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2015年10月27日(火)中津(その1)

朝早く起きてホテルをチェックアウトして再び博多の川歩きをして、実家のある大分県の中津市まで電車で帰省しました。
博多駅の西口は九州の玄関口に相応しい立派な駅でした。

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JR九州の電車は実にデザイン性に溢れています。JR各社はそれぞれの経営戦略を持って独自な路線を歩んでいるように思えます。いい意味で競い合いが起こり民営化の良い面が出ているではと感じます。
特急ソニック号はユニークな青い顔をしていて、ヘッドレストはミッキーにするなど遊び心満載の電車です。最近、デビューした「七つ星」は数十万もする超高級列車も人気だとか・・・。

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岩手の大船渡で仕事をしている僕にはマジンガーZみないた顔をしているこの電車が実に新鮮に映ります。
ちなみに、東北新幹線のこまち号とはやぶさ号は、緑と赤の長くて丸い顔をしています。

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電車は遠賀川を渡りました。この川はユニークな川で高水敷きが見当たりません。日本の河川は大抵低水路と高水敷を持った複断面ですが、この川は単断面形状をしているように思えました。

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日豊本線の中津駅で下車して、駅前の日の出町のアーケードで土産を買いました。カンコロ餅、石垣餅、キンツバ。。。手前の茶色のカンコロ餅はサツマイモの粉を生地にして蒸しあげたお菓子です。石垣餅はさいのめのサツマが入っています。子供の時よく食べた懐かしいお菓子です。

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中津駅前でレンタカーを借りました。書類に珍しい名字が書かれていました。この年の5月、ラグビーのワールドカップで日本は南アフリカ戦で奇跡的な大勝利を挙げて日本中が大騒ぎになりました。その立役者の五郎丸歩選手は福岡県の出身、書類の方は親戚かもしれません。

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中津市の郊外に槇文彦が設計した「風の丘葬祭場」があります。流石に高名な建築家のデザインは洗練されているなと感じました。


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真四角の建物の屋根は実は傾斜しています。何処かに違和感を放り込むのが芸術の芸術たる由縁なのでしょう。


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芝生とRCの打ちっ放しのコラボ・・・

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打ちっぱなしの壁面にも芸術を感じます。

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森山という地区に中津から揚げの総本山「もり山」があります。オヤジさんは元気に揚げているのでしょうか・・・

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実家のある旧三光村は今は中津市に編入されました。
東九州道が開通していました。実家の周辺の変貌振りに呆れました。土木工事の環境改変力の凄まじさに土木屋の自分でも驚かされました。
高速道路のICが村にできたので村の風景が一変していました。

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このあたりは雨が少ないので丘陵地の谷を盛土して農業の溜池が築かれています。実家の裏手の丘から八面山がよく見えました。溜池と八面山の間に高速道路の橋が架かっていました。

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長男夫妻がこの村のニュータウンに移住しました。日当たりと眺めに恵まれた家が完成したばかりでした。


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最近開通したばかりの村のICからピカピカの高速に入って走ってみました。宇佐ICで降りて、再び、R10で中津に戻りました。

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村に戻って、村のコスモス畑に行ってみました。結構人気のスポットらしいです。生憎の天気が残念でした。

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八面山の麓に「金色温泉」(かないろ)があります。2000年にオープンしたそうです。広い室内風呂と露天風呂に入りました。岩手の大船渡温泉のオーシャンビューの露天風呂も良かったけど、林に囲まれたこの風呂も大変良かったです。

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実家のオフクロと少しばかり話をして、東京に戻りました。
宝来軒の万田店に寄ってラーメン(500円)を戴きました。帰省した時は必ずここのラーメンを食べます。中津人のソールフードみたいな食べ物です。


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中津駅から北九州空港に向かいました。


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日豊線朽網(くさみ)駅で下車し、空港行きのバスに乗り換えました。
北九州空港は沖合の埋め立て空港です。同じタイプの神戸空港より規模は大きいようでした。

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空港内のポスターには官営八幡製鉄所が紹介されていました。
北九州の産業遺産が世界遺産に登録されたようでした。八幡製鉄は、明治の日本を牽引したが中心的存在でした。連休に行ったイギリスのリーズの赤レンガを想い出した。


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JAL378便羽田行きの最終便は定刻20時53分に離陸しました。

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ジェット機は東京湾の東側から進入し高度を下げました。東京の街は宝石を散りばめたみたいにキラキラ輝いていました。写真を撮ってみたもののシャッタースピードが遅くなるため画像がぶれました。黒々と横たわる荒川の上を通過しました。中川の背割堤が確認できました。

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ジェット機は東京湾に出て羽田空港に着陸しました。

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深夜埼玉の自宅にようやく帰り着きました。


by camino0810 | 2016-03-21 19:35 | 大分 | Comments(0)  

2012年1月1日(日) 大分 杵築

磨崖仏を観終えて、杵築市へ・・・

杵築は、国東半島の付け根にある古い城下町。
中学2年生から1年半、この街で暮らしました。中学校は大分市にあったので、電車で通学していました。

人口は多くはありませんが、八坂川、杵築湾を見下ろすお城、武家屋敷など日本の伝統的な風情が感じられる城下町です。

家族揃った久しぶりの帰省なので、僕の叔母さんに会いに行くことに・・・
叔母さんの家は、杵築市の郊外にあります。小学生、中学生の時分によく遊びに行った家です。外観は当時とほとんど変わっていません。
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すぐ傍の川で釣りをしたものです。叔母さんに正月料理を振舞ってもらいました。実に、8年振りのことでした。帰り際に玄関で記念写真を・・・
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杵築市の南台に行きました。杵築の中心部は、北台と南台と呼ばれる高台と、それらに挟まれる谷底のその名も谷町からできています。東京の山の手と下町みたいなものです。南台は、地図の左側の部分です。
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南台は、江戸時代は武家屋敷ということもあり、ハイソな住宅地です。敷地、家屋ともそれなりに立派です。当時、僕の家族は、この南台に住んでいました。車を近くに停めて、かって住んだ家の周囲を歩きました。

この家は、親父が勤めていた会社の代用社宅。建屋、レンガ塀は当時のまま。。。懐かしいです。
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当時、中庭には、築山、池、大きな松がありました。現在は、車の出し入れのため、生垣を大きく割っていましたが、中庭は、当時の気分をそのまま残していました。
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谷底の谷町は、道路を拡幅し、城下町杵築の落ち着いた気分を造りだしていました。どの家も壁は白、屋根は灰色のツートンカラーで町全体を統一するのが、コンセプトのようでした。
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有名になった北台の武家屋敷に・・・中国人のツアー客が大勢来ていました。
北台から見た南台の光景は、こんな感じ・・・坂道の下が谷町、南台の斜面の上には、叔母さんのアパートもあります。確か、「フーテンの寅」の舞台にもなった観光スポットです。
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北台の武家屋敷の特徴は、瓦屋根、土壁、石垣からなる土塀。落ち着いた気分を醸し出していました。
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塀の中を覗くと、土壁が傷んでいる家もありました。壁の骨格となる竹がむき出しになっていました。早急な補修が必要な気がしますが・・・
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この武家屋敷は、杵築藩の重臣たちの住居だったのでしょう、門構えも立派でした。
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杵築の街は、僕が中学生だった頃に比べて、街並が格段に整備され、立派になっていました。ツートンカラー、ゆったりした街路などに見られるように、地域全体を一体的に整備して、観光資源としての価値を高めようとする気分が感じられました。

by camino0810 | 2012-07-18 15:01 | 大分 | Comments(0)  

2012年1月1日(日) 大分 熊野磨崖(その2)

宇佐神宮の御参りを終えると、大忙しで豊後高田市の熊野磨崖仏に向かいました。
国道10号線から枝道を入って行きました。
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駐車場で入場券を購入し、参道を登ります。
登り始めは、杉林の沢沿いの砂利道。歩きやすいです。
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次は、石の階段。これもまあまあ、歩きやすい・・・
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最後の関門は、大きな石ころの階段。勾配がかなりきつくなり、足場が悪く、歩きにくくなります。正直、ハードルが高い。手すりと券売所で借りた杖を頼りにひたすらゴールを目指しました。
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歩き始めて、20分程度でようやくお目当てのものに出会えました。最後の石の階段は、一種の体力テスト。汗をかいて、やっと、ご褒美が頂ける・・・そんな感じがありました。

唐突に、岩壁に2体の磨崖仏が現れました。左側が、不動明王、右側が、大日如来。
仏教の序列は、大日如来、菩薩、不動明王の順。ここでは、菩薩が省略され、大日如来と不動明王が同列に並んでしました。
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大日如来のアップはこんな感じ・・・大分県は「石仏の里」とも呼ばれています。有名な臼杵市の石仏もこんな風。
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遠目の不動明王は・・・
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横から見ると・・・断崖絶壁によくぞ彫り上げたもの。足場を組み上げて、上から順に掘り下げていったのでしょうか?
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アップのお顔は、妙に優しい感じ・・・。
独特の仏教文化を持つ国東半島に点在する石像たちに共通するのが、この奇妙な優しさや親しみやすさ。
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寺院の山門に安置されている不動明王は、結構、恐い顔が多いです。例えば、法隆寺の不動明王は、こんな感じ・・・不動明王は、如来のガードマン役なのか、悪者を追い払うために、強面にしたのでしょう・・・
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僕は、この磨崖仏の不動明王の顔つきが、気に入り、パソコンの壁紙にしています。
不動明王の前で、記念写真を撮ってもらいました。
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山道を下りて、麓のお寺を見物。石像は、どことなく優しい気分を纏っていました。愛嬌が感じられるのも好いです。
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護摩堂前の仏像に金紙、銀紙を貼るといいことがあるのか?デコメの仏像は、キラキラ輝いていました。面白い光景でした。
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次の目的地は、杵築市。家族で帰省するのは、8年振り。折角の機会なので、杵築に住んでいる僕の叔母に会いに行きました。

by camino0810 | 2012-07-17 16:41 | 大分 | Comments(0)  

2012年1月1日(日) 大分 宇佐神宮(その2)

下宮の御参りを終えて、参道を駐車場に戻りました。
途中に珍しいポスターが・・・
昭和の名横綱 双葉山のポスターでした。彼は、地元宇佐市出身。不滅の69連勝を成し遂げた伝説的な関取。子供時代に左眼を負傷したようですが、最後まで、その弱点を隠して、大記録を造ったそうです。
ビジユアル的にも優れていたので、女性に大もてだったとか・・・うらやましいです。
力士は、五穀豊穣を祈る奉納相撲も大事なお仕事。場所間に、全国を巡業するのは、そのためかも・・・双葉山も宇佐神宮で奉納相撲を行っていたのでしょう・・・
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再び、お神楽を見学。子供も登場しました。
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参道脇に面白い灯篭が・・・
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参道をまっすぐ行けば、駐車場ですが、ついでなので、右に折れて、少し、境内を探検することに・・・このあたりは、参拝客がほとんどいませんでした。
大きな池の脇に建物が・・・
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中には、いろいろな額や絵が飾ってありました。
愛子さまの誕生祝いの奉納薪能のプログラムが・・・
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板のキャンバスに描かれた絵は、かなり損傷していました。弓矢を持った武士と女性の絵でした。
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田んぼの中の親子3人の絵柄も・・・正直、意味不明でした。
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これは、すぐに、理解できました。江戸時代のお金を「奉」の形に並べてありました。
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能の舞台発見。。。まさかとは、思いましたが、この舞台で剣舞が行われていました。振っているのは、真剣だと思います。寄り道した甲斐がありました。
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このあたりは、全く人気がありません。枯れた蓮が所々に立っている、寒々とした風景が広がっていました。
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鴨たちが、元気に泳いでいました。
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最後に不思議な場所を発見・・・
鳥居と本殿がひっそりとコンパクトに固まっていました。周囲には、誰もいません。何のための施設か?
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答えは、看板に書いてありました。
「頓宮」というダミーの施設でした。33年毎に本殿などを更新する際、仮の本殿に充てる施設でした。テレビのクイズ番組で見た事がありました。出雲大社などでも、仮宮を設置するそうです。
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寄り道で、思わぬ成果がありました。
次は、大慌てで、熊野磨崖仏に向かいました。

by camino0810 | 2012-07-16 10:55 | 大分 | Comments(0)  

2012年1月1日(日) 大分 宇佐神宮(その1)

2012年1月1日(日) 元旦は、宇佐神宮に初詣に行きました。

宇佐神宮は、大分県宇佐市にあります。全国4万を超える八幡宮の総本社。言わば、本店みたいなもの。平安時代に創立された歴史と伝統のある神社です。

小学3年生の時、1年間、柳ヶ浦という宇佐から近い町に住んでいました。自転車で駅館川(やっかんがわ)を渡って、何度か、この神社に遊びにきました。大きな馬が入っている厩に行って、10円で買った秣を神馬?にあげた記憶があります。

遊んだだけで、参詣は今回が初めて・・・
10時に駐車場に到着。国道10号線は、思ったより、混雑していませんでした。
宇佐神宮の境内は、明治神宮と同じ位の広さ。小高い山の頂上に本殿があり、平地の部分の外側に川を引き入れて、外堀にしていました。多分、伊勢神宮もこのような造りになっているのではないか・・・
外堀に架かった橋を渡って中に入っていきました。
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参道は、まだ、早いので、人出は多くはありません。屋台が沢山並んでしました。
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参道を更に進むと、「皇族下乗」の立看板が・・・
皇族はここで乗り物を下りて、歩けということか?これから先は畏れ多き処だというのでしょうか?現在は、そんなことは無関係。皆、無視してどんどん歩いていきます。
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お神楽をやっていました。
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平地から山道にかかる場所に鳥居があり、「上宮本殿」の看板が設置されていました。
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階段を登り切ると、上宮本殿の門に到着。
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参拝客に家族の集合写真を撮っていただきました。看板には、平成24年と皇紀2672年のダブル表記。天皇家との関連が深いので、皇紀の表記を使用したのでしょうか?
太平洋戦争で活躍した「ゼロ戦」を思い出しました。本当は「零式艦上戦闘機」、皇紀2600年に正式に採用されたことを意味するそうです。西暦に換算すると、1940年、昭和15年にデビューした戦闘機ということになります。
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上宮本殿は、参拝客で溢れていました。一番奥には、御神木の楠の大木がありました。この神社に家族揃ってお参りするのはこれが最後だろうと思い、破魔矢を大奮発・・・
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早速、本殿で御参り。上の娘は、「2礼2拍手1礼」を知っていました。感心なことです。本当は、宇佐神宮独自のローカルルールがあるですが・・・
初めて、宇佐神宮の偉大さに気づくことに・・・
毎年、天皇陛下が、3月に参拝していました。この年になって、熊野磨崖仏、富貴寺など結構凄いものを、近くに住んでいながらあまり知らなかったことを少し反省。
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説明版を観て、宇佐神宮の位置づけなどを知りました。天皇家にとっては、伊勢神宮に次いで、大事な神宮でした。
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次は、階段を下って、下宮へ・・・
上宮は、皇族専用、外宮は、一般人用ということらしいです。昔なら、僕たち一般人は、上宮には入れなかったでしょう・・・日本が、イギリスのような階級社会でなくなったことに感謝、感謝・・・
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下宮の造りは、上宮に比べ若干アバウトな感じ。
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気になったのは、屋根の桧皮葺の構造。京都で見たものと同じ造りでした。タイトな設計仕様が出来上がっているようです。
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後半に続く・・・・

by camino0810 | 2012-07-15 20:32 | 大分 | Comments(0)  

2011年12月31日(土) 大分 日田 豆田町

2011年12月31日(土) 小鹿田から車で日田市の豆田町へ・・・

豆田町は、JR日田駅の北1kmにある歴史文化地区。江戸、明治の気分を残しています。豆田町の北側を流れる花月川は、2012年7月3日、大雨で堤防が決壊して大きな被害を受けました。

車を月隈公園の駐車場に停め、月隈山へ・・・月隈山は、標高50m程度の小高い山。
つづら折りの山道の崖には、小さな洞穴が無数に掘られていました。埼玉県吉見町の吉見百穴とそっくりでした。多分、お墓ではないか?
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程なく、頂上に到着。天守閣があったと思われる石垣が・・・三橋美智也の「古城」を彷彿とさせます
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天守跡から日田市の市街地が一望できました。
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月隈神社には沢山の赤い幟が立っていました。
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山道を下って、豆田町へ・・・。月隈公園の外堀はこんな感じ・・・綺麗に整備されていました。
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花月川は、景観や親水性も一応考慮されているようですが、イマイチ感がありました。
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橋を渡ると、いよいよ、豆田町。
この町は、2本の南北に走る通り(御幸通り、上町通り)とそれを結ぶ東西の1本の通りにお店が集中しています。なまこ壁の蔵など江戸の気分も・・・電柱を地下化してあるので、全体的にスッキリしてもいました。
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御幸通りのお土産物屋は、長屋風の2階建て・・・
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連結する通り沿いは、こんな感じ・・・まだ、電柱が残っていましたが、石張りの舗道にしていました。
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お煎餅屋でひと休憩。店内でサービスのお茶を飲みながら、お煎餅を頂きました。
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豆田町には、おしゃれな小間物屋、カフェもありました。若い女性たちには、打ってつけの観光スポットでしょう。
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「布あそび」・・・端切れのお店でしょうか?
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「雑議所」・・・喫茶店のようです。
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このお店は、カフェ・・・
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この通りには、広瀬淡窓資料館があります。淡窓は、江戸時代の高名な学者。

日田は、江戸時代、徳川の天領。九州地方の政治、経済の中心地だったようです。そのため、実家は、豪商。体が弱いためく家業を継ぐのを断念し、学問の道を目指したそうです。広瀬家は、大分県の名門、現大分県知事の広瀬勝貞?さんもこの広瀬家の出身だとか。

淡窓の実弟、広瀬九兵衛が、実家の家業を継ぎました。晩年、九兵衛は稼いだお金を大分のインフラ整備に投入し、自ら、工事の指揮も取ったとか。当時のインフラ整備といえば、新田開発、洪水防御のための河川開削、農業用水の導水路工事など・・・勿論、耶馬溪の青の洞門などの道路工事も。京都の高瀬川の開削を行った角倉了以は京都の豪商。九兵衛のインフラもこれらのどれかだと思います。

江戸時代のインフラ整備は、個人の資金で実施された事例が多いようです。現在は、国や県のお金で整備が実施されます。私財を投げ打って、地域に貢献する。実に、感心なことです。

日田もから揚げが名物のようでした。から揚げといえば、僕の実家のある中津と宇佐が、本家ですが・・・
から揚げで小腹を満たして、清酒の醸造元「薫長」へ・・・花月川沿いに蔵造りの酒倉が並んでいました。製造中の施設の中に、見学コースも用意されていました。
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入り口は、こんな感じ・・・
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玄関には、杉玉が飾られていました。
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酒蔵の中にも杉玉が・・・
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発酵用の甕のようなものが・・・
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これは、見た瞬間に判りました。どぶろく状の原酒からお酒だけを分離する装置。土木工事でも使います。フィルタープレスと呼んでます。漉された固形分は、多分、酒糟になるはず。
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懐かしいグッズの展示も・・・珍しい写真発見。女優の真屋順子さんの若い時の写真が・・・。彼女は、日田出身ということなのでしょう・・・随分前、萩本欣一の「きんどん」で彼のママ役で人気だった覚えが・・・最近、テレビで見掛けません。体調でも悪いのでしょうか・・・
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館内のお土産物屋兼カフェでコーヒーブレイク。
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修景がイマイチの花月川を渡って、駐車場へ・・・
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大急ぎで実家に向かいました。大忙しの大晦日になりました。

by camino0810 | 2012-07-13 23:16 | 大分 | Comments(0)  

2011年12月31日(土) 大分 小鹿田

猿飛千壺峡・魔林峡から再び国道212号線に戻って、日田方面へ・・・・

目的地は、焼き物の里「小鹿田」。「おんた」と読みます。

民芸の陶器で、コアなファンはご存知ではないか?江戸時代から10数件の窯元が川沿いでお皿などを焼いています。すべて手作業、一子相伝を頑固に守り抜き、商業ベースに走らない生き方がカッコいいです。

小鹿田の陶器は、一目で識別できる特徴を持っています。

 ①飛びかんなと呼ばれる文様
 ②刷毛目模様

素朴ですが、味わい深い焼き物です。
時折、東京あたりの小料理屋さんでも見かけるし、おしゃれなお店でも使われているようです。
これは、大皿の例、飛びかんなの文様がよく判ります。刷毛目模様は、付いていません。
飛びかんなの技法をテレビで見ました。道具は、そのあたりで拾ってきた薄い細長い鉄板のみ。ろくろに乗せた陶器の表面に、鉄板を当てて、鉄板の弾力を利用し、等間隔で小さな切れ込みを掘り込んで行きます。見事なものでした。
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珈琲茶碗セットは、刷毛目模様で装飾されていました。
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明治時代、柳宗悦が中心となって始めた民芸運動で小鹿田焼が発掘され、昭和になって、イギリス人の陶芸家バーナード・リーチが、小鹿田焼を褒めてから、脚光を浴びるようになったといわれています。バーナード・リーチが、小鹿田の陶工に伝授した取っ手の接合手法は今でも活きているとのこと。

道中、面白いオブジェが・・・
懐かしいウルトラマンが枯れ田に展示されていました。こんな遊び心も時には必要でしょう。
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スペックのウルトラマンの体重が気になりました。本当に、3万5000トンもあるの?
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最近、話題のBMIで検証してみました。

BMI=体重(kg)/(身長m)2

僕のBMIは、身長183cm、体重76kgとしてBMI=76/(1.83×1.83)=23。
チョイ肥満程度の標準範囲。標準値は、確か、22。

ウルトラマンの身長は40m、、BMI=22として体重を計算すると、
体重=22×40×40=35,200kg=35t。
3.5万tではなく、3.5万kgなら辻褄が合います。

以上の計算は、単なる理屈の世界。ウルトラマンに出てくる怪獣たちは、万t単位の超大型。怪獣を退治するには、やはり、万t単位が必要でしょう。

ちなみに、もうひとつ、お人形が・・・・膝辺りのリアルさが、実に、秀逸。
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家族で大笑いしながら、車で小野川を登っていきました。
杉林を抜けると、小鹿田の里が・・・小野川の渓流沿いの斜面にへばり付くように、10数軒の
窯元が建っていました。
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陶器の主材料は、陶土。近くの山から粘土を切り出して、使用します。多分、原材料には、石なども混じっているので、篩いで篩い、細かい粘土を抽出し、それを細かく砕く仕組みのようです。
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唐臼と呼ばれる大型の「鹿威し」みたいな装置で数日掛けて、粘土を優しく細かく粉砕します。
土木屋の僕は、コンクリートの材質に関係した仕事もします。昔のコンクリートと現在のコンクリートの大きな違いのひとつに、骨材となる砂利や砂があります。昔のものは、砂利は川で採取した丸い石や川砂を使っていました。現在のものは、大きな岩石を機械で砕いて使っています。現在の骨材は、無理無理砕くため、角張った形になり、練りあがったコンクリートは、昔のものに比べて作業性がよくありません。
小鹿田の陶工たちは、出来るだけ、優しく、時間を掛けて、丸い粘土を造るほうが、成型時にいいものができることを経験的に知っているようです。
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粉砕した粘土を水に入れて攪拌し、不純物を取り除き、沈殿させた細かい粘土を取り出します。これが、陶器の材料になります。
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陶器の製作の写真はありません。テレビで小鹿田焼が紹介されていました。蹴ロクロと呼ばれる足で回転させるロクロで製作していました。
出来上がった半製品を庭先で干していました。
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仕上げは、焼き。いくつかの窯元が共同で使用する登り窯が・・・
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釜の中は、多くのひな壇に分かれていて、陶工の経験と勘で置く場所を決めるようです。半製品を詰め終えて、出入り口をレンガで塞ぎ、焚口から薪を投げ入れて焼きます。
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僕は、いつも窯元「黒木隆」で作品を買います。
陶工の黒木隆さんは数年前に亡くなったそうです。10数年前、朝日新聞で黒木さんが紹介されました。記事を読んで、その素朴で飾らない人柄が気に入り、以来、この黒木窯で陶器を購入してきました。残念なことです。
現在は、その父親で80歳を超えた?黒木力さんが作っているようでした。展示室は、通り沿いと奥の2箇所にあり、ここでチョイスして購入します。
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今回は、大皿1枚、珈琲茶碗セット2組を購入。応対は、隆さんの娘さんがしてくれました。品物を新聞紙で包み、レジ袋に入れてくれました。
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隆さんには、男の子供はいないようでした。
小鹿田焼は、江戸時代から続く一子相伝の世襲制。日本の天皇家と同様な跡継ぎ問題があるはず。。
どう解消するのか?女帝、女陶工を認めるのか?養子を採るのか?

お昼は、この集落の入り口にある蕎麦屋さんでいただきました。このお店1軒きりなので、いつも、このお店を利用します。
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お蕎麦は、おのおの違うものをオーダー。B/C=0.9。味は、まずまず。
牛蒡天のお蕎麦には大振りの牛蒡天が・・・
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山菜蕎麦には、こんにゃくがトッピング。。。
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肉蕎麦には、鶏肉が・・・
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お店に珍しい色紙が飾っていました。
2年前?に亡くなった筑紫哲也さんのものでした。筑紫さんは、地元日田市出身。知性、人柄、ビジュアルの三拍子がすべて揃った優れたジャーナリストでした。色紙に書かれた直筆の字体にも、誠実な人柄が感じられました。
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小野川沿いの道を下り、日田市豆田町へ向かいました。

by camino0810 | 2012-07-12 14:43 | 大分 | Comments(0)  

2011年12月31日(土) 大分 猿飛千壺峡、魔林峡

2011年12月30日(金) 家族で僕の実家の大分に帰省することに・・・
各自、バラバラに住んでいるので、集合場所は、中津駅前のホテル。

飛行機は、一見、速そうですが、空港までのアクセスを考えると、思ったよりお得感はありません。
新幹線のぞみの自由席で帰ることに・・・2本遅らせると座れました。今では、東京~小倉間を5時間で走ります。
1974年当時は、新幹線は岡山まで。特急で岡山から小倉まで行くしかありません。
しばらくして、東京~小倉間が全線開通。それでも、ひかりは7時間近く掛かった覚えがあります。2時間の短縮は、ありがたいです。

小倉駅の日豊線のホームで、定番の「かしわうどん」(350円)を必ず食べます。くだくだのうどんに甘辛の鶏肉が意外にマッチしていて、気に入っています。
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日豊線は、デザインに凝った車両が多い。普段利用しているJR東日本の地味めな車両と比べると、嬉しくなります。
特急ソニック号は、ブルー色したマジンガーZのようでした。
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車内は、こんな感じ・・・なかなか遊び心があります。座席のヘッドレストは、ミッキーマウスか?
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中津駅に到着。北口の日の出町商店街を歩いてみました。明日が大晦日にも拘わらず、アーケード商店街は、閑散としていました。
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中津駅徒歩3分のホテルにチェックイン。年末にも拘わらず、朝食付きで1泊3,000円とリーズナブル。室内も真新しくで良かったです。
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12月31日(土) 今日の行程は、猿飛千壺峡・魔林峡→小鹿田(おんた)→日田→実家。レンタカーを用意しておきました。
中津駅前から国道212号線を福岡県境の日田市に向けて、ひたすら走ります。山国川沿いに耶馬溪を抜けて、山国町に入りました。
このブログをアップしている1週間前、大雨で山国川が大氾濫したそうです。

山国川の支流を遡って、15分でお目当ての猿飛千壺峡(さるとびせんつぼきょう)に到着。
この奇妙なネーミングは、この川の岩種に関係しているそうです。

このあたりは、阿蘇山の火山活動で形成された安山岩でできています。洪水流が、小石を含んで竜巻のように回転し、小石が深い竪穴を削り上げます。これが繋がって独自の景観が、出来上がったとのこと。この奇岩を猿達が飛び回っていたのかも・・・
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側面から観るとこんな風・・・
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吊橋から家族写真を撮影・・・
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次は、川沿いの小路をあるいて下流の魔林峡へ向かいました。何か、魔物が出てきそうな無茶苦茶怖そうな名前ですが、実際は、結構明るくて、全然怖くはありません。
途中に俳句を刻んだ石碑がズラリと並んでいました。
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「千壺の渓たかなりて舞う蛍」。このあたりは、蛍が舞うようです。
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魔林峡は石のアーチ橋から始まります。下流から橋を振り返ると、こんな感じ・・・。名前は、念仏橋。1928年の作品だそうです。
山国、耶馬渓地方は、石造りのアーチ橋が多いです。アーチ橋は、その下に木製の支保工を組み立てて、アーチ状に石を並べて、最後に、中央部の要石を入れて、支保工を撤去して完成。この橋の下の谷は、深いので、支保工を組むのが、難渋したのではと思いました。
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狭くて、深い峡谷になっていました。岩が丸く壺状に削られていることが、よく判りました。
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青緑の澄んだ水が、流れていました。
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峡谷を背景にして記念写真を・・・
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この2つの峡谷のいいところは、人気(ひとけ)が全くないこと。見学中、他の誰とも出会うことはありませんでした。ちょっとした「隠れ家」的な穴場といってもいいスポットでした。

次は、焼き物の里「小鹿田(おんた)」に向かいました。

by camino0810 | 2012-07-11 15:16 | 大分 | Comments(0)  

2010年11月25日(水) 大分 真木大堂、富貴寺、両子寺

2010年11月25日(水)、初めて、熊野磨崖仏から一連の国東半島の六郷満山巡りをしました。国東半島は、「仏の里」と呼ばれ、平安時代から神仏混合の独自の密教文化を発展させて来た地域だそうです。

六郷満山の絶壁を歩いて修行する修験僧たちが、宇佐神宮で安全祈願をする映像を見て、驚いたものです。

真木大堂は、熊野磨崖仏から車で10分の県道沿いにありました。
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旧本堂はいささか貧相な建物でしたが、意外な発見がありました。
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旧本堂の中に2体の不動明王が・・・多分、山門から移設したのでしょう。
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旧本堂には、天皇家の菊の紋章が・・・意外な思いがしました。
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鎌倉時代の元寇のとき、モンゴル軍団への勝利祈願をこの地で行い、その成功報酬として、将軍家を通じて、天皇より菊の御紋が下賜されたとのこと。こんな片田舎のお寺に意外な歴史があったものだと感じたものです
新築された本堂に御本尊が安置されていました。撮影禁止なので、写真はありませんが、かなり怖げな菩薩様や不動明王が安置されていたように記憶しています。

駐車場に面白いお店がありました。
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このあたりは、田染荘(たしぶのしょう)といって、平安時代の荘園の名残りが残されているそうです。特段、変わった印象もなく、枯れ田が茫然と広がっていただけです。日本の中世も、多分、こんな風景だったのでしょうか?
岸壁には、ミニ磨崖仏が彫られていました。信仰の厚い地域だったようです。
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小さな神社に寄ってみました。
境内には、熊野磨崖仏で見たのと同じ不動明王像が・・・
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この境内は、よく考えると、実に不思議な気分がありました。神社の中に、お寺にある不動明王がある。つまり、神と仏が同居する「神仏混合」の世界が造られていました。このあたりに国東半島の六郷満山の本質があるように思えました。
高さが2mに満たない鳥居もありました。
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小さな本殿も・・・
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次の目的地は、富貴寺。このお寺は、かなりメジャーな有名なお寺です。車で20分のところにありました。
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山門には、定番の不動明王が左右にならんでいました。「国東六郷満山霊場第二番札所」の看板が掛かっていました。
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ちょうど、紅葉時期真っ盛り、境内には、写真マニアの人たちで溢れていました。マニアがいなくなるのを待って撮った写真がこれ・・・
本堂は実に上品かつ優美な姿をしていました。大分県出身でありながら、この年にして、初めて見ることができました。ちょっと感動ものでした。
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本堂の脇には、「国東塔」と呼ばれる仏塔が・・・
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帰りに入り口に安置された道祖神を発見・・・実に優しく穏やかな気分がありました。
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僕のメーテルリンクの青い鳥第2号は、「富貴寺」になりました。

次の目的地は、両子寺。車で30分のところにありました。
国東半島は、真ん中の両子山を頂点にすり鉢を伏せたような形をしています。両子寺はその頂点の中心部に位置しています。
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入り口の紅葉が素晴らしかったです。
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階段を登り終えると、護摩堂がありました。富貴寺と似た優美な屋根を有していました。
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奥ノ院へ向かいました。小さな沢を渡りきると、石段が・・・
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階段の登り口には、2体の不動明王が・・・熊野磨崖仏、田染庄で見た像と奇妙な優しさ、親しみやすさが全く同じ。同一作者かと思われるほどです。
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奥には、例によって「国東塔」が・・・
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最後の階段には、鳥居が・・・「両所大権現」とあります。ここでも、お寺の中に、神社。
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「神仏混合」は、実に日本的でいいと思います。

たまたま、塩野七生さんの「十字軍物語」を読みました。フランスを中心とする十字軍が、11世紀から200年に亘って、聖地エルサレムの奪還を目指します。同じ先祖を持つ、言い換えれば親戚筋のキリスト教徒とイスラム教徒が激しい戦いを繰り返す・・・。
テンプル騎士団の綱領や、第2次十字軍の戦争指導をした聖ベルナールという修道僧の言葉に見られる「イスラム教徒を殲滅せよ」という思想に、宗教の持つ残忍性を感じざるを得ません。

8月、9月のスペイン巡礼では、テンプル騎士団の名前が入った村に泊まり、テンプル騎士団を顕彰するお祭りに遭遇しました。この騎士団は、とにかく、スペインを占領していたイスラム教徒を排除するのが任務なので、スペイン人にとっては、ありがたい存在ですが、イスラム人から見るととんでもない外敵。

十字軍は、一神教の持つ排他性と不寛容が激しく顕在化した歴史的事件ということでしょうか。9.11事件も表向きは経済格差が原因のように見えますが、本質的には同根の事象と考えて良さそうです。

「神仏混合」の世界は、違った存在を共有し、認め合う寛容さがあります。磨崖仏や苔むした不動明王像に観られる共通した不思議な優しさは、寛容のコンセプトから出てきたもののように思えます。

階段を登りきると、権現様が切通しの間から見えました。
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本殿は、絶壁に設置した足場上に建てられていました。
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外見は神社そのものですが、中には千手観音が安置されていました。通常、神社の本殿に祭られるご神体は鏡が多かったような気がします。権現様は千手観音。ここでも、神と仏が混然一体となっていました。
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少し下ったところに、大講堂がありました。
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本堂の中の仏像の配置を見て、仏様の序列がようやく理解できました。中央が大日如来、向かって右側が観世音菩薩、左側が勢至菩薩、その両側に不動明王。
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更に、下って入り口に戻ってきました。皆、紅葉を背景に記念写真を撮っていました。
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慌ただしく巡った六郷満山でしたが、予想以上に良かったです。季節を変えて、もう一度、じっくり見てみたいと感じました。

by camino0810 | 2012-01-04 07:32 | 大分 | Comments(0)  

2010年11月24日(水) 大分 中津

2010年11月24日(水) 大分県中津市の郊外にある実家に帰りました。

東京駅9時30分発の新幹線に乗車。小倉駅に14時43分着、ここで日豊本線に乗り換えて中津駅へ・・・小倉駅のホームに降りると、何となく九州の匂いや気分を感じます。

日豊本線のホームで定番のかしわうどんを食べました。
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350円とお手軽な値段。トッピングは、甘辛のかしわ(鶏肉)、カマボコ、ねぎ。このかしわが実に旨い。うどんが全く腰がなくグズグズなのが、またいいです。如何にも駅のファストフードらしい・・・
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JR九州の列車は、皆、結構、おしゃれな外装、内装をしています。いつもお世話になっているJR東日本の味気ない車両とは大違い・・・

特急ソニック号のデッキはこんな風・・・
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座席はミッキーマウスのヘッドレスト。
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15時13分、中津駅に到着。
北口に出て、駅前ロータリーの左側にある「日の出町」アーケードへ・・・
中津市は福沢諭吉の生誕地。福沢諭吉記念館には、一万円札の第2号が展示されています。第1号は、東京の日本橋にある日銀本店にあるらしいです。
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曾て、「日の出町」アーケードは、中津市の最も繁華な街でした。通りに人が沢山歩いていたものです。
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平日の15時過ぎの時間帯なのもあって人影は疎ら。ほとんどのお店がシャッターを下ろしています。市内の別の場所に新設されたショッピングモールと郊外のショッピングモールに人を取られてすっかりさびれていました。
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アーケードの中間あたりの路地を右折すると、「宝来軒本店」があります。ここのトンコツラーメンは地元では旨いことで超有名。帰省した折には必ず食します。
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アーケードの出口にある鮮魚店も閉まっていました。中津市は、周防灘で獲れた地物の魚がお店に並びます。鱧、真ゴチ、イシモチ、ワタリガニ、車エビ、フグ、ボラ、イワシなど。この「大阪べん」の店先に並んだ地物を見るのが楽しみでした。
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福沢通りを挟んで向い側に、「壽屋」がありました。かって、九州一円に展開したデパートです。建物だけが残ってテナントも入っていません。1974年頃、完成した記憶があります。当時は、「日の出町」アーケードと「壽屋」は多くの人で賑わっていました。
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奥の「新博多町」アーケードは、壊滅状態。
地域の中核をなす地方都市の衰退と現在の日本の元気の無さは、完全にパラレル状態。このまま推移すると、生産年齢人口が益々減って、もっと深刻な状況に陥るでしょう・・・

山国川の方へ歩いて行きました。橋の上から観た河口の風景はこんな感じ・・・
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河口の中州にある中津城へ。
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中津城は、豊臣秀吉の参謀役、黒田如水が建てたものらしいです。
河口の三角州に城を建てる理由は、多分、お堀を掘る必要がないため安くできること。当時は物資の主要輸送手段は舟運、陸地ぎりぎりに川や運河を設置できれば、城下町の発展に何かと便利だったのでしょう。
但し、軟弱地盤対策や、洪水の処理を上手にやる必要もあるし、干満の差が大きいため、潮位調節も必要でしょう。黒田如水は、色々な点を考慮して、この地にお城を築造したのでしょうか・・・
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この石垣をどのようにして造ったか、いつものように考えます。
まずは、石垣の勾配に目が行きました。大阪城や姫路城などの石垣に比べて緩くなっていることに気付きます。これは、河口の柔らかい地盤上にあるため。多分、基礎石の下には、どっさり松杭が打ってあるでしょう。
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なかなかスタイルの良いお城です。信州の松本城を彷彿させます。
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石垣をどのように造るか?
まずは、主材料の石材の調達と運搬。石材の種類がよくわかりません。写真から判断すると、安山岩か角礫凝灰岩のように思えます。運搬距離が短い方が良いので、近場の石切り場から持ってきたと思われます。まあ、地産地消というところでしょうか。この岩石は、山国川の上流の耶馬溪地方に豊富にあります。多分、耶馬溪の石切り場から概ね1m程度の大きさに切り出して船積して、山国川を下って、運んできたのでしょう。

その前に、石垣設置個所の水替えをして、水を掻い出す。設置位置が、川の水位より低いので、風車型の排水ポンプで湧水を掻き出す。地ならしをした後、松杭を櫓に吊るした大型の鎚で打ち込む。あとは、下から石材を1段並べる。裏側に砂利を詰めて固める。これを繰り返して完成。

中津城の石垣は結構アバウトな積み方でした。石垣をよく見ると、補修した跡が・・天守閣の下の石垣は少し小振りで真新しい・・・
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天守本体はどうして造るか?
高さが50mの東大寺と違って、5層の木造の建物。1層あたり3mとして全高15m。普通の木造家屋が大きくなった程度。外周に足場を巡らせて、1層づつ仕上げる。柱、梁、壁材、屋根材はすべて人力で運搬が可能だと思われます。

お城の中はこんな風・・・奥平神社という小さい神社がありました。
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江戸時代になると、譜代の奥平家が転勤してきたと書いてありました。福沢諭吉は、奥平藩の下級武士の出身。「福翁自伝」という本のなかで、福沢は理不尽な階級的差別への激しい不満を吐露していたように記憶しています。能力のない上級武士が立身出世する仕組みを憎んでいたようでした。特に、奥平藩は保守的な傾向が強かったため、その思いが増幅し、比較的平等に評価される長崎、大坂、江戸に活路を開いて行ったのでしょう。

「天は人の上に人をつくらず、人の下にひとをつくらず」という福沢の有名な言葉は、単に、西欧の啓蒙主義から出たものだけではなく、彼自身の幼少時代の不遇な体験に根ざしたもののように思えます。

その福沢の「独立自尊」の記念碑が近くにありました。
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このあたりには、猫が沢山いました。
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お城の近くにお寺が固まってしました。合元寺というお寺が・・・通称「赤壁寺」。壁を真っ赤塗っていました。
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17時発の最終バスの時刻が迫ってきました。大慌てで駅前へ・・・
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バスの中はこんな風・・・小型のマイクロバスです。
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17時30分、実家の近くのバス停に到着。暮れなずむ夕暮れの中、実家に歩いて行きました。
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地元の中津市を結構真剣に見ることができた1日でした。

by camino0810 | 2011-12-29 19:14 | 大分 | Comments(0)