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2016年5月9日(月)ドイツ その84 北京~羽田

北京空港発8時45分、羽田着12時50分のCA181便に搭乗しました。


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このジェット機はターミナルの搭乗ゲートから離れた場所に駐機していました。バスで近くまで行って歩いて搭乗しました。


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2014年5月、ハンガリーのブダペスト空港でプラハ行きのプロペラ機に搭乗した時と同じでした。まあ、安い料金なので文句は言えません。


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北京空港のターミナル3は随分と大きな建物でした。


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PM2.5のせいで曇っているのか、通常の曇りかはわかりません。


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川沿いにゴルフ場が見えていました。中国本土には一度も行ったことがありません。基本的な政治体制は変わっていませんが、生活実態は日本と似たような状況になっているのかもしれません。


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3時間の短いフライトでも軽い食事が出てきました。


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CA181便は房総半島の南から進入しました。


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ジェット機は、東京湾の東側から西側にある羽田空港に向けて降下を始めました。富士山も映っていてそれなりにリアリティーが感じられます。
パイロット養成用のフライトシュミレーターもこんな感じかもしれません。


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残念ながら東京も北京みたいにガスがかかっていました。荒川河口の葛西臨海公園の人工渚が見えました。


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スカイツリーと荒川河口の首都高湾岸線の橋梁が見えました。中央径間部分はゲルバー梁構造。


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若洲のゴルフ場と風車も見えました。


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東京湾名物のゲートブリッジがまじかに見えました。恐竜を思わせる独特のトラス構造と主桁のスレンダーさが光った実にユニークな橋です。中央部分はゲルバー梁構造。


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ジェット機は高度を下げながら巨大な東京港の脇を通過していきました。羽田空港はすぐそこです。


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羽田空港の小便器は脚付きのフルヴァージョン・・・何故か日本はこのタイプになりました。昔は、外国型の脚なしタイプが主流でした。普通に考えれば脚なしの方が合理的ですが、風俗・習慣というものは必ずしも合理的、合目的的でない事例だと感じます。それは、シャワートイレにも当て嵌まります。欧州人は紙方式が当たり前と思っているのは間違いありません。最初のうち、インバウンドの人たちは日本のシャワートイレに当惑することでしょう。


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羽田空港の4Fのカフェで一休みしてこの日の出来事をFBにアップしました。拍子抜けした気分がリアルに書かれていました。

”13日振りに日本の地を踏んだ。当たり前の事だが、日本語が通じるし、周りは日本人だらけだ。何か気が抜けたみたいなちょっと不思議な感じがする。”

5月9日(月)、東京は曇り、暑い。
北京発8時45分のCA181で羽田に13時10分に到着。
それにしても北京空港のセキュリティーチェックは厳しかった。両腕を水平に挙げた格好で体中にセンサーを当てられる。ズボンのベルトに手を入れられて不審物のチェックも行われた。処分し忘れたライターもガッチリ見つけられ廃棄させられた。羽田、フランクフルト空港ではライターは一つだけ機内持ち込みができたが、北京空港で持ち込み禁止と厳しい。
北京は蒸し暑くて曇っていた。PM2.5のせいだろうか。
羽田空港3Fの出発ロビーにあるセブンでライターを買って一服できた。
13日振りに日本の地を踏んだ。当たり前の事だが、日本語が通じるし、周りは日本人だらけだ。何か気が抜けたみたいなちょっと不思議な感じがする。
羽田上空は生憎曇りだった。お馴染のスカイツリーやゲートブリッジが見えた。
時差ボケもあり、疲れが一気に噴出した。明日は自宅で一日ノンビリして明後日から普段の生活に戻す計画にしている。


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日本は鯉のぼりの季節になっていました。


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東京モノレールに乗って大塚にある会社に向かいました。


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会社の会議に出席し、その後、懇親会にも参加しました。
ようやく2016年のイベントが終わりました。
この記事を書き終えたのが2017年3中旬、たかだか2週間足らずの旅行の記事を書き上げるのに11ヶ月掛かりました。

2017年の旅行は積み残した北ドイツとポーランドにしました。往復の飛行機や相手国でのホテルや飛行機などの予約も完了済みです。
これから、今回の中南部ドイツのまとめを書いていこうと思います。
以下、次号・・・





by camino0810 | 2017-03-18 06:57 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月8日(日)ドイツ その83 フランクフルト~北京

13時55分発北京空港行きCA966便は定刻に出航しました。北京空港には翌日の5時15分に到着します。時差を考慮すると9時間20分のフライトです。


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エコノミーですが、幸運にも足を伸ばせる座席でした。


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退屈というより忍耐の時間の始まりです。偏西風を受けるため帰りの方が少し早く着きます。フランクフルト空港から北京空港までの概算距離は9000kmくらいはあるでしょう。座席の袖に格納されたモニターを引っ張り出して3Dの飛行状況図で時間を潰しました。”シベリアのイルクーツク上空10700m、外気温ー60度、巡航速度950km/時”といった具合に飛行状況がリアルタイムに表示されます。


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このソフトは縮尺を自在に変えて表示できます。画面をアップにすると、懐かしいバンベルクやレーゲンスブルクが表示されました。


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日本付近の地図には「日本海」と表記されていました。中国はこの海を日本の海と認識しているようでした。


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機内のトイレの漢字表記・・・同じ漢字圏の日本人であっても結構ハードルが高いと感じます。


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CA966便は定刻5時15分に北京空港ターミナル3に到着しました。羽田行きのCA181便は同じターミナル3から8時45分に出航します。乗客の後をついて手荷物検査場に向かいました。

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多くの乗客が中国への入国手続きで列を作っていました。間違えてこの列に並んでしまい、時間をロスしました。トランジットの手荷物検査のセキュリティーチェックは厳しかったです。係員は愛想が悪い上に英語が通じません。

5月9日(月)、東京は曇り、暑い。
北京発8時45分のCA181で羽田に13時10分に到着。
それにしても北京空港のセキュリティーチェックは厳しかった。両腕を水平に挙げた格好で体中にセンサーを当てられる。ズボンのベルトに手を入れられて不審物のチェックも行われた。処分し忘れたライターもガッチリ見つけられ廃棄させられた。羽田、フランクフルト空港ではライターは一つだけ機内持ち込みができたが、北京空港で持ち込み禁止と厳しい。
北京は蒸し暑くて曇っていた。PM2.5のせいだろうか。
以下省略

空港と都心を連絡するシャトル便が結構頻繁に走っていました。

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北京空港の小便器は脚なしタイプでした。


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行きもそうでしたが、館内の空調はほとんど機能していないようでした。建物はピカピカでも蒸し暑くて嫌になりました。
羽田行き飛行機の搭乗ロビーに向かいました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-03-14 20:09 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月8日(日)ドイツ その82 フランクフルト空港(3)

5月8日(日)、フランクフルト空港は快晴で程よい暖かさがありました。初めてドイツの地を踏んだのが4月28日、到着地のフランクフルトは快晴でも冬並みの寒さでした。
10日間に亘ったドイツ旅行の最後の時が訪れました。13時55分発北京行きの中華航空CA966便で日本に帰国します。
9時50分、ホテルのチェックアウトを済ませ、10時00分発のシャトルバスに乗車して空港に向かいました。

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10時15分、フランクフルト空港ターミナル1に到着。ターミナル1に接続しているフランクフルト空港駅は、駅舎部分が「ザ・スクエア」というショッピングモールで覆われた細長いユニークな駅舎でした。

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中華航空のカウンターでチェックインして航空券を発行してもらいました。


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何故かルフトハンザ航空の発券になっていました。


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フランクフルト空港ターミナル1は広々としていました。


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手荷物検査は何度経験してもドキドキします。両手を挙げた万歳状態で3秒間の撮影もありました。2015年11月フランスのパリ、2016年3月ベルギーのブリュッセルでテロが発生しました。空港の警戒が厳しくなるのはやむを得ません。無事通過して、検査箱に開けた荷物を30Lのデイパックに詰め直しました。


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ルフトハンザ航空がターミナル1を独り占めしている感じでした。そう言えば、ロンドン郊外のヒースロー空港はブリティッシュエアウェイズが空港の3分の1くらいを占めていました。どの国も自国の航空会社を最優先するのは当たり前です。


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10時55分、出国審査完了。3Fの眺めの良いMACで一休みしました。コーヒーが1ユーロ(130円)とリーズナブルでした。


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各国の飛行機が駐機していました・・・ルフトハンザ航空

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ANA


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カナダ航空


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搭乗ロビーで出航を待ちました。


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この日の出来ごとをFBにアップしていました。

5月8日(日)、フランクフルトは快晴、適温。
ホテルを10時にチェックアウト、シャトル便で空港に着いて搭乗手続き、手荷物検査、出国審査をおえて、搭乗ゲートまできた。まだ、11時30分、13時55分発のCA966便北京行きまで時間がありすぎる。
中華航空の便なので大半のお客がが中国人だ。時間潰しにこの搭乗ゲートで記事を書いている。


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御馴染みのトイレ点検・・・脚なしタイプでした。


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為替の一覧表が目に入りました。
旅行者サイドから見ると、We Buy は日本円をユーロに交換する時のレートを示しています。141円で1ユーロが買えます。We Sellは逆にユーロを日本円に交換する時、1ユーロにつき103円の払い戻しを受けます。両替商は141円で買って103円で売るので差額の38円が彼らの粗利益になります。羽田空港より差額が随分と大きい感じでした。



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両替レートの一覧を整理すると、意外に面白い結果が得られました。各々の国の通貨信用度に応じて売り買いの倍率が変わっていました。為替のリスクヘッジのようでした。アメリカドルの信用度が1.33と最も高く、日本円は1.36と3番目。ロシアのルーブルは1.86と最も低く、通貨信用度が低いということになります。
1999年にロシアのカムチャツカに視察旅行に行きました。この時の為替レートは1ルーブルが約5円でした。2016年では1ルーブル2円といった具合でルーブルはかなり下落していました。ロシア経済は相当深刻な状況にあるようです。


buysell倍率buy(円換算)sell(円換算)
アメリカ1.333011.00471.33 106 103
イギリス0.91310.68361.34 155 151
カナダ1.69511.23931.37 83 83
日本141.18103.471.36 1 1
クロアチア8.98826.22761.44 16 17
ブラジル5.02423.25081.55 28 32
トルコ4.00192.77281.44 35 37
ロシア97.588652.54781.86 1.4 2.0
中国9.02646.03991.49 16 17
オーストラリア1.78441.31311.36 79 79


体が不自由な中国のスポーツ選手の一団が待っていました。試合を終えて母国に帰るようでした。


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北京空港までの10時間はタバコが吸えません。搭乗ゲートに隣接した喫煙室で一服しました。偶然ですが、タレントの加藤浩次さんが喫煙室にいました。

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13時55分、中華航空CA966便は定刻に離陸しました。北京空港までの苦痛の始まりです。


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以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-03-08 18:22 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月8日(日)ドイツ その81 フランクフルト空港(2)

今日はドイツ滞在最終日です。
7時30分、ホテルから歩いて10分足らずの近場にあるマイン川の河畔を歩いてみました。
ホテルの前の空き地は住宅地に隣接していて、ウサギ、キツネ、ワシがいました。母ギツネは子を口にくわえて運んでいたし、キツネ、ワシ、カラスのバトルもありました。餌のウサギやネズミを巡る縄張り争いかもしれません。
住宅地の脇にこのようなサンクチュワリーが出来上がっていることに驚かされました。ドイツの里山体験ができた訳ですが、改めてドイツの環境への強い拘りを感じました。


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つがいのウサギに出会いました。


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子キツネを口にくわえて運ぶ親キツネ・・・


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カラス、ワシ、キツネのバトルは一瞬で終わり・・・ワシは撮り損ねました。


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郊外の住宅街は、日本と似た気分がありました。


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ドイツ人も日本と同様タウンカーと呼ばれる小型車を使っていました。


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当日、空港の搭乗ゲートでFBにアップした記事によると、加齢による目覚めの早さを嘆いていました。

5月8日(日)、フランクフルトは快晴、適温。
ホテルを10時にチェックアウト、シャトル便で空港に着いて搭乗手続き、手荷物検査、出国審査をおえて、搭乗ゲートまできた。まだ、11時30分、13時55分発のCA966便北京行きまで時間がありすぎる。
中華航空の便なので大半のお客がが中国人だ。時間潰しにこの搭乗ゲートで記事を書いている。
加齢のせいで朝はいつも早い。だいたい5時には眼がさめている。
7時30分、ホテルから歩いて10分足らずのマイン川の河畔を歩いてみた。
ホテルの前の空き地は住宅地に隣接していて、ウサギ、キツネ、ワシがいた。母ギツネは子を口にくわえて運んでいた。キツネ、ワシ、カラスのバトルもあり、一種のサンクチュワリーが出来上がっているようだ。ドイツにも里山があるという事だ。
2012年、新潟市郊外の下水処理場で仕事をしていた時にも同じような経験をした。キジ、タヌキが棲んでいた。
マイン川は、ここから20km下流のマインツでライン川と合流する。マイン川の名前の由来かもしれない。上流に4月28日に歩いたフランクフルトがある。
日曜の朝と言う事で河畔のアスファルト道路にはたまにジョギングや自転車の人が通るくらいで、歩きは自分くらいだった。
種類は不明だが、両岸とも豊かな河畔林に被われていた。川幅は約100m、2隻の大型貨物船が離合した。マイン川の産業舟運が盛んな様子が窺えた。岸辺は自然河岸で、航行波で洗掘されないように捨石が敷設されていた。
ホテルに戻る途中、ラウンドアバウトに出会った。今回は鉄道の旅だったので4つ目のラウンドアバウトになる。車はルール通りに粛々と環状道路を回っていた。ドイツもラウンドアバウトをこれから本格的に導入するのかもしれない。一応環境にも優しい交差点だ。
ドイツ最後の日に、「環境のドイツ」というキャッチコピーがぴったりな幾つかの光景に出会えた。


少し歩くとマイン川の河畔公園に出ました。

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日曜の朝と言う事もあり河畔のアスファルト道路にはたまにジョギングや自転車の人が通るくらいで、散歩しているのは自分くらいでした。


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種類は不明ですが、両岸とも豊かな河畔林に被われていました。マイン川の低水路の川幅は約100m、2隻の大型貨物船が離合しました。改めてマイン川の産業舟運が盛んな様子が窺えました。川は写真右から左に流れています。

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長さが200mくらいありそうなバラ積み船も通過していきました。

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岸辺は自然河岸で、航行波で洗掘されないように捨石が敷設されていました。


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係留施設でジドリのスナップ写真・・・

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緑が溢れた気持ちの良い河畔でした。小さな取水口の斜面には大きな石を並べていました。

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空港がすぐ傍にあるので羽田のピッチほどではありませんが、割と頻繁にジェット機が舞い降りてきました。


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河畔から住宅地を歩いてホテルに戻りました。郊外の集合住宅はピカピカでした。


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ラウンドアバウトに出会いました。ドイツは本家イギリスと違ってラウンドアバウトには熱心ではないように思いました。
ケルン駅前、オーバーアマガウなどに続いて4つめのラウンドアバウトでした。信号機のない交差点なので、交通量の少ない地方部ではいちいち停止する必要がありません。ガソリンの節約にも繋がるため、二酸化炭素の排出を抑えられます。環境に優しい交差点なのは間違いありません。

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ホテルに戻る途中で見た落書き・・・

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小ぶりな集合住宅もピカピカで快適そうな感じでした。

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ホテルの前の湖には鳥もいました。

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IBMの研究所・・・

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9時00分、ホテルに戻りました。環境立国ドイツを改めて感じた1時間半のミニ散歩でした。
いよいよフランクフルト空港に向かいます。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2017-03-05 18:11 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その80 フランクフルト空港(1)

シュトゥットガルト中央駅で17時22分発ハンブルク行きのICE572号に乗車しました。
沿線に面白い光景が展開されていました。麦畑の向こうに煙の出ていない原発の煙突群と風力発電の風車群が同居していました。2011年のフクシマの事故でドイツは原発の発電を停止し、フランスから電力を購入するエネルギー政策に転じたそうです。原発分の電力を補うために積極的に風力発電などの再生可能エネルギーの開発に乗り出しているのかもしれません。


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ICE572号は定刻18時38分、フランクフルト空港駅に到着しました。

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(出展:Google)


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このお洒落なワントップのドーム型駅舎は、5月1日にケルンからライプチヒに向かう際の乗り換駅でした。なんかとても懐かしい思いに駆られました。


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19時00分、予約したホテルのシャトルバスに乗り込みました。


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シャトルバスは空港周辺に設置されたアウトバーンを走ってホテルに向かいました。


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フランクフルト空港駅は長さが700mくらいもある宇宙船みたいな細長い駅舎でした。


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当日にアップしたFBには以下のように記載がありました。

5月7日(土)、フランクフルトは快晴、温暖。
17時22分シュツットガルト発ICE572号で18時38分フランクフルト空港駅に到着。
19時10分、シャトル便でホテルに着いた。
このホテルは空港の北側にあり、森と湖に囲まれている。窓を開けるとジェット機の騒音と一緒に鳥のさえずりが聞こえる。IBMの研究所らしき建物が隣接している。
今回の10日間のドイツの旅では最初から最後までこの国の「環境立国」のポリシーようなものを感じた。
明日、この空港から日本に戻る。

19時10分、ホテルに到着。旅行の最終日は奮発して4つ星を予約します。森の中に立地した静かなホテルでした。お隣は湖とIBMの研究所でした。


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4つ星に相応しい室内は広くて快適でした。


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ドイツ人はクイズ番組が好きな国民かもしれません。日本で昔はやったミリオネアが放映されていました。


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ゆっくりお風呂に入った後、40Lバックパックと30Lのデイパックの荷物の点検などをしてベッドに入りました。
4月28日にフランクフルト空港に降り立って、ドイツ中南部の街まちを10日間掛けて回りました。今回の欧州旅行も何とか無事に終わろうとしています。

明日、13時35分発の飛行機で成田に戻ります。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2017-03-04 21:22 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その79 シュトゥットガルト(6)

シュティフト教会の尖塔は高さが68mで旧市街では一番高い建物だったと記憶しています。中世の昔からこの街を見つめ続けてきた歴史的な建物のようでした。

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教会の中は自由に見学できました。教会の内部はオーバーアマガウのロココ調の艶やかな内装とは大きく違っていて、質素な感じがしました。

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この教会の歴史は古く、10世紀に最初の建物が建てられていました。小さな建物に徐々に大きな建物を被せていく様子が記されていました。中世末期の15世紀に現在の骨格が形成されていました。キリスト教の普及・発展の歴史をそのまま体現しているような感じです。
欧州の歴史的建造物をこれまで観てきて、昔のものを大事に取っておいて使いまわすという思想を感じます。欧州の人たちには「建て増しの思想」、「継ぎ足しの思想」がイデオロギーとなって染みついているように感じます。

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教会を後にして再び街を歩きました。


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建築中の建物の柱の華奢加減に驚きました。地震のないとこれだけ柱を細くできるとは羨ましい限りです。

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15時30分、カフェで一休みすることにしました。この時間帯はお客は皆テラス席に座るので店内は空いているのでノンビリできます。


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ガラガラの店内席に座って500ccの黒ビール(4.2ユーロ:550円)を注文しました。ビールをやりながら当日の日記をFBにアップするのがお決まりのパターンになりました。


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トイレの取材は何処に行っても欠かせません。
小便器は脚なしタイプ・・・ドイツで日本みたいな脚付きの小便器をみることはついにありませんでした。


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それと、ドイツでシャワートイレを見掛けることもありませんでした。これまで欧州でシャワートイレを見たことがありません。欧州人はわりと頑な人たちだと感じます。


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面白かったのは「小は座って足しなさい」という案内板でした。自宅でもこの方法で用を足しています。ドイツ人も同じでした。


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勘定を支払う時、お店のスタッフに記念写真を撮ってもらいました。

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駅に向けて、来た道を引き返しました。


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何処に行ってもたくさんの人で賑わっていました。


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アラブ系の人たちがライブをしていました。

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例のパルテノン風のモールの前も人で溢れかえっていました。


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新宮殿前の芝生では相変わらず多くの人たちが日向ぼっこをしていました。


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中央駅が近づいてきました。

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落書きコーナーもありました。


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17時、シュトゥットガルト中央駅に戻ってきました。12時にこの駅に着いて街歩きを始めて7時間が経過していました。


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駅舎の右側の高い塔の天辺にはベンツのエンブレムが飾ってありました。名古屋はトヨタの企業城下町ですが、この街はベンツの企業城下町かもしれません。

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ドイツに実際に来てみて判ったことですが、ベンツはドイツ国内では大衆車であり、高級車だけを扱うメーカーではないことでした。


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中央駅の駅前道路は人の流れを遮断しているようであまり感心しませんでした。ライプチヒ駅前、ドレスデン本駅駅前も似たような感じがしました。この駅前道路を地下化するなど改善を加えるともっといい街になるでしょう。



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駅構内に戻ってきました。なんか天井の高いライプチヒの駅舎と似ていました。


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構内の寿司ショップで夕食用に巻きずしを買いました。

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巻きずしは4.99ユーロ(650円)、正直な感想を言うと味はイマイチでした。


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改装中の通路には世界の駅舎の写真が展示されていました。
ドイツ人から見た新宿駅は内装でも外装でもなく「人通りの多さ」でした。


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スペインのマドリッドのアトーチャ駅・・・2010年にこの駅からスペイン新幹線アヴェでバルセロナに向かいました。大きなドームにジャングルがあるユニークな駅舎でした。


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17時22分発ハンブルク行きのICE572号に乗車しました。


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ホームには民族衣装の若者たちがいました。


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今回のドイツ旅行の出発点となったフランクフルト空港駅にあと1時間20分で到着します。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2017-03-03 03:05 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その78 シュトゥットガルト(5)

ネッカー川の川歩きを終えて、14時過ぎ地下鉄で中央駅に戻ってシュトゥットガルトの街歩きを開始しました。
シュトゥットガルトの中心街は中央駅の南側に拡がっていました。両サイドの幹線道路に挟まれた地区の中央にある駅前通り(ケーニヒ通り)を南に向けて歩きました。
時間がないので三番町のN先生が研究生活を送られていたシュトゥットガルト工科大学は割愛しました。


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(出典 Google)


当日のFBにアップした記事・・・
5月7日(土)、シュツットガルトは快晴、温暖。
列車事故で1時間40分遅れでシュッツットガルトに12時15分到着。
駅のロッカーに40Lのバックパックとお土産を入れた袋を預けて13時に街歩きを開始した。
途中省略
Uバーンで中央駅に戻ってメーンの大通りを歩いてみた。この街は人口50万、通りの幅は約20m、上り線と下り線の中央に排水する仕組みだった。土曜なので人で溢れかえっていた。ミュンヘンと同じだった。
王宮前の大きな広場では芝生に大勢の人たちが休日を楽しんでいた。フリーマーケットも賑わっていた。
少し行くと大きな教会があった。15時30分、この近くのカフェで黒ビールをやりながらこの記事を書いている。
17時22分発のフランクフルト空港駅行きで出発点に戻る。
4月28日にフランクフルトに入って、ドイツ中南部の街まちを電車で移動しながら観てきた。
総括はこれからだが、ドイツという国は予想を遥かに超えた素晴らしい国だった事は確かだ。
この旅行のヒントを出して戴いた三番町のN先生に感謝、感謝だ。

土曜日のお昼時ということもあり、道幅20mくらいのケーニヒ通りは人、人、人・・・渋谷のスクランブル顔負けの賑わい振りでした。
賑わいの秘密は、車を排除したルールにあるようです。これまで歩いてきたフランクフルト、ケルン、ライプチヒ、ドレスデン、バンベルク、レーゲンスブルクと同じ構造、同じルールでした。ドイツにはこのような街づくりの指針などがあるのではないか・・・

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少し歩くと大きな広場に出会いました。

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シュロス広場の芝生には大勢の人たちが浜辺のオットセイかセイウチみたいに寝転んでいました。

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広場東側には格式のある古風な建物が建っていました。


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てっきりお城だと思っていたら、州政府庁舎でした。そういえば、ミュンヘンのゴシック式大聖堂風の建物は新市庁舎でした。シュトゥットガルトの街はミュンヘンと同様「意図して造られた都市」ではないかと思います。この街は元々ネッカー川の舟運など発展した商業工業都市で、市の拡大に伴って風格を後付けしたようにも感じます。


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大勢の市民が裸足になって芝生で休んでいました。南ドイツ人たちにとって貴重な日照なのでしょうか。


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広場の西側の建物も古典的な外見をしていました。

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こちらはショッピングセンターでした。それにしてもこの建物もその前の広場も実に広々としていて気持ちが良い。元々あったモールにパルテノン風の外装を施したようにも思えます。この手もありか、いい設計だと感じました。
とにかく建物、広場、街路が一体的に計画、設計されているなという印象を受けました。


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シュロス広場の南端に地下化された道路がありました。平面交差でも大きな問題はありませんが、敢えて車道を地下化して広場の連続性を確保していました。つまり、この駅前地区は歩行者を車に優先させるというコンセプトがあるのではないか・・・ケルンのライン川沿いの公園の車道の地下化と似たような感じです。


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シュロス広場に隣接したカールス広場ではフリーマーケットが行われていました。


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土曜の15時過ぎなのでオープンカフェは大賑わいでした。


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骨董品のお店に並んでいた品物には値札が付いていません。女主人にお値段を聞くと、如何にも高級そうなペンダントはたったの10ユーロ(1300円)でした。こちらの方をお土産にすれば良かったなと臍をかみました。

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お隣の建物にはライプチヒでも見た屋内市場「パサージュ」がありました。

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「パサージュ」はフランス語で通路の事なので、アーケード商店街ということだと思います。大きなトップライトが付いているので室内は明るい。このパサージュは古くなった建物を改造して再利用しているのではないかと感じました。レーゲンスブルクでも教会などを民間事業者がレストランとして再利用していました。日本でも「空き家」問題が深刻になってきましたが、このようなやり方もありかもしれません。


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食料品が沢山並んでしました。


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旧市街の街歩きを続けました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-02-07 06:48 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その77 シュトゥットガルト(4)

カンシュタットの堰の上流側のネッカー川は運河みたいでゆったりと流れていました。この川を貨物船が行き来しているようです。

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お天気も良く、気持ちの良い河畔の風景が拡がっていました。川は写真の上から下に流れています。

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右岸の河畔には遊歩道もありました。

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左岸の河畔にはスパが隣接していて、風呂上りのお客が裸で川を眺めていました。水辺のアクセスとしては申し分ありません。河畔道路をテラス替りに占有している訳で日本では考えられない光景です。


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閘門の上流側・・・橋には道路と鉄道が走っています。


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河畔公園のアート・・・芸術家?がスプレーアートの準備をしていました。土曜日のお昼に堂々と行っているところを見るとこの地区ではスプレーアートは公認されているように思います。


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作品群・・・

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彫像の落書きは如何なものか・・・

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U11のMercedesstraße(メルセデスシュトラッセ)橋上駅で中央駅行きの電車を待ちました。橋の上の駅も良く考える珍しい。東京では東急田園都市線の二子玉川駅、大阪では阪神電鉄の武庫川駅などを想い出しました。


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トラムの車内はボックス席でつり革がありません。

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トラムは途中まで地上を走ります。

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14時40分、中央駅で下車して市街地の街歩きを開始しました。メルセデスベンツはこの街に本社と工場があります。駅舎の塔の天辺にベンツのエンブレムが飾ってありました。シュトゥットガルトは豊田市のような企業城下町かもしれません。


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以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-01-25 04:52 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その76 シュトゥットガルト(3)

ネッカー川がどのような川か、少し調べてみました。この川は南ドイツの「黒い森」を源流にして、シュツットガルトを経由してマンハイムでライン川に合流している川です。
よく考えると日本の川でさえ上流から下流までどうなっているか、一気通貫に考えた事がありません。

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(出典 Google)
日本語版のWikipediaとドイツ語版のWikipediaを参照しました。

【ネッカー川】
流路長 367km
流域面積 14,000km2
源流標高 フィリンゲン=シュヴェニンゲン 706m
中間部標高 シュツットガルト       219m (河口から183km)
河口標高(ライン川合流部) マンハイム  95m
下流平均河床勾配 1/1500
上流平均河床勾配 1/400
年平均流量 145m3/秒
既往最大流量 2,690m3/秒

日本最大の流域面積を持つ利根川を同じ指標で比べてみると、産業舟運の盛んなネッカー川はシュツットガルトからマンハイムまでの区間の河床勾配は利根川より大きく、その勾配の水位差で水力発電も行っていました。舟運と発電の両方を行っているので27の堰と閘門がありました。ネッカー川流域には1年を通じて安定した流量もあるのもポイントだと思います。
ネッカー川の語源は「荒れた川」だったそうで、日本の荒川や鬼怒川と同じです。洪水については利根川の高水の約10%、雨降り方や河床勾配の関係でゆっくりと洪水が出てくる感じです。

【利根川】
流路長 322km
流域面積 17,000km2
源流標高 大水上山 1800m
中間部標高 伊勢崎市八斗島町 44m(河口から181km)
河口標高 銚子 0m
下流平均河床勾配 1/4100
上流平均河床勾配 1/80
年平均流量 290m3/秒(栗橋)
計画高水流量 22,000m3/秒

以下、日本版Wikipadia

河川の全長は367kmにおよび、主にバーデン=ヴュルテンベルク州内を流れ、下流域では、短い区間ではあるが、同州とヘッセン州との州境をなしている。
標高706mのフィリンゲン=シュヴェニンゲンの近くにあるシュヴェニンゲン・ムースに発し、標高95mのマンハイムでライン川に合流する。ネッカー川は、プロヒンゲンまで船での遡上が可能で、このためライン川、マイン川とともにバーデン=ヴュルテンベルク州内にある3つの連邦水路の一つとなっている。プロヒンゲン、シュトゥットガルト、ハイルブロン、マンハイムがその恩恵にあずかっている。
流域面積は、バーデン=ヴュルテンベルク州中央部の14,000km2に達する。工業用水、水運、水力発電と様々な用途に利用されており、河川環境に大きな影響を及ぼしている。平均流量は、145m3/sで、ドイツで10番目に大きな川である。

「ネッカー」の名は、ケルト語由来の「荒れた川」を意味する。元々「荒々しい」を意味する「nik」が語源となり、紀元前から「Nikros」と呼ばれていたが、「Nicarus」-「Neccarus」と変遷し、「Necker」となった後、現在の「Neckar」となった。

ネッカー川の舟運は1100年木材輸送から始まったそうです。800年間、「黒い森」の森林が燃料用のエネルギー源としてオランダまで筏流しで運搬されたとか・・・。江戸期の大都市江戸を支えたエネルギー源の木材は秩父から荒川(隅田川)経由で運ばれたのでしょう。何度かあった江戸の大火の後には更に需要が高まったと思われます。渓流を木材でダムにして一気に放流したとか・・・。

ネッカー川の利用が始まったのは1100年頃。以来、約800年間ネッカー川は、もっぱら木材輸送に用いられてきた。1476年、ネッカー川全流域の自由貿易に関する取り決めが合意され、シュヴァルツヴァルトの木材はこの川を通してオランダまで運ばれた。大航海時代に入り、より多くの木材が必要となったためである。プロヒンゲンではシュアヴァルトから伐り出された燃料用の木材が260mもの長さのいかだとなって川面を覆った。次第にいかだ流しは鉄道に完全に取って代わり、1899年、最後の筏がエスリンゲンを流れ下った。

本格的なネッカー川の舟運開発と電源開発は19世紀後半に始まったようです。ドイツが遅れた産業革命を成功させ、重工業が発展した時期と重なったようです。20世紀初頭、国や連邦が出資した「ネッカー株式会社」が閘門、水力発電所、運河を建設したとありました。

1713年まで大型船舶はハイルブロンまでしか航行できなかった。その後、シュトゥットガルト=カンシュタットまで改修がなされ、さらにエスリンゲン付近の改修がなされたことにより、プロヒンゲンまでの航行が可能となったのである。1873年のネッカー川航行規制によって規制が単純化されたことにより、他の物資の水上輸送が活発化し、その後15年間でネッカー川を航行する船舶数は3倍になった。当時の船は川をさかのぼる際には、牽引道から馬に引かれて遡上していたが、19世紀後半の鉄道と競合する上で、これは効率的な方法ではなかった。ネッカー川の水運が再び隆盛を見せるのは1878年のKettenschlepperei (「鎖による牽引の時代」)の始まりによってである。マンハイムとハイルブロンの間115kmを蒸気船が小舟を牽引してさかのぼることで、馬に引かせて5日から8日かかっていた行程を2、3日に短縮することができたのである。
しかし、洪水や流氷、渇水で航行が中止されるなど水運は不安定な状態は避けられず、1921年、閘門を建設し、大規模航路を開発する試みが始まった。ドイツ帝国、バーデン、ヘッセン、ヴュルテンブルクがこれに参加、さらに出資者を募って、ネッカー株式会社が創設された。初代の責任者にオットー・ヒルシュが就任し、ネッカー川の閘門建設、水力発電事業などを行うことになった。1935年、マンハイム-ハイルブロン間の11の閘門がまず完成し、ネッカー川のKettenschleppereiは終焉を告げ、200から300tの小舟は1,500tクラスの船舶に取って代わられた。
マンハイム-プロヒンゲン間の計画の上流部でも開発は進んだ。プロヒンゲンからフィル川をゲッピンゲンまで航行する大規模な計画もあった。ゲッピンゲンの港付近は1978年まで宇宙開発計画のあった場所である。ネッカー川の建築責任者であったオットー・コンツはシュヴェビッシュ・アルプにトンネルを掘り、ドナウ川のウルムまで航路を結ぶ計画も持っていた。
1935年以降進められた運河建設は難航し、1958年になってやっとシュトゥットガルト港が開港した。1968年のDeizisau閘門により運河化は完成した。川は27の閘門で仕切られ、マンハイムからプロヒンゲンまで航行可能となった。オットー・コンツは「ネッカー川の父」と呼ばれるようになった。

実際に歩いたシュトゥットガルトのカンシュタット水力発電所は1930年に発電を開始していました。


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1958年にシュトゥットガルト河川港が完成。

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【フィリンゲン=シュヴェニンゲン】
ネッカー川の源流のあるこの町は田園地帯の小さな町でした。ネッカー川の源流とドナウ川の源流は随分と近くにあり驚かされました。ネッカーの流域に落ちた水滴は1000km下流のロッテルダムにある北海に向かい、ちょっと離れた場所だと3000km下流の黒海に向かう事になります。

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ネッカー川の源流の小川・・・


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(出典 Google)
 
【チュービンゲン】
ネッカー川の源流とシュツットガルトの中間にある河畔の小さな町・・・旧市街はなんか中世の面影を留めている感じがします。
ネッカー川を直線化し運河状に改修していました。


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(出典 Google)


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(出典 Google)

【ハイルブロン】
人口12万のネッカー河畔の工業都市、ネッカー川のバイパスも兼ねた大きな運河港を開削していました。ネッカー川の産業舟運で発展した都市のようです。


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(出典 Google)

1648年、ウェストファリア条約でドイツ国内のカトリックとプロテスタントが融和し、同時に神聖ローマ帝国が事実上形骸化し、約300の領邦国家が出来たそうです。ハイルブロンはその独立領邦国家の一つになっていました。
1643年の鳥瞰図に当時の街の様子が描かれていました。ネッカー川の右岸側を完璧な城塞都市にしていました。左岸側は掘り取った土砂を盛って土塁にし、水を入れない空堀にした出先の要塞にし、両岸を連絡する橋を架けていました。ハイルブロン城の防衛力はかなり高いように感じます。
左岸の要塞には舟運用の荷揚げ用クレーンや筏流しの様子が描かれていました。この要塞の目的は何か?ハイルブロンの生活や経済を支える河川港の保護だったのかもしれません。
函館の五稜郭にも似た独特のお堀の形状は、当時の欧州のお城のプロトタイプのようにも思えます。


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(出典 Google)

ネッカー川とは別に専用運河港を開削して、水力発電用の堰と舟運用の閘門が建設されていました。

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(出典 Google)


Ⅲ ハイデルベルク

ハイデルベルクは、ライン川とネッカー川の合流点近くに位置する人口14万の歴史文化都市。ネッカー川及び旧市街を見下ろす高台にあるかつてのプファルツ選帝侯の宮廷であった城跡や、ドイツで最も古い大学ループレヒト=カールス大学で知られ、世界中の数多くの観光客や学者を惹きつけているそうです。


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(出典 Google)

この街の降水量は月平均60mmくらいで年間を通じて安定しています。多分、上流のネッカー川の流域は似たような感じかもしれません。ネッカー川の流況は安定しているので、水力発電、産業舟運に好都合なようです。

 1971年から2000年までのハイデルベルクの月別平均気温と降水量
         1月  2月 3月 4月  5月 6月  7月 8月  9月 10月 11月 12月
 気温(℃)   2.5  3.6 7.3  10.5 15.2 17.8 20.1 19.8 15.9 11.1 6.0 3.6 (平均 11.1)
 降水量 (mm)  48  44  53  49  77  79 81  56  64  64  68  63 745(平均 62)


【マンハイム】

ネッカー川はマンハイムでライン川と合流します。合流地点のライン本川の河道整理・直線化の痕跡に驚かされました。大昔のライン川はあちこち好き勝手に流路を変えて沢山の三日月湖を残していたようです。
川と共存するには人がそれなりに手を入れるのは日本もドイツも変わりありません。

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(出典 Google)

マンハイムは人口30万人を擁する大学都市で、シュトゥットガルトに次ぐ同州第2の都市です。かつてプファルツ選帝侯の宮廷所在地であったこの街は、現在ヨーロッパ有数の大都市圏であるライン=ネッカー広域連合の経済的・文化的中心都市となっているとありました。
ライン、ネッカーの洪水防御に加えて、沢山の河川港があることからも産業舟運も熱心な感じです。マンハイムは鉄道、空港、高速道路などの運輸インフラも豊富でした。その役割分担が気になるところです。


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(出典 Google)

マンハイム都心には円環道路(リング)の中に整然と区画された街区が拡がっていました。これまで見てきたドイツの旧市街の街路は不整形でしたが、この街は全く異質な形をしていました。何故、真四角の街区なのか?と思いました。


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(出典 Google)

答えは1645年の古地図にありました。30年宗教戦争の末期の街の様子には驚かされました。
現在の街区を囲うリングは17世紀の城塞都市のお堀と重なります。函館の五稜郭の上を行くマンハイムの七稜郭は2段重ねで、現在の真四角の街区はそのまま残されていました。


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(出典 Google)

ネッカー川の源流、中流、下流をざっと見てきました。ドイツの、川との濃いお付き合いを感じました。
再び、シュツットガルトの街歩きに戻ります。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2017-01-23 22:14 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その75 シュトゥットガルト(2)

普通なら市街地の街歩きから始めますが、電車が遅れた分残された時間が少なくなりました。13時に街歩きを始めましたが、17時には中央駅に戻る必要があったので4時間しかありません。
ネッカー河畔の道路地下化を見るのはドイツ旅行計画時点から立てていました。偶然にもケルンでその事例を見る事が出来ました。ケルンのライン河畔では6車線分の道路を地下化し、直上の公園は賑わいが出来ていました。
そんな事でネッカー川河畔のウィルヘルマを最初に見て時間があったら市街地を歩こうとという作戦にしました。


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(出典 Google)

ライン河畔のデュッセルドルフで河畔道路を地下化して直上を公園化した事例がこのネッカー川でも行われているのではと思って現地に行ったら空振りでした。
当日にアップしたFBの記事・・・

5月7日(土)、シュツットガルトは快晴、温暖。
列車事故で1時間40分遅れでシュッツットガルトに12時15分到着。
駅のロッカーに40Lのバックパックとお土産を入れた袋を預けて13時に街歩きを開始した。
最初に、地下鉄Uバーンでネッカー川河畔のWilhelma駅で下車して川歩きをした。河畔の道路を地下に入れて公園に変えた場所だと思っていたが、道路はまだしっかり地表に残っていた。事前の情報取りが甘かった訳だが、これはいつもの事だ。近くでNATMを施工していたのでいずれは地下化されるだろう。
大きな取水堰と閘門、水力発電所があった。観光舟運も盛んな様子だ。ただ、河畔の散策路は今ひとつの感じがした。
以下、省略

道路地下化はスカでしたが、ネッカー川の利用についてはいろいろと得るところがありました。正直な感想を言うと、この街もネッカー川をいい意味で「使い倒しているな」と感じました。水力発電、産業舟運、観光舟運それぞれにこの川を利用していました。ウルムやミュンヘンで見たドナウ川、イーザル川と似ているなと感じました。


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(出典 Google)

ネッカー川河畔のU14のウィルヘルマ(Wilhelma)駅で下車して川歩きをしました。


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ネッカー川の河畔には仮道路が設置されているところを見ると、河畔道路の地下化はこれからのようにも思えます。

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現場事務所の工事案内板には公園直下通るトンネル工事の案内図が掲示されていました。

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NATMトンネルの坑口が見えていました。公園とトンネルの離隔が小さく、二つのトンネルの離隔も小さいのでので難度の高いトンネル工事だと思います。

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ネッカー河畔の観光船は小型でした。
上流側・・・

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下流側・・・

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歩道橋を渡って右岸に行きました。歩道橋から下流側・・・河岸は自然河岸のようでした。

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ネッカー川はドルトムントで分岐したライン川の支川、全長360km、信濃川よりも長い河川でした。ここから上流5kmの地点には河川港がある事からも産業舟運は盛んなように思います。ウィルヘルマの堰で上下流の水位差が6mなので、河床勾配は800分の1程度だという計算になります。


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(出典 Google)

その一方で河川を横断する堰が設置されていました。水位差を必要する水力発電と水位差は通行の支障でしかない舟運とを両立させるにはどうしても閘門が必要です。
閘門は2基ありました。道路脇から見た感じで言うと、閘門の水位差は約6m、大きさは、幅10m、長さ150m程度でした。
写真は下流から見た閘門ですが、自称川屋にはゲートの形式が気になるところです。


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堰であれ、閘門であれ水門のゲートには、ゲートが上下にスライドするスライド式、観音開きのマイタ―式、起伏する起伏式、風船みたいに膨らむラバー式、ゲートが回転するラジアル式、ゲートが回転してスライドするローリング式などがあります。
日本の堰、ダム、水門、閘門にはスライド式、マイター式が多いように思います。いい機会なのでこれまで歩いて見てきたゲートをまとめてみました。

多摩川の二ヶ領宿河原堰・・・手前はスライド式、向こうは起伏式。スライド式ゲートを降ろし、起伏ゲート立てて、上流側を湛水し二ヶ領用水に導水します。洪水の時は2種類のゲートを降ろして洪水をスムーズに流します。

 
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隅田川の最上流部の赤羽にある岩淵新水門(青門)は、巨大なスライド式ゲートを引き上げた状態。荒川と隅田川は同一水位。洪水の時はこのゲートを降ろして荒川の洪水が隅田川に流れ込まないようにしている訳で、この水門には東京の守り神みたいな大事な役割があります。


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役割を終えた同じ赤羽の岩淵旧水門(赤門)はスライド式ゲートを引き上げて、上流の荒川と隅田川の水位差がありません。青山士が設計・監理した有名な水門です。


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旧淀川の入口の毛馬第一閘門はマイター式。

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大阪城の脇にある東横堀川のラジアル式ゲート。

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イギリスのバースのラジアル式ゲート。

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東横堀川にはマイタ―式ゲートもありました。

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旧北上川の北上運河の入り口にある石井閘門はマイター式。

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琵琶湖疏水の流入口の大津閘門もマイター式。

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現地ではいつも時間不足でワサワサと歩くだけで、不明な点がある時は後で判るよう写真を沢山撮ります。手前の閉じたゲートは鋼材に鋼板を貼ったゲートで真ん中に切れ目がないので、観音開きのマイター式には見えません。マイター式ゲートの開閉に必要な油圧シリンダーの類も見当たりません。スライド式ゲートだとゲートの高さ分、高い堰柱が必要ですが、堰柱は有りません。
2基の閘門の内、流芯に近い閘門は下流側のゲートが空いていますが、そのゲートが見当たりません。
とすると、ゲートを収容するスペースを
 ① 水路底より低い所に設置する。
 ② 閘門の脇に収容する横引き型にする。
なんとも言えませんが、水位差が約6mくらいなので①の可能性が高いような気もします。
一方、マイン・ドナウ運河には水位差が25mもあるヒルポルトシュタイン閘門がありましたが、①だと大事なので②ではないかと思います。


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写真左側の閘室の水位は下流面の水位と同じ、写真右側の閘室の水位は上流側の水位と同じです。このことからこの堰の上下流の水位差は約6mという計算になります。


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今度は堰のゲート形式が気になりました。スライド式、マイター式という感じはしません。


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堰柱の切り込み(戸当たり)にラック状のギアみたいなものが付いていました。戸当たりが斜めになっている行徳可動堰の改築前のローリングゲートを想い出しました。
このゲートは日本では適用事例の少ないローリングゲートではないかと思います。


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ローリングゲートは円筒状ゲートがゴロゴロ回転しながら上下するユニークなゲートです。
http://www.suiryoku.com/g_v/g_rollin/rolling0.html

この可動堰の目的は水力発電でした。ミュンヘンのイーザル川、ウルムのドナウ川と同様ネッカー川も電源開発が盛んな川だと思います。
可動堰の脇に発電用水の取り入れ口と発電機が入った茶色の建物がありました。


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バックホーのアームが写っています。取り入れ口のスクリーンに付着したゴミを除去するためでしょう。

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発電所の建屋・・・

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水力発電所の説明看板によると、この発電所は1930年から発電を開始しており、86年の歴史を持った発電所でした。年間CO2削減量が11,000tと記載してあるのが、環境立国ドイツらしいなと思います。

 発電出力 2.4MW(2400KW)
 年間発電量 11GWh
 CO2無発生電力 6800人分
 年間CO2削減量 11,000t
 最大流量 55m3/秒
 有効落差 5.26m
 運転開始 1930年

P(発電出力kW) = 9.8 × Q(m3/s) × He(m) × η
η:効率 0.6~0.85
ηを0.85として試算すると、説明の発電出力になりました。

2400≒9.8×55×5.26×0.85


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2016年11月、大船渡市の五葉山の太陽光発電所に行きました。73000枚のパネルで18MWが発電でき、5,800世帯分(17400人分)の電力を供給するそうです。

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日本でも農業用水路など利用した小水力発電が注目を浴びているようです。福島第一原発の問題も依然としてスッキリはしてないようです。
再生可能エネルギーの開発は益々大事になるように感じます。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-01-14 19:09 | ドイツ | Comments(0)