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2018年2月19日(月)ドイツⅡ その71 エピローグ(5)

④リューベック:2017年5月1日(月)

・リューベック中央駅はドイツではお馴染みになったマルチトップのドーム型駅舎だった。「Hbf」は「Hauptbahnhof」(中央駅)の略称、地方の中心都市の中心部にある駅にこの略称を付けるのがドイツの流儀だった。

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・ドーム屋根を支えるアーチ状の鋼材はデザイン的にも優れていたし、構内はトップライトの開口が大きいので明るかった。

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・リューベック中央駅のファサードは緑の屋根に赤レンガの壁、こじんまりとしてはいたが、風格を感じさせる駅舎だった。リューベック旧市街にある聖マリア教会はじめ主だった宗教施設も屋根は緑、壁は赤だった。そのシンボルイメージを取り入れたのかもしれない。

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・駅前のバス停は宇宙船みたいな吊り屋根の斬新な形状だったが、周辺との違和感を感じさせない優れたデザインだった。リューベック市にはデザイン選定委員会?でもあるのだろうか。


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・駅前のラウンドアバウトの環状部は2車線だった。基幹道路の交差点をラウンドアバウトに変えたところを見ると、ドイツのラウンドアバウトはかなり普及しているようだ。


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・リューベックは、バルト海から内陸に約20km入ったトラヴェ川に面した港湾都市、これまで見てきたブレーメン、ハンブルクと共通点のある街だった。リューベックは人口20万の比較的小振りな地方都市だったが、中世にはハンザ同盟の盟主として栄えていたという。トラヴェ川、トラヴェ運河に囲まれた旧市街は大聖堂や教会があり、世界遺産にも登録された観光都市でもあった。旧市街は南北方向に約2km、東西方向に約1kmの楕円形、トラヴェ川で守られた中世からの伝統を色濃く受け継いだ街のように感じた。旧市街を囲む川や運河は例の稲妻型の形をしていた。稲妻型の堀や運河はハンザ同盟都市の定番の防衛パターンだと判った。ポーランドのグダンスクもハンザ同盟都市だったが、同じ稲妻型の運河で囲まれていた。

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(出展 Google)

・プッペン橋から見た外トラヴェ川の上流側の眺めは川と建物がしっくり納まっているなという感じだった。河畔公園の手入れも行き届いていた。この街の水辺に大いに期待できそうな予感を感じた。

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・ホルステン門は、リューベックのシンボリックな建物で風格の溢れる建物だったが、建物が肉眼でもわかるほど歪んで傾斜していた。建物の基礎にはトラヴェ川が運んだ柔らかい地盤に沢山の杭を打っているものと想像するが、1400年代後半の建物なので不同沈下が起きたようだ。


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・内トラヴェ川の河畔の赤レンガの建物群は倉庫だった。中世、リューベックはハンザ同盟の港湾都市として栄えていた。倉庫は階段状の屋根部分にも窓が付いている独自の建築様式だった。倉庫の対岸には船着場も整備され、観光船が停泊していた。


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・目の前を2隻の観光船が通り過ぎて行った。トラヴェ川の観光舟運は盛んな様子だった。


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・河畔プロムナードは車道と歩道がサイコロ状の大きなブロックで仕切られていた。車道が15m、歩道が15m、全体で約30mくらいだった。全体として幅30mの河畔広場が出来ている感じだ。このオープンスペースが河畔を歩く市民や観光客を快適な気持ちにさせるのだろうなと感じた。車道の端部は少し凹ませて側溝にしてあった。気の利いた設計だと思った。
・プロムナードと水面の段差は1m程度、護岸に転落防止策がないことに優れた景観上の配慮を感じた。転落防止策が高いと折角の景観を支障する。ドイツを含めて欧州は自己責任が基本ルールのように思える。一方、河川管理者としての施設の安全対策という視点も無視できない。ドイツ人はどちらかというと日本人の感覚に近いと感じた。段差が大きい場所には転落防止策が設置されていた。この場所は高低差が小さいので転落防止策を省略したようだ。
・歩車道の境界はサイコロ状の大きなブロックを置いてあるだけで、歩車道境界ブロックはない。車道と歩道の連続性を意図的に演出してるように感じた。街区側には階段状の屋根が乗った伝統的な建物も建っていた。建物の前に車道があるので、河畔の建物は、皆、川を向いていた。

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・トラヴェ川を横断する歩道橋はPC製、少しライズを付けて中央部に観光船が通れる桁下空間を確保していた。上流側の木橋も船の航行に必要な桁下空間を確保していた。


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・木橋の上から下流の眺めは文句なしに良かった。手前の単独の尖塔は福音教会、奥の2本の尖塔は聖マリア教会。

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・左岸(写真左側)にはお洒落でモダンな集合住宅が建っていた。いつも素晴らしい水辺を借景にできるとは何とも羨ましい限りだ。


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・旧市街側の街路は電線・電柱がなくスッキリしていた。建物のスカイラインも整っていた。坂道を登り切った高台が旧市街の中心部。旧市街の高台に続く坂道の両サイドには車がずらりと並んでいた。居住者用の駐車スペースかもしれない。


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・遊覧船が通り過ぎた。右岸(写真左)の芝生広場にも転落防止柵はない。

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・河畔の住宅は赤い屋根と白い壁で統一されていて、建物の高さも綺麗に揃えていた。芝生広場と水面との高低差はわずか、水辺のアクセスも文句なしに良い。自称川屋は洪水や高潮がどうしても気になったが、リューベック周囲に防災用の水インフラを探せなかった。トラヴェ川の流域は小さく、森林や農地主体の流域の保水性の良さや河川勾配が小さいため、洪水自体が非常に少ないのだろうと考えてみた。バルト海の高潮もリューベックまでは遡上しないようだ。


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・しばらく河畔を歩くと、旧市街の外れにあるリューベック大聖堂のファサードが見えてきた。この大聖堂は1230年完成、高さは115mだとか。

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・カトリックでは司教座のある大聖堂は街の中心にあり、臍の役割を持っているのが普通だ。これまで観てきたスペイン、フランス、イギリス、ドイツ各国での基本的なルールだった。ところが、リューベック大聖堂は何故か旧市街の外れの土地の低い場所に建っていて、どちらかというと地味な存在だった。ただ、ファサードは西方を向き、上から見ると一応十字架の形はしていた。この謎に対する答えを考えてはみたが、確たる根拠はない。

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・河畔を離れ大聖堂脇の湖の散策路を歩いた。湖の出口に水車小屋?が建っていた。水位差は約2m、水車を回して製粉や紡織をしていたようだ。大きな湖は多分、人造湖ではないか。ハンブルク市内の大きなアルスター湖は13世紀に造られた人造湖だった。製粉や紡織は生活のマストアイテム、同じような水車小屋はポーランドのグダンスクにもあった。


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・湖畔の散策路から見たリューベック大聖堂は文句なしに素晴らしかった。写真左の尖塔が気持ち傾いているようにも見えた。2本の尖塔同士を青い横棒で繋ぎ留めて安全を確保しているように思った。

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・トラヴェ運河の両サイドには散策路が整備され、水辺のアクセスも確保されていた。


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・中世の城門を再建したと思われる城門があった。城門の高さは20mと意外に大きい。リューベックは、中世から川とお堀とこの城門で外敵の侵入に備えていたようだ。リューベックの八重桜もちょうど満開を迎えていた。


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・別のラウンドアバウトの環状部も2車線だった。


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・郊外のホテルは、自分には不似合いなゴージャスなホテルだった。スタッフの対応、部屋の広さや調度品なども良かった。


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・13時にホテルを出発、トラヴェ運河を渡って旧市街の中心部を歩いた。


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(出展 Google)

・橋の袂を降りてトラヴェ運河の河畔を歩いてみた。河畔の砂利道は快適で、水辺へのアクセスも文句なしに良かった。

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・清洲橋に似た緑の橋を渡って旧市街に入った。丸いリベットを使った風格のあるアーチ橋で、橋面を吊る部材は鋼棒を使っていた。

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・旧市街には例の階段状の屋根が付いた建物もあった。左手に大聖堂前の湖を見ながら旧市街の中心部に向かった。今日は平日だが、祭日だった。湖で少年がルアーで釣りをしていた。こんな気持ちの良い場所で釣りをするのは最高に気分がいいだろう。

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・旧市街の街路樹は新緑を迎えたばかりだった。遅めの昼食はタイ料理にした。折角のいいお天気なのでテラス席にした。7.5ユーロ(940円)の八宝菜風のランチは美味しかった。ドイツでもアジアのエスニック料理が相当浸透しているようだ。

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・大通りの一番高い場所が旧市街中心部だった。広々した広場は気持ちがいいものだ。聖マリア教会の2本の尖塔が見えてきた。車道と歩道や広場の段差を無くし、敢えて境界を曖昧にしているのが気が利いているなと感じた。大通りの建物のスカイラインはそこそこ揃えられていた。赤レンガをイメージした外壁の建物が目立った。とにかく、電柱・電線がないスッキリした街を歩くのは快適だった。


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・池の境界を曖昧にした、この手の噴水は最近日本でも流行している。ライプツィヒやケルンでも見掛けた。


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・市庁舎の外壁は赤レンガではなく黒レンガだった。マルクト広場はこれまで歩いてきたブレーメン、ハンブルクに比べて小振りだった。隣りは巨大な2本の尖塔を持つ聖マリア教会だった。リューベックでは大聖堂よりも聖マリア教会の方が高い地位を占めているように感じた。


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・市庁舎に隣接する聖マリア教会は、尖塔の一部を足場を組んで補修中だった。聖マリア教会は、高さ125m、1250年~1350年に築造されたゴシック式の教会だそうだ。建設工期は100年、じっくり時間を掛けて赤いレンガを積み上げたようだ。この教会は2本の巨大なファサードや大きな聖堂を支える跳び梁がついているなどこれまで観てきた大聖堂に近い骨格を備えた大きな教会だった。2本のファサードはキッチリ西を向いてはいたが、十字架の形はしていなかった。旧市街地の真ん中の臍にあたる場所にあり、最も高い場所に立地している教会で、しかも市庁舎やマルクト広場も隣にある。自分の感覚だと大聖堂の方が相応しいと思うが、大聖堂は旧市街地の南外れの低位置にある。
何故か?

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・自分が考えた答えはこんな感じ・・・。
中世から近世にかけてリューベックはハンザ同盟の盟主として経済的な繁栄をずっと維持した商業都市だった。ハンザ同盟都市は中世の二大勢力である神聖ローマ皇帝とローマ教皇のいずれからも独立した地位を保証された自由都市だったという。この街は、自由なハンザ同盟の盟主、宗教よりも経済力が優位した結果、大聖堂は少し遠慮がちなスタンスにあったのではないかと想像した。
・リューベックの歴史は12世紀に街の建設が始まり、ハンザ同盟の盟主として北海・バルト海の交易で独占的な地位を占めたものの近世に入りハンザ同盟の衰退に追随して衰退したとある。リューベックの衰退は商業都市から工業都市への転換が上手く行かなかったからではないか。ハンブルク、ブレーメンは道路の替わりをする大きな川の恩恵を受けながら造船業を含めた産業インフラを発展させて街を大きくしたように思える。リューベックはある意味、時代の流れに上手く乗れなかったという観もあるが、街としての価値が消失したとは思えない。世界遺産に登録された旧市街をコアにして観光都市としての位置をしっかり維持している素晴しい街だと感じた。
・リューベックは南北2km、東西1kmと広くはない旧市街に随分と沢山の教会の尖塔が建っていた。これだけ塔が林立している街も珍しい。
何故か? 

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(出展 Wikipedia)

・自分が考えた答えはこんな感じ・・・。
リューベックの歴史を概観しても、司教座のある大聖堂があるにせよ、宗教的あるいは文化的な影響力が支配的な街であったとは言い難いように感じた。リューベックはハンザ同盟の盟主だったことからも基本的に商人の街だった。交易で財を築いた商人たちが競って塔の建設に寄進してその存在をアピールしたのではないかと考えてみた。豪商の競い合いの結果、沢山の塔ができたのではないか。ポーランドのグダンスクも商人の寄付でできた街ではないかと想像する。
・リューベックのドイツ語版のWikipediaに昔の絵図面が掲載されていた。1750年のリューベックは周囲を稲妻型の川と運河で守られた防衛力の高い城塞都市だった。ブレーメン、ハンブルクも似たような稲妻型の川や運河を持った城塞都市だった。稲妻型の堀は、ハンザ同盟の都市の形に共通した要塞都市の形だったと考えられる。

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(出展 Wikipedia)

・リューベック大聖堂は1942年イギリス軍の爆撃により破壊されたが、2本の尖塔の破壊は免れていた。爆撃で旧市街の建物も破壊されたと思われる。ブレーメンの大聖堂は爆撃で片方の尖塔が途中から折れていた。ドイツの都市という都市は連合軍の爆撃にあって破壊されたと思われる。現在の旧市街は、戦後、リューベック市民の手で元の姿に復元されたものだろう。ポーランドのワルシャワ、グダンスクも市民の努力で復元されたと聞いている。

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(出展 Wikipedia)

・リューベックの水辺はアクセスが大変良いのが特徴だった。裏を返せば洪水への防御力が小さいのではということになる。リューベックは河口から遡った場所にあるので、そもそも比較的標高が高い場所かもしれない。リューベックの周囲には放水路や遊水地のような洪水防御インフラが見当たらなかったので、トラヴェ川の流域は元々大きな雨が降らない地域かもしれないと考えてみた。あるいはトラヴェ川の流域が保水力の高い豊かな森林や草原で占められいて流域に降った雨の出方がゆっくりしているのかもしれない。旧市街はお椀を伏せた形をしていた。トラヴェ川やトラヴェ運河沿いの低い場所は一定の範囲までは冠水するのを覚悟の上で荷役施設、倉庫や住居を造ったのかもしれない。発生頻度が少ないであろう洪水被害よりは普段の経済的あるいは商業的な利便性を優先させた街づくりだったのかもしれない。
・同じハンザ同盟都市であるポーランドのグダンスクはバルト海に面して立地している。そのためポーランドの大河川ヴィスワ川の洪水が抜けず被害を出してきたという。ヴィスワ川には放水路が2本開削されていたが、その効果もあまり出なかったようだ。市街地の70%が海面より低いからだろう。
・木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が合流する永島地区には輪中堤と呼ばれる特殊な堤防が残っている。洪水から生活を守るために集落毎に堤防を築いた。洪水を堤防で閉じ込める通常の発想とは真逆の、自らを堤防内に閉じ込める逆転の発想だ。中世のリューベックの絵図面には運河沿いに城壁を巡らせていた。城壁に軍事上の防御機能に加えて洪水防御も兼用させたのではとも考えられる。城門の出入り口にゲート(陸閘)を設置すれば洪水防御も可能だし、普段の経済活動にも支障がなかっただろう。現在、城壁が撤去され北側の城門だけが保存されているのは生活や経済の利便性が優先されたからだろう。Wikipediaには1904年の12月の洪水の記録写真が掲載されていた。旧市街の一部が冠水していた。ケルン(ライン川)やプラハ(エルベ川)には河畔の散策路に洪水防止板を嵌め込む支柱用の基礎があったが、リューベックでは確認できなかった。もしそうだとすれば水害を考慮する必要のない街なのかもしれない。

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(出展 Wikipedia)

・聖マリア教会の道路を挟んだ反対側に『ブッデンブローク家の人々』の舞台になった白い建物が保存されていた。トーマス・マンはリューベックの出身、そう言えば、『ブリキの太鼓』の作者ギュンターグラスもリューベック出身だ。ノーベル文学賞の受賞者を二人も生み出した街でもある訳で文化・芸術方面でも卓越した街だと思った。


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・旧市街の北側にある聖ヤコブ教会も屋根が緑色、壁はレンガの赤色だった。リューベックの宗教施設は屋根が緑、壁が赤で統一されていた。


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・旧市街北側の城門は多分復元された建物だろう。旧市街の防衛の要に相応しい大きな城門は高さが40mはありそうだ。城門と写真右手の河川港とは15m程度の高低差が付いていた。トラヴェ運河とトラヴェ川の合流点に建つ赤レンガの大きな塔は見張り塔兼灯台かもしれない。


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・内トラヴェ川沿いは河川港になっていて、赤レンガの倉庫が並んでいた。対岸にも大きなシップローダが2基設置され、赤レンガの倉庫が並んでいた。ハンブルクの河川港と同様、実体的には海という感じで、言われないと川だとは判らないだろう。


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・旧市街中心部にはヨットハーバー専用の岸壁もあった。河川港を維持するには堆積した土砂を浚渫して航路の水深を確保することだ。バケットエレベーターを装備した浚渫船も停泊していた。


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・ヨットハーバーと赤レンガの街並みが良く調和したいい水辺だった。


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・旧市街の中心部の内トラヴェ川水辺の眺めも実に良かった。写真左手(右岸)前の2本の尖塔は聖マリア教会、真ん中が福音協会、一番奥の2本の尖塔が大聖堂・・・。右手にホルステン門も見える。写真右手(左岸)には新しいお洒落な建物が建っていた。

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・この日は、祭日なので沢山の人で賑わっていた。生憎、日本の冬並みの寒さなので皆着込んで観光船に乗り込んでいた。ドイツ人は大人も含めてアイス大好きな国民のようだ。アイスクリーム店の前に沢山の大人が長い列を作っていた。去年行ったレーゲンスブルクでもアイスを買うために大人が長い列を作っていたことを想い出した。

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・内トラヴェ川左岸から眺めた対岸の聖マリア教会の2本の尖塔を背景にした旧市街の水辺の風景も素晴らしかった。絵葉書のような景色と言ってもいいだろう。晴天なら文句なしだっただろう。


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・朝最初に通ったトラヴェ川沿いの船着き場に戻ってきた。朝は快晴だったが、この頃は雲が出てきた。寒くても今日は休日、沢山の人がカフェで楽しんでいた。


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・河畔の散策路は歩行者優先らしき車道とカフェが占有できる歩道に分かれていた。河畔のカフェは常設のようにも思えた。ドイツの河川管理は承知していないが、日本でも河川範囲であっても一部の川では規制緩和を利用して店舗の常設が可能になってきた。


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・リューベック大聖堂と中世風の住居が並んだ水辺に絵葉書のような美しさを感じた。川と大聖堂、赤い屋根と白い壁の住宅が良く調和した優れた水辺だった。水辺のアクセスの良さにも驚かされた。世界遺産に登録された旧市街区域なので建物の仕様や改造についていろいろと縛りがあるとは思うが、それによって価値の高い水辺が維持されていることを住民の方も承知しているのではないかと思った。


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・ヴァル通りという運河沿いの車道には、スカイラインを揃えた白い集合住宅が並んでいた。大聖堂を借景にした居住環境は実に羨ましい限り・・・。


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・トラヴェ運河の外側にある旧市街外側のゾーンは、恐ろしく立派な戸建ての高級住宅街だった。ドイツ人の高い生活水準を感じた。


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・八重桜が満開だった。


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・たかだか4時間の街歩きだったが、リューベックの街の素晴らしさを堪能できた。

以下、次号・・・


by camino0810 | 2018-02-19 21:20 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月17日(土)ドイツⅡ その70 エピローグ(4)

④ハンブルク:2017年4月30日(日)

・ハンブルクは人口180万のドイツ第2位の大都市で、中世からハンザ同盟の中心都市として繁栄してきたそうだ。お隣のヴェーザー川流域のブレーメンとはハンザ同盟の同志ということになるが、司教座(大聖堂)はブレーメンにあるので宗教的にはブレーメンの方が格上ということになる。
・エルベ川の河口から約100kmの内陸にありながらドイツ最大の港湾都市でもある。ブレーメンもそうだが、何故、臨海部ではなく内陸部に大きな港湾があるのか?日本人の自分から見ると、実に不思議だ。その理由はドイツの川の特徴にあるようだ。ドイツの川は、安定した一定の流量、川幅、水深が確保されているからだろう。

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(出展 Google)
・リューベックは、バルト海から内陸に約20km入ったトラヴェ川に面した港湾都市、これまで見てきたブレーメン、ハンブルクと共通点のある街だ。リューベックは人口20万の比較的小振りな地方都市だが、かつてはハンザ同盟の盟主として栄えたという。
・ハンブルク(人口180万)、ブレーメン(人口50万)、リューベック(人口20万)はいずれもハンザ同盟都市で、内陸に立地していて、河川港を持っている。歴史的、地理的に同じ状況にありながら、街の大きさに大きく差がついたのは何故か?

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(出展 Google)

・ドイツの歴史、政治、経済、文化など深く承知してはいないが、独断的な私見を敢て言わせてもらうと、川の大きさの差ではないと感じた。街の大きさは、エルベ川(ハンブルク)、ヴェーザー川(ブレーメン)、トラヴェ川(リューベック)の大きさとザックリ比例関係にあると考えてみた。鉄道、道路が発展するのはドイツの産業革命があった19世紀後半以降、それまでの物資運搬の主役は川や運河を利用した内陸舟運だったと考えられる。見方を変えれば川は道路であり、エルベ川を日本で言えば1桁台の国道、ヴェーザー川を2桁台の国道、トラヴェ川を3桁台の国道に当て嵌めると妙に得心できた。
・欧州の都市は、産業革命以降の都市への人口集中によって急速に拡大したと聞いているが、その都市基盤は産業革命以前からじっくり長い時間を掛けて造られてきたように思える。日本の大都市も江戸期にその骨格が出来上がっている。東京(江戸)、大阪(大坂)、名古屋(尾張)はいずれも川や堀が市街地に配置され、内陸舟運が発達していた。
・ハンブルクはエルベ川の流域に発達した大都市だ。エルベ川は流路1,100km、流域面積150,000km2の国際河川、上流にはドレスデン、プラハ、支川にはベルリン、ライプツィヒなどドイツの著名な都市がある。ドイツの国土面積が360,000km2、日本最大河川の利根川の流域面積が17,000km2、エルベ川は大河川だといえるだろう。

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(出展 Wikipedia)

・エルベ川はハンブルクの下流で河川幅が非常に大きく、2kmくらいある。その反面、ハンブルク上流で河川幅は極端に狭くなっていた。ハンブルク市内でエルベ川は南北2つの川に分派して、挟まれた地域に自然由来か人工物かは不明だが、沢山の河川や運河があった。ドイツではお馴染みの掘り込み型の河川港も沢山あるし、随分と不思議な地形だ。
・日本では、似たような地形は狭窄部と呼ばれる両岸が急峻な山地形の上流側で見たことがある。淀川の山崎、北上川の一関も似たような地形になっている。ハンブルクのエルベ川には狭窄部らしい地形がなさそうなので説明がつかない。結局、ハンブルクはエルベ川の数千年前の旧河口に位置していて、それ以降の海面下降に伴い河口が現在の河口まで下がり、再度の海面上昇で現在の地形になったのでは?などと考えてみた。

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(出展 Google)

・市街地付近のエルベ川沿いの空き地には沢山のクレーンが建っており、再開発や新規の建設投資も盛んなようだった。ハーフェンシティの東端には斬新なデザインの建物が建っていた。

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・電車から見えた大通りの交差点は立体交差で、片方を地下化していた。高架形式だとブレーメン駅前の高架と同様、景観を支障しただろう。なかなかの配慮だと思った。

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・ハンブルク中央駅は半地下の駅舎になっていた。ホーム上の橋はホーム同士の連絡橋ではなく、街区の跨線橋だった。


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・ハンブルク中央駅の駅舎の巨大さに驚かされた。広々としたワントップのドーム型駅舎で、トップライトとサイドライトで採光してあった。ホーム上に、これだけ広くて、これだけ高い、無柱の内部空間を持つ駅舎は見たことがない。ドイツ、フランスなどで見てきた巨大な大聖堂の内部空間に通じるものを感じた。

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・ハンブルクにも八重桜が咲いていた。

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・ハンブルクの旧市街は、リューベックと良く似た構造をしていて、リングで囲まれていた。リングの直径は約2km、南面はエルベ川を利用した防衛力の高い都市国家だったのではないかと思った。西側のリングは幅200mの公園になっていて、ブレーメンでも見た稲妻型のお堀が残っていた。稲妻型のお堀はハンザ同盟都市の共通アイテムだった。このリングは防火帯や避難場所としても役立ちそうな感じだ。東側のリングは鉄道になっていた。ハンブルク中央駅が半地下構造になっていたのは、お堀を水抜きして再利用したからではないかと想像した。

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(出展 Google)

・ハンブルクのメーン通りであるメンケベルク通りの旧市街の建物群は新旧の建物が混在してはいたが、建物のスカイラインは綺麗に揃っていた。

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・スタバがパルテノン神殿風の建物に出店していた。観光地の一等地を占めるスタバの戦略を感じた。

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・聖ペトリ教会は、赤レンガの大きな教会だった。高さは132m、1516年に建てられ、火災で崩壊後、1978年に再建されたそうだ。ハンブルク旧市街には現代的な高層ビルはなかった。旧市街には建物の高さ規制があるのだろう。この教会は、ランドマークとしての役割もあるようだ。

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・ハンブルクといえば市庁舎、恐ろしく豪華な建物だった。ミュンヘンの市庁舎に負けないくらい立派な建物だった。1886年~97年の建設されたネオ・ルネサンス様式の建物だそうだ。ドイツ人の市庁舎への拘りを感じた。


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・市庁舎前の広場にEUの旗を持った人たちが集まっていた。訪問した時期はイギリスのEU離脱処理やフランス大統領選の時期、対抗馬のフランス人の女性はEU離脱を訴えていた。EU残留の引き締めキャンペーンのようだった。ドイツはEUの盟主、ドイツを代表する経済都市ハンブルクで決起集会を開いたということだろうと感じた。

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・市庁舎前広場に隣接した運河沿いの景観は文句なしに素晴らしかった。ここは内アルスター湖とエルベ川を繋ぐ運河の起点にあたる場所だった。運河の右岸はテラス席、左岸は階段式護岸、水辺のアクセスもしっかり確保されていた。


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・内アルスター湖の湖畔広場も素晴らしい景観に出来上がっていた。湖畔の建物のスカイラインは見事に揃っていた。

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・湖畔のプロムナードは幅が50mくらいあり、広幅の歩道を歩くのは実に快適だった。

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・Wikipediaに記載された1890~1900年の、この場所の写真を見て驚かされた。写真左の尖塔は聖ペトリ教会、右の尖塔は市庁舎。今から120年前にその骨格が出来上がっていて、現在もそのコンセプトを維持されていることが判った。

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(出展 Wikipedia)

・街歩きの最中、内アルスター湖と外アルスター湖という湖は一体何だろうという疑問が消えなかった。ネットで調べると、13世紀にアルスター川を堰き止めた人造湖だった。目的は水車を動かす動力用施設。中世、庶民の生活を支える製粉、織機の動力源ではないかと思う。自分は運河の閘門の水を供給するリザーバーだと思っていたが、見事に外れた。この湖が旧市街を防衛するリングの一部になっていることからも、お堀の一部を兼ねた防衛施設にしたように感じた。湖畔の幅の広いテラス状の階段に多くの人が腰かけ、湖の景色を楽しんでいた。遊覧船のミニクルーズもあり、観光客で賑わっていた。

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・内アルスター湖畔から運河沿いを下って、エルベ川に向かった。この運河は旧アルスター川を改造したようだ。運河の上流端には小振りな閘門が2基設置されていた。観光船は見掛けなかったが、運河脇にはテラスが設置されていてカフェ席が用意されていた。


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・運河は、幅30m程度、建物群は運河に背を向けていた。運河舟運が陸上運輸にとって替わられたためだろうか。運河と建物の間に道路でもあれば建物は運河に向かうが、そのスペースはない。東京の日本橋川、神田川、大阪の土佐堀川と似たような状況だった。ただ、運河沿いのプロムナードの連続性が確保されていたのでストレスを感じることなく運河沿いを歩くことができた。

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・建物と運河の離隔がある場所は斜路を設けて水辺のアクセスを確保してあった。

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・別系統の運河も建物は完全に運河に背中を向けてはいた。ただ、赤レンガの建物群自体に風情があるのでそれなりの水辺の風情を感じた。運河自体の幅が20mもない手狭な運河なので、いじりようがなかったのだろう。運河に蓋掛して2層河川にするやり方もあるが、そのまま運河を残したということだろう。

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・運河脇にある広場のオープンカフェは賑わいがあった。

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・エルベ河畔のハーフェンシティ地区の船着き場には沢山の倉庫が並んでいた。浮き桟橋の支柱が水面から10mくらい突き出ていた。エルベ川の水面の変動高さは相当大きいようだ。高潮か洪水対応だろうと考えた。

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・ハーフェンシティはドイツ伝統のクラシックをコンセプトにした再開発地区のようだった。ハーフェンシティには、リューベックの倉庫群とはけた違いに多くの倉庫が並んでいた。舟運⇒鉄道⇒道路という運輸手段のシフトの結果、運河沿い倉庫街の衰退や倉庫の老朽化対策かもしれない。奇抜なデザインのコンサートホールはハーフェンシティのシンボリックな建物だそうだ。Uバーン(地下鉄)の駅名はBaumwaLL(Elbphilharmonie)、エルベ川交響楽団という意味だろう。2017年1月にオープンしたばかりピカピカのホールだという。


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・Uバーン(地下鉄)のBaumwaLL(Elbphilharmonie)の高架ホームは見たことのない珍しい構造をしていた。駅舎を支える主桁が逆さアーチ型のトラスになっていた。初めて見る構造だった。普通ならアーチを上にするだろう。上のアーチ橋だとホームから眺めを支障するし、空や周囲の景観を圧迫する。土木屋の自分から見ると違和感を感じるが、ハンブルク市民にとってはこの方が有り難く思うだろう。


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・この日は日曜日でもあり、船着き場の河畔プロムナードは市民や観光客で大賑わいだった。河畔プロムナードは実に広々していて歩いていて実に気持ちが良かった。

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・エルベ川は川というより海といった感じだった。対岸には荷役用のクレーンが見えていた。この素晴らしい絵柄が撮影できて良かった。

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・プロムナードと水面までの高低差は10mくらいあった。流石に水辺のアクセスは無理、階段式護岸には沢山の市民や観光客が腰かけて水辺に風景を楽しんでいた。

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・運河沿いに大きな陸閘とパラペットがあった。陸閘の収納スペースをベンチにする工夫に1本取られた思いがした。陸閘自体は高さが2mと大きくはない。エルベ川の高潮か洪水対策だろう。

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・ドイツのガソリン事情・・・日本のガソリンは130円前後なので少し高いようだ。
 ディーゼル 1.069ユーロ(134円)
 ガソリン  1.289ユーロ(161円)

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・残念ながら、お目当ての聖ニコライ教会は総足場の補修中だった。欧州の街では歴史的建造物の補修がここかしこで行なわれている。仕方がないと諦めた。

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・聖ニコライ教会のファサードの高さは147m、旧市街で一番高い建物だろう。ユニークなのは、ファサードだけを完全に復元し、教会本体については祭壇の外壁の一部だけの保全に留めていたことだ。教会でありながら、大聖堂のルールに従って建物主軸は東西方向を向き、十字架の形をしていて、ファサードは西面にあった。

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(出展 Google)

・市庁舎裏手の運河で珍しい光景に遭遇した。お堀の直上を高架が覆っていた。てっきりハンブルクの首都高かと思ったが、Uバーン(地下鉄)の高架だった。この部分は市庁舎真下の地下駅の線路が地上に顔を出した箇所だった。この高架がお堀に被さり、スカイラインを揃えた建物景観を支障しているという見方もあるだろう。2017年7月に首都高を地下化して日本橋や日本橋川を再生しようという動きが始まった。

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・市庁舎裏手の路地でドイツ人お好みのジブクレーンを使ってビルを建設していた。

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・最近日本のマンホールの蓋が隠れた人気になっている。マンホール蓋に市の紋章とハンブルクの正式名称が記されていた。自由ハンザ都市ハンブルク(Freie und Hansestadt Hamburg)、恐ろしく長い名称だ。ハンザ同盟の独立都市として自由な経済活動を維持して発展したことが伺える。そういえば、フランクフルトの正式名称はフランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)。両市とも長い名前なので、さすがにしゃべり言葉で話す人はいないだろう。

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・市庁舎の裏手の広場で一休みした。裏手からの眺めも恐ろしく立派な建物だった。州議会も入っているとか・・・建物の構造はRCの躯体に天然石材を貼った感じだった。恐ろしく精巧な彫刻の飾りが表面を覆っていた。これまで見てきたミュンヘン、ドレスデン、ブレーメンなどの市庁舎や州政府の建物は実に立派だった。ドイツ人は市庁舎や州議会の建物に対する思い入れが人一倍強い国民かもしれない。


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・大通りから見たハンブルク中央駅、改めてこの駅舎の巨大さを実感した。

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・駅前の無料トイレで用を足した。ドイツも含めて欧州は無料のトイレが少ない。日本円換算で50円程度の有料トイレを使うしかない。何故、有料トイレか?日本はレストランでも無料の水が黙って出てくるありがたい国だ。欧州のレストランでは有料の水をオーダーする。意外にも高額だ。「水洗トイレには高い水が必要だ。なのでお金を取る」という風に理解している。

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・ハンブルク中央駅の構内のタイ料理屋で夕食にした。ドイツに入って3日目、ご飯が欲しくなる時期。八宝菜風のご飯は6.5ユーロ(810円)美味しかった。

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by camino0810 | 2018-02-17 11:24 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月14日(水)ドイツⅡ その69 エピローグ(3)

※「ブレーマーハーフェン」(おまけ)

・ブレーメンはハンブルクに次いでドイツの第2の港湾都市だという。Googleの地図を見ると、確かにブレーメンはドイツ有数の観光都市だけではなく港湾都市、工業都市でもあった。ブレーメンはヴェーザー川の河口から内陸に60km入った都市だが、河口の「ブレーマーハーフェン」がブレーメンの外港の役割をしているようだ。

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(出展 Google)

・「ブレーマーハーフェン」はドイツ語で「ブレーメンの港」を意味するそうだ。ドイツではお馴染みの掘り込み型の河川港になっていた。

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(出展 Google)

・ブレーマーハーフェンの河川港にはユニークな産業インフラや水インフラが目立った。日本の造船業は陰りを見せていて、本業の造船業を止めて水門のゲートなどにシフトしている造船会社もあると聞いたことがある。ブレーマーハーフェンでは大型船を建造しているので、ドイツの造船業は元気があるようだ。掘り込み港湾の中で浮きドックや閘門が活躍している様子だった。掘り込み港湾は外海の波浪や高潮の影響を排除できるメリットがあるのかもしれない。
・河口に近い北側のA港湾ではヴェーザー川と掘り込み港は閘門で繋がっていた。閘門のゲートは水平スライド式で側面に、ゲートの収納スペースが設置されていた。これまであちこち閘門を見てきたが、このタイプの閘門を見るのは初めてだ。
・艤装中の長さ200mを超える巨大な船が浮きドックに乗っていた。日本では掘り込み型か陸上型のドックしか見たことがない。

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(出展 Google)

・別の掘り込み港湾内ではドライドック、浮きドックがセットになっていた。200mくらいの大きなコンテナ船らしき船が停泊していた。

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(出展 Google)

・B港湾南側も掘り込み型だった。ヴェーザー川との出入りは収納式の水平スライドゲート付きの閘門で行っているようだ。

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(出展 Google)

・スライド式の陸上ドックもあった。真横には艤装用のスペースが2基設置されていた。

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(出展 Google)

・湾奥には3基の浮きドックを持つ造船会社もあった。

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(出展 Google)

・ブレーメン市街地にもお馴染みの掘り込み港湾、荷役施設や工場があった。同様に、ヴェーザー川とは閘門で繋がっていた。

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(出展 Google)

・閘門のゲートはブレーマーハーフェン港と同じ引き込み式ゲートだった。

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(出展 Google)


・ブレーメン市街地のヴェーザー川の上流には川を横断する堰もあった。左岸には閘門、右岸には発電所と魚道らしき施設が設置されていた。閘門のゲートは日本でもお馴染みの観音開きのマイターゲートだった。

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(出展 Google)

・ヴェーザー川の河畔には赤茶けた工場があった。背の高い建物は高炉みたいで鉄鉱石と石炭らしき貯留所もあるので、多分、製鉄所だろう。日本の製鉄所はすべて臨海部にあるが、ドイツは内陸舟運が発達しているので内陸であっても川沿いなら製鉄所の立地が可能なのだろう。

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(出展 Google)

・ブレーメン空港は長さ2kmの1本の滑走路しかない小さな地方空港だったが、市街地から約5kmのアクセスの良さがある。ブレーメンは人口50万レベルの地方の中心都市だが、ドイツは元来領邦国家の集合体なので、地方中心都市にはブレーメンと同程度の産業インフラ、交通インフラ、水インフラが整っているのではないかと思った。

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(出展 Google)

2016年、2017年の2回、ドイツのライン川、ドナウ川、エルベ川、ヴェーザー川などを見てきて、ドイツという国の川に対する付き合い方が、少しだが判ってきたように感じた。
ドイツは、年間を通じて安定した降雨があり、川の流域面積が大きく、その結果として安定した流量があり、しかも河川の勾配が小さい。洪水もたまには起こるものの、ゆっくり水位が上がる。日本の急流河川とは基本的に違っている。
「ドイツは川と徹底的に付き合って、川といい関係を維持している。産業舟運、観光舟運、発電で川の恩恵を受けると同時に、環境に配慮した川づくりで河川環境を整え、川にお返しをする」
自称川屋から見ると、ドイツは大した国だと感じます。

以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-02-14 17:08 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月13日(火)ドイツⅡ その68 エピローグ(2)

②ブレーメン:2017年4月29日(土)

・ブレーメンは北海に注ぐヴェーザー川の河口から約60kmにある人口50万の大きな街だった。日本では「ブレーメンの音楽隊」で知られた街だが、中世に栄えた「ハンザ同盟」の加盟都市だった。
・ブレーメン中央駅は、赤レンガのドーム型ファサードは風格に溢れる建物で、ホームはマルチトップのドーム屋根だった。この街がこの地方の中心都市だという証拠だろうと感じた。

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・ブレーメンの旧市街は函館の五稜郭を思わせる稲妻型のお堀とヴェーザー川で囲まれていた。「ハンザ同盟」の同盟都市(ブレーメン、ハンブルク、リューベック、グダンスク)は何処も稲妻型のお堀で防衛していたことが判った。


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・ブレーメン中央駅で緑色のタオルを巻いているサポーター達がビールを飲んで騒いでいた。ドイツは地方の中核都市単位でサッカーチームがあり、日本のJリーグのお手本ではないかと思った。
・聖ペトリ大聖堂や市庁舎のあるマルクト広場で市が立っていた。「マルクト」という言葉はドイツ語で「市場」のことだ。デュッセルドルフでも同じだった。中世から大聖堂や大きな教会は行政、宗教、文化の中心だったように思える。

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(出展 Google)

・近在の人が集まって、市が立つのは当たり前だともいえる。日本の中世はお城が大聖堂の替わりであり、同じ道理だったと思う。

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・市場には北海のサケ、サバやニシンの燻製が並んでいた。野菜苗は日本の倍以上の値段だった。チーズ、ソーセージは意外にも高額、牛肉は高く、豚肉はその半額程度。

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・マルクト広場は生憎の寒さだったが、沢山の観光客で賑わっていた。写真の右手が聖ペトリ大聖堂、左の建物が市庁舎。古色蒼然とした佇まいの建物で、独特の建築様式だった。市庁舎は1400年代の建造物、ゴシックとルネサンスの混合様式だそうだ。ドイツ人は市庁舎への拘りが強い国民だと感じた。


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・リープフラウエン教会は煉瓦造りの大きな教会だった。「リープフラウエン」とはドイツ語で「愛する女性」という意味だそうで、キリストのお母さんである聖母マリアのことかもしれない。パリのノートルダム大聖堂の「ノートルダム」はフランス語で「私たちの女性(お母さん?)」と聞いている。どちらも母親に対する親近感や母性を示しているようで、ドイツ人もフランス人もキリスト教に対して似たような親密な距離感を持っているのかもしれない。


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・去年歩いたライプツィヒは格調の高いパサージュだったが、ブレーメンのパサージュは現代的なデザインだった。イギリスのリーズはもっと大々的なパサージュにしてあった。上手にリノヴェーションをして新しいものと古いものを融合しているように思った。


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・駅前には800mに亘って高架道路が設置されていた。ドイツでは珍しい光景ではないかと感じた。駅前の渋滞を回避するために立体交差にしたようだ。高架橋の柱はマッチ棒みたいに細かった。地震を考慮する必要のない国は幸せな国だと思った。東京の首都高ほどではないが、圧迫感を感じることは事実であり、空が見えないのは残念、折角のいい都市景観を支障している気もした。ドイツ人は道路の地下化が大好きな国民のように思える。事業資金が用意できればいずれは地下化するのではないか。


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・駅前は再開発中だった。ドイツ人は固定式ジブクレーンがお好みだった。
・ブレーメン中央駅の構内にはお寿司のお店があった。お寿司はドイツでも市民権を獲得しているようだ。

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・予約したホテルは都心から5km離れた郊外にあった。ホテルは駅から徒歩10分の住宅街の一隅にあった。郊外の街並みは綺麗にしてあった。多分、ドイツの街は何処でもこんな感じではないかと思う。

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・郊外電車を下車する直前、親切な中学生ぐらいの女の子の乗客が自分が置き忘れたポーチを届けてくれた。ドイツ人は総体に日本人よりも親切だと感じている。僕の回りのドイツ人は親切な人が多かった。
・ブレーメンにも八重桜が満開を迎えていた。個人の住宅の庭は、良く手入れされていた。

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・郊外のホテルの部屋から周辺の住宅がよく見えた。ドイツの個人住宅は屋根裏部屋が付いていて、実態的にはは3階建てになっていた。住宅は前庭付きの3階建て、側帯が駐車スペースになっていた。イギリスは2棟続きの戸建てが目立ったが、ドイツは戸建てがメーンかもしれない。


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・ドイツのタバコは20本入りで6ユーロ(750円)、日本は460円、かなり割高だった。建物内は完全禁煙だが、屋外ではかなり治外法権、フランス並みの緩さだった。

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・ブレーメンのトラムは3連の長いトラムだった。

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・旧市街の入り口の豚のオブジェ・・・旧市街は車を排除していた。

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・リープフライエン教会に「ブレーメンの音楽隊」のオブジェがあった。上からニワトリ、ネコ、イヌ、ロバの順。ロバの鼻をこすると何かいいことがあるようだ。

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・旧市街のすぐ脇はヴェーザー川で、素晴らしい水辺が拡がっていた。ヴェーザー川には幅20mくらいの河畔プロムナードが整備されていた。ヴェーザー川の川幅は概ね100m、隅田川より少し狭い感じだった。水はコーヒー色に濁ってはいたが、自分的にはほとんど気にならなかった。青々と澄んだ水が必ずしもマストアイテムとは限らない事例かもしれない。デュッセルドルフのライン川河畔は上下2段、下段の幅は約20mだった。河畔のプロムナードは幅が20m程度あれば、オープンスペース感やユッタリ感が感じられる。ちょうど、小型観光船に大勢の観光客が乗船中だった。観光船は長さ30m程度だったが、観光舟運が盛んな様子が伺えた。観光船は1日4回、1時間程度のクルーズのようだった。


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・聖ペトリ大聖堂は巨大な大聖堂だった。高さは92m。ファサードにはキリストの受難の様子を描いたフレスコ画?が描かれていた。マルクト広場から見た大聖堂も素晴らしかった。

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・第2次大戦で破壊された街の様子をみると、戦災で聖ペトリ大聖堂の2本のファサードの内、片方は途中から無くなっていた。

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・ドイツでも100円ショップ(1ユーロ)が流行っているようだ。イギリスでも同じような100円ショップを見た。

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by camino0810 | 2018-02-13 19:48 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月11日(日)ドイツⅡ その67 エピローグ(1)

2015年のイギリスのエピローグの真似をして、2017年のドイツ・ポーランド旅行で訪れた各都市の印象やエピソードをまとめることにしました。延々と旅日記を綴ってきたけど、書いた記事の内容を書いた端から忘れる状況は昔から変わりません。
少なくとも点情報(街や観光スポット)の整理、点と点を結ぶ線情報(道路やその周辺)の整理くらいは文字に置き換えておくと後で想い出すのに便利です。
2016年のドイツ(中南部)と一緒に書こう思っていたけど、ハードルが高いので止めました。

 4月27日(木)羽田~上海
 4月28日(金)上海~フランクフルト~デュッセルドルフ
 4月29日(土)ブレーメン
 4月30日(日)ハンブルク
 5月1日 (月)リューベック
 5月2日 (火)ツェレ
 5月3日 (水)ハノーファー、ベルリン
 5月4日 (木)ワルシャワ
 5月5日 (金)クラクフ
 5月6日 (土)グダンスク
 5月7日 (日)フランクフルト
 5月8日 (月)フランクフルト~上海
 5月9日 (火)上海~羽田

訪れた各都市の印象や想い出をまとめてみました。

① デュッセルドルフ:2017年4月28日(金)

・デュッセルドルフは人口60万のドイツ有数の大都市、ルール工業地帯の中心都市として第2次大戦後国際的な商工業都市。それにしてはいささか地味な駅舎という感じだった。ドイツの【中央駅】と名前が付く駅舎はワントップかマルチトップのドーム屋根と風格のあるファサードが多かったが、この駅のホームは日本型の独立屋根方式だった。


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・デュッセルドルフの中心街はライン川右岸に拡がっていた。ドイツの街は旧市街を中心にして徐々に拡大していくというパターンが多かったように思う。新市街は旧市街の上流にあった。
・デュッセルドルフ市内には、ライン川の両岸に掘り込み型の河川港が沢山あった。ライン川が産業舟運路として現在でも活躍している様子が伺えた。
・デュッセルドルフの市内交通はトラムで、最近流行の芝生軌道もあった。

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・カールスプラッツという市場で物価調査をした結果、ザックリいうと、食品の値段は日本の2倍くらいという感じだった。魚は豊富だったが、お値段がべらぼーに高かった。ドイツ人はタコを食べるとは意外だった。

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・河畔のプロムナードは上下2段になっていた。上段は道路になってはいるものの、どちらかという歩道に近く、一般の車は制限されている感じだった。上段の真下に上下6車線分の道路トンネルが地下に設置されていた。デュッセルドルフでは、ライン川の右岸つまり旧市街側の河畔道路を地下に落とし込んで、上部をプロムナードに変えて、渋滞解消と水辺の観光価値を上げて、街の賑わいを取り戻したそうで、道路の地下化による大きいな成功事例とされている。低水部の通路は幅20m、高水部の道路は30m程度合計で50mのスペースがある。この広々とした河畔のスペースが実に優れているし、河畔の価値を高めているように感じた。河畔の散策路はライン川と一体になっており、じつに気持ちのいいオープンスペースが出来ていた。

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・2020年の東京オリンピックの迎えるにあたり、日本橋や外濠の再開発が最近注目されてきた。2017年の7月21日、日本橋の再生事業が本格的に動き始めたことが、新聞やニュースで報道された。日本橋は、歴史、文化、経済やインフラなどあらゆる意味において、日本のヘソなので、この地で品格のある街並みが再生される意義は極めて大きい。その効果は日本全土に及ぶかもしれない。
・上流のラインクニー橋付近は芝生広場から見た下流の眺めは実に優れていた。川→下段歩道(芝生広場)→上段歩道→プラタナス→上段歩道→建物の順に並んでいた。建物のスカイラインは5階建てでキチンと揃っていた。上段歩道は昔は道路だったので建物群はライン川にしっかり向いていた。下段の歩道には沢山のカフェが並んでいた。

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・デュッセルドルフには大きな橋が3本架かっていた。上流からラインクニー橋、真ん中がオーバーカッセラー橋、下流がテオドールホイス橋。いずれも斜張橋。市街地はラインクニー橋からオーバーカッセラー橋までの1.5kmにあり、地下化された道路トンネルはこの部分にあった。
・ライン川の流路は概ね300m、堤防の間で500~700mくらいはあった。対岸は水制工があって人工渚になっていた。
・ライン川は産業舟運も盛んだ。流速はザックリ毎秒1mはありそうだ。アゲンストの流れをものともせずに船たちが上流のケルンやフランクフルトを目指して上っていく。ザックリ、長さ100m、幅10m、総トン数2000tクラスの船舶が多いように感じた。

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・旧市街はこの街の売りになっていた。完全に車を排除した石畳の歩道に平日の午後にも拘らず人が沢山出ていた。教会はあったが、大聖堂はなかった。

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・上流側のトンネル入り口は新市街のライン塔の近くにあった。トンネルの直上にはピカピカの高層ビルがある。日本では道路直上にビルが建設された事例は新虎ノ門ビルの環状2号線くらいしか知らない。イギリス、フランス、ドイツでは、建物の中に道路を通してもいいような道路に関する法律や規則があるようにようだ。

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・旧市街では道路を地下に入れて地上を公園化する工事が行われていた。河畔プロムナードだけではないようだ。河畔プロムナードでの道路地下化が成功したので、2匹目の泥鰌を狙った事業かもしれない。都心部の交通渋滞を発生させる道路を高架にしたり地下化したりして、空間を立体的かつ重層的に利用する手法は、土地の高度利用に繋がり、土地の価値や周辺の街の価値を上昇させるようだ。工事にお金が掛かっても、それ以上の便益が生じるということだろうか。ドイツでは高架化よりも地下化を優先しているようだ。都市の立体的利用は高架化ではなく地下化、何故か?晴れの日が少ない欧州の人たちは、降り注ぐ太陽光や青空に対する拘りや憧れが強いからではないか。覆い被さる高架の橋梁は貴重な青空を遮蔽するし、都市の景観を支障するという考え方があるのかもしれない。

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・旧市街の道路は割石で舗装されていた。建物のスカイラインは揃っていて、電柱・電線がないのでスッキリした街並みだ。これまで歩いてきた欧州の街並みは何処でもこんな感じだった。

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・博物館に歓迎の言葉が並んでいた。上からドイツ語、英語、フランス語、日本語の順番、ドイツ人の日本人に対する好感度は悪くないなと感じた。

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・定置式のジブクレーンでコンクリートバケットを運搬していた。ドイツ人は定置式のジブクレーンがお好みだ。
・旧市街は路面電車の軌道跡が残っていた。車に加えてトラムも排除したようだ。人中心の街づくりを行っている感じだ。
・日本の食文化も大分浸透している感じだ。インマーマン通りは、日本のホテルや日本食のお店がある大通りだった。日本語の看板もあった。お寿司屋さんは大賑わいでした。ケータリングのお寿司は日本より相当に高価だった。カラオケボックスもあった。

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・デュッセルドルフには日本のコンビニのようなお店は見掛けなかった。その替わり、キオスクはよく見掛けた。スナック、サンドウィッチ、飲み物などがおいてあり、ドイツのコンビニみたいな役割をしている感じだ。それ以降、他の街でもキオスクを利用したが、アラブ風の人たちがお店をやっていることが多かった。

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・デュッセルドルフの街もあちこちスクラップ・ビルトが繰り返されていた。

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以下、次号・・・


by camino0810 | 2018-02-11 18:05 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月9日(火)ドイツⅡ その66 上海~羽田

中国東方航空MU539便は定刻13時05分に上海プードン空港を離陸しました。

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長江は濁っていました。この河も一度は見てみたいと思っています。

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長江の中の島が見えました。


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日本海上空・・・

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ジェット機は日本海上空を横断して九州上空に達しました。飛行高度は10670m、気温ー44度。同程度の高度で九州はシベリア上空のー59度よりも15度も暖かいことになります。そのかわり、偏西風は時速172km(毎秒48m)、恐るべき風速です。フォローの風を受けて、飛行速度は1000kmを超えていました。


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ジェット機は出身地大分の国東半島を通過しました。中津、別府、大分などが懐かしい地名が表示されていました。

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ジェット機は房総半島から回り込んで東京湾に入りました。見慣れた懐かしい風景が続きました。薄曇りだったのが残念。

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千葉の幕張新都市・・・


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浦安のマンション群・・・

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東京ディズニーシーと荒川・・・

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葛西臨海公園の人工渚・・・


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荒川河口と京葉線鉄橋・・・

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若洲ゴルフリンクス・・・


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東京ゲートブリッジ・・・


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中央防波堤と風車・・・

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東京港とガントリークレーン・・・


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ジェット機は着陸態勢に入りました。


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無事、MU539便は羽田空港に定刻16時45分に到着しました。上海プードン空港から3時間半の飛行時間でした。


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到着ロビーに向かいました。

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よく考えると、羽田の国際空港ターミナルもピカピカでした。


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空港で13日振りに温水シャワー便座のお世話になりました。これまで欧州旅行でシャワートイレに出会った経験は一度もありません。欧州の人たちは、ひと昔前の紙で拭くスタイルを崩していません。


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日本固有の「脚付き型」小便器も13日振り。欧州は「脚なし型」で、「脚付き型」を見たことは一度もありません。最近、日本でも合理的な「脚なし型」を見掛けるようになりました。日本も昔は「脚なし型」オンリーだったと思いますが、生活が豊かなるに従った「脚なし型」が駆逐されて「脚付き型」に置き換わってきたように感じます。シャワーのあるなし、脚のあるなし、国ごと地域ごとに習慣は違ってはいますが、それぞれの流儀を尊重するのが大事だと思います。


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17時20分、構内の両替店でグダンスクで両替した140ユーロを含めた手持ちの160ユーロを日本円に両替しました。ユーロ⇒円は1ユーロは119円、円⇒ユーロは1ユーロ127円。両替の差額は意外に小さいものした。

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両替店の前に沢山の若い女性が行儀よく座っていました。彼女達は、どうも韓国のイケメンタレントの到着を待っているようでした。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月9日(火)羽田は曇り、汗ばむ。
MU539便は定刻16時45分に羽田国際空港に到着した。
4月27日に羽田を発って、13日振りに日本に戻ってきた事になる。空港の日本独自様式のおトイレで用を足して、人心地が着いた。
余ったユーロを円に替えるため両替屋さんに寄った。両替屋の前に沢山の若い女性が行儀よく座っていた。自分が見られているようでなんか恥ずかしいではないか。彼女達は、どうも韓国のイケメンタレントを待っているらしい。
モノレール、山手線で東京駅に出て、高崎線で自宅に戻る電車の中でこの記事を書いている。
通勤時間に当たったせいもあるが、東京の街は何とも人が多い。渋谷のスクランブルが外国人にとって東京のホットスポットになっているのは何となく理解できる。
ドイツ、ポーランドも良い国だったけど、日本も良い国だと思います(^^)

18時東京駅で高崎線乗車、19時に自宅のある駅に到着しました。
4月27日から13日間のドイツ、ポーランド旅行が無事終了しました。

以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-02-02 06:16 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月9日(火)ドイツⅡ その65 フランクフルト~上海(2)

上海行き中国東方航空220便は定刻14時40分にフランクフルト空港を出航しました。上海着が翌日の7時20分着、フライト時間は10時間40分。

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食事は普通に美味しかったです。


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前の座席の背もたれに設置されたモニターで3D地図を見ながら時間潰しをしました。航路はロシア上空を通過する大円航路のようでした。


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ジェット機は北京の上空で上海に方角を変えました。

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モニターの飛行高度10673m、外気温ー59度、時速916kmなど飛行時の状況がリアルタイムに更新されます。
驚かされたのは偏西風の時速117kmという猛烈な風速、秒速10mの風が時速36kmなので、秒速換算すると秒速33mに相当します。帰りはフォローの風で楽ですが、行きはアゲンストの風、時速100kmを超える風も想像を絶するものがありますが、その風に逆らって時速800kmの速度を維持できるジェット機の推進力にも驚かされます。


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ジェット機は上海上空まで達しました。プードン空港は巨大な長江の河口にあります。


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ジェット機は定刻7時20分に上海プードン空港に到着しました。


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巨大なターミナルの通路を延々と歩いてトランジットの手続き場所まで移動しました。トランジットのセルフチェックインには戸惑いましたが、何とかクリヤーできました。手荷物検査の担当者は去年の北京空港の検査官よりもフレンドリーだったように思いました。

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上海市内からの空港アクセスはリニア、高速道路、バスなど様々なアクセスがあるようです。

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時刻表には東京、羽田、沖縄、大阪、成田など懐かしい地名が沢山表示されていて、日本に近づいてきたことを実感できました。13時05分発羽田行きMU539便で帰国します。


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8時過ぎ、手荷物検査を無事終えて、待合ロビーで羽田行きの便を待ちました。13時05分発羽田行きMU539便までには約5時間の時間がありました。フランクフルト空港では空港の構造などを眺めながら時間潰しをしました。上海プードン空港でも同じことを試して時間を潰しました。
この搭乗ロビーの屋根の構造はユニークな形をしていました。簡単に言うと、飛行機の翼のような屋根になっていて、アーチ構造の梁に屋根を張り付けたイメージでした。アーチの支間は50m、下弦材がPC鋼線になっているようでした。アーチ梁のピッチは10m、この梁が延々と続いていました。端が見えないので長さは1キロメートルくらいはありそうでした。アーチ橋は普通上に凸型の形をしてますが、この空港では上下を逆さまにして下に凸にしていました。確か、ハンブルクのハーフェンシティの地下鉄駅舎も逆さアーチ構造でした。

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5時間の時間潰しも結構辛いものがあります。搭乗ロビーで日記替わりの記事をFBにアップしました。それにしてもこの空港は巨大の一言に尽きます。開港は何時かは知りませんが施設はピカピカでした。世界第2位の経済大国に相応しい国際空港という感じがしました。時折、日本語のアナウンスが流れてくるので、日本が近くなったことを実感しました。


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おなかが空いたので、搭乗ロビーのレストランで食事を摂りました。

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牛肉ライスは79元(1190円)はみそ汁とキンピラが付いた日本人にはありがたいワンプレート。総体に味が少し薄めでパンチに欠けていたのが残念、現地通貨の元は持っていませんが、カード使用がOKだったので助かりました。

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この空港では飲料水が無料で利用できました。中国や日本は、東アジアの温帯モンスーン気候で水が豊富な国、欧州では考えられないありがたいサービスです。星巴克珈琲(スターバックス)も出店していました。


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中国のおトイレは脚なし型、欧米と同じ合理的な選択だと感じます。

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島津製作所の宣伝がありました。1875年創業。中国語は簡単そうで理解するのが難しいです。

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羽田行きのジェット機の出航時刻が近づいてきました。

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当日のフェイスブックのアップした記事・・・

5月9日(火)上海は晴れ、気温は平年並みだろう。
フランクフルト発14時40分の中国東方航空220便は定刻7時20分に上海プードン空港に到着した。
トランジットのセルフチェックインには戸惑ったが何とかクリヤーできた。手荷物検査の担当者は去年の北京空港の人よりもフレンドリーだった。
まだ8時30分、13時00分発羽田行きMU539便までには時間があり過ぎる。
時間潰しも兼ねて搭乗ロビーでこの記事を書いている。それにしてもこの空港は巨大の一言に尽きる。開港は何時かは知らないが施設は新しい。世界第2位の経済大国に相応しい国際空港という感じがする。
この時刻は、ドイツ、ポーランド時間は夜中の2時30分に相当するので、今までは眠っている時間だ。11時間弱のフライトでもわずかにうつらうつらしただけなので徹夜状態でPCに向かっているようなものだ。
時折、日本語のアナウンスが流れる。日本が近くなった。
この搭乗ロビーの屋根の構造はユニークな形をしている。簡単に言うと、飛行機の翼のような屋根になっている。アーチ構造の梁に屋根を張り付けたイメージだ。アーチの支間は50m、下弦材がPC鋼線になっている。アーチ梁のピッチは10m、この梁が延々と続く。端が見えないので長さは1キロメートルくらいはありそうだ。アーチ橋は普通上に凸型の形をしているが、この空港では上下を逆さまにして下に凸にしている。
国際空港は国の威信を示すものでもある。世界中の空港を横並びで比べてみるのもなんか面白そうだ。

夕方には羽田に着くことができます。今回の2週間弱の旅行もようやく終わりに近づいてきました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-01-29 17:07 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月8日(月)ドイツⅡ その64 フランクフルト~上海(1)

今日で4月28日にフランクフルト空港駅からICE(新幹線)で旅を始めて11日目になりました。
フランクフルトは曇って寒かったです。そういえば、今回の旅行ではお天気にあまり恵まれなかった感じでした。フランクフルト空港発14時40分発の飛行機で上海に戻り、上海でトランジットして羽田に戻ります。そんな訳で久し振りにのんびりできました。
フランクフルト空港の地図を見ると工事箇所が意外にも沢山あることに気づきました。ホテルのある第2ターミナル周辺、反対側の第3ターミナルらしき工事場所やもうひとつの滑走路が増設中でした。この空港は、森の中に浮かぶ大きな島みたいな空港ですが、新規の航空需要に対応するために新規インフラ投資が盛んに行われている様子が伺われました。


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(出展 Google)

ホテルの窓からラウンドアバウトと新規開発の様子が見えました。空港関連のハコモノができるのかもしれません。ラウンドアバウトはポーランドでも見ましたが、ドイツでも定着しているように思いました。


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ホテルの客室は真新しくてお洒落、四つ星に相応しい備品が整っていました。


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朝、外から見たら、ホテルは意外にお洒落な外観でした。開業して間もない感じです。


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周りはお馴染みのホテルやドイツ国鉄のロジの会社などピカピカの建物が建っていました。


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何故か、DELLの建物もありました。去年のドイツ旅行では空港付近の別のホテルに泊りました。そのホテルの隣はIBMの研究所でした。IT関連企業は国際空港の近くだと何かのメリットがあるようです。


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タバコの自動販売機は日本みたいなパスモが必要な感じでした。ドイツは完全室内禁煙ですが、屋外は結構緩い印象がありました。1箱の本数は日本と違って20本、21本、22本、23本、27本、29本と様々、20本クラスで6ユーロ(750円)と日本の460円に比べて高めでした。


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ホテルを10時30分にチェックアウトして空港行きのシャトルバスに乗車しました。てっきり無料だと思ったら3.5ユーロ(440円)も取られました。グダンスクでは市内から空港まで3.2ズォティー(100円)だったので、料金というものは国で随分と違うもんだと思いました。バスは例のラウンドアバウトをぐるりと回って提携ホテルに立ち寄って、第2ターミナルに向かいました。乗客は一心不乱にスマホをいじっていました。何処の国でも同じです。


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途中、不思議な土留めに出会いました。深さ5mくらいのグランドアンカー付き自立型土留めのようですが、日本では見たことのない絵柄でした。グダンスクでは鋼管の切梁材を見ましたが、それぞれの国にそれぞれの流儀みたいなものがあるものだと感じました。


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シャトルバスは第2ターミナルに11時10分着。フラッグ・キャリヤのルフトハンザの黄色い幟がたくさん建っていました。


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チェックインカウンターのある1階のベンチで時間を潰しました。時間潰しに建物の構造をザックリ目測で調べてみました。
ターミナル2は幅が350m、奥行き100mくらいの巨大な建物でした。建物は5連のアーチ構造、アーチ支間は70m、高さは30m、ライズは1/7程度。アーチの支柱は20m真四角で高さは20m。アーチリブはトラス、鋼材は20cmと華奢な感じ。屋根は幅10mのトップライトと屋根板、材料は軽量のようでした。褄壁は全面透過型のガラスなので、今日みたいな曇りでも内部は明るいのが良いです。


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チェックイン12時50分完了、出国審査13時完了、セキュリティーチェック13時20分完了。最近、世界中のあちこちでテロが発生しています。セキュリティーチェックでは万歳の格好でくるくると回って写真撮影されました。検査員の愛想が良くて助かりました。


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上海行き中国東方航空220便は定刻14時40分に出航しました。


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当日のフェイスブックにアップした記事・・・


5月8日(月)フランクフルトは曇り、肌寒い。
フランクフルト空港の近くのホテルを10時30分にチェックアウトし、シャトルバスでターミナル2に11時10分に着いた。いくつかのホテルが共同出資したバスみたいで、他のホテルの玄関に停車しては客を拾って行く。
空港まで20分程度だが、ラウンドアバウトを2つ通った。ドイツで都合7つ見た事になる。普及、定着が進んでいるようだ。
上海行き中国東方航空220便は14時40分に出航する。3時間の時間潰しをどうするか。
フランクフルト空港はドイツ最大級の空港だ。ポーランドの小振りな空港に比べると実に巨大だ。何処に何があるかさっぱり見当がつかない。
時間潰しにベンチから見上げてこの空港の構造をザックリ調べて見た。
ターミナル2は、5連のアーチ構造。アーチ支間は70m、高さは30m、ライズは1/7。アーチリブはトラス、鋼材は20cmと華奢な感じ。屋根は幅10mのトップライトと屋根板、材料は不明だが軽いようだ。褄壁は全面透過型のガラス。今日みたいな曇りでも中は明るい。
一定の大きさがあると、ハコモノもインフラもありがたみが出てくる。『大きい事は良い事だ』と言った音楽家がいたが、その通りだろう。
この空港のありがたみは、簡易に仕上げたアーチ屋根で造られた高くて広い明るい内部空間だろう。
チェックイン、出国検査、セキュリティチェックを終えて、空港の奥行きも判ってきた。
ターミナル2は幅が350m、奥行き100mはありそうだ。

上海着が翌日の7時20分着、10時間40分の苦痛の時間が始まりました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-01-18 05:02 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月7日(日)ドイツⅡ その63 フランクフルト(2)

グダンスク発18時00分ポーランド航空3816便は定刻に出航しました。

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ワルシャワ空港に19時到着。

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トランジットの余裕時間は1時間15分でしたが、トランジットは手荷物検査はなく単に移動だけで済んだので問題はありませんでした。シェンゲン協定というのはいい仕組みだと思いました。


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ワルシャワ空港発20時15分ポーランド航空383便はジェット機でした。フランクフルト空港に22時10分に到着します。

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20時30分頃、暮れなずむ雲海。5月のヨーロッパの日の入りは遅いです。

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21時50分頃、ジェット機はフランクフルト空港上空に到達。

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定刻22時10分にジェット機はフランクフルト空港に到着しました。


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フランクフルト空港のホテルまではタクシーにしました。タクシー代は7.6ユーロ(950円)。ホテルの部屋からフランクフルト空港の第2ターミナルが良く見えました。

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ホテルの部屋でテレビをつけると、BBCがマクロン大統領の誕生を伝えていました。通信事情の良いドイツに戻ってこられたので、この日の日誌をフェイスブックにアップしました。


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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月7日(日)グダンスクは雨後曇り、寒い。
朝7時過ぎ、グダンスク本駅を手始めに街歩きを開始した。
この街の観光ホットスポットは本駅の東南に固まっていた。教会や市庁舎などメーンはすべて赤レンガで仕上げてある。
グダンスクは千年の歴史を持つ風格に溢れた街だった。大小様々な教会はそれぞれに素晴らしいがどちらかというと前菜かアラカルト、観光のメーンディシュは市庁舎のあるドゥーギ広場だろう。「黄金の門」を潜ると素晴らしい街並みが姿を現す。一番人気の市庁舎前でツアー客が写真を撮りまくっていた。
反対側の門を抜けるとモトワヴァバ運河が現れる。この運河河畔の景観にも驚かされた。建物と運河の間に広いところで20mくらいのスペースがある。カフェなどが並んでいて、建物は運河に向いている。観光舟運も盛んなようだった。
ヒルトンホテルが河畔のいい場所に立地していた。5つ星の超高級ホテルはこじんまりとした造りだった。建物のスカイラインに配慮したようだ。グダンスク空港の1階待合ロビーに「グダンスク・ヒルトン」が大々的に宣伝されていた。この河畔が5つ星ということだろうか。
11時にホテルに戻って12時にチェックアウト。駅前からバスで空港に向かった。途中、ラウンドアバウトを2つ通った。ポーランドにも信号なしの交差点が普及しているようだ。グダンスク空港はこじんまりとしているが、ピカピカでわかりやすい空港だった。
ポーランド航空18時00分発ワルシャワ行き3816便に乗り、ワルシャワでトランジットして22時10分にフランクフルトに到着した。
フランクフルト空港の近くのホテルでこの記事を書いている。4月28日にフランクフルトから旅を始めて10日振りに戻ってきた事になる。テレビをつけると、BBCがマクロン大統領の誕生を伝えていた。
明日の14時40分の中国東方航空の便で羽田に戻る。

この日は、午前中グダンスクの街歩き、午後からグダンスク、ワルシャワ、フランクフルト移動と忙しい一日でした。4月28日にフランクフルトから旅を始めて10日振りに戻ってきた事になります。大きなトラブルもなく無事にフランクフルトに戻ることができホッと一息できました。
明日、フランクフルト発の午後の便で帰国します。

以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-01-14 01:59 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月7日(日)ドイツⅡ その62 フランクフルト(1)

グダンスク本駅前の210線バス乗り場で空港行きバスを待ちました。1時間に1本しかないので乗り過ごさないように注意しました。13時13発空港行きバスに乗車、料金は3.2ズォティー(100円)。

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昨日、グダンスクに着いたのは夜中でした。今日は同じ路線でもお昼なので沿道の光景を観察できました。郊外にはピカピカの高層マンションが建っていました。

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ドイツでは日本車はあまり見掛けませんでしたが、ポーランドには日本車が結構走っていました。右ハンドルのトヨタのヴィッツも走っていました。


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ピカピカの空港アクセス線が完成していました。駅舎の色は大胆な赤で仕上げていました。

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クラインガルテンみたいな家庭菜園がグダンスク郊外にもありました。

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カラ松でしょうか。

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車内の黄色い検札機で切符を検札するのがルールでした。


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バスは3箇所のラウンドアバウトを通過しました。ポーランドでもラウンドアバウトが普及しているようでした。

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ピカピカの「グダンスク・レフ・ワレサ空港」に到着しました。


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空港鉄道駅もできたばかり。

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空港アクセス線は高架形式でした。新規鉄道や道路は地下化するのが欧州流だと思っていたので意外な思いがしました。地下化するのはお金も掛かるし、ここは土地もタップリあるので高架形式を選んだようです。


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13時50分、空港に到着。グダンスク中心部から40分のアクセス、お値段も文句なし。この空港のチェックインカウンターもピカピカでした。
グダンスク発18時00分のワルシャワ行き3816便の航空券を予約していました。ワルシャワでフランクフルト行きの飛行機に乗り換えます。シェンゲン協定加盟国間の移動とはいえ、安全を見込んで早めに到着しましたが、流石に早く着きすぎ、時間つぶしに腐心しました。


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ヒルトン・グダンスクの大きな垂れ幕が掲げられていました。例の顔の黒い「木造クレーン」や造船所の「鋼製クレーン」やヨットも描かれていました。モトワヴァ運河ウォーキングでこのホテル前も歩きましたが、ホテルも周りの水辺も文句なしに素晴らしかったです。


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今回の旅行ではルータを2種類持参しました。モバイルもスマホもこのルータ、ISP経由でネットに入っていました。グダンスクの通信事情は、ルータの能力不足なのかスマホには電波を届けましたが、モバイルにはできない状況でした。ホテルや空港などの無料Wifiを利用したこともありますが、自分の現在位置にいつも無料Wifiがある訳ではないので、持参のルーターは大事なマストアイテムでした。チェックインカウンターの隅のファストフードで昼食を摂りながら時間を潰しました。


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チェックインカウンターで搭乗券を発行してもらいました。客室持ち込みなら40Lと30Lのバックパックの合計2個なら無料。40Lのバックパックは客室の天井収納スペースに収まりました。この方が到着した空港で荷物を待つ時間が省略できるメリットもあります。

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手荷物検査を終えて、今度は搭乗ロビーで時間を潰しました。広々とした空港でした。アクセス道路には壁面緑化を施すなど環境への配慮を感じました。

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18時発の出航まで2時間弱時間がありました。

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この時は、仕方ないのでスマホでフェイスブックに記事をアップしました。

5月7日(日)グダンスクは雨のち曇りのち晴れ。
午前中にグダンスクの観光ホットスポットを見終えた。
グダンスク空港の搭乗ロビーでこの記事を書いている。
ルータの能力不足なのかスマホには電波を届けるが、モバイルにはできない。写真はスマホを使わないので、ネタが空状態だ。
搭乗ロビーでポーランド航空18時00分発ワルシャワ行き3816便を待っている。ワルシャワでトランジットしてフランクフルトに22時10分に到着する。
ようやく旅も最終ステージに入った。明日、フランクフルトから羽田に戻る。今回は何故か睡眠不足で活動力が低下した気がする。年齢を考慮した旅程を検討する時期かもしれない。


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ポーランド航空18時00分発ワルシャワ行き3816便は定刻に出航、ワルシャワ空港に19時10分に到着します。ポーランド航空機はプロペラ機でした。


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ワルシャワでトランジットして22時10分にフランクフルトに到着する予定です。今回の旅行もいよいよ最終ステージに近づいてきました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2018-01-07 18:48 | ドイツⅡ | Comments(0)