2018年2月17日(土)ドイツⅡ その70 エピローグ(4)

④ハンブルク:2017年4月30日(日)

・ハンブルクは人口180万のドイツ第2位の大都市で、中世からハンザ同盟の中心都市として繁栄してきたそうだ。お隣のヴェーザー川流域のブレーメンとはハンザ同盟の同志ということになるが、司教座(大聖堂)はブレーメンにあるので宗教的にはブレーメンの方が格上ということになる。
・エルベ川の河口から約100kmの内陸にありながらドイツ最大の港湾都市でもある。ブレーメンもそうだが、何故、臨海部ではなく内陸部に大きな港湾があるのか?日本人の自分から見ると、実に不思議だ。その理由はドイツの川の特徴にあるようだ。ドイツの川は、安定した一定の流量、川幅、水深が確保されているからだろう。

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(出展 Google)
・リューベックは、バルト海から内陸に約20km入ったトラヴェ川に面した港湾都市、これまで見てきたブレーメン、ハンブルクと共通点のある街だ。リューベックは人口20万の比較的小振りな地方都市だが、かつてはハンザ同盟の盟主として栄えたという。
・ハンブルク(人口180万)、ブレーメン(人口50万)、リューベック(人口20万)はいずれもハンザ同盟都市で、内陸に立地していて、河川港を持っている。歴史的、地理的に同じ状況にありながら、街の大きさに大きく差がついたのは何故か?

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(出展 Google)

・ドイツの歴史、政治、経済、文化など深く承知してはいないが、独断的な私見を敢て言わせてもらうと、川の大きさの差ではないと感じた。街の大きさは、エルベ川(ハンブルク)、ヴェーザー川(ブレーメン)、トラヴェ川(リューベック)の大きさとザックリ比例関係にあると考えてみた。鉄道、道路が発展するのはドイツの産業革命があった19世紀後半以降、それまでの物資運搬の主役は川や運河を利用した内陸舟運だったと考えられる。見方を変えれば川は道路であり、エルベ川を日本で言えば1桁台の国道、ヴェーザー川を2桁台の国道、トラヴェ川を3桁台の国道に当て嵌めると妙に得心できた。
・欧州の都市は、産業革命以降の都市への人口集中によって急速に拡大したと聞いているが、その都市基盤は産業革命以前からじっくり長い時間を掛けて造られてきたように思える。日本の大都市も江戸期にその骨格が出来上がっている。東京(江戸)、大阪(大坂)、名古屋(尾張)はいずれも川や堀が市街地に配置され、内陸舟運が発達していた。
・ハンブルクはエルベ川の流域に発達した大都市だ。エルベ川は流路1,100km、流域面積150,000km2の国際河川、上流にはドレスデン、プラハ、支川にはベルリン、ライプツィヒなどドイツの著名な都市がある。ドイツの国土面積が360,000km2、日本最大河川の利根川の流域面積が17,000km2、エルベ川は大河川だといえるだろう。

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(出展 Wikipedia)

・エルベ川はハンブルクの下流で河川幅が非常に大きく、2kmくらいある。その反面、ハンブルク上流で河川幅は極端に狭くなっていた。ハンブルク市内でエルベ川は南北2つの川に分派して、挟まれた地域に自然由来か人工物かは不明だが、沢山の河川や運河があった。ドイツではお馴染みの掘り込み型の河川港も沢山あるし、随分と不思議な地形だ。
・日本では、似たような地形は狭窄部と呼ばれる両岸が急峻な山地形の上流側で見たことがある。淀川の山崎、北上川の一関も似たような地形になっている。ハンブルクのエルベ川には狭窄部らしい地形がなさそうなので説明がつかない。結局、ハンブルクはエルベ川の数千年前の旧河口に位置していて、それ以降の海面下降に伴い河口が現在の河口まで下がり、再度の海面上昇で現在の地形になったのでは?などと考えてみた。

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(出展 Google)

・市街地付近のエルベ川沿いの空き地には沢山のクレーンが建っており、再開発や新規の建設投資も盛んなようだった。ハーフェンシティの東端には斬新なデザインの建物が建っていた。

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・電車から見えた大通りの交差点は立体交差で、片方を地下化していた。高架形式だとブレーメン駅前の高架と同様、景観を支障しただろう。なかなかの配慮だと思った。

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・ハンブルク中央駅は半地下の駅舎になっていた。ホーム上の橋はホーム同士の連絡橋ではなく、街区の跨線橋だった。


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・ハンブルク中央駅の駅舎の巨大さに驚かされた。広々としたワントップのドーム型駅舎で、トップライトとサイドライトで採光してあった。ホーム上に、これだけ広くて、これだけ高い、無柱の内部空間を持つ駅舎は見たことがない。ドイツ、フランスなどで見てきた巨大な大聖堂の内部空間に通じるものを感じた。

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・ハンブルクにも八重桜が咲いていた。

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・ハンブルクの旧市街は、リューベックと良く似た構造をしていて、リングで囲まれていた。リングの直径は約2km、南面はエルベ川を利用した防衛力の高い都市国家だったのではないかと思った。西側のリングは幅200mの公園になっていて、ブレーメンでも見た稲妻型のお堀が残っていた。稲妻型のお堀はハンザ同盟都市の共通アイテムだった。このリングは防火帯や避難場所としても役立ちそうな感じだ。東側のリングは鉄道になっていた。ハンブルク中央駅が半地下構造になっていたのは、お堀を水抜きして再利用したからではないかと想像した。

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(出展 Google)

・ハンブルクのメーン通りであるメンケベルク通りの旧市街の建物群は新旧の建物が混在してはいたが、建物のスカイラインは綺麗に揃っていた。

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・スタバがパルテノン神殿風の建物に出店していた。観光地の一等地を占めるスタバの戦略を感じた。

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・聖ペトリ教会は、赤レンガの大きな教会だった。高さは132m、1516年に建てられ、火災で崩壊後、1978年に再建されたそうだ。ハンブルク旧市街には現代的な高層ビルはなかった。旧市街には建物の高さ規制があるのだろう。この教会は、ランドマークとしての役割もあるようだ。

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・ハンブルクといえば市庁舎、恐ろしく豪華な建物だった。ミュンヘンの市庁舎に負けないくらい立派な建物だった。1886年~97年の建設されたネオ・ルネサンス様式の建物だそうだ。ドイツ人の市庁舎への拘りを感じた。


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・市庁舎前の広場にEUの旗を持った人たちが集まっていた。訪問した時期はイギリスのEU離脱処理やフランス大統領選の時期、対抗馬のフランス人の女性はEU離脱を訴えていた。EU残留の引き締めキャンペーンのようだった。ドイツはEUの盟主、ドイツを代表する経済都市ハンブルクで決起集会を開いたということだろうと感じた。

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・市庁舎前広場に隣接した運河沿いの景観は文句なしに素晴らしかった。ここは内アルスター湖とエルベ川を繋ぐ運河の起点にあたる場所だった。運河の右岸はテラス席、左岸は階段式護岸、水辺のアクセスもしっかり確保されていた。


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・内アルスター湖の湖畔広場も素晴らしい景観に出来上がっていた。湖畔の建物のスカイラインは見事に揃っていた。

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・湖畔のプロムナードは幅が50mくらいあり、広幅の歩道を歩くのは実に快適だった。

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・Wikipediaに記載された1890~1900年の、この場所の写真を見て驚かされた。写真左の尖塔は聖ペトリ教会、右の尖塔は市庁舎。今から120年前にその骨格が出来上がっていて、現在もそのコンセプトを維持されていることが判った。

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(出展 Wikipedia)

・街歩きの最中、内アルスター湖と外アルスター湖という湖は一体何だろうという疑問が消えなかった。ネットで調べると、13世紀にアルスター川を堰き止めた人造湖だった。目的は水車を動かす動力用施設。中世、庶民の生活を支える製粉、織機の動力源ではないかと思う。自分は運河の閘門の水を供給するリザーバーだと思っていたが、見事に外れた。この湖が旧市街を防衛するリングの一部になっていることからも、お堀の一部を兼ねた防衛施設にしたように感じた。湖畔の幅の広いテラス状の階段に多くの人が腰かけ、湖の景色を楽しんでいた。遊覧船のミニクルーズもあり、観光客で賑わっていた。

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・内アルスター湖畔から運河沿いを下って、エルベ川に向かった。この運河は旧アルスター川を改造したようだ。運河の上流端には小振りな閘門が2基設置されていた。観光船は見掛けなかったが、運河脇にはテラスが設置されていてカフェ席が用意されていた。


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・運河は、幅30m程度、建物群は運河に背を向けていた。運河舟運が陸上運輸にとって替わられたためだろうか。運河と建物の間に道路でもあれば建物は運河に向かうが、そのスペースはない。東京の日本橋川、神田川、大阪の土佐堀川と似たような状況だった。ただ、運河沿いのプロムナードの連続性が確保されていたのでストレスを感じることなく運河沿いを歩くことができた。

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・建物と運河の離隔がある場所は斜路を設けて水辺のアクセスを確保してあった。

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・別系統の運河も建物は完全に運河に背中を向けてはいた。ただ、赤レンガの建物群自体に風情があるのでそれなりの水辺の風情を感じた。運河自体の幅が20mもない手狭な運河なので、いじりようがなかったのだろう。運河に蓋掛して2層河川にするやり方もあるが、そのまま運河を残したということだろう。

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・運河脇にある広場のオープンカフェは賑わいがあった。

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・エルベ河畔のハーフェンシティ地区の船着き場には沢山の倉庫が並んでいた。浮き桟橋の支柱が水面から10mくらい突き出ていた。エルベ川の水面の変動高さは相当大きいようだ。高潮か洪水対応だろうと考えた。

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・ハーフェンシティはドイツ伝統のクラシックをコンセプトにした再開発地区のようだった。ハーフェンシティには、リューベックの倉庫群とはけた違いに多くの倉庫が並んでいた。舟運⇒鉄道⇒道路という運輸手段のシフトの結果、運河沿い倉庫街の衰退や倉庫の老朽化対策かもしれない。奇抜なデザインのコンサートホールはハーフェンシティのシンボリックな建物だそうだ。Uバーン(地下鉄)の駅名はBaumwaLL(Elbphilharmonie)、エルベ川交響楽団という意味だろう。2017年1月にオープンしたばかりピカピカのホールだという。


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・Uバーン(地下鉄)のBaumwaLL(Elbphilharmonie)の高架ホームは見たことのない珍しい構造をしていた。駅舎を支える主桁が逆さアーチ型のトラスになっていた。初めて見る構造だった。普通ならアーチを上にするだろう。上のアーチ橋だとホームから眺めを支障するし、空や周囲の景観を圧迫する。土木屋の自分から見ると違和感を感じるが、ハンブルク市民にとってはこの方が有り難く思うだろう。


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・この日は日曜日でもあり、船着き場の河畔プロムナードは市民や観光客で大賑わいだった。河畔プロムナードは実に広々していて歩いていて実に気持ちが良かった。

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・エルベ川は川というより海といった感じだった。対岸には荷役用のクレーンが見えていた。この素晴らしい絵柄が撮影できて良かった。

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・プロムナードと水面までの高低差は10mくらいあった。流石に水辺のアクセスは無理、階段式護岸には沢山の市民や観光客が腰かけて水辺に風景を楽しんでいた。

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・運河沿いに大きな陸閘とパラペットがあった。陸閘の収納スペースをベンチにする工夫に1本取られた思いがした。陸閘自体は高さが2mと大きくはない。エルベ川の高潮か洪水対策だろう。

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・ドイツのガソリン事情・・・日本のガソリンは130円前後なので少し高いようだ。
 ディーゼル 1.069ユーロ(134円)
 ガソリン  1.289ユーロ(161円)

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・残念ながら、お目当ての聖ニコライ教会は総足場の補修中だった。欧州の街では歴史的建造物の補修がここかしこで行なわれている。仕方がないと諦めた。

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・聖ニコライ教会のファサードの高さは147m、旧市街で一番高い建物だろう。ユニークなのは、ファサードだけを完全に復元し、教会本体については祭壇の外壁の一部だけの保全に留めていたことだ。教会でありながら、大聖堂のルールに従って建物主軸は東西方向を向き、十字架の形をしていて、ファサードは西面にあった。

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(出展 Google)

・市庁舎裏手の運河で珍しい光景に遭遇した。お堀の直上を高架が覆っていた。てっきりハンブルクの首都高かと思ったが、Uバーン(地下鉄)の高架だった。この部分は市庁舎真下の地下駅の線路が地上に顔を出した箇所だった。この高架がお堀に被さり、スカイラインを揃えた建物景観を支障しているという見方もあるだろう。2017年7月に首都高を地下化して日本橋や日本橋川を再生しようという動きが始まった。

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・市庁舎裏手の路地でドイツ人お好みのジブクレーンを使ってビルを建設していた。

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・最近日本のマンホールの蓋が隠れた人気になっている。マンホール蓋に市の紋章とハンブルクの正式名称が記されていた。自由ハンザ都市ハンブルク(Freie und Hansestadt Hamburg)、恐ろしく長い名称だ。ハンザ同盟の独立都市として自由な経済活動を維持して発展したことが伺える。そういえば、フランクフルトの正式名称はフランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)。両市とも長い名前なので、さすがにしゃべり言葉で話す人はいないだろう。

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・市庁舎の裏手の広場で一休みした。裏手からの眺めも恐ろしく立派な建物だった。州議会も入っているとか・・・建物の構造はRCの躯体に天然石材を貼った感じだった。恐ろしく精巧な彫刻の飾りが表面を覆っていた。これまで見てきたミュンヘン、ドレスデン、ブレーメンなどの市庁舎や州政府の建物は実に立派だった。ドイツ人は市庁舎や州議会の建物に対する思い入れが人一倍強い国民かもしれない。


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・大通りから見たハンブルク中央駅、改めてこの駅舎の巨大さを実感した。

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・駅前の無料トイレで用を足した。ドイツも含めて欧州は無料のトイレが少ない。日本円換算で50円程度の有料トイレを使うしかない。何故、有料トイレか?日本はレストランでも無料の水が黙って出てくるありがたい国だ。欧州のレストランでは有料の水をオーダーする。意外にも高額だ。「水洗トイレには高い水が必要だ。なのでお金を取る」という風に理解している。

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・ハンブルク中央駅の構内のタイ料理屋で夕食にした。ドイツに入って3日目、ご飯が欲しくなる時期。八宝菜風のご飯は6.5ユーロ(810円)美味しかった。

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以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-02-17 11:24 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月14日(水)ドイツⅡ その69 エピローグ(3)

※「ブレーマーハーフェン」(おまけ)

・ブレーメンはハンブルクに次いでドイツの第2の港湾都市だという。Googleの地図を見ると、確かにブレーメンはドイツ有数の観光都市だけではなく港湾都市、工業都市でもあった。ブレーメンはヴェーザー川の河口から内陸に60km入った都市だが、河口の「ブレーマーハーフェン」がブレーメンの外港の役割をしているようだ。

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(出展 Google)

・「ブレーマーハーフェン」はドイツ語で「ブレーメンの港」を意味するそうだ。ドイツではお馴染みの掘り込み型の河川港になっていた。

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(出展 Google)

・ブレーマーハーフェンの河川港にはユニークな産業インフラや水インフラが目立った。日本の造船業は陰りを見せていて、本業の造船業を止めて水門のゲートなどにシフトしている造船会社もあると聞いたことがある。ブレーマーハーフェンでは大型船を建造しているので、ドイツの造船業は元気があるようだ。掘り込み港湾の中で浮きドックや閘門が活躍している様子だった。掘り込み港湾は外海の波浪や高潮の影響を排除できるメリットがあるのかもしれない。
・河口に近い北側のA港湾ではヴェーザー川と掘り込み港は閘門で繋がっていた。閘門のゲートは水平スライド式で側面に、ゲートの収納スペースが設置されていた。これまであちこち閘門を見てきたが、このタイプの閘門を見るのは初めてだ。
・艤装中の長さ200mを超える巨大な船が浮きドックに乗っていた。日本では掘り込み型か陸上型のドックしか見たことがない。

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(出展 Google)

・別の掘り込み港湾内ではドライドック、浮きドックがセットになっていた。200mくらいの大きなコンテナ船らしき船が停泊していた。

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(出展 Google)

・B港湾南側も掘り込み型だった。ヴェーザー川との出入りは収納式の水平スライドゲート付きの閘門で行っているようだ。

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(出展 Google)

・スライド式の陸上ドックもあった。真横には艤装用のスペースが2基設置されていた。

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(出展 Google)

・湾奥には3基の浮きドックを持つ造船会社もあった。

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(出展 Google)

・ブレーメン市街地にもお馴染みの掘り込み港湾、荷役施設や工場があった。同様に、ヴェーザー川とは閘門で繋がっていた。

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(出展 Google)

・閘門のゲートはブレーマーハーフェン港と同じ引き込み式ゲートだった。

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(出展 Google)


・ブレーメン市街地のヴェーザー川の上流には川を横断する堰もあった。左岸には閘門、右岸には発電所と魚道らしき施設が設置されていた。閘門のゲートは日本でもお馴染みの観音開きのマイターゲートだった。

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(出展 Google)

・ヴェーザー川の河畔には赤茶けた工場があった。背の高い建物は高炉みたいで鉄鉱石と石炭らしき貯留所もあるので、多分、製鉄所だろう。日本の製鉄所はすべて臨海部にあるが、ドイツは内陸舟運が発達しているので内陸であっても川沿いなら製鉄所の立地が可能なのだろう。

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(出展 Google)

・ブレーメン空港は長さ2kmの1本の滑走路しかない小さな地方空港だったが、市街地から約5kmのアクセスの良さがある。ブレーメンは人口50万レベルの地方の中心都市だが、ドイツは元来領邦国家の集合体なので、地方中心都市にはブレーメンと同程度の産業インフラ、交通インフラ、水インフラが整っているのではないかと思った。

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(出展 Google)

2016年、2017年の2回、ドイツのライン川、ドナウ川、エルベ川、ヴェーザー川などを見てきて、ドイツという国の川に対する付き合い方が、少しだが判ってきたように感じた。
ドイツは、年間を通じて安定した降雨があり、川の流域面積が大きく、その結果として安定した流量があり、しかも河川の勾配が小さい。洪水もたまには起こるものの、ゆっくり水位が上がる。日本の急流河川とは基本的に違っている。
「ドイツは川と徹底的に付き合って、川といい関係を維持している。産業舟運、観光舟運、発電で川の恩恵を受けると同時に、環境に配慮した川づくりで河川環境を整え、川にお返しをする」
自称川屋から見ると、ドイツは大した国だと感じます。

以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-02-14 17:08 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月13日(火)ドイツⅡ その68 エピローグ(2)

②ブレーメン:2017年4月29日(土)

・ブレーメンは北海に注ぐヴェーザー川の河口から約60kmにある人口50万の大きな街だった。日本では「ブレーメンの音楽隊」で知られた街だが、中世に栄えた「ハンザ同盟」の加盟都市だった。
・ブレーメン中央駅は、赤レンガのドーム型ファサードは風格に溢れる建物で、ホームはマルチトップのドーム屋根だった。この街がこの地方の中心都市だという証拠だろうと感じた。

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・ブレーメンの旧市街は函館の五稜郭を思わせる稲妻型のお堀とヴェーザー川で囲まれていた。「ハンザ同盟」の同盟都市(ブレーメン、ハンブルク、リューベック、グダンスク)は何処も稲妻型のお堀で防衛していたことが判った。


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・ブレーメン中央駅で緑色のタオルを巻いているサポーター達がビールを飲んで騒いでいた。ドイツは地方の中核都市単位でサッカーチームがあり、日本のJリーグのお手本ではないかと思った。
・聖ペトリ大聖堂や市庁舎のあるマルクト広場で市が立っていた。「マルクト」という言葉はドイツ語で「市場」のことだ。デュッセルドルフでも同じだった。中世から大聖堂や大きな教会は行政、宗教、文化の中心だったように思える。

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(出展 Google)

・近在の人が集まって、市が立つのは当たり前だともいえる。日本の中世はお城が大聖堂の替わりであり、同じ道理だったと思う。

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・市場には北海のサケ、サバやニシンの燻製が並んでいた。野菜苗は日本の倍以上の値段だった。チーズ、ソーセージは意外にも高額、牛肉は高く、豚肉はその半額程度。

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・マルクト広場は生憎の寒さだったが、沢山の観光客で賑わっていた。写真の右手が聖ペトリ大聖堂、左の建物が市庁舎。古色蒼然とした佇まいの建物で、独特の建築様式だった。市庁舎は1400年代の建造物、ゴシックとルネサンスの混合様式だそうだ。ドイツ人は市庁舎への拘りが強い国民だと感じた。


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・リープフラウエン教会は煉瓦造りの大きな教会だった。「リープフラウエン」とはドイツ語で「愛する女性」という意味だそうで、キリストのお母さんである聖母マリアのことかもしれない。パリのノートルダム大聖堂の「ノートルダム」はフランス語で「私たちの女性(お母さん?)」と聞いている。どちらも母親に対する親近感や母性を示しているようで、ドイツ人もフランス人もキリスト教に対して似たような親密な距離感を持っているのかもしれない。


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・去年歩いたライプツィヒは格調の高いパサージュだったが、ブレーメンのパサージュは現代的なデザインだった。イギリスのリーズはもっと大々的なパサージュにしてあった。上手にリノヴェーションをして新しいものと古いものを融合しているように思った。


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・駅前には800mに亘って高架道路が設置されていた。ドイツでは珍しい光景ではないかと感じた。駅前の渋滞を回避するために立体交差にしたようだ。高架橋の柱はマッチ棒みたいに細かった。地震を考慮する必要のない国は幸せな国だと思った。東京の首都高ほどではないが、圧迫感を感じることは事実であり、空が見えないのは残念、折角のいい都市景観を支障している気もした。ドイツ人は道路の地下化が大好きな国民のように思える。事業資金が用意できればいずれは地下化するのではないか。


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・駅前は再開発中だった。ドイツ人は固定式ジブクレーンがお好みだった。
・ブレーメン中央駅の構内にはお寿司のお店があった。お寿司はドイツでも市民権を獲得しているようだ。

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・予約したホテルは都心から5km離れた郊外にあった。ホテルは駅から徒歩10分の住宅街の一隅にあった。郊外の街並みは綺麗にしてあった。多分、ドイツの街は何処でもこんな感じではないかと思う。

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・郊外電車を下車する直前、親切な中学生ぐらいの女の子の乗客が自分が置き忘れたポーチを届けてくれた。ドイツ人は総体に日本人よりも親切だと感じている。僕の回りのドイツ人は親切な人が多かった。
・ブレーメンにも八重桜が満開を迎えていた。個人の住宅の庭は、良く手入れされていた。

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・郊外のホテルの部屋から周辺の住宅がよく見えた。ドイツの個人住宅は屋根裏部屋が付いていて、実態的にはは3階建てになっていた。住宅は前庭付きの3階建て、側帯が駐車スペースになっていた。イギリスは2棟続きの戸建てが目立ったが、ドイツは戸建てがメーンかもしれない。


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・ドイツのタバコは20本入りで6ユーロ(750円)、日本は460円、かなり割高だった。建物内は完全禁煙だが、屋外ではかなり治外法権、フランス並みの緩さだった。

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・ブレーメンのトラムは3連の長いトラムだった。

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・旧市街の入り口の豚のオブジェ・・・旧市街は車を排除していた。

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・リープフライエン教会に「ブレーメンの音楽隊」のオブジェがあった。上からニワトリ、ネコ、イヌ、ロバの順。ロバの鼻をこすると何かいいことがあるようだ。

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・旧市街のすぐ脇はヴェーザー川で、素晴らしい水辺が拡がっていた。ヴェーザー川には幅20mくらいの河畔プロムナードが整備されていた。ヴェーザー川の川幅は概ね100m、隅田川より少し狭い感じだった。水はコーヒー色に濁ってはいたが、自分的にはほとんど気にならなかった。青々と澄んだ水が必ずしもマストアイテムとは限らない事例かもしれない。デュッセルドルフのライン川河畔は上下2段、下段の幅は約20mだった。河畔のプロムナードは幅が20m程度あれば、オープンスペース感やユッタリ感が感じられる。ちょうど、小型観光船に大勢の観光客が乗船中だった。観光船は長さ30m程度だったが、観光舟運が盛んな様子が伺えた。観光船は1日4回、1時間程度のクルーズのようだった。


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・聖ペトリ大聖堂は巨大な大聖堂だった。高さは92m。ファサードにはキリストの受難の様子を描いたフレスコ画?が描かれていた。マルクト広場から見た大聖堂も素晴らしかった。

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・第2次大戦で破壊された街の様子をみると、戦災で聖ペトリ大聖堂の2本のファサードの内、片方は途中から無くなっていた。

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・ドイツでも100円ショップ(1ユーロ)が流行っているようだ。イギリスでも同じような100円ショップを見た。

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以下、次号・・・



# by camino0810 | 2018-02-13 19:48 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月11日(日)ドイツⅡ その67 エピローグ(1)

2015年のイギリスのエピローグの真似をして、2017年のドイツ・ポーランド旅行で訪れた各都市の印象やエピソードをまとめることにしました。延々と旅日記を綴ってきたけど、書いた記事の内容を書いた端から忘れる状況は昔から変わりません。
少なくとも点情報(街や観光スポット)の整理、点と点を結ぶ線情報(道路やその周辺)の整理くらいは文字に置き換えておくと後で想い出すのに便利です。
2016年のドイツ(中南部)と一緒に書こう思っていたけど、ハードルが高いので止めました。

 4月27日(木)羽田~上海
 4月28日(金)上海~フランクフルト~デュッセルドルフ
 4月29日(土)ブレーメン
 4月30日(日)ハンブルク
 5月1日 (月)リューベック
 5月2日 (火)ツェレ
 5月3日 (水)ハノーファー、ベルリン
 5月4日 (木)ワルシャワ
 5月5日 (金)クラクフ
 5月6日 (土)グダンスク
 5月7日 (日)フランクフルト
 5月8日 (月)フランクフルト~上海
 5月9日 (火)上海~羽田

訪れた各都市の印象や想い出をまとめてみました。

① デュッセルドルフ:2017年4月28日(金)

・デュッセルドルフは人口60万のドイツ有数の大都市、ルール工業地帯の中心都市として第2次大戦後国際的な商工業都市。それにしてはいささか地味な駅舎という感じだった。ドイツの【中央駅】と名前が付く駅舎はワントップかマルチトップのドーム屋根と風格のあるファサードが多かったが、この駅のホームは日本型の独立屋根方式だった。


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・デュッセルドルフの中心街はライン川右岸に拡がっていた。ドイツの街は旧市街を中心にして徐々に拡大していくというパターンが多かったように思う。新市街は旧市街の上流にあった。
・デュッセルドルフ市内には、ライン川の両岸に掘り込み型の河川港が沢山あった。ライン川が産業舟運路として現在でも活躍している様子が伺えた。
・デュッセルドルフの市内交通はトラムで、最近流行の芝生軌道もあった。

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・カールスプラッツという市場で物価調査をした結果、ザックリいうと、食品の値段は日本の2倍くらいという感じだった。魚は豊富だったが、お値段がべらぼーに高かった。ドイツ人はタコを食べるとは意外だった。

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・河畔のプロムナードは上下2段になっていた。上段は道路になってはいるものの、どちらかという歩道に近く、一般の車は制限されている感じだった。上段の真下に上下6車線分の道路トンネルが地下に設置されていた。デュッセルドルフでは、ライン川の右岸つまり旧市街側の河畔道路を地下に落とし込んで、上部をプロムナードに変えて、渋滞解消と水辺の観光価値を上げて、街の賑わいを取り戻したそうで、道路の地下化による大きいな成功事例とされている。低水部の通路は幅20m、高水部の道路は30m程度合計で50mのスペースがある。この広々とした河畔のスペースが実に優れているし、河畔の価値を高めているように感じた。河畔の散策路はライン川と一体になっており、じつに気持ちのいいオープンスペースが出来ていた。

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・2020年の東京オリンピックの迎えるにあたり、日本橋や外濠の再開発が最近注目されてきた。2017年の7月21日、日本橋の再生事業が本格的に動き始めたことが、新聞やニュースで報道された。日本橋は、歴史、文化、経済やインフラなどあらゆる意味において、日本のヘソなので、この地で品格のある街並みが再生される意義は極めて大きい。その効果は日本全土に及ぶかもしれない。
・上流のラインクニー橋付近は芝生広場から見た下流の眺めは実に優れていた。川→下段歩道(芝生広場)→上段歩道→プラタナス→上段歩道→建物の順に並んでいた。建物のスカイラインは5階建てでキチンと揃っていた。上段歩道は昔は道路だったので建物群はライン川にしっかり向いていた。下段の歩道には沢山のカフェが並んでいた。

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・デュッセルドルフには大きな橋が3本架かっていた。上流からラインクニー橋、真ん中がオーバーカッセラー橋、下流がテオドールホイス橋。いずれも斜張橋。市街地はラインクニー橋からオーバーカッセラー橋までの1.5kmにあり、地下化された道路トンネルはこの部分にあった。
・ライン川の流路は概ね300m、堤防の間で500~700mくらいはあった。対岸は水制工があって人工渚になっていた。
・ライン川は産業舟運も盛んだ。流速はザックリ毎秒1mはありそうだ。アゲンストの流れをものともせずに船たちが上流のケルンやフランクフルトを目指して上っていく。ザックリ、長さ100m、幅10m、総トン数2000tクラスの船舶が多いように感じた。

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・旧市街はこの街の売りになっていた。完全に車を排除した石畳の歩道に平日の午後にも拘らず人が沢山出ていた。教会はあったが、大聖堂はなかった。

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・上流側のトンネル入り口は新市街のライン塔の近くにあった。トンネルの直上にはピカピカの高層ビルがある。日本では道路直上にビルが建設された事例は新虎ノ門ビルの環状2号線くらいしか知らない。イギリス、フランス、ドイツでは、建物の中に道路を通してもいいような道路に関する法律や規則があるようにようだ。

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・旧市街では道路を地下に入れて地上を公園化する工事が行われていた。河畔プロムナードだけではないようだ。河畔プロムナードでの道路地下化が成功したので、2匹目の泥鰌を狙った事業かもしれない。都心部の交通渋滞を発生させる道路を高架にしたり地下化したりして、空間を立体的かつ重層的に利用する手法は、土地の高度利用に繋がり、土地の価値や周辺の街の価値を上昇させるようだ。工事にお金が掛かっても、それ以上の便益が生じるということだろうか。ドイツでは高架化よりも地下化を優先しているようだ。都市の立体的利用は高架化ではなく地下化、何故か?晴れの日が少ない欧州の人たちは、降り注ぐ太陽光や青空に対する拘りや憧れが強いからではないか。覆い被さる高架の橋梁は貴重な青空を遮蔽するし、都市の景観を支障するという考え方があるのかもしれない。

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・旧市街の道路は割石で舗装されていた。建物のスカイラインは揃っていて、電柱・電線がないのでスッキリした街並みだ。これまで歩いてきた欧州の街並みは何処でもこんな感じだった。

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・博物館に歓迎の言葉が並んでいた。上からドイツ語、英語、フランス語、日本語の順番、ドイツ人の日本人に対する好感度は悪くないなと感じた。

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・定置式のジブクレーンでコンクリートバケットを運搬していた。ドイツ人は定置式のジブクレーンがお好みだ。
・旧市街は路面電車の軌道跡が残っていた。車に加えてトラムも排除したようだ。人中心の街づくりを行っている感じだ。
・日本の食文化も大分浸透している感じだ。インマーマン通りは、日本のホテルや日本食のお店がある大通りだった。日本語の看板もあった。お寿司屋さんは大賑わいでした。ケータリングのお寿司は日本より相当に高価だった。カラオケボックスもあった。

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・デュッセルドルフには日本のコンビニのようなお店は見掛けなかった。その替わり、キオスクはよく見掛けた。スナック、サンドウィッチ、飲み物などがおいてあり、ドイツのコンビニみたいな役割をしている感じだ。それ以降、他の街でもキオスクを利用したが、アラブ風の人たちがお店をやっていることが多かった。

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・デュッセルドルフの街もあちこちスクラップ・ビルトが繰り返されていた。

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以下、次号・・・


# by camino0810 | 2018-02-11 18:05 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月9日(火)ドイツⅡ その66 上海~羽田

中国東方航空MU539便は定刻13時05分に上海プードン空港を離陸しました。

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長江は濁っていました。この河も一度は見てみたいと思っています。

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長江の中の島が見えました。


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日本海上空・・・

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ジェット機は日本海上空を横断して九州上空に達しました。飛行高度は10670m、気温ー44度。同程度の高度で九州はシベリア上空のー59度よりも15度も暖かいことになります。そのかわり、偏西風は時速172km(毎秒48m)、恐るべき風速です。フォローの風を受けて、飛行速度は1000kmを超えていました。


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ジェット機は出身地大分の国東半島を通過しました。中津、別府、大分などが懐かしい地名が表示されていました。

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ジェット機は房総半島から回り込んで東京湾に入りました。見慣れた懐かしい風景が続きました。薄曇りだったのが残念。

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千葉の幕張新都市・・・


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浦安のマンション群・・・

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東京ディズニーシーと荒川・・・

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葛西臨海公園の人工渚・・・


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荒川河口と京葉線鉄橋・・・

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若洲ゴルフリンクス・・・


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東京ゲートブリッジ・・・


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中央防波堤と風車・・・

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東京港とガントリークレーン・・・


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ジェット機は着陸態勢に入りました。


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無事、MU539便は羽田空港に定刻16時45分に到着しました。上海プードン空港から3時間半の飛行時間でした。


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到着ロビーに向かいました。

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よく考えると、羽田の国際空港ターミナルもピカピカでした。


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空港で13日振りに温水シャワー便座のお世話になりました。これまで欧州旅行でシャワートイレに出会った経験は一度もありません。欧州の人たちは、ひと昔前の紙で拭くスタイルを崩していません。


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日本固有の「脚付き型」小便器も13日振り。欧州は「脚なし型」で、「脚付き型」を見たことは一度もありません。最近、日本でも合理的な「脚なし型」を見掛けるようになりました。日本も昔は「脚なし型」オンリーだったと思いますが、生活が豊かなるに従った「脚なし型」が駆逐されて「脚付き型」に置き換わってきたように感じます。シャワーのあるなし、脚のあるなし、国ごと地域ごとに習慣は違ってはいますが、それぞれの流儀を尊重するのが大事だと思います。


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17時20分、構内の両替店でグダンスクで両替した140ユーロを含めた手持ちの160ユーロを日本円に両替しました。ユーロ⇒円は1ユーロは119円、円⇒ユーロは1ユーロ127円。両替の差額は意外に小さいものした。

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両替店の前に沢山の若い女性が行儀よく座っていました。彼女達は、どうも韓国のイケメンタレントの到着を待っているようでした。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月9日(火)羽田は曇り、汗ばむ。
MU539便は定刻16時45分に羽田国際空港に到着した。
4月27日に羽田を発って、13日振りに日本に戻ってきた事になる。空港の日本独自様式のおトイレで用を足して、人心地が着いた。
余ったユーロを円に替えるため両替屋さんに寄った。両替屋の前に沢山の若い女性が行儀よく座っていた。自分が見られているようでなんか恥ずかしいではないか。彼女達は、どうも韓国のイケメンタレントを待っているらしい。
モノレール、山手線で東京駅に出て、高崎線で自宅に戻る電車の中でこの記事を書いている。
通勤時間に当たったせいもあるが、東京の街は何とも人が多い。渋谷のスクランブルが外国人にとって東京のホットスポットになっているのは何となく理解できる。
ドイツ、ポーランドも良い国だったけど、日本も良い国だと思います(^^)

18時東京駅で高崎線乗車、19時に自宅のある駅に到着しました。
4月27日から13日間のドイツ、ポーランド旅行が無事終了しました。

以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-02-02 06:16 | ドイツⅡ | Comments(0)