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2011年8月15日(月)  京都 三条通り

2011年8月15日(月)  京都にやってきました。この年のお盆は京都で過ごすことにしました。8月16日の五山の送り火を見物するのが主な目的です。

17時、京都駅着。
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駅前から市バスで四条河原町に・・・カミサンと待ち合わせて、三条通りを見物しました。予約した映画の上映まで時間があるので、近くの有名な鰻屋さんで夕食にしました。

新京極東入ルにある「かねよ」で鰻を食べることに・・・
外見は昔ながらのレトロな建物。
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表通りから見える厨房で鰻を焼いていました。
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お店の内部は、大衆酒場のような庶民的な造りでした。家族連れのお客で結構繁盛しているようでした。
僕は、普通のうな丼、カミサンは玉子焼きが乗ったうな丼をオーダー。値段は、確か、1600円。場所、雰囲気を考えると、妥当な値段でしょう。
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問題は味。
正直な感想を言うと、イマイチでした。関東流の蒸した柔らかい鰻に慣れたせいか、関西風の直焼きの鰻は、堅くてホンワカ感が不足していました。
もっとも地元の人は、これが蒲焼きだと思っているでしょうし、土用は過ぎていてもスタミナ補給にこのお店の鰻を食べるのが定番になっているのでしょう。
 いつものように、このうな丼の価値を計ってみます。
地元京都の人 B=2000円、C=1600円 B/C=1.25 >1.0 合格
僕の場合    B=1200円、C=1600円 B/C=0.75<1.0 NG

三条通りは、四条通りと違って地味でこじんまりしていました。昭和初期の雰囲気を残した建物、明治時代の赤レンガの建物などが保存されていました。
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京都文化博物館は、赤煉瓦の小振りな洋館。細川護煕さんが館長を務めているらしいです。
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中京郵便局も赤煉瓦造りでした。日本全国、郵便会社でこんな歴史的建造物が現役なのは、ここだけではないか?
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京都のコーヒーといえば、「イノダ」。名古屋は、「コメダ」。イノダに入って、コーヒーブレイクにすることに・・・
店内は、予想通り、少しレトロで落ち着いた気分がありました。
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お店の奥には、円形のカウンターがあり、中でバリスタがコーヒーを淹れていました。年輩のコーヒー通の人たちが、それぞれに自分の時間を楽しんでいました。今では、こういった本格的な純喫茶のお店がなくなりました。

僕は、コーヒー。カミサンは、コーヒーフロートセット。
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イノダのコーヒーは、多分、500円はしたと思います。B/Cは、もちろん1.0以上。いいコーヒー店だと思います。

三条通りは、京都には珍しく明治、大正、昭和を売りにした街でした。

ひとつだけ残念なことがあります。
通り沿いの電柱を地下化すれば、もっと、この街の価値が上がるのでは・・・

by camino0810 | 2012-03-31 13:45 | 京都 | Comments(0)  

2011年9月10日(土) 東京 隅田川ウォーキング(その5 )

15時45分、新大橋が見えてきました。シンプルな斜張橋です。主塔のオレンジ色が決まっていました。ケーブルの本数を極端に減らしてスッキリしたデザインにしたようです。
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気になったのは、橋脚のひび割れ。一応、補修してありましたが、絆創膏を貼りまくったようにみえるので、少し、残念な感じ。もう少しタッチアップを上手にできなかったのか?
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遊覧船が走りすぎていきました。隅田川が満潮になると橋桁の下の空頭が狭くなるので、船体を薄くしてありました。宇宙船みたいでなかなかかっこよかったです。
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15時55分、待望の清洲橋の右岸側の袂を通過。
清洲橋は、隅田川に架かる橋たちの中で僕の最も好きな橋です。青の優美なアーチの橋体。レトロな気分もいいです。
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左岸側に清澄排水機場が見えました。水門のゲート(表側)は、内陸部を向いていました。内水が墨田川に流出しないようにして、内陸部の洪水をポンプで汲み上げて隅田川に排水する仕組みのようです。
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はたらく船たち発見。土を積んだ茶色の船をタグボートが押して下流に向けて航行中。なかなかたくましい連中です。
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16時05分む、河口から3km地点通過。
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緑色の隅田川大橋は、首都高に隠れるようで地味な橋でした。
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このあたりは、箱崎JCTのある日本橋箱崎町。下流には、永代橋、佃島の大川端リバーシティーが・・・・
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日本橋川の合流点のスーパー堤防になったテラスで一休み。
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永代橋のグレーのアーチもどことなく風格を感じました。
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日本橋川の合流点から上流を見ると、捨てられかかった川の悲しい姿がありました。渋谷駅南口の渋谷川よりはまだましですが・・・特徴的な共通点は、建物が川に背を向けていること。堤防沿いの道路もありません。
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16時35分、大川端リバーシティーと中央大橋が・・・東京の水辺と都市と橋が一体化した超現代的な光景と言ってもいいでしょう。
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16時40分、中央大橋の右岸側の袂を通過。凝ったデザインの斜張橋でした。橋げたが曲線、ケーブルはハープの弦を思わせます。
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すぐに、霊岸島水位観測所がありました。日本の標高の基準となるTP(東京湾中等水位)を決めた観測所のようでした。おしゃれなデザインに驚いたものです。
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亀島川水門が見えました。亀島川は東京駅の八重洲口から少し海側に歩いたところにある小さな支流です。この水門のゲート(表側)は隅田川に面していました。清澄排水機場と同様、隅田川本川の洪水を流入させない役目のようです。
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16時50分、佃大橋の右岸側の袂を通過。
隅田川の最上流から歩いてきた小さな旅も最終章に入りました。
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ゴールの勝鬨橋が目に入ってきました。高層ビルに反射した夕日が、川面に落ちて光っていました。いかにも大都市東京にふさわしい水辺の光景でした。
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17時05分、ゴールの勝鬨橋に到着。勝鬨橋は、船が川を行き来できるよう中央部の橋げたが持ち上がる構造になっていました。
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会の係りの人から完歩証明書をもらい、ついでに記念写真を撮ってもらいました。
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歩き時間は、7時間。歩いた距離28km。距離以上に疲れた旅でしたが、隅田川の素晴らしい水辺の風景に触れることのできた有意義な旅でした。
勝鬨橋の右岸側の袂は晴海通り。築地市場を左に見ながら、日比谷線築地駅へ・・・
途中に旨そうな博多ラーメンの店があったので、ささやかな夕餉を摂ることにしました。600円の博多ラーメンをチョイス。トッピング食べ放題、かつ、ゆで卵の無料サービスも嬉しかったです。B/C=1.0。ぎりぎり合格。
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すぐ近くの築地本願寺の少し違和感を感じた建物を見学後、築地駅から埼玉に戻りました。
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再度、隅田川を歩くか?
酷暑期、極寒期をはずした時季、例えば、桜の季節などはやってみてもいいかなと思いました。

by camino0810 | 2012-03-30 07:08 | 東京 | Comments(0)  

2011年9月10日(土) 東京 墨田川ウォーキング(その4)

20分程休憩して、14時50分墨田区役所を出発。
隅田川最下流にある勝鬨橋を目指します。残りは、10km、2時間の歩きです。
隅田川の左岸側を歩いて行きました。

最初の橋は、駒形橋。吾妻橋の一つ下流にあります。水色のアーチ橋、なかなか素敵な佇まいです。橋脚は、レトロな石積み風のデザインでした。
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川沿いのテラスに降りて、水辺を歩きました。川の水を引き込んで葦原を再現していました。
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駒形橋の次は、厩橋。やり過ごして、下流の左岸から振り返ってみた厩橋は、こんな感じ・・・3連の薄緑のアーチ橋でした。遊覧用の屋形船も停船していました。
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テラスには、隅田川の過去の潮位記録が表示されていました。
最高潮位は、伊勢湾台風を想定したAP+5.02m。写真を見ると、隅田川の堤防天端の高さは、この潮位より1m程度高い+6.4mに設定していました。AP(Arakawa Pale)は荒川の干潮水位を0とした水位。APは、標高(東京湾中等水位)を示すTP(Tyokyo Pale)より約1m低い。最高水位は、標高標記では、TP+4m。
昨年の大震災では、津波が東京湾の湾奥まで来たそうです。直下地震や東海地震の津波を果たして防ぎ切れるか?多分、東京都はその結論を出していると思います。
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テラスギャラリーがここにも・・・乱杭を配置して、かっての面影を再現していました。
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15時、蔵前橋の左岸側の袂を通過。この橋は、上路橋。アーチが路面の下になっていました。鮮やかな橙色の橋げた。
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僕の中では、青の清洲橋の次に好きな橋です。パリでみたアレクサンダーⅢ世橋に似た気分がありました。
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クレーン船、浚渫船を使った河川工事も行われていました。
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15時15分、総武線の鉄橋を通過。
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15時20分、両国橋の袂に到着。この橋を渡って、左岸から右岸へ・・・
両国橋は補修工事中で逆光のため、細かい部分は、不明。
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両国橋の袂の親柱には地球儀のような大きな石が飾られていました。
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隅田川が洪水防御の役割を終えたのは、荒川放水路が完成した1930年。それ以前は、洪水から護岸を守るために、川岸に「百本杭」が打ち込まれていたそうです。
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日露戦争で陸軍を指揮した大山巌元帥の石碑もありました。
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15時35分、両国橋を渡りきった所から見た下流側の眺めはこんな風・・・首都高6号向島線の両国JCTが見えました。
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隅田川の右岸側のテラスを歩いていくと、左岸側に水門が・・・ゲートの向き(表側)が隅田川の方に面していました。つまり、隅田川本川からの洪水流が流れ込まないようにしていました。
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別の水門では、ゲートの表側が内陸側を向いていました。この場合は、内陸部の洪水が隅田川に流れ出ないようにしています。
なかなか、洪水制御もややこしそうな感じです。
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ゴールの勝鬨橋まで、あと5kmになりました。

by camino0810 | 2012-03-25 20:50 | 東京 | Comments(0)  

2011年9月10日(土) 東京 隅田川ウォーキング(その3 )

ようやく、中継地点の墨田区役所が近づいてきました。

14時、現在地は白鬚橋の下流、桜橋の手前。隅田川の右岸側テラスを歩いていきました。
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隅田川を管理する東京都も「カミソリ堤防」の壁面をカモフラージュするために工夫をしたようです。

方法その1:壁面緑化で壁を隠す。
堤防背面の土地の買収が難しい時は、背面に盛土ができないので、カミソリ堤防は撤去できません。カミソリ堤防の壁面を緑の顔に変える方法は、手っ取り早くて有効な方法です。
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ついでに、テラスに造園的な工夫を施す。ここでは、京都庭園の枯山水をイメージしたデザインにしていました。
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方法その2:壁面に絵画を貼る。
カミソリ堤防の壁には、明治時代の錦絵や江戸時代の浮世絵のレプリカが沢山展示されていました。隅田川ギャラリーと命名されていました。
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浅草十二階はこんな感じ・・・
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江戸時代の天保年間の花火大会はこんな風・・・両国橋の花火大会は盛大に行われたようです。江戸情緒たっぷりな絵柄でした。
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明治時代の花火大会の様子もありました。
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桜橋は歩道専用橋。袂が二股に分かれたユニークな形状をしていました。桜橋を右岸から左岸に渡りました。
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桜橋の中央部から下流の言問橋が見えました。隅田川の花火大会をこの橋から眺めるのが多分ベストでしょうか?
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14時25分、言問橋左岸の袂を通過。
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左側は墨田公園、東京の花見の名所のひとつ、桜並木の下を歩いて行きました。桜の季節の隅田川もなんか良さそう・・・
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隅田川の支川、源森川を渡りました。墨田川に流入する支川の合流点には、必ず、水門が設置されていました。隅田川本川の洪水が支川に流入しないようになっていました。
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源森川を渡る時、東京スカイツリーが・・・
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14時30分、中継地点の墨田区役所に到着。係りの人に、完歩証明をもらいました。歩行時間は4時間30分、歩行距離18km。とにかく疲れました。
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墨田区役所からの隅田川の眺めも良かったです。浅草を代表する吾妻橋は、こんな風・・・
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墨田区役所の建物の間から東京スカイツリーが見えました。
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ビルの映ったスカイツリーも名物になりそうな感じ・・・
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ゴールの勝鬨橋までは、さらに稿を改めて、ご紹介します。

by camino0810 | 2012-03-23 07:23 | 東京 | Comments(2)  

2011年9月10日(土) 東京 隅田川ウォーキング(その2)

2011年9月10日(土) 10時。荒川知水館を出発。
これから、隅田川の川沿いに最下流の勝鬨橋を目指して歩き始めます。

最初は、新岩淵水門。1923年に完成した青山士の作品である旧岩淵水門が老朽化したため、新しく造り替えたそうです。なかなか立派な水門でした。洪水から東京都を守る大事な役目を持っています。
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1982年に完成した巨大な水門の脇を通りました。
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ゲートは、横幅20m、高さ16m、重さ214t。こんな大きくて重いものを挙げ降ろす機械は一体どんなものなのか?
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来た道を振り返るとと、荒川と隅田川の位置関係がよく理解できました。写真右側の堤防道路のさらに右側に荒川があり、、中央が新岩淵水門、左側が隅田川。このあたりで、新河岸川が隅田川に名前を変えます。
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下流に向かって見た隅田川はこんな感じ・・・周りは工場や民家が密集していました。
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幅2mの川沿いの遊歩道を歩いていきます。このあたりは、北区新田。
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隅田川の右岸側にはテラスが造成されていました。
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左岸側は、傾斜の緩い堤防が整備され、なかなかいい感じでした。新豊橋も見えてきました。川の左岸側とは、下流に向かって左側の部分のこと。
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隅田川に架かる橋は、新豊橋から数えて約30くらいありました。それぞれに特色があり、橋マニアには堪らないでしょう。

11時、歩き始めて1時間経過、累計5km。新豊橋に到着。
この橋は出来立てのなかなかオシャレでした。土木学会の田中賞の受賞作品。この賞は、優れた設計、デザインに与えられるそうです。写真は、橋を渡って、右岸側から下流に向かって全景を捕らえたもの。
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右岸側のテラスからの眺めも素晴らしかったです。現代的な高層ビル群と緩い芝生の生えた堤防、そして、隅田川が三位一体となっていました。
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緩傾斜にした堤防には、それまであった旧防波堤の名残を記念に残していました。これが有名な隅田川の「カミソリ堤防」。機能一点張りの味気ない堤防です。洪水を効率的に処理するには適した形状ですが、全く、味も素っ気のない。

効率一本の河川整備により、人々の川離れが始まりました。川の持つ優れた環境、景観を活かそうということで川の法律が改正されました。このカミソリ堤防もその一環として再整備されたのでしょう。大変、いい事だと思います。
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堤防の護岸部はテラスにして、船着場も整備されていました。船着場は、観光用と地震時の物資輸送に役立つでしょう。神戸の震災では、陸上の交通網が破壊されました。船が物資輸送に大活躍したそうです。
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歩く経路には、赤い目印が設置されていました。スペイン巡礼の時は、黄色い矢印。懐かしい思いがしたものです。
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11時40分、小台橋の左岸側の袂を通過。累計歩行距離は、約9km。小台橋は、JR王子駅の近くにあります。隅田川の中に橋脚がありません。支間が大きい分、アーチの高さも高くなったようです。
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この日は、やや曇り気味の高温、多湿な気候でした。歩き始めて2時間も経たないうちに疲れが出始めました。他のウォーカーたちは、まだまだ、元気。どんどん置いていかれました。みんな、日本のジメジメ高温の中で、ウォーキングをしているので、やはり、慣れているのか?僕は、すっかり自信を失いました。
11時50分、尾久橋を左岸から右岸へ渡りました。隣には、ゆりかもめと同じタイヤの電車「日暮里舎人ライナー」が渡る橋がありました。
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東尾久浄化センターを右に見ながら、堤防沿いの道を歩いていきました。お昼になったので、直射日光を避けるため、堤防道路わきの木陰に入って、コンビニで買ったおにぎりを食べました。
墨田川の右岸側のテラスには、壁面緑化が施されていました。多分、カミソリ堤防をそのまま活かして、景観をよくしようという狙いのようでした。
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小竹橋の袂で川を離れ、小竹橋通りを町屋駅へ・・・この時点では、完全にヨレヨレ状態。まだ半分も歩いていないので、この先が思いやられました。
町屋駅から京成本線の脇を通って、再度、隅田川の川沿いへ向かいました。京成本線の高架のコンクリートの劣化が目に付きました。コンクリートの表面が剥げ落ちて、内部の鉄筋が露出していました。確か、成田空港に向かうライナーも通過するところ。早く補修をする必要があるでしょう。
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13時、三河島の水再生センター脇を通って、「アクロシテー」地区へ・・・このあたりは、緩傾斜堤防の背後を埋め立て、高層マンションが立ち並んでいました。最近、少しだけ復活した「スーパー堤防」です。川と堤防、住宅が一体的に整備され、広々としたオープンスペースが形成されていました。まさに、東京ならではの光景といえるでしょう。
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13時6分、千住大橋の袂を通過。この橋は、古いデザインですが、下流の清洲橋に似た気分がありました。
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隅田川の右岸側のスーパー堤防部を疲れた体を励まして歩きました。東京スカイツリーも見えてきました。中間地点の墨田区役所もあとわずかです。
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13時25分、千住汐入大橋の右岸側を通過。このあたりで隅田川が大きく湾曲し、南に向かって流下します。
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13時30分、水神大橋の右岸側を通過。いよいよ、浅草が近づいてきました。ゴールが見えてきたので、少し、元気が戻りました。
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東京スカイツリーが姿を現しました。白鬚橋も見えてきました。
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13時55分、白鬚橋右岸側の袂を通過。白鬚橋の古典的なデザインもなかなか素晴らしかったです。
歩き始めて、4時間経過。ばてばて状態なので、平均歩行速度は、4km/時程度、累計16kmの歩き。中継地点の墨田区役所まで約1.5km。
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東京スカイツリーが益々、巨大になってきました。
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この続きは、また、稿を改めてご紹介します。

by camino0810 | 2012-03-21 06:42 | 東京 | Comments(0)  

2011年9月10日(土) 東京 隅田川ウォーキング(その1)

2011年9月10日(土) 隅田川ウォーキングに参加しました。
僕は、JRRN(日本河川・流域再生ネットワーク)の会員です。JRRNの会員ニュースでこのイベントを知り、参加を決めました。
川に関する仕事をしているので、趣味と実益も兼ねての参加でした。

主催は「むさしの歩こう会」、今回のイベントは、「隅田川歴史・文化発見ウォーキング」。

9時に赤羽駅の東口にある赤羽公園に集合、受付。参加費は、500円。30Lのデイパックにコンビニで買ったペットボトル2本とおにぎり2個を詰めて、スペイン巡礼でお世話になった2本のスティックも持参しました。
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今回のコースは、隅田川最上流の岩淵水門から河口の勝鬨橋まで隅田川沿いを歩く28kmのコース。東京スカイツリーがある墨田区役所が中間点。ここまでが、一般コース。勝鬨橋までが、上級コース。
僕は、スペイン巡礼で歩きには自信があったことと、荷物がほとんどないので、上級コースを迷わず選択しました。
この見通しは、完全に外れました。当日の天候は、高温多湿。スペインの乾燥した気候とは全く違っていました。中間地点では、バテバテのまったくのヨレヨレ状態でした。
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赤羽公園から出発点の荒川知水館へ皆で向かいました。
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知水館の前で記念写真を・・・この時点でかなり汗をかいていました。高温多湿の環境にスペインの経験は全く役に立たないことを追々痛感します。
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荒川知水館は、「治水」を含めた川の役割を「知る」に掛けた造語でしょう。なかなか気の利いたネーミングです。
館内に入ると荒川の様々な情報が展示されていました。荒川と隅田川に挟まれた墨田区などの江東デルタ地帯の地盤の低さは一目瞭然。ちなみに写真左側の蛇行した細い川が、隅田川。右側の太い川が荒川です。
江東デルタ地帯は、震度7の直下型地震が来たら、木造密集地帯の火事、液状化、地盤沈下、津波来襲など非常に苛酷な事態が想定されます。
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10時、体操を終えて、ウォーキング開始。

荒川の土手に上がると、旧岩淵水門が目に入ってきました。この水門は、日本の近代土木史に残る記念碑的な作品。設計、施工は青山士(あおやまあきら)。このあたりは軟弱地盤、水門の基礎は、ニューマチックケーソンにして、堅固な地盤まで根入れしたのではないか?

青山士は、荒川放水路開削工事、信濃川大河津分水工事といった近代土木の黎明期を代表する工事を指揮した責任者でした。
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少し前まで、荒川は荒川放水路という名称だった記憶があります。
荒川の岩淵水門から河口まで22kmの区間は、明治末期の洪水から首都圏を守るために人工的に開削した河川。それまで、隅田川に流れ込んでいた洪水を放水路に流し、合流地点に水門を造った。おかげで、隅田川は都内に降った雨だけを流下させるだけでよい。実に、壮大な事業です。
日本の主要都市は、ほとんど洪水防御のためこのような開削河川で守られています。
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青山士は、大学卒業直後に恩師の廣井 勇の紹介状を持って、単身、パナマ運河の開削工事に従事したそうです。廣井 勇は、内村鑑三らと札幌農学校の同期。内村のキリスト教的博愛精神に影響を受け、土木の道に進んだのでないか?青山士もキリスト者として、恩師に感化されたのではないか?

青山は、信濃川大河津分水工事の中核をなす可動堰の工事も現場で指揮し、「万象に天意を覚ゆる者は幸いなり。人類の為、国の為」という有名な言葉を残しました。

岩淵水門の説明看板をよく読むと、主任技師とあるだけで、青山士の名前がありません。多分、青山の「自分の氏名は出さないように」という遺言でもあって、それに忠実に従ったのではないか?もしそうだとすれば、実に美しい話です。
水門の完成は、1924年。関東大震災が1923年。つまり、水門は、完成1年前の強烈な地震力にも耐えたと言うことになる。被災して損傷すれば、最後に設置するゲート工事は、現代の技術力でも間に合わないでしょうから・・・

それにしても、琵琶湖疏水を指揮した田辺朔朗、青山士と若い時に国家的事業を陣頭指揮していました。偉大な土木人というべきでしょう。

前置きが長くなりました。実際のウォーキングは、稿を改めて、ご紹介します。

by camino0810 | 2012-03-18 13:01 | 東京 | Comments(0)  

2011年5月3日(火) 神戸 三ノ宮、北野異人館、ポートアイランド

この記事をアップしている今日は、2012年3月11日。東日本大震災からちょうど1年が経過。時間の経つのは、早いものです。

東北地方の復興の歩みは少し遅い気がします。「フクシマ」の放射能の除染も先が見えていません。
新聞のテレビ欄には、各局で震災関係の特集が沢山組まれていました。

ちょうど1年前、僕は東京大塚の会社で被災。当日は首都圏の電車がすべてストップ。自宅まで歩いて帰りました。帰宅難民の予行演習でしたが、つい最近、東京は震源が10km浅くなるので、震度7に上方修正されました。

実際に、このレベルの地震動が来たら、埼玉まで歩いて帰れるか?ちょっと難しそうです。
理由は、中山道(R17)沿線の火事や建物の倒壊、帰宅難民の混雑により歩ける道が塞がれること、新河岸川や荒川を渡る橋が落橋する可能性があることなど・・・荒川さえ渡ることができれば、OKなのですが・・・

2011年5月3日(火)、阪急電車で京都から神戸へ。チョコレート色の阪急電車に乗りました。車内もチョコレート色で、少しレトロで落ち着いた気分がありました。
関西地方の私鉄は無料の特急サービスがあるのがいいです。東京の私鉄の特急、例えば、小田急線の「ロマンス号」、西武池袋線の「レッドアロー号」などは、すべて有料。

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12時に阪急三宮駅に到着。駅前は立派に復興していました。

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1995年1月17日の神戸大震災から16年。
僕は、当時、建設会社に勤務していました。2月1日に、東京の本社から設計支援ということで、大阪の支店に入りました。大阪~神戸間は電車は不通。仕方がないので、福知山線の三田駅から、裏六甲を走る北神急行に乗って谷上駅で下車。谷上駅の被災状況の確認と対策を検討するのが、僕の仕事でした。幸い損傷度は小さく、補修程度で済みそうな感じでした。
北神急行電鉄で、六甲トンネルを通って、三ノ宮駅に降りたちました。
三ノ宮駅前は地震で完全にやられていました。駅前のそごうは3階あたりが潰れて建物が1階分が低くなっていました。そこいらのビルから窓のブラインドがぶら下がっていました。駅前の公園にはブルーシートを屋根替わりにしたテントが張られ、炊き出しをしていました。
神戸の震災は、直下型地震のため被災範囲が一部に限定されていたことが、不幸中の幸い。大阪や京都などの大都市が健全だったため、比較的支援が容易でした。海や河川を利用した船による物資輸送が効果的だったそうです。

3月11日の大震災は、プレート型の地震だったため、広範囲が被災。地震動に加えて、津波、原発炉心溶融と苛酷な事態が続きました。被災範囲が広過ぎ、被災程度があまりに苛酷なため、いまだに、復興の道筋が明確になっていないような気がします。

深刻な話はここまで。
昼食をどこで摂るか?雑居ビルの5Fに小さなレストラン「神戸パリ食堂」に入りました。
1500円のランチをチョイス。サラダ、クラムチャウダー、メーンはステーキ、仕上げはコーヒー。

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B/C=1.2>1.0、味、量、雰囲気とも予想外に良かったです。
駅北側にある北野坂を登って行きました。

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神戸はおしゃれなな街。シックなフラワーサークルが・・・

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オシャレな街に気分に合わせて、ローソンやスタバのデザインも少しオシャレにしていました。

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ほどなく北野異人館ゾーンに到着。こじゃれたお店や建物が沢山ありました。

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階段の脇には人工の滝が・・・

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神戸六甲牧場のソフトクリーム、350円を食べながら一休み。

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お目当ての神戸異人館に到着。沢山の観光客で溢れかえっていました。

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近くの広場で大道芸が・・・

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山手八番館へ。横浜にも外国人居留地の近くに山手という地名があります。欧米から来た外国人たちは、一番高くて眺めにいい場所を住居にしたのでしょう。長崎のグラバー亭も同じです。

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「うろこの家」は薄い円盤状の外壁材で屋根や壁を葺いていました。
スペイン巡礼でビジャフランカデルビエルソでよく見た屋根材と全く同じ。何か関係があるのかもしれません。

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「小人の家?」もありました。

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北野坂を下って、再び、三ノ宮駅へ。

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東京のお台場を走る「ゆりかもめ」と同じ、タイヤを車輪とする電車に乗ってポートアイランドへ向かいました。六甲の斜面にへばりついた神戸は土地が少ないので、海面を埋め立て造成して、新しい街ができていました。
ポートアイランドにある楕円形のホテル前の広場には、近未来的なフォルムが・・・

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そごうのトレードマークの人形時計に似た時計がありました。

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ホテルのロビーは広々としていて立派でした。このホテルの30階を超す最上階に宿泊して、神戸の夜景を堪能してみたいものです。

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「市民広場駅」から電車に乗って、京都に戻りました。

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これで、京都、大阪、奈良、神戸の「四都物語」をひと通り見ることができました。それぞれに特色があり、関東地方に比べてはるかに多様性を持っているように感じました。

by camino0810 | 2012-03-11 09:52 | 京都 | Comments(0)