました。この頃も、アメリカと北朝鮮のチキンレースが放送されていました。


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朝食はホテル1階の食堂でした。ドイツ人はレタスのような葉物野菜があまり好きではないように感じます。このホテルでも青物はキュウリくらいでした。


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このホテルは四つ星クラスだったと記憶しています。部屋は広く調度品のレベルも高かったです。バスタブも付いていました。

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8時15分、ホテルをチェックアウト。
旧市街の中心部を経由するルートで駅まで歩きました。福音教会の尖塔が見えました。


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左折すると坂道の先にホルステン門が見えました。


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内トラヴェ川の橋を渡りました。ホルステン門と倉庫群・・・


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朝早い時間なので船着き場には人影はありません。


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何度見てもホルステン門は傾いていました。


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振り返ると、ホルステン門と2つの教会の尖塔・・・これで『塔の街リューベック』にお別れです。


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市内の各所にレプリカがありました。城門のレプリカは背後の土塁の下に連絡用のトンネルが付いていました。


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外トラヴェ川を渡りました。親柱は凝った彫刻・・・


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外トラヴェ川・・・この水辺ともお別れです。



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ラウンドアバウト・・・リューベック本駅はすぐそこです。


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この駅舎も何度見ても飽きない品格のある優れたファサードでした。


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駅のホームには発車待ち電車が沢山並んでいました。


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ドーム型の屋根は開口が大きいのでホームは明かるかったです。


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4月28日にフランクフルトに入って、デュッセルドルフ(4月28日)、ブレーメン(4月29日)、ハンブルク(4月30日)、リューベック(5月1日)の順に街歩きをしてきました。
今日のルートはリューベックからリューネブルク経路でツェレ。


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リューベック発9時09分、リューネブルク行きRE8号に乗車しました。
リューネブルクでリューネブルク発10時59分、ツェレ着11時37分IC2371号。


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この電車はDBのシンボルカラーの赤を基調にしたデザイン。ドイツの電車は様々な顔をしていました。


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車内に低学年の小学生の一団が乗車していました。郊外学習でもするようです。生徒はライトダウンにマフラー、5月初めの北ドイツは日本の冬並みの寒さでした。


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沿線の風景はお馴染みの光景が続きました。


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モバイルPCでフェイスブックに記事をアップしました。


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この時にアップした記事・・・

5月2日(火)リューベックは晴れ、肌寒い。
朝8時15分、ホテルをチェックアウト。旧市街を歩いて駅に向かった。
この街でラウンドアバウトを2つ見掛けた。朝の通勤時だが、円環道路は車をどんどん迎え入れては吐き出していた。自転車は右手挙げて行儀よくループを脱出する。
いずれも、リューベックの交通の要衝にあるラウンドアバウトだ。うまく行っているように感じた。
リューベック中央駅発9時9分のRE83号は南のリュ-ネブルクに10時25分に着く。乗り換えてツェレに11時37分に着く。
薄曇りなので沿線の素晴らしいはずの眺めがいまいちなのが残念。

川の中に大きな鉄柱が並んでしました。何か?気になりました。


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街が近づいてきました。
鋼矢板護岸の前に沢山の鉄柱が並んでいました。鉄柱は護岸の保護と船舶の係船柱を兼ねたものだと考えてみました。


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プレジャーボートが沢山置いてありました。


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電車は鉄橋渡りました。最初は広大な湖かと思いました。


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後で調べると、湖はエルベ川でした。下流にハンブルクがあります。河畔にローエンブルクの赤屋根の家々が並んでしました。


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リューネブルク駅に10時25分到着しました。乗り換えの電車まで30分あるので電車を降りて駅前を歩いてみました。
去年行ったバンベルククラスの小さな駅舎でした。人口は両市とも7万規模の街でした。リューネブルクはかつて岩塩の産地、リューベックまで『塩の道』があったそうでです。



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ツェレ行きの電車まで30分あるので、駅構内のマックでコーヒーを飲みました。
日本の100円マックと似たようなメニューも用意されていました。一番安いハンバーガーは1ユーロ、コーヒーも1ユーロ。


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リューネブルク発10時59分カールスルーエ行きIC2371号に乗車しました。


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この電車は真っ赤ですが、扁平な顔をしていました。

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定刻11時37分、ツェレ駅到着しました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2017-09-17 17:20 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月1日(月)ドイツⅡ その28 リューベック(6)

16時30分、朝最初に通ったトラヴェ川沿いの船着き場に戻ってきました。朝は快晴でしたが、この頃は雲が出てきました。寒くても今日は休日、沢山の人がカフェで楽しんでいました。


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河畔の散策路は歩行者優先らしき車道とカフェが占有できる歩道に分かれていました。河畔のカフェは常設のようにも思えました。
ドイツの河川管理は承知していませんが、日本でも河川範囲であっても一部の川では規制緩和を利用して店舗の常設が可能になりました。


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河畔散策路は車道と歩道がサイコロ状の大きなブロックで仕切られていました。ザックリ車道が15m、歩道が15m、全体で30mくらいはあります。
全体として幅30mの広場が出来ている感じです。このオープンスペース感が河畔を歩く人を快適な気持ちにさせるのだろうなと感じました。車道の端部は少し凹ませて側溝にしてありました。気の利いた設計だと思います。


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旧市街の高台に続く坂道の両サイドには車がずらりと並んでいました。居住者用の駐車スペースかも・・・。


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木橋を渡って内トラヴェ川の左岸を歩きました。手前の尖塔は福音教会、奥の2本は聖マリア教会。川は写真下から上に流れています。


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内トラヴェの左岸散策路にはお洒落でモダンな集合住宅が建っていました。


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内トラヴェ川の下流側・・・天気が良ければ河畔の眺めは文句なしでしょう。絵葉書のような美しさを感じました。

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内トラヴェ川の上流側、川は写真右から左に流れています。大聖堂の2本の尖塔が見えてきました。川と大聖堂、赤い屋根と白い壁の住宅が良く調和した優れた水辺の光景だと思いました。水辺のアクセスの良さにも驚かされました。


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対岸の旧市街に建っている住宅街は中世の気分を残していました。

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世界遺産に登録された区域なので建物の仕様や改造についていろいろと縛りがあるとは思います。唯、それによって価値の高い水辺が維持されていることを住民の方も承知しているのではないかと思います。


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ヴァル通りという車道沿いには、スカイラインを揃えた白い集合住宅が並んでいました。

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大聖堂を借景にした居住環境は実に羨ましい限り・・・。

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内トラヴェ川を渡りました。トレジャーボートが通り過ぎました。


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トラヴェ運河まで戻ってきました。運河は写真上から下に流れています。



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運河に架かる清洲橋みたいな橋を渡って、旧市街の外側のゾーンを歩いてみました。立派な戸建ての高級住宅街でした。


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八重桜が満開でした。

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17時20分、ホテルに戻りました。睡眠不足で疲れた1日でしたが、4時間の歩きでリューベックの街の素晴らしさを堪能できました。
明日は、ツェレという小さな街に向かいます。残念な事にどうも雨模様のようでした。

以下、次号・・・


# by camino0810 | 2017-09-16 16:16 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月1日(月)ドイツⅡ その27 リューベック(5)

15時40分、北側の城門を出ました。外から振り返って見た城門・・・

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城門と写真右手のの河川港とは15m程度の高低差が付いていました。曇りがちなお天気になってきました。


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案内図にはホルステン門が一際大きく描かれていました。リューベックといえばホルステン門ということだと思います。


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トラヴェ運河とトラヴェ川の合流点には赤レンガの大きな塔が建っていました。見張り塔兼灯台かもしれません。


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橋の上からトラヴェ運河が良く見えました。旧市街は写真右側、運河は写真上から下に流れています。

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運河の岸壁で沢山の人が釣りをしていました。今日は平日ですが、祭日だと思います。

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橋から運河に降りてみました。

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サッパみたいなイワシに似た魚を釣っていました。河口から近いので汽水域かもしれません。


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内トラヴェ川沿いは河川港になっていて、倉庫のような建物が並んでいました。


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内トラヴェ川とトラヴェ運河の北側の合流点・・・水は写真下から上に流れています。

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河川港の岸壁沿いを南に向かって歩いて行きました。水は写真の上から下に流れています。対岸には大きなシップローダが2基設置され、赤レンガの倉庫が並んでいました。ハンブルクの河川港と同様、実体的には海という感じで、言われないと川だとは判らないでしょう。


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内トラヴェ川の右岸沿いを南に戻りました。


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ヨットハーバー専用の岸壁もありました。日本でもお馴染みのトレジャーボートが停泊していました。


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公衆トイレは、50セント(0.5ユーロ≒60円)。ドイツ語不如意でも絵柄標記もあるので男女を間違えることはないでしょう。

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ヨットハーバーと街並み・・・旧市街中心部に近づいてきました。手前に奇妙な船が停泊していました。

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奇妙な船は浚渫船でした。バケットエレベーターが装備されていました。川に堆積する土砂を浚渫する船でした。

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ヨットハーバーと赤レンガの街並みが良く調和したいい水辺でした。


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船体はすべて木製の高級クラス?FRP製ではありません。


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旧市街の中心部まで戻ってきました。手前の2本の尖塔は聖マリア教会、真ん中が福音協会、一番奥の2本の尖塔が大聖堂・・・。右手にホルステン門も見えてきました。内トラヴェ川は写真の上から下に流れています。


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赤レンガ建物群と水辺が良く調和していました。写真右手のホルステン門が近づいてきました。


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写真中央の城塞風の屋根を持った赤レンガの建物は壁に1870という数字が明示してありました。1870年完成の築147年の建物だと思います。お隣の階段状の屋根の建物などリューベックらしい気分を持った建物が並んでいました。

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振り返ると、内トラヴェ川左岸には新しい建物が建っていました。

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今日は祭日なので沢山の人で賑わっていました。生憎、日本の冬並みの寒さなので皆着込んでいました。観光船に乗客が乗り込んでいました。


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ドイツ人は大人も含めてアイス大好きな国民のようです。寒いのにアイスコーヒー店の前に沢山の大人が長い列を作っていました。去年行ったレーゲンスブルクでもアイスを買うために大人が長い列を作っていたことを想い出しました。



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内トラヴェ川を渡ってホルステン門の前まで戻ってきました。

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この建物は相当傾いています。

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ホルステン門のある公園も実に綺麗にしてありました。


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内トラヴェ川の左岸から右岸にある旧市街を眺めてみました。お天気が曇り加減になってきました。聖マリア教会の2本の尖塔を背景にした旧市街の水辺の風景も素晴らしかったです。晴天なら文句なしでしょう。


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再び、旧市街に戻ってパン屋さんで夕食用の食事を買い求めました。菓子パンやサンドイッチが5.96ユーロ(750円、消費税7%)、コーラとペットボトルが3.68ユーロ(460円、消費税19%)。ドイツの消費税は品物によって税率を変えていました。


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朝歩いた河畔の散策路を再び歩いてホテルに戻りました。
以下、次号・・・



# by camino0810 | 2017-09-03 04:25 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月1日(月)ドイツⅡ その26 リューベック(4)

15時過ぎ、市庁舎に隣接する聖マリア教会までやってきました。尖塔の一部を足場を組んで補修していました。


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聖マリア教会は、1250年~1350年に築造されたゴシック式の教会だそうです。建設工期は100年、じっくり時間を掛けて赤いレンガを積み上げたようです。ケルン大聖堂の建設工期は1248年~1880年、同時期から開始して600年を超える時間を掛けて160mの巨大な聖堂を築き上げました。日本とワンオーダー違う時間軸の長さを感じます。
この教会は2本の巨大なファサードや大きな聖堂を支える跳び梁がついているなどこれまで観てきた大聖堂に近い骨格を備えた大きな教会でした。


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2本のファサードはキッチリ西を向いていましたが、十字架の形はしていません。旧市街地の真ん中の臍にあたる場所にあり、最も高い場所に立地している教会でした。市庁舎やマルクト広場も隣にあります。自分の感覚だと大聖堂の方が相応しいと感じましたが、大聖堂は旧市街地の南外れの低位置にあります。
何故か?

そういえば、ハンブルクの正式名称は「自由ハンザ都市ハンブルク(Freie und Hansestadt Hamburg)」でした。

自由都市の説明はWikipediaによれば

「自由都市とは本来、司教都市の中で、司教や大司教の統制から脱して皇帝直属の地位を得た都市が、他の帝国都市(貢納や軍役の義務を負う)と異なって貢納や軍役などから自由であったことを意味していた」

自治権を有する商業都市といった感じでしょうか。中世の統治ルールに縛られない独自の統治をしていたのではないかと思います。納税や兵役の義務がないのは実にありがたいことです。現在流にいえば、「経済特区」という気分を感じます。

中世から近世にかけてリューベックはハンザ同盟の盟主として経済的な繁栄をずっと維持した商業都市でした。この街は、自由なハンザ同盟の盟主、宗教よりも経済力が優位した結果、大聖堂は少し遠慮がちなスタンスにあったのではないかと想像します。
リューベックの歴史は日本語版のWikipediaには次のように記載されていました。12世紀に街の建設が始まり、ハンザ同盟の盟主として北海・バルト海の交易で独占的な地位を占めたものの近世に入りハンザ同盟の衰退に追随して衰退したとあります。

1143年、ホルシュタイン伯アドルフ2世によって建設された。一旦火事で荒廃したものの、ザクセンのハインリヒ獅子公によって再建された。1226年に帝国都市となる。北海・バルト海交易で一時期独占的な地位を築いたハンザ同盟の盟主でもあった。リューベック商人は、ノルウェーのベルゲンに商館を築き、ノルウェーの鱈を南に売却して大きな利益をあげた。また、リューネブルクの岩塩をおさえたことで、塩漬け鰊(ニシン)でも独占的な地位を誇った。近世にはいると、ハンザ同盟の衰退とともに、リューベックも衰退していった。
1806年の神聖ローマ帝国解体により主権国家となるが、ナポレオン戦争に巻き込まれ、1811年から1813年までフランス帝国に併合される。ナポレオンの没落にともない1813年に独立を回復するが、1815年にドイツ連邦に参加する。1867年には北ドイツ連邦に参加し、1871年のドイツ帝国成立に伴い、同国の州となる。ヴァイマル共和国時代も州の地位を保ったが、ナチス政権下の1937年にプロイセン州に併合され、同州の属州であるシュレースヴィヒ=ホルシュタインに編入される。
第二次世界大戦中は空襲を受け、戦後はイギリスの占領下におかれるが、ソ連占領地区(後の東ドイツ)に近接し、後背地とは鉄のカーテンに分断されることとなる。当時、東ドイツからの10万人の亡命者により人口が急増した。その後リューベックは州の地位を回復することなく、プロイセン州解体により西ドイツの連邦州に昇格したシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の一部として現在に至る。

中世、リューベックは南北2km、東西1kmと広くはない旧市街に随分と沢山の教会の尖塔が建っていました。これだけ塔が林立している絵柄も珍しいでしょう。
何故か? 


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(出展 Wikipedia)


「百塔のプラハ」と呼ばれるチェコのプラハには沢山の塔で有名な観光地ですが、中世の宗教・文化的な影響力や支配力を色濃く残した街ではないかと感じます。しかし、リューベックの歴史を概観しても、司教座のある大聖堂があるにせよ、宗教的あるいは文化的な影響力が支配的な街であったとは言い難いように感じました。
リューベックはハンザ同盟の盟主だったことからも基本的に商人の街だったように感じます。交易で財を築いた商人たちが競って塔の建設に寄進してその存在をアピールしたのではないかと考えてみました。豪商の競い合いの結果、沢山の塔ができたのではないか。
西洋社会では寄付の習慣が定着しています。古今東西を問わず、大きな富を築いた人たちは寄付や寄進でその富を社会に還元することはよく知られています。
アッピア街道は貴族の寄進できた道路で寄進した貴族の名前が街道の名称になっていると聞いたことがあります。ダイナマイトを発明して大富豪となったノーベルのノーベル財団、石油王ロックフェラーのロックフェラー財団、英国の化学者スミソンの遺贈した基金でできたワシントンDCのスミソニアン協会などなど・・・
日本の場合、宗教施設への寄進もあったとは思いますが、水路、分水施設のような水インフラ、新田開発など農業インフラなどに事業資金を提供したり、自ら工事を指揮したようです。
大分県日田の豪商広瀬久兵衛は、小ヶ瀬井路の開鑿、筑後川舟運の中城河岸の設置、周防灘沿岸の豊後呉崎、豊前久兵衛、筑前千早などの新田開発をはじめ公共土木事業にも力を尽くした人でした。
朱印船貿易で巨利を得た角倉了以は大堰川 の浚渫,疎通をはじめとして,富士川 ,天竜川 ,高瀬川 などの開削を行い,これらの河川を利用してまた資産を成した優れた実業家でもありました。

リューベックのドイツ語版のWikipediaに昔の絵図面が掲載されていました。ドイツ語は不如意でも絵柄ならそれなりに理解はできます。
1750年のリューベックは周囲を稲妻型の川と運河で守られた防衛力の高い城塞都市でした。ブレーメン、ハンブルクも似たような稲妻型の川や運河を持った城塞都市でした。ハンザ同盟の都市の形に共通した要塞都市のコンセプトを感じます。


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(出展 Wikipedia)


ちなみに大聖堂は1942年イギリス軍の爆撃により被災しましたが、尖塔の破壊は免れたようでした。ブレーメンの大聖堂は片方の尖塔が途中から折れてしまいましたが、連合軍もそれなりに配慮したのかもしれません。


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(出展 Wikipedia)

リューベックの水辺はアクセスが大変良いのが特徴ですが、裏を返せば洪水への防御力が小さいということになります。ただ、リューベックの周囲には放水路や遊水地のような洪水防御インフラが見当たらなかったので、トラヴェ川の流域は元々大きな雨が降らない地域かもしれません。
あるいは、トラヴェ川の流域が保水力の高い豊かな森林や草原で占められいて流域に降った雨の出方がゆっくりしているのかもしれません。
旧市街はお椀を伏せた形をしています。トラヴェ川やトラヴェ運河沿いの低い場所は一定の範囲までは冠水するのを覚悟の上で荷役施設、倉庫や住居を造ったのかもしれません。発生頻度が少ないであろう洪水被害よりは普段の経済的あるいは商業的な利便性を優先させた街づくりだったのかもしれません。2011年の東日本大震災後の復興街づくりのようなコンセプトがあったのかもしれません。リューベックは防潮堤を省略し、低平地には商業施設、高標高部は行政・宗教施設や住居などを配置したのかも・・・。
別の考え方もあります。
木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が合流する永島地区には輪中堤と呼ばれる特殊な堤防が残っているそうです。洪水から生活を守るために集落毎に堤防を築きました。川を堤防で閉じ込める通常の発想とは真逆の、自らを堤防内に閉じ込める逆転の発想です。
中世のリューベックの絵図面には運河沿いに城壁を巡らせていました。つまり、城壁に軍事上の防御機能に加えて洪水防御も兼用させたのではとも考えられます。城門の出入り口にゲート(陸閘)を設置すれば洪水防御も可能ですし、普段の経済活動にも支障がないでしょう。
現在、城壁が撤去され北側の城門だけが保存されているのは生活や経済の利便性が優先されたからだと思います。
Wikipediaには1904年の12月の洪水の記録写真が掲載されていました。旧市街の一部が冠水した写真でした。ケルン(ライン川)やプラハ(エルベ川)には河畔の散策路に洪水防止板を嵌め込む支柱用の基礎がありましたが、リューベックでは確認できませんでした。もしそうだとすれば水害を考慮する必要のない恵まれた街なのかもしれません。



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(出展 Wikipedia)

聖マリア教会の裏手を歩いてみました。


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聖マリア教会の裏手で観光客がスナップ写真を撮っていました。悪魔の彫像が観光スポットになっていました。


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「悪魔の石」に腰かけた「悪魔」は意外にも人の好さそうな愛嬌のある顔、姿をしていました。裸で尻尾があり、片方の足は馬みたいな蹄の足でした。

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英語版の説明書きがありました。

「聖マリア教会の最初の礎石が座った時、悪魔は建物はワインバーになると勘違いしました。悪魔はいい考えだと思い、建設職人を応援しました。建築がどんどん進んで教会の姿になりました。悪魔は騙されたと思い、怒りに震えて大きな石で完成した教会を壊そうとしました。勇気のある仲間が「隣にワインバーを造るから出来上がった教会を壊すのは止めて」と約束して彼の怒りを鎮めました。この悪魔の石には、悪魔の爪痕が残っているそうです。建設職人が教会の反対側にある市庁舎にワインセラーを造りました」



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聖マリア教会の道路を挟んだ反対側に『ブッデンブローク家の人々』の舞台になった建物が保存されていました。トーマス・マンはリューベックの出身、そう言えば、『ブリキの太鼓』の作者ギュンターグラスもリューベック出身だそうです。ノーベル文学賞の受賞者を二人も生み出した街でもある訳で文化・芸術方面でも卓越した街でした。



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大通りに戻って北に向かって坂道を下っていきました。


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聖ヤコブ教会の尖塔が近づいてきました。リューベックの宗教施設は屋根が緑色、壁はレンガの赤色で統一されていました。


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大通りに直交する坂道もまた風情を感じます。


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聖ヤコブ教会は北の端にあるせいか、少し小振りな教会でしたが、風格に溢れた教会でした。


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教会前は石張りで広々した広場になっていました。


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住宅と思われる建物は白色、モルタル壁かもしれません。


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小さい公園がありました。


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旧市街の北側の城門まで歩いてきました。旧市街の防衛の要に相応しい大きな見張り塔は高さが40mはあるでしょうか。


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当日のフェイスブックにアップした記事・・・現場を歩いた時の感想がリアルに記されていました。

5月1日(月)リューベックは晴れ、温暖。
ホテルで一眠りして13時から街歩きを始めた。実は駅からホテルまでの約2キロの歩きで気持ち的には既に腹一杯になっていた。旧市街を取り囲むトラヴェ川沿いの水辺の景観が文句のつけようがないほど完璧だったからだ。
リューベックの街が世界遺産に登録されていることを初めて知った。見どころの旧市街がトラヴェ川と運河に囲まれた中の島に収まっている判りやすい街だった。
リューベックは、中世のハンザ同盟を仕切った街らしい。高さが100mを超える、巨大な大聖堂と2つ教会がある。ハンザ同盟をEUに例えると、リューベックはEUの盟主ドイツに相当する都市国家だった訳で、その経済力や政治力に相応しいステイタスを整えたという事だろうか。
教会、市庁舎など大きな建物は皆煉瓦造りだった。この周辺には石材の産地がないからだろう。地盤もあまり良くないようだ。リューベック名物のホルステン門やリューベック大聖堂は肉眼でも判るほど傾いていた。地震がないので何とか持っているようで日本なら大騒ぎになるだろう。ドイツでは耐震設計は不要なのだろうか。
トラヴェ川の北半分は河川港になっていて、平日のお昼過ぎなのに沢山の若者や小学生がサッパみたいな細長い魚を釣っていた。多分、何か特別な日かもしれない。
トーマス・マン、ギュンター・グラスというノーベル文学賞作家を輩出した街でもある。マリエン教会の前にブッデンブローク家の建物があった。そう言えば、1980年頃観たギュンターグラスの『ブリキの太鼓』は傑作な歴史映画だった。
トラヴェ川の水面と旧市街南側の住宅街の路面の差が殆どないのは何故か?洪水や高潮の影響はないのか?水辺のアクセスが良すぎるのが逆に気になる。
とにかく、睡眠不足で疲れた1日だった。明日は、ツェレという小さな街に向かう。残念な事にどうも雨模様のようだ。


城門を潜り抜けて河川港に下りました
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2017-08-30 17:11 | ドイツⅡ | Comments(0)