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2014年5月9日(金)中欧 その40 ウィーン(その3)

地下鉄4号線ロサウワー・レンデ駅まで来ました。
この駅は、古い駅と真新しい駅が混在した珍しい駅舎でした。南側玄関は旧式、北側は現代風です。このあたりにウィーン人、オーストリア人の建物改造のコンセプトが感じられます。東京駅もよく考えるとおなじような感じです。丸の内側は創建当時の赤レンガの建物、八重洲側は非常に現代的なデザインです。
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旧館の内部はなんとなく王朝風で白黒のタイル貼りでした。
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小便器はお洒落なタイプにしてありました。
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運河の右岸の天端を上流に向けて歩きました。自転車と歩行者の兼用道路になっていて、車道、建物が隣接しています。
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歩道橋は、トラス構造にしていました。
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歩道橋から上流側の運河・・・河畔林と建物が実に調和した光景です。建物の軒は綺麗に揃えてありました。
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左岸側の低水トラスは法面にしていました。カミソリ型護岸にせす斜面にして芝生を植えていました。気持ちの良い緑です。
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左岸側の天端面は左岸と同じで、道路、建物の順番でした。
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大きな橋の渡って再び運河の右岸側の戻りました。先ほど歩いた左岸側はこんな感じ・・・
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右岸の橋の袂に取水口が覗いていました。この地下河川の目的は不明です。中央がゲートが付いた可動堰、両サイドは固定堰でした。なんとなく洪水時に運河の水位を上げないための放水路のように思えます。まあ、ダムでいう余水吐きみたいなものかなと思います。
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橋を渡る終えるとフリーデンス・ブリュッケ駅でした。
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朝の7時になりました。朝食が摂れそうなお店を探しました。電車通りを都心の方に歩いて行きました。
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日本料理店が沿道にありました。「Akakiko」という名称は日本語にはありません。「Akahiko」なら理解できますが・・・
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メニューは定番の「刺身」、「寿司」、「ラーメン」に加えて「ソップ」、「サラダ」でした。「ソップ」は、ちゃんこ鍋かもしれません。日本料理の浸透度はかなりあるようです。面白いのは、「弁当」。「弁当」も日本の食文化として認識されているようでした。
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駅前のマックで朝食にしました。ハンバーガーにコーヒーを付けて2.99€(440円)。味もお値段とも良かったです。
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軒を揃えたパステルカラーの建物とトラム・・・多分、ウィーンの典型的な街の風景かもしれません。
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来た道を戻って、運河を突っ切ってドナウ本川に向かって歩いて行きました。雨脚が強くなってきました。先ほどの地下鉄駅まで戻りました。
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運河を渡ったあたりから少し建物が質素な感じになり4階建てになりました。地下が安くなると建物はどんどん背が低く扁平になっていきます。パステルカラーは変わりません。
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交差点には沢山のトラムのレールが敷設されていました。この街の交差点は信号式交差点。フランス、イギリスはラウンドアバウトという信号のない環状交差点が多かったのと対照的でした。日本でも最近このラウンドアバウトが注目されてきました。スロバキア、ブダペストも信号式交差点でした。お国柄も関係しているように思います。
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今日は、食べ物の値段を見る余裕がありました。サンドウィッチは0.99€(140円)、ソーセージ類は100gあたり1.4€(200円)。日本と同程度の水準でした。
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パン屋でパンをひとつ買いました。バゲット類は0.9€(130円)、旨そうでリーズナブルです。
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東の方向に歩いて行きました。
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歩道は自転車用と歩行車用に分離されていました。
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アパートが目立つようになりました。
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自家用車は1500ccクラスの中型車がほとんどでした。
トヨタとホンダが並んで駐車していました。
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韓国製の車も見かけました。
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我が家のトヨタのヴィッツは、ヨーロッパではヤリス、同じ形の車を見かけました。
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ドナウ本川が近づいてきました。
以下、次号・・・





by camino0810 | 2014-10-31 20:48 | 中欧 | Comments(0)  

2014年5月9日(金)中欧 その39 ウィーン(その2)

朝6時、ホテルをチェックアウト。いつものように荷物はフロントに預けて、デイパックを背負って出発しました。
今日の予定は結構タイト。10時に友人の娘さん(KYさん)とこのホテルで待ち合わせて、ウィーン市内見物、19時45分発のイスタンブール行きの飛行機に乗って帰国します。
ドナウ運河とドナウ本川は、今回の旅行目的の核心でもありました。結果的に言うと大正解。
ブダペストやプラハの「かわまち」は正直いって宗教観や歴史観、価値観の違いが大きすぎているようで、日本ではとても実現できないと感じました。まあ、隅田川をパリのセーヌ並みに改造することがどう考えても難しいのと同義です。
でも、この運河と川は、比較的日本的な整備に近いなと感じました。運河、河川とも低水路と高水敷(低水トラス)がある日本式の複断面構造になっていました。つまり、大いに参考にできる水辺だと感じたということです。
約4時間でドナウ運河とウィーン本川を歩きました。実際は途中で朝食や休憩を挟むので、歩いた距離をGoogleのマップで計測すると大体11kmでした。
赤い丸印はスタート、ゴール地点、細い蛇行した川がドナウう運河、右上の2本広い川がドナウ本川です。
歩いたルートは、スタート(赤丸)→ドナウ運河左岸と右岸(A)→電車通り往復(A→B→A→C)→住宅地(D)→ミレニアムタワー(E)→ドナウ本川右岸(F)→住宅団地(G)→プラタースターン駅(H)→駅前通り(I)→ドナウ運河右岸(J)→ゴール(赤丸)。
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昨日の晩に見たドナウ運河は、素晴らしい姿を見せてくれました。運河と街が実によくマッチングしていた光景だと思います。道路や公園を運河と建物の間に入れてあるので、建物はすべて川に向いて建っていました。いい「かわまち」の基本がありました。
運河は写真の下から上に流れています。運河の右岸側の横断構成は、運河→低水トラス→公園→道路→建物の順番に配置されていました。流速は意外にも早いようで歩行速度程度(1m/秒、4km/時程度)だったと記憶しています。
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運河の水面と低水トラスの比高差は概ね4m程度、転落防止策らしきものは一切ありません。プダペストのドナウ、プラハのブルタヴァと同じです。
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上流側はこんな感じ・・・下流に向いて左を左岸、右を右岸といいます。この写真では写真左方向に水が流れているので、右側が左岸です。
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アウガルテン橋には最新式のトラムが走っていました。
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この橋から眺めたドナウ運河です。低水トラスの護岸はすべて直立式になっていました。都心の高密度の土地利用にあった形態です。転落防止策はある箇所とない箇所があります。その使い分けは不明です。低水トラスは遊歩道や芝生公園になっていました。水没する可能性があるようで恒久的な建物は見当たりません。
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橋の手前の公園にはチャペルらしき建物が建っていました。スプレーの落書きはいけません・・・
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この公園の片隅にヒッソリと公衆便所がありました。
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中に入って驚きました。一昔前の小便用トイレでした。僕の小学校時代にはこのタイプの便器ないトイレが普通でしたが、まさか21世紀初頭にこのようなレトロなトイレを発見するとは夢にも思いませんでした。とにかく、久し振りに無料トイレにありつけた訳で、早速、利用させていただきました。
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この橋の上流側の右岸には九十九折りの勾配のゆるい斜路が設置されていました。バリアフリーかもしれません。立派な河畔林もあります。
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左岸側の河岸は捨石タイプの自然河岸になっていました。ブダペストのドナウ川、プラハのブルタヴァ川と似た感じです。直立護岸には柵はありません。上段の直立護岸のスプレーペインティングは一種のデザインとして許容されているようにも思います。
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転落防止策がないこのテラスに降りてみました。水面との高低差は概ね4mくらい、「落ちたい人は勝手にどうぞ」ということでしょうが、日本人の僕の理解を超えています。河川管理者も一応気にかけてはいるようで、STOP看板には連絡先の電話122番が記載されていました。日本は警察110番、救急と消防は119番ですが、ネットで調べたら、122番は消防でした(警察と救急は112番)。日本と似た感じです。
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橋の上に面白い看板がありました。メーンディッシュが脳みそ・・・なかなか遊び心に溢れたポスターです。
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アウガルテン橋から上流100mにあるロッサウワー橋まで来ました。
この橋から眺めた上流側の運河の両岸には豊かな河畔林がありました。背後には建物が見えています。この建物から眺めた運河の絵柄もきっと素晴らしいでしょう・・・これらの高木の河畔林がぼそぼその無管理状態でなく、そこそこに手入れされている印象が感じられるところのなかなか良いです。
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この橋の袂から立派な2本の高い尖塔を持ったゴシック式の大聖堂が見えました。時間に余裕があれば寄って見たかったのですが、先があるのでスルーしました。
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運河の右岸側を上流に歩いて行きました。低水路には自転車と歩行者兼用の舗装道路が設置さてていました。この写真の左側は2段構えになっていて、下段が地下鉄、上段が道路になっていました。
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気になったのは地下鉄が低水テラスと同じ高さで設置されていた事。洪水は大丈夫かと心配しました。多分、ドナウ本川から分派した運河の最上流地点に水門などが設置されており、洪水流が運河に流れ込まない仕組みになっているかもしれません。東京でいうと岩淵水門で仕切られた隅田川みたいになっているのではないか?
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低水テラス河畔には休憩所が設置されテーブルや椅子が並べられていました。気持ちのよい水辺を楽しめるようになっていました。
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更に上流に向けて歩いて行きました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2014-10-22 18:21 | 中欧 | Comments(0)  

2014年5月8日(木)中欧 その38 ウィーン(その1)

マイディンク駅から地下鉄4号線でウィーンミッテ駅へ。ここで1号線に乗り換えてプラターシュターン駅へ向かいました。5月3日に随分と乗り間違えをした分、ウィーン地下鉄の使い勝手が判ってきました。ちなみに料金は2.1€(300円)でした。
電車は、ドナウ運河を渡りました。ウィーンの街も高低差があるようで、地下鉄といいながら途中から高架になっていました。御茶ノ水の神田川を渡る丸の内線みたいなものです。
ドナウ運河は今回の旅行のターゲットのひとつでした。水量は豊かで水流は結構速く、周りの街の風景も魅力的でした。

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18時50分、プラターシュターン駅に到着しました。
この駅は、ウィーン市街地東側のドナウ運河とドナウ本川に挟まれた場所に位置していました。地下鉄1号線、2号線、トラムなどが集積した交通至便な駅だと思います。東京でいえば池袋みたいなハブ駅でした。
駅舎自体はホームも広々とした真新しい駅でした。「QBB」は地下鉄、トラム、バスを一括管理する会社のようで、共通ICカードが使える便利な交通システムが出来上がっていました。日本のSUICAと同じです。

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相当疲れていました。
よく考えると、朝5時に起床してプラハの街を歩き回って、トラブルに遭いながらも何とか電車に乗り込んで、やっとここまでたどり着いた訳で、体力には自信がある方ですが、流石に疲れが出ました。
駅到着からホテルに着くまで全く写真を撮っていませんでした。写真撮影する気力すらなくなっていたようです。
咽喉がやたらと乾いていたので、駅ビル内の売店で買った1Lパックのオレンジジュースを一気に飲み干しました。駅ビルのスーパーに入って、サンドウィッチを買いました。元気があればご当地の生活を理解するために食品売り場をウロウロして、品揃え、お値段のチェックに入りますが、疲れ切って全くその余裕がありません。
駅前のベンチに腰かけて、夕食のサンドウィッチを食べました。ホテルまでは徒歩で約1km、重いバックパックを背負って歩く気力は残っていませんでした。
駅前のタクシー乗り場でタクシーを拾いました。料金は8.6€(1200円)でした。
予約した四つ星ホテルは、2人用の長期滞在型でした。チェクインを済ませてお風呂に入ってベッドに横になりました。
24時頃に目が覚めたので、ホテルから歩いて5分のドナウ運河を歩いてみました。運河は黒々と横たわっていました。

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この時刻にも運河沿いのテラスを散歩する人がいました。


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H&Mの広告には日本の半被風の上着が・・・

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運河脇の地下鉄駅は、真新しい駅のようでした。

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この日は移動の多い大変な一日になりました。
明日、ドナウ運河とドナウ本川、ウィーン中心部を歩きます。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2014-10-19 17:32 | 中欧 | Comments(0)  

2014年5月8日(木)中欧 その37 プラハ~ウィーン

プラハからウィーンまでの交通手段をどうするか?
この旅の計画段階で悩みました。
飛行機を使う程遠くもないし、沿線の風景を見ることができるだろうという軽い理由で、鉄道を選択しました。飛行機を使ったブダペスト、プラハ間の半分くらいの距離でした。
ヨーロッパの鉄道網をみると、プラハ~ウィーン間には時速200km以上の高速列車は走っていません。去年の連休で乗車したフランスのTGVは、赤で表示された270~300km/H、2010年に乗車したスペインのAVEは紫の310~320km/H。要するにこの区間は、在来線しかありません。

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                                          (出展:ウィキペディア)
運行経路は、プラハから東の方角を走行し、途中で南に折れてブルノを経由してウィーンに向かうルートでした。走行距離は概ね400km。約5時間の列車の旅になりました。
途中停車駅は3駅程度、日本でいう特急みたいな列車でした。平均時速が80kmくらいだと推測します。

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                                     (出展:ウィキペディア)
国際列車EC173号は、プラハ本駅を定刻の13時39分に発車しました。ウィーンのマイデリィンク駅に18時24分に到着する予定です。

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二等車は6人掛けのコンパートメントでした。乗客は、僕を入れて4人。僕は窓際の席を首尾よく予約できました。僕の向かいは、チェコの若い女性、左隣がチェコの年輩女性、その隣は東洋系の男性でした。後の3人は国境に近いブルノ駅で下車、それ以降は僕が個室を独占しました。この席で、車窓から風景を眺めたり、当日の記事をFBにアップしたりして時間を潰しました。実に、気持ちのよい小旅行になったと思います。列車を選択して正解でした。
僕と同じ年くらいのチェコ女性が最初は僕の席に座っていました。僕が乗車券を見せると納得して本来の指定席に戻りました。チェコ人との会話は最初の席の確認の時だけでした。若い女性はスマホをいじって時間つぶし、年配女性は備え付けの雑誌を読んだりしていました。日本でいえば、差し詰めボックス席に他人同士が乗車したようなものです。

この時の記事は、以下のとおり。。。

EC173号の2等車は6人掛けのコンパートメントだった。ネイティブの3人はオーストリア国境近くの町で下車した。
沿線は一面の新緑だった。途中でにわか雨が降った。ハイキングの人たちが雨宿りしているのが見えた。
オーストリアに入ると、風景が少し変わって、案内放送もドイツ語に変わった。
18時10分、ウィーンのMeidling駅に到着した。
いよいよ、この旅も最終章。ウィーンを観光していよいよ帰国します!(^^)!


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車窓には青々とした麦畑が一面に広がっていました。

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ブルタヴァ川の上流でしょうか。。。ゆったりとした流れがありました。対岸に旧式なアパート群が建っていました。共産党時代の建物かもしれません。

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プラハを出発して、1時間20分くらい経った地点に大きな川が流れていました。新緑と川がセットになった豊かな田園風景が広がっていました。

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途中停車した駅から見た沿線の田舎町も、豊かな緑に囲まれていました。

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にわか雨が降ってきました。

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田舎の駅を通過しました。

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出発して2時間30分が経過。青空が戻ってきました。赤い屋根と白い壁の家が周囲の緑とよく調和した素晴らしい風景です。

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オーストリア国境付近にあるブルノの街が近づいてきました。

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ブルノの駅で停車。多くの乗客が下車しました。僕のコンパートメントの3人のチェコ人も降車しました。新規の乗客がなかったので、部屋の独占状態になりました。

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5月の新緑の中を列車は順調に走り続けました。

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小さな川を渡りました。

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出発して3時間が経過しました。沿線の風景から森がなくなり、広大な平原に変わりました。Zajeci(ザイェティー)駅を通過。オーストリア国境まであとわずかになりました。

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国境付近で車掌が検札に来ました。出入国の手続きだと思われます。出国側のチェコ人が個室に来ました。パスポートと乗車券を提示して簡単に手続きが終了しました。シュンゲン条約のおかげだと思います。
国境を越えてオーストリアに入った後、入国側のオーストリアの検札の記憶はあいまいです。印象に残らないくらいに簡単に終わったのかもしれません。
列車がオーストリアに入ったようでした。館内放送がドイツ語に変わりました。車外の風景も少し変化したように感じました。住宅などが少し洗練され、牧草地が増えた分開放感が増したような気がしました。

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遠くにポプラ並木が見えました。

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目的地のウィーンの郊外に来ました。

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18時10分、ウィーン中心街の南側にあるマイデリンク駅に到着。予定より15分早く着いたことになります。所要時間は、4時間30分でした。多分、乗客が乗り降りする15分の停車時間だと思います。

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この駅の線路脇の土留めに「一本取られた」思いがしました。隣接する墓地との境界に設置した自立式の土留め杭の表面仕上げになかなかの工夫を感じました。日本の土木屋さんが設計すると、杭の前面に化粧用のコンクリートを打って杭を隠すことが多いのですが、モルタルを上手に吹き付けてテクスチャ―を付けて、お洒落なデザインに変えていました。

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この駅で沢山の乗客が下車しました。

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機関車は「Trailjet」号(トレイルジェット)、シーメンス製でした。高速走行はしなかったので「ジェット」は少し無理があるなと思いましたが・・・スタイルのいい機関車でした。

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この駅で下車して地下鉄でウィーン中心街の東側のプラタースターン駅に向かいました。
以下、次号。。。


by camino0810 | 2014-10-15 16:22 | 中欧 | Comments(0)  

2014年5月8日(木)中欧 その36 プラハ(その11)

2泊3日したプラハをいよいよ離れることになりました。

プラハ本駅発13時39分の国際列車EC173号に乗り込むばかりになりました。ウィーンのメルディンク駅に18時24分着の予定です。
発車20分前にこの列車の出発ホームが電光掲示板に掲示されました。フランスと同じでした。
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昼食を終えて本駅脇のトラム停留所に行きました。ホテルに預けてあるバックパックを取りに行って、再度、駅に戻る段取りにしていました。
トラム9号線は本駅とホテルの最寄駅ズボロヴスカー( Zborovská)停留所を結んでいる路線でした。ホテルの係の人にその事は確認済でした。

停留所に行ってみたところ、その路線が見当たりません。停留所を間違えたかもしれないと思い、トラム待ちの年配の方に確認しました。9号線は、つい最近廃線になったばかりのようでした。したがって、この年配の男性も廃線を承知していませんでした。

これまで小さなトラブルはあったものの順調にプラハの街を歩いてこられました。
土壇場で思わぬ落とし穴に嵌まった思いでした。かなりうろたえました。

どうするか?発車時刻までに残された時間はあまりありません。
善後策は3つの方法しか思いつきませんでした。
  ① トラムの別路線を使う
  ② 地下鉄を使う
  ③ タクシーを使う
①の方法は、プラハ2日目の迷走ぶりを考えるとNG。②の地下鉄は全く乗車経験がありません。藪蛇になるでしょう。③のタクシーは乗り場が近くにあることにすでに気付いていました。
プラハの街は東京ほど大きくはありません。交通マヒを起こす時間帯でもない。歩き回ったおかげでプラハの街のアバウトな地図が頭の中に出来上がっていました。タクシーだとホテルまで片道20分位だろうと推測しました。

駅前でタクシーに乗ることにしました。車内で運転手に行先の住所を書いたレファレンス(メモ)示し、13時39分の電車に間に合わせる必要がある事情を説明しました。
パスポートの番号、保険会社の連絡先、ホテルの住所などを一枚にまとめたレファレンス(メモ)と旅程を常時携帯しています。こんな緊急事態にこのメモは重宝しました。

運転手はすぐに往復の経路を決めて、大丈夫間に合うと言ってくれました。ただ、彼は髪を後ろに束ねたちょっと傾いた感じだったので、ぼられたり騙されるのではと心配しました。

ホテルまでは例のポンヌフを渡って、ホテルのある左岸の川沿いの大通りを上流に向けて走りました。順調にホテルに着きました。本駅までの戻りはバラツキ―橋を渡って駅のある右岸に戻りました。渡り終えた地点で渋滞につかまりました。運転手はう回路を走って行きました。路地裏のような道を入っていったので、大丈夫かなと疑心暗鬼状態に・・・
しばらくすると本駅の旧駅舎が見えました。
「これで間に合う」とホットしました。実は、支払いにも不安を感じていました。チェココルナは使い勝手が悪いので400チェココルナ(2,000円)しか残していません。10€を入れて全部で3,400円。見積金額ぎりぎりの現金しか持っていません。
結局、料金は364チェココルナ(1,800円)。時間もお金も間に合ったので僕が満面を笑みを浮かべていたらしく、差し出した400チェココルナを運転手はチップ込みと勘違いしたようでした。ちなみにチェコはアメリカと違ってチップは不要なのですが・・・

この時の様子を当日FBにアップしていました。

「あとはホテルにトラムで戻って荷物を取って引き返すだけになった。
しめしめとほくそ笑んていたら思わぬ事態が発生した。
ホテル行きの9号線が廃線になっていた。停留所に並んでいたネイティブのおじさんも事態を承知していなかった。ホテルの受付のおじさんは、確かに9号線1本で行けると昨日僕に言ったばかりだった。
他のトラムと徒歩では間に合わないし、地下鉄は不案内。
緊急手段として駅前のタクシーを使うことにした。髪を後ろに束ねたいささか歌舞いた感じの運転手だったので少し心配した。見積もりは約500KC。財布には200KC2枚と5€2枚だけだった。ギリな金額だ。
ホテルから駅まで戻る道が混んでいた。う回路は遠回りしすぎか?なんて感じた。料金が気になった。
料金は結局往復で364kcだった。
嬉しくなって思わず感謝の顔を浮かべていたらしい。ありがとうと言わんばかりにこの2枚をさし出したようだ。運転手は、お釣りはチップと勘違いし、”ありがとう”と笑顔で言った。今更、お釣りを・・とも言えないし、僕は苦笑いを返した。
結局、駅にには発車30分前に到着できた。
発車番線は約20分前に掲示板に表示された。フランスと同じだった。」


13時過ぎに本駅に到着しました。
待合スペースには、乗車する列車の編成が明示された掲示版がありました。EC173号は機関車1両、1等車3両(赤)、2等車6両(緑)計10両編成の列車でした。指定席の位置を乗客にアナウンスする便利なツールです。
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EC173号は3番線から発車します。地下の連絡通路を通ってホームに向かいました。
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ウィルソンの看板がありました。アメリカ大統領で国際連盟の創始者として高名な方ですが、プラハとの関係は何なのか?不明です。
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ドーム型の覆いが付いたホームでした。天井に明り取りを付けて電気代を節減する設計でした。
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13時39分定刻、EC173号がウィーンに向けて発車しました。
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以下、次号・・・


by camino0810 | 2014-10-13 17:05 | 中欧 | Comments(0)  

2014年5月8日(木)中欧 その35 プラハ(その10)

11時ちょっと前にプラハ本駅に着きました。
駅前の建物も綺麗に軒がそろってパステルカラーで塗り分けられていました。このブログを書いている時、駅前のこの写真を見てある事に気づきました。よく見ると、建物側のトラムの架線、線路が途切れていました。
この事で、新たな椿事が起こりました。
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今日の午後の電車でウィーンに向かう計画でした。その切符を早めに入手しておこうと考え、駅に行きました。
プラハ本駅の駅前は立派な芝生の公園でした。チェコの首都のハブ駅前が芝生公園になっている事に少なからず驚かされました。どの国にせよ、首都のハブ駅は高度に土地利用が進んでいます。東京駅、新宿駅、ブダペストの東駅、パリの北駅、モンパルナス駅、ロンドンのヴィクトリア駅、マドリッドのアト―チャ駅など駅舎の前はすべて道路だったと記憶しています。多分、この駅では何かの跡地を敢えて建物を立てずに公園にしたのかもしれません。
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第二次大戦の戦勝を祝う兵士の銅像がありました。機関銃を肩から掛けた一組の男女の兵士が再会を果たし、抱き合ってキスをしているシーンのようでした。
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女性も銃を持って戦った位激烈な戦争に勝利したというメッセージでしょうか?
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プラハ本駅はピカピカのRC製の駅ビルでした。古風な旧駅舎を増築したようでした。
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駅構内は、国際列車が停車するハブ駅らしい活気を感じました。古風な街並とは対照的に極めて現代的でお洒落なデザインでした。
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みどりの窓口みたいな切符売り場で並びました。行先のメモを見せると、担当窓口の方は、「ここは国内列車専用切符売り場。向こうの国際列車切符売り場に行ってほしい」と言われました。
切符を購入する時は駅員に必要事項を記載したメモを渡します。僕の英会話能力は、正直高くありません。相手に大事な情報が正確に伝わらない事態を避けるための常套手段です。パスポートとメモ、クレジットカードで簡単に購入できました。日本で切符を買うのと大差は感じませんでした。
この時のメモがたまたま保存されていました。
「Today 
  From HLAVNI NADR 13:39
  To WIEN MELDLING 18:24
  One ticket
  Adult
  2nd class」 
ウィーン行きの2等車は 1300チェココルナ(6,500円)と結構安かったです。

この時にアップしたFBの記事はこうでした。

「ようやくプラハ本駅にたどり着いた。国際列車窓口で首尾よくウィーン行きの乗車券を入手できた。1,290kc(約6,000円)と意外にも安かった。
博物館前の公園通りのレストランで昼食。昨日の仇を討つべくスペアリブをしこたま胃袋に放り込んだ。意外にもリーズナブルな値段だったので大満足した。・・・」

駅前の芝生広場から本駅の旧駅舎が見えました。
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旧駅舎は実に風格に溢れた建物でした。旧駅舎の玄関は道路に面していて送迎に便利な感じです。
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国立博物館の新館は、珍しく現在風なデザインでした。周りの建物はほとんど古風な伝統的建物ばかり。特区扱いの建物なのでしょうか?
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博物館の旧館も風格に溢れた大きな建物でした。ここは、プラハ駅前のヴァーツラフ広場の南端にあります。
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ヴァーツラフ広場は、中央に遊歩公園のある幅の広い道路公園でした。札幌の大通公園や名古屋のテレビ塔の公園通りみたいなものです。坂の上にある博物館からの見通しが実に気持ち良かったです。この公園はある意味都心のオープンスペース、この広場は400年以上前からできていました。市場用なのか防火目的なのか宗教上の目的なのか軍事目的なのか政治的プロパガンダなのか・・・その目的が知りたいところです。
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立派な英雄像もありました。
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この広場で歴史写真展が開催されていました。ラッキーでした。
プラハの街がどのように形成されていったかがそれなりに理解できました。
最初は、1606年のプラハの街の絵図面・・・。
江戸初期にこれだけの都市が出来ていたことに驚かされました。絵図の右上の城門が現在の博物館、現在の鉄道と道路は街を防衛する城壁の位置にあったと思います。ヴァーツラフ広場は斜めの幅の広い坂道です。絵図の下にブルタヴァ川がわずかに描かれていました。ちょうど、例のポンヌフにあたる箇所でした。
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1794年、江戸末期にはヴァーツラフ広場の周囲には建物が建ち並んでいました。坂の上にある城壁は撤去されており、博物館の場所には小さな建物が建っていました。このころには、オスマントルコなどの脅威がなくなった、都市が膨張を始めたなどの理由で城壁を撤去したのかもしれません。
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ほぼ同時期1785年のヴァーツラフ広場の坂の上から下を眺めた絵柄を見ると、現在の街並が出来上がっていた事が判ります。
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1841年の地図を見ると、現在の旧市街が出来上がっていました。ヴァーツラフ広場は群を抜いて幅広な約1㎞の道路になっていました。絵柄の上にあるカレル橋や斜め取水堰などは現在と同じです。
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1880年の明治初期には、博物館から見下ろした写真を見ると、現在の街並が完成形になっていることが判ります。
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1906年の明治後期は、完全に現在と同じ感じです。当時は、トラムが走っていました。広大な車道に車が一台も走っていません。馬車が主体だったのでしょうか・・・。
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モータリゼーションの進展に伴って中央部分を公園として残し、トラムを廃止して、両サイドを車道に造り替えて現在に至ったという事になります。

12時に近くなりました。公園広場から脇道に入ってレストランを探しました。スペインのバルみたいなお店に入りました。
チェコの伝統料理を食べ損ねて、間違えて野菜料理を注文した昨日の失敗だけは避けようと考えました。注文を取りに来た男性店員にチェコのおススメの伝統料理をオーダーしたような記憶があります。
コーヒー中毒なのでまずはカプチーノ。前菜は、ビーツのスープ、酸味が効いた紫色のスープです。
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メーンは豚のスペアリブをオーダーしました。多分これがチェコの伝統料理だと思います。スペアリブは質、量とも申し分なかったです。おろしたホースラディシュ、紫玉ねぎ、ピクルスなどが添えられていました。
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これで300チェココルナ(1,500円)、大いに満足できました。
後は、駅に戻ってトラムに乗ってホテルに引き返して、預けたバックパックを持って再び駅に戻るだけになりました。
ここでちょっとした事件がありました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2014-10-12 22:45 | 中欧 | Comments(0)  

2014年5月8日(木)中欧 その34 プラハ(その9)

カレル橋の下流にあるマーネスーフ橋を渡って右岸の旧市街に入りました。
この橋からブルタヴァ川の下流側を観察しました。左岸側(写真左側)は直立護岸、自然河岸、旧市街側の右岸側は隅田川ばりのカミソリ護岸です。これまで見てきた欧米の川(ガロンヌ川、ロワール川、セーヌ川、テムズ川、エイボン川、ポトマック川、ドナウ川)はすべて高水敷のない川底がなだらかな船底型の断面のような感じです。


一方、日本の川は、普段の水を流す低水路と洪水時に水を流すの高水敷の2段構えになっています。これまで見てきた欧州の川は、高水敷のようなものがありません。一部例外として北スペインのナヘラ、ブルゴス、レオンという街を流れる中小河川は日本式でしたが・・・
この河川の横断面の形状の違いはどう説明すればよいか?川屋を自称する僕も考えてみました。
集水域の大きさと雨の降り方やその季節的変動、河床勾配、土地利用の高度化の有無などが関係しているように思います。欧米の大河川は広大な集水域と比較的安定した降雨量、緩やかな河床勾配を持っているようです。そのため洪水の時は、水の出方が遅くなり、流量も思ったより小さいようです。一方、普段は安定した流量が流れるため船が航行できる水深が常時確保できる。
去年の連休にフランスを旅行しました。パリのセーヌ川の水位説明看板は以下のようでした。多摩川の洪水が7,000m3/秒程度なので随分小さいなと感じたものです。 
  水位 0m 流量50m3/秒:最低水位(1719年)
      3m 流量800m3/秒:上流部が水没する水位
      4m 流量1000m3/秒:船舶航行の中止水位。
      6m 流量1500m3/秒:通常の洪水時の水位
      9m             :既往最高水位(1910年)

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日本の河川はすべてその逆バージョン。洪水の時は、水の出方が早くなり、流量も大きくなります。一方、普段は渇水などもあり、降雨の季節変動も大きくその流量も小さい。洪水を貯めるダムが上流にあるので、その放流量の調節でなんとか維持する流量を流すことができているようです。いずれにせよ、年間を通じて流量の変動が大きいので、普段は低水路、洪水時は高水敷といった二段構えが必要になってきたのでしょうか・・・
例外となった北スペインの小規模な川は、乾燥地帯で流量もすくないため常時の流量が少ないので、2段構えの方が高水敷を有効に使えるからでしょうか。
逆に土地利用が高度化した隅田川や旧淀川はブルタバ川のようなカミソリ護岸方式で、常時の水面利用(観光、舟運)のために低水トラスを設けています。



橋の上流側の左岸は自然河岸でした。左岸側は市街地開発が遅れ土地に余裕があったからでしょうか?このタイプだと水中や陸上に生息場所や餌があるので、沢山の生物が生きていけます。



右岸の旧市街側はカミソリ型でした。河川は本来自然のもの、河川の計画は自然と人間活動の両方を考え、上手に調整する必要があるでしょう。土地利用が高度になった市街地では隅田川や旧淀川と同じでやむをえないことです。


上流に見えたカレル橋は実に重厚でした。


カフカ博物館のある左岸の川岸は砂浜みたいになっていて沢山の白鳥が遊んでいました。

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マーネスーフ橋を渡って、右岸の旧市街に来ました。博物館?脇の車道はサイコロ状の石材で舗装されていました。古都プラハの景観にマッチしたデザインだと思います。凸凹の車道が自動車の速度規制にも役立っていると思います。




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カレル橋の袂にはボートの繋留施設がありました。

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河畔から眺めたプラハ城も素晴らしかったです。

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夫婦の観光客に写真を撮ってもらいました。

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カレル橋のアーチ付きの塔は煤で黒くなっていました。



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舗道の打ち換え工事中でした。10cm角のサイコロ状の石材を砂の上に並べていました。

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旧市街を歩いて広場に向かいました。


プラハ名物の焼き菓子、トルデルニークは、チェコ版バームクーヘンみたいなお菓子。屋台や道路に面したお店で見かけました。紐状の生地を焼き串に巻きつけて炭火で焼いていました
。シナモン、ナッツ、砂糖などをかけて戴くようです。



オールド・タウン・スクエア広場に来ました。広大な敷地に屋台やカフェなどが出ていました。



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当日にFBにアップした記事の一部です。

「ブルタヴァ川を渡って、旧市街地を歩いた。
大勢の観光客で賑わう大きな広場に出た。音楽のコンサートなどもやっていた。広場の大きな銅像の前で大柄のアメリカ人が大声で一団に説明していた。
彼の大声のお陰で、この銅像がヤン・フスだと判った。宗教河改革をルターに先駆けて行った偉人だと記憶している。過酷な処刑をされたらしい。
マサリク駅の構内のベンチに腰掛けて一休みしていたら、会社の人から仕事の電話が入った。日本は連休明けだ。僕がプラハにいると答えたら、苦笑いをしていた。」

ヤン・フスは宗教改革で活躍した偉人です。チェコはプロテスタントが多いかもと思いきやネットで調べると現在はキリスト教徒自体がほとんどいないそうでうす。第二次大戦後のソ連支配の影響かもしれません。ロシアがキリスト教を復活させている傾向とは真逆な現象です。
日本人から見ると中欧の人たちは、キリスト者として同根の人たちに思えますが、内実は相当違っているようで、海外では能天気に宗教の話はしないほうが良いと感じます。ちなみにお隣の兄弟国スロバキアはカトリックが大半のようでしたが・・・

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プラハ版のマダムタッソーの蝋人形館には超リアルな人形が展示されていました。


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広場の出口(入り口)にはカレル橋と同じ形のアーチの塔が建っていました。ブラチスラバの旧市街にも同じ形の塔が出入り口になっていました。つまり、旧市街の防衛も兼ねた監視塔兼砦兼税関のような施設だと思います。


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プラハ本駅に向けて歩いて行きました。


舗道のガス管のマンホール蓋にはプラハのエンブレムが・・・

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このエンブレムは別の場所でも見掛けました。3つの塔の下にある扉が開いて剣を持った腕が覗いています。「寄らば切るぞ」というまあ一種の脅しみたいなものでしょうか・・・


10時30分、マサリク駅に到着。駅名にチェコスロヴァキア共和国の初代大統領の名前を付けていました。そういえば、パリのメトロはやたら個人名の駅が多かった記憶があります。


構内の売店で水を買って、ベンチに腰掛けて一休みしました。
ケータイが鳴ったので何かあったのかと思いました。会社の人から仕事の電話でした。日本は連休明けで日本時間は17時30分。「僕は今プラハにいます。月曜に出社するので、改めてこちらから電話します」と返答すると相手は少し驚いていました。


お目当てのプラハ本駅まであとわずかのところまで来ました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2014-10-10 05:45 | 中欧 | Comments(0)  

2014年5月8日(木)中欧 その33 プラハ(その8)

プラハに来て3日目、朝から晴れました。
昨日は、結構歩きましたが、習慣とは恐ろしいもので朝5時起床、メールチェック、FBへの写真アップを済ませて、チェックアウトの準備をしました。
ホテルの窓から見た周りの建物はこんな感じ・・・お隣の建物はレンガ積みの部分をピンクかかった肌色でを塗っています。はす向かいの建物はかなりペンキがはげかかっていました。

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8時前にホテルをチェックアウトしました。ただ、40Lのバックパックはフロントに預けました。係りの人に14時頃取りに戻ると伝えました。
昨日と同様ブルタヴァ川の左岸をカレル橋まで歩き、そこからプラハ城のある丘に登りました。
トラム7号線のズボロヴスカー( Zborovská)停留所からみた電車通りは閑散としていました。


バラツキ―橋
の袂に来ました。このテラス護岸には転落防止策が付いていました。柵の無い部分との使い分けがわかりません。


イラーセク橋
から見た左岸の上流側は川と公園部分、下段道路と上段道路、建物の関係がよく判りました。


運河脇の街並みは軒が実に綺麗に揃っていました。


例のポンヌフの親柱はなかなか立派でした。



ポンヌフからはるか下流にカレル橋が見えました。


奇妙な赤ちゃんのオブジェが・・・僕の趣味ではありませんがインパクトはありました。


カレル橋の袂の広場まで来ました。閑散としていました。


カレル橋の袂の小さな水辺は絵葉書のように綺麗でした。



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カレル橋からプラハ城に続く坂道を登りました。如何にも古都プラハに相応しい街並みが続きます。


8時30分、朝食をマックで摂りました。無料トイレを借りるつもりで入店したものの、有料でした。10チェココルナ(50円)を支払って用を足しました。同じマックでもブダペストは無料でしたが・・・


坂の勾配が段々と立ってきました。アパートのような建物が増えてきました。


この一角にどこかで見たことがある銅像が・・・イギリスのチャーチルでした。



その奥にイギリス領事館らしき建物がありました。


道路から分岐した丘に上がる階段が見えてきました。


パリでも活躍したチェコ出身の画家ミュシャのレリーフがありました。1911年から24年までこのアパートに住んでいたようです。


階段から振り返った街並みも絵葉書の世界みたいでした。


階段を登りきると、プラハ城の城門前の広場に着きました。

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韓国人ツアー客が衛兵と一緒の写真を撮っていたので、僕もご相伴に預かる事に・・・チェコの衛兵は表情が豊かでした。観光客の挙措に反応して笑ったりしていました。ブダペストの衛兵は全く無表情でしだが・・・


今回の旅行で日本人観光客に出会ったのは、ブダペストの王宮だけ。。。韓国人や中国人のツアー客には結構出会いました。


昨日から何度も河畔から眺めた丘の上のプラハ城内にある大聖堂前の広場に来ました。ゴシック式の威厳に満ちた大聖堂でした。



セルフタイマーで自分撮りをしてみました。


この大聖堂も全体的な気分は、これまで見てきた大聖堂と大きな差異は感じませんでしたが、一箇所だけ違った箇所がありました。
イコンを描いた小さなファサードです。ロシア正教の影響を受けているようでした。実はこのブログを書いている時点でもうひとつ違いを発見しました。中央の尖塔がロシアの教会風の玉ねぎ型になっていることです。
この日、ウィーン行の電車内でFBに次のようなコメントをアップしていました。
今朝のプラハはまずまずの天気だった。
朝9時にホテルを出発。ブルタヴァ川の左岸側を下流に向けて歩いた。
プラハ城は小高い丘の上にある。王宮と大聖堂がセットになっていた。昨日何度も見上げた尖塔は大聖堂だった。これまでスペイン、フランス、イギリスでいろいろ大聖堂を見て来た。この聖堂は、ゴシックタイプで特段驚くほど規模や構造を持ったものではなかった。
ただひとつだけ驚かされたことがあった。
大聖堂の側面が一面のイコンで飾られていた。すべてモザイク風のタイルで出来ていた。
プラハは、東西キリスト教社会の接点ということだろうか?キリスト教のイスタンブールみたいなものだ。
そういえば、ブダペストの王宮脇の大聖堂のファサードは左右非対称で、右側は西欧風、左側がロシア風だった。」


大聖堂の裏手は煤で相当黒ずんでしました。


ロシア風の教会も併設されていました。


隣の広場にあった少年像の下腹部は擦られてピカピカになっていました。カレル橋でもピカピカになったレリーフがありました。誰か何のご利益で擦るのか・・・


ブルタヴァ川側の出口にも衛兵が警護していました。


展望台からプラハの街が一望できました。赤い屋根の向こう側にブルタヴァ川とバラツキ―橋やイラーセク橋が見えました。

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階段を下ってブルタヴァ河畔に向かいました。


壁の補修工事をしていました。モルタルの剥げた箇所を見ると、壁は砂岩系の岩石を扁平に整形した石材と目地材でできていることが判ります。

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電車道まで降りてきました。僕は昔ダム現場で現場監督の仕事もしていたので、岩盤にも興味があります。露頭と呼ばれる岩盤が剥き出しになった箇所がありました。
教科書に出てきそうな綺麗な層理面(層状の地層)が見えていました。岩種はチャートか石灰岩のように思えました。


ヨーロッパの古い建物が長持ちするのはこのような堅固な岩盤があることと地震自体が少ないことにあると言われますが、実際に街中で露頭を見たのは初めてでした。


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石畳の電車通りを河畔に向けて歩きました。


河畔の公園には第二次大戦のモニュメントがありました。


振り返るとプラハ城の大聖堂が見えました。


時刻は10時前、再び、ブルタヴァの河畔に戻って来ました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2014-10-08 17:26 | 中欧 | Comments(0)  

2014年5月7日(水)中欧 その32 プラハ(その7)

19時、お腹も空いてきました。
ホテルのフロント嬢から紹介してもらったレストラン「Mlynec」に入ってみました。入った瞬間、店を間違えたと感じました。あまりの高級な気分に圧倒されましたが、エイヤーの気合いで係の方に案内を頼みました。
窓に近い席に一人で座りました。はす向かいの窓際にテーブルにはセレブ風のご婦人が3人で食事を楽しんでいました。
メニュは英語が併記されていたので助かりました。景気づけに赤ワインをグラスで一杯注文して、値段を比較しながら2品をオーダーしました。これが大失敗でした。
高めでも伝統的なチェコ料理コースをオーダーすべきでした。お金をケチって、アラカルトにしたのが良くなかった。。。
前菜にアスパラのサラダ、主菜にステーキをオーダーしました。
女性店員が「あなたはヴェジタリアンですね。。。」と言われてました。その時は何のことかと思いましたが、出された料理で得心しました。
「牛ステーキ」のつもりが「茄子のステーキ」でした。苦笑いをしながら茄子のステーキを頂きました。
流石に高級店、前菜、メーンとも洗練された味わいがありましたが・・・
メーンは、大振りの茄子をソテーしたもので、キノコの見たいな食材も添えられていました。
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折角の機会なので、ベランダに出てみました。カレル橋が見えました。
隣には水上レストランがありました。床の下を勢いよく川が流れています。

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ベランダで一服したついでに、店員に写真を撮ってもらました。
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お勘定は1020チェココルナ(5,100円)。日本より物価が安いチェコにしてはちょっとお高めな夕食になりました。

この席で旅日記をモバイルでFBにアップしました。ワインが効いて来ていささかテンションが上がった感じです。

プラハの川と街のコラボに驚嘆。
パリのセーヌも凄かったけど、プラハのブルタバも同じくらい。。。
ブルタバには閘門や堰などの河川施設があるのが、川屋には嬉しい。
カレル橋周辺のお土産屋やカフェなど親しみ易さもよい。
この街の観光的な価値は、川を上手く取り込んだことで高まっている。

昨日のブダペストも同じ。
2つの街から川を削除したらどうなるか。。。
なんかお酒が入って、上から目線になった感じです(^^)v
ホテルのお姉さんのオススメのレストランに何も考えずに入ったら、超高級だった。
今さらあとに引けないので、アラカルトにしたら、メーンに茄子のステーキが出てきた。
オーダーを終えた時、店員が"あなたは、ベジタリアン。"と言った意味が料理が出てきて納得した。
牛肉のステーキをオーダーしたつもりだったけどなぁ。
間違いの多い人生です(^^)v


レストランを出て、左岸の河畔を上流に向けて歩きました。ホテルのある方向です。
時刻は20時、ここは緯度の高いヨーロッパ、ようやく暮馴染んできました。旨い具合に晴れ上がりました。
沢山の観光客が写真を撮っていました。このあたりは、カレル橋とプラハ城がセットで収められる絶好なビューポイントでした。
素晴らしい光景を目の当たりにできて、実にラッキーでした。
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写真を撮ってもらいました。
リバークルーズの切符売り場ががありました。さっき見た堰には閘門がないので船の行き来ができません。堰を挟んで上流コースと下流コースに別れていました。
ここの下段テラスには、カフェの段取りがされていました。
例のプラハのポンヌフの袂までやってきました。この橋もいい感じに馴染んでいました。
夕暮れが迫った河畔の舗道を歩いて行きました。立派な建物がありました。ファサードの天辺に沢山彫像が並んでいました。旧式なトラムと古い街並み、プラハの真骨頂を感じることができます。
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振り返ると、プラハ城とカレル橋が夕陽に映えていました。
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ポンヌフの上流側まで来ました。
21時近くになると、街灯が灯り始めました。
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下段テラスの舗道を歩いて行きました。結構人通りもありました。
この船上レストランで夕食を摂れば良かったのにと思いました。
イラーセク橋まで戻ってきました。
夕闇が迫って来ました。暗くなってもこのテラスには賑わいがありました。

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道路面とテラスの高低差は概ね8mくらい、階段で昇り降りできる仕組みです。
テラスのレストランは移動式ではなく固定式、洪水の時は浸水してもいいように造っているかもしれません。カップルや家族連れで賑わっていました。
最初に渡ったバラツキ―橋まで戻ってきました。
この橋の袂から道路に上がりました。
時刻は21時、夜の帳が下りる寸前です。プラハ城がライトアップされて浮かび上がっていました。素晴らしい眺めでした。
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ここからトラムに乗って市街地中心に行ってみましたが、ひどく暗い街なので不安を感じました。引き返して、バラツキ―橋の袂のレストランでカプチーノを頂きました。
料理は、結構リーズナブルでした。200g程度のステーキが210チェココルナ(1050円)、400gで390チェココルナ(2,000円)・・・
ピザは、だいたい150チェココルナ(750円)。。。
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スタート地点のビール会社経営のホテル船まで戻ってきました。対岸の大聖堂はライトアップされていました。
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22時過ぎ、ようやくホテルに戻ってきました。約6時間をかけてブルタヴァ川の河畔を歩いたことになります。
部屋は、応接間が付いていて、浴室や調度品もリッチでした。もし次回プラハに来るとすれば、四つ星「ブチィック」のリピーターになってもいいかなと感じました。
24時30分、シャワーを浴びてベッドに入りました。

次の日は、プラハ城から右岸の旧市街地を歩いて、昼過ぎに電車でウィーンに向かいました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2014-10-08 05:03 | 中欧 | Comments(0)  

2014年5月7日(水)中欧 その31 プラハ(その6)

18時、カレル橋の上に来ました。歩き始めて1.5時間が経過していました。

カレル橋は、プラハ観光の目玉のようでした。
グーグルアースでこの橋を拡大すると、沢山の人が蟻んこのように集まっている様子が窺えました。(ブルタバ川はこの写真の下から上に向かって流れています。)
(出典:Google Earth)
この橋から眺めるプラハの街も素晴らしかったです。
左岸の丘の上にプラハ城が望めました。
橋の上流側はこんな感じ・・・
橋の下流側の左岸河畔にはプラハ出身のカフカ博物館がありました。
カレル橋のユニークさは、橋脚直上に沢山の彫像があること・・・こんな橋は初めて見ました。パリの超ゴージャスなアレクサンドル3世橋とは違った落ち着きを感じました。

気になったのは彫像の煤、真っ黒で誰なのか識別ができません。
最近、姫路城が大改造を終えピカピカになったのが反って一部の反発を招きました。どうしても修復直後は、素材の白さが目立ち、明度が高くなって違和感が出るのはやむ負えないとは思いますが、時間的な色合いの沈み込みも最初から考えた方が良いと感じます。
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彫像の一部を手で擦るとご利益があるようで、その部分だけピカピカになっていました。
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左岸の旧市街側まで来ました。こちら側にも右岸と同じ下部がアーチになった塔が付いていました。
この塔の隣にお目当てのレストランが入った建物が建っていました。運河の上に建物が建っています。かってのヨーロッパにあった橋上住居ともいえるコンセプトです。
日本ではスーパー堤防を除いて、河川区域に建物を建てることはできません。これからは、川と街をセットにしたこのような取り組みもありかなと感じます。
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アーチを潜って旧市街に出ました。沢山の観光客で賑わっていました。
お土産ものセンターに入ってみました。
プラハにもボヘミアグラスのようなガラス細工が盛んなようでした。
切子細工と嵌め込み細工のミックスでした。
お決まりのイースターエッグ、マトローシュカ、絵皿などてんこ盛りの陳列でした。
マトローシュカがオンパレードでした。
さっきの橋上建物の上流側のテラスで一休み・・・

カプチーノを飲みながら一服しました。注文に来た女性店員に記念写真をお願いしました。
このテラスから見たブルタヴァ川の眺めも良かったです。
固定堰(頭首工)をまじかに見ることができました。

少し薄日が差してきました。ラッキーでした。
カレル橋とプラハ城がセットになった最高の光景を見ることができました。
くだんのレストランに入店しました。ここでちょっとした椿事がありました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2014-10-05 08:03 | 中欧 | Comments(0)