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2013年5月8日(水)フランス その45 帰国 

北駅(Gare de Nord)の駅に5日振りに戻ってきました。ここから、シャルル・ド・ゴール空港第2ターミナルに向かいます。このターミナル駅は大きいので、メトロから鉄道駅への乗り換えでちょっと迷いました。

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43番線ホームから空港に向かいました。

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20時40分、空港到着。第2ターミナルは実に巨大な施設でした。家族の待ち合わせに手間が掛かりました。エールフランスが独り占めの感じでした。

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例によって、トイレ観察。やはり、土台なしのタイプでした。

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21時20分、チェックイン完了。搭乗ゲートで出発を待ちました。

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23時25分、AF278便で成田に向かいました。

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帰りの航路は、行き同じロシアを横断する航路でした。航続距離、9700km、巡航速度1000km/時。偏西風を受けてスピードが行きより100㎞/時程速かったようでした。

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5月9日の夕方に成田上空にやって来ました。窓外には霞ヶ浦や利根川がひろがっていました。懐かしい光景です。

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17時50分、成田空港着。娘と別れてカミサンと埼玉の自宅までバスで帰りました。荷物をかたずけて、カトリーヌからもらったスズランを花瓶替わりのコーヒーカップに挿しました。
5月2日から9日、8日間のフランス旅行が無事終わりました。

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今回のフランス旅行のまとめをしてみました。

① フランスは都市、田舎ともいいところだった。イギリスのような完璧性が緩和され、程よい適当さがあり、なじみやすい。それでも、街も田舎も絵葉書のように綺麗   だった。(スペインは、フランスの適当さがもう少し進んでいる感じ)
② フランスの観光資源としての価値は非常に高い。歴史遺産を非常に大切にしており、多くの街でその補修工事が行われていた。多分、フランスには、ガイドブックに載っていない素敵な街や河が、他にも沢山あるだろう。
③ アンボワーズ城とロワール河は絵になる。街も良い。
④ 車は結構飛ばす。
⑤ フランス人は、思いのほか暖かい。パン屋、総菜屋、カフェのギャルソン、友人など上手とは言えない英語で丁寧に対応してくれた。個人主義であっても、人づきあ   いはいいかも・・
⑥ カトリーヌの人柄に家族はすぐ惚れ込んだ。
⑦ ロワール地方は平地が大半。どこでも住める。風景は似ている。
⑧ ロワール川と街はいい調和を保っており、水辺空間もよい。街と道路、河は一体である。
⑨ ロワールの河畔の植生は豊か。河岸をいじっていない。多分、生物も豊富だろう。
⑩ 最近、洪水が減っている。既往最大水位は、ロワール1856年、セーヌ1910年。洪水の大きさは、多摩川よりもかなり小さい。
⑪ 両河川とも増水していた。河岸のベンチが使用不可。水は濁っていたが、違和感はなし。清流は必ずしもキーワードではない。
⑫ 食べものは、エールフランスの機内食からハイレベル。バゲット、レーズンパン、チョコレートパン、クロワッサンは、旨かった。特に、オーファルジのクロワッサ  ンは安くて大きくて旨かった。
⑬ 朝食は、コーヒー、パンだけのシンプル仕様。
⑭ 寿司はうまいが、高い。
⑮ 日曜日は、安息日なのでお店が休み。閑散としていた。賑わいを実感したいなら、日曜日は外した方がよい。
⑯ 3都市(ツール、ナント、オルレアン)ともトラムが活躍していた。電柱、電線の地中化は浸透しており、街がスッキリしていた。
⑰ ナントのメーンストリートは車を排除していた。
⑱ PERは普通電車だが、平均時速は100kmを超えていて、コダマ並みの速さだった。
⑲ 改めて、パリはゴージャスな街だった。
⑳ 地方都市でも、夜はカフェでにぎわう。
21 たばこ天国。屋内は完全禁煙でも、屋外は吸い放題だった。たばこは、カフェとセットでフランス文化か?
22 豚肉の値段は日本並みかそれ以下。牛は、意外と高い。魚の種類は豊富で日本でもお馴染みのものが多かった。タコやイカも食べる。
23 外食は日本より高め。コーヒーの大は、3€、400円、日本より高い。
24 女性のスカートは皆無。皆、パンツ。
25 自分(184cm)より背の高い男は少ない。ルーブルの彼が身長2mで唯一。スペインでもそんな感じだった。ラテン系は、多分、そうだろう。
26 マラソン人が多い。肥満した人も多い。カップルが意外にも少なく、同性のグループも多かった。
27 女性は予想外に美人が少なかった。
28 2つ星の個人経営のホテルはイマイチ、シャワーのみ。四つ星は、バスタブもあり広く快適。2人以上の利用なら、かなりリーズナブルな値段。
29 日本の伝統的な文化、精神も浸透か?(TAO,ZEN,KOOKAI,SAMOURAI)
30 忍者アニメをやっていた。日本のアニメやサブカルチャーは相当浸透している。
31 今回も英語力の不足を痛感した。
32 ネイティブのRの発音で以前から感じていた疑問点が解消し、得心した。オペラ→オペハ。ランブイエ→ホンブイエと発音していた。
33 ナントは落ち着きのあるいい街だった。
34 オルレアンはこじんまりとまとまったスクエアな街だった。ブロワとセットで、また行ってみたい。
35工事現場の安全管理は、日本に比べて若干低めだが、まずますのレベル。イギリスと同程度か?アメリカ、台湾よりは高い感じ。

by camino0810 | 2014-03-09 06:05 | フランス | Comments(2)  

2013年5月8日(水) フランス その44 再び、パリその7

シャンジュ橋は、Pont au Change(両替橋)。この橋は、セーヌ右岸とシテ島を連絡する石造りのアーチ橋です。5月4日に家族で訪問しました。ノートルダム大聖堂はこの橋の袂にあります。

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この橋は、古い鳥瞰図の左上の一番立派な橋だと思います。沢山の建物が並んでおり、両替橋の名前のとおり、この橋も元は橋上住居で、両替商や金貸し商、今でいえば、銀行が橋の上にあったのでしょう。

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1575年製のこの付近を古地図で見ると、あることに気づきました。
当時、シテ島は左右2本づつの橋で陸側と連結されていました。古地図の上側が上流側ですが、シャンジュ橋は、地図の左上側の橋と思われます。現在は、地図の左下側の橋が消滅して、シテ島の最下流(古地図の下側)にポンヌフがあります。つまり、ポンヌフはこの消滅した橋が化けた橋と考えるのが自然です。ポンヌフを築造した時に、シテ島の片側のセーヌを全面的に締切、壊した橋の材料をポンヌフに再利用したと考えられます。
パリの街を含めてスペインやイギリスなどで古代ローマ時代の構造物などの過去の遺産を再利用した事例を見てきました。西ヨーロッパの国では”使い回し”が基本的なコンセプトのようでした。日本の”使い捨て文化”とは随分違っていました。

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シャンジュ橋の上から下流を眺めると、コンシェルジュリーやポンヌフが見えました。

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上流側には、鋼製のノートルダム橋とノートルダム大聖堂が見えました。

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シャトレー広場にやってきました。この近くにパリ市役所もあります。パリの街はこのあたりを1区として渦巻き状に外に向かって街区が発番されているそうです。
14時30分、遅めの昼食を摂ることに。。。

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河畔の道路沿いのカフェに入ってサンドウィッチと珈琲の簡単なランチにしました。フランスでの生活に慣れてきたせいか、1人でお店に入ることへの抵抗感も薄れていました。このカフェは、室内での喫煙がOKでした。

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これからの段取りは、17時にルーブルのピラミッドで家族と待ち合わせをした後、18時にカトリーヌとオペラでお別れをすることにしていました。
ルーブルは3年前に1日かけてじっくり鑑賞したので、今回はパス。あと3時間をどうす過ごすか考え中でした。
思わぬ事態が発生しました。
上の娘から僕のケータイに緊急電話が入りました。
「お母さんが行方不明になった。今すぐ、ルーブルの地下の受付に来てほしい・・・」
幸い、このカフェはルーブルから歩いて20分以内にあったので、慌てて支払いを済ませて、ルーブルのピラミッドに向かいました。

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地上の入り口に娘を呼び出して、事情を確認しました。
朝10時頃、チェックインの行列に2人で並んだそうです。娘がトイレに行って帰ってきた時に、カミサンがいなくなったそうです。娘は、15時まで入口で待ったものの、カミサンは現れず。。。
もしや誘拐でも娘の顔はひきつっていました。通路にへたり込んで泣き出す始末。昼食もとらずにずっと待ち続けていたようなので、館内のカフェで昼食を摂らせて落ち着かせました。
身長2m位の長身の男性受付係員の方と2人で善後策を相談しました。この方は非常に親身な対応をしてくれて、今でも感謝しています。
彼の提案はこうでした。
「ルーブルは17時に閉館になる。観客はすべてピラミッドの地上出口から出てくるので、出口で張っているのがベストなやり方ですよ。」
僕が、地上出口で長身の彼と一緒に待ち構え、娘は下の階段付近で待つことに・・・。僕は娘を安心させるため「お母さんは、多分、一人で館内を回っているはず、大丈夫、本人はケロッとして出てくるから・・・これまで、はぐれてもはぐれた場所に戻らず勝手に先に行ったことがあったよ」
1時間ほど待ち続けました。
17時過ぎ、ピラミッドの地上出口から観客がぞろぞろと出てきました。

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地下で張っている娘から電話がありました・・・「お母さんがいた」。
顔を合わせると、僕らの心配をよそに、カミサンは脳天気に「えーどうしたの?」と怪訝な顔を浮かべました。僕が事情を話すとさすがにバツが悪そうでした。
親身な応対してくれた長身の彼にお礼を言って、ルーブルを離れ、メトロでオペラに向かいました。カトリーヌに会うためです。
18時過ぎにオペラで下車。赤いスーツを着たカトリーヌと3日ぶりに再会。スズランの花をお土産に頂きました。

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最後に僕とカトリーヌの2ショット。ポーズを取ろうとした時、彼女がススッと体を寄せてきたのでちょっとばかりびっくりしました。

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カミサンと娘は、そのままシャルル・ドゴール空港に向かいました。僕は、彼女の車で近くの彼女の会社に・・・オペラの近くにはラファイエットという有名なデパートやユニクロがありました。ユニクロはロンドンの目ぬき通りにも出店していました。今や「世界のユニクロ」といってもいいでしょう。
会社の守衛室に預けてあった40Lのリュックを背負って、カトリーヌにお礼とお別れを言いました。
僕:「Please come to Japan and meet us ・・・」
彼女:「Promise,promise・・・」2回繰り返しました。
去年の9月、”Tokyo 2020"が決まったので、東京に来たらと彼女にメールしました。「選手ではなく観客で行きます・・・」と軽くエスプリを効かせた返事がきました。
メトロの駅の近くのカフェで一休みして、3日から今日までの6日間を想い出しながらカフェオレを頂きました。ルーブルを除いて、大したトラブルもなく、無事に旅行を終えたことを感謝しました。

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シャルル・ドゴール空港行きの列車に乗るため”北駅”に向かいました。

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以下、次号。

by camino0810 | 2014-02-20 06:57 | フランス | Comments(1)  

2013年5月8日(水) フランス その43 再び、パリその6

芸術橋を渡って、再び、左岸側を歩きました。

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古本の屋台には、1900年の初頭のパリの全盛期時代のポスターなどが展示されていました。1枚が2€(270円)。エッフェル塔、ムーランルージュ、ロートレックが目立ちました。東京で言えば、東京タワー、浅草の雷門の大きな赤提灯、広重みたいなものでしょうか。。。いささか紋ぎり型だけど定着された各々の売りの部分でもあります。

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"Ville d'amour"(恋の街)のポスターには、”Je t'aime "の各国語訳が描かれていて、一応、一番下に小さい日本語で”私はあなたを愛しています”と書かれていました。

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子供向けの絵本も売っていました。

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”PLAYBOY"などの雑誌も売られていました。マリリンモンローが表紙になっていました。

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更に上流に向けて歩きました。貨物船が停泊していました。
この船には2本のマストと沢山の横木が付いていて、一見、帆船に見えるけど、違っていました。このマストは船倉内の貨物を出し入れするクレーンだと思います。日本の船舶にはこのようなレトロなクレーン付きの貨物船は働いていないでしょう。岸壁に荷役できる走行型のクレーンが貨物の出し入れをすると思います。

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ポンヌフにようやく到着しました。
この橋は、中の島になっているシテ島を連結している橋です。よって、2つの橋を一緒にポンヌフと呼んでいるようです。石造りのアーチ橋ですが、創建当時の姿をほぼ留めている唯一の橋らしいです。特徴は、各橋脚に円筒状の欄干が付いていること。セーヌには石造りのアーチ橋は沢山あるので、識別するには、この丸い欄干と周囲の景色が良いと感じています。

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説明書きには、建造期間は、1578~1607年、ヘンリ3世時代に工事が始められ、アンリ4世時代に完成したとありました。
実に30年に近い歳月をかけて出来上がった橋だと判りました。多分、建設中に何度か洪水の流出に遭遇したものと推察します。
土木屋の僕には、当時の乏しい資機材を使ってこの橋をどのように造ったのか非常に興味があるところです。水が流れている川の中に橋を造るのは簡単ではありません。当時、川に中に仮締切を造る技術はなかったと考えた場合、一時的に流路を付け替えるやり方を採用したのではないか?
ポンヌフの場合、川が2本あるので、片方づつ造ったのではないか?建造する橋の川の上流端と下流端を全面的に土砂で締切り、水を片方の川に流して、中の水を掻い出して、橋を造ったのでしょう。。。同じ作業を繰り返して完成。
この方法が取れないときは、内陸部に仮回し用の水路を造るより他ありません。

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ポンヌフは、"Pont Neuf"(新しい橋)、建造当時、何故この橋が新しい橋だったのかが引っかかっていました。少し調べるとその答えが判りました。当時のシテ島の5本の橋は、全て橋上家屋付きの橋。橋は道路に加えて住居や商店の役割を果たしていたようです。この絵図には、まだポンヌフはありません。セーヌは絵図の上から下に向けて流れています。シテ島の下側の端部が、ポンヌフの位置になります。

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シュノンソー城もそうでした。

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イギリスのバースにも橋上家屋タイプの橋梁がありました。

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当時橋の上に住居や商店を造った理由を5つほど考えました。フェレンチェのヴェッキオ橋もそうだと思います・・・
① 否応なく人が集まるので、商売が成立する。
② 川をお堀と考えれば、外敵から守られているし、守りやすい。
③ 舟運を利用しやすいので、物資の運搬が楽。
④ 生活に必要な水がすぐに得られ、洗濯も楽。
⑤ トイレの処理が簡便で衛生的(19世紀までパリ、ロンドンもし尿の匂いが大問題だったとか)
但し、橋上住居には致命的な弱点があります。
洪水による橋の流出が何度も発生したようです。ポンヌフを築造を命じたアンリ3世は、この橋を道路専用の橋とするよう指示したのでしょう。ポンヌフは、その意味で新しい橋だったということです。
21世紀のいまから考えると、極めて当たり前ですが、当時としては道路専用の画期的な橋だった・・・
シテ島から左岸の上流側はこんな感じ・・・岸壁に穴埋めの跡が多数ありました。多分、セーヌに排出していた下水道用の暗渠跡ではないかと思います。

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左岸側のポンヌフから下流を見ると、2つの河川の再合流点が確認できました。芸術橋もかなたに見えました。

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上流側方面はこんな感じ。。。河畔まで車が下りることができるようです。ベンチには3組のカップルがいました。

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シテ島の公園にはライラックが沢山植わっていました。フランス人はリラと呼ぶそうです。

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リラの花は、藤の花と違って空に向いていました。

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フランス人は本当にカフェ好き、少し遠慮がちなオープンカフェも裏通りの一角にありました。

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もう一つのポンヌフを見るために、シテ島の河畔道路を上流に向けて歩きました。このポンヌフはさっきのものと構造は同じですが、川幅が広い分アーチの支間も沢山ありました。

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コンシェルジュリーの脇を通ってシャンジュ橋に向かいました。

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以下、次号・・・

by camino0810 | 2014-02-16 13:05 | フランス | Comments(0)  

2013年5月8日(水) フランス その42 再び、パリその5

ロワイヤル橋は、創建当時の姿をそのまま留めているように思います。
5連のアーチ橋で、中央部分を高くして橋げた自体をアーチ構造にしていました。2010年の夏に訪れた北スペインのプエンタ・ラ・レイナ橋とよく似た構造でした。

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セーヌの左岸の歩道を更に上流に向けてあるきました。
ツール、ナント、オルレアンで見てきたようにパリも川、河岸歩道、車道、建物の順に並んでいました。いい”かわまち”には、建物が川を向いていることが基本と思いますが、この並び順がポイントだと感じました。勿論、建物の軒も綺麗に揃えてありました。

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木々の隙間からルーブル宮が見えました。この光景は僕のお気に入りの1枚です。

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河岸の歩道は増水のためかなり水中に没していました。

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このあたりは、神田の古本屋街みたいに、古本の露店が沢山並んでいました。

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1575年のパリの中心部の地図が売られていました。地図の左側がセーヌ右岸、右側が僕がいる左岸側。当然ですが、ロワイヤル橋(1585~1589)やポンヌフもありません。ルイ14世の時代に築造されたわけで、いかにこの王が偉大だったかをよく示していると思います。
シテ島には左右岸を結ぶ4本の橋のみ。。。円弧上の運河にパリの街が守られいたことがわかりました。シテ島は、Cite、旧市街の中心地を指すフランス語です。この地図からもここがパリの中心地であることがわかります。ロンドンのシティーは商業の中心地ですが、シテ島は行政の中心地も兼ねていたようにも思えます。

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カルーゼル橋を渡って、右岸側のルーブルへ。。。ルーブル宮は、セーヌ河に沿って延々と続く長大な宮殿でした。
建物の中に車道を通している発想にも感心させられました。もうすぐ完成する新橋の環状2号は巨大な虎ノ門ビルのお腹の中を突き抜けています。フランスの先進性も感じます。

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ナポレオン3世の彫像がありました。

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ルーブルから見たカルーゼル橋と左岸はこんな感じ・・・

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カルーゼル橋から下流を見ると、オルセーやロワイヤル橋が。。。バトムシュの水上バスが活躍していました。

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上流には、芸術橋とシテ島が。。。ノートルダム大聖堂の2つの塔と尖塔が見えました。

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一輪車のお値段は、ノートルダムまでが15€(2,000円)、エッフェル塔までが25€(3,300円)と高めな設定。

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ルーブルの脇を上流に向けて芸術橋へ。。。

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建物、車道、歩道、河畔散策路、川の順番だと川の賑わいも創出できます。河畔の散策路が水没していたためパリらしいであろう光景が観察できなかったのが残念。。。

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芸術橋は、カルーゼル橋と同様の鋼製の歩道橋。ただし、6スパンでした。多分、建造時代が古く技術的な限界からスパンを飛ばせなかったのでしょう。

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芸術橋はPont des artsの訳語。

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袂には、ミッテラン大統領の名前の付いた道路看板。

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この橋の欄干の鍵もビッシリでした。

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イタリア人の観光ツアーが・・・・ガイドがイタリア語で説明。

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橋の上からお目当てのポンヌフが見えました。セーヌの橋めぐりも完了まじかになりました。

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以下、次号・・・

by camino0810 | 2014-02-13 06:50 | フランス | Comments(0)  

2013年5月8日(水) フランス その41 再び、パリその4

セーヌ河の左岸側の河畔を上流に向けて歩きました。
観光用の水上バスが停泊していました。
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扁平な形状をしているところを見ると、このバスは、ロンドンのテムズ河と同様、2艘の船を連結した構造でしょう。
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レオポール・セダール・サンゴール歩道橋は、1スパンの鋼製アーチ橋でした。左岸のオルセー美術館と右岸のテュイルリー宮殿を繋いでいます。歩道なので荷重が小さいため1支間で設計できたようです。
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橋の袂にトーマス・ジェファーソンの銅像がありました。
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18世紀の末期には、アメリカ独立戦争、フランス革命など両国にとって重大な事件が発生しました。ジェファーソンはフランス革命直前までフランス大使、19世紀初頭にアメリカ大統領としてフランスの近代化に貢献した人物だということでしょうか?
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彼の手には故郷の邸宅の設計図がありました。
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サンゴール歩道橋の欄干には無数の鍵が付いていました。南京錠と呼ばれるレトロなタイプが多かったです。恋人2人で施錠して、鍵をセーヌに放り込むと永遠の愛が確定するそうです。
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欄干を隈なく探してようやく日本人のカップルのものを発見。日本人のカップルはあまりパリに来てないということでしょうか?橋の袂の南京錠のお店があるのでわざわざ鍵を買っていく必要はありません。
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この歩道橋から上流を眺めると、ロワイヤル橋の右岸(写真左側)にルーブル宮、左岸(写真右側)にオルセー美術館が・・・まだ、水が引ききっていないようで、右岸の河畔の歩道は水没したままでした。
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オルセー美術館の脇を更に上流に向かって歩きます。地図の青い〇がオルセーです。地図の右側がセーヌの上流、左岸は地図の下側。右岸は上側になります。
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豪華そうな船上レストランが浮かんでしました。ライトアップされたパリの様々な建物を眺めながらゴージャスな食事が楽しめそうな感じでした。隅田川の屋形船で天麩羅も悪くないけど・・・
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オルセー美術館は外側をスルーしただけ。多分、カミサンと上の娘がここにいるはずです。
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オルセーの外壁にはフランスの主要都市の名前が刻まれていました。"NANTES”、”TOURS”、”ORLEANS"これまで見てきた街たちの名前が・・・
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ロワイヤル橋の対岸にはルーブル美術館が見えました。
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橋の袂には”ロワイヤル橋:ルイ14世の統治時代の1685年~89年に建設”と記されていました。セーヌ河の観光船会社”バトームシュ”の長大な観光船が通りかかりました。
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着飾った兵士たちが、馬に乗ってパレードをしていました。珍しい光景を見ることができました。
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以下、次号。。。

by camino0810 | 2014-02-03 17:01 | フランス | Comments(0)  

2013年5月8日(水) フランス その40 再び、パリその3

セーヌ河の河岸を上流に向けて歩きました。
アレクサンダー3世橋を渡って、セーヌ左岸に向かうことに。。。

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ホントにゴージャスな橋でした。

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橋の上から見るエッフェル塔の眺めも良かったです。

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こんな豪華な親柱は見たことがありません。

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欄干の天使は、金の巻物をつかんでいました。後ろにグランパレも見えました。

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マロニエの木々の間に2つの銅像が・・・
最初は、ロシアの将軍の像、第一次世界大戦の時にロシアはフランスの同盟軍としてドイツと戦っていたようです。

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次は、ラファイエット、カトリーヌの会社がある通りに名前にもなったフランスの政治家で軍人で愛国者。アメリカの独立戦争を応援したことからアメリカの小学生が感謝の意を込めてこの銅像を建てたそうです。

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橋を渡って、アンバリッドの方に歩きました。このあたりは実に気持ちの良いオープンスペースになっていて、皇居前の広場と似た気分を感じました。ランドアバウトの向こうにあるアンバリッドには時間がないので、見学省略。

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2010年の8月、初めてパリを訪問した時を懐かしく思い出しました。このベンチで近くのカルフールで買った4€のお寿司を食べたものです。

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往復に使ったエールフランスの本社もありました。

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セーヌ左岸から右岸を見た絵柄も実に素晴らしい。お天気は晴れたり曇ったりでしたが、この時は陽がさしてきました。

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広々した歩道は、歩いていて気持ちがいいもの。街づくりの基本でしょうか?

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アレクサンダー3世橋の左岸側から上流方向に歩きました。これまで数多くの補修現場を見ていましたが、セーヌ河畔も補修工事中でした。河畔の散策路のレンガ舗装でした。オルレアンのジャンヌ・ダルクの公園で見たやり方と同じ方法で砂で下地を取ってレンガを並べていました。

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上流左岸から振り返ったアレクサンダー3世橋はこんな感じ。。。どこから見てもゴージャスです。

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ユニットハウスと呼ばれる仮設事務所と仮設トイレが置いてありました。トイレには”使用禁止”の貼紙が。。。てっきり補修工事の現場事務所と思っていたら違っていました。

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ユニットハウスから持ち出したテント、テーブル、椅子を並べて昼食会を開していました。なにかのNPOなのかもしれません。

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コンコルド橋の右岸側にはオベリスクが見えました。

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左岸側の歩道をポンヌフを目指して歩きました。
右手に国会議事堂が。。。パルテノン宮殿仕様でした。ワシントンDCもこの手の建物がどっさりありました。DCの基本設計を担当したのは、フランス人のデュポン。パリの気分をそのままDCに持ち込んだのかとも思えます。

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以下、次号。。。

by camino0810 | 2014-01-30 06:05 | フランス | Comments(0)  

2013年5月8日(水) フランス その39 再び、パリその2

今日の23時25分発AF278便で帰国します。よって、2時間前にはシャルル・ド・ゴール空港には着いておく必要がありました。
この日は17時ごろ家族とルーブルのピラミッドで待ち合わせ、18時ごろ、カトリーヌとオペラ前で再会する段取りでした。ちなみに、この日はフランスは戦勝記念日でお休み。第2次大戦の戦勝国は羨ましいです。
12時過ぎ、いよいよ、セーヌ河探検の再開です。この日のお天気は雨交じりの曇りだったのが残念。。。
コンコルド広場からスタート。

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改めて、パリの街の巨大さとゴージャスさに圧倒されました。これまで観てきたロワール沿川の街は掌に納まる規模だったので。。。
どちらがいいか?感動の大きさの違いもありますが、要は”1ポンドのステーキ”がいいか”コハダのニギリ”がいいかの違いみたいなもので、それぞれにいいという結論にしました。
オベリスクはワシントンDCの高さ150mに比べると、小振りですが、こちらが本家。

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凱旋門がかなたに見えました。

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噴水広場で記念写真をお願いしました。

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セーヌ河はすぐ近くにあります。コンコルド橋の袂から対岸の国会議事堂が見えました。ロワール河も増水していましたが、セーヌ河も同じでした。

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現在でもセーヌ河は舟運が盛んなようでした。橋の上から見下ろすと、”働く船たち”が沢山停泊していました。

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コンコルド橋の袂を降りて、河畔の道を下流に向けて歩いてみました。珍しい形をした浮桟橋を見ました。

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貨物船や作業船が多かったです。”PETITE VITESSE"(遅い速度)と名前の船を見ました。早く航行できないので、追い越しどうぞという意味合いでしょうか?ちなみにフランスの新幹線TGVは"TRAIN GRANDE VITESSE"(高速列車)、まんまの名前です。

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”LE CID"はコルネイユのオペラのタイトル・・・日本では第〇〇丸というワンパターンの紋切り型が普通。フランスは流石にお洒落でエスプリが利いた国です。

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係船柱の脇にひっそりとチャウチャウみたいな番犬がうずくまっていました。

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超ゴージャスなアレクサンドル3世橋を背景にして韓国人の夫婦に記念写真をお願いしました。

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このゴージャスな橋の下にやってきました。下から見上げてもやっぱりゴージャス。ロシアが、その国力を宣伝するためにどっさりお金を投入したということでしょう。


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橋の構造は、単支間のメタルのアーチ橋ですが、欄干、綱、アーチすべてを精密な鋳物で装飾していました。多分、これだけ凝った橋は他にないと感じています。

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東京タワーと同じリベットと飛ばれるボルトで部材を接合していました。

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アーチ桁を支える最も大事な支承部分は現在のものと大差ありません。

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インフラを改造して景観面からその価値の向上させようという活動も国内で始まりました。2020年の五輪開催に合わせるという考えもあるでしょう。公共事業では、事業を始めるには、このブログでも再々触れてきたB/C(費用対効果)が1.0以上であることが必要とされています。C(コスト)は、割と簡単に試算できるけど、B(効果)を貨幣換算することは、なかなか難しいです。特に景観が良くなったことの効果をどのように計測するかが難問です。
アレクサンダー3世橋が、パリの価値向上に大きく貢献しているのは明らか。パリのセーヌの橋といえば、この橋かポンヌフでしょう。

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過去の事例を参照して、あるインフラを高品質に改造したら、観光客が増加し、観光収入の増加に伴う税収増加分、関連産業の増加に伴う税収増加分なども計算できそうな気もします。そうすると、一応B(効果)の算定は可能ですが。。。土木工学は、Civil Engineering。軍事工学のMilitary Engineeringと対比されます。軍事以外が土木となると相当広範囲に亘る分野ということになり、このような計算モデルを研究する分野も土木にありそうな気がします。
自称”川屋”にとって、うれしい看板がアレクサンダー3世橋の橋台に・・・セーヌ河の過去の最高水位と最低水位が表示されていました。

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フランス語は相当不明ですが、セーヌ河の水位表示は以下のようでした。
 水位 0m 流量50m3/秒:最低水位(1719年)
     3m 流量800m3/秒:上流部が水没する水位
     4m 流量1000m3/秒:船舶航行の中止水位。
     6m 流量1500m3/秒:通常の洪水時の水位
     9m             :既往最高水位(1910年)
”働く船たち”が航行できる水位は、1m~3mに設定されているようでした。

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ロワール河は1856年が最高水位ですが、セーヌ河は1910年の洪水で最高水位。それ以降の記録がないので、河川改修、ダム、遊水地などを整備したようです。
いずれにせよ、明治時代の終わり頃には主要河川の治水対策が完成していたようで、フランスは治水先進国だったと言えるでしょう。
ちなみに、多摩川の計画洪水は7,000m3/秒程度なので、セーヌ河の洪水はあまり大きくない感じでした。セーヌ河は、広い国土をゆったりと流れるため、洪水もゆっくりとで出るようで、その流量も小さめです。

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懐かしくも珍しいものを発見しました。ホタテ貝の装飾が施された扉でした。ホタテ貝は、スペイン巡礼で巡礼者が目印に付ける記しです。4本あるフランスからの巡礼路の1本は、パリが出発点です。何か関係があると思います。

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下流のアンバリッド橋は、石造りのアーチ橋です。この橋は1855年感完成、パリの万国博覧会用に建造されましたが、間に合わなかったそうです。構造的な限界から4つの支間に分割さてれていました。実に風格を感じさせる石橋です。

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アーチ部分は縦長の石材を連結していました。

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地上部に上がって、セーヌ河を上流に向けて歩きました。
以下、次号・・・    
 

by camino0810 | 2014-01-21 19:21 | フランス | Comments(0)  

2013年5月8日(水) フランス その38 再び、パリその1

ロワール河とツール、ナント、オルレアンの街巡りが完了し、本日、パリに戻ります。
朝、ホテルの部屋でテレビを見ました。情報番組をやっていましたが、フランス語でしゃべられるので細かいことはほとんど判りません。
アニメもやっていました。忍者にヒントを得た作品で、主人公の忍者たちは正義の味方のようでした。日本のサブカルチャーがフランスでも浸透してるなと感じました。

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子供向けのアニメはこんな感じ。。。

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フロントでチェックアウトを終えて、駅まではフロントで頼んだタクシーで行きました。高々、2㎞くらいでしたが、かなり高かった覚えがあります。
オルレアン発9時28分のパリ行きのTGVを利用しました。料金は20€(2,600円)。

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時間があるので、駅のファストフードで朝食。コーヒーとブドウパンです。

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お店の壁に貼ってあった昔を絵図を見ると、ロワール河には3つのお城があることが判りました。絵図の上に描かれた一番大きいお城が、多分、旧市街だと思います。

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例によって、トイレチェック。やはり、小便器には台がありませんでした。

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この電車は一応TGVではありましたが、普通電車と同じ仕様。珍しく検札がありました。多分、抜き打ちでしょう。

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パリの郊外に来ました。高層アパートのような建物が増えてきました。

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終着駅に近づいてきました。流石にパリの駅は線路が沢山あります。

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10時33分、パリ、オーステルリッツ駅に到着。この駅はかなり歴史があるようで、古色蒼然とした印象でした。

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この駅は、パリの中のハブ駅にしては小さい感じでした。

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メトロに乗って、再び、カトリーヌの会社に行き、荷物を預けました。彼女の会社はオペラ座の近くにあります。やはり、パリの街は大きいです。

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歩いて、オペラまで行きました。5月3日から5日振りでした。曇りだったのが、残念。

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フランスでの一人旅に慣れたせいか、オペラの眼の前のカフェに一人で入ってみました。立地が良いためか、メニュを見ると、皆、高額でした。仕方ないので、一番安そうなコーヒー6€(800円)を注文しました。この席でコーヒーを飲みながら、これから半日をどう過ごそうかを考えました。注文とりのギャルソンに写真をお願いしました。

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盗難注意を喚起する札には日本語が併記されていました。

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結局、オベリスクのあるコンコルド広場に行って、セーヌ河の河岸を歩こうと決めました。オペラの駅入り口で写真を撮ってもらいました。

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オペラ前から、街を眺めて思ったこと。「やっぱりパリはゴージャスだね」。。。

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メトロに乗車してコンコルド駅に向かいました。

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以下、次号・・・

by camino0810 | 2014-01-13 15:06 | フランス | Comments(0)  

2013年5月7日(火) フランス その37 オルレアンその9

いよいよオルレアン最終章。
21時近くになり、暮れなずんできました。
再び、大聖堂に行って見ました。沢山の人が大聖堂前の広場に集まっていました。

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警官が規制線を設置していました。何かの祝典が開催されるような感じでした。

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大聖堂前には市長の演台が・・・

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開会まで時間があるそうなので、再びカフェで賑わう路地の方へ。。。ブルゴーニュ通りは中世からフランスの基幹道路だったとか・・・

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カフェに賑わいが出てきました。

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21時15分、祝典がスタート、鼓笛隊のパレードが始まりました。

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ジャンヌ・ダルク通りには風船売りも出て、お祭り気分が盛り上がりました。

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祝典見学をそこそこにして、再び、ブルゴーニュ通りへ。カフェも大いに盛り上がっていました。フランス人はいい意味で人生を楽しむのが上手な国民だと感じました。

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ホテルに戻りました。昼食を摂ったジョルジュ・サンク橋の袂のカフェまで来ました。

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ジョルジュ・サンク橋はライトアップされていました。

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ロワール河の右岸側をホテルに向かって歩きました。

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河畔の夜も素晴らしかったです。ただ、気になったことが・・・女子会、男子会みたいな同性のグループが目立ちました。カップルの国であるべきフランスでも同性の集まりが増えてきているということでしょうか?少し気になる現象です。

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22時、ホテル着。朝9時からこの街をよく歩きました。疲れましたが、この街は、実によかったです。

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部屋に戻って、モバイルでメールなどをチェック、FBに当日の記事をアップしました。

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明朝、パリに戻ります。ルーブルのピラミッド前でカミサンと上の娘と再会する約束をしていました。ここで、椿事が起きました。
以下、次号。。。

by camino0810 | 2014-01-12 12:11 | フランス | Comments(0)  

2013年5月7日(火) フランス その36 オルレアンその8

19時過ぎ、夕食を摂るためにホテルを出てオルレアンの街を歩きました。
ホテルはすこし街はずれにあるので、住宅街を抜けてレストランのある都心に向かいました。狭い路地には2~3階建ての建物が軒を並べていました。狭いので街路樹はありません。電柱、電線も地下に埋めているようなので、すっきりした街路になっていました。

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フランス、スペインの街では、どんな小さい通りであっても必ず通りの名前が付いています。このあたりは、日本と大いに違っているところです。

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教会前の広場には街路樹がありました。

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この街は、小さいのですぐにメーンのジャンヌ・ダルク通りに出ました。

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ジャンヌ・ダルクの家がありました。外壁は珍しく木造レンガ造りになっっていました。

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入り口にこの建物の説明書きがありました。「ジャンヌ・ダルクは、1965年に復元されたこの家に1429年4月29日~5月9日までオルレアンの財務官、ジャコブ・ボブシェに招かれて滞在した」フランス語は不如意なので訳は怪しいですが、とにかくジャンヌはちょうど584年前のゴールデンウィーク期間に、このオルレアンにいたことは間違いないでしょう。オルレアン市は、この期間をジャンヌ・ダルク祭の期間に設定したようです。

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夕食をどうするか?
毎日、毎日バゲットばかりの食事が続くと和食やコメの飯が恋しくなりました。
フランスのみならずヨーロッパ、アメリカなど全世界で日本の寿司は確固たるプレゼンスを確保しています。
オルレアンにもお寿司屋さんがありました。”SUSHISHOP”はちょっとだけ高級レストラン風でした。

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この寿司ショップはチェーン店のようで、インターネットでも注文できるようです。ドメイン名は”fr”ではなく”eu”となっているので、ヨーロッパ全域に展開しているかもしれません。電話番号の標記もフランス流の2つ切りとは違っていました。

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この寿司屋は、”小僧寿し”を高級にした感じで、持ち帰りとイートインのオプションが可能でした。厨房では外国人の寿司職人が握っていました。
お値段は結構高かったです。清水の舞台から飛び降りる覚悟でオーダーしました。巻物とニギリのセットで12.99€(1,700円)。味は大変良かったです。日本のお寿司と全く遜色はありませんでした。美味かったです。課題は量が少なかったこと・・・大食いの僕には少し不満が残りました。

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コメの飯を求めて、街を歩き回りました。ツールにも日本料理店がありましたが、どうも日本人以外の経営なので敬遠。この街にも日本料理店があるものの、やはり同じ感じでした。

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但し、メニューは”刺身”、”寿司から”かつ丼””タコ焼き”、”とんかつ””焼きそば”など実に豊富。しかも、日本語併記でした。

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この日本料理店はスルーして、インド料理のお店でダメを押しました。この店は、インド人の若いギャルソンが注文に来ました。チキンカレー(7€:900円)が質、量とも申し分なかったです。

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20時30分食事終了。ようやく、暗くなってきました。夜のオルレアンの探検をこれから始めます。
以下、次号。。。

by camino0810 | 2014-01-12 10:01 | フランス | Comments(0)