カテゴリ:新潟( 8 )

 

2012年4月22日(日) 新潟  分水(その3)

分水路のすぐ脇に旧自在堰が残されていました。
自在堰というのは、固定堰に対比される用語で、ゲートを自在に上下させて、水位をコントロールできるという意味合いです。
旧自在堰は、昭和初期に完成したデザイン的にも優れた堰でした。土木遺産として、旧洗堰とセットで保存するようです。ゲートを上げ下ろしするために、堰柱にトラス型の橋梁を渡してありました。
b0214184_6183513.jpg
ゲートの巻き上げ機は、外されていました。堰柱間を移動するための橋梁が設置されていました。
b0214184_6283129.jpg
分水路の下流から振り返ると、自在堰の全景がよく見えました。大きな締め切りを造って、周辺の改造を行っているようでした。
b0214184_6351834.jpg
このあたりは、公園になっていて「花魁道中」が開催されるそうです。1週間前に終わったそうで、今年は、例年になく寒かったので、桜の開花が遅れたためか、園内の桜は、3分咲きでした。
b0214184_6413874.jpg
いよいよお目当てのものが目に入ってきました。

青山士(あおやまあきら)直筆の有名な石碑を松の木の中に発見・・・

青山士は、荒川放水路開削工事、信濃川大河津分水工事といった近代土木の黎明期を代表する工事を指揮した責任者でした。青山士は、大学卒業直後に恩師の廣井 勇の紹介状を持って、単身、パナマ運河の開削工事に従事したそうです。廣井 勇は、内村鑑三らと札幌農学校の同期。内村のキリスト教的博愛精神に影響を受け、土木の道に進んだのでないか?青山士もキリスト者として、恩師に感化されたのではないか?
b0214184_6464453.jpg

青山は、信濃川大河津分水工事の中核をなす可動堰の工事も現場で指揮し、「万象に天意を覚る者は幸いなり。人類の為、国の為」という有名な言葉を残しました。キリスト者でもあった青山らしい誠実さ、謙虚さ、清潔さが感じられる素晴らしい文言です。
この文言は、石碑の表、裏に彫られていました。
b0214184_6541362.jpg
b0214184_6571730.jpg
裏側は・・・
b0214184_723269.jpg
b0214184_3312857.jpg
石碑には、分水路工事の概要が記されていました。
 ①可動堰(自在堰)
 ②固定堰
 ③第一床固
 ④第二床固
 ⑤床止
①~⑤の一連の施設に信濃川分水路工事の宿命的な課題が隠されていました。40kmの流路を10kmに短縮したため、洪水流のエネルギーを上手に殺すことができす、深刻な河床洗掘が発生しました。特に、第二床固直下の深刻な深掘れは現在でも大きな課題となっているようでした。
b0214184_35281.jpg

石碑には、工事関係者の氏名も記されていました。
青山士は、『内務省新潟土木出張所長 内務技師』。当時は、土木関係は内務省に所属していたことがわかります。現在に置き換えると、”国土交通省北陸地方整備局長”でしょうか?
もう一人、分水を語る上で欠く事のできない人物の名前も記載されていました。
   宮本武之輔・・・
宮本は、『信濃川補修事務所主任 内務技師』。現在流に言うと、『国土交通省北陸地方整備局信濃川工事事務所長』に相当するのでしょうか?
この国家的な大事業は、青山、宮本の2名を中心にして成し遂げられたという感じがします。この2名は、性格は、かなり違っていたようですが、双方ともに厚い信頼を寄せ合っていたように思えます。
b0214184_1573719.jpg


自在堰の工事が、どのように行われたのかは、稿を改めて紹介します。

by camino0810 | 2012-08-28 06:21 | 新潟 | Comments(0)  

2012年4月22日(日) 新潟  分水(その2)

旧洗堰の役割は、2,000年5月にその役割を終えたそうです。
旧堰に並んで新たに築造された新洗堰が完成したためです。

新堰は、実に、風格のある堰に仕上がっていました。
普通、堰はゲートとゲートを支える堰柱でできています。大抵、堰柱の天辺にはゲートを上げ下ろしする巻き上げ機が付いていて、巻き上げ機を覆う建屋が設置されています。
大抵、堰のデザインは正直、貧困気味。土木屋の僕から見ても、何とかならないものかと感じていました。
b0214184_5572130.jpg

土木構造物は、機能一点張りのデザインが多く、普通、無骨なものが大半です。
機能美が感じられる土木構造物は、ダムと橋くらい。黒部ダム、明石大橋、レインボーブリッジ、富士川橋、錦帯橋など・・・
最近開通した東京湾ゲートブリッジは、本来なら吊橋か斜張橋でしょうが、羽田空港の空頭制限から、止む無く恐竜のようなデザインにならざるを得なかったと考えてよいでしょう。

1997年に河川法が、改正され、治水・治水に環境の側面が追加されました。河川環境の整備と保全の観点から、国は土木の聖地である大河津の新堰には大奮発したようです。
素晴らしい堰に仕上がっていました。正直、これ程、風格のある堰を見たことはありません。下流から見た洗堰の全景はこんな風・・・信濃川は写真の右から左の流れています。
b0214184_5501882.jpg
b0214184_65211.jpg
上流から見た洗堰はこんな感じ・・・・
b0214184_15444263.jpg

洗堰のデザイン的に優れている点は、
①コンクリート面に花崗岩を貼り付けて重厚さを演出している
②ゲートを油圧シリンダーで上下させるため、堰柱の頭の部分がスッキリしている。
機能面では、
③様々なタイプの魚道を設置して、様々な魚が登り下りしやすいように配慮している。
④閘門を設置して、船の航行を可能にしている。
①の花崗岩は、こんな風・・・結構、お値段は張ったのでは?
b0214184_16463079.jpg
②の堰柱の頭部は、こんな感じ・・・通常設置されるウィンチ室がないので、スッキリしていました。
b0214184_16505277.jpg
③魚道は3種類。魚の種類で使い分けをしているようでした。魚道観察室が設置されているので、信濃川を登る鮭や鮎が観察できるしょう。
b0214184_16554130.jpg
④本格的な閘門には、驚かされました。閘門は、上下流で高低差のある水面を船舶が航行するために、2つのゲートで挟んだ部屋に船を入れて、注水、排水する仕組みになっています。
荒川では、埼玉県に重油を運ぶために船舶の航行があると聞いていますが、信濃川で物資を積載した船舶が航行しているかどうかは、正直、判りません。大地震の際の物資運搬に船舶を使うのかも知れません。
b0214184_1745262.jpg
閘門は船を納める長さが必要なため、上流側に伸びて設置されていました。
b0214184_17185630.jpg
分水路に設置された可動堰も既に完成していました。この可動堰は、洪水流を調節して下流に流すために、ゲートを持っています。ゲートの構造は、ラジアルゲート。円弧状のゲートが上下する仕組みです。
有名なテムズ川のテムズバリアと同じ構造でした。なかなかカッコイイ堰でした。
b0214184_17273680.jpg
ちなみに、テムズバリアは、こんな風・・・ロンドン市内を高潮から守るために設置されたとのこと。。。
b0214184_17333097.jpg
(出典:Wikipedia)
以上、リニューワルされた洗堰と可動堰を見てきました。
いよいよ、土木屋の聖地を言われる由縁の旧自在堰について、稿を改めて、触れてみます。

by camino0810 | 2012-08-27 19:00 | 新潟 | Comments(0)  

2012年4月22日(日) 新潟  分水(その1)

新潟も遅い春が到来。
桜のシーズンに入り、何処に行こうかと思案しました。
 ①上越、高田の夜桜
 ②分水の桜
高田の桜は、高遠の桜と同程度のレベルを期待できそうですが、新潟市内から車で2時間はかかりそうなので、中止。分水の桜で手を打ちました。

実は、大河津分水は土木屋の聖地でもあります。
信濃川の河口つまり新潟市から約40Km上流の場所に、大河津分水があります。
b0214184_11545266.png

新潟の越後平野は、土地が低いため、江戸時代から年中洪水の被害に悩まされてきたそうです。分水路が完成する以前は、胸まで埋まって田植えをしたとか・・・新潟の人たちは、信濃川のもたらす恩恵と負の部分を同時に背負って生きてきたようです。
b0214184_5222383.jpg

明治時代の終わり頃、この問題を解決するめに、大河津で放水路の建設が始まりました。信濃川の下流部は、海岸線と平行して流れているため、もっとも、開削区間を短くできる弥彦山の山麓にある大河津がその地点に選定されたようです。
ショートカットした分水路は、約10Km。それまで、40Kmに亘って流下した洪水が、たったの10kmで流れ下る。実は、このことが、大問題を引き起こしました。

多分、昭和初期の大河津分水の航空写真でしょうか?現在とは、若干、形が違っています。
b0214184_5125749.jpg

よくよく考えると、洪水から農地や住宅等の都市インフラを守るため、日本全国の主要都市には、放水路が整備されています。
有名なものは、荒川。赤羽から河口までの20km区間は、明治末期に整備された開削河川。つまり、人工的な河川です。
狩野川放水路は、河口の沼津市を洪水から守るために整備されました。伊豆長岡付近に立派なトンネルタイプの放水路を見ることができます。

朝早く、新潟市のアパートを出発。分水までは、約30km、車で1時間で分水の駐車場に到着。
すぐ前の公園の向こうに、新洗堰が見えました。この堰は、信濃川本川の普段流れる水量を調節して流し、洪水の時は、ゲートを閉めて、洪水を分水路に流します。
b0214184_1044378.jpg
b0214184_19282579.jpg
公園の中を進んでいくと、旧洗堰が・・・この旧堰は、昭和初期に完成したもの。新堰の完成によりその役目は終了しましたが、歴史遺産として保存されていました。これだけ大きな土木構造物をそのまま保存しているのは、大変、珍しいのではないか?しかも、完全に水を抜いているので、普段見ることの出来ない処も完全に見ることができました。
b0214184_10553065.jpg
b0214184_22525837.jpg
旧洗堰は、堰柱の間が現在のもの比べて、非常に狭いため、堰柱が沢山設置されていました。当時の設計レベルでは、ゲートの構造的な限界があったためでしょうか?赤く塗られたゲートは、結構、インパクトがありました。上流側から見るとこんな風・・・
b0214184_1153214.jpg
下流側には水流による河床の洗掘を防止するための護床ブロックが並べられていました。
b0214184_11135750.jpg
旧堰のゲートの数は27基。上流の長岡にある信濃川本川の妙見堰は、同程度の堰長ですが、ゲートが8基。随分と差がありました。この違いは、ゲート自体の構造的な耐力の違いではないか?旧堰の設計年度は、昭和初期、多分、高強度の鋼材が無かった可能性があったのでは?
b0214184_14245489.jpg
旧堰の上流面をアップしたものは、こんな風・・・なかなかインパクトがあります。
b0214184_14451797.jpg
下流面はこんな風・・・
b0214184_14551618.jpg
旧堰は、80年の年月を経ても予想以上にしっかりしていました。中央の主ゲート付近が、ゲートが開いていて、潜りぬけられるようになっていました。
b0214184_15111678.jpg
戸当りと呼ばれるゲートの端部が上下する溝の脇にコンクリートの表面が見えていました。コンクリートの骨材は、円い形をしています。これは、河原に堆積した砂利を使用した証拠。80年の歳月を経ても、密実さが感じられました。
b0214184_15182110.jpg
川の水位以下のコンクリートは、少し黒っぽく変色していますが、非常にしっかりしていて、当時の人たちが、入念にコンクリートの工事を行っていたことが、感じられました。
コンクリートの寿命は100年といわれていますが、しっかり工事を行えば、100年は十分持つことが、わかりました。

 新洗堰を次回の記事でアップします。

by camino0810 | 2012-08-19 04:40 | 新潟 | Comments(0)  

2012年4月××日 新潟  キジ

僕は、この年の2月から新潟市内のはずれにある工事現場で仕事をしています。
サイトは、田んぼの真ん中にあり、葦原もあるので、沢山の野鳥や動物が住んでいます。
ここは、動物のサンクチュアリー、不思議な里山状態です。

現場事務所の近くには、キジの親子が住んでいます。10m程度の距離なら、僕が近づいても逃げることはありません。彼らにとって、人間は、野犬のような危険な外敵を追い払ってくれる言わばありがたい存在のようです。

里山とは、人間と動物の社会が重なるところ、双方の共生空間と考えてもいいように思えます。
普通、里山は集落の縁辺部と外側の自然がラップするので、農村のイメージが強いのですが、工事現場でも里山になりるものだと感じました。現場には多くの人が働いていますが、動物とは一定の距離を置き、互いに干渉しあうことはありません。この距離感を常にキープすることが、ポイントだと思います。

キジのお父さんは、事務所の前の盛り土の上に登って、周囲を警戒しています。ニワトリみたいに鳴くので、結構、うるさいです。派手な彩色をしたニワトリみたいなものです。
キジのお父さんには、4匹の奥さんがいました。段々、奥さんの数が減っていき、最後は1匹になりました。分かれたのか、他の動物に襲われたのかもしれません。
b0214184_15411055.jpg
b0214184_15415438.jpg
キジのお母さんは、ある日、いきなり事務所の床下から10匹のヒナを連れて出てきたことがあります。縁日で売っているヒナと同じ・・・残念ながらシャッターチャンスを逃がしました。
お母さんは、ヒナとともに行動します。ヒナが見えないので、何度も道路上に立ち止まって、行方不明のヒナを探していたこともありました。
お母さんは、ウズラみたいに地味な格好をしています。どの世界も、母親は、最後まで子供の面倒を見る。母親は偉いなと思います。
b0214184_1740577.jpg

キジのお父さんは、そこそこ、まじめに仕事もしています。
ある日、カラスとバトルしていました。場所を変えてにらみ合いを続けて、根負けしたカラスはその場を飛び去りました。家族を守るために、最低限度の仕事はしているようです。
b0214184_17393689.jpg
b0214184_17271321.jpg

7月のある日、サイト内の別の場所では、タヌキの親子に遭遇・・・
お父さんタヌキは、20m離れた場所から観察する僕を警戒していました。お母さんタヌキは、5匹の子供が楽しそうに遊んでいるのを見守っていました。(写真右側の草むらにあと3匹の子タヌキがいました)
動物の家族も人間の家族も役割分担は同じ。お父さんは外交・防衛、お母さんは内政担当・・・
b0214184_122225.jpg

このサイトは、縦300m、横400mくらいの大きさ。中に設備が点在していますが、それ以外の大部分は、草原や芦原なので、沢山の動物が住んでいます。
タヌキ、イタチ、キジ、野鳥など。ヒバリの夫婦が、2匹でカラスに何度もアタックして、カラスを追い払っている光景にも遭遇しました。野鳥観察が好きな人には、このサイトは好適な観察場所ではないか?

7月になると、草が伸びて、地面を覆うので、キジたちを見かける機会が減ってきました。ただ、キジのお父さんは、ニワトリのように割りとけたたましく鳴くので、元気に暮らしているようです。

by camino0810 | 2012-08-08 15:22 | 新潟 | Comments(2)  

2012年2月3日(金) 新潟  新潟市内(その3)

この記事をアップしているのは、2012年8月7日。
新潟常駐が始まったのは、2月3日。
早いもので半年が経過。新潟は、すっかり盛夏、毎日暑い日が続いています。

新潟デビューのこの日は、大雪が積もっていました。
新潟県は大雪が降りますが、実は、新潟市は雪なしの特異点。新幹線を使うとよく判ります。
越後湯沢は、大雪。長岡は、小雪。燕三条は、微雪。終点新潟市は、雪なし。これが普通のパターン。その証拠に、新潟市内には、それ以外の町に常設されている道路の消雪パイプがありません。

越後湯沢は、いつものように沢山雪が積もっていました。
b0214184_027917.jpg
新幹線は、消雪パイプは設備されているので、少々の雪でも動きます。
b0214184_010864.jpg

地元の人に聞くと、今年は新潟市内に珍しく雪が積ったとのこと。
新潟市内にもどっさり雪が積もっていました。
b0214184_031572.jpg
新潟駅前は、こんな感じ・・・
b0214184_0234920.jpg
b0214184_019259.jpg
お世話になっているお寿司屋さんはこんな風・・・
b0214184_0413483.jpg
2月17日に再来したときにも、大雪が積もっていました。
b0214184_0352773.jpg
路地裏は、除雪されていませんでした。消雪パイプがないので、多分、除雪車の回りきれてないのでしょう。カップルが雪合戦をしていました。普段、雪が積もらない証拠でしょうか?
b0214184_04649.jpg
新潟市に来て不思議に思ったのが、歩道の除雪をしないこと。歩道は車道の雪の仮置き場になっているようでした。

新潟県の人の話では、どの家庭も、家族分の車を所有しているそうです。車を前提にしたインフラ整備になっているようです。

最初は、車を持たない僕にとっては、大きなハンディ。職場の工事現場は、新潟郊外の田園地帯。バスが1時間に1本。仕方ないので、最初は、タクシーを使っていました。

工事現場は、寒々とした一面の雪原。3月一杯は雪が残っていました。僕の人生の中で、初めての雪国暮らし。この頃は、何処に行くにも、電車の中でも長靴を履いていました。
b0214184_0561760.jpg

盛夏の今から想うと、なんだか遠い昔のように思えます。

by camino0810 | 2012-08-07 23:59 | 新潟 | Comments(0)  

2012年4月16日(月) 新潟 やすらぎ堤、白山神社

新潟駅前にある支店に寄った後、歩いて、信濃川のやすらき堤へ・・・

やすらぎ堤は、万代橋から上流の部分の緩傾斜の堤防。川と都市が調和した優れた水辺風景が出来上がっていました。

最初は、定番の万代橋から・・・
b0214184_555254.jpg
b0214184_5581854.jpg
やすらぎ堤の右岸側を上流に向けて歩いていきました。堤防の傾斜を緩やかにして、頂部に立派な石畳の舗道ができています。
b0214184_632919.jpg
振り返って、下流側を見ると、万代橋と朱鷺メッセ(右側の高層ビル)が・・・・
b0214184_671956.jpg
奇妙な建物が堤防の上に建っていました。何かのイベント会場みたいな感じです。
河川地域に建物を建てるには、許可が必要ですが、どういう理由で当局が許可したのか?規制緩和処置なのか?
b0214184_6152499.jpg
建物の入り口には、気の早い鯉のぼりが・・・
b0214184_6194553.jpg

堤防沿いのフジテレビ系の放送会社は、ガラス張りのお洒落な社屋でした。
b0214184_13411238.jpg

上流の右岸側から下流側を振り返ったやすらぎ堤の全景、川に近づきやすい堤防になっています。
b0214184_13472643.jpg
橋を渡って、左岸側へ・・・新潟市の旧中心街が固まっています。左岸側から下流を振り返ると、こんな感じ・・・堤防の幅が広く、ゆったりしていました。
b0214184_13511675.jpg
これだけ、広範囲に、川と街が上手にコラボした風景は、初めて。。。。正直、驚かされました。優れた人工的な河川空間としては、多分、日本有数ではないか?

古町モールの出口に、懐かしい彫像が・・・・漫画「ドカベン」の怪力バッター、岩城君でした。作者の水島新二さんが、多分、新潟出身なのでしょう・・・
このブログをアップしているのが、7月23日、新潟明訓高校が、夏の甲子園を目指して、準決勝で頑張っているはず。
b0214184_1435355.jpg

白山神社は、新潟市で最も有名な歴史のある神社・・・東京で言えば、明治神宮か靖国神社みたいな神社。平日でも、多くの人がいました。
b0214184_14132573.jpg
近くに、旧新潟県議会の建物が・・・このあたりは、新潟市の政治・経済・教育の中心地だったようです。
b0214184_14174339.jpg
山門前には、下校途中の高校生が・・・
b0214184_14214062.jpg
本殿の前の松は、大きな2本の支柱で支えられていました。
b0214184_14271636.jpg
地域の名門神社には、地域の有力企業が協賛するのは、よくあること。一種のステイタス。新潟の場合は、意外と建設会社が多かった感じでした。新潟は、伝統的にインフラ整備に熱心だったからでしょうか?
b0214184_14474557.jpg


JR越後線の白山駅まで歩いて、電車を使って、アパートのある内野に帰りました。

by camino0810 | 2012-07-23 05:55 | 新潟 | Comments(0)  

2012年3月4日(日) 新潟  新潟市内(その2)

2012年3月4日(日) 新潟の街を再度探検することに・・・

2月初めから、仕事の関係で新潟に常駐しました。この頃は、新潟駅前のホテルを1週間交替で利用していました。

このときは、南口のホテル住まい。メーンの北口から古町方面へ向かいました。在来線を超える新潟駅のコンコースを歩いて北口の万代口へ・・・
b0214184_16585698.jpg
この日は快晴。万代口から眺めた駅前通りはこんな感じ・・・
b0214184_17154957.jpg
駅前通りを10分ほど歩くと、木製の親柱が・・・2代目万代橋の橋詰を示す一種のランドマークになっていました。
b0214184_17402996.jpg
この親柱は、現代の万代橋の袂から約600mも駅寄りにあります。つまり、昔の信濃川の川幅は約900mあり、埋め立てて、川幅を600m狭めて、300mにしたことになります。
b0214184_17462625.jpg


昔の信濃川には、万代島という中ノ島があり、この島まで埋め立てをして、土地を増やすとともに、新しい橋を架け替えたということになります。この埋め立てが可能になったのは、上流の大河津分水の完成が関係しているようです。昭和の初めに一度壊れた分水路の補修工事が完成し、信濃川の洪水流を確実に分水路に分派できたことにより、信濃川本川の川幅を縮小できたためでしょう。

程なく、万代橋の袂に到着。実に、風格のあるアーチ橋です。この橋は、3代目で橋長は約300m。新潟市の代名詞といってもいいくらい有名な橋です。
b0214184_1858259.jpg
b0214184_18595677.jpg
スペイン巡礼で渡ったプエンテ・ラ・レイナ橋は5連の石造りのアーチ橋。岩国の錦帯橋も含め、アーチ橋は、橋の構造美が最も発揮される構造形式と考えてもいいでしょう。
b0214184_1918810.jpg
道路脇の説明版によると、1928年完成の6連の鉄筋コンクリート製の橋でした。新潟市内(その1)でも触れたように、万代橋が1964年の新潟地震でほとんど被災しなかった理由は、その基礎構造にあるようです。このあたりの地盤は信濃川が運んだ砂が緩く堆積しています。この砂が、新潟地震で激しく液状化しました。
この断面図、完成年度から、橋脚の基礎は、ニューマチックケーソンだと思われます。アメリカで開発された工法で、150年くらい前から使用されてきた工法です。「潜函工法」といいます。コンクリート製の箱を造り、箱の底に掘削機を入れて掘りながら、箱を沈めていくやり方です。
新潟地震から万代橋を救ったのは、このニューマチックケーソンだと思います。液状化しない硬い地盤まで基礎の先端を沈めた先輩の土木屋さんたちは、偉いなと思いました。
b0214184_198970.jpg
説明版に初代万代橋、二代万代橋の画がありました、二代目は、初代が火災で半分焼失したため、立て替えたそうです。
b0214184_20582114.jpg
b0214184_205917.jpg

快晴のため、万代橋からの眺めが最高でした。
上流のやすらぎ堤は、周辺と実に良く調和しています。
b0214184_2144615.jpg
下流側には、柳都大橋、朱鷺メッセが・・・
b0214184_2184877.jpg
万代橋を渡り終える直前に振り返った駅前方面はこんな風・・・
b0214184_21111596.jpg

古町側のホテルオークラを通った時、高浜虚子の句碑を発見・・・1924年、2代目万代橋の完成記念に見えたそうです。「1270歩なり、露の橋」。歩幅を60cmとすると、1270×0.6=762m。2代目の万代橋は、800m。納得できる歩数でした。
b0214184_23415840.jpg
古町にある佐渡オケサの三角の網笠を被ったような高層ビルが見えてきました。今年は、例年になく、雪が多く、舗道には雪が残っていました。
b0214184_23482666.jpg
最初に本町モールに行ってみました。このアーケード商店街は、新しく、道路、舗道ともゆったりとしていました。
b0214184_11523388.jpg
お惣菜屋さんに入ってみました。500円の弁当バイキングが・・・店内のオカズを詰め放題、なかなかリーズナブル。新潟の豊富な魚介類を旨そうに調理していました。
b0214184_11581248.jpg
b0214184_1224238.jpg
生魚コーナーへ・・・佐渡産のメバルや新潟産のスズキの他に、大分産のハマチ、愛媛産のマダイなどが並んでおり、少し落胆しました。
b0214184_12123296.jpg
新潟市内のお魚屋さんには、お惣菜コーナーが付いているのが特徴。ニシン、イカ、カレイの焼き物などを売っています。焼カレイ(300円)を購入、モールのベンチで食べました。味は、まずまず。。。
b0214184_12154577.jpg
b0214184_1219109.jpg
古町に到着・・・。
名前の由来は、多分、古くから新潟の中心地として栄えてきたということでしょうか?案内版に古町の昔の写真が展示されていました。
b0214184_16423389.jpg
古町モールの入り口までやって来ました。
b0214184_23541326.jpg
このモールは、本町モールより少し手狭・・・
b0214184_140397.jpg
出口には、人情横丁という長屋のような商店街が・・・
b0214184_1455619.jpg
古町の中心部には、お馴染み三越が出店していました。地元の方に聞くと、もう1軒、地元資本のデパートがあり、経営不振で撤退したとのこと。
地元出身のデパートは、地方の中心都市の看板になっており、地元のブランドになっていることが多いのでは・・・地元の埼玉県で言うと、川越市の「まるひろ」、熊谷市の「八木橋」、実家の大分では「トキハ」など。こんな地域の中核施設が、崩壊するのは、地域に人にとって経済の損失以上に、精神的な打撃になります。最近、八王子の「そごう」が閉店しました。八王子の人に聞くと、やはり、ショックだったようです。
気になったのは、三越の内部。新規投資を控え、いささか、施設が、高級感を失い、陳腐化していたこと。
b0214184_14175864.jpg

三越を出て、更に、海の方へ歩いて行きました。駅方面を振り返ると、例の佐渡オケサの高層ビルが・・・
b0214184_142714100.jpg
昼食を摂るために、お寿司屋さんへ・・・生ちらしで有名らしく、旅行雑誌に載っているお店です。お目当てのチラシ寿司1300円をオーダー。同じ雑誌を見て来たお客さんもいました。
B/C=0.8。雑誌情報は、概ね、そこそこの満足感が得られたものですが、今回は、ハズレでした。
b0214184_16351217.jpg
新潟の中心地を歩き終え、来た道を駅まで戻ることに・・・
万代橋の親柱から観た対岸の風景が本日のミニツアーの最後。
b0214184_16491613.jpg


新潟の街の立派さに触れることのできた有意義な1日になりました。

by camino0810 | 2012-07-14 16:59 | 新潟 | Comments(0)  

2011年11月4日(金) 新潟  新潟市内(その1)

新潟シリーズ開始。

このブログをアップしているのは、新潟市内のアパート。新潟に常駐して、5ヶ月が経ちました。

2011年11月4日(金)、新潟デビュー。
仕事で県庁に行きました。早く会議が終わったので、新潟見物をすることに・・・この時点では、新潟にベッタリ貼りつくことは、思ってもみませんでした。

新潟市は、広域合併をして、全体では80万近い人口があるそうです。政令指定都市になるための合併だそうです。旧新潟市はおよそ40万。びっくりしたのは、人口規模以上のインフラがあること。幅広い街路、高層ビル、高速道路仕様のバイパスなど・・・

時間があったので、新潟駅前~万代橋~古町~日本海まで往復を歩いてみました。
駅前通りは、片側4車線の大通り。歩道の幅も十分に広い。
b0214184_238327.jpg
駅から歩いて10分程度で、信濃川に架かる万代橋に到着。新潟の代名詞みないな有名な橋です。
信濃川は、大河津分水の完成により、洪水処理をする必要がなくなったようです。そのため、現在の橋は、3代目で橋の幅が300mに狭くできたとのこと。初代の万代橋は、900mもあったそうです。石造りの重厚なデザインの橋でした。
b0214184_23183427.jpg
万代橋の上から眺めた信濃川沿いの光景は、こんな感じ・・・建物が川に面した実に素晴らしい景観になっていました。
b0214184_2330516.jpg
万代橋を渡り終えると、新潟市の中心街、古町に・・・最近、この街からお客が駅前にシフトして、元気がなくなったとか。
b0214184_23352187.jpg
古町のアーケードはこんな風・・・
b0214184_2339226.jpg
古町には、お馴染みの三越が出店していました。
b0214184_23402749.jpg
古町を過ぎると、通りは片側1車線の道路に減少。海辺に近づいてきたようです。
b0214184_62612.jpg
会津八一会館を過ぎると、松林が・・・
b0214184_661728.jpg
日本海が現れました。
1978年、島根県の益田の日本海以来、実に、33振り。北日本の日本海は生まれて初めて。
砂浜を海流から護るためにテトラポットが沢山並んでしました。
b0214184_6142666.jpg
b0214184_6152472.jpg

来た道を再び駅まで歩いて戻ることに。。
万代橋を渡ったところにあるお寿司屋で夕食を摂りました。
b0214184_6205720.jpg
新潟なので、お酒を1合、鰤カマ、チラシ寿司をオーダー。値段、味ともまずまずでした。
b0214184_6275329.jpg
b0214184_629897.jpg
女将さんと少しばかりお話をしました。
1964年の新潟地震のことを尋ねました。「万代橋は、全く平気でした。このお店もタイルにひびが入った程度の軽傷でした。地震のことを忘れないために、当時のひびを残してあります。」
女将さんは、カウンター席の下のタタキを指差しました。
b0214184_6375490.jpg
新潟地震では、激しい液状化が発生しました。4階建てのRC造のビルがひっくり返った写真が印象的でした。新潟の街は、信濃川が運んだ砂が厚く堆積しています。
液状化の講習会で当時の動画(珍しい)を見た事があります。地面から砂を含んだ泥水が、ゴボゴボ湧いていました。いまでこそ、液状化は今では普遍的な現象として認知されていますが、当時は、液状化の知見などなく、皆ただただ驚くしかなかったでしょう・・・

2012年3月、千葉県の佐原に行きました。小江戸気分を残した水郷で有名。市内を流れる小野川は、3.11の地震で液状化が発生。液体になった地盤が流れて、川幅が減少し、川底が持ち上がりました。液状化は、本当に怖いです。

話を新潟に戻します。
救われたのは、1929年に完成した万代橋が被災しなかったこと。橋の基礎は、道路脇の看板の絵柄から推定すると、ニューマチックケーソンではないか?厚く堆積した砂層の下にある比較的堅固な地盤まで基礎を下げたのでしょう。先人の土木屋さんは、偉いなと思いました。

初めて新潟の街を歩きました。有意義な小旅行になりました。
これから、新潟の名所などをアップしていきます。

by camino0810 | 2012-07-08 23:09 | 新潟 | Comments(0)