2017年5月5日(金)ドイツⅡ その49 クラクフ(1)

ワルシャワ中央駅11時45分発EIP8300号に乗車しました。クラクフには14時07分に到着、2時間半の電車旅でした。


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ワルシャワ中央駅は地下にホームがあります。市街地の約2kmの区間は地下化されていました。

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地下ホームは全部で4本、大都市のわりには少ない感じです。4番線からクラクフ行きの特急が発車しました。

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特急電車は定刻に発車しました。ドイツのDBの赤い電車とは違った趣きがありました。


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座席はゆったりしていて、快適な車内でした。ワゴンサービスも付いていました。お隣のアメリカ人?のカップルがパソコンで動画を観ていました。音が大きくはた迷惑でした。


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5号車36番の窓際席が自分の座席。OKNOはポーランド語で座席の意味でしょう。英語表記も・・・。


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座席の間にコンセントが付いていました。230V、50HZ、ドイツと同じC型プラグで使用できます。

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クラクフはワルシャワの約300km南にある古都でした。この地図を見ると、ポーランドはいろいろな国と地続きの国だと判ります。西からドイツ、チェコ、スロバキア、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニア。陸続きの欧州の国々は中世の昔から隣国からの侵入に警戒が必要なのが理解できます。

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(出展 Google)

ワルシャワの郊外の公園・・・

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戸建て住宅・・・何となくドイツとは違った印象があるものの何処がどう違うのか上手く言えません。

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郊外のショッピングモール・・・

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落書きと集合住宅・・・

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電車は街を抜けて田舎に入りました。麦畑だと思います。

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もしかして、手付かずの自然河川かもしれません。日本では北海道の一部の河川で残っているのかもしれません。

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牧草地も何となくドイツと違った気分がありました。

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集落・・・

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麦畑・・・

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牧草地・・・

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この小川も手付かず?

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ドイツとの明らかな違いはポーランドには菜の花畑が見当たらなかったことでした。


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集落と牧草地・・・ポーランドは「平原」という意味、どこまでもなだらかな地形が続いているのかもしれません。
ポーランドの国土は、鉄道や道路インフラを造るには大助かりのように感じます。基本的に切土や盛土だけの「明かり土工」で処理できるのでリーズナブルな投資で済むでしょう。山や川の多い日本ではどうしてもトンネルや橋が必要、その分お金が掛る訳で羨ましい限りです。

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ゆったりした住居周りの敷地、広々した牧草地・・・田舎の住環境も良さそうです。ドイツとの違いはうまく説明できません。

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電車は定刻14時07分にクラクフに到着しました。ドイツの短い顔と違って、この電車は長い顔をしていました。


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ICはINTERCITY 、都市間長距離列車という意味だと思います。クラクフはワルシャワの約300km南にあります。東京~名古屋間の東海道新幹線が約370km、のぞみで1時間40分、平均時速は220km。ワルシャワ、クラクフ間の路線距離は、「トーマスクックのヨーロッパ鉄道時刻表」で約300km、平均時速は約120km/時。かなりの移動速度があると思いました。


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このホームは天井が塞がれてはいましたが、地下ではなく地上に設置されたホームでした。


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地図を見ると、ホーム直上は広大な駐車場にしてありました。日本で線路直上に駐車場を持った駅舎を知りません。日本では駅舎に対する法的な縛りがあるのかも知れませんが、「この手もありか」という感じで発想の転換にはなりそうです。


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(出展 Google)

駅構内のスーパーで定番の物価調査をしてみました。
パンは随分とリーズナブル。小さい丸いパンは1個0.59ズオティー(18円)。

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豚肉もリーズナブルで1kg13.99ズオティー(430円)。日本の3分の1位です。

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その代り、牛肉は随分と高く100g、8.99ズオティー(280円)。ドイツやポーランドは豚肉大国、牛肉小国だと思います。


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持参した2つのルーターが使えず、スマホのGoogleのマップも使えません。海外の初めての地で自分の位置とターゲットを特定できないのは結構致命的です。
駅構内のインフォメーションで地図をもらいました。予約したホテルまで概ね徒歩で3kmくらい、40Lのバックパックと30Lのデイパックを携行して歩くのはとても難儀な話です。

当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月5日(金)ワルシャワは曇り後晴れ、適温。
(省略)
11時45分発の特急電車は定刻14時07分にクラクフに到着した。困ったことに持参したルーターが2つとも電波を拾えない事態が生じた。海外旅行で自分の位置やホテルの場所を特定できないのは致命的だ。仕方ないのでホテルまでタクシーを利用した。
ホテルのWihiでこの記事を書いている。明日のグダンスクでもルーターが使えないと相当な難儀を覚悟しなくてはならない。

やむなく、タクシーを使ってホテルに行くことにしました。
以下、次号・・・



# by camino0810 | 2017-11-18 07:40 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月5日(金)ドイツⅡ その48 ワルシャワ(7)

クラクフ郊外通りと聖十字架通りの交差点まで来ました。


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交差点から南に延びる新世界通りには綺麗にスカイラインを揃えた3階建ての建物が連なっていました。ポーランド人も建物をパステルカラーで塗り分けるのが大好きな国民のようでした。

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お寿司屋さんもありました。

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聖十字架通りを西に向かいました。地下鉄の出入り口は総ガラス張りの斬新なデザインにしてありました。断面形状がメトロの「M」をイメージしているようです。

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折角の機会なので地下の駅舎に降りてみました。地下鉄の改札はピカピカの自動改札でした。


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聖十字架通りもスカイラインを揃えた建物が見事に並んでいました。

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ポーランド国旗を掲揚した建物は貨幣博物館でした。

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ワルシャワ中央駅に行ってクラクフ行きの電車の切符を買い求めなければなりません。


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(出展 Google)
ワルシャワのシンボル文化科学宮殿とピカピカの摩天楼群が見えてきました。


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地下鉄の出入り口はデザインは同じにして駅ごとにガラスの色を変えていました。

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ワルシャワの中心部は、凹凸の激しいスカイラインの摩天楼群でした。これまでのスカイラインを整えた伝統的な街並みとは真逆の街並みが出来ていました。


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文化科学宮殿の脇を通ってワルシャワ中央駅に向かいました。

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文化科学宮殿は風格に溢れた建物でロシア色が濃厚でした。調べると、この建物はいわくつきの建物でもありました。ワルシャワには、社会主義時代を象徴するこの建物を嫌う気分が今でも残っているようです。

以下、Wikipedia

文化科学宮殿は、高さ237メートル、42階立て、尖塔の高さは49メートルあり、総室数は3288室。地震の少ない地域のため柔構造を取る必要がなく当時の技術で作ることが出来た。(省略)
文化科学宮殿の建設は1952年に開始され、1955年に完成した。スターリンによって、ソビエト連邦からのポーランド人民への贈り物としてワルシャワ市内に建設された。文化科学宮殿はソビエト当局によって設計され、ほぼ全工程に渡ってソビエト連邦から派遣された3500人の労働者によって建設された。(省略)
ワルシャワ市街のランドマークとして、文化科学宮殿は当初から論争の的となった。ワルシャワ市民を始めとするポーランド国民は、文化科学宮殿をソビエト支配の象徴であると考え、この建築を嫌悪した。社会主義体制崩壊の現在に至るも、このような否定的な見方は存在しており、ポーランド人の中には、政治的見解に関係なく、文化科学宮殿がワルシャワの伝統的な景観を損ねているとして批判する人々が存在する。ワルシャワ子たちは、「どこに行くんだい」「文化科学宮殿だよ。あそこに行けば宮殿を見なくて済むからね」というジョークを作ってこの摩天楼を揶揄して溜飲を下げた。


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この建物を今でも保存する理由は何か?
政治的な背景は別にして、建物自体は古典的な風格や美しさを持っており、建物自体の芸術性が高いこと、東京タワーやスカイツリー的な、ワルシャワのランドマークとして観光的な価値が高いことなどがあるためではないかと思います。
この建物に東日本大震災の震災遺構のような役割を持たせたとも考えられます。ベルリンにはポツダム駅前にベルリンの壁が展示されていました。辛い社会主義時代を忘れないための特異な歴史遺産という位置づけもあるのではないか。
一番シンプルな考え方は、この建物の除却費用が莫大だったからではないか。高さが200mを超える建物を安全かつ周囲に迷惑を掛けずに解体するのは簡単ではありません。東京赤坂の赤プリ新館の解体工事は特殊な作業室を用いたユニークな解体方法で話題にもなりました。費用もそれなりで掛ったことだと思います。


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ワルシャワ中央駅が近づいてきました。お隣の高層ビルはマリオットホテル。

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ワルシャワの新名所?摩天楼地区に来ました。「景観特区」ともいえる光景でした。2016年のドイツ旅行で行ったフランクフルトの新市街を超える、結構、衝撃的な光景でした。
http://camino0810.exblog.jp/26033466/

日本では都市計画法で用途地域を決め建物の種類を縛り、容積率や建蔽率で建物高さや配置を縛っています。ポーランドでも似たような仕組みがあるのかもしれません。昨日、初めてワルシャワ中央駅を降りて、超高層マンションを見て『よくぞここまで突き抜けた。あっぱれ』と感じました。
ワルシャワ市民は文化科学宮殿の保存と引き換えに敢えてこのような都市計画を選択したのではないか。超高層ビル群で、高さ200mを超える文化科学宮殿の価値を相対的に抑え込む目論見のようなものを感じました。
ポーランドの受難の歴史は、ソ連やそれ以前のロシアの支配からの独立蜂起とその失敗の繰り返しでした。2004年にEUに加盟して、念願の自由で独立した国を取り戻すことができました。そのことを具体の形にしたのが、このピカピカの摩天楼群ではないかと感じました。


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同じような光景はロンドンの中心地区でも見た覚えがあります。ロンドンは気持ち手狭な感じです。ワルシャワは土地が広いため建物間の離隔を大きく取れるので、オープンスペース感が感じられました。


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(出展 Google)

ワルシャワ中央駅の窓口でクラクフ行きの切符を購入しました。英語で必要事項を書いたメモを窓口のオバサンに渡しました。年配の方に英語は通じませんでした。切符の発着の記載”OD、VON、DE:DO、NACH、À”はポーランド語、ドイツ語、フランス語の順、英語表記はありません。


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10時40分、荷物を取るために駅前から宿泊したホテルに戻りました。


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ワルシャワの水準測量風景・・・写真奥にスタッフを持った補助の人が写っています。

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工事現場の風景・・・ポーランド人は固定式水平ジブクレーン派でした。


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11時、ホテルに到着。40Lのバックパックに荷物を詰め込んで、再び、駅に向かいました。滞在型ホテルにはキッチンや洗濯機もついていました。


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当日にフェイスブックにアップした記事・・・


5月5日(金)ワルシャワは曇り後晴れ、適温。
朝7時に起きて街歩きを開始した。
ターゲットは川と旧市街、最初に市街地の東にあるヴィスワ川河畔まで歩いた。川幅が500m位はある大河川だったが、観光舟運や産業舟運での利用はほとんど感じられなかった。
河畔を歩いて北側の旧市街を目指した。大通りを越えると宮殿風の建物が見えてきた。高台に旧市街の観光スポットが展開していた。観光バスが次々とやってくる。ワルシャワ観光のホットスポットと言っていいくらい建物も街路も綺麗にしていた。格式のある建物がスカイラインを揃えていた。クラクフ郊外通りという名前が付いている。ワルシャワ大学もあった。
大通りに戻って中央駅を目指した。建物のスカイラインは綺麗に揃っていた。欧州の街並みとは普通こんな感じだろう。
文化科学宮殿という高い建物はワルシャワの街のランドマークになっていた。どこからでも見えるので一見さんにはありがたい建物だ。ロシアの伝統的な建物と良く似ていた。
中央駅付近には奇抜な超高層ビル群が並んでいた。欧州の街には珍しい光景だと言えそうだ。同じような光景をウィーンでも見たことがある。2014年、市内のドナウ運河沿いを歩いている時に見かけた。周囲の伝統的な建物の中に突然違和感のある奇妙な建物が並んでいた。多分、ワルシャワもウィーンも『景観特区』のようなルールを造ったのではないかと思った。奇抜な建物も百年経てば伝統様式に変わるかもしれない。
ワルシャワ中央駅の窓口でクラクフ行きの切符を購入した。英語で必要事項を書いたメモを係りのオバサンに渡したら、彼女は3人分と勘違いして450ズウォンティ(14000円)を請求してきた。事前に相場を知っていたのでクレームを入れるとオバサンは1人の切符を再発行してくれた。
(省略)

5時間余りのワルシャワの街歩きを終えて、11時45分発のクラクフ行きの特急電車に乗車しました。
以下、次号・・

# by camino0810 | 2017-11-11 13:37 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月5日(金)ドイツⅡ その47 ワルシャワ(6)

9時20分、ワルシャワの旧市街に着きました。1980年、世界文化遺産に登録されたワルシャワの観光の中心地区でした。

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王宮の表側はクリーム色でしたが、広場に面した王宮の裏側は赤い壁と赤い屋根で出来ていました。

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王宮前広場の建物は4階建てのパステルカラーの建物でした。

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ワルシャワはポーランドの首都で人口170万の大都市。元々はヴィスワ川沿いの小さな漁村だったそうで、14世紀以降商業と工業の発展が盛んになり、1596年ジグムント3世がクラクフから首都遷都したとか。
ほぼ同時期、日本が1603年に徳川家康が実質的に京都から江戸へ首都を移転したのとなんか似ています。クラクフは第2次大戦で焼失を免れた歴史のある古都であり、京都と全く同じ。つまり、東京とワルシャワは似た関係にあると言えそうです。 
王宮より北側の「旧市街」は遷都以前の街、王宮より南側の「新市街」は遷都以降に出来上がった街だそうです。周辺には大きな庭園やたらと多い地域でした。ポーランドは土地がタップリとある証拠かもしれません。

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(出展 Google)

ワルシャワの語源・・・Wikipediaから


ワルシャワの起源に関する伝説[編集]
ワルシャワの起源に関する伝説[3]。 昔々、ヴィスワ川のほとりに小さな家があった。そこにはワルスとサワが住んでいた。ワルスは漁師であって、サワはワルスの妻である。あるとき、この近隣の地域を支配していたジェモメスゥ公(シェモメスゥ公とも)が狩に出かけた。獲物を追っているうちに、家来たちから離れ、森の中で迷ってしまった。夕暮れちかくになっても帰り道が見つからず、そのうちにヴィスワ川のほとりに行き着き、ワルスとサワの住む家を見つけた。夜に森を一人で歩くのは危険であるので、公はワルスとサワの家のドアをたたき、泊めてもらえるように頼んだ。ワルスとサワは見知らぬ客人を暖かく迎え、食事とベッドを用意した。このもてなしに公は大変感謝した。翌朝、公は、貧しい漁師夫婦に礼を言い、つづけて「見知らぬ人物を嫌がりもせず家に招きいれ、空腹、寒さ、野獣から救ってくれた。あなた方の親切がいつまでも忘れられることのないように、この地は今後いつまでもワルスの(ワルショヴァ Warszowa)土地である」

知識不足でこの王宮前広場が旧市街の核心部と勘違いし、そのまま新市街に向かいました。実は、王宮前広場の北側に正真正銘の旧市街広場がありました。4階建てのパステルカラーの建物群が綺麗に軒を揃えています。


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(出展 Google)


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(出展 Wikipedia)

ワルシャワ城はリング状の城壁に囲まれた長径0.6km、短径0.2kmの随分と小振りなお城でした。リューベックの城壁が縦2km、横1kmなので随分と小さいお城といえるでしょう。旧市街の構造は、大聖堂の隣に広場があり、ドイツと同じパターンでした。
小振りなお城の理由は、クラクフからの遷都後は、政権が安定化し、外敵から身を守る城壁自体の必要性が低下したのではないかと思います。城壁は街の発展から見れば支障物でしかありません。北側はそのままにして、経済発展、人口増加とともに南側の新市街地が発展したのではないか。


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(出展 Google)

城壁は空堀と2重の城壁で構成されていました。

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(出展 Google)

ワルシャワ城を観て、1999年に行った南フランスのカルカソンヌ城を想い出しました。このお城は、中世の気分を色濃く残した有名なお城で世界遺産にも登録されています。ワルシャワ城壁と同じ空堀、二重城壁でした。カルカソンヌ城はガロンヌ河畔の小高い丘に建っていました。川からお堀に導水するのは大変なので空堀にするしかありません。このパターンが中世の城の防衛の考え方かもしれません。

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(出展 Google)

ワルシャワは遷都後、ヴィスワ川の河畔から徐々に内陸に向けて発展していったようです。1656年の絵画にはヴィスワ川には沢山の帆船が航行していました。左岸の高台には王宮以外にも高楼を持つ重厚な建物が並んでいました。この絵が描かれた時期は、日本では大火事のあった江戸時代の明暦期にあたりますが、ワルシャワの街は既に風格に溢れた立派な街に仕上がっていました。

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(出展 Wikipedia)

1770年の絵画には王宮の隣に大聖堂らしき巨大な三角屋根の建物も出来上がっていました。ヴィスワ川の舟運の盛んな様子も窺えます。

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(出展 Wikipedia)

「地球の歩き方」は海外旅行での自分のバイブルであり、マストアイテムの一つです。
同書からポーランドの歴史年表から抜粋すると、どうもこの絵が描かれた1770年あたりがポーランドの絶頂期であり、これ以降ポーランドの受難の歴史が始まっていました。同時期の江戸期、日本は海に守られたある意味極めて平和な国であり、他国の侵入を許した経験がありません。日本は、地続きの国々の興亡の悲哀を経験しなかった幸福な国かもしれません。

1772年:18世紀に入り大北方戦争勃発、1733年には国内で王位継承戦争が起こるなど、戦争によって国は衰退の一途たどる。そして、ロシア、プロシア、オーストリアによる第1次ポーランド分割が行われる。
1795年:1793年には第2次ポーランド分割、そして1795年の第3次ポーランド分割によりポーランド王国は消滅する。

以降、ポーランドは独立蜂起を繰り返しますが、そのたび、大国ロシア、ソ連に押し潰された辛い受難の時代が続いたようです。
1989年、ベルリンの壁の崩壊に呼応して「連帯」のワレサ大統領による自由主義体制が成立、2004年EUに加盟して現在に至りました。ワレサ大統領を顕彰してグダンスクの空港は「グダンスク・レフ・ワレサ空港」と名前が付けられていました。

新市街を南に向けて歩きました。広大な通路というよりも広場は優に50m以上もあり、歩いていて実に快適でした。日本の皇居前の広場と同様、一定の大きさのスケール感があると人は有り難味を感じるものだと思います。この通りも完全に車を排除してありました。これまで歩いてきた欧州の街に共通したやり方でした。


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写真左の大きな建物はカトリック教会でした。パルテノン風のファサードを持つ珍しい教会です。

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来た道を振り返りました。首都ワルシャワを造ったジグムント3世のオベリスクと緑屋根の大聖堂が見えました。


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スカイラインを揃えた建物が見事に並んでいました。

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南に歩いて行くと、建物の壁の色が赤系から白系に変化して行きました。


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鮮やかな花が供えてありました。

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もう一つのカトリック教会、このファサードも教会とは思えないほど豪華です。


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街灯、高欄は実に凝っていて繊細にして豪華・・・。


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大統領官邸・・・。

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大統領官邸まで来ると車道が通っていましたが、車道と歩道の段差を無くし、境をぼやかして、歩車道の連続性を高めていました。


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中国のお金持ちの一団と出会いました。

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ホテルブリストルは豪奢なホテルでした。


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3つ目のカトリック教会、このファサードなら教会でしょう・・・。

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ワルシャワ大学は一等地にありました。


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ベルリンのウンターデンリンデンにあるフンボルト大学と同様、歴史のある名門大学のようでした。


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ポーランド語は全く不明ですが、日本文化や日本文学への憧れがあるのかもしれません。


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聖十字架教会にはショパンの心臓が埋葬されているそうです。欧州には、人の最も大事な部位は頭ではなく、心臓という考え方が根強く残っていると聞いたことがあります。ウィーンの大聖堂には歴代国王の心臓が保存されているそうです。この教会は上空から見ると確かに十字架の形をしてはいましたが、ファサードは西向きではなく東を向いていました。旧市街の聖ヨハネ大聖堂の形も大聖堂の基本ルールとは無関係ようでした。


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コペルニクスの像のある広場まで来ました。恥ずかしながらコペルニクスがそもそもポーランド人とは知りませんでした。語感からイタリア人だとずっと思っていました。彼は、天文学者、知事、長官、法学者、占星術師、医者、司祭を務めた実に多才な天才だったようです。

以下、Wikipedia
ニコラウス・コペルニクス(ラテン語名: Nicolaus Copernicus、ポーランド語名: ミコワイ・コペルニク Pl-Mikołaj Kopernik.ogg Mikołaj Kopernik[ヘルプ/ファイル]、1473年2月19日 - 1543年5月24日)は、ポーランド出身の天文学者、カトリック司祭である。当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた。これは天文学史上最も重要な発見とされる。(ただし、太陽中心説をはじめて唱えたのは紀元前三世紀のサモスのアリスタルコスである)。また経済学においても、貨幣の額面価値と実質価値の間に乖離が生じた場合、実質価値の低い貨幣のほうが流通し、価値の高い方の貨幣は退蔵され流通しなくなる (「悪貨は良貨を駆逐する」) ことに最初に気づいた人物の一人としても知られる。
コペルニクスはまた、教会では司教座聖堂参事会員(カノン)であり、知事、長官、法学者、占星術師であり、医者でもあった。暫定的に領主司祭を務めたこともある。


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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月5日(金)ワルシャワは曇り後晴れ、適温。
朝7時に起きて街歩きを開始した。
ターゲットは川と旧市街、最初に市街地の東にあるヴィスワ川河畔まで歩いた。川幅が500m位はある大河川だったが、観光舟運や産業舟運での利用はほとんど感じられなかった。
河畔を歩いて北側の旧市街を目指した。大通りを越えると宮殿風の建物が見えてきた。高台に旧市街の観光スポットが展開していた。観光バスが次々とやってくる。ワルシャワ観光のホットスポットと言っていいくらい建物も街路も綺麗にしていた。格式のある建物がスカイラインを揃えていた。クラクフ郊外通りという名前が付いている。ワルシャワ大学もあった。
(以下省略)

クラクフ郊外通りから聖十字架通りに入って、ワルシャワ中央駅を目指しました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2017-11-07 23:20 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月5日(金)ドイツⅡ その46 ワルシャワ(5)

8時30分、ヴィスワ川の左岸河畔沿いに下流の旧市街を目指して歩きました。

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(出展 Google)

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鉄道橋をやり過ごして河畔公園までやってきました。対岸には斬新なデザインの競技場が見えていました。ヴィスワ川は基本的に掘り込み河川ですが、一応、水の流れる低水路と高水敷からなる複式構造でした。川は写真上から下に流れています。
生憎、曇り空だったので水辺の眺めは今ひとつでした。ヴィスワ川の河畔利用は何となく低調な感じでした。

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折角の機会なので自撮りしました。

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観光船の屋根に「FLOATING BAR」と記載されていました。日本流に言うと、「屋形船」ということでしょうか。一応、観光舟運はあるようですが、ドイツの熱心さには程遠い感じです。


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河畔公園の整備はこれからといった感じでした。盾と刀を持った女性人魚像が建っていました。鉄道橋や斜張橋の桁下空間は10mはありそうです。産業舟運、観光舟運を視野に入れているのかもしれません。かなりの大きさの船舶が通り抜ける空間は用意されていました。現時点のヴィスワ河畔はいまいちですが、ポテンシャルの高い川だと感じました。


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実は、この記事を書いていて気付いたことがあります。河畔道路の一部を地下化して、道路で分断された河畔公園の一体化が計画されていました。ワルシャワ中央駅の線路地下化と共通したものを感じます。


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(出展 Google)

トンネル部分の長さは約500m、片側3車線のトンネルが2本分、全幅で約25mの公園用地が復活した計算になります。2016年のドイツ旅行でケルンのライン河畔でも似たような地下トンネルを観ました。


欧州の人たちは道路は高架化するより地下化するのが流儀なのかもしれません。もしかしたら、青空や太陽光を大事にしたいから?


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(出展 Google)

下流側の地下トンネルの入口が覗いていました。


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コペルニクス科学センターが近づいてきました。

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コペルニクス科学センターは河畔公園の中核的な施設でした。ここは河畔テラスが立派に仕上がっていました。


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Wikipediaで調べると、この建物はポーランドの最大の科学館でした。

コペルニクス科学センター (Copernicus Science Centre, ポーランド語: Centrum Nauki Kopernik) は、ポーランド、ワルシャワのヴィスワ川の辺にある科学館[1]。来館者が自分で実験を行ったり、科学の法則を発見したりできる450を超える体験型展示によって構成されている。科学センターは、ポーランド最大の科学展示施設であり、ヨーロッパにおいても最新のものの1つである。2012年9月25日、センターは200万人目の来館者を迎えた。

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深海探査艇だと思います。

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河畔の散策路をさらに歩いて王宮を目指しました。現在風にリノベーションした教会?の脇を歩きました。



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屋根を総ガラス張りにした教会?でした。「古い革袋の新しい酒を入れる」といった感じです。

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河畔道路の横で生コン車がコンクリートを打っていました。河畔公園の整備が進んでいるようです。


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公園内の散策路を歩いて行きました。


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旧市街が近づいてきました。スカイラインを揃えたパステルカラーの建物が現れました。自分が持っていたワルシャワのイメージとはこんな街並みでした。


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昨日は、トヨタとマツダが隣り合わせ、今日は、ホンダとニッサンが仲良く並んでしました。

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9時10分、王宮が見えてきました。玄関はどっちを向いているか?

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王宮の玄関は市街地側ではなく、ヴィスワ川を向いていました。ワルシャワは、ヴィスワ川の舟運で発展した街かもしれません。


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(出展 Google)


折角の機会なので自撮り・・・

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王宮を右手に見ながら旧市街へ・・・


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見上げると、旧市街のカトリック教会・・・


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旧市街は高台にありました。普通の観光客は、高台の大通りを歩いて旧市街に入るでしょう。自分の場合はヴィスワ川から裏口入学みたいな感じで階段を上って旧市街に入りました。

以下、次号・・・



# by camino0810 | 2017-11-03 21:13 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月5日(金)ドイツⅡ その45 ワルシャワ(4)

朝7時、街歩きを開始しました。
ワルシャワの新市街はスクラップ&ビルドが盛んでした。至る所で再開発が行われている印象がありました。2015年に行ったイギリスのリーズも似た感じでした。リーズはIT、金融、教育で街が元気でした。ワルシャワにも何か好景気の要因があるのでしょうか。すこしバブル気味なのが気になりました。
超高層ビルの間にこのような廃ビルがあちこちに残されていました。


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バス、トラムの切符売り場・・・。

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再び、都心のワルシャワ中央駅を目指しました。


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再開発地区の工事中の超高層ビルの脇を通り過ぎました。ポーランド人はドイツ人と同様に水平ジブクレーンがお好みみたいです。仮囲いに建物の完成予想図が掲示されていました。


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このビルはマンションかもしれません。

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こちらは共産党政権時代のアパート群かも・・・。日本にも至る所に住都公団のアパート群が残っています。敷地がユッタリして建物の高さを揃えている点など、ワルシャワの建物の方が大きいけど気分はなんか共通した感じです。


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自転車の貸し出しも盛んなようです。自転車を使った街歩きもありですが、使い方が判りません。


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今日のターゲットはヴィスワ川と旧市街。
自称川屋には何処へ行っても川を見逃すことはできません。ワルシャワといえば、世界文化遺産にも登録された旧市街の観光名所も見逃すわけにもいきません。
ワルシャワ中央駅から文化科学宮殿の脇を通って、南側の市街地を歩いて行きました。

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(出展 Google)

ワルシャワ中央駅の路線(長距離鉄道、近郊鉄道)は駅周囲では完全に地下化されていました。ドイツではライプチヒでSバーン(郊外鉄道)が地下化されていましたが、ドイツの大半の街では長距離鉄道は高架か地上線路でした。
ワルシャワの街は中心地区の約2kmの鉄道が地下化されていました。この事業が何時行われたかは不明ですが、線路の地下化で、中心市街地に大きな空間が造られた訳で優れた都市計画だと感じました。
そういえば、デュッセルドルフのライン河畔道路の地下化や京都の鴨川沿いの京阪電車の地下化は道路の渋滞解消が目的だと聞いています。ワルシャワの鉄道地下化についても、鉄道を横断する道路がかつて平面交差したため交通渋滞が発生したのかもしれません。地下化したことで優れた都市空間ができ、都市の価値が向上したとも考えられます。最近はこのような事例をインフラのストック効果と呼ぶようです。


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(出展 Google)

昨日初っ端に驚いた風景、奇抜なデザインの高層ビルは「Złota44」という52階建ての超高層マンションでした。東京駅の真横にマンションが建ったみたいなものです。隣の円形の建物はショッピングモール、奥に見えているのが文化科学宮殿。

Wikipediaより
Złota44は、ポーランドと欧州連合(EU)の住宅で最も高い建物の一つです。それは192メートルの高さに達し、287のアパートメントを含む贅沢な52階建ての超高層ビルです。


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ワルシャワ中央駅は現代的なデザインの駅舎でした。てっきり、ドイツの駅舎のような古典的なファサードを想像していましたので意外な思いがしました。

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駅構内に入って切符売り場を覗いてみました。ここに戻ってクラクフ行きの切符を買う仕事が残っています。

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文化科学宮殿前の広場は実に広大でした。ポーランドは土地が沢山あるのだなと感じました。

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時刻は7時40分なので通勤の人たちが沢山歩いていました。

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文化科学宮殿の広場の端に「ロンド」と呼ばれる交差部に広場がある特殊な交差点がありました。土地があるとこのような交差点もできるというでしょうか。


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(出展 Google)

南の方向に歩いてみました。沿道にはスカイラインを揃えた古典的な建物が並んでいました。

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左折して東方向へ・・・ホテルチェーンのメルキュールが建っていました。

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ワルシャワの八重サクラも満開でした。

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古い建物を壊したのでお隣の建物の側面がむき出しになっていました。なんか耐震性に問題ありという気分です。

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左折して北方向・・・広場にはパルテノン風のドームが建っていました。


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右折して東へ、聖十字架通りと並んで、ワルシャワの東西の基幹道路イェロゾリムスキェ通りに戻りました。


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フランスのシャルル・ド・ゴール将軍の像が建っていました。ドゴール将軍は、第2次大戦でポーランドの開放に貢献したのかもしれません。


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国立博物館の前まで来ました。


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ちょうど、日本の江戸時代の絵画展が開催されていました。

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振り返ると、文化科学宮殿と例の超高層マンションが見えました。背の高い建物は旅行者にはありがたいランドマークです。

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博物館脇の花畑をやり過ごしてさらに東に歩きました。


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博物館のお隣は武器博物館でした。戦車や戦闘機が展示されていました。

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大きな親柱が2本見えてきました。てっきり、ヴィスワ川を渡る橋かと思ったら違っていました。


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振り返ると親柱というレベルを超えた立派な建物でした。

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この橋は陸橋で低地の森を渡る高架橋でした。


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低地には緑滴る公園や住宅が拡がっていました。この低地はビスワ川が作った沖積低地、親柱の崖が境で中心市街地は河岸段丘の上位面ではないかと考えてみました。
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この崖に鉄道トンネルの出口が設置されていました。


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(出展 Google)


8時30分、ヴィスワ川の左岸河畔に到着しました。


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橋の歩道からヴィスワ川の上流を眺めました。川は写真上から下に流れています。ビスワ川は川幅が500m位はある大河川でしたが、ドイツと違って観光舟運や産業舟運での利用はほとんど感じられませんでした。


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右岸の河畔林や自然河岸に豊かな気分を感じました。


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ワルシャワの街はビスワ川の左岸に広がった街でした。階段式護岸が設置され、水辺へのアクセスも良く、一定の水辺利用は感じられました。

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日本では「かわまちづくり」の気運が高まってきました。ワルシャワの河畔を眺めると、意図的ではなく無理せず自然に出来上がったという気分を感じます。ユッタリと広い土地があるのは羨ましい限りです。




ヴィスワ川は流路延長1000km、流域面積約20万km2の大きな河川でした。上流にクラクフ、中流にワルシャワ、下流にはグダンスクがあります。ドイツのエルベ川クラスの大河川でした。


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(出展 Wikipedia)

Wikipediaから引用・・・

ヴィスワ川(Wisła)は、ポーランドで最長の川である。全長は1,047km、流域面積はポーランド国土の60%以上におよぶ。ポーランド南部のベスキディ山脈(英語版)(en:Silesian Beskids、en:Barania Góra)の標高1,106m地点に源を発し、ポーランド国内を大きく蛇行しながら北へ流れ、バルト海へと注ぐ。
延長1,047 km
平均流量1,054 m³/s
流域面積194,424 km²
水源ベスキト・シロンスク山脈(ポーランド語版、英語版)(ベスキディ山脈(英語版))
水源の標高1,106 m
河口・合流先ヴィストゥラ潟(英語版)(バルト海、en:Gdańsk Bay)
流域ポーランド

橋から歩いてきた道を振り返りました。

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引き続き、世界遺産に登録された旧市街を目指してヴィスワ川の左岸河畔を下流に向けて歩いて行きました。
以下、次号・・・



# by camino0810 | 2017-10-29 12:30 | ドイツⅡ | Comments(0)