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2011年8月17日(水) 京都 天橋立、伊根

2011年8月17日(水) 天橋立、伊根に行きました。
天橋立は、京都府の北の端、日本海側の京都府宮津市にあります。

レンタカーを借りて、カミサン、上の娘と3人で・・・

高野のアパート→五条通り→西京区沓掛で京都丹波道路→一般道→京丹波わちで京都自動車道→宮津天橋立IC下車→天橋立。走行時間約3時間、200km。

16時、天橋立に到着。天気は生憎の曇り。

モノレールに乗って展望台へ・・・
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推定標高100mの展望台からの眺めは素晴らしかったです。晴天なら文句なしでしょう・・・
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家族写真も・・・
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あわただしく更に北の伊根を目指しました。この海沿いの町は、「舟屋」という家屋と船が一緒になった建物で知られています。映画「フーテンの寅さん」でも舞台になりました。

海沿いの道を走りながら気づいたことは、海面と宅地の高低差がほとんどないこと。
つまり、この日本海側の若狭湾の干満差が非常に小さいこと、津波がないことになります。

伊根湾は、小さな内海。
海面は鏡のように静かで、まるで、内陸の湖のようでした。これまでいろいろな海辺を見てきましたが、こんな光景は初めて。水が澄み切っているため、海底の様子が手に取るように判ります。
感動ものでした。
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早速、記念写真も・・・
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半島の反対側の光景はこんな感じ。。。
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舟屋は2階建て、1階が海と接して、船が収容できるような構造になっていました。
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伊根の町並みは、時間が止まったような独特の静かな気分がありました。民宿に2泊くらいしてもいいかなと感じつつ、京都へ戻りました。

by camino0810 | 2012-04-20 07:09 | 京都 | Comments(0)  

2011年8月17日(水) 京都 圓通寺 貴船神社

2011年8月17日(水) 朝、京都駅に行って、予約していたレンターカーを借りました。明日、天橋立、伊根に行くためです。
京都駅前から堀川通りを北上して高野のアパートへ・・・いつもは舗道からしか見ていない街の様子も随分違って見えました。1300㏄のフィットの走りは、軽快でした。
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最初の目的地は左京区岩倉にある圓通寺。庭園が有名なお寺だそうです。深泥池の北にあるこじまりとしたお寺でした。
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土塀の一部が壊れたままでした。
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玄関で入場料を払って館内へ・・・
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自慢のお庭は、残念なことに、日照りのために苔が茶色に焼けていました。住職さんに聞いてみると、「一雨来れば、青々に戻る。」大して気にしていない様子。
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中庭は、坪庭風。
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帰り際に山門の屋根をよく見ると、苔の上に杉の赤ちゃんなど小さな植物が沢山生えていました。土塀も壊れたままになっているし、意識的に放置しているのか?単なる手抜きなのか?一体どっち?
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お目当ての貴船神社へ・・・高野川の支流沿いの道を走りました。
11時、神社の手前の川床に到着。川の上に、足場を組んでその上に板を敷いて座敷に・・・
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仲居さんがお膳を運んでいました。
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「べにや」という割烹が・・・高級そうな気分がプンプンしました。
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玄関のたたきには水を打ってお客さんを迎える準備が終わっていました。
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こんな緑が滴る川床で一度は食事をしたいのが人情。気になるのは、お値段。
予想通り、最低のコースで1万円。家族4人で4万円。結構な出費です。B/Cが1.0以上か、以下か?それは、実際に経験しないと判りません。今回はパス。
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パック旅行の人たちと川沿いの道を貴船神社へ・・・
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5分ほどで入り口の鳥居に到着。ここの鳥居は真っ赤に塗っていました。
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赤い灯篭が並んだ参道を登り詰めると、立派な山門が・・・菊の御紋があるところを見ると、天皇家とも関係があるのでしょう。
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境内はこんな風・・・
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本殿は新築でした。
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階段を下って、入り口に・・・
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近くの喫茶店に入って一休み・・・アイスコーヒーを頂きました。
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貴船神社は、期待どおりの場所でした。次回は、川床料理に挑戦します。

by camino0810 | 2012-04-08 20:03 | 京都 | Comments(0)  

2011年8月16日(火) 京都 出町柳 五山送り火

送り火のビューポイントの下見も終えて、高野のアパートへ戻ることに・・・
高野川の川沿いの道を上流に向けて歩いていきました。

昼下がりの砂利敷きの遊歩道を歩いている時、突然、スペイン巡礼の記憶がフラッシュバックしました。夏の暑い盛りに、毎日、砂利道の巡礼路を歩いたものです。
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高野川、賀茂川、下流の鴨川いずれも優れた水辺空間が、創り出されていました。
白鷺がいるところを見ると、水質も綺麗な上に、餌になる小動物も結構豊富なのでしょうか?
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川の中に面白い飛び石が・・・よく見ると、亀の形をしていました。
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飛び石を渡って、右岸側に・・・
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高野橋の橋詰のこじゃれたバルで一休み。スペイン巡礼の時も疲れるとバルで休憩を取ったものです。
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アイスカフェオレを飲みながら、巡礼の頃を思い出したりしました。
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19時30分、高野のアパートを出発。
上の娘と歩いて、メーン会場の出町柳へ歩いて行きました。高野川沿いの遊歩道には多くの人が歩いていました。川沿いに臨時の見物席もできていました。
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20時ちょっと前に、出町柳に到着。予想通り、ビューポイントの出町橋あたりは立錐の余地がないほど見物客で溢れかえっていました。
20時、待ちに待った送り火をいよいよ観ることができます。
実際は、トラブルがあったのか20時5分ごろに点火。「大」の字が真っ暗な夜空に浮かび上がってきました。
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警察官の誘導に従って出町柳駅に少しづつ移動。駅近くからみた「大」の字は、こんな感じ・・・
2005年の夏、隅田川の花火大会を思い出しました。警察官の誘導に従って、言問橋をゆっくり渡りながら夜空に浮かび上がる花火を見物しました。
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20時20分を過ぎると、薪が燃え尽きてきたためか段々と字が消えていきました。
20時30分、北山の方に目を向けると、妙法の「法」の字がまだ元気に燃え盛っていました。
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五山の送り火は、割と一瞬の、刹那的なイベントでした。
よくよく考えると、当たり前の話です。
多分、薪を井桁状に組み上げて、合図で一斉に点火する段取りだと思います。薪は20~30分程度で燃え尽きるので、刹那的にならざるを得ない。
一瞬の間に燃え上がり、消えていく・・・それもまた悪くないなと思ったものです。

by camino0810 | 2012-04-08 06:31 | 京都 | Comments(0)  

2011年8月16日(火) 京都 上賀茂神社 出町柳

大徳寺から市バスに乗って、上賀茂神社へ・・・・
御園橋西詰から賀茂川を渡ると、上賀茂神社前のバスターミナルに到着。
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上賀茂神社は、本当は賀茂別雷神社。随分といかつい名前です。
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一の鳥居を潜って、奥へ・・・
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二の鳥居の奥には舞殿が覗いていました。
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舞殿の前には、2つの円錐状の盛砂が・・・こんなものを見せ付けられると、いつものようにどうやって造るかを考えます。
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 多分、上部を切り取った円錐状の大きいバケツを伏せて、上部の隙間から砂を投入。その後、水を注入して砂を締めて、バケツを抜きあげる。上部の円錐は、砂を詰めた小さいバケツを被せ、バケツを引き抜いて完成。
境内には綺麗な川が流れていました。
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バスターミナルに隣接した和菓子屋で名物のあんこもち(名前は忘れました)を頂いて、市バスで深泥池(みぞろがいけ)へ・・・恐ろしげな名前なので、怪談にでも出そうなうす暗い森の中の池と思っていました。実際は、オープンスペースの池でした。希少生物の宝庫だそうです。
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お昼になったので、市バスで出町柳に出て、昼食を摂ることに・・・
出町柳は今晩20時から始まる五山送り火のメーン会場。その下見も兼ねてのことです。出町柳駅から東山を望むと、「大」の字がはっきり見えました。
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高野川に架かる河合橋から見た北山に「法」の字をはっきり確認できました。
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高野川と賀茂川の合流点に架かる加茂大橋の直上流の土手も絶好のビューポイントかもしれません。
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賀茂川に架かる出町橋の袂から見る「大」の字が最もよく見えました。多分、この地点が最高のビューポイントだと確信しました。
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下見が終わったので、出町柳のアーケードを通って、定番の「餃子の王将」へ・・・
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前回と同様、店内は繁盛していました。かき玉とから揚げの定食をオーダー。相変わらずちょっとアバウトな盛り付けですが、味も値段もOK。リーズナブルな定食でした。
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出町柳の王将は、30分アルバイトすれば、食事がただになることで有名なお店でもあります。かなり前にテレビで紹介された記憶があります。
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今晩20時、五山の送り火がスタート。放射能汚染の薪を巡って、京都人の対応にはいささか残念な思いもしましたが、とにかく、初めて、五山の送り火をまじかに見ることができます。

実は、この記事の仕上げは、仕事先の新潟からアップしています。モバイルに、肝心な送り火の写真を取り込むのを忘れていました。

章を改めて、アップします。

by camino0810 | 2012-04-03 06:38 | 京都 | Comments(0)  

2011年8月16日(火) 京都 大徳寺、高桐院

2011年8月16日(火)、高野のアパートから市バスに乗って大徳寺見物に・・・
大徳寺は北区紫野にあります。北大路通りと千本通りの交差点、千本北大路から歩いて5分のところにあります。
大徳寺は、多数の小さな寺院からなる寺院団地を統括したお寺のようでした。
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入り口は、こんな感じ・・・
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お寺の定番の山門は、赤く塗られていました。
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境内のメーン通りは、奈良の法隆寺に似て枯れたすっきりしたデザインでした。共通点は、松の木。
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拝観ご免の寺院もありました。2本の竹をバリケード替りにしていました。
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あっという間に大徳寺が終わりました。
広い通りを北に向けて歩くと、程なく、今宮神社が・・・
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本殿をよく見ると、菊の御紋が・・・・
天皇家との関係が深いのでしょうか?
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再び、大徳寺に戻って、高桐院へ・・・
このお寺の名前だけは、知っていました。高桐院は期待通りのシックな寺院でした。
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細川忠興、ガラシャ夫妻、出雲の阿国のお墓があるそうです。
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参道の石畳、苔、新緑の紅葉、生垣・・・京都を代表する素晴らしい光景です。
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観覧料400円を払って中へ・・内部の書院は、簡素で落着いた気分がありました。
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高桐院は、細川家の菩提寺。忠興、ガラシャ夫妻位牌もあるのでしょうか?
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中庭はこんな風・・・苔が雨不足で元気がなく、残念でした。
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細川家の代々のお墓が・・・護煕さんもこのお墓に入るのでしょうか?
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忠興、ガラシャ夫妻のお墓もありました。忠興公が当時には珍しい愛妻家だったそうです。83歳まで生存、忠興公の歯が埋められいるとのこと。お骨は、熊本にあるのでしょうか?
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玄関から見た外の園路はこんな感じ・・・
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入り口の様子は・・・
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高桐院、常寂光寺は、紅葉に時期に再度訪れるべし・・・。
それくらいこの小さな寺院は、素晴らしかったです。

by camino0810 | 2012-04-01 19:07 | 京都 | Comments(0)  

2011年8月15日(月)  京都 三条通り

2011年8月15日(月)  京都にやってきました。この年のお盆は京都で過ごすことにしました。8月16日の五山の送り火を見物するのが主な目的です。

17時、京都駅着。
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駅前から市バスで四条河原町に・・・カミサンと待ち合わせて、三条通りを見物しました。予約した映画の上映まで時間があるので、近くの有名な鰻屋さんで夕食にしました。

新京極東入ルにある「かねよ」で鰻を食べることに・・・
外見は昔ながらのレトロな建物。
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表通りから見える厨房で鰻を焼いていました。
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お店の内部は、大衆酒場のような庶民的な造りでした。家族連れのお客で結構繁盛しているようでした。
僕は、普通のうな丼、カミサンは玉子焼きが乗ったうな丼をオーダー。値段は、確か、1600円。場所、雰囲気を考えると、妥当な値段でしょう。
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問題は味。
正直な感想を言うと、イマイチでした。関東流の蒸した柔らかい鰻に慣れたせいか、関西風の直焼きの鰻は、堅くてホンワカ感が不足していました。
もっとも地元の人は、これが蒲焼きだと思っているでしょうし、土用は過ぎていてもスタミナ補給にこのお店の鰻を食べるのが定番になっているのでしょう。
 いつものように、このうな丼の価値を計ってみます。
地元京都の人 B=2000円、C=1600円 B/C=1.25 >1.0 合格
僕の場合    B=1200円、C=1600円 B/C=0.75<1.0 NG

三条通りは、四条通りと違って地味でこじんまりしていました。昭和初期の雰囲気を残した建物、明治時代の赤レンガの建物などが保存されていました。
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京都文化博物館は、赤煉瓦の小振りな洋館。細川護煕さんが館長を務めているらしいです。
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中京郵便局も赤煉瓦造りでした。日本全国、郵便会社でこんな歴史的建造物が現役なのは、ここだけではないか?
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京都のコーヒーといえば、「イノダ」。名古屋は、「コメダ」。イノダに入って、コーヒーブレイクにすることに・・・
店内は、予想通り、少しレトロで落ち着いた気分がありました。
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お店の奥には、円形のカウンターがあり、中でバリスタがコーヒーを淹れていました。年輩のコーヒー通の人たちが、それぞれに自分の時間を楽しんでいました。今では、こういった本格的な純喫茶のお店がなくなりました。

僕は、コーヒー。カミサンは、コーヒーフロートセット。
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イノダのコーヒーは、多分、500円はしたと思います。B/Cは、もちろん1.0以上。いいコーヒー店だと思います。

三条通りは、京都には珍しく明治、大正、昭和を売りにした街でした。

ひとつだけ残念なことがあります。
通り沿いの電柱を地下化すれば、もっと、この街の価値が上がるのでは・・・

by camino0810 | 2012-03-31 13:45 | 京都 | Comments(0)  

2011年5月3日(火) 神戸 三ノ宮、北野異人館、ポートアイランド

この記事をアップしている今日は、2012年3月11日。東日本大震災からちょうど1年が経過。時間の経つのは、早いものです。

東北地方の復興の歩みは少し遅い気がします。「フクシマ」の放射能の除染も先が見えていません。
新聞のテレビ欄には、各局で震災関係の特集が沢山組まれていました。

ちょうど1年前、僕は東京大塚の会社で被災。当日は首都圏の電車がすべてストップ。自宅まで歩いて帰りました。帰宅難民の予行演習でしたが、つい最近、東京は震源が10km浅くなるので、震度7に上方修正されました。

実際に、このレベルの地震動が来たら、埼玉まで歩いて帰れるか?ちょっと難しそうです。
理由は、中山道(R17)沿線の火事や建物の倒壊、帰宅難民の混雑により歩ける道が塞がれること、新河岸川や荒川を渡る橋が落橋する可能性があることなど・・・荒川さえ渡ることができれば、OKなのですが・・・

2011年5月3日(火)、阪急電車で京都から神戸へ。チョコレート色の阪急電車に乗りました。車内もチョコレート色で、少しレトロで落ち着いた気分がありました。
関西地方の私鉄は無料の特急サービスがあるのがいいです。東京の私鉄の特急、例えば、小田急線の「ロマンス号」、西武池袋線の「レッドアロー号」などは、すべて有料。

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12時に阪急三宮駅に到着。駅前は立派に復興していました。

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1995年1月17日の神戸大震災から16年。
僕は、当時、建設会社に勤務していました。2月1日に、東京の本社から設計支援ということで、大阪の支店に入りました。大阪~神戸間は電車は不通。仕方がないので、福知山線の三田駅から、裏六甲を走る北神急行に乗って谷上駅で下車。谷上駅の被災状況の確認と対策を検討するのが、僕の仕事でした。幸い損傷度は小さく、補修程度で済みそうな感じでした。
北神急行電鉄で、六甲トンネルを通って、三ノ宮駅に降りたちました。
三ノ宮駅前は地震で完全にやられていました。駅前のそごうは3階あたりが潰れて建物が1階分が低くなっていました。そこいらのビルから窓のブラインドがぶら下がっていました。駅前の公園にはブルーシートを屋根替わりにしたテントが張られ、炊き出しをしていました。
神戸の震災は、直下型地震のため被災範囲が一部に限定されていたことが、不幸中の幸い。大阪や京都などの大都市が健全だったため、比較的支援が容易でした。海や河川を利用した船による物資輸送が効果的だったそうです。

3月11日の大震災は、プレート型の地震だったため、広範囲が被災。地震動に加えて、津波、原発炉心溶融と苛酷な事態が続きました。被災範囲が広過ぎ、被災程度があまりに苛酷なため、いまだに、復興の道筋が明確になっていないような気がします。

深刻な話はここまで。
昼食をどこで摂るか?雑居ビルの5Fに小さなレストラン「神戸パリ食堂」に入りました。
1500円のランチをチョイス。サラダ、クラムチャウダー、メーンはステーキ、仕上げはコーヒー。

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B/C=1.2>1.0、味、量、雰囲気とも予想外に良かったです。
駅北側にある北野坂を登って行きました。

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神戸はおしゃれなな街。シックなフラワーサークルが・・・

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オシャレな街に気分に合わせて、ローソンやスタバのデザインも少しオシャレにしていました。

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ほどなく北野異人館ゾーンに到着。こじゃれたお店や建物が沢山ありました。

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階段の脇には人工の滝が・・・

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神戸六甲牧場のソフトクリーム、350円を食べながら一休み。

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お目当ての神戸異人館に到着。沢山の観光客で溢れかえっていました。

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近くの広場で大道芸が・・・

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山手八番館へ。横浜にも外国人居留地の近くに山手という地名があります。欧米から来た外国人たちは、一番高くて眺めにいい場所を住居にしたのでしょう。長崎のグラバー亭も同じです。

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「うろこの家」は薄い円盤状の外壁材で屋根や壁を葺いていました。
スペイン巡礼でビジャフランカデルビエルソでよく見た屋根材と全く同じ。何か関係があるのかもしれません。

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「小人の家?」もありました。

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北野坂を下って、再び、三ノ宮駅へ。

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東京のお台場を走る「ゆりかもめ」と同じ、タイヤを車輪とする電車に乗ってポートアイランドへ向かいました。六甲の斜面にへばりついた神戸は土地が少ないので、海面を埋め立て造成して、新しい街ができていました。
ポートアイランドにある楕円形のホテル前の広場には、近未来的なフォルムが・・・

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そごうのトレードマークの人形時計に似た時計がありました。

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ホテルのロビーは広々としていて立派でした。このホテルの30階を超す最上階に宿泊して、神戸の夜景を堪能してみたいものです。

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「市民広場駅」から電車に乗って、京都に戻りました。

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これで、京都、大阪、奈良、神戸の「四都物語」をひと通り見ることができました。それぞれに特色があり、関東地方に比べてはるかに多様性を持っているように感じました。

by camino0810 | 2012-03-11 09:52 | 京都 | Comments(0)  

2011年5月2日(月) 大阪 通天閣

大阪城を後にして、地下鉄谷町線「天満橋」へ。天王寺駅で地下鉄御堂筋線に乗り換え、「動物園前」駅に向かいました。今回の大阪ミニツアーの目論見は、午後に大阪城をみて、夕食を通天閣の「づぼらや」で摂ることでした。
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舗道に号外が・・・ビンラディン容疑者殺害のニュースでした。
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「動物園前」駅で下車して、アーケード商店街を歩いて行きました。将棋道場があり、しかも、お客が沢山いることに驚かされました。坂田三吉の出身地でもあり、昔から将棋が盛んな地域のようでした。
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通天閣前の商店街に到着。この大阪特有の独特な下町気分に圧倒されました。
上野のアメ横にちょっと似ている感じもしましたが、大阪の下町の町人の生き方が濃厚に滲み出ているように感じました。
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宣伝の字数がやたらに多い・・・こんなの初めてでした。
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通天閣は、真新しい印象がありました。大阪が出身母体である「奥村組」が建造したそうです。東京タワーを設計した内藤多冲博士の設計かもしれません。建造方法は、多分、「ジンポール」方式だと思います。
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王将「坂田三吉翁」の記念碑も・・・1946年77歳で逝去。「大阪人の土根性を知らしめたる功績・・・」との碑文も。ど根性は「土根性」と表記していました。
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名物「ビリケン」の前で記念写真を撮ってもらいました。
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いよいよ「づぼらや本店」へ・・・このド派手な装飾が、大阪流なのでしょうか?
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予約していましたが、本店ではなく、別館とのこと。別館は真新しい建物でした。
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内部は広々としていました。夫婦でトラフグのセット料理を2人分オーダー。
最初にフグちりが出てきました。
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フグ刺し、フグの天麩羅、フグの白子焼など定番料理が次々と出てきました。
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2人分でビールを付けて、9,400円。まずまずの味とボリュームでした。B/C=1.1という処でしょうか?

本場大阪の串揚げを食べようということになり、づぼらやの店員さんにおすすめスポットを聞きだし、アーケード街にあるそのお店に行きました。20人くらい並んでいたので、諦めて、近くの串揚げやに入りました。串揚げやの中は、カウンター席でしたが、スツールが付いていました。
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ウズラ、シイタケ、しし唐、牛肉など定番ものをオーダー。値段は100円前後とお手軽な設定にしていました。確か、キャベツはサービルだったような記憶があります。ウーロン茶2本で締めて920円。旨かったです。「2度付け禁止」のルールをこの目で見ることができたのも良かったです。
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「動物園前」駅に向かう途中に変わったスーパーが、名前は「玉出」。多分、パチンコ屋を居抜きで改造し、名前までそのまま残したという感じ。
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ド派手な看板、これが、大阪下町の保守本流なのでしょうか?関東と関西の気質の違いを感じたものです。

京阪本線で京都に戻りました。楽しい1日でした。

by camino0810 | 2012-02-16 06:54 | 京都 | Comments(0)  

2011年5月2日(月) 大阪 大阪城その2

北面の刻印石広場には、大阪城の石垣に使用された石が展示されていました。石には、どこの大名が積んだものかがわかるように、刻印が彫られていました。
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専門的には、トレーサビリティー(追跡可能性)と言います。この石は、何処の誰か、何処から切りだし、何処に据えたのかが判ることを言います。

「フクシマ」の放射能汚染問題で、マンションのコンクリートの骨材の汚染が最近話題になりました。セメント、骨材、混和剤など、すべてトレーサビリティーが判るようになっています。

現在の大阪城は徳川時代初期の作品。秀吉のオリジナル版を大幅に改造したようです。徳川幕府が、石垣工事をどのように配分したかが判りました。

工区分けは、「大阪城内ゾーン」(多分内堀の石垣工事でしょうか?)が30工区、「寝屋川ゾーン」(外堀?)が20工区のようでした。メンバーは、概ね、徳川の松平、本多、前田などの譜代、親藩がメーン。外様の毛利も入っていました。
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僕の実家のある大分県佐伯市の毛利藩のものもありました。「豊後佐伯 毛利伊勢守高政」が責任者でした。個人名が特定されているので、築造年代の推定は容易でしょう。
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毛利藩の刻印は、こんな感じ。象形文字みたいで、意味はよくわかりません。
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当時、大阪城築造工事は、国家的なプロジェクトだったのではないか?現在価値に換算すると、多分、数千億になりそうな感じがします。

簡単な石垣工事費の試算   工区数×工区あたり工事額=(30+20)×30億=1500億円。

他にお堀工事、天守閣工事などの上物、周辺整備工事を合算すると、5000億~1兆円規模にはなりそうです。

財源をどうしたのか?設計会社はどこだったのか?工事を統括する幕府の工事局はどんな仕組みだったのか?各大名の工事事務所はどんな風?職人たちの住まいは?などなど、考え始めると結構面白そうです。

公園の中に、桐の花が咲いていました。上品な紫です。
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京橋口に向かいました。極楽橋の袂の石垣も立派でした。
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極楽橋は改築工事中。
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リニューアル工事のようでした。以前のイメージを保持しつつ耐震補強でもするのでしょうか?
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京橋口から振り返った大阪城は、実に、雄大かつ優美でした。屋根の緑青が宝石のように綺麗でした。
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パリの凱旋門に勝るとも劣らない迫力と上品さを感じました。
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「大阪城は、日本を代表する建造物だった。」改めてそう思いました。

京橋口にも超巨大な石垣が・・・
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寝屋川に架かる橋の上から見た大阪城と赤レンガの建物のコラボも素晴らしかったです。
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寝屋川を走る水上バスと高層ビルのコラボも「水の都」大阪に相応しい光景でした。
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大阪城は、単なる名所・旧跡程度だと思っていました。想像以上に素晴らしいところでした。

by camino0810 | 2012-02-10 06:00 | 京都 | Comments(0)  

2011年5月2日(月) 大阪 大阪城その1

水上バスのミニクルージングを終えて、大阪城に向かいました。大阪城ホールを通って、青屋門から入ることに・・・
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外堀は、こんな風・・・
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程なく青屋門に到着。
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青谷門を潜り抜けると、お目当てのの大阪城の天守が視界に飛び込んできました。
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内堀にそびえたつ石垣の巨大さに圧倒されました。皇居前の江戸城、実家の大分の中津城の石垣など遠く及びません。
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内堀脇の遊歩道を歩いて、南面の桜門へ。このあたりは空堀になっていました。
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来た道を振り返ると、こんな感じ・・・角の石垣の大きさは、半端なく巨大でした。多分、3m×2m×1m。20t位はありそうでした
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桜門から城内へ・・・
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門をくぐると、巨大な石垣が・・・高さ3m、幅9mはありそうです。厚みが不明なため重さは不明ですが、運搬中に石が壊れないためには、最低でも1mは必要でしょう。そうすると、3×9×1×2.7t/m3=73t。下手をすると、100tはあるかもしれません。
下々のものに判りやすいパフォーマンスで自らの強大さを示すのは、いつの時代でも権力者の常とう手段。秀吉はそういう人心操縦術に長けた人物。墨俣の一夜城など土木技術者としても一流の人物と推察されます。
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これだけの石を切り出してどうやって運搬するか?
写真の印象から判断すると、花崗岩。花崗岩は神戸の御影か瀬戸内海一円に産出されます。いずれにせよ、陸上運搬は困難。多分、船を使って、運河で近場まで運搬、それ以降はコロと人力でしょう。
100tの石をどうやって船で運搬したのか?
ひとつの仮説として、海中に縄で吊るした状態で運搬すれば、浮力を利用できる分、船を小さくできるという考えもあります。
土木工事の記録はどの時代でも乏しいのが、残念。多分、企業秘密か国家機密位の重要度があったのかもしれません。

天守閣は立派でした。鉄筋コンクリート造なのが、少々残念。
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最上階からの展望は、素晴らしかったです。秀吉が存命中は周囲は軒の低い民家だけ。さぞ天守からの広大な眺めに痛快な思いをしたことでしょう。
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実は、現在の大阪城は徳川秀忠、家光時代に再構築されたものらしいです。
秀吉のオリジナル版はもう少し小振りだったとか。オリジナル版は黒田官兵衛の作。僕の実家、大分県中津城を造った人でした。
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黒田官兵衛、加藤清正、藤堂高虎などの城つくりの巨匠は、いずれもいくさ上手。攻城戦での坑道戦法、地下水遮断戦法、水攻め戦法など、土木技術の知見の多寡が、戦の勝敗を分けるポイントだったのでしょうか?

僕が導き出した結論・・・「戦国時代の名将は、優秀な土木屋だった。」

大阪城と中津城の石垣の勾配は明確に違います。
石垣の曲線勾配は、土質力学の簡単な土圧理論から説明ができます。官兵衛は、石垣の基礎地盤の強度、石垣背面の盛り土の性質などを熟知した優秀な土木屋だったと思われます。

現在の大阪城は、東京スカイツリーを建設中の大林組。大阪を発祥の地とする名門建設会社です。大阪城の建設時の模型が展示されていました。1958年、東京タワーで用いられた「ジンポール方式」でした。この手法は、東京スカイツリーで使用されたタワークレーンがなかった時代の代表的な建設手法だと得心しました。
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北面の刻印石広場に向かいました。
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北面から見る大阪城はインパクトがありました。
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次は、刻印石広場の記事、章を改めてご紹介します。

by camino0810 | 2012-02-08 05:48 | 京都 | Comments(0)