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2015年3月18日(水)、東京案内(浅草、皇居前、日比谷公園ほか)

今日はイギリス在住のハンガリー人の若いカップルを休暇を取って東京を案内しました。
ガーボルさんは26歳の男性、キティ―さんは22歳の女性。イギリスのリーズで働いています。彼らにとって今回の旅は念願の日本旅行でした。
10時に雷門で待ち合わせをしました。
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一緒に歩きながら仲見世、浅草寺の案内を日本語で行いました。彼らは日本語が堪能です。事前のメールのやり取りはすべて日本語で行いました。
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3月17日にヒースローから成田に到着、飛行機の中ではほとんど睡眠がとれなかったそうです。時差ボケと戦いながら浅草のホステルに着いて、浅草や渋谷に出かけたそうです。

浅草寺を歩きながら日本人の好きな食べものを紹介しました。
お寿司、ラーメン、焼きそば、カレー、タコ焼き、お好み焼き、鯛焼きなど・・・
今半のあるアーケードでキティ―さんが鯛焼きを食べたいと言いました。彼女は熱々の焼き立ての鯛焼きを美味しそうに食べました。

吾妻橋の袂で隅田川や対岸のビール会社のオブジェ、スカイツリーの説明をしました。
「隅田川はブダペストのドナウにはとても敵わないけど隅田川の花火は東京名物ですごくいいです。。。」
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ガーボルさんはブダペスト郊外、キティ―さんはブダペスト市内に実家があります。去年の5月に僕もブダペストを観光しました。隅田川をはるかに超えた素晴らしい川でした。
スカイツリーまで歩いて行きました。途中の橋で二人の写真を撮りました。
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昔東京は武蔵の国といっていて、スカイツリーの高さは「武蔵の国」にちなんで634mにしたと説明すると彼らは大いに納得。スカイツリーはテレビ塔で、東京タワーの能力が不足してきたため建てられたと説明しました。
テレビ塔としては世界一の高さがあり、耐震性に優れた構造だとか、下部が三角で途中から円形に変わるなどと説明を加えました。案内にすぐ技術屋が出るのは仕方ないか・・・
スカイツリーの傍には早咲きの桜が咲いていました。
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スカイツリーは確か2012年5月に開業しました。実は、スカイツリーに登るのは今回が初めて、いつもは見てるだけでした。
平日にも拘わらず切符売り場には沢山のお客が並んでしました。
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とりあえず地上350mの第一展望台(2060円)に行って興が乗れば450mの第二(1000円)に行こうと決めました。エレベーター内には江戸切子が飾られていました。
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第一展望台からの眺めはお天気がイマイチでしたが、まずまずの眺望がありました。浅草寺、隅田川、ビール会社のオブジェ・・・東京の街を紹介しました。彼らは富士山を見たかったようですが、霞がかかって生憎見えませんでした。
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隅田川の向こうに荒川も見えました。川屋を自称する僕は、荒川は東京を洪水から守るために人工的に開削した河川だと、彼らにとってはどうでもいいかもしれない説明も加えたりしました。
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カップルの記念写真を撮りました。
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第二展望から下に降りると真下が透けたガラスの床がありました。
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結局、第一展望台には行かずにそのまま降りました。お昼になったのでご飯を食べようという事になり、彼らのリクエストを聞いて階下の東京焼きそばにしました。
出汁にそばを浸して食べる黒いソース焼きそばは初めての経験ですが、美味かったです。
食事をしながら今日の行程や5月の僕のイギリス旅行の概要などを説明しました。
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スカイツリー駅から東武線で浅草に戻り、銀座線で上野、山手線で東京駅に向かいました。
東京駅は100年前の開業時の赤レンガ駅舎がオープンして間もない事を伝えました。
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東京駅の丸の内口で記念写真を撮りました。
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丸の内のオフィス街を抜け皇居前広場を歩きました。アオコが浮いているのが気になりました。夏になると悪臭を発するようになるでしょう。外濠と同様にプランクトンの栄養源となるリンが多いのかもしれません。なんとか導水でもしてほしいと感じました。
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全くの偶然にガーボルさんの友人のハンガリー人グループに出会いました。リーダー格の案内者は流暢な日本語を話します。山梨大学で勉強してるそうです。
二重橋前で写真を取りました。
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皇居は天皇のお住まいで御所はお堀に囲まれた内側にあると説明しました。この広場は都心で最も広いオープンスペースとも・・・
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お隣の日比谷公園のカフェで一休みしようという事になりました。彼らは時差ボケの睡眠不足で疲れが出ていました。園内には早咲きの桜が咲いていました。
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日比谷茶廊のカフェテラスで休憩のお茶にしました。
ガーボルさんと僕はエスプレッソ、キティ―さんは緑茶をオーダーしました。ここで1時間くらい話しました。ハンガリーの国内事情、何故イギリスに出稼ぎに行ったのか?ブライトンの事、現在職場があるリーズの事、5月の僕のリーズ訪問の事などなど・・・
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ガーボルさんはブダペストの大学で日本語学科で勉強し卒業後大分大学で1年間日本語を勉強したそうです。キティ―さんはプダペストの日本語サークルでガーボルさんと知り合ったとか・・・
ハンガリー国内は物価が比較的高い割に賃金が低いとの事でした。消費税が27%もあるそうです。このような背景から外国に出稼ぎに行く人も多いようです。
お二人はイギリスに渡って4年が経ち、最初はイギリスの保養地ブライトンで働き、現在はリーズで飲食関係の仕事をしています。

彼はマッサンのエリー(実名はリタ)を知っていました。
ガーボル:「リタスペシャルは12ポンドでお店で最高級のスコッチカクテルです。カクテル用の丸い氷は、3日掛けて凍らせて四角に切り出して鑿で丸く削ります。」
キティ―:「シュラスコのお店で働いています。25£のコースがおススメ、カレーは自分が造るので是非お試しを・・・」
リーズの近くにあるヨークは古い城壁があって観光を勧められました。

都営三田線に乗って芝公園で下車、増上寺、東京タワーに向かいました。このあたりからキティ―さんの足が止まり始めました。靴擦れがひどくなったようでした。増上寺の写真はありません。キティ―さんは熱心な写真家でした。片手でどんどん撮影していきます。彼女のFBに沢山の東京の写真がアップされていました。
彼女は願い事を板に書いて備える絵馬の習慣に興味を持ったようでした。境内の脇には可愛らしいお地蔵さんがどっさり並んでしました。
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東京タワーにようやくたどり着きました。二人とも時差ボケと靴擦れで辛そうでした。
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150mの展望台(900円)に上りました。東京タワーは都心にあるので周りには高層ビル群がまじかに見えます。お台場のレインボーブリッジ、ゲートブリッジなども説明しました。疲れが出たので三人で展望台のベンチに腰かけて休憩しました。

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3階のお土産売り場にワンピースの主人公が立っていました。彼らは日本のアニメももちろん大好きなようです。鳴れていてカメラを向けるとさっとポーズをとります。
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渋谷までは電車を止めてタクシーにしました。スクランブルで下車してハチ公前で写真を撮ってスクランブルを渡ってセンター街を少し歩きました。
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セルリアンタワーの40Fのバーに案内しました。ここから見る東京の夜景が気に入っているのでよくお客さんを案内します。
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キティ―さんが寝不足でとうとうダウン、お店の休憩室で休んでもらいました。少し無理をさせたかなと反省しました。
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2時間くらいして休んで元気が出てきたようでした。最後に記念写真を撮ってお店を後にしました。
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銀座線1本で浅草まで座って行けたのが良かったです。
21時前に浅草のホステルまで二人を送りました。このころには彼女の足取りがしっかりしていて安心しました。
彼らこれから京都、大阪、奈良、広島を観光するとの事でした。
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浅草寺の境内には人気がなく静かでした。ライトアップされた浅草寺もなかなか良かったです。
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今日1日、楽しい時間を過ごせました。
5月の連休にリーズで彼らに会うのが今から楽しみです。



by camino0810 | 2015-03-28 17:50 | 東京 | Comments(0)  

2015年2月5日(水)岐阜 馬籠、長野 妻籠

旧中山道の木曽路は中津川の奥の馬籠から始まります。県境の峠を登って下ると長野県南木曽町の妻籠に至ります。

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馬籠は、島崎藤村の生誕地です。

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「中山道六十九宿のうち、木曽路には十一の宿場が置かれていた。馬籠は板橋を一番目とすると四三番目の宿場になり江戸からの距離は八十三里六丁余りとなっていた。・・・明治25年(1892年)に木曽川沿いに国道が開設され、さらに明治45年(1912年)には国鉄中央線が全線開通することにより、宿場としてに使命を終えた。・・・」

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実際に歩いてみると相当勾配のきつい急坂でした。馬籠は標高400m、標高800mの馬籠峠まで延々と山道が続きます。

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馬籠は、板橋宿から43番目、八三里六丁(約333km)。宿の平均間隔は2里(8㎞)。
2010年に歩いたスペイン巡礼を想い出しました。歩行距離800km、所要日数33日。平均25㎞/日。巡礼宿は、概ね10km間隔だったようでした。
仮に今中山道を歩くと、東京から馬籠までは330÷25=13日、京都までは500km÷25日=20日で歩けます。宿の間隔も大体似ているので、成人の歩行速度は概ね20~25㎞/日程度、洋の東西にあまり関係なかったのではないか?
但し、スペインの巡礼路は世界遺産に登録されており、よく整備された歩行者専用道路です。多分、日本にはそのような道路はなく、車道の脇を冷や冷やしながら歩くよりありません。

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現在、中津川~南木曽の間は、木曽川沿いの中央本線や国道19号が主要な物資輸送路となっています。
何故、江戸期に木曽川沿いに中仙道を開設せず、峠越えのキツイ山道をわざわざ選択したのか?

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その理由を以下のように考えてみました。
「輸送効率の最大化やインフラ整備費の最小化を指向する現在流のルート選定とは大きく異なった背景が江戸期にあった。。。」
そこには、江戸幕府の巧妙な諸藩支配政策を感じます。
つまり「藩経営に必要な最低限の域外交通路を維持しつつ江戸幕府の存続を維持する」というコンセプトがあったように思います。

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江戸時代は基本的に流域単位に閉じた藩という行政単位の集合体と考えられます。
藩は300くらいあったそうで、現在の都道府県の行政界と恐ろしく似ています。
藩経営には自藩にない金、モノ、情報が必要なケースもあり、これを運搬するには藩同士を連結する道路や海路が必要です。
一方、効率的な運搬路を造る事は、諸藩の経済力を増進させるとともに江戸に強大な軍隊や軍事物資の運搬する事を可能にし幕府の存立を危うくする。
江戸を始点とする東海道、中山道、日光街道などは大きな河川を横断しますが、当時は籠に乗って渡河したようです。静岡県金谷の大井川の渡しの風景はなんとなくノンビリした気分を感じます。「橋を架けて欲しい」などと文句でも言おうものなら打ち首になったのかも・・・

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出典:Wikipedia

当時からメーンだった東海道すら田んぼのあぜ道に毛の生えたような区間もあったようです。
広重が描いた吉原宿(静岡県富士市)の東海道は現在から考えると正直お粗末と言わざるを得ません。浮世絵には誇張が付き物とは言え、すれ違いが困難なくらい幅員が狭かったのかもしれません。
つまり、江戸幕府は政権の永続性をより重視し、日本全体の経済力や国力の向上に政策的にブレーキをかけていたように思います。

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出典:Wikipedia

もっとも、交通量が多かったであろう東海道の始点日本橋では、幅員は6~8m位はあったようです。

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出典:Wikipedia

黒船来航や英国などの列強が清国を侵食する事態を憂慮した外様の雄藩は、藩の概念を超えた日本国の概念を意識し始め、欧米の帝国主義から日本を防衛するため尊王攘夷運動を始めました。
外様の雄藩は、危機感を深めて沈みかかった幕府というコップの中から脱出し始めた。一方、親藩・譜代は、親方日の丸意識を脱却できず手をこまねいていた。
雄藩と言われる外様の代表格である薩摩や長州、土佐、肥前はいずれも幕府の用意した運搬路は参勤交代のみに使用し、独自の交易ルートを開拓して藩の経済力や軍事力を増強を図った。交易ルートとは国内の街道ではなく、国内海路や海外との交易ルートだった。
幕藩体制の維持を目指した政策が裏目に出たとも考えられます。

木曽川の蛇行箇所の水衝部は断崖絶壁であり、そこに陸続きの道路を開設する土木技術力や資金力が乏しかった。
陸続きの道路が困難なら木曽川を渡る橋を造れば良いが、幕府は江戸防衛のため架橋を禁止した。
という地形的な制約や技術的な限界もあったと考えられます。

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僕の故郷大分県の耶馬溪地方に山国川という大きな川が流れています。耶馬溪の「青の洞門」は、菊池寛の「恩讐の彼方に」という小説の舞台になりました。江戸時代後期に禅海というお坊さんが手掘りでトンネルを掘った実話に基づいた小説です。当時、山国川の右岸側の絶壁は鎖場になっていて通行人が落ちて落命したそうです。この和尚は過去の罪を償う為にヴォランティアでトンネルを掘ったそうです。

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出典:Wikipedia

江戸期のインフラは基本的に篤志家の豪商がこのようなボランティアで整備された事例が多いようです。藩政府も中央政府も手助けしない方針だったように思えます。現地に行くと橋を架ければそのようなトンネルは不要な事はすぐ判ります。つまり、架橋は厳しい禁止事項だった事実の裏返しのようにも思えます。

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出典:Wikipedia

馬籠の駐車場には大型の観光バスが2台駐車していました。沢山の中国人がお土産物屋でお買い物をしていました。テレビでは中国人の爆買いがよく話題になります。中国も豊かな国になったものですが、富の配分にはまだ大きな課題があるようです。とにかく沢山お買い物をしてくれるのは地元の方には大変ありがたい事に違いありません。

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馬籠には2月の渇水期にも拘わらず豊富な水が流れていました。

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旧中山道を車で馬籠峠を越えました。長野県側の道路はヘアピンの多い急坂、雪が溶けずに残っていました。
妻籠は長野県南木曽町にあります。
木曽川の支川蘭川沿いの細長い宿場町だったようです。蘭川は写真左から右に流れています。

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町はずれには水力発電所がありました。

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コンクリート製のアーチ橋を渡って旧中山道に入りました。通常、アーチ橋は鋼製でコンクリート製のものは初めて見ました。まだまだしっかりしていましたが、これから5年に1回の点検が義務付けられました。この橋の管理者には負担が掛かります。

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妻籠宿には驚かされました。
平日な事もあり観光客は僕たちくらいでひっそりとしていました。江戸時代にタイムスリップした気分でした。
格子戸、板葺、軒揃えなど優れた歴史的な風景が保存されていました。電柱や電線がないのも勿論良いです。

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この一帯は、歴史的文化財として保全されているように思えます。建物の維持保全には住人によるケアが欠かせません。イギリスのナショナルトラストのような制度でも適用しているのでしょうか・・・

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妻籠は江戸から八十一里六丁四十七間(325km)と1m単位まで記載されていました。馬籠まで約8kmです。
当時は、どういう測量をしたのか?幕末に伊能忠敬が日本全土を測量しました。距離測定は縄だったとか・・・
度量衡というのは非常に大事で基本だと最近痛感するようになりました。長さ、重さ、温度、力、動力など・・・土木の世界にもN、Paなどが出てきて戸惑いました。

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本陣の玄関は、黒沢明の時代物の映画に出てくる砦みたいでした。名前からしてセレブな方たちのホテルといったところのようです。

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玄関には妻籠の説明書きがありました。妻籠宿のもっとも大事な仕事は人馬の提供だそうです。


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島崎藤村の一族が馬籠と一緒に妻籠の本陣も管理していたようです。

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脇本陣も結構立派でした。本陣は五つ星ならこの脇本陣は四つ星という感じでしょうか・・・

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会社の同僚の方に写真をお願いしました。

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妻籠宿を抜けて蘭川を渡って対岸の駐車場に戻りました。自称川屋はちょっと残念に思った事があります。
旧中山道沿いの集落は歴史保存地区として立派に整備されていました。そこから対岸の駐車場までに目にした光景がすこし淋しかった事です。
寒々とした田舎の風景が茫々と広がっていました。この川と道路、集落をセットで再構築できるといいいなと感じました。

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車で南木曽に行って、木曽川に架かった桃介橋を観ました。福沢桃介は福沢諭吉の娘婿で木曽川の水力発電開発に多くの実績を残した人です。

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南木曽町は昨年の夏甚大な土石流災害を受けました。「蛇抜沢」という渓流がありました。昔の人は土石流を「蛇」に例えて畏れていたようです。

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国道19号線で中津川に戻りました。木曽川沿川には関西電力の読書発電所がありました。

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妻籠宿は大変印象に残りました。もう少しいい季節に再来しようと思いました。


by camino0810 | 2015-03-07 18:18 | 国内 | Comments(0)  

2015年2月5日(水)岐阜 中津川

岐阜県の中津川市に来ました。勿論、初めての街です。
東京から新幹線で名古屋で下車、名古屋で中央本線に乗り換えました。所要時間は概ね3時間。
新富士から富士山が綺麗に見えました。
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川屋の僕は新幹線から見える川も気になります。
静岡市の安倍川に架かる緑の橋はユニーク、小さな支間の鋼製のアーチ橋が沢山連なっていました。河川管理者から見ると川の中の橋脚は洪水の流れを阻害します。なるべく橋脚の数を減らすために支間を大きくするとアーチ橋の構造が難しくなるし、お金が掛かる。この橋は、まだ橋梁技術が未熟だった昔の時代の作品のように思えます。
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大井川は、広大な礫河原が拡がっていて、渇水期でも豊富な水量が流れていました。
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天竜川も大井川と同様、豊かな礫河原と豊富な水量がありました。安倍川と同じ多径間のアーチ橋が遠くに見えました。

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名古屋駅の新幹線ホームでは必ず「住よし」のきしめんを戴きます。
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今回もプレーンのきしめん350円にしました。削り節ときしめんののど越しがお気に入りです。厨房では担当のおばさんが冷凍したきしめんを寸胴で次から次へと茹でていました。
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名古屋駅で中央本線の特急に乗り換えました。
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トイレでちょっとしたトラブルがありました。用を足し終わって通路に出る時、頭に衝撃が走りました。後付けの自動開閉機の取り付け位置が低くかったためです。手をやって調べたけど、幸い出血はありませんでした。唐突な出来事なのでかなり痛かったです。
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中津川は、岐阜県の東濃地方にあり、人口8万人の中核都市でした。木曽川の支流、中津川が削ってできた台地に市街地が広がっていました。
駅前の蕎麦屋で戴いた辛みダイコンの田舎蕎麦が美味かったです。ワサビの替りにおろした辛みダイコンをおつゆに入れます。ワサビと違った辛みが段々と口の中に拡がりました。
この地方は根菜類の味噌漬けをよく食べるようです。実家のある大分でもよく味噌漬けを戴きました。大根の味噌漬けが懐かしかったです。
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ただ、名古屋への通勤がかなり困難な街なので、少し元気不足な感じでした。日本の地方の中小都市は大体こんな感じだと思います。
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JR中津川駅から名古屋よりに一駅の美乃坂本駅に行きました。この近くにリニアの岐阜県駅ができるそうです。
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リニアの看板がひっそりとありました。
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駅の周りは一面の田圃でした。彼方に雪を被った恵那山が見えました。
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国道18号を長野県方面に走りました。右手に恵那山、左手に噴煙を上げる御嶽山が見えました。
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国道沿いの和菓子屋に寄りました。
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「川上屋」はこのあたりでは有名な和菓子店、名産の栗を使った和菓子が販売されていました。
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店内に蟠龍の人形が飾ってありました。蟠龍とは地上でとぐろを巻いた龍の事だそうです。木曽川沿いにある苗木城は赤壁のお城だそうで、龍が白壁を嫌いで剥がしたので赤壁に塗り替えたとか。。
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車で市内を走りました。中津川のはずれには木曽路のスタート地点である馬籠宿があります。市街地のはずれには旧中山道沿いの街並も残っていました。市内にも格子戸の家が残されていました。
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和菓子屋「すや」は「川上屋」のライバル店だとか・・・
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馬籠、妻籠を回って夕方、中津川駅に戻りました。駅前の喫茶店に一休みして東京に戻りました。
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by camino0810 | 2015-03-01 03:52 | 国内 | Comments(0)