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2014年3月12日(水) 渋谷、下北沢そして駒場(その2)

駒場東大前で乗車、渋谷で下車。
渋谷の街は日々変わり続けていました。2013年にヒカリエと副都心線が開通後に更に加速した感じです。
僕にとって副都心線の開通はかえって不便になった気がします。以前は山手線から東横線の乗り換えは、ホームが隣接していて簡単だったけど、今はヒカリエの地下4階?まで降りる必要が生じたからです。
井の頭線の駅ビルは、渋谷マークシティーに生まれ変わりました。
現在解体中の”東横のれん街”はこのビルの地下に移転したはず。
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外国人が珍しがるスクランブル交差点の人の多いことは、40年前も同じだった気が。。。
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ハチ公像は相変わらずですが、外国人が記念写真を撮っていました。
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東急東横店は、どんがら自体は同じでもお洒落な外装を纏っていました。
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渋谷西口の東急プラザは建物自体は同じ感じ。1974年の4月か5月頃、皆で屋上のビアガーデンに行った記憶があります。
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R246沿いの”セルリアンタワー”は、2000年頃に完成した記憶が。。。40Fのバーから素晴らしい夜景が堪能できます。
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渋谷東口は激しく変わった気がします。
1974年当時、東急文化会館があった場所は、”ヒカリエ”に変わりました。最近オープンした”阿倍野ハルカス”は、ヒカリエと設計コンセプトが似た感じ・・・
この最上階にあった映画館で”スティング”や”エクソシスト”などを観ました。当時は、館内の観客席でも喫煙が可能でした。今ではとれも考えられないことです。
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宮益坂はあまり変わった印象はありません。
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渋谷のランドマークだった”東横のれん街”は、現在解体中。ヒカリエ級の超高層ビルに生まれ変わるようです。
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ハチ公の近くに旧式の緑の電車が陳列されていました。渋谷の今と昔の写真が展示されていました。
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1969年には道玄坂を都電が上り下りしていたようです。
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川屋の僕には、渋谷川の行方が気になります。東京には、道玄坂、赤坂、渋谷、四谷といった具合に、坂、谷がついた地名が多いです。台地の高いところは高級住宅地、低いところは、下町になっている感じです。銀座線が明治通りの地上10mの線路を走行していることからも、渋谷は渋谷川が削り取った盆地です。その最低部を渋谷川が流れていたはず。
現在の渋谷川は、駅のバスターミナルの地下を暗渠になって流れています。ようやく渋谷駅の新南口で顔を出します。最近、ゲリラ豪雨の頻度が増えてきました。渋谷盆地が集中豪雨にどれくらい耐えられか少し心配です。溢れた雨水が地下深くに設置された駅のホームに流れ込むと大変な事態が発生します。

このあたりは一体が工事中。完成予想図に暗渠の渋谷川が記載されていました。
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写真の左側が現在、右側が過去。渋谷川は1957年には三面張りの河川で、お天道様を仰いでいました。
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東京には、埋め立てられた河川や運河が結構あります。
築地付近の半地下の首都高には、かって築地川が流れていました。多分、1964年のオリンピックの直前に埋められたようです。
東京はかつて水都と呼ばれるほど、お堀や運河が発達していました。2020年のオリンピックに向けて、埋め立てられた河川や運河を取り戻し、水都を復活させようという機運も出てきたようです。

”渋谷プロジェクト”と呼ばれる委員会が立ち上がっていて、土木、建築、都市工学の先生、国や東京都、区役所などの行政、コンサルタンツ、不動産屋さんが一緒になって、渋谷の街の大改造を計画しています。丸の内ともに東京の2大プロジェクトのようです。
2020年に五輪開催が決まったのでそれを視野に入れた工程の前倒しが進められるかもしれません。

2027年の完成予想図が張り出してありました。図中の左端のビルがヒカリエ。その右側の高層ビルが旧東横のれん街跡地に建てられるようです。
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1955年と2013年の使用前、使用後の写真もありました。そういえば、東急文化会館の屋上にはプラネタリウムがありました。
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2020年、2回目の東京オリンピック開催、2027年に東京、名古屋間のリニアが開通。同年、渋谷の街も完成。2045年、東京、大阪間のリニア開通。
その時に僕たちが何歳になっているか。。。敢えて書きませんが、長生きする目標の一端にはなるでしょう。

by camino0810 | 2014-03-17 15:01 | 東京 | Comments(0)  

2014年3月12日(水) 渋谷、下北沢そして駒場(その1)

ひさびさに東京編をアップします。
2012年の夏からFBを始めました。僕は、FBを日記替りの位置づけにもしています。そのため、ブログの日記的な役割が相対的に低下したからです。

同窓会幹事長から大学の同窓会のネタ作りの取材をお願いされました。幹事長はイギリス、副幹事長は大阪在住。東京在住の副幹事長の僕が引き受けることになりました。

僕たちは、1974年から1年半、駒場の教養学部にいました。取材対象は、駒場キャンパス、下北沢、渋谷です。当時と現在がどう変わったか皆さんにご披露しようという訳です。

使用前、使用後の対比写真があればよいのですが、1974年当時の使用前はありません。使用前は、各人の記憶のみです。
最初に井の頭線渋谷駅から電車に乗って、下北沢に・・・駒場東大前に戻って、キャンパスを歩き、渋谷に戻りました。

まずは、渋谷駅。
40年間でかなりに変貌しました。渋谷は2027年の完成を目指して大改造中でした。僕たちの多くが、井の頭線渋谷駅を利用したはずです。
改札階には岡本太郎の巨大な壁画が・・・駅ビルは、渋谷マークシティに変貌していました。
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改札口も随分お洒落になりました。
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ホームも電車もピカピカで垢ぬけたような・・・
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急行で下北沢駅へ・・・この駅舎の変貌は渋谷以上でしょう。小田急線の複々線工事が終息に向かっていました。新宿から多摩川べりの和泉多摩川間の高架化とセットで工事が進行中。確か、梅が丘から東北沢間は地下化されました。地図中の上下の点線が小田急線、図の上側が新宿方面。斜めの線が井の頭線、右側が渋谷方面です。小田急線は地下化されたので点線表記に変わっていました。
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断面図の一番下に明示されたメガネ型が小田急線の地下ホームで、その上の箱型が駅舎です。
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井の頭線下北沢駅のホームから小田急線を見降ろすと、小田急線の地上にあった線路はすっかり無くなっていました。
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小田急線下北沢駅は地下に潜りました。乗客が階段を下りて地下駅に向かっていました。
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改札を出ると、風景がかなり変わっていました。地上の線路跡地に何ができるのか?地上権を売却して事業費に充てる手法でも考えているでしょうか?
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駅の周りを歩いてみました。下北沢は小劇場で有名なスポット。1974年当時、本多劇場があったかどうか?
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当時から"シモキタ”と省略形で呼んでいた記憶があります。当時、”シモキタ”は、ごちゃごちゃしたB級グルメ的な若者の街といった気分がありましたが、この気分だけは変わってなかった感じでした。
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井の頭線の改修工事も行われていました。
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再び、駅に戻りました。ほとんどが仮店舗みたいな感じ。。。
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各停に乗車して、駒場東大前で下車。ホーム、駅舎は当時と変化なし。但し、駅名の看板には、中国語、韓国語が併記されていました。日本自体が国際化したという証拠でしょう。
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駅の階段を下りると、懐かしい光景が現れました。お馴染み、1号館の時計台がこんなに小さかったかなと感じました。。
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最近、仕事で本郷に行くことが増え、大きな安田講堂を見ることが増えたからでしょう
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案内図を見ると、随分と建物が増えた印象が・・・18号館までありました。もっとも、僕はほとんど授業に出なかったので、学舎自体の記憶もありませんが・・・
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正面から右手方向に歩きました。構内には勧誘の立て看板がところ狭しと立てかけてありました。
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僕は、悪名高い?駒場寮に住んでしました。3連棟の4階建て、大正時代に完成した建築遺産級の建物でした。お酒を飲んで、屋上から大声をあげて騒いでいました。その寮がなくなり、ピカピカのレストランや生協に変わっていました。
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3組のグループが、ガラスを鏡替りにして、ブレイクダンスの練習をしていました。40年前には考えられないことです。
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構内を東西に横断する銀杏並木を西に向かって歩きました。工事中の建物もありました。このあたりに生協があった記憶が・・・
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西門を出て、お隣の駒場公園に行ってみました。ほぼ40年振りでしたが、懐かしい洋館は当時のままでした。
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再び、キャンパスに戻りました。人工芝のグランドでホッケーの対抗戦が行われていました。
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グランドから正門の方に歩きました。この辺りの気分は当時のまま。
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岡鹿之助の絵みたいな静謐な気分は変わっていませんでした。
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こじゃれたフレンチのレストランを発見。これもとても想像もできない事象です。
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正門に戻ってきました。キャンパスをちょうど一周したことになります。
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電車に乗って、渋谷に戻りました。渋谷の変貌ぶりにはただ驚かされるばかり・・・
以下、次号

by camino0810 | 2014-03-13 17:48 | 東京 | Comments(0)  

2013年5月8日(水)フランス その45 帰国 

北駅(Gare de Nord)の駅に5日振りに戻ってきました。ここから、シャルル・ド・ゴール空港第2ターミナルに向かいます。このターミナル駅は大きいので、メトロから鉄道駅への乗り換えでちょっと迷いました。

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43番線ホームから空港に向かいました。

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20時40分、空港到着。第2ターミナルは実に巨大な施設でした。家族の待ち合わせに手間が掛かりました。エールフランスが独り占めの感じでした。

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例によって、トイレ観察。やはり、土台なしのタイプでした。

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21時20分、チェックイン完了。搭乗ゲートで出発を待ちました。

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23時25分、AF278便で成田に向かいました。

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帰りの航路は、行き同じロシアを横断する航路でした。航続距離、9700km、巡航速度1000km/時。偏西風を受けてスピードが行きより100㎞/時程速かったようでした。

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5月9日の夕方に成田上空にやって来ました。窓外には霞ヶ浦や利根川がひろがっていました。懐かしい光景です。

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17時50分、成田空港着。娘と別れてカミサンと埼玉の自宅までバスで帰りました。荷物をかたずけて、カトリーヌからもらったスズランを花瓶替わりのコーヒーカップに挿しました。
5月2日から9日、8日間のフランス旅行が無事終わりました。

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今回のフランス旅行のまとめをしてみました。

① フランスは都市、田舎ともいいところだった。イギリスのような完璧性が緩和され、程よい適当さがあり、なじみやすい。それでも、街も田舎も絵葉書のように綺麗   だった。(スペインは、フランスの適当さがもう少し進んでいる感じ)
② フランスの観光資源としての価値は非常に高い。歴史遺産を非常に大切にしており、多くの街でその補修工事が行われていた。多分、フランスには、ガイドブックに載っていない素敵な街や河が、他にも沢山あるだろう。
③ アンボワーズ城とロワール河は絵になる。街も良い。
④ 車は結構飛ばす。
⑤ フランス人は、思いのほか暖かい。パン屋、総菜屋、カフェのギャルソン、友人など上手とは言えない英語で丁寧に対応してくれた。個人主義であっても、人づきあ   いはいいかも・・
⑥ カトリーヌの人柄に家族はすぐ惚れ込んだ。
⑦ ロワール地方は平地が大半。どこでも住める。風景は似ている。
⑧ ロワール川と街はいい調和を保っており、水辺空間もよい。街と道路、河は一体である。
⑨ ロワールの河畔の植生は豊か。河岸をいじっていない。多分、生物も豊富だろう。
⑩ 最近、洪水が減っている。既往最大水位は、ロワール1856年、セーヌ1910年。洪水の大きさは、多摩川よりもかなり小さい。
⑪ 両河川とも増水していた。河岸のベンチが使用不可。水は濁っていたが、違和感はなし。清流は必ずしもキーワードではない。
⑫ 食べものは、エールフランスの機内食からハイレベル。バゲット、レーズンパン、チョコレートパン、クロワッサンは、旨かった。特に、オーファルジのクロワッサ  ンは安くて大きくて旨かった。
⑬ 朝食は、コーヒー、パンだけのシンプル仕様。
⑭ 寿司はうまいが、高い。
⑮ 日曜日は、安息日なのでお店が休み。閑散としていた。賑わいを実感したいなら、日曜日は外した方がよい。
⑯ 3都市(ツール、ナント、オルレアン)ともトラムが活躍していた。電柱、電線の地中化は浸透しており、街がスッキリしていた。
⑰ ナントのメーンストリートは車を排除していた。
⑱ PERは普通電車だが、平均時速は100kmを超えていて、コダマ並みの速さだった。
⑲ 改めて、パリはゴージャスな街だった。
⑳ 地方都市でも、夜はカフェでにぎわう。
21 たばこ天国。屋内は完全禁煙でも、屋外は吸い放題だった。たばこは、カフェとセットでフランス文化か?
22 豚肉の値段は日本並みかそれ以下。牛は、意外と高い。魚の種類は豊富で日本でもお馴染みのものが多かった。タコやイカも食べる。
23 外食は日本より高め。コーヒーの大は、3€、400円、日本より高い。
24 女性のスカートは皆無。皆、パンツ。
25 自分(184cm)より背の高い男は少ない。ルーブルの彼が身長2mで唯一。スペインでもそんな感じだった。ラテン系は、多分、そうだろう。
26 マラソン人が多い。肥満した人も多い。カップルが意外にも少なく、同性のグループも多かった。
27 女性は予想外に美人が少なかった。
28 2つ星の個人経営のホテルはイマイチ、シャワーのみ。四つ星は、バスタブもあり広く快適。2人以上の利用なら、かなりリーズナブルな値段。
29 日本の伝統的な文化、精神も浸透か?(TAO,ZEN,KOOKAI,SAMOURAI)
30 忍者アニメをやっていた。日本のアニメやサブカルチャーは相当浸透している。
31 今回も英語力の不足を痛感した。
32 ネイティブのRの発音で以前から感じていた疑問点が解消し、得心した。オペラ→オペハ。ランブイエ→ホンブイエと発音していた。
33 ナントは落ち着きのあるいい街だった。
34 オルレアンはこじんまりとまとまったスクエアな街だった。ブロワとセットで、また行ってみたい。
35工事現場の安全管理は、日本に比べて若干低めだが、まずますのレベル。イギリスと同程度か?アメリカ、台湾よりは高い感じ。

by camino0810 | 2014-03-09 06:05 | フランス | Comments(2)