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2012年4月28日(土) 尾山台(その2)

今日は、お世話になっているN先生が勤める東京都市大学に行きました。
キャンパス内にあるN先生の部屋が入っている建物が新築になったので、研究室の先輩、後輩が集まってお祝いすることになったのです。

僕は、海外旅行や帰省時には、お土産を持って、先生の部屋に近況報告に伺います。先生は強面の方ですが、意外に優しい面もお持ちです。これまで、いろいろな相談を親身に受け止めていただきました。

今回は、渋谷の東横のれん街で心ばかりのお土産を買うことに・・・
渋谷駅の東口方面は、東急系の「ヒカリエ」がオープンしたばかり。沢山の見物客が渋谷に来ていました。この建物は、僕が大学生時代は、「東急文化会館」と称する8階建てのビルだったと記憶しています。当時は、会館の中にある映画館では、まだ、館内でタバコを吸っていました。時代は、禁煙の流れに乗り、現在は、のれん街の脇にある喫煙所でしかタバコが吸えません。
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のれん街の外側には、「Les Doux Magots Paris」がパン屋を出していました。
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このお店は、2010年のスペイン巡礼で立ち寄ったパリのサンジェルマン・デ・プレ教会の前にあるカフェ「Les Doux Magots」 の東京支店のようでした。
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このカフェで、フランス語が理解できず「タルト」と「タルタル」を間違えて注文し、「タルタル」が出てきました。結構旨かったので、結果的にはOKでしたが・・・最初に入ろうとしたカフェでは、ギャルソンから入店を断られた苦い思い出もあります。ギャルソン曰く: 「半ズボンの入店はNGですから・・・・」
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いつものように、東横線渋谷駅から乗車しました。「ヒカリエ」のオープンで混んでいたように思えます。
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自由が丘で大井町線に乗り換え、尾山台駅で下車。
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今日は、好天に恵まれ、街並が綺麗に映りました。土曜日が重なり、いつもより、人出が多かった感じ。残念なのが、電柱と電線。地下に入れると、この街の価値はもっと上がるでしょう・・・・
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この界隈では人気のパン屋が・・・シェフはフランスで修行したとか。230円で焼きたてのパンの食べ放題のサービスは、超お得です。
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駅前通りと環八の交差点には、串揚げのお店も・・・「2度付けNG」のルールが明示されていました。
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環八を渡って、多摩川方面の坂を下っていきます。この当りは、世田谷の高級住宅街、高級車も見かけます。
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プロテスタント教会もあります。
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新潟の仕事が仕上げ段階のため、アップが中断しました。2月の着任以来、7ヶ月が経過。ようやく新潟も収束します。

程なく、大学の前を流れる小川に到着。多摩川の支流であるこの川は、修景も施され、一応、多自然型の川になっていました。護岸を自然石にして、澪筋を曲線化していました。カワセミもいますし、魚も泳いでいます。なかなかの出来上がりだと思います。
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新築になった建物に到着。お隣の事務局棟がこれから壊して改築するそうです。繋ぎ目には鉄筋が出ていました。N先生の部屋はリニューワルした建物の4階にありました。
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先生の部屋の待合には、沢山のお客さんが見えていました。
10分交替で入れ替わり。僕の番になったので、入室して、お土産を手渡してしばし歓談。先生は機嫌がいいようでした。分水の青山士の記念碑の写真なども持参。この話題で少し盛り上がりました。
次々とお祝いのお客が入ってくるので、10分で退室。待合で10数年ぶりに再開した後輩にあたるN大の先生と思い出話などしていよいよ会場に向かいました。

会場はお隣にある五島記念館の4階にありました。この大学は、東急系列のようでした。創業者の五島慶太は、暴れん坊のようでしたが、教育には熱心な人とのこと。

この建物も新築。なかなかお洒落な建物でした。ノーベル賞講演でお邪魔した東大もそうでしたが、ご他聞にもれず、この大学もガッチリ学生を確保するために綺麗にしつらえてありました。

大学生事情も随分と変わりました。僕が学生だった30年以上前は、学生にとっては、完全な買い手市場。少子化が進行した今は、完全な売り手市場。あてこれと手を尽くして学生の気を引く手立てを施しているようです。
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パーティーの様子は、記事を改めてアップします。

by camino0810 | 2012-08-30 14:18 | 東京 | Comments(0)  

2012年4月22日(日) 新潟  分水(その3)

分水路のすぐ脇に旧自在堰が残されていました。
自在堰というのは、固定堰に対比される用語で、ゲートを自在に上下させて、水位をコントロールできるという意味合いです。
旧自在堰は、昭和初期に完成したデザイン的にも優れた堰でした。土木遺産として、旧洗堰とセットで保存するようです。ゲートを上げ下ろしするために、堰柱にトラス型の橋梁を渡してありました。
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ゲートの巻き上げ機は、外されていました。堰柱間を移動するための橋梁が設置されていました。
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分水路の下流から振り返ると、自在堰の全景がよく見えました。大きな締め切りを造って、周辺の改造を行っているようでした。
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このあたりは、公園になっていて「花魁道中」が開催されるそうです。1週間前に終わったそうで、今年は、例年になく寒かったので、桜の開花が遅れたためか、園内の桜は、3分咲きでした。
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いよいよお目当てのものが目に入ってきました。

青山士(あおやまあきら)直筆の有名な石碑を松の木の中に発見・・・

青山士は、荒川放水路開削工事、信濃川大河津分水工事といった近代土木の黎明期を代表する工事を指揮した責任者でした。青山士は、大学卒業直後に恩師の廣井 勇の紹介状を持って、単身、パナマ運河の開削工事に従事したそうです。廣井 勇は、内村鑑三らと札幌農学校の同期。内村のキリスト教的博愛精神に影響を受け、土木の道に進んだのでないか?青山士もキリスト者として、恩師に感化されたのではないか?
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青山は、信濃川大河津分水工事の中核をなす可動堰の工事も現場で指揮し、「万象に天意を覚る者は幸いなり。人類の為、国の為」という有名な言葉を残しました。キリスト者でもあった青山らしい誠実さ、謙虚さ、清潔さが感じられる素晴らしい文言です。
この文言は、石碑の表、裏に彫られていました。
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裏側は・・・
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石碑には、分水路工事の概要が記されていました。
 ①可動堰(自在堰)
 ②固定堰
 ③第一床固
 ④第二床固
 ⑤床止
①~⑤の一連の施設に信濃川分水路工事の宿命的な課題が隠されていました。40kmの流路を10kmに短縮したため、洪水流のエネルギーを上手に殺すことができす、深刻な河床洗掘が発生しました。特に、第二床固直下の深刻な深掘れは現在でも大きな課題となっているようでした。
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石碑には、工事関係者の氏名も記されていました。
青山士は、『内務省新潟土木出張所長 内務技師』。当時は、土木関係は内務省に所属していたことがわかります。現在に置き換えると、”国土交通省北陸地方整備局長”でしょうか?
もう一人、分水を語る上で欠く事のできない人物の名前も記載されていました。
   宮本武之輔・・・
宮本は、『信濃川補修事務所主任 内務技師』。現在流に言うと、『国土交通省北陸地方整備局信濃川工事事務所長』に相当するのでしょうか?
この国家的な大事業は、青山、宮本の2名を中心にして成し遂げられたという感じがします。この2名は、性格は、かなり違っていたようですが、双方ともに厚い信頼を寄せ合っていたように思えます。
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自在堰の工事が、どのように行われたのかは、稿を改めて紹介します。

by camino0810 | 2012-08-28 06:21 | 新潟 | Comments(0)  

2012年4月22日(日) 新潟  分水(その2)

旧洗堰の役割は、2,000年5月にその役割を終えたそうです。
旧堰に並んで新たに築造された新洗堰が完成したためです。

新堰は、実に、風格のある堰に仕上がっていました。
普通、堰はゲートとゲートを支える堰柱でできています。大抵、堰柱の天辺にはゲートを上げ下ろしする巻き上げ機が付いていて、巻き上げ機を覆う建屋が設置されています。
大抵、堰のデザインは正直、貧困気味。土木屋の僕から見ても、何とかならないものかと感じていました。
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土木構造物は、機能一点張りのデザインが多く、普通、無骨なものが大半です。
機能美が感じられる土木構造物は、ダムと橋くらい。黒部ダム、明石大橋、レインボーブリッジ、富士川橋、錦帯橋など・・・
最近開通した東京湾ゲートブリッジは、本来なら吊橋か斜張橋でしょうが、羽田空港の空頭制限から、止む無く恐竜のようなデザインにならざるを得なかったと考えてよいでしょう。

1997年に河川法が、改正され、治水・治水に環境の側面が追加されました。河川環境の整備と保全の観点から、国は土木の聖地である大河津の新堰には大奮発したようです。
素晴らしい堰に仕上がっていました。正直、これ程、風格のある堰を見たことはありません。下流から見た洗堰の全景はこんな風・・・信濃川は写真の右から左の流れています。
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上流から見た洗堰はこんな感じ・・・・
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洗堰のデザイン的に優れている点は、
①コンクリート面に花崗岩を貼り付けて重厚さを演出している
②ゲートを油圧シリンダーで上下させるため、堰柱の頭の部分がスッキリしている。
機能面では、
③様々なタイプの魚道を設置して、様々な魚が登り下りしやすいように配慮している。
④閘門を設置して、船の航行を可能にしている。
①の花崗岩は、こんな風・・・結構、お値段は張ったのでは?
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②の堰柱の頭部は、こんな感じ・・・通常設置されるウィンチ室がないので、スッキリしていました。
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③魚道は3種類。魚の種類で使い分けをしているようでした。魚道観察室が設置されているので、信濃川を登る鮭や鮎が観察できるしょう。
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④本格的な閘門には、驚かされました。閘門は、上下流で高低差のある水面を船舶が航行するために、2つのゲートで挟んだ部屋に船を入れて、注水、排水する仕組みになっています。
荒川では、埼玉県に重油を運ぶために船舶の航行があると聞いていますが、信濃川で物資を積載した船舶が航行しているかどうかは、正直、判りません。大地震の際の物資運搬に船舶を使うのかも知れません。
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閘門は船を納める長さが必要なため、上流側に伸びて設置されていました。
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分水路に設置された可動堰も既に完成していました。この可動堰は、洪水流を調節して下流に流すために、ゲートを持っています。ゲートの構造は、ラジアルゲート。円弧状のゲートが上下する仕組みです。
有名なテムズ川のテムズバリアと同じ構造でした。なかなかカッコイイ堰でした。
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ちなみに、テムズバリアは、こんな風・・・ロンドン市内を高潮から守るために設置されたとのこと。。。
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(出典:Wikipedia)
以上、リニューワルされた洗堰と可動堰を見てきました。
いよいよ、土木屋の聖地を言われる由縁の旧自在堰について、稿を改めて、触れてみます。

by camino0810 | 2012-08-27 19:00 | 新潟 | Comments(0)  

2012年4月22日(日) 新潟  分水(その1)

新潟も遅い春が到来。
桜のシーズンに入り、何処に行こうかと思案しました。
 ①上越、高田の夜桜
 ②分水の桜
高田の桜は、高遠の桜と同程度のレベルを期待できそうですが、新潟市内から車で2時間はかかりそうなので、中止。分水の桜で手を打ちました。

実は、大河津分水は土木屋の聖地でもあります。
信濃川の河口つまり新潟市から約40Km上流の場所に、大河津分水があります。
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新潟の越後平野は、土地が低いため、江戸時代から年中洪水の被害に悩まされてきたそうです。分水路が完成する以前は、胸まで埋まって田植えをしたとか・・・新潟の人たちは、信濃川のもたらす恩恵と負の部分を同時に背負って生きてきたようです。
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明治時代の終わり頃、この問題を解決するめに、大河津で放水路の建設が始まりました。信濃川の下流部は、海岸線と平行して流れているため、もっとも、開削区間を短くできる弥彦山の山麓にある大河津がその地点に選定されたようです。
ショートカットした分水路は、約10Km。それまで、40Kmに亘って流下した洪水が、たったの10kmで流れ下る。実は、このことが、大問題を引き起こしました。

多分、昭和初期の大河津分水の航空写真でしょうか?現在とは、若干、形が違っています。
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よくよく考えると、洪水から農地や住宅等の都市インフラを守るため、日本全国の主要都市には、放水路が整備されています。
有名なものは、荒川。赤羽から河口までの20km区間は、明治末期に整備された開削河川。つまり、人工的な河川です。
狩野川放水路は、河口の沼津市を洪水から守るために整備されました。伊豆長岡付近に立派なトンネルタイプの放水路を見ることができます。

朝早く、新潟市のアパートを出発。分水までは、約30km、車で1時間で分水の駐車場に到着。
すぐ前の公園の向こうに、新洗堰が見えました。この堰は、信濃川本川の普段流れる水量を調節して流し、洪水の時は、ゲートを閉めて、洪水を分水路に流します。
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公園の中を進んでいくと、旧洗堰が・・・この旧堰は、昭和初期に完成したもの。新堰の完成によりその役目は終了しましたが、歴史遺産として保存されていました。これだけ大きな土木構造物をそのまま保存しているのは、大変、珍しいのではないか?しかも、完全に水を抜いているので、普段見ることの出来ない処も完全に見ることができました。
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旧洗堰は、堰柱の間が現在のもの比べて、非常に狭いため、堰柱が沢山設置されていました。当時の設計レベルでは、ゲートの構造的な限界があったためでしょうか?赤く塗られたゲートは、結構、インパクトがありました。上流側から見るとこんな風・・・
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下流側には水流による河床の洗掘を防止するための護床ブロックが並べられていました。
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旧堰のゲートの数は27基。上流の長岡にある信濃川本川の妙見堰は、同程度の堰長ですが、ゲートが8基。随分と差がありました。この違いは、ゲート自体の構造的な耐力の違いではないか?旧堰の設計年度は、昭和初期、多分、高強度の鋼材が無かった可能性があったのでは?
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旧堰の上流面をアップしたものは、こんな風・・・なかなかインパクトがあります。
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下流面はこんな風・・・
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旧堰は、80年の年月を経ても予想以上にしっかりしていました。中央の主ゲート付近が、ゲートが開いていて、潜りぬけられるようになっていました。
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戸当りと呼ばれるゲートの端部が上下する溝の脇にコンクリートの表面が見えていました。コンクリートの骨材は、円い形をしています。これは、河原に堆積した砂利を使用した証拠。80年の歳月を経ても、密実さが感じられました。
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川の水位以下のコンクリートは、少し黒っぽく変色していますが、非常にしっかりしていて、当時の人たちが、入念にコンクリートの工事を行っていたことが、感じられました。
コンクリートの寿命は100年といわれていますが、しっかり工事を行えば、100年は十分持つことが、わかりました。

 新洗堰を次回の記事でアップします。

by camino0810 | 2012-08-19 04:40 | 新潟 | Comments(0)  

2012年3月29日(土) 佐原

千葉県の旭市の工場で製品検査を終えて、香取市に向かいました。

目的地は、佐原。
江戸時代の気分を保存し、それを町興しの核にした街。佐原には、「小江戸」というサブネームが付きます。関東では、埼玉の川越が有名。
「小京都」というサブネームもよく聞きます。大分の日田、福岡の秋月、島根の津和野、萩、秋田の角館・・・

昔は、佐原市ですが、最近流行の広域合併で隣町の香取の名前に変わっていました。部外者から観ると、香取より佐原の方が、有名なのに・・・なんて感じます。
まあ、浦和と大宮がすったもんだで合併してできた「さいたま市」よりは、はるかにましでしょうが・・・

外房線は、1時間に2本程度の運行。松岸駅で随分待たされました。このあたりは、完璧な日本の田舎。のんびりした気分が漂っていました。
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成田線に乗り換えて、佐原で下車。このあたりは、利根川の下流域にあり、対岸には有名な水郷、潮来があります。

JR佐原駅は、江戸時代の気分を彷彿とさせるデザインになっていました。
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佐原の街は、どちらかと言うと、沈滞気味。街の核となるなるデパートも開店休業状態。地方都市で元気な街を見かけたことはありません。
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町興しに伊能忠敬を大河にという運動が・・・
伊能忠敬は、50歳で家業を譲り、地球の大きさを計測するために北海道まで歩いて測量をし、そのまま、全国を歩き、正確な日本地図を作り上げた人。
測量は、土木屋の範疇。土木屋の僕から観ると、超偉大な大先輩にあたる方でもあります。
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千葉県の土木事務所に知り合いの方がいるので、電話を入れて、お会いしました。
佐原市内を流れる小野川が、3.11の地震で液状化し、両岸の地盤が川の中央部に流れていき、川底が盛り上がったそうです。復旧工事は、ほぼ、完了していました。
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3.11の地震は、地震の継続時間が3分間もあったため、関東地方は、世界最大級の液状化の被害を受けました。浦安の液状化は、すざましいものでしたが、利根川周辺の旧河川地帯も、激しく液状化しました。
佐原駅の周辺の建物には、液状化の痕跡が残っていました。建物と地盤に段差が出来て、手付かずにままになっていました。震災後、1年が経過しても、いまだに、爪あとが、割と生々しく残っていることに、正直、ショックを受けました。
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小野川の周囲に古い蔵造りの商店などが保存されていました。メーンは、伊能忠敬邸の付近に集中していました。
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小野川の護岸は、石積み構造。所々に船着場が設置されており、この川が舟運の航路となっていたようです。新設された護岸は、震災で痛んだ部分の補修箇所かも知れません。
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板張り、格子壁の喫茶店が・・・
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重厚な蔵造りの家屋は、同じサブネームを持つ川越にもあります。
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柳と掘割と格子戸、小江戸の気分が出ていました。
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いよいよ、核心部に・・・忠敬橋には、忠敬が測量に使った測量器具が設置されていました。多分、北極星の角度を測って、緯度を測定したのでしょう。
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アヤメと測量器がセットになった紋章は、佐原市のエンブレムでしょうか?
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川沿いの伊能忠敬旧宅は、ブルーシートが掛けられていました。震災で被災したためなのか?
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木杭の護岸と船着場、板張りの灯籠など、小江戸情緒がタップリ。残念なのは、忠敬旧宅のブルーシート。
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「樋橋」は、木橋。江戸時代の風景が再現されていました。
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木杭の護岸は、水郷佐原を特徴つけるキーワード。低水護岸の天辺には、アヤメが咲くそうです。
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昔ながらの懐かしい商店も・・・
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江戸時代のままの旅館も・・・本当に宿泊できるのでしょうか?
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船着場には、小船も浮かんでいました。
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小野川の左岸側から下流を眺めた光景は、佐原ならではのものではないか?
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唯、気になったのは、震災の跡が色濃く残っていることでした。補修を終えたばかりの掘割の石積み。
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補修中の商店。
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全面改築中の家。
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震災後1年が経過したにも拘わらず、復興のペースが遅すぎる気がしました。
原発の除染、再稼動問題、東北地方の復興も前進しているようには思えません。

佐原は、ウナギも名物ということで、大奮発して、うな重をいただく事に・・・結構、目立つ一軒家の鰻やさんが偶々見つかったので、早速、暖簾を潜りました。
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メニューを見てビックリ。うな重の値段が、1,900円から2,600円に変更されていました。シラスウナギの減少で値段が高騰したのは、聞いていました。値上がり幅が半端ではない。
一瞬、オーダーを躊躇ったものの、方針変更はNGと思い聞かせ、平然を装い、オーダーしました。
ウナギの味は、それなりに旨かったです。但し、値上がりのため、B/c=0.7。
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佐原駅に戻って、電車を乗り継いで、新潟に戻りました。

途中、電柱に不思議な住所名が・・・「佐原イ」。実に、奇妙な住所です。とても理解できません。ずっと、頭から離れませんでした。
5月に再度、旭市の工場検査に出かけました。この「イ」の秘密を地元の方に聞いてみました。
答えはこう・・・「1丁目のことをこのあたりではイといいます。」
「佐原イ」は「佐原1丁目」。1.2.3をイ、ロ、ハに読み替えたということらしいです。
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佐原の街は、小江戸情緒が結構一杯。震災から完全に復興した時、アヤメが咲く時期に訪れるのが良いかなどと想いました。

by camino0810 | 2012-08-14 17:17 | 東京 | Comments(0)  

2012年8月12日(日) 料理 キュウリめし、スベリヒユ

超超簡単料理のご紹介・・・

究極の手間要らずが、「キュウリめし」。
分けとく山の総料理長の野崎さん?がテレビで紹介していたことがありました。

野崎さんが子供時代に小腹がすいた時によく作ったとか。料理の才能がある人は、小さい頃から、天性を発揮していたようです。

材料は、ご飯とキュウリと醬油だけ。
キュウリをおろし金でおろし、ご飯に掛けて、醬油をたらすだけ。。。
夏ばてで疲れた時には、重宝するご飯です。
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写真の品々は、彩り的には、相当、ひどいものですが、味は、それ程悪くはありません。

一応、主菜となるものは、「スベリヒユ」のキンピラ。
「スベリヒユ」は、僕の畑に生える野草の類い。久し振りに家庭菜園の草取りをし、そのついでに、持って帰ったものを使用しました。
この近辺の畑や空き地によく生えています。山形県の人たちは、この野草をよく食べるそうです。干したものは、スーパーで売られてるとか・・・

以下は、wikipadiaからの引用。

”スベリヒユおよびその近縁の種は健康食品としても使われるω-3脂肪酸を多量に含む植物として知られている。山形県では「ひょう」と呼び、茹でて芥子醤油で食べる一種の山菜として扱われており、干して保存食にもされた。また沖縄県では「ニンブトゥカー(念仏鉦)」と呼ばれ、葉物野菜の不足する夏季に重宝される。”
クレタ島では、サラダに添えて食べるそうです。
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スベリヒユの茎は、少し、酸味とぬめりがあります。
僕は、お浸しかキンピラにして食べます。茎が、ゼンマイに似ているので、ごま油で炒めて、醤油で味付けるのもありでしょう。。。

キンピラの作り方は、以下の通り。
①調味料 
 醤油大さじ2、砂糖大さじ1、酒大さじ1、顆粒だし少々、豆板醤小さじ1。
②牛肉のこま切れとスベリヒユをごま油で炒め、①を入れて、水分を飛ばして完成。

意外なものが、健康にもよく、旨い。
少し、得をした気分です。

by camino0810 | 2012-08-13 14:11 | 料理 | Comments(0)  

2012年8月11日(土) 料理 キュウリ

昨晩、自宅に戻りました。
自宅に戻ると、料理への意欲が湧いて来ます。

今日の昼食は、冷蔵庫の余りモノではなく、スーパーで買った食材で作ることに・・・・

献立は、ステーキ、キュウリ、味噌汁、ご飯。
ステーキは、強火で両面を焼きましたが、よく焼けたところとレアのところが混在し、失敗。

キュウリは、「くらコン」の「塩こん部長」(要するに、スライスした塩昆布)を使う定番。これは、実に簡単。その割に旨い。B/Cの高いオカズです。
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作り方は、超簡単。おろしがねのスライス機能を使って、キュウリをスライス。お皿にスライスしたキュウリを入れて、「塩こん部長」を適宜入れて、別のお皿で蓋して、50回振るだけ。
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これが、実に、旨い。
今年は、夏野菜の栽培が出来なかったので、キュウリは、お店で買い求めるしかありません。

ちなみに、ご飯は、リニューワルしたガスコンロで炊きました。ご飯専用のお釜が、サービスで付いてきました。これまでの電気炊飯器では、2合でも40分かかったのが、ガスだと15分。しかも、ご飯モードにセットすると、全自動で炊き上げます。火口についたセンサーが重量を感知して、中身の量にあわせて火加減もできます。

肝心の味は、どうか?
正直なところイマイチ。でも、速いのはうれしいです。工夫をすれば、もう少し、美味しく炊けるかも・・・

味噌汁の実は、ナスと揚げ。濃い目に作って、氷で冷やした「冷汁」も結構いけます。

by camino0810 | 2012-08-13 09:54 | 料理 | Comments(0)  

2012年4月××日 新潟  キジ

僕は、この年の2月から新潟市内のはずれにある工事現場で仕事をしています。
サイトは、田んぼの真ん中にあり、葦原もあるので、沢山の野鳥や動物が住んでいます。
ここは、動物のサンクチュアリー、不思議な里山状態です。

現場事務所の近くには、キジの親子が住んでいます。10m程度の距離なら、僕が近づいても逃げることはありません。彼らにとって、人間は、野犬のような危険な外敵を追い払ってくれる言わばありがたい存在のようです。

里山とは、人間と動物の社会が重なるところ、双方の共生空間と考えてもいいように思えます。
普通、里山は集落の縁辺部と外側の自然がラップするので、農村のイメージが強いのですが、工事現場でも里山になりるものだと感じました。現場には多くの人が働いていますが、動物とは一定の距離を置き、互いに干渉しあうことはありません。この距離感を常にキープすることが、ポイントだと思います。

キジのお父さんは、事務所の前の盛り土の上に登って、周囲を警戒しています。ニワトリみたいに鳴くので、結構、うるさいです。派手な彩色をしたニワトリみたいなものです。
キジのお父さんには、4匹の奥さんがいました。段々、奥さんの数が減っていき、最後は1匹になりました。分かれたのか、他の動物に襲われたのかもしれません。
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キジのお母さんは、ある日、いきなり事務所の床下から10匹のヒナを連れて出てきたことがあります。縁日で売っているヒナと同じ・・・残念ながらシャッターチャンスを逃がしました。
お母さんは、ヒナとともに行動します。ヒナが見えないので、何度も道路上に立ち止まって、行方不明のヒナを探していたこともありました。
お母さんは、ウズラみたいに地味な格好をしています。どの世界も、母親は、最後まで子供の面倒を見る。母親は偉いなと思います。
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キジのお父さんは、そこそこ、まじめに仕事もしています。
ある日、カラスとバトルしていました。場所を変えてにらみ合いを続けて、根負けしたカラスはその場を飛び去りました。家族を守るために、最低限度の仕事はしているようです。
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7月のある日、サイト内の別の場所では、タヌキの親子に遭遇・・・
お父さんタヌキは、20m離れた場所から観察する僕を警戒していました。お母さんタヌキは、5匹の子供が楽しそうに遊んでいるのを見守っていました。(写真右側の草むらにあと3匹の子タヌキがいました)
動物の家族も人間の家族も役割分担は同じ。お父さんは外交・防衛、お母さんは内政担当・・・
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このサイトは、縦300m、横400mくらいの大きさ。中に設備が点在していますが、それ以外の大部分は、草原や芦原なので、沢山の動物が住んでいます。
タヌキ、イタチ、キジ、野鳥など。ヒバリの夫婦が、2匹でカラスに何度もアタックして、カラスを追い払っている光景にも遭遇しました。野鳥観察が好きな人には、このサイトは好適な観察場所ではないか?

7月になると、草が伸びて、地面を覆うので、キジたちを見かける機会が減ってきました。ただ、キジのお父さんは、ニワトリのように割りとけたたましく鳴くので、元気に暮らしているようです。

by camino0810 | 2012-08-08 15:22 | 新潟 | Comments(2)  

2012年2月3日(金) 新潟  新潟市内(その3)

この記事をアップしているのは、2012年8月7日。
新潟常駐が始まったのは、2月3日。
早いもので半年が経過。新潟は、すっかり盛夏、毎日暑い日が続いています。

新潟デビューのこの日は、大雪が積もっていました。
新潟県は大雪が降りますが、実は、新潟市は雪なしの特異点。新幹線を使うとよく判ります。
越後湯沢は、大雪。長岡は、小雪。燕三条は、微雪。終点新潟市は、雪なし。これが普通のパターン。その証拠に、新潟市内には、それ以外の町に常設されている道路の消雪パイプがありません。

越後湯沢は、いつものように沢山雪が積もっていました。
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新幹線は、消雪パイプは設備されているので、少々の雪でも動きます。
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地元の人に聞くと、今年は新潟市内に珍しく雪が積ったとのこと。
新潟市内にもどっさり雪が積もっていました。
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新潟駅前は、こんな感じ・・・
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お世話になっているお寿司屋さんはこんな風・・・
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2月17日に再来したときにも、大雪が積もっていました。
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路地裏は、除雪されていませんでした。消雪パイプがないので、多分、除雪車の回りきれてないのでしょう。カップルが雪合戦をしていました。普段、雪が積もらない証拠でしょうか?
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新潟市に来て不思議に思ったのが、歩道の除雪をしないこと。歩道は車道の雪の仮置き場になっているようでした。

新潟県の人の話では、どの家庭も、家族分の車を所有しているそうです。車を前提にしたインフラ整備になっているようです。

最初は、車を持たない僕にとっては、大きなハンディ。職場の工事現場は、新潟郊外の田園地帯。バスが1時間に1本。仕方ないので、最初は、タクシーを使っていました。

工事現場は、寒々とした一面の雪原。3月一杯は雪が残っていました。僕の人生の中で、初めての雪国暮らし。この頃は、何処に行くにも、電車の中でも長靴を履いていました。
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盛夏の今から想うと、なんだか遠い昔のように思えます。

by camino0810 | 2012-08-07 23:59 | 新潟 | Comments(0)  

2012年8月5日(日) 料理 とりモモのバジルソース炒め

今日は、久し振りに自宅。
冷蔵庫の食材は、基本的に冷凍保存したものだけ。
随分前に冷凍したとりモモが残っていました。
これをどう処理するか?

 ①ピカタ
 ②バジルソース炒め
 ③鍬焼

①は、玉子が必要。でも、玉子がないのでNG。
②は、OK。冷凍保存したバジル、半分干からびたチェダーチーズ、芽がでたニンニクがあり。
③は、生姜がないので、NG。

消去法で、②に決定。意外に美味かったです。写真左側が、今回の作品。お隣さんから頂いたジャガイモも使うことに・・・・
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調理方法は、シンプル。

①ジャガイモは、短冊に切って、レンジで粗方火を通しておく。
バジルソースを作る。バジルは、去年の秋に収穫したものを冷凍保存したもの。
③フライパンにオリーブ油を入れて、解凍して削ぎ切りにした鶏肉を炒める。
④①を入れて、更に炒め、②を入れて混ぜ、塩コショウで味を調えて完成。

バジルソースは、便利な調味料。簡単で美味いし、瓶詰めにして、冷蔵保存もOK。
多分、ほとんどの食材と馴染む万能選手なのでは?

by camino0810 | 2012-08-06 16:29 | 料理 | Comments(0)