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2015年5月9日(土)イギリスⅡ その52 カンタベリー(2)

今回のイギリス車旅行でも沢山の大聖堂や寺院を観てきました。
大聖堂はその宗教的な役割は勿論の事、その街や地域の歴史や文化、政治を象徴的に示す建物だと思います。カンタベリー大聖堂はソールズベリー大聖堂と並ぶイギリスの大聖堂の双璧だと感じました。カンタベリーが東の正横綱、ソールズベリーが西の正横綱と言っていいかもしれません。


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1066年、ヘースティングスの戦いで勝利し、イングランドを手中に収めたウィリアム1世は、イングランドの宗教界をも支配したそうです。カンタベリー大司教に第1位の座を与えたとありました。
大司教の執務場所がある場所が大聖堂なので、カンタベリー大聖堂はイングランド第1位の地位にある事になります。確かにこの大聖堂はそれに相応しい壮麗さや威厳を感じました。ヨークの大聖堂も壮麗でした。第2位の位置を占めていたのかもしれません。
大宮の氷川神社は「武蔵一宮」、新潟の弥彦神社は「越後一宮」といいますが、正月には沢山の参拝客で賑わいます。

以下、Wikipedia より・・・

ウィリアム1世は旧支配勢力のサクソン貴族を駆逐して土地を奪うとノルマン人の家臣に与え、同時に戦時への参戦を約束させ、イングランドに封建制度を確立した。王領もイングランド全域の5分の1に達し、御料林の拡大と直轄軍所有で王権も拡大した。1070年にランフランクをカンタベリー大司教に任命、1072年にランフランクがヨーク大司教を従属させようとして生じた争いに干渉し、カンタベリー側に肩入れしてこれを第1位の大司教と定め、イングランド宗教界を傘下におさめることにも成功した。

補修中の城門を潜ると巨大な大聖堂が姿を現しました。スペインやフランスで観てきたタイプのゴシックに近いと思いました。


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西側のファサードが立派でかつ主塔が一番高いのがイギリス流のゴシック様式でしょうか・・・


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主塔は天空の高みを目指しそびえ建っているという感じで荘厳さを感じます。


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東側の祭壇はバラ窓やステンドグラスで飾られていました。


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この大聖堂も主軸は東西方向を向いていましたが、これまで観てきた大聖堂と違っているところが二つありました。

一つ目は上空から見ると、腕木が2本の十字架の形をしていました。これまで数多くの大聖堂を観て来ましたが、この複十字は初めてでした。
二つ目は回廊が設置されていた事、カンタベリー大聖堂と同じでした。


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(出典 Google)
この複十字架を見て2014年に旅行したスロバキアの国旗やハンガリーの国章を想い出しました。最初は帆船の帆柱だと思っていましたが、こういう十字架もあるそうです。


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(スロバキア国旗 出典 Wikipedia)
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(ハンガリー国章 出典 Wikipedia)

折角の機会なので、観光客の方に記念写真をお願いしました。


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補修に関する説明書きが展示されていました。
・更新用の石材はフランス産の石灰石で重さは0.5t以下。
・石材の加工はすべて手作業。
・今回の補修費用は2.25百万ポンド(4億5千万円)。
・費用はアラン・ウィレット財団他の寄付。
・政府の支援はもらっていない。
・年間維持補修費用は2百万ポンド(4億円)。


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このような巨大宗教施設の維持補修には年間4億円も掛かるそうです。国の補助金が入っていないのは、イギリス流のようにも思います。
大聖堂の中には入っていないので拝観料は不明ですが、収入が拝観料くらいだとすれば施設運営は簡単ではありません。財団の支援や献金が必要だと思います。
ソールズベリーの大聖堂では館内に土産物屋やレストランが入っていました。

日本でも清水寺や東大寺のようなメジャーな宗教施設は恵まれているようにも思いますが、地域の寺社仏閣は檀家や結いのような相互扶助組織の支援に頼るより他ないと思います。

場内のベンチで一休みしました。庭園の手入れは完璧でした。


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大聖堂の脇に遺構が残されていました。ヨークの聖マリー寺院と同じでした。


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管理人の自宅かもしれません。


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大聖堂の北側に庭園が併設されていました。これほど完璧に手入れされた庭はこれまで見た事がありません。


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藤の花が満開でした。


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大聖堂で用を足して大聖堂を後にしました。


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旧市街のCostaでエスプレッソを飲みながらタバコ休憩をしました。ここのコーヒーにもお世話になったものだと感慨深い思いをしました。


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新しい建物ばかりが建っている地区を歩きました。最近リニューワルされた感じで、ピカピカの石張りの歩道しかありません。このような街並はヨーク、リーズ、バースでも見ました。街の中心地区は車を排除し、人中心のまちづくりにするのがイギリス流かもしれません。


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フリーマーケットが開かれていました。


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18時20分、カンタベリーを出発し、ロンドン郊外にあるヒースロー空港を目指しました。

以下、次号・・・

by camino0810 | 2015-09-27 16:17 | イギリスⅡ | Comments(0)  

2015年5月9日(土)イギリスⅡ その51 カンタベリー(1)

16時40分、ドーバーを出発してカンタベリーに向かう事にしました。カーナビTOMTOMで検索すると所要時間は30分と予想外に早く到着できると判ったからです。
ナビの予測どおり17時10分にカンタベリーの中心部の駐車場に車を停める事ができました。
手元にある駐車券には17時13分入庫、18時21分出庫と印字されていました。わずか1時間あまりの駆け足見学でしたが、カンタベリーの中心部だけを見るには充分な時間だったと思います。

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23時までにヒースロー空港のレンタカー会社に車を返却する予定でした。主要地方道A2は一桁だけあって快適でした。


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 (出典 Google)

5月4日にエディンバラを出発して9日にヒースローに到着するまでの6日間、毎日車を運転しました。走行距離は2100kmでした。
一日平均350km、休憩も含めた平均時速を50kmとすると、1日平均7時間運転席に座っていた計算になります。
運転席の過ごし方もポイントでした。基本的に車窓の風景は何処をとっても素晴らしかったです。ただ、ご馳走が続くと飽きが来るように同じ風景が続くと飽きが来ます。その時間をラジオが埋めてくれました。

帰国後1週間後の5月16日のFBより・・・

運転中はBBCのFMを聴いていた。
ある音楽ジャンルに特化した放送局が何局かあって、日本のスカパーみたいにクラシックならクラシックだけをひたすら流していた。
よく聴いていたのがクラシック専門局とポピュラー専門局の2つ。
両方ともスタンダードナンバーを流していて、ポピュラーはオールディーズが多かったので運転中飽きることはなかった。
懐かしい曲を30年振りくらいに聴けた事もある。
給油時にコンビニで買ったサンドウィッチを昼食にして運転していた事もあった。


カンタベリーの旧市街はリング状の道路で囲まれていました。Googleのストリートビューを見るとリング道路の内側に城壁が残されている事が判りました。ヨークと同じでした。西側は川をお堀替わりにしたようです。


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(出典 Google)

城壁の高さは概ね8m、壁はつぎはぎだらけでした。所どころに櫓が建っていました。ドーバー城の城壁の防御方法と同じでした。


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(出典 Google)

このリング道路には4つのラウンドアバウトが設置されていました。上空からの写真を見るとラウンドアバウトの構造がよく判ります。
環状道路は2車線、数台の車が環状道路を時計回りに走行中です。先に環状道路に入った車に優先権があり、写真右側の沢山の停車中の車は環状道路が空くのを待っています。


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              (出典 Google)

リング内の地図を見ていて驚いた事がありました。数十軒が繋がった長大な長屋は、玄関は直接歩道に面していて裏側に細長い中庭が付いていました。

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(出典 Google)

戸建てよりもはるかに効率的に土地が使える上にお隣同士のコミニュケーションがキープできます。最近、人口減少社会に対応したコンパクトな街づくりを指向する機運が高まったきた中、このような住居形態もありかなと感じました。


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(出典 Google)


この1年くらい会社でまちづくりや景観デザインの仕事にもタッチするようになり、それを専門にしている大学の先生方との交流も深まりました。

イギリスの街路や街は大変参考になったと感じます。

駐車場からものの数分歩くと、旧市街に入りました。車を出来るだけ排除して歩行者優先にしていました。車道はアスファルトではなく石張りでした。このタイプは多くの街で確認しました。ただ、カンタベリーの場合、建物のスカイラインや構造、色調は結構バラバラでした。


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道路の石張り舗装のパターンに統一性は感じられません。ただ、石張りはどんなパターンにせよ落ち着いたいい気分を出していました。


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植樹がなくても石張り舗装さえあればOKという気もしました。


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路地裏風の狭い道路を歩きました。


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路地の向こうにお目当ての大聖堂が見えました。


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城門は生憎補修の足場が掛かっていました。


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城門を潜るとすぐに大聖堂でした。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2015-09-26 21:27 | イギリスⅡ | Comments(0)  

2015年5月9日(土)イギリスⅡ その50 ドーバー(2)

城門を潜ると本城が目の当たりに迫ってきました。
4階建てののっぺりしたした石造りで窓はほとんどありません。張り出し部には細長い銃眼が設置されていました。城壁と同様な防御方式だと思います。
中世以降、電気が発明されるまでの数百年間、照明は窓からの太陽光とロウソク照明。トップライトもないので曇りや雨の日は室内は薄暗かったと思います。決して心地よい住空間とは言えないように思います。
よく見ると外壁はつぎはぎだらけ補修の跡が沢山ありました。


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時間がないので、本城の中には入らずその脇を歩きました。本城の1階と2階の外壁のテクスチャーが違っていました。2階部分は石を張り替えていました。強い潮風を受けやすい上部が劣化し易いという事かもしれません。

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北側の外壁に繋がる連絡橋を歩きました。芝生が相当急斜面でも活着する事が判ります。でもこの急斜面の芝刈りは実に大変だと思います。


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土曜の午後で最高のお天気でしたが、観光客はほとんどいません。記念写真をジドリしました。違和感のある奇妙な写真になりました。


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外周部を歩いてみました。
木組みの櫓が展示されていました。多分、投石器だと思いますが、竿先を絞り込む別の器械は有りません。


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お城の東側を歩きました。外壁の内側に塹壕が設置されていました。


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機関銃が展示されていました。第二次大戦でドイツ軍の戦闘機や爆撃機を狙ったのだと思います。


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お城に西側に来るとドーバーの市街地が一望できました。


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ドーバー港がよく見えました。外壁の外側には空堀が巡っていました。


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親切な外国人の方に記念写真を撮って頂きました。


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東側から本城と城壁を見ると確かに難攻不落のお城に見えます。のっぺりした直壁で掴まり所が全く見当たりません。


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お城の南側は白い断崖で守られいます。写真に微かに断崖が写っていました。


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1940年5月、イギリス軍は、ドイツ軍の圧倒的な電撃戦を受け、ドーバーの対岸にあるフランスのダンケルク海岸に追い込まれました。
この白い断崖にトンネルを掘って、ダンケルクの撤退戦の作戦指揮所にしたそうです。ダンケルクはフランス語表記、英語表記は「Dunkirk」でした。写真にこの撤退戦を指揮したチャーチルが写っていました。チャーチルの命令で民間の漁船も含めてありとあらゆる船が対岸のダンケルクを目指し、30万人のイギリス軍兵士を無事に本国に帰還させたそうです。
「刑事フォイル」のあるシーンを想い出しました。ヘースティングスで親父さんと漁師をやっていた容疑者の青年は、この撤退戦に親父さんと一緒に漁船で参加したものの、ダンケルクでドイツ軍の銃弾を受け、死者となって帰還しました。実際にこのような事案があったのかもしれません。


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フランス行きのフェリー乗り場が見えました。


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16時40分、ドーバー城を出発しました。
ドーバー城のチケットは、手首に巻くタイプでした。管理所で車を停め、係の女性にこの手首を示してチェックアウトしました。

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次の目的地はカンタベリー、今回のイギリス旅行の最後の目的地です。ナビで調べるとカンタベリーまでは車で30分でした。5月のイギリスの日没は21時過ぎ、まだ時間は残されていました。

以下、次号・・・

by camino0810 | 2015-09-23 16:37 | イギリスⅡ | Comments(0)  

2015年5月9日(土)イギリスⅡ その49 ドーバー(1)

14時40分、ライを出発してドーバーに向かいました。今晩の23時にはヒースローに戻ってレンタカーを返す必要がありました。残り時間のカウントダウンが始まりました。

当日のFBから・・・

5月9日(土)、イングランド東部地方は曇り、一時大雨後快晴というイギリスらしいめまぐるしい天気だった。暖かいのが嬉しかった。
ライの後はドーバーを目指した。夜23時にはヒースローまで行き着いてレンタカーを返却する必要があった。
この時点で15時前後、残り時間が気になり始めた。ナビのいいところは、到着時刻を予測してくれる事だ。これまで大体当たっていた。
とにかくドーバーまでは行って、残り時間と相談してカンタベリーへ行くか諦めるかを決めようと決断した。
周囲の景色がかなり変化した。これまではなだらかが丘陵地だったのが、完全に平野になった。風力発電の風車が沢山建っていた。
ドーバーの中心地の手前で一時停止して少し睡眠をとった。ここから丘の上にドーバー城が望めた。疲れが取れて、モチベーションが上がった。
ヘヤピンの急坂を登って、ドーバー城に入った。
ドーバー城は石づくりの古城で芝が綺麗に刈られていた。この城は、900年前から要塞として機能してきたらしい。兵舎も保存されていた。城壁からドーバーの街や海峡が見えた。投石器?や第2次大戦で使用された高射砲がそのまま残っていた。
ドーバー城は今回の旅のハイライトのひとつになった。18ポンドの料金は痛かったがその価値は充分だったと感じている。
結局、16時30分にドーバーを発ってカンタベリーに向かう事にした。カンタベリーまで30分弱で到着できる事が判ったからだ。

ドーバーは南イングランドの東端のドーバー海峡に面した街でした。5月4日にエディンバラを出発して6日目でこの地を踏むことができました。


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ドーバーの手前で風景が変化したことに気付きました。これまでの7日間、車窓はなだらかな丘陵地でしたが、完全な平坦地に変わりました。多分、初めて沖積平野に来たのではないかと思います。
タバコ休憩で空き地に車を停めました。風力発電用の風車が沢山建っていました。


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このあたりの風景はいささか雑然としていて、地元埼玉の風景とどこか似た気分がありました。イギリスにもこんな風景があると知って奇妙な安心感を覚えました。


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15時50分、ドーバーの街に入りました。
かなたの丘の上にドーバー城が見えました。疲れが出たので車で仮眠を取りました。


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カーナビの目的地をドーバー城にリセットしてお城に向かいました。ヘヤピンの急な坂を登り切ったところに管理所があって、係の女性からインフォメーションセンターでチケットを買うように指示されました。


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(出典 Google)

駐車料金と入場料がセットで18ポンド(3600円)と財布に優しくはないお値段でしたが、二度と来る事はないだろうと考えチケットを購入しました。
ドーバー城は南北500m、東西300mの断崖に囲まれた天然の要塞でした。


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特にドーバー海峡の面した白い崖は巨大です。写真の左端の建物が本城、中央部の茶色が教会で、右側は将校宿舎だと思います。


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(出典 Google)

城内は実に広々としていて、綺麗に刈り込まれた芝生と石造りのシンプルな城塞や兵舎が実によくマッチしていました。


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駐車場の向こう側に教会の主塔が覗いています。
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将校用の宿舎は実に立派でした。

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教会は敷地の一番高い場所に建っていました。ドーバー城は中世からイギリス防衛の要。イギリスの安全を祈るため祈祷所だったのかもしれません。


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上空から見ると教科書どおり主軸は東西方向を向いていました。大聖堂のような華麗さを排したシンプルな石造りも実に素晴らしいです。


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城の西側に拡がる市街地が見えました。

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本城を取り囲む城壁が見えてきました。高さは概ね15mくらいはありそうです。石造りの壁面はツルンとしていて窓がありません。お城を守る兵士は時には攻める側にも回るでしょう。如何に攻められにくくして守りやすくするかがお城の重要な性能です。
この城壁は、張り出し部を設けて、壁をよじ登る敵兵を側面から攻撃して下に追い落とせるように工夫されていました。




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2014年に訪問したブラチスラバ城を想い出しました。このお城はドナウ川の河畔の台地にあるお城でしたが、将棋盤を逆さまにしたようなシンプルなお城でした。下部から概ね10mはツルンと無垢の壁にしていました。


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城を空から見ると四角形や五角形が多く、その角には櫓を設けて城壁の防衛をしたようです。函館の五稜郭はイギリス人かフランス人の指導で築造された砦かも知れません。
ドーバー城の市街地を挟んた反対側の丘に小さいながら砦がありました。ドーバー城の支城だと思います。ドーバー城から直線距離で概ね1.5kmの場所です。


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(出典 Google)

この砦は1辺が100m程度の五角形をしていました。五角形状の空堀と城壁で砦内部を防衛したようです。交点には櫓がありここから敵兵を攻撃する仕組みだと思います。写真で見る限り内部には建物の廃墟しかありません。
中世以降、砲弾の飛距離の進歩がどの程度かは判りませんが、射程距離1.5km程度の大砲ならあったかもしれません。敵がこの台地を占領するとドーバー城は射程距離内に入る事になります。その意味でもこの砦は重要な軍事拠点だったかもしれません。


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(出典 Google)


城壁の門を潜って本城を見学しました。
以下、次号・・・・








by camino0810 | 2015-09-23 11:45 | イギリスⅡ | Comments(0)  

2015年5月9日(土)イギリスⅡ その48 ライ

12時30分、ヘースティングスを発って主要国道A259で20km北東にあるライを目指しました。
川の脇のヘヤピン状の道路脇に不思議な色と形をしたインパクトのある建物群があって観光客が沢山歩いていました。
この街がライの中心部でした。
イギリスに来て7日目になりますが、これまで目にした光景とは随分と異質なものでした。壁は下部が赤レンガで上部は黒の板張り。屋根は板材で葺いてありました。早速、道路脇に車を停めて短い探検を始めました。


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屋根の板張りが苔むしていてこれがまたいい気分を醸し出していました。この街の近くに石の産地がなかったのかもしれません。


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広場の中心部ではお得意のラウンドアバウトの環状部を駐車スペースにしていました。面白い趣向だと思います。


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川沿いには小型のヨットが係留されていました。


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河畔の民家がこのあたりの標準的な住居だと思います。8棟続きの2階建てのフラットでした。


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つまりこの中心地区は伝統的なライの街の景観保全地区のようにも思います。

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当日のFBには以下のような記載がありました。

5月9日(土)、イングランド東部地方は曇り、一時大雨後快晴というイギリスらしいめまぐるしい天気だった。暖かいのが嬉しかった。
ブライトンを後にしてヘイスティングス、ライに向かった。この頃から天気が回復し青空が覗き始めた。
ヘイスティングスは、海辺の街だった。建物が少し傷んだりしていてそのまま放置されたいるのが気になった。
ブライトンと同様、建物の屋根が見事に揃えられいて、いい景観が形成されている。
建物の屋根が作るスカイラインに洋の東西の違いを感じる。日本ならここまで揃えられるだろうか。。。
ライは黒塀の街だった。イギリスを北から縦断して来たがこんな風な街は初めてでインパクトがあった。プレジャーボートがたくさん繋留されていた。案内には「5つの港から成る中世の宝石」とある。バイキング時代の面影かもしれない。
ドーバーに向かった。


道路脇の案内板に「Cinque」(5つ)というフランス語風の単語が入ったキャッチコピーが記載されていました。

「Medieval gem of the Cinque Ports」(5つの湊からなる中世の宝石)

旅行中は時間も知識も不足しているのでそのままやり過ごしましたが、何故、「Five」を使わなかったのか?もっというと何故、英語にフランス語由来の単語が多いのか?
この理由がこの記事を書いていてなんとなく判ってきました。
ヒントは、このポスターの右上のエンブレムの「1066」という数字でした。


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「1066」は、年号でイギリス人にとってはお馴染みの年号だそうです。日本で言えば645年(大化の改新)、1192年(鎌倉幕府)みたいな年号でした。
ネットで検索すると、「ヘースティングスの戦い」が起こった年でした。ヘースティングスはイギリスのルーツに深く関連した街だったと気づきました。

以下、Wikipediaから・・・

ウィリアム1世(William I, 1027年 - 1087年9月9日)は、イングランド王(在位:1066年 - 1087年)。通称は征服王(William the Conqueror)或いは、庶子王(William the Bastard)。ノルマンディー公(ギヨーム2世、在位:1035年 - 1087年)でもあった。イングランドを征服し(ノルマン・コンクエスト)、ノルマン朝を開いて現在のイギリス王室の開祖となった。
ウィリアムは英語読みであるが、むしろフランス語読みのギヨーム(Guillaume)と呼ぶ方がふさわしいだろうという見解もある(彼自身はフランス出身であり、彼自身も周囲の人もフランス語を使っていたので)。彼の墓にはラテン語風にGUILLELMUSと綴られている(右下の墓標の写真)。
ノルマン人の支配するノルマンディー地方の君主であるノルマンディー公ロベール1世の庶子として、フランスのファレーズで生まれた。母は北西フランスの皮なめし職人の娘アルレット。出生のため庶子公ギヨーム(Guillaume le Bâtard)とも呼ばれる。

1066年、ウィリアム1世はフランスのノルマンディーからドーバーを渡って、ヘースティングスに上陸して、イングランド王ハロルド2世との戦いに勝利してイングランド王になったとありました。
何処の国でも起こる後継者争いに勝利したウィリアム1世は、フランス人の母を持ち、フランスで育ち、臣下とはフランス語で話していたそうです。その後、彼はイギリス流の封建社会の骨組みを築いたとありました。
いずれにせよ、イギリスとフランスとの関係は、その後百年戦争、ナポレオン戦争、世界大戦などで敵になったり味方になったりした訳で深い関係が昔からあった事は間違いありません。

英語にフランス語由来の単語が意外にも多いのは、1066年の「ヘースティングスの戦い」以降の両国の関係が密接に関係しているように思います。辞書をパラパラとめくるだけで結構沢山の単語が出てきました。

aspect(aspect)、approach(approche)、affair( affaire)、action(action)、arm(arme)、beauty(beaute)、cable(cable)、cinque(cinq)、culture(culture)、canal(canal)、cabinet(cabinet)、fruit(fruit)、finish(finir)、force(force)、plus(plus)、port(port)、reserve(reserve)、theme(theme)、zoo(zoo)、zone(zone)・・・( )はフランス語。

それで、Cinque port≒Five portという事で得心しました。

何かの本で英語由来のフランス語の単語にはKやWが入っている事を読みました。
wagon、 week-end 、 know-how
そもそもフランス語にKやWの付く単語自体ほとんどありません。

相当穿った見方をすれば、英語という言語は他の国の言葉を受け入れる寛容さやいい意味で適当さがあった。一方、フランス語はプライドが高く、厳格な文法に拘り、他の国の言語に対してかなり不寛容だった。古代ローマ人は寛容の精神で当時の世界標準になったように、英語は2つの世界大戦で勝利はしたものの寛容の精神で世界標準になった・・・そういう見方もありかと考えました。

14時40分、ドーバーに向かいました。
以下、次号・・・





by camino0810 | 2015-09-22 13:17 | イギリスⅡ | Comments(0)  

2015年5月9日(土)イギリスⅡ その47 ヘースティングス

14時、ヘースティングスに到着しました。青空が覗きました。
海岸沿いのメーンストリートでは白い4階建ての建物が綺麗に軒を揃えていました。これだけ見事な建物のスカイラインは初めてです。
ただ、建物の色や形はブライトンと似てはいますが、表通りの建物は少し老朽化が進んでいて、あちこち痛んだ建物が目立ちました。修理もされず放置されたままのようにも見受けられました。
そのせいか、この街にはなんとなく元気不足を感じました。こんな思いを抱いたのは7日目で初めての事でした。


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ブライトンと同様、渚は茶色の小石でした。


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9月から始まったBSNHKで放映が始まった「刑事フォイル」は、1940年頃のヘースティングスが舞台になっていました。
仮に日本で同時期に設定したドラマを制作するには、結構な苦労があるでしょう。昭和15年当時の気分を持った街はほとんどないと思います。江戸期のドラマになるとCG画像を頼る事もあるでしょう。

その点、イギリスを舞台にした歴史ドラマは割と安上がりにできるように思います。この刑事モノの場合、車と人々の服装だけを変えれば全く問題ないでしょう。
エディンバラから延々とこの国を車で縦断してきて思う事は、イギリスは何処をとっても古いものを大事にし、綺麗にしつらえ、自然もきっちりと保全しているという事です。

フロー社会の日本とストック社会のイギリスの違いが歴史ドラマを作る上でも差異が生じるのは当たり前と言ってもいいと思います。

「刑事フォイル」にヘースティングスの街並が出てきました。多分、この画面の海辺の家々は多分現在の映像だと思います。


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山側の住宅の映像には桜の花が映っていました。


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主人公のフォイルはフライを使った釣りが大好きで近くの川で鱒を釣ります。イギリスには、このような豊かな水辺は至る所にあると考えていいでしょう。


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慌ただしくライを目指しました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2015-09-20 20:56 | イギリスⅡ | Comments(0)  

2015年5月9日(土)イギリスⅡ その46 ブライトン

10時50分、セブンシスターズを発ってブライトンに向かいました。
シーフォードの街のメーンストリートに戻って来ました。教会らしき建物がありました。壁は黒い小さな石とモルタルで出来ていました。素材のテクスチャーが素朴でいかにも英国風でした。

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そのはす向かいには100円ショップ(AROUND A POUND:だいたい1ポンド)がありました。日本の「ダイソー」と似たようなお店だと思います。プランターや収納箱が店先に並んでいました。

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当日の様子がFBに書かれていました。

5月9日(土)、イングランド東部地方は曇り、一時大雨後快晴というイギリスらしいめまぐるしい天気だった。暖かいのが嬉しかった。
この日はイギリス旅行の最終日、大トリにふさわしい1日になった。
シーフォード、セブンシスターズ、ブライトン、ヘイスティングス、ライ、ドーバー、カンタベリーと巡ってヒースローが終点だ。元々レンタカーはここで乗り捨てにする計画だった。
セブンシスターズを後にしてブライトンに向かった。この頃から雨が激しくなった。ブライトンの海辺のマックに入って昼食にした。現在地確認のためグーグルのマップに接続したがNGだった。
ブライトンの街は海辺が崖になっていて崖の上に旧市街や住宅があるようだ。
3.11級の津波が来てもこの街は平気だろうと感じた。
ナビをブライトンのセンターにセットして中心部を目指した。海沿いの国道で車を停めて写真を撮った。土砂降りでカメラのレンズの水滴がついていたのが残念。
晴天なら素晴らしい眺めが得られただろうと感じた。
ナビをヘースティングスの中心にリセットでしてブライトンの街を後にした。この頃、急に青空が覗いた。


海沿いの国道を走りました。雨脚が急に強くなって来ました。
11時20分、ブライトンの街に入りました。白い崖が見えました。国道を挟んで反対側の丘には住宅地が広がっていました。


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市内に入りました。海辺の低地には建設用クレーンが3基建っていました。新規の港湾インフラ開発も行われているようです。


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何処に行けばいいのかわからないので、カーナビを街のセンターにセットすると、海辺の低地にあるショッピングセンターに到着しました。

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お昼は、駐車が出来るマックにしました。この街は海辺の低地と崖の上の高台の2層構造になっていました。


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マックのお昼はストラットフォードアポンエイボンに次いで2回目。
 ナンで包んだチキン 2.59ポンド
 カプチーノ(中)  1.40ポンド
 計3.99ポンド(800円)

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現在地を確認するためにGoogleのマップを起動しても全く繋がりません。


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先ほど見えた3基の水平ジブクレーンでコンクリート製のタワーを建設していました。コンクリートの仕上がりが凸凹してあまり見栄えは良くなかったです。この施設が観光基地なのか物流基地かは不明ですが、新規のインフラ投資も行われているようです。


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海辺の国道を走りました。路側に車を停めてブライトンの中心地区を観察しました。激しい雨でレンズに水滴が付きました。
渚は茶色の小石でできていました。このあたりの茶色の崖が侵食され堆積したようです。白や灰色、黄土色の浜は日本で沢山見てきましたが、茶色は初めてです。


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道路沿いの建物は実に綺麗に並んでいました。お天気が良ければ最高の景観だと思います。5階建ての白い建物が見事に軒を揃えていました。


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街灯のデザインも精巧お洒落でした。2色に塗り分けされていました。


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ヘースティングスに向かうために繁華街を横断しました。


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住宅地で駐車して一服しました。この国らしい心地よい住宅地が拡がっていました。

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駐車料金は1時間で1ポンド(200円)でした。

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この頃からお天気が回復して青空が覗き始めました。
12時30分、内陸の高速に乗ってヘースティングスを目指しました。
以下、次号・・・

追記:この記事を書いている9月20日、ラグビーWカップで日本が南アフリカに歴史的勝利を挙げたという報道でモチキリになりました。その会場はブライトンと知り驚きました。


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by camino0810 | 2015-09-20 10:26 | イギリスⅡ | Comments(0)  

2015年5月9日(土)イギリスⅡ その45 セブンシスターズ

9時10分、シーフォードのB&Bを出発しました。
当初は西側にあるブライトンに寄って、引き返す途中でセブンシスターズに寄る計画でしたが、お天気が不安定なので先にセブンシスターズに行くことにしました。
この選択が大正解でした。当初の計画だと大雨に降られてこの断崖の見学を断念したでしょう。

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海沿いの高台の道路を走らせて道路沿いから巨大な崖のビューポイントを探しました。結局、見つからないので諦めて、駐車場に引き返しました。時間がないので展望台からさっと崖だけ眺めて次に行こうという安直な作戦はNGになった訳です。

道路は崖のある海岸線から2km位離れた箇所に設置されていました。このブログを書いている頃になってようやくある事に気づいたように思います。
この崖やそれを取り巻く豊かな自然を保全するために、イギリス当局は、自然保護地域を設置して、あえて崖を見せないように道路を計画したのではないか・・・このあたりにイギリス当局の巧みな自然保護と観光戦略を感じます。「しっかり歩いてしっかり観なさい」という事でしょうか。

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実際のところガッチリと歩かされたお陰でこの巨大な白い崖と広大な自然の素晴らしさや有り難さを身を持って体験できた訳なので、今にして思うと当局の配慮(だろうと勝手に思っている)には大変感謝しています。
同じことは、ヨークに近くにあったマラムコーブでも経験しました。マラムコーブの巨大な崖を見るために、駐車場で車を停めて、草原に設置されたフットパスをせっせと2km位は歩きました。
イギリス土産で最も大切なものが2つあります。ひとつは、この海岸で拾った丸い小石ともうひとつはマラムコーブの崖下で拾った小石です。一生の宝物になりました。

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時間もないので、9時30分、トレイルを開始しました。

広大な草地の中央を流れる川の脇にフットパスが延々と続いていました。海辺まで続く道は砂利道か草地、人工物は柵程度、ほぼ完全な自然状態が保全されていました。


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犬連れの散歩者に出会ったくらいで散策している人は疎らでした。

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手つかずの原始状態に近い川の脇を歩きました。

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セブンシスターズの切り立った白い崖が視界に入ってきました。手前に見えるのがラグーンです。

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4か月も経つと記憶の消費期限を超えてしまいます。この時の気分が、当日のFBに実にリアルに記されていました。


5月9日(土)、イングランド東部地方は曇り、一時大雨後快晴というイギリスらしいめまぐるしい天気だった。暖かいのが嬉しかった。
この日はイギリス旅行の最終日、大トリにふさわしい1日になった。
シーフォード、セブンシスターズ、ブライトン、ヘイスティングス、ライ、ドーバー、カンタベリーと巡ってヒースローが終点だ。元々レンタカーはここで乗り捨てにする計画だった。
マイレージは約2,100kmだった。
3日から9日まで7日間毎日走ったので一日平均300キロ走った勘定だ。
これだけの距離を走っても運転技術は相変わらずおぼつかない。それでもラウンドアバウトの使い方や給油方法、駐車方法など基本的なテクニックは習得できたように感じている。
シーフォードのB&Bを出発して最初にセブンシスターに寄ったのが大正解だった。一度ブライトンに戻って戻りでここに寄るプランだとにわか雨に打たれて最悪の事態になったのは間違いない。
国道脇の駐車場から延々と2kmくらいフットパスを歩くとセブンシスターズの崖に到達した。砂利だらけの浜は足を取られて歩きづらい。ようやく崖の近くに来て写真を数枚取った。
周囲には僕しかいなかった。ドーバー海峡から強い南風が吹いていて、カメラを持つ手が震えた。この風景を独占できる幸せを感じた。三脚を持ってきたのが幸いだった。セルフタイマーで記念写真を撮る事ができた。
イギリスの自然景観保全のコンセプトを感じた。海に注ぐ小さな川のラグーンをほぼ手つかずで保全していた。観光客やハイキングの人は自動開閉の柵を開け閉めしてフットパスを歩いて目標に向かう。
セブンシスターズの崖や野鳥を見たければ、車を降りてひたすら歩けという訳だ。汗をかいた人にだけご褒美をあげるというやり方は多いに参考になった。
行って来いで約1時間を費やしてブライトンに向かった。

30分ほど歩いてようやく浜辺に到着しました。干潮の時刻のようで干潟が拡がっていました。砂浜ではなく砂利浜で丸く削られた石だらけの浜でした。セブンシスターズと川を挟んで反対側の断崖も切れ落ちていました。


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海から強い南風が吹いていました。砂利に足を取られながら崖の方に歩きました。周囲には誰もいません。リーズの近くにあるマラムコーブの時と同じです。

巨大な白い崖がすぐそばに見えていました。ほぼ垂直に切れ落ちた白い断崖は高低差が100mはあると思います。この絶景を自分ひとりで独占して良いのか戸惑いを感じました。


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三脚を持参して正解でした。強い風の中でセルフタイマーを使ってジドリしました。


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来た道を駐車場に引き返しました。「イギリスのお天気は1日の中に四季がある」という言葉を聞いた事がありますが、短い時間でお天気がコロコロと変わります。一瞬ですが、晴れ間が覗きました。しばらくして激しい雨に変わりました。
ヨークとリーズを案内してもらったハンガリー人のガーボルさんの言葉を想いだしました。
「ネイティブと観光客の違いは傘を持っているかいないかで判る・・・雨はすぐに止むので傘を持っていないのがネイティブです。」


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直線状に改造されたクリークもありました。防災目的か環境保全目的かは不明ですが、最小限の人工的な改変は加えられていました。それでも手つかず感満載の広大な風景が拡がっていました。最近、日本でも話題に登り始めたグリーンインフラをこの国はかなり前から始めていたのかもしれません。


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強い風が吹くので、渚には潮の花が出来ていました。


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クリーク脇の斜面に沢山の穴があいていました。どうもキツネの営巣地のようです。

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10時40分、駐車場に戻ってきました。
たかだか1時間あまりのトレイルでしたが、大変貴重な体験ができたと感じています。
道路脇に展望台を設置せず、往復4kmの道をひたすら歩く者だけに美味しい果実をあげるというイギリス環境当局の自然保護に対する強い姿勢のようなものを感じました。多分、その姿勢をイギリス人は当たり前に受け入れているのかもしれません。

駐車場の道路を挟んで反対側にあるインフォメーションセンターで用を足してブライトンに向かいました。

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以下、次号・・・

by camino0810 | 2015-09-18 03:47 | イギリスⅡ | Comments(0)  

2015年5月9日(土)イギリスⅡ その44 シーフォード

イギリスの車旅行も今日がいよいよ最終日。
5月3日にスコットランドのエディンバラに着いて今日で7日目になりました。
この日は、シーフォード→セブンシスターズ→ブライトン→ヘースティングス→ライ→ドーバー→カンタベリー→ヒースローと相当ハードな最終日になりました。

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(出典 Google)

最大の収穫は、セブンシスターズの白い巨大な絶壁を目の当たりにできた事でした。

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このブログを書いているのは、4か月後の9月中旬。
NHKのBSで「刑事フォイル」という新番組が始まりました。第二次大戦の1940年頃、イギリスがドイツに攻め込まれていた時代の刑事ものですが、フォイルは近くのヘースティングスに住んでいて、その第1回目にこの白い断崖が出てきました。(背後の霞んだ崖)


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当日のFBから・・・

5月8日(金)、イングランド西部地方は曇り。
この日もお得意の貧乏暇なしの欲張り行程だった。
慌ただしくDevisezの宿からバース、ソールズベリー、サウサンプトン、ポーツマスと巡ってシーフォードのB&Bに泊った。
(省略)
終点のシーフォードはブライトンから東15kmの海辺の小さな街だった。
B&Bは街の中心部にあった。ナビのおかげですぐに到着できた。今回の旅はベッドとシャワーがあれば充分だ。ブライトンのホテルがやたら高かったので緊急避難でこの予約を入れた。
実はこの選択が大正解だった。
セブンシスターズはイギリス海峡最大の白い絶壁だが、この街から車で5分の場所にあるではないか・・・
時には思わぬ幸運にも出会える事もある。ラッキーだった。

ポーツマスからシーフォードのまではナビのお陰で順調に運転できました。
5月8日19時20分、B&B「AVONDALE」に到着。イギリスのナビは住所入力は通りの名称でした。日本では番地表記ですが、イギリスは小さな道路でもすべて名前が付いているという事です。フランス、スペインでも同じだったと思います。

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宿に駐車場はなく路上駐車が許可されているようでした。湖水地方のアンブルサイドのB&Bと同じでした。
愛想のよい年配の男性のご主人が応対してくれました。部屋の鍵と玄関の鍵を渡され、タバコは外で喫いました。部屋は共同トイレと共同風呂の部屋しか予約ができなかった記憶があります。家族連れなどお客は沢山いました。個室のベッドがあれば贅沢は言えません。


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8時30分、朝食。
フルヴァージョンのイングリッシュ・ブレックファストをオーダーしました。エディンバラ、デビズに続いて3回目ですが、5品目はすべて同じでした。目玉焼き、ベーコン、ソーセージ、焼きトマト、マッシュルーム・・・。パンはカリカリに焼いた薄手の食パン。ジュースと珈琲。

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食堂には沢山のお客がいました。隣席のネイティブのご老人が話しかけてきたので、東京から観光に来た事、セブンシスターズを観に来た事などを伝えました。


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宿の前の街並は赤レンガ造りでした。3階建ての建物でスカイラインは整っていました。電柱・電線は有りませんでした。


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宿の前の小さな公園には、第一次、第二次世界大戦でなくなった地元の戦没者の名前が刻まれた記念塔がありました。戦時記念塔はスコットランドの村でも見ました。


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第二次大戦の戦没者の数が圧倒的に多かったです。1899年~1902年のボーア戦争の戦没者の名前も少数ですが刻まれていました。


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シーフォードの市街地から車を5分くらい走らせるとセブンシスターズの駐車場がありました。

以下、次号・・・






by camino0810 | 2015-09-16 13:50 | イギリスⅡ | Comments(0)  

2015年5月8日(金)イギリスⅡ その43 サウサンプトン、ポーツマス

14時30分、ソールズベリーを出発してサウサンプトンへ向かいました。
カーナビTOMTOMのお陰で順調に運転できました。この頃になると、メモから道路名が消えました。そのかわりナビ頼りになると便利さにかまけて記憶が残りません。

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(出典 Google)

FBは日記替りに付けています。記憶力の減退をカバーしてくれます。当日の感想を読むと、その時の気分が蘇ります。

以下、当日のFBから・・・

5月8日(金)、イングランド西部地方は曇り。
この日もお得意の貧乏暇なしの欲張り行程だった。
慌ただしくDevisezの宿からバース、ソールズベリー、サウサンプトン、ポーツマスと巡ってシーフォードのB&Bに泊った。
(省略)
段々時間が押してきて、サウサンプトン、ポーツマスは素通りに近くなった。両方とも海辺の街で現代的な街並みだった。ポーツマスの駅舎は2色の煉瓦を上手に使い分けて瀟洒な気分を出していた。
高速から海が見えた。5月3日にエディンバラから延々と車で南下してきてようやく5日目にイギリス海峡を見ることができた。

15時30分、サウサンプトンに到着、この街に滞在できる時間はわずかでした。港町だという知識しかありません。海の方に行って見ました。ガイドブックによると1912年4月10日タイタニックがこの港からニューヨークに向けて出航したそうです。

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(出典 Google)


クイーンズ公園の脇に車を停めました。ソールズベリーで痛い目に遭っているので、違反キップが貼られないよう駐車場所には十分気を付けました。


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海辺は新市街地になっているようでした。綺麗で清潔なスッキリした街並でした。赤レンガや石造り風の新しい建物が沢山ありました。


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メーンストリートと思われる場所を歩きました。昼間なのでなんとも言えませんが、車を排除した人優先の通りのように思えます。ヨーク、リーズ、バースと似たスキームだと思います。
中央部分も石張りにして両脇との境目に段差の小さいブロックを並べていました。建物のスカイラインが綺麗に揃っていて、電柱・電線はなく実に素晴らしい街並でした。夜になると、オープンカフェが一斉に立ち並ぶ段取りになっているように思います。


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これまでの経験からイギリスの街は何処に行っても素晴らしい設えになっていました。サウサンプトンも多分同じだろう思います。

サウサンプトンの滞在時間は30分程度、次の目的地ポーツマスに向かいました。
16時過ぎ、ポーツマスに入りました。ドーバー海峡を見ようと思い海辺を目指しましたが、海軍の基地に行きあたり断念しました。駅前で車を止めて一休みしました。駅舎は赤レンガを基調にして窓枠を石材で飾る瀟洒なデザインでした。


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赤レンガを基調にした街のように感じました。


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16時30分、ポーツマスから予約したB&Bのあるシーフォードに向かいました。

高速に入ると、すぐに海が視界に入りました。FBにはイギリス海峡と記していましたが、実際はラグーンではないかと思います。とにかく海を見るのは、5月3日のエディンバラ以来5日振りの事です。延々と車を転がしてイギリスの南端にたどり着いた訳で、少しだけ感慨深い身持ちになりました。


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以下、次号・・・




by camino0810 | 2015-09-15 21:28 | イギリスⅡ | Comments(0)