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2015年1月24日(土)東京 銀座

高校の同窓会が銀座5丁目のビルでありました。
巣鴨でマルジの赤パンを買って、山手線に乗車、有楽町で下車して歩いて行く事にしました。昼間の有楽町や銀座を歩くのは久し振りです。時間がある時はなるべく歩いて街を観察するのが癖になりました。
このあたりもミニ再開発で立派になった感じでした。
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銀座方面を行くとすぐに高速道路が眼に入りました。実はこの高架の道路は首都高ではありませんでした。
会社線と呼ばれる一般道路でした。上京して40年を超えましたが、長い間それを理解できてなかったです。
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高々2kmの道路ですが、1959年には部分開通しており、運営会社は民間会社でした。建設費と運営費を道路下のビルの賃貸収入で回収するスキームだそうです。
ようやく日本でも定着しつつあるPFIの先駆けを行く、当時としては画期的な会社でした。採算性が可能な仕組みは、周辺の土地の価値の高さにあると考えられます。
今後こんな感じの官民連携事業が増えていくように思います。

以下、Wikipedia より引用。

東京高速道路(とうきょうこうそくどうろ、英語: Tokyo Expressway)は、東京都中央区付近にある一般自動車道である。また、東京高速道路株式会社は、この一般自動車道の運営と道路下の不動産賃貸を事業とする会社である。この一般自動車道については外部から東京高速道路株式会社線、会社線、KK線とも呼ばれる。

1951年(昭和26年)、戦後の銀座の復興と飽和点に達した自動車交通量の緩和を目的として設立。銀座を囲む外堀、汐留川、京橋川を埋め立て、高架の自動車道路を建設し、その建設費と運営費をビル賃貸収益で回収するという現代のPFIにも通じる画期的な運営の仕組みを導入した[8]。部分開通は1959年であり、首都高速道路より長い歴史をもつ。全線開通は1966年である[9]。


川屋の僕が気になったのが、外堀、汐留川、京橋川を埋めたててその上に高架の道路を作った事。
都市部の開発が進むと、人口の急激な増加に下水処理が追いつかず未処理の下水が川に流れ出ます。水流が停滞しがちな低平な都市内河川では汚染が進み悪臭を放つようになり、洪水の心配がないと埋め立ての選択肢が選ばれるようになります。
隅田川は上流の赤羽で域外の洪水が流れ込まない仕組みになっているので、多分、埋め立ての選択が為されたのだと思います。
かつての「水都東京」が経済成長に伴って消えていったようです。江戸期までは物資運搬は舟運、川やお堀は現在の道路に相当します。鉄道輸送や道路輸送が主体になった明治期以降、この転換はある意味避けられない事でもあります。都内には埋め立てられた中小河川やお堀はいたる所にあるようです。大半は道路や公園に化けました。
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外堀通りもかつては江戸城を防衛する外濠でした。今はその面影が全くありません。京橋川は、確か親柱だけが残されています。
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外濠通りを渡ると銀座の街です。高級ブランドのお店がそのデザインを競っていました。ミキモトのデザインはユニーク、ただこの窓の不規則な配置だと中の人から外の風景はどんな風に見えるのでしょうか・・・
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デビアスのデザインはユニーク、ぐにゃりと歪んだ建物はインパクトがありました。ムンクの「叫び」という有名な絵がありますが、そのイメージでしょうか。。。
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街の景観デザインには「遊び」の精神も必要です。一律同じデザインでは少し飽き飽きします。敢えて「傷」みたいな違和感や異質感を意図的に創ると、双方の面白さを際立出たせる事も可能です。
2014年5月に見たウィーンのドナウ運河沿いには「景観逆特区」のようなゾーンがありました。欧州の街並みの特徴は、軒を揃える事。このゾーンは意識的にそこから逸脱させていたような意図を感じました。傾いた高層ビルが建っていて驚かされました。
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銀座中央通りは、歩行者天国をやっていました。車道の真ん中から見る銀座は新鮮でした。テレビ関係者が歩行者にインタビューしていました。
松屋から新橋方面はこんな風・・・
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日本橋方面・・・
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銀座4丁目の交差点からの絵柄はなかなか貴重なショットです。
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会場の銀座コアビルは銀座5丁目の中央通り沿いにありました。中はちょっと古めで陳腐化した印象がありました。
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同窓会は盛会でした。僕は体調不良だったので中座しました。
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19時前、すっかり日が落ちていつもの見慣れた夜の銀座に戻っていました。
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赤ワインが効いてホウホウの体で自宅までたどり着きました。


by camino0810 | 2015-02-28 13:39 | 東京 | Comments(0)  

2015年1月24日(土)東京 巣鴨

久し振りに巣鴨で電車を降りて地蔵通りにやって来ました。夜、銀座で高校の同窓会があります。その景品を買うためです。
R17沿いの商店街には太陽光発電のパネルがずらりと並んでいました。都内をあちこち歩きましたが、こんな街は初めてです。
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よく手土産にする大塚の「千成もなか」は巣鴨にもありました。こっちの方が本店みたいでした。5色の千成ひょうたんの最中です。
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巣鴨地蔵通りの入り口にあるお寺に寄ってみました。年輩の参拝者が阿弥陀傘を被ったお地蔵に熱心にお参りしていましyた。
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檀家のスポンサーたちの提灯もどっさり飾られていました。お目当ての「マルジ」の提灯もありました。
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関東大震災の犠牲者の慰霊塔が建っていました。1923年9月1日の記載もありました。あれから92年が経過しました。そろそろかなとも思います。
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地蔵通商店街は、年輩者で大賑わいでした。1976年から2年間、ここから歩いて10分くらいにある庚申塚の大学の寮に住んでいました。当時からこの通りは賑わっていました。
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それでも今日の混み具合は特別でした。年の瀬のアメ横並みでした。
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同窓会の世話役の女性からの注文は、マルジの赤パンを男性用1枚、女性用1枚でした。この店は有名な芸人が着用しているとかで随分と有名になりました。学生時代は地元の一衣料店でしかなかったです。
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店内は繁盛していました。店員の方にこの混雑の理由を聞いてみました。「この人出は、とげ抜き地蔵のご開帳と土曜が重なったからでしょう・・・」
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赤一色の店内はやはりインパクトがあります。青カエルのアップリケの付いたパンツにしました。
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買い物を終えて、とげ抜き地蔵にお参りに行きました。正式には「高岩寺」と言います。
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お香の焚き場で線香の煙を直したいところに手で誘います。そうすると患部が治るという言い伝えがあります。頭に何度もお香を掛けました。
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R17の歩道橋を渡って巣鴨の駅に戻りました。昔の中仙道です。この道を延々と歩いていくと約500km離れた京都の四条まで行くことができます。江戸末期、和宮が京都から籠に乗せられてやって来た事を思い出しました。
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山手線で同窓会の会場へ向かいました。

by camino0810 | 2015-02-25 17:20 | 東京 | Comments(0)