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2017年5月5日(金)ドイツⅡ その49 クラクフ(1)

ワルシャワ中央駅11時45分発EIP8300号に乗車しました。クラクフには14時07分に到着、2時間半の電車旅でした。


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ワルシャワ中央駅は地下にホームがあります。市街地の約2kmの区間は地下化されていました。

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地下ホームは全部で4本、大都市のわりには少ない感じです。4番線からクラクフ行きの特急が発車しました。

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特急電車は定刻に発車しました。ドイツのDBの赤い電車とは違った趣きがありました。


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座席はゆったりしていて、快適な車内でした。ワゴンサービスも付いていました。お隣のアメリカ人?のカップルがパソコンで動画を観ていました。音が大きくはた迷惑でした。


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5号車36番の窓際席が自分の座席。OKNOはポーランド語で座席の意味でしょう。英語表記も・・・。


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座席の間にコンセントが付いていました。230V、50HZ、ドイツと同じC型プラグで使用できます。

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クラクフはワルシャワの約300km南にある古都でした。この地図を見ると、ポーランドはいろいろな国と地続きの国だと判ります。西からドイツ、チェコ、スロバキア、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニア。陸続きの欧州の国々は中世の昔から隣国からの侵入に警戒が必要なのが理解できます。

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(出展 Google)

ワルシャワの郊外の公園・・・

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戸建て住宅・・・何となくドイツとは違った印象があるものの何処がどう違うのか上手く言えません。

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郊外のショッピングモール・・・

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落書きと集合住宅・・・

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電車は街を抜けて田舎に入りました。麦畑だと思います。

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もしかして、手付かずの自然河川かもしれません。日本では北海道の一部の河川で残っているのかもしれません。

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牧草地も何となくドイツと違った気分がありました。

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集落・・・

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麦畑・・・

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牧草地・・・

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この小川も手付かず?

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ドイツとの明らかな違いはポーランドには菜の花畑が見当たらなかったことでした。


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集落と牧草地・・・ポーランドは「平原」という意味、どこまでもなだらかな地形が続いているのかもしれません。
ポーランドの国土は、鉄道や道路インフラを造るには大助かりのように感じます。基本的に切土や盛土だけの「明かり土工」で処理できるのでリーズナブルな投資で済むでしょう。山や川の多い日本ではどうしてもトンネルや橋が必要、その分お金が掛る訳で羨ましい限りです。

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ゆったりした住居周りの敷地、広々した牧草地・・・田舎の住環境も良さそうです。ドイツとの違いはうまく説明できません。

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電車は定刻14時07分にクラクフに到着しました。ドイツの短い顔と違って、この電車は長い顔をしていました。


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ICはINTERCITY 、都市間長距離列車という意味だと思います。クラクフはワルシャワの約300km南にあります。東京~名古屋間の東海道新幹線が約370km、のぞみで1時間40分、平均時速は220km。ワルシャワ、クラクフ間の路線距離は、「トーマスクックのヨーロッパ鉄道時刻表」で約300km、平均時速は約120km/時。かなりの移動速度があると思いました。


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このホームは天井が塞がれてはいましたが、地下ではなく地上に設置されたホームでした。


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地図を見ると、ホーム直上は広大な駐車場にしてありました。日本で線路直上に駐車場を持った駅舎を知りません。日本では駅舎に対する法的な縛りがあるのかも知れませんが、「この手もありか」という感じで発想の転換にはなりそうです。


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(出展 Google)

駅構内のスーパーで定番の物価調査をしてみました。
パンは随分とリーズナブル。小さい丸いパンは1個0.59ズオティー(18円)。

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豚肉もリーズナブルで1kg13.99ズオティー(430円)。日本の3分の1位です。

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その代り、牛肉は随分と高く100g、8.99ズオティー(280円)。ドイツやポーランドは豚肉大国、牛肉小国だと思います。


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持参した2つのルーターが使えず、スマホのGoogleのマップも使えません。海外の初めての地で自分の位置とターゲットを特定できないのは結構致命的です。
駅構内のインフォメーションで地図をもらいました。予約したホテルまで概ね徒歩で3kmくらい、40Lのバックパックと30Lのデイパックを携行して歩くのはとても難儀な話です。

当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月5日(金)ワルシャワは曇り後晴れ、適温。
(省略)
11時45分発の特急電車は定刻14時07分にクラクフに到着した。困ったことに持参したルーターが2つとも電波を拾えない事態が生じた。海外旅行で自分の位置やホテルの場所を特定できないのは致命的だ。仕方ないのでホテルまでタクシーを利用した。
ホテルのWihiでこの記事を書いている。明日のグダンスクでもルーターが使えないと相当な難儀を覚悟しなくてはならない。

やむなく、タクシーを使ってホテルに行くことにしました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2017-11-18 07:40 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月5日(金)ドイツⅡ その48 ワルシャワ(7)

クラクフ郊外通りと聖十字架通りの交差点まで来ました。


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交差点から南に延びる新世界通りには綺麗にスカイラインを揃えた3階建ての建物が連なっていました。ポーランド人も建物をパステルカラーで塗り分けるのが大好きな国民のようでした。

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お寿司屋さんもありました。

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聖十字架通りを西に向かいました。地下鉄の出入り口は総ガラス張りの斬新なデザインにしてありました。断面形状がメトロの「M」をイメージしているようです。

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折角の機会なので地下の駅舎に降りてみました。地下鉄の改札はピカピカの自動改札でした。


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聖十字架通りもスカイラインを揃えた建物が見事に並んでいました。

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ポーランド国旗を掲揚した建物は貨幣博物館でした。

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ワルシャワ中央駅に行ってクラクフ行きの電車の切符を買い求めなければなりません。


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(出展 Google)
ワルシャワのシンボル文化科学宮殿とピカピカの摩天楼群が見えてきました。


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地下鉄の出入り口はデザインは同じにして駅ごとにガラスの色を変えていました。

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ワルシャワの中心部は、凹凸の激しいスカイラインの摩天楼群でした。これまでのスカイラインを整えた伝統的な街並みとは真逆の街並みが出来ていました。


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文化科学宮殿の脇を通ってワルシャワ中央駅に向かいました。

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文化科学宮殿は風格に溢れた建物でロシア色が濃厚でした。調べると、この建物はいわくつきの建物でもありました。ワルシャワには、社会主義時代を象徴するこの建物を嫌う気分が今でも残っているようです。

以下、Wikipedia

文化科学宮殿は、高さ237メートル、42階立て、尖塔の高さは49メートルあり、総室数は3288室。地震の少ない地域のため柔構造を取る必要がなく当時の技術で作ることが出来た。(省略)
文化科学宮殿の建設は1952年に開始され、1955年に完成した。スターリンによって、ソビエト連邦からのポーランド人民への贈り物としてワルシャワ市内に建設された。文化科学宮殿はソビエト当局によって設計され、ほぼ全工程に渡ってソビエト連邦から派遣された3500人の労働者によって建設された。(省略)
ワルシャワ市街のランドマークとして、文化科学宮殿は当初から論争の的となった。ワルシャワ市民を始めとするポーランド国民は、文化科学宮殿をソビエト支配の象徴であると考え、この建築を嫌悪した。社会主義体制崩壊の現在に至るも、このような否定的な見方は存在しており、ポーランド人の中には、政治的見解に関係なく、文化科学宮殿がワルシャワの伝統的な景観を損ねているとして批判する人々が存在する。ワルシャワ子たちは、「どこに行くんだい」「文化科学宮殿だよ。あそこに行けば宮殿を見なくて済むからね」というジョークを作ってこの摩天楼を揶揄して溜飲を下げた。


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この建物を今でも保存する理由は何か?
政治的な背景は別にして、建物自体は古典的な風格や美しさを持っており、建物自体の芸術性が高いこと、東京タワーやスカイツリー的な、ワルシャワのランドマークとして観光的な価値が高いことなどがあるためではないかと思います。
この建物に東日本大震災の震災遺構のような役割を持たせたとも考えられます。ベルリンにはポツダム駅前にベルリンの壁が展示されていました。辛い社会主義時代を忘れないための特異な歴史遺産という位置づけもあるのではないか。
一番シンプルな考え方は、この建物の除却費用が莫大だったからではないか。高さが200mを超える建物を安全かつ周囲に迷惑を掛けずに解体するのは簡単ではありません。東京赤坂の赤プリ新館の解体工事は特殊な作業室を用いたユニークな解体方法で話題にもなりました。費用もそれなりで掛ったことだと思います。


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ワルシャワ中央駅が近づいてきました。お隣の高層ビルはマリオットホテル。

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ワルシャワの新名所?摩天楼地区に来ました。「景観特区」ともいえる光景でした。2016年のドイツ旅行で行ったフランクフルトの新市街を超える、結構、衝撃的な光景でした。
http://camino0810.exblog.jp/26033466/

日本では都市計画法で用途地域を決め建物の種類を縛り、容積率や建蔽率で建物高さや配置を縛っています。ポーランドでも似たような仕組みがあるのかもしれません。昨日、初めてワルシャワ中央駅を降りて、超高層マンションを見て『よくぞここまで突き抜けた。あっぱれ』と感じました。
ワルシャワ市民は文化科学宮殿の保存と引き換えに敢えてこのような都市計画を選択したのではないか。超高層ビル群で、高さ200mを超える文化科学宮殿の価値を相対的に抑え込む目論見のようなものを感じました。
ポーランドの受難の歴史は、ソ連やそれ以前のロシアの支配からの独立蜂起とその失敗の繰り返しでした。2004年にEUに加盟して、念願の自由で独立した国を取り戻すことができました。そのことを具体の形にしたのが、このピカピカの摩天楼群ではないかと感じました。


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同じような光景はロンドンの中心地区でも見た覚えがあります。ロンドンは気持ち手狭な感じです。ワルシャワは土地が広いため建物間の離隔を大きく取れるので、オープンスペース感が感じられました。


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(出展 Google)

ワルシャワ中央駅の窓口でクラクフ行きの切符を購入しました。英語で必要事項を書いたメモを窓口のオバサンに渡しました。年配の方に英語は通じませんでした。切符の発着の記載”OD、VON、DE:DO、NACH、À”はポーランド語、ドイツ語、フランス語の順、英語表記はありません。


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10時40分、荷物を取るために駅前から宿泊したホテルに戻りました。


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ワルシャワの水準測量風景・・・写真奥にスタッフを持った補助の人が写っています。

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工事現場の風景・・・ポーランド人は固定式水平ジブクレーン派でした。


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11時、ホテルに到着。40Lのバックパックに荷物を詰め込んで、再び、駅に向かいました。滞在型ホテルにはキッチンや洗濯機もついていました。


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当日にフェイスブックにアップした記事・・・


5月5日(金)ワルシャワは曇り後晴れ、適温。
朝7時に起きて街歩きを開始した。
ターゲットは川と旧市街、最初に市街地の東にあるヴィスワ川河畔まで歩いた。川幅が500m位はある大河川だったが、観光舟運や産業舟運での利用はほとんど感じられなかった。
河畔を歩いて北側の旧市街を目指した。大通りを越えると宮殿風の建物が見えてきた。高台に旧市街の観光スポットが展開していた。観光バスが次々とやってくる。ワルシャワ観光のホットスポットと言っていいくらい建物も街路も綺麗にしていた。格式のある建物がスカイラインを揃えていた。クラクフ郊外通りという名前が付いている。ワルシャワ大学もあった。
大通りに戻って中央駅を目指した。建物のスカイラインは綺麗に揃っていた。欧州の街並みとは普通こんな感じだろう。
文化科学宮殿という高い建物はワルシャワの街のランドマークになっていた。どこからでも見えるので一見さんにはありがたい建物だ。ロシアの伝統的な建物と良く似ていた。
中央駅付近には奇抜な超高層ビル群が並んでいた。欧州の街には珍しい光景だと言えそうだ。同じような光景をウィーンでも見たことがある。2014年、市内のドナウ運河沿いを歩いている時に見かけた。周囲の伝統的な建物の中に突然違和感のある奇妙な建物が並んでいた。多分、ワルシャワもウィーンも『景観特区』のようなルールを造ったのではないかと思った。奇抜な建物も百年経てば伝統様式に変わるかもしれない。
ワルシャワ中央駅の窓口でクラクフ行きの切符を購入した。英語で必要事項を書いたメモを係りのオバサンに渡したら、彼女は3人分と勘違いして450ズウォンティ(14000円)を請求してきた。事前に相場を知っていたのでクレームを入れるとオバサンは1人の切符を再発行してくれた。
(省略)

5時間余りのワルシャワの街歩きを終えて、11時45分発のクラクフ行きの特急電車に乗車しました。
以下、次号・・

by camino0810 | 2017-11-11 13:37 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月5日(金)ドイツⅡ その47 ワルシャワ(6)

9時20分、ワルシャワの旧市街に着きました。1980年、世界文化遺産に登録されたワルシャワの観光の中心地区でした。

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王宮の表側はクリーム色でしたが、広場に面した王宮の裏側は赤い壁と赤い屋根で出来ていました。

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王宮前広場の建物は4階建てのパステルカラーの建物でした。

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ワルシャワはポーランドの首都で人口170万の大都市。元々はヴィスワ川沿いの小さな漁村だったそうで、14世紀以降商業と工業の発展が盛んになり、1596年ジグムント3世がクラクフから首都遷都したとか。
ほぼ同時期、日本が1603年に徳川家康が実質的に京都から江戸へ首都を移転したのとなんか似ています。クラクフは第2次大戦で焼失を免れた歴史のある古都であり、京都と全く同じ。つまり、東京とワルシャワは似た関係にあると言えそうです。 
王宮より北側の「旧市街」は遷都以前の街、王宮より南側の「新市街」は遷都以降に出来上がった街だそうです。周辺には大きな庭園やたらと多い地域でした。ポーランドは土地がタップリとある証拠かもしれません。

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(出展 Google)

ワルシャワの語源・・・Wikipediaから


ワルシャワの起源に関する伝説[編集]
ワルシャワの起源に関する伝説[3]。 昔々、ヴィスワ川のほとりに小さな家があった。そこにはワルスとサワが住んでいた。ワルスは漁師であって、サワはワルスの妻である。あるとき、この近隣の地域を支配していたジェモメスゥ公(シェモメスゥ公とも)が狩に出かけた。獲物を追っているうちに、家来たちから離れ、森の中で迷ってしまった。夕暮れちかくになっても帰り道が見つからず、そのうちにヴィスワ川のほとりに行き着き、ワルスとサワの住む家を見つけた。夜に森を一人で歩くのは危険であるので、公はワルスとサワの家のドアをたたき、泊めてもらえるように頼んだ。ワルスとサワは見知らぬ客人を暖かく迎え、食事とベッドを用意した。このもてなしに公は大変感謝した。翌朝、公は、貧しい漁師夫婦に礼を言い、つづけて「見知らぬ人物を嫌がりもせず家に招きいれ、空腹、寒さ、野獣から救ってくれた。あなた方の親切がいつまでも忘れられることのないように、この地は今後いつまでもワルスの(ワルショヴァ Warszowa)土地である」

知識不足でこの王宮前広場が旧市街の核心部と勘違いし、そのまま新市街に向かいました。実は、王宮前広場の北側に正真正銘の旧市街広場がありました。4階建てのパステルカラーの建物群が綺麗に軒を揃えています。


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(出展 Google)


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(出展 Wikipedia)

ワルシャワ城はリング状の城壁に囲まれた長径0.6km、短径0.2kmの随分と小振りなお城でした。リューベックの城壁が縦2km、横1kmなので随分と小さいお城といえるでしょう。旧市街の構造は、大聖堂の隣に広場があり、ドイツと同じパターンでした。
小振りなお城の理由は、クラクフからの遷都後は、政権が安定化し、外敵から身を守る城壁自体の必要性が低下したのではないかと思います。城壁は街の発展から見れば支障物でしかありません。北側はそのままにして、経済発展、人口増加とともに南側の新市街地が発展したのではないか。


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(出展 Google)

城壁は空堀と2重の城壁で構成されていました。

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(出展 Google)

ワルシャワ城を観て、1999年に行った南フランスのカルカソンヌ城を想い出しました。このお城は、中世の気分を色濃く残した有名なお城で世界遺産にも登録されています。ワルシャワ城壁と同じ空堀、二重城壁でした。カルカソンヌ城はガロンヌ河畔の小高い丘に建っていました。川からお堀に導水するのは大変なので空堀にするしかありません。このパターンが中世の城の防衛の考え方かもしれません。

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(出展 Google)

ワルシャワは遷都後、ヴィスワ川の河畔から徐々に内陸に向けて発展していったようです。1656年の絵画にはヴィスワ川には沢山の帆船が航行していました。左岸の高台には王宮以外にも高楼を持つ重厚な建物が並んでいました。この絵が描かれた時期は、日本では大火事のあった江戸時代の明暦期にあたりますが、ワルシャワの街は既に風格に溢れた立派な街に仕上がっていました。

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(出展 Wikipedia)

1770年の絵画には王宮の隣に大聖堂らしき巨大な三角屋根の建物も出来上がっていました。ヴィスワ川の舟運の盛んな様子も窺えます。

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(出展 Wikipedia)

「地球の歩き方」は海外旅行での自分のバイブルであり、マストアイテムの一つです。
同書からポーランドの歴史年表から抜粋すると、どうもこの絵が描かれた1770年あたりがポーランドの絶頂期であり、これ以降ポーランドの受難の歴史が始まっていました。同時期の江戸期、日本は海に守られたある意味極めて平和な国であり、他国の侵入を許した経験がありません。日本は、地続きの国々の興亡の悲哀を経験しなかった幸福な国かもしれません。

1772年:18世紀に入り大北方戦争勃発、1733年には国内で王位継承戦争が起こるなど、戦争によって国は衰退の一途たどる。そして、ロシア、プロシア、オーストリアによる第1次ポーランド分割が行われる。
1795年:1793年には第2次ポーランド分割、そして1795年の第3次ポーランド分割によりポーランド王国は消滅する。

以降、ポーランドは独立蜂起を繰り返しますが、そのたび、大国ロシア、ソ連に押し潰された辛い受難の時代が続いたようです。
1989年、ベルリンの壁の崩壊に呼応して「連帯」のワレサ大統領による自由主義体制が成立、2004年EUに加盟して現在に至りました。ワレサ大統領を顕彰してグダンスクの空港は「グダンスク・レフ・ワレサ空港」と名前が付けられていました。

新市街を南に向けて歩きました。広大な通路というよりも広場は優に50m以上もあり、歩いていて実に快適でした。日本の皇居前の広場と同様、一定の大きさのスケール感があると人は有り難味を感じるものだと思います。この通りも完全に車を排除してありました。これまで歩いてきた欧州の街に共通したやり方でした。


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写真左の大きな建物はカトリック教会でした。パルテノン風のファサードを持つ珍しい教会です。

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来た道を振り返りました。首都ワルシャワを造ったジグムント3世のオベリスクと緑屋根の大聖堂が見えました。


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スカイラインを揃えた建物が見事に並んでいました。

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南に歩いて行くと、建物の壁の色が赤系から白系に変化して行きました。


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鮮やかな花が供えてありました。

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もう一つのカトリック教会、このファサードも教会とは思えないほど豪華です。


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街灯、高欄は実に凝っていて繊細にして豪華・・・。


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大統領官邸・・・。

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大統領官邸まで来ると車道が通っていましたが、車道と歩道の段差を無くし、境をぼやかして、歩車道の連続性を高めていました。


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中国のお金持ちの一団と出会いました。

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ホテルブリストルは豪奢なホテルでした。


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3つ目のカトリック教会、このファサードなら教会でしょう・・・。

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ワルシャワ大学は一等地にありました。


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ベルリンのウンターデンリンデンにあるフンボルト大学と同様、歴史のある名門大学のようでした。


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ポーランド語は全く不明ですが、日本文化や日本文学への憧れがあるのかもしれません。


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聖十字架教会にはショパンの心臓が埋葬されているそうです。欧州には、人の最も大事な部位は頭ではなく、心臓という考え方が根強く残っていると聞いたことがあります。ウィーンの大聖堂には歴代国王の心臓が保存されているそうです。この教会は上空から見ると確かに十字架の形をしてはいましたが、ファサードは西向きではなく東を向いていました。旧市街の聖ヨハネ大聖堂の形も大聖堂の基本ルールとは無関係ようでした。


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コペルニクスの像のある広場まで来ました。恥ずかしながらコペルニクスがそもそもポーランド人とは知りませんでした。語感からイタリア人だとずっと思っていました。彼は、天文学者、知事、長官、法学者、占星術師、医者、司祭を務めた実に多才な天才だったようです。

以下、Wikipedia
ニコラウス・コペルニクス(ラテン語名: Nicolaus Copernicus、ポーランド語名: ミコワイ・コペルニク Pl-Mikołaj Kopernik.ogg Mikołaj Kopernik[ヘルプ/ファイル]、1473年2月19日 - 1543年5月24日)は、ポーランド出身の天文学者、カトリック司祭である。当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた。これは天文学史上最も重要な発見とされる。(ただし、太陽中心説をはじめて唱えたのは紀元前三世紀のサモスのアリスタルコスである)。また経済学においても、貨幣の額面価値と実質価値の間に乖離が生じた場合、実質価値の低い貨幣のほうが流通し、価値の高い方の貨幣は退蔵され流通しなくなる (「悪貨は良貨を駆逐する」) ことに最初に気づいた人物の一人としても知られる。
コペルニクスはまた、教会では司教座聖堂参事会員(カノン)であり、知事、長官、法学者、占星術師であり、医者でもあった。暫定的に領主司祭を務めたこともある。


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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月5日(金)ワルシャワは曇り後晴れ、適温。
朝7時に起きて街歩きを開始した。
ターゲットは川と旧市街、最初に市街地の東にあるヴィスワ川河畔まで歩いた。川幅が500m位はある大河川だったが、観光舟運や産業舟運での利用はほとんど感じられなかった。
河畔を歩いて北側の旧市街を目指した。大通りを越えると宮殿風の建物が見えてきた。高台に旧市街の観光スポットが展開していた。観光バスが次々とやってくる。ワルシャワ観光のホットスポットと言っていいくらい建物も街路も綺麗にしていた。格式のある建物がスカイラインを揃えていた。クラクフ郊外通りという名前が付いている。ワルシャワ大学もあった。
(以下省略)

クラクフ郊外通りから聖十字架通りに入って、ワルシャワ中央駅を目指しました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-11-07 23:20 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月5日(金)ドイツⅡ その46 ワルシャワ(5)

8時30分、ヴィスワ川の左岸河畔沿いに下流の旧市街を目指して歩きました。

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(出展 Google)

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鉄道橋をやり過ごして河畔公園までやってきました。対岸には斬新なデザインの競技場が見えていました。ヴィスワ川は基本的に掘り込み河川ですが、一応、水の流れる低水路と高水敷からなる複式構造でした。川は写真上から下に流れています。
生憎、曇り空だったので水辺の眺めは今ひとつでした。ヴィスワ川の河畔利用は何となく低調な感じでした。

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折角の機会なので自撮りしました。

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観光船の屋根に「FLOATING BAR」と記載されていました。日本流に言うと、「屋形船」ということでしょうか。一応、観光舟運はあるようですが、ドイツの熱心さには程遠い感じです。


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河畔公園の整備はこれからといった感じでした。盾と刀を持った女性人魚像が建っていました。鉄道橋や斜張橋の桁下空間は10mはありそうです。産業舟運、観光舟運を視野に入れているのかもしれません。かなりの大きさの船舶が通り抜ける空間は用意されていました。現時点のヴィスワ河畔はいまいちですが、ポテンシャルの高い川だと感じました。


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実は、この記事を書いていて気付いたことがあります。河畔道路の一部を地下化して、道路で分断された河畔公園の一体化が計画されていました。ワルシャワ中央駅の線路地下化と共通したものを感じます。


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(出展 Google)

トンネル部分の長さは約500m、片側3車線のトンネルが2本分、全幅で約25mの公園用地が復活した計算になります。2016年のドイツ旅行でケルンのライン河畔でも似たような地下トンネルを観ました。


欧州の人たちは道路は高架化するより地下化するのが流儀なのかもしれません。もしかしたら、青空や太陽光を大事にしたいから?


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(出展 Google)

下流側の地下トンネルの入口が覗いていました。


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コペルニクス科学センターが近づいてきました。

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コペルニクス科学センターは河畔公園の中核的な施設でした。ここは河畔テラスが立派に仕上がっていました。


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Wikipediaで調べると、この建物はポーランドの最大の科学館でした。

コペルニクス科学センター (Copernicus Science Centre, ポーランド語: Centrum Nauki Kopernik) は、ポーランド、ワルシャワのヴィスワ川の辺にある科学館[1]。来館者が自分で実験を行ったり、科学の法則を発見したりできる450を超える体験型展示によって構成されている。科学センターは、ポーランド最大の科学展示施設であり、ヨーロッパにおいても最新のものの1つである。2012年9月25日、センターは200万人目の来館者を迎えた。

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深海探査艇だと思います。

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河畔の散策路をさらに歩いて王宮を目指しました。現在風にリノベーションした教会?の脇を歩きました。



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屋根を総ガラス張りにした教会?でした。「古い革袋の新しい酒を入れる」といった感じです。

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河畔道路の横で生コン車がコンクリートを打っていました。河畔公園の整備が進んでいるようです。


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公園内の散策路を歩いて行きました。


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旧市街が近づいてきました。スカイラインを揃えたパステルカラーの建物が現れました。自分が持っていたワルシャワのイメージとはこんな街並みでした。


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昨日は、トヨタとマツダが隣り合わせ、今日は、ホンダとニッサンが仲良く並んでしました。

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9時10分、王宮が見えてきました。玄関はどっちを向いているか?

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王宮の玄関は市街地側ではなく、ヴィスワ川を向いていました。ワルシャワは、ヴィスワ川の舟運で発展した街かもしれません。


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(出展 Google)


折角の機会なので自撮り・・・

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王宮を右手に見ながら旧市街へ・・・


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見上げると、旧市街のカトリック教会・・・


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旧市街は高台にありました。普通の観光客は、高台の大通りを歩いて旧市街に入るでしょう。自分の場合はヴィスワ川から裏口入学みたいな感じで階段を上って旧市街に入りました。

以下、次号・・・



by camino0810 | 2017-11-03 21:13 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月5日(金)ドイツⅡ その45 ワルシャワ(4)

朝7時、街歩きを開始しました。
ワルシャワの新市街はスクラップ&ビルドが盛んでした。至る所で再開発が行われている印象がありました。2015年に行ったイギリスのリーズも似た感じでした。リーズはIT、金融、教育で街が元気でした。ワルシャワにも何か好景気の要因があるのでしょうか。すこしバブル気味なのが気になりました。
超高層ビルの間にこのような廃ビルがあちこちに残されていました。


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バス、トラムの切符売り場・・・。

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再び、都心のワルシャワ中央駅を目指しました。


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再開発地区の工事中の超高層ビルの脇を通り過ぎました。ポーランド人はドイツ人と同様に水平ジブクレーンがお好みみたいです。仮囲いに建物の完成予想図が掲示されていました。


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このビルはマンションかもしれません。

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こちらは共産党政権時代のアパート群かも・・・。日本にも至る所に住都公団のアパート群が残っています。敷地がユッタリして建物の高さを揃えている点など、ワルシャワの建物の方が大きいけど気分はなんか共通した感じです。


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自転車の貸し出しも盛んなようです。自転車を使った街歩きもありですが、使い方が判りません。


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今日のターゲットはヴィスワ川と旧市街。
自称川屋には何処へ行っても川を見逃すことはできません。ワルシャワといえば、世界文化遺産にも登録された旧市街の観光名所も見逃すわけにもいきません。
ワルシャワ中央駅から文化科学宮殿の脇を通って、南側の市街地を歩いて行きました。

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(出展 Google)

ワルシャワ中央駅の路線(長距離鉄道、近郊鉄道)は駅周囲では完全に地下化されていました。ドイツではライプチヒでSバーン(郊外鉄道)が地下化されていましたが、ドイツの大半の街では長距離鉄道は高架か地上線路でした。
ワルシャワの街は中心地区の約2kmの鉄道が地下化されていました。この事業が何時行われたかは不明ですが、線路の地下化で、中心市街地に大きな空間が造られた訳で優れた都市計画だと感じました。
そういえば、デュッセルドルフのライン河畔道路の地下化や京都の鴨川沿いの京阪電車の地下化は道路の渋滞解消が目的だと聞いています。ワルシャワの鉄道地下化についても、鉄道を横断する道路がかつて平面交差したため交通渋滞が発生したのかもしれません。地下化したことで優れた都市空間ができ、都市の価値が向上したとも考えられます。最近はこのような事例をインフラのストック効果と呼ぶようです。


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(出展 Google)

昨日初っ端に驚いた風景、奇抜なデザインの高層ビルは「Złota44」という52階建ての超高層マンションでした。東京駅の真横にマンションが建ったみたいなものです。隣の円形の建物はショッピングモール、奥に見えているのが文化科学宮殿。

Wikipediaより
Złota44は、ポーランドと欧州連合(EU)の住宅で最も高い建物の一つです。それは192メートルの高さに達し、287のアパートメントを含む贅沢な52階建ての超高層ビルです。


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ワルシャワ中央駅は現代的なデザインの駅舎でした。てっきり、ドイツの駅舎のような古典的なファサードを想像していましたので意外な思いがしました。

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駅構内に入って切符売り場を覗いてみました。ここに戻ってクラクフ行きの切符を買う仕事が残っています。

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文化科学宮殿前の広場は実に広大でした。ポーランドは土地が沢山あるのだなと感じました。

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時刻は7時40分なので通勤の人たちが沢山歩いていました。

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文化科学宮殿の広場の端に「ロンド」と呼ばれる交差部に広場がある特殊な交差点がありました。土地があるとこのような交差点もできるというでしょうか。


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(出展 Google)

南の方向に歩いてみました。沿道にはスカイラインを揃えた古典的な建物が並んでいました。

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左折して東方向へ・・・ホテルチェーンのメルキュールが建っていました。

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ワルシャワの八重サクラも満開でした。

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古い建物を壊したのでお隣の建物の側面がむき出しになっていました。なんか耐震性に問題ありという気分です。

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左折して北方向・・・広場にはパルテノン風のドームが建っていました。


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右折して東へ、聖十字架通りと並んで、ワルシャワの東西の基幹道路イェロゾリムスキェ通りに戻りました。


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フランスのシャルル・ド・ゴール将軍の像が建っていました。ドゴール将軍は、第2次大戦でポーランドの開放に貢献したのかもしれません。


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国立博物館の前まで来ました。


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ちょうど、日本の江戸時代の絵画展が開催されていました。

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振り返ると、文化科学宮殿と例の超高層マンションが見えました。背の高い建物は旅行者にはありがたいランドマークです。

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博物館脇の花畑をやり過ごしてさらに東に歩きました。


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博物館のお隣は武器博物館でした。戦車や戦闘機が展示されていました。

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大きな親柱が2本見えてきました。てっきり、ヴィスワ川を渡る橋かと思ったら違っていました。


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振り返ると親柱というレベルを超えた立派な建物でした。

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この橋は陸橋で低地の森を渡る高架橋でした。


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低地には緑滴る公園や住宅が拡がっていました。この低地はビスワ川が作った沖積低地、親柱の崖が境で中心市街地は河岸段丘の上位面ではないかと考えてみました。
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この崖に鉄道トンネルの出口が設置されていました。


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(出展 Google)


8時30分、ヴィスワ川の左岸河畔に到着しました。


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橋の歩道からヴィスワ川の上流を眺めました。川は写真上から下に流れています。ビスワ川は川幅が500m位はある大河川でしたが、ドイツと違って観光舟運や産業舟運での利用はほとんど感じられませんでした。


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右岸の河畔林や自然河岸に豊かな気分を感じました。


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ワルシャワの街はビスワ川の左岸に広がった街でした。階段式護岸が設置され、水辺へのアクセスも良く、一定の水辺利用は感じられました。

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日本では「かわまちづくり」の気運が高まってきました。ワルシャワの河畔を眺めると、意図的ではなく無理せず自然に出来上がったという気分を感じます。ユッタリと広い土地があるのは羨ましい限りです。




ヴィスワ川は流路延長1000km、流域面積約20万km2の大きな河川でした。上流にクラクフ、中流にワルシャワ、下流にはグダンスクがあります。ドイツのエルベ川クラスの大河川でした。


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(出展 Wikipedia)

Wikipediaから引用・・・

ヴィスワ川(Wisła)は、ポーランドで最長の川である。全長は1,047km、流域面積はポーランド国土の60%以上におよぶ。ポーランド南部のベスキディ山脈(英語版)(en:Silesian Beskids、en:Barania Góra)の標高1,106m地点に源を発し、ポーランド国内を大きく蛇行しながら北へ流れ、バルト海へと注ぐ。
延長1,047 km
平均流量1,054 m³/s
流域面積194,424 km²
水源ベスキト・シロンスク山脈(ポーランド語版、英語版)(ベスキディ山脈(英語版))
水源の標高1,106 m
河口・合流先ヴィストゥラ潟(英語版)(バルト海、en:Gdańsk Bay)
流域ポーランド

橋から歩いてきた道を振り返りました。

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引き続き、世界遺産に登録された旧市街を目指してヴィスワ川の左岸河畔を下流に向けて歩いて行きました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2017-10-29 12:30 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月4日(木)ドイツⅡ その44 ワルシャワ(3)

16時30分、ワルシャワ中央駅の外に出ました。
予約したホテルまで歩いて行きました。40Lのバックパックと30Lのデイパックを携行したままだと身動きが制約されます。街歩きの必要条件は、ホテルに着いて荷物を預け身軽になること。
正直、地上に出て驚きました。昨日のベルリン中央駅の驚きを超えていました。この時に感じた衝撃的な感想が当日にフェイスブックにアップした記事からも窺えます。ワルシャワはパリの街のような、スカイラインを揃えた伝統的な低層の建物が並んでいるものと勝手に想像していましたから・・・

5月4日(木)ワルシャワは雨、温暖。
(省略)
ワルシャワ中央駅に降りたって度肝を抜かれた。ベルリン中央駅にも随分と驚かされたけど、こっちの方の驚きが大きい。駅の周囲はピカピカの斬新な高層ビルで取り囲まれているではないか。
しかも、建物のスカイラインを揃えようという観念など全く眼中にない感じだ。「ここまでやって大丈夫なの」とスカイラインに拘りの薄い日本人の僕が心配するくらいだ。去年行った旧東ドイツのライプチヒ駅前は、駅舎も駅前の建物も古典的な気分がタップリと感じられた。
『よくぞここまで突き抜けた。あっぱれ』という見方もあるだろう。
(省略)


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『よくぞここまで突き抜けた。あっぱれ』と感じた超高層ビル群・・・

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ホテルはワルシャワ中央駅から歩いて20分くらいの北西部にありました。


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(出展 Google)

奥に見えているのが「文化科学宮殿」・・・ポーランドがソ連の支配を受けていた共産党政権時代の歴史的建造物です。


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駅の真横の大通りを北に向いて歩きました。

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聖十字架通りの交差点・・・

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ワルシャワ中心街にはあちこちに古い建物が廃墟みたいに残っていました。

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駅前地区の摩天楼とLRT・・・実に近未来的な光景です。

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この交差点は実にユニークでした。交差点の中央部を広場にしていました。ラウンドアバウトとも違った初めて見る交差点です。

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(出展 Google)

トラムと地下鉄の出入り口・・・斬新なデザインです。


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聖十字架通りを西に向けて歩いて行きました。左手の古めかしい建物群は共産政権時代のアパートかもしれません。


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曲がり角から来た道を振り返りました。

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しばらく歩くと、ピカピカのホテルも出来上がっていました。左手のツインビルは5つ星のホテル、右手はヒルトン・・・


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ガソリンスタンドにはコンビニが併設されていました。イギリスと似ています。ドイツはコンビニがないので意外に不便でしたが、このコンビニには大抵のものが用意されていました。旅行者にはありがたいお店です。
一番上の数字がレギュラーガソリンだと思います。1Lで4.77ズオティー(148円)、日本より20円くらい高いようです。


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駅から歩くこと20分、ようやくお目当てのホテルに辿り着きました。GoogleのMAPが使えたので手戻りなく探せました。手前の建物は老朽化が進行し、相当傷んでいました。


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ホテルの対面の古い建物が廃墟化していました・・・これがワルシャワの現状だと感じました。

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実はこのホテルは滞在型アパートでした。チェックインで係りの男性からカードを渡され、部屋への出入り方法などを教えてもらいました。

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建物の裏側のレストランには世界各国の「召し上がれ」が・・・

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試行錯誤を繰り返しようやく予約した部屋に入ることができました。予約したのはホテルではなく、滞在型のアパートでした。建物に入る時と部屋に入る時、渡されたIDカードをタッチします。最初はやり方が判らず疲れと相俟ってキレ掛かりましたが、慣れると実に便利なシステムでした。寝室、リビング、ダイニングキッチンと浴室が付いていて、広さは50m2はありそうです。家族連れで1週間くらい使うとリーズナブルな旅行ができるでしょう。セキュリティーもしっかりしているので安心・安全な滞在も可能です。


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部屋から超高層ビルが見えました。

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中庭・・・

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夕食を摂るために市街地中心を歩いてレストランを探しました。

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ワルシャワにも八重桜が咲いていました。


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お洒落な広場まで来ました。

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都心にもスーパーマーケットがありました。このようなお店は旅行者にはありがたいものです。

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19時20分、広場の建物内にあるレストランで夕食を摂りました。確か、50ズオティー(1550円)くらいだったと記憶しています。お味はそこそこでした。

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左手のフランクフルト中央駅のファサード風の建物は、昔の駅舎をスーパーマーケットにリノベーションしてあるようでした。
http://camino0810.exblog.jp/25971549/

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帰りに珍しい光景に出会いました。ドイツでは日本車はほとんど見掛けませんでした。トヨタとマツダが仲良く並んでいました。


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とにかく、ワルシャワの中心部はスクラップ・ビルドが盛んでした。2015年に旅行したイギリスのリーズを超えている感じでした。建設中の建物の脇には木製通路が設置されていました。日本では見たことがありません。


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20時前、薄暗い街をホテルまで戻りました。

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例のGSのコンビニに寄って明日の朝食などを買いました。


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品揃えは実に豊富、日本のコンビニというよりスーパー並みでした。

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サンドイッチ、コーヒー、水などを買い込みました。全部で26.34ズオティー(820円)、ポーランドの物価は日本の6~7割くらいの感じ、旅行者には優しい街でした。
500ccのペットボトル 1.99ズオティー(60円)
カフェラテ        4.99ズオティー(150円)
サンドイッチ       7.49ズオティー(230円)

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若い男性店員さんの対応はとてもフレンドリーで良かったです。レジ横のホットスペースにコンドームが堂々と置いてありました。平均15ズオティー(470円)。ポーランド人の性に対するスタンスは意外にオープンかも・・・

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この写真は翌朝に撮ったものですが、リビングに荷物を全部空けて寛ぎました。朝、ベルリンのホテルを出発し、飛行機でベルリンからワルシャワに来て相当疲労しました。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月4日(木)ワルシャワは雨、温暖。
15時10分、エアベルリン8214便は1時間遅れでワルシャワショパン国際空港に到着した。ネイミングがなんか高知龍馬空港と似ている。
チャージが付いた60ユーロのバックパックも無事届いた。ATMで現地通貨ズウォテイーも入手できてとにかく一安心だ。
空港発の電車でワルシャワ中央駅に16時20分に到着した。初めての場所で切符を買い、発着所を探し当てるのは結構ハードルが高い。初心者でも1時間余りのアクセス時間と4,4ズウォテイー(130円)の料金は優れものだ。
ワルシャワ中央駅に降りたって度肝を抜かれた。ベルリン中央駅にも随分と驚かされたけど、こっちの方の驚きが大きい。駅の周囲はピカピカの斬新な高層ビルで取り囲まれているではないか。
しかも、建物のスカイラインを揃えようという観念など全く眼中にない感じだ。「ここまでやって大丈夫なの」とスカイラインに拘りの薄い日本人の僕が心配するくらいだ。去年行った旧東ドイツのライプチヒ駅前は、駅舎も駅前の建物も古典的な気分がタップリと感じられた。
『よくぞここまで突き抜けた。あっぱれ』という見方もあるだろう。
予約したホテルは駅から歩いて20分の新市街にあった。周囲にはお洒落な高層ビルが並んでいる。昨日行ったベルリンのポツダム広場のピカピカの気分に近い。
ワルシャワと言えば、古典的な建物が行儀よく頭を揃えている街だろうと思っていたら大間違いだった訳だ。
予約したのはホテルではなく、滞在型のアパートだった。建物に入る時と部屋に入る時、渡されたIDカードをタッチする。最初はやり方が判らず疲れと相俟ってキレ掛かったが、慣れると実に便利なシステムだ。寝室、リビング、ダイニングキッチンと浴室が付いている。50m2はありそうだ。家族連れで1週間くらい使うとリーズナブルな旅行ができそうだ。
とにかく疲れが酷い。明日、早起きして旧市街を観て、電車でクラクフに行く計画に変えた。

翌日は、早起きしてビィスワ川、旧市街を観て、クラクフに行く計画に変えました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-10-22 16:31 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月4日(木)ドイツⅡ その43 ワルシャワ(2)

ワルシャワ行きエアベルリン8214便は定刻より40分遅れて13時50分テーゲル国際空港を出航しました。

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雨の空港・・・

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プロペラ機の窓からベルリン郊外の街並みが望めました。街路に面した赤い屋根の集合住宅は、中庭にたっぷりの緑があります。2015年のイギリス旅行でも似たような街並みを見ました。戸建て住宅よりもこのような形の方が土地を有効に使えると提案する、お知り合いの大学の先生もいます。
戸建ての家を区画整理的に集約・換地して、外側を居住空間、内部を共有スペースとして中庭にするやり方は高齢化社会に突入した日本にも合っているかも・・・


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1時間後、プロペラ機はワルシャワ郊外まで来ました。街路に面した建物はドイツと同じですが、中庭部分に更に建物が入れ子状態になっていました。


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彼方に、一定の間隔を置いて超高層ビルが並んだ不思議な光景が見えてきました。ワルシャワの中心地区でした。これまで観てきた大きな街の高層ビルは一箇所にまとまって建っているが普通でした。
何故か?
「お題」が出された思いですが、旅行の最中は答えが見出せませんでした。この記事を書いていてその答えが見えてきました。 
いささか安易すぎかもしれませんが、自分の答はこんな感じ。
「ポーランドは人口が少ない上に使える平坦な土地がタップリある」
ポーランドは人口4000万、国土面積は日本より少し少ない32万km2、そもそも「ポーランド」は「平原の国」という意味の国名だそうです。70%が山間地の日本から見ると羨ましい限りです。


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郊外の集合住宅群は綺麗に並んでいました。

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ポーランドの交通インフラの一端も見えました。この国は使用可能な土地がタップリとある感じがしました。左手の高速道路のICは変則型のクローバ型、右手に鉄道も見えました。



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15時10分、プロペラ機は定刻より40分遅れて無事に「ワルシャワ・ショパン空港」に着陸しました。ポーランドは空港などの大きな施設には高名な個人名を付けるのが好きな国民性のようでした。クラクフは「ヨハネ・パウロ2世・クラクフ・バリツェ空港」、グダンスクは「グダンスク・レフ・ワレサ空港」・・・


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「ワルシャワ・ショパン空港」はポーランドのハブ空港、ナショナルフラッグキャリヤのポーランド航空の拠点空港でもありました。沢山のポーランド航空機が駐機していました。ドイツのルフトハンザ航空機やスイスのスイス航空機も停まっていました。


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この空港は4kmの主滑走路1本、3kmの補助滑走路が1本でした。

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(出展 Google)

航空施設内を撮影しようとしたら係りの人に制止されました。まずは現地通貨ズオティーを入手するのが先決、早速、空港内のATMで200ズオティー(6200円)をキャッシングしました。
予約したホテルはワルシャワ中心街にあります。空港から市街地中心部に行くのも初めての旅行者にはハードルの高いミッションです。

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両替所に各国通貨のレート一覧がありました。
通貨記号は上からドル、ポンド、ユーロ、円。ポーランドの評価ではポンドの方がユーロより上になっているようです。実は、円記号と中国元は同じ標記なのでどちらは不明。


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ポーランドの通貨はズオティー。この両替所のレートは1ズオティーは33円。ポーランドはカード決済が日本円で可能な国でした。初めての経験でした。以降、カードの換算レート、1ズオティー≒31円で日本円に換算します。


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BUY SELL ズオティー(円換算) 比率
USD 3.3100 4.1600 1.26
EUR 3.6100 4.4300 125 35 28 1.23
GBP 4.2700 5.1900 1.22
JPY 0.0301 0.0384 1 33 26 1.28



券売機で入手したばかりのズオティーでワルシャワ中央駅までの切符を買いました。4.4ズオティー(140円)とリーズナブルなお値段でした。


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空港前の地下駅に行って15時53時発の電車に乗車しました。ドイツのSバーン(郊外鉄道)みたいな電車でしょう。

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車内・・・

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車窓・・・
沿線はピカピカでお洒落な建物が目立ちました。沿線は土地が広いのでユッタリとした余裕を感じます。

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ハコモノの新規投資も盛んかも・・・

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オフィスビル?・・・

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ワルシャワ西駅まで来ました。次はお目当てのワルシャワ中央駅です。

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16時20分、ワルシャワ中央駅の地下ホームに無事到着しました。ワルシャワ・ショパン空港から都心まで約30分、4.4ズオティー(140円)と文句なしのアクセスでした。


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ワルシャワ中央駅の1階はお洒落なショッピングモールになっていました。天井はドーム型のトップライト。2015年のイギリス旅行で行ったリーズの駅前と似ていました。

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当日、フェイスブックにアップした記事・・・

5月4日(木)ワルシャワは雨、温暖。
15時10分、エアベルリン8214便は1時間遅れでワルシャワショパン国際空港に到着した。ネイミングがなんか高知龍馬空港と似ている。
チャージが付いた60ユーロのバックパックも無事届いた。ATMで現地通貨ズウォテイーも入手できてとにかく一安心だ。
空港発の電車でワルシャワ中央駅に16時20分に到着した。初めての場所で切符を買い、発着所を探し当てるのは結構ハードルが高い。初心者でも1時間余りのアクセス時間と4,4ズウォテイー(130円)の料金は優れものだ。
 (省略)

ワルシャワ中央駅の外に出て驚かされました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-10-22 05:24 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月4日(木)ドイツⅡ その42 ワルシャワ(1)

今日はベルリン郊外にあるテーゲル国際空港(TXL)に行って、13時10分発のエアベルリン8214便でワルシャワに行きます。ワルシャワ着は14時30分、1時間20分の飛行機旅です。
昨日はハードな一日でした。早くベッドに入ったものの、眠りの質が今一つだったので疲れは抜けきれませんでした。生憎、ベルリンは朝から雨、それでも温暖なので助かりました。
ホテルの窓からの眺め・・・


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このホテルは都心にあり、かなり高品質で便利なホテルでしたが、意外にもリーズナブルでした。毎朝、出発前にはベッドの上に荷物をすべて開けて点検してリパックします。


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ポーランドはシェンゲン条約加盟国なので出国審査は省略されるだろうとは思っていましたが、念のため、空港には出航2時間前の11時には到着する段取りを考えました。一人でこの空港に2時間前に無事に着けるか、自分にはハードルの高いミッションでもあります。
9時30分、ホテルチェックアウト。
ロビーには沢山の観光客がソファーでくつろいでいました。


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ホテルの受付係りの女性にTXLまでの行き方をしっかりと教えてもらいました。彼女の提案ルートは地下鉄U2と路線バスの乗継ルートでした。都心から1時間、2.8ユーロ(350円)とアクセスも値段も文句なしでした。ベルリンの観光地図にU2の降車駅、バス停の場所などを記入してもらいました。彼女の丁寧な対応に感謝しています。
TXLまでのルート・・・シュピテルマルクト駅でU2に乗車、エルンスト・ロイター・プラッツ駅で下車、ここでTXL行きの路線バスに乗り換えました。U2はメンデルスゾーン駅から高架になりました。


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(出展 Google)

エルンスト・ロイター・プラッツ駅で下車して、路線バスを待ちました。ツェレでも触れたように、路面が光る程の強い雨でも傘を差さないネイティブが目立ちました。

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エルンスト・ロイター・プラッツ駅はベルリンの中心ミッテ地区にあるウンターデンリデン通りを西に4km行ったリング広場でした。パリの凱旋門みたいな広場で、ここから放射状に道路が伸びていました。ベルリン郊外のハブ駅といったところでしょうか。

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(出展 Google)


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10時05分、空港行きX9の路線バスに乗り込みました。空港行きのバスは概ね10分間隔で運行されているようでした。


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2連の路線バスの車内・・・つり革替わりの黄色いパイプがこまめに設置されていました。


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バスはベルリン郊外の街路を走りました。

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集合住宅でしょうか、壁を黄色に塗ってありました。日本では見掛けない色彩ですが、良い感じでした。

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こちらの壁は薄い茶色・・・

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川を渡りました。シュプレー川かも?

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高速道路に入りました。

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TXLの管制塔が見えてきました。意外にも地味目な空港なので少し驚きました。

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テーゲル国際空港は、約3kmの主滑走路と2.5km補助滑走路2本の国際空港でした。意外にも小振りな国際空港でした。超過密スケジュールをこなすドイツ人の高い管制能力を感じました。


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(出展 Google)

10時35分、予定より30分早くTXLに無事到着しました。

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時間がたっぷりあるので、空港構内を歩いてみました。

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11時30分、チェックインカウンターで搭乗券を発行してもらいました。係りの男性から「40Lのバックパックを機内持ち込みにすると60ユーロ(7500円)のチャージが追加されます。どうしますか?」知識不足の自分は言われるままに別のカウンターで60ユーロ(7500円)をカードで支払いました。客室持込なら無料だと知ったのは、グダンスクからフランクフルトに戻る時でした。
構内は一見すると、カラフルでお洒落ですが、よく見ると屋根はデッキプレートを並べただけ、配管類はむき出しといった具合で、意外にも安普請な空港でした。これまで利用してきた羽田国際空港、上海プードン空港、フランクフルト国際空港のピカピカで豪華な空港との差異を感じました。

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ほぼ5分間隔で国内便、国際便が出航する過密な時刻表でした。13時05分にはザールブリュッケン、カールスルーエ、クラクフ、プラハ、ウィーン行きの飛行機が同時刻に出航すると恐ろしく忙しい空港でした。流石にドイツを代表する国際ハブ空港でした。


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お昼は構内の食堂にしました。

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ミートローフのサンドイッチ4.9ユーロ(610円)はボリュームたっぷりでした。

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結局、出国審査はなく、10分程度の簡単な手荷物検査で搭乗ロビーに行けました。やはり、シェンゲン条約の加盟国間の移動なので出国審査はないということでした。この条約は加盟国間の人、モノが自由に移動できる取極め、国境を低くすることのメリットを感じました。
この記事を書いている現在、EUとイギリスの離脱交渉が盛んに行なわれています。個人的には、何故イギリスがEU離脱を決断したのか、少し疑問を感じますが・・・。



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搭乗ロビーで飛行機を待ちました。搭乗ロビーも天井の配管はむき出しでした。


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出航時間が少し遅れました。時間潰しにモバイルで当日の記事をフェイスブックにアップしました。


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この時にアップした記事・・・

5月4日(木)ベルリンは雨、温暖。
ホテルを9時半にチェックアウトした。ホテルのスタッフの指示どおりに地下鉄とバスを利用したら10時半と順調にベルリン国際空港に着いた。都心から1時間、2.8ユーロとはアクセスも値段も文句なしだ。
それにしてもテ-ゲル空港は随分と地味な空港だ。利用するターミナルCは倉庫を改造したような感じの鉄骨造りで天井がデッキプレ-トでできている。
13時10分発エアベルリン8214便はワルシャワに14時30分に着く。チェックイン、手荷物検査を終えて搭乗ロビーでこの記事を書いている。
シェンゲン条約の加盟国間の移動なので出国審査はないという事だろうか。国境がないのは旅行に限らず経済でのメリットも大きいだろう。ドイツのテレビでもフランス大統領選が毎日放送されていた。
チェックインの時、男性スタッフが40Lのバックパックには別途料金が発生するという。チケットカウンターで60ユーロを支払ってチェックインした。こんな事態は初めての事だ。
エアベルリン、高過ぎないかい?

バスに乗って、飛行機まで行きました。


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ワルシャワ行きの飛行機はなんとプロペラ機でした。意外にもプロペラ機は未だ活躍しているようで、機体自体の安さに加えて燃料代や整備費が節約できるメリットがあるのかもしれません。


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13時50分、エアベルリン8214便は定刻より40分遅れて飛び立ちました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2017-10-17 03:50 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月3日(水)ドイツⅡ その41 ベルリン(7)

シュロス橋はシュプレー川の派川運河に架かる小さな3連のアーチ橋でした。親柱の上には白の立派な彫像が建っていました。


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シュロス橋の上から運河を眺めました。運河は写真上から下に流れています。橋のすぐ脇の左側にU5線の「博物館の島」駅ができる予定です。開削で駅舎を築造し地下からシールドトンネルを掘る段取りでしょうか。運河の締め切り工事が完了し、駅舎の開削が始まるようです。


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ここにも泥水シールド工事の坑内の写真が展示されていました。


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運河沿いの道を南にあるホテルに向いて歩いて行きました。


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(出展 Google)

気になることがありました。Googleの地図にはシュロス橋の袂に「ベルリン王宮」と記載される空き地がありました。
これは何か?
調べてみると、この「お題」の答えが少し判りました。簡単に言うと、それとは知らずに歩いた運河河畔はかつてベルリンのヘソだった事が判りました。東京でいえば、この運河は江戸城の内堀にあたるでしょう。

Wikipediaから

ベルリン王宮はベルリン王宮(ベルリンおうきゅう、Berliner Stadtschloss)は、かつてドイツの首都ベルリンの中心部にあった宮殿。1701年からはプロイセン王国国王の、1871年からはドイツ帝国皇帝の居城であった。1918年のドイツ革命で君主制が滅びて以来、王宮は博物館として利用されてきたが、1945年の英米軍の空襲で焼失し、その廃墟は1950年にドイツ民主共和国(東ドイツ)政府によって取り壊された。

王宮は下の図のピンクに着色された建物でした。


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(出展 Wikipedia)


1688年、日本では江戸の元禄期にあたる時のベルリン城の地図を見ると、王宮はシュプレー川の左岸側のケルン地区にありました。右岸のベルリン地区にはアレキサンダープラッツがあります。
ベルリン城はこれまで観てきたハンブルク、ブレーメン、リューベックと似た稲妻型のお堀で防衛されていました。
ウンターデンリンデンは当時はお城の外にありました。ケルンはライン河畔の大きな街ですが、古代ローマから栄えた歴史のある大きな街だったのでこの名前を借りたのかもしれません。
ドイツ語不如意につき妄想の類ですが、江戸期の江戸城に例えると、ケルン地区は本丸御殿、ベルリン地区は旗本や親藩の屋敷、ウンターデンリンデン地区は商工業者の仕事場みたいな職能別の住み分けがあったような感じがします。


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(出展 Wikipedia)

19世紀の王宮の絵にはシュロス橋の彫像付きの親柱が描かれていました。


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(出展 Wikipedia)


1900年の写真を見ると、王宮前の運河には恐ろしく立派な門がありました。恐らく、第2次大戦の爆撃で宮殿も門も破壊され、誕生した共産党政権は政治的な理由から瓦礫を撤去したまま、その再建をせず現代に至ったものと考えられます。それにしても、宮殿前の広場は広大でした。3台の馬車が通行している様子も撮影されていました。大きいこと、広いことはそれだけで価値が高いことを示す貴重な写真だと思います。


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(出展 Wikipedia)

現地案内図から1897年にはこの門が出来ていたことが判りました。


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同じく現地案内図によると、1652年には宮殿地区の骨格が出来上がっていました。ベルサイユ宮殿張りの広大な庭園も出来上がっていました。1688年の絵図面ではベルリン城の整備が完成していました。シュプレー川本川と派川を利用して外濠を造るなど、36年間でベルリン城の整備事業が完成したということになります。フランスのルイ14世が活躍した時代にベルリンも負けずに頑張っていたということになります。


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運河は本川が30m、両サイドに10mに道路が付いていました。運河沿いに道路があるので建物は運河を向いていました。写真左側がかつて王宮のあったケルン地区でした。
水位調整用の自在堰?がありました。堰の右岸の小さな構造物は魚道か閘門かもしれません。



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かつてはベルリンの花形だった運河は実際のところ静かで地味な印象がありました。「栄枯盛衰世の流れ」という諺を想い出しました。

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ユニークな橋に出会いました。ユングフェルン橋はメカニカルな跳ね橋でした。かつては産業舟運用に活躍したようです。手動の巻き上げ機が付いていました。


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ユングフェルン橋から眺めた下流側の運河・・・運河水面と道路面の高低差は3m弱、しっかり転落防止策が取り付けてありました。


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上流側・・・植樹がないためかなり無機質な眺めですが、東京の神田川や日本橋川と違って建物自体は運河を向いていました。



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大通りを下越しするとシュピテルマルクト駅はすぐそこです。運河は写真左から右に流れています。この辺りまで来るとさっきの無機質感が薄らぎ、有機質な豊かさや賑わいも感じられるようになってきました。


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ミニ運河ツアーのゴール、グリューンシュトラーセン橋が見えてきました。ホテルは右手の建物の裏手にあります。


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18時、グリューンシュトラーセン橋に到着。重厚な石造りのアーチ橋でした。



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この橋の上から運河を眺めてみました。
上流側・・・道路脇に植栽があるため親しみを感じる運河に変わっていました。やはり、水辺に木は必須アイテムでしょう。用地不足を解消する両岸のコンクリート製の直壁護岸にはもう一工夫あってもいいかなと思いました。部分的に階段式護岸を入れて、水辺のアクセスを確保すると文句なしでしょう。


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下流側・・・左岸の石積み護岸はいいけど、右岸のPCのプレキャスト護岸はやはり戴けません。


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18時10分、再びシュピテルマルクト駅前に戻ってきました。

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夕食をどうするか、オフィス街なので適切なレストランが近くにあるか・・・。駅前を歩き回りましたが、レストラン自体を見つけられませんでした。
仕方ないのでオフィスビルの1階のレストランにしました。


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ウィンナー・シュニッチェルをオーダーしました。お皿からはみ出しそうな巨大な薄いカツが出てきました。お勘定の時、お店のスタッフから「カード払いだと手数料1.5ユーロが加算されます」と忠告されました。そうならと、なけなしのお札で10.9ユーロ(1360円)を支払いました。スタッフは足し算式でお釣りを差し出しました。引き算方式しか知らない日本人には新鮮な経験でした。


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おトイレは脚なしタイプでした。


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明日のお昼過ぎに、テーゲル国際空港からワルシャワに行きます。ホテルには朝食が付いていないので、朝食を事前に準備しておく必要がありました。オフィス街なので日本のコンビニに相当するキオスクなどはありません。結局、シュピテルマルクト駅構内の売店で菓子パンを買いました。
19時、ホテルに無事戻りました。
ホテルのテレビをつけると、フランス大統領選のニュースが放映されていました。マカロンさんとルペンさんのテレビ討論でした。結果的にマカロンさんが大統領に選ばれましたが、この記事を書いている時点では当選時の勢いを失っているようです。

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この日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月3日(水)ベルリンは晴れ、温暖。
ICE845号は定刻12時09分にベルリン中央駅に到着した。ピカピカの駅舎の巨大さに度肝を抜かれた。ハンブルク、ケルンやフランクフルトはホーム階は当たり前に1階だった。ところがこの駅のホーム階は上下に3層分くらいはあった。ワントップのドーム屋根で全面ガラス張りだった。
DBのインフォでホテルの最寄り駅への行き方を教えてもらい、Sバーン(都市近郊鉄道)、Uバーン(地下鉄)と乗り継いでホテルの近くの地下鉄駅まで来た。
チェックインを済ませて14時30分から街歩きを開始した。Uバーンのポツダム駅で下車してミッテ地区を歩いた。ベルリンの壁は高さ4mのプレキャストのRC擁壁だった。ブランデンブルク門の前は大賑わいだった。連邦議事堂は巨大かつ風格に溢れた建物だった。シュプレー川は観光ボートが沢山運航していた。水辺のデサインは興味深いし、なにより観光舟運が盛んなのに驚かされた。ウンター・デン・リンデンの大通りには歴史的建造物が沢山建っていた。運河を南に歩いて18時にホテルに戻った。疲れがピークに達した。
明日のお昼過ぎにベルリン国際空港からワルシャワに飛ぶ。空港に上手くたどり着けるか心配だ。

長い1日がようやく終わりました。よく考えると、朝ツェレを発って、ハノーファーで途中下車、ベルリンを歩き回りました。クタクタに疲れたので早々にベッドに入りました。
翌日、ワルシャワに向かいました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-10-14 20:19 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月3日(水)ドイツⅡ その40 ベルリン(6)

シュプレー河畔から引き返して、ウンターデンリンデンを東に向かって歩きました。
ウンターデンリンデンは「菩提樹の下」という意味のベルリンを代表する大通りです。西側は完成形ですが、東側は地下鉄工事や補修工事が意外にも盛んなリノベーションの街でした。

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(出展 Google)


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ウンターデンリンデンは、先日テロが発生したバルセロナのランブラス通りと似た構造で、幅広の中央分離帯が公園になっていました。中央分離帯は20m、両サイドの車道と歩道が25m、全幅で70mの大通りでした。
中央分離帯で地下鉄U5の建設が行われていました。沢山の説明看板が設置されていました。建設工事は、土木屋の自分には興味深いけど、一般の人には有り難いこととは言えません。銀座の中央通りで地下鉄の新線を造るのと似ている訳で、地元の人や観光客にとっては迷惑な事態です。
情報公開やお詫びの意味もあるのか丁寧な説明がされていました。


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U5地下鉄プロジェクトはブランデンブルク門からシュプレー川を渡って「赤の市庁舎」まで約2kmのトンネルを新設する巨大プロジェクトでした。シュプレー川の支川(運河)と本川を下越します。
ブランデンブルク門から既設のU55でベルリン中央駅まで行けるので交通の利便性が格段に高まるということだと思います。


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ウンターデンリンデン駅は開削方式で築造する長さ152m、深さ17mの地下駅。直交する既設のU6号線が一度撤去され、上部に再建される計画でした。
注目すべきは駅舎に中間スラブを入れず大きな吹き抜け空間を造る計画になっていたこと・・・去年歩いたライプチヒの地下鉄駅舎と似た構造ではないかと思います。


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土木工事に直接係る仕事から離れて大分時間が経ちました。自分の経験から推測すると、このトンネルは泥水シールド工法で築造されているのではないかと思いました。水色の鋼管は泥水シールドの送排泥管だと思います。離れた場所に設置した泥水再処理プラントに送る管でした。日本では地下に埋設しますが、ドイツでは架空配管でした。


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シールド機の直径は6.7m。この断面では車両は1本しか入らないので、トンネルは2本掘る計画だと思います。シールド機の面盤と呼ばれる顔部分の外周にローラービット、内部にはティースビットが付いていました。
日本のシールド機とよく似ていました。というか、日本がドイツの技術を取り込んだ可能性があるかもしれません。泥水シールドは先頭で掘削した土砂と泥水を撹拌して、坑外に流体輸送する掘削工法です。そのためトンネル内には太い送排泥管が設置されます。


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U5はU55と繋がるという意味合いかもしれません。左の絵柄は日本人には違和感を感じますが、ドイツでは同性愛や同姓婚が普通に認められているのかもしれません。


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ウンターデンリンデン新駅舎は、浅いU6を一度壊して駅舎を開削し、再度U6を構築する計画のようでした。


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工事現場にはドイツ人が好むジブクレーンが設置されていました。


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ウンターデンリンデンに南北に交わるフリードリヒ通り・・・この下に地下鉄U6号線が走っています。建物のスカイラインへの拘りを感じる通りでした。


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お隣のシャルロッテン通りまで来ました。こんな感じの風格の溢れた建物が沢山建っていました。


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フンボルト大学は、ベルリンの壁で仕切られた旧東ドイツ側の大学、世界的にも有名な大学だそうす。唯、西ベルリン側にも同じような大学が並立していることからも東西冷戦の影響が今でも残っている感じです。
 
ブリタニカ国際大百科事典から

ドイツのベルリンにある大学。 1809年フリードリヒ・ウィルヘルム3世のときフンボルトによって創設されたベルリン大学が母体となっている。初代学長のフィヒテのほか,シュライエルマッハー,ヘーゲルなどのすぐれた学者たちによって著しい発展を示し,ドイツ最大の大学となったばかりでなく,世界の大学の模範ともされていた。第2次世界大戦後東ドイツの管轄下におかれ,現在の名称に改称された。法学,農学・園芸,数学・自然科学,医学,哲学,神学,経済などの学部がある。教員数約 1600名,学生数約2万 2800名 (1997) 。なお,大戦後西ベルリンには旧ベルリン大学の教授,学生を中心にベルリン自由大学が設立され,ドイツ統一後も両大学が併立している。


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プロムナードになっている中央分離帯の終点にフリードリヒⅡ世の銅像が建っていました。

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ウンターデンリンデンから少し入った大きな広場の前に格調の高い建物が建っていました。フンボルト大学の附属図書館でした。恐れ入りました。


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オペラハウスはパルテノン風のファサード・・・ピンクの壁が意外にもシックリと収まっているなという感がありました。


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オペラハウスは大々的なリノベーション中でした。


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反対側の建物もピンクの壁でした。

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シュロス橋はシュプレー川の支川運河に架かる小さな3連のアーチ橋でした。


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親柱の彫刻はゴージャス・・・

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17時40分、旧博物館まで来ました。歩きづくめで相当へばってきました。


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ベルリン大聖堂は中央に巨大ドームを持つ巨大な建物でした。4隅に小さいドームが付いていました。ドイツ語で「DOM」と記載される教会施設は「大聖堂」ですが、これまで観てきたドイツの「DOM」はゴシック様式でドームは付いていません。建物の東西軸もないこの大聖堂は明らかに別様式、その理由は未だ不明のままです。


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ウンターデンリンデンの先にはテレビ塔が見えていました。


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ここから運河を南に歩いてホテルに戻りました。
以下、次号・・・・


by camino0810 | 2017-10-14 06:43 | ドイツⅡ | Comments(0)