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2016年5月6日(金)ドイツ その68 オーバーアマガウ(2)

地球の歩き方2015~2016年版にこの村は以下のように紹介されていました。


「アルプスの山々に囲まれた小さなこの村は、10年に一度、村人総出で『キリスト受難劇Passionsspielen』を上演することで名高い。1632年、ペストが猛威を振るったドイツにあって、オーバーアマガウの被害は奇跡的に少なかった。信仰あつい村の人々は、神に感謝を込めて、1634年以来、370年以上も受難劇を上演し続けてきた。・・・」

400年前、この地がヨーロッパを壊滅に追い込んだペストを免れた稀有の地域だったことを初めて知りました。ウィルスミスが主演した映画に出てくるゾンビはある意味ペストの生まれ変わりみたいなものだと得心しました。


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小さい村なのでアマー川を渡るとすぐにこの村の中心部に入りました。お土産物屋やカフェが並んでいました。


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13時前、ミュンヘン駅構内で買ったサンドウィッチ(2.3ユーロ:300円)で昼ごはんにしました。


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街歩きを開始しましたが、小さい村なのですぐに端まで行き着きます。
この村の建物にはユニークな特徴がありました。切妻にフレスコ画を描いている建物が沢山ありました。ペストから護ってくれたキリストへの深い感謝を忘れないためだろうと思います。

この建物は窓枠に立体的に見える装飾をフレスコ画で描いていました。えてしてこの手もものは安っぽく見えるモノですが、この村の装飾が何か風格を感じました。



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教会方面へ歩いて行きました。


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教会の尖頭が見えてきました。


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この建物はホテル、窓枠の飾りがフレスコ画になっていました。


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1本の尖塔を持つ赤い屋根のシンプルな教会がありました。


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小さな礼拝堂もありました。

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ロマネスク様式の教会はこの村の中心的な建物だと思います。

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ドイツ語版のWikipediaにこの教会の説明書きがありました。
聖ペトロ・聖パウロ教会(オーバーアマガウ)は、9世紀にロマネスク様式の木造教会が建設され、18世紀中期にバロック様式に改造されたそうです。教会の内部は荘厳というよりは豪勢な造りになっていて驚きました。
2010年スペイン巡礼で北スペインを歩きました。人口200~300人程度の小さな町の地味な外見の教会でもその内部は恐ろしいくらい立派な造りにしてありました。キリスト教徒の神への限りない献身を感じたものです。


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(出典 Wikipedia)
以下のサイトの内部の写真にも驚かされました。ピンクの色使いはロココ風かも・・・

https://goo.gl/maps/Ayc9De9nTsw


マッターホルンに似た山の頂上には十字架が見えました。この村のソウルマウンティンになっているように感じました。

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お土産屋さんに入ってお土産を探しました。


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木彫りの人形が沢山陳列されていました。


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3軒目のお土産屋さんでカミサンへのお土産を買いました。


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14時、カフェに入って黒ビール(500CC、3.2ユーロ:420円)を飲みながらこの日の記事をFBにアップしました。


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5月6日(金)、オーバーアマガウは快晴、温暖。
三番町のN先生に勧められた中南部ドイツルートもいよいよ最終段階に入った。
先生曰く「ドイツは小さい街が意外にいい」・・・
成程、小振りの街はリューデスハイム、バンベルクを含めて確かに良かった。
オーバーアマガウは人口5000人余りの高原の観光地という事だ。ミュンヘンから南に普通電車で2時間弱の場所にある。雪を背負ったアルプスの山々が近い。自分の時計で測ると標高が大体800mくらい、多分、避暑地だろう。
沿線の眺めは、新緑に溢れて良かった。街の家屋の褄壁には至るところに宗教画が描かれていた。街を見下ろすように聳えている高い山は、マッターホルンに感じが似ている。山頂には十字架が見えていた。
まだ、14時、カフェで黒ビールを飲みながら記事を書くのが定番になった。これからミュンヘンに戻って街歩きをする。

そろそろミュンヘンに戻る時間になりました。ミュンヘンに戻る電車は1時間に1本、1本遅らせると1時間待たなくてはいけません。
慌ただしく駅に戻りました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2016-12-31 17:31 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月6日(金)ドイツ その67 オーバーアマガウ(1)

オーバーアマガウはミュンヘンから南に約100kmのオーストリア国境に近いアルプス山麓の小さな観光地でした。

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ミュンヘン中央駅から約2時間の列車旅でした。前日、レーゲンスブルクのDBのインフォでもらった旅程表はつぎのようなものでした。
 ミュンヘン発 10時32分→ムルナウ着 11時27分 RB59449(29番線)
 ムルナウ発  11時42分→オーバーアマガウ 着 12時21分 RB59565

ミュンヘン中央駅は大きな駅でした。端っこの29番線ホームで電車を待ちました。

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お馴染みになったDBの赤の普通電車に乗車しました。

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沿線の新緑の風景が気持ち良かったです。

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電車はシュタルンベルク湖という大きな湖を通り過ぎました。

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ドイツに来て初めての山岳地帯、針葉樹の森が現れてきました。

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ムルナウ駅で電車を乗り換えました。

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初めてのヨーロッパアルプスの山々でした。快晴のお天気にも恵まれました。雪を頂いた山、湖、森など目的地に行きつく前に結構腹一杯になりました。


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牧場にはアルパカがいました。

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お天気が良かったので庭の芝刈りをしている人もいました。

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12時30分、定刻より少し遅れてオーバーアマガウ駅に到着しました。


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村の中心地は小さな川を渡った場所にありました。川幅50m位の川はアマー川といいます。アマー川は下流のアマー湖を経由してイーザル川に合流、イーザル川はレーゲンスブルク東60kmのデッゲンドルフでドナウ川に合流していました。
つまり、アマー川はドナウ川の源流だということになります。この小さい川は河川改修を済ませていましたが、水が澄んでして水辺へのアクセス性も良好、河岸も自然な感じがしました。
この記事を書いていて初めて気付いたことですが、今回のドイツ旅行はライン川、エルベ川、ドナウ川の河畔の街を選択しましたが、ドナウ川の源流の一つに巡り合えていた訳でとても良かったと感じています。


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橋の上からマッターホルンみたいな山が見えました。

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オーバーアマガウの中心部に着きました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2016-12-30 19:46 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月6日(金)ドイツ その66 レーゲンスブルク~ミュンヘン

今日でドイツ滞在も9日目、ドイツ旅行も終盤に入りました。
今日はレーゲンスブルクからミュンヘンで途中下車して、オーバーアマガウに向かいます。この町は、オーストリアの国境近くにある高原の保養地でした。

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6時起床、ホテルの部屋で昨日の晩駅で買っておいたサンドウィッチで朝食を済ませました。


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クリーム色のこの可愛らしい駅ともお別れです。


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レーゲンスブルク発7時47分、ミュンヘン着9時17分の普通電車ALX84107号に乗車しました。


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DB(ドイツ国鉄)とは別の鉄道会社の車両のようでした。快適な車内でした。


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車窓は一面の麦畑でしたが、これまでセットだった菜の花畑は見掛けませんでした。
ドイツの国土は36万km2、日本よりわずかに小さいけど、急峻な山がほとんどないので有効に使える面積は日本よりはるかに広い感じです。
地形がゆったりしているという事は、水、食べ物、エネルギーがあれば基本的には何処でも住める訳で、歴史的、宗教的、文化的な背景もあるでしょうが、分散型の国土が自ずとできあがったという気がします。フランス、イギリスにも似たような印象を受けました。
川もゆったり流れているし、産業舟運、観光舟運も盛んでした。交通インフラのような線的なインフラも日本と違って計画しやすいでしょう。


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ドイツの鉄道の旅を続けて気付いた事・・・。
沿線に羊を全く見掛けなかった事、馬を時折見掛けた程度でした。2015年のイギリスは何処に行っても羊がいたように記憶しています。ドイツではそもそも牧場自体を見掛けなかったのが不思議でした。豚食メーンの国だからでしょうか。


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太陽光発電のパネルが一面に設置されていました。

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小さな川も自然な感じに仕上がっていました。自然志向の強いお国柄を感じます。


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運河か河川かは不明ですが、河畔まで庭があり、住民が水の澄んだ川を借景にできるのは羨ましい限りです。

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クラインガルテンが見えてきました。ミュンヘンはもうすぐです。


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電車はミュンヘン市街地に入りました。ドイツの新幹線ICEの車両基地がありました。

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ミュンヘン駅の到着。プラットフォームは軌道と直角に屋根が付いていました。ワントップのドーム型ではなく、マルチトップの山形の屋根になっていて、トップライトは直立式でした。

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ミュンヘンはベルリン、ハンブルクに次いで3番目の大都市。構内は広かったけど、天井が低いのでライプチヒ中央駅のようなインパクトは感じませんでした。


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正直な感想を言うと、140万の大都市の割にはミュンヘン中央駅は地味な印象を受けました。

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ホテルに40Lのバックパックを預けてオーバーアマガウに向かいます。線路脇の道を歩いてホテルを目指しました。

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予約したホテルは駅から歩いて10分くらいの場所にありました。手前のオレンジの建物でした。


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9時40分、ホテルにチェックイン、55ユーロ(7200円)を前払いしました。ホテルは流石にカードが使えるので資金ショートが無いので助かります。まあ、当たり前といえば当たり前ですが・・・
荷物置いて、再び駅まで戻りました。
中央駅の脇の玄関から構内に入りました。


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構内のピザ屋・・・

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鶏の手羽先のから揚げは1本0.8ユーロ(100円)、日本のコンビニと同じくらいのお値段でした。


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オーバーアマガウ行きの電車が発車するホームに向かいました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2016-12-30 07:30 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月5日(木)ドイツ その65 レーゲンスブルク(6)

ドミニコ教会を後にしてヤコブ通り(後で判明)を歩いていたらシンプルな教会がありました。

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教会の掲示板に懐かしいロゴを発見しました。
2010年、「フランス人の道」と呼ばれる北スペインの巡礼路を歩きました。フランス・スペインの国境のサンジャン・ピエ・ド・ポーという宿場町からゴールのスペイン西端のサンティアゴ・デ・コンポステーラまで約800kmの巡礼路でしたが、青地に黄色のホタテは巡礼者にはお馴染みのロゴでした。

http://camino0810.exblog.jp/17054713/

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この教会は、12世紀にアイルランド人が創建した聖ヤコブ教会でした。キリスト教の3大聖地の一つ、サンティア・デ・コンポステーラの大聖堂には聖ヤコブの遺体が埋葬されています。中世からドイツの巡礼者たちは国内各所の聖ヤコブ教会の宿泊施設に寝泊りを繰り返してゴールを目指したのではないかと思います。


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スッキリとしたロマネスク様式の教会のファサードには保全用のガラス張りの覆いが設置されていました。 


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ファサードには沢山の彫像が彫り上げられていました。


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これまでの見てきた教会の彫像は聖人像が多かったのですが、このファサードにはユーモラスな動物が彫られていました。


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内部はゴシック式のドミニコ教会と違ってシンプルな造りになっていました。


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磔にされるイエスを遠くから見守っている金環を帯びた女性は「マグラダのマリア」かもしれません。


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館内にはサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼路が克明に記されたパンフレットなどが置いてありました。

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巡礼者は、普通の観光客と識別ができるように目印の「ホタテ」を首から下げて歩きます。ドイツ国内の巡礼路のネットワークは中世から充実していたようです。

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ヨーロッパの巡礼全図を見ると、中世からドイツ、イギリス、イタリアからフランス経由でスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す道が沢山あった事が判ります。欧州人のキリスト教への帰依は日本人の理解を超えているようにも感じます。2年後くらいに南仏のアルルからツールーズ経由で再度サンティア・デ・コンポステーラを目指そうかなと考えています。


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この街からサンティア・デ・コンポステーラまでは2705km、1日平均25km歩いたとして、休みなしで最低でも110日が必要です。中世の巡礼者は4~6か月くらい掛けて歩いたことでしょう。


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ヤコブ通りの反対側に「ヤコブホテル」がありました。ドイツの巡礼者はこのようなホテル風の巡礼宿に寝泊りできるようです。

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当日、街歩きを終えてホテルで「おまけの1回」をFBにアップしました。


5月5日(木)、レーベンスブルクは快晴、温暖。
レーベンスブルクの「おまけの1回」・・・。
カフェでビールを飲んだ後、街歩きを再開。
広場には相変わらず沢山の人で溢れかえっていた。カフェのマスターに訊いたら今日は休日と言う事で納得できた。

人気アイスクリーム店の前には行列ができていた。ドイツ人男性はスウィーツ好きのように思える。年配のオッサンたちがアイスを舐めながら歩いている光景をたびたび眼にした。

思わぬものに出会った。
スペイン巡礼を示すホタテのロゴマークだった。2010年、フランス国境からサンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩いた。巡礼経験者にはお馴染のロゴだ。
聖ヤコブ教会の中に入ってみた。展示の冊子を捲ると懐かしい巡礼路が出ていた。
当時、ネイティブのスペイン人を除いて、フランス人とドイツ人が多かった。レーベンスブルクからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで2705kmあるそうだ。四国のお遍路さんの倍近い距離を中世のドイツ人は延々と歩いて行ったのだろう。

旧市街の外縁は緑地になっていて気持ちよく歩けた。リング状の公園や道路はフランフルト、ケルン、ライプチヒにもあった。中世の都市国家時代?の城壁跡かもしれない。

16時30分、ホテルに戻った。4時間余りの街歩きだった。一寝入りして、19時、メーン街路のマクシミリアン通りにあるタイ料理店でタイカレーを戴いた。

この通りは、実にユニークで面白い。幅は約15m、歩道でもあり車道でもある不思議な通りだった。歩車道境界のない人車一体型の通りになっていた。そう言えば、世田谷の砧あたり似たような通りがある事を想い出した。

明日はミュンヘン経由で山岳地帯のオーバーアマガウに向かう。
旅の終点フランクフルトに大分近づいてきた。


旧市街の城壁まで来ました。城門はツルンとしていて、細長い銃眼と丸い銃眼が付いていました。



現在、城壁は撤去され、緑地公園になっていました。

教会風の建物はレストランでした。教会の運営権を引き取って改装して運営しているのかもしれません。2015年、イングランドのリーズでも教会を居ぬきで引き取ってレストランにしていました。



旧市街内部から眺めた城門・・・


外から振り返った城門・・・



旧城壁跡は、空堀風の散策路に変えていました。名古屋城の外濠にもこのような空堀がありました。



園路を歩いて駅に戻りました。

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園路に沿って豪奢なお城風の建物がありました。この建物も中庭を市場に変えていました。ドイツも高齢化が進み、維持管理のお金や後継者問題があるのかもしれません。建物を公益法人や民間事業者に譲り渡して運営しているようにも思います。




木漏れ日が気持ちの良い園路を歩きました。




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駅前通りに出ました。

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スタート地点の中央駅まで戻ってきました。

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昼ごはんを食べていなかったので、駅の売店で菓子パンを食べました。


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16時30分、ホテルに到着、4時間余りの街歩きが終わりました。
ドイツは現金払いの国、カードはほとんど使えません。ドイツに来て3回目のキャッシングをして、50ユーロ(6500円)分の現金を手にしました。ドイツのATMは何故か明細が出てこなかったです。
18時40分、夕食を摂るために駅前通りのタイ料理レストランに向かいました。陽は残っていましたが、人通りは疎らになっていました。


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タイ料理レストランのテラス席で夕飯を食べました。

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鶏のから揚げ付きのタイカレー7.2ユーロ(940円)はまずまずのお味でした。

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ホテルに戻る途中、面白い道路に出会いました。道路の上に建物が建っていました。運河の上にも建物がありました。特別なルールでもあるのでしょうか。

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駅前通りは、幅は約15mの歩行者優先の道ですが、このような通りはドイツの他の都市でもよく見掛けました。中心市街地から車を排除して賑わいを創り出していました。イギリスでもこのような街が結構ありました。パーク&ライド方式にしているのかもしれません。


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19時30分、ホテルに到着、レーゲンスブルクの一日が無事に終わりました。
翌日、ミュンヘン経由でアルプスの山岳地帯のオーバーアマガウに向かいました。


by camino0810 | 2016-12-29 16:40 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月5日(木)ドイツ その64 レーゲンスブルク(5)

ドナウ川の川歩きを終えて再び旧市街に戻りました。

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レーゲンスブルクの旧市街は2006年に世界遺産に登録されていました。対岸の市街地もセットでした。


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14時を過ぎると歩く人が増えてきました。

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大聖堂の出口から大勢の観光客がゾロゾロを出てきました。

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ストリートパフォーマーは、変わった胴のバイオリンを演奏してお金を集めていました。

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お天気が良かったので、ロマネスク式?の教会前広場には人だかりが出来ていました。

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2時間歩いたので、一休みできる場所を探しました。

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あちこち歩き回って、このカフェに決めました。「BIER GARTEN」、日本語のビアガーデンと同じです。


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建物内の通路を潜り抜けると、中庭がテラス席になっていて、大勢のお客で賑わっていました。


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ビールを飲みながら忘れないうちにこの日の出来事をFBにアップしました。ビールは、500ccで3.6ユーロ(470円)。


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このお店もカードはNG、現金で支払いを済ませました。ついでに、お店のマスターにスナップ写真をお願いしました。街が随分と賑わっているので「今日は休日?」とマスターに質問したら、彼は「そうだ」と答えました。多分、ドイツの祝日だと思います。


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この時にFBにアップした記事・・・

5月5日(木)、レーベンスブルクは快晴、温暖。
バンベルク8時36分発の快速に乗ってレーベンスブルクに10時38分に到着。駅横のホテルにチェックインして、12時に街歩きを開始した。
好天にも恵まれたが、この街にも驚かされた。バンベルクは掌のうちに納まる小さくて可愛らしい街だったが、この街は人口14万の地方の中核都市のようで巨大な大聖堂とドナウ川があった。
大聖堂の西側のファサードが天高くそびえていた。ケルンの大聖堂は黒ずんでいたが、ここの大聖堂は白くて青空に映えていた。個人的にはこちらの方がピンときた。
大聖堂の中に入ってみた。ちょうどミサが行われていて、異教徒というよりは無宗教の自分でも厳粛な気分になった。
しばらく歩くとドナウ川に出会う。2014年に下流のウィーン、ブラチスラバ、ブダペストを旅行した。かなり上流なので川幅はせいぜい200mくらいだった。そのせいか、ドナウ川の流速は結構大きかった。それでも沢山の観光船が行きかっていた。
分流している支川の河畔の遊歩道を歩いてみた。1998年に大きな洪水があったようだ。ケルンのライン河畔で見た洪水防止板をセットする支柱の基礎がここにも設置されていた。堤防らしきものがあったが、それとは判らないほど自然な感じが出ていた。
旧市街には、京都の先斗町並の狭い路地もあった。
広場には木曜日というのに沢山の人で賑わっている。今日はドイツの休日なのだろうか。
街の形や川の形など自分には勉強になる事が多すぎた街でもある。これまで観てきた街はいずれも個性的で画一的な日本の街とは随分違っている。
州政府がある事からも道州制みたいな独自のルールがあるのかもしれない。
旧市街の建物の中にあるレストランでこの記事を書いている。まだ、14時過ぎ。またまたどうやって時間潰しをするか思案中。

お店に展示されていた昔のレーゲンスブルクの写真を観ると、大聖堂が横浜のランドマークみたいに聳えていました。撮影年代は記載がないので不明ですが、ドナウ川の中の島の向こうに大聖堂がそびえ立っていました。中世の時代からこの都を目指す人たちには大切な道しるべになっていたと思います。


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15時過ぎ、教会前の広場にはどんどん人が集まってきました。


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靴屋さんスニーカーのお値段は概ね60ユーロ(8000円)、日本と似たようなものでしょう。

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2階以上の建物がオーバーハングしていました。イギリスのヨークやカンタベリーでも見掛けました。建物の接地面積に税金が課税されるルールだとこの手もありでしょう。


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本屋さんの陳列ケースにはシェイクスピア特集、ドイツでもこの作家は有名なようです。


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コーヒーショップのテラス席も一杯になっていました。

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ドイツ人の男性は意外にもアイスクリームが大好きなようでした。年配のオジサンがアイス片手に歩き回っていました。


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市営劇場のある広場も大賑わいでした。


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広場の脇にドミニコ会の教会がありました。この教会は13世紀に建てられたゴシック式の教会だそうです。そう言われると、確かに尖頭アーチ、バラ窓が付いていました。

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内覧が自由なので中まで入ってみました。中央の部屋の天井の交差梁もゴシック式の大聖堂の必須アイテムです。

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両脇の壁に宗教画が沢山飾ってありました。枠は色つきの豪華な大理石でした。


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この枠や台座も大理石・・・

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中世のフレスコ画と彫像・・・日本人にはちょっと怖さを感じます。

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フレスコ画の劣化がかなり進行していました。物語が紙芝居風に描かれていました。

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この教会を後にして西の方に歩きました。沿道に思いもよらぬモノを発見しました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2016-12-27 02:22 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月5日(木)ドイツ その63 レーゲンスブルク(4)

ドナウ支川の左岸河畔を下流に向けて歩きました。「石橋」から大聖堂が見えました。


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ライン支川の豊かな水量、河畔の緑に驚かされました。川は写真右から左に流れています。河岸は自然のままで、水辺のアクセスもよく整っていました。


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「石橋」の左岸袂の民家脇には、量水標が設置していました。

 
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レーゲンスブルクのドナウ川は1988年に洪水が発生していました。この洪水を忘れることがない様に建てられた記念看板が建っていました。


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「HW100」(hundertjährliches hochwasser )は、100年に1回の確率で起きる洪水だという意味でしょうか。「石橋」のアーチが半分くらい隠れる洪水が発生していました。洪水位は概ね平水面から3m位高いので、旧市街も水没した可能性があります。実際、右岸の旧市街には陸閘と呼ばれる、ポータブルな止水扉を固定する溝がありました。



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この洪水で左岸も浸水したようです。堤防の天端に洪水防止板の基礎が設置されていました。同じものがケルンの大聖堂脇のライン河畔広場にもありました。


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水位がゆっくりと上がるので洪水防止板を設置する時間は充分にとれるようです。2016年6月、パリのセーヌ川でも洪水が発生してこの板が設置されました。


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同時期、バイエルン地方は洪水が発生しました。果たして、この洪水防止板は活躍したのでしょうか。ちなみにドレスデンはエルベ川の2002年の洪水で水没しました。大陸ヨーロッパは未だ洪水の危機が残っているなと感じました。


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被災したシンバッハ・アム・インは、レーゲンスブルクの東南約100kmにあるドナウ川の支川イン川河畔の街でした。


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散策路は堤防の天端道路になっていました。堤防の裏手には2mくらいの段差があり、民家が立ち並んでいました。


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ドナウ支川の河畔は実に豊かな水と緑にあふれていました。川は写真下から上に流れています。


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上流側・・・

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運河に架かる歩道橋を渡って右岸に戻りました。


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河岸に手を入れた形跡はありません。ピクニックや散歩の人も結構しました。実に気持ちに良い水辺です。


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ドナウ本川に架かるアイザーネ橋の袂まで戻ってきました。


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この橋からドナウ川と大聖堂が良く見えました。写真右から左に川が流れています。観光舟運が盛んな様子が窺えました。


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橋の下流の船着き場には転落防止柵はありません。観光船は小振りでした。


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観光船の屋上デッキには平日の木曜でも観光客で結構一杯でした。

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橋から上流を眺めてみました。レーゲンスブルクの素晴らしさを示す絵柄だと思います。ドナウ川、アーチ橋、観光船、河畔散策路、赤い屋根、大聖堂・・・役者が全部揃った感じです。


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右岸の散策路は低水護岸は直壁を避け、斜面にして水辺のアクセス性を高めていました。


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右岸の旧市街は建物→車道→歩道→河畔散策路の順にして建物を川に向けていました。


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アイザーネ橋はお洒落なアーチの上路橋でした。桁下が小さいので大きな船は通過できません。


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船着き場には不思議な船が停泊していました。貨物船を改良した博物館かもしれません。


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河畔散策路はお洒落にしていました。


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この街はあちこちで建設クレーンが建っていました。ドイツ人は定置式のジブクレーンがお好みのようでした。


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船着き場の脇を歩いて「石橋」に向かいました。


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ジオラマ風の彫刻に中世頃の街並の様子が表現されていました。旧市街は大聖堂を中心にリング状の城壁で囲まれた都市国家だと思います。


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河畔広場には沢山の観光客で賑わっていました。


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ドナウ本川の「石橋」の補修ももうすぐ完了するようです。

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13時40分、スタート地点に戻ってきました。12時50分に出発したので、1時間も掛かっていませんが、ドナウ河畔の素晴らしさを楽しむ事ができました。


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1988年の洪水では水面が3m位上がったので、この戸溝に水害防止板を設置したのかもしれません。


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河畔広場の有名なレストランには行列が出来ていました。相当待たされそうなのでスルーしました。


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再び、旧市街をあるきました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2016-12-25 18:43 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月5日(木)ドイツ その62 レーゲンスブルク(3)

レーゲンスブルクの旧市街は世界遺産に登録されていました。
この街の面白さは小さな路地にも感じました。

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京都の先斗町にも似た道幅が2m位の路地を歩いてみました。

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パステルカラーに塗り分けた小綺麗に設えたお店が沢山並んでしました。すれ違いも結構大変なくらいの狭さでした。

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路地を抜けると、広場のテラス席は沢山の観光客で賑わっていました。


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ピンクのアーチを潜るとドナウ川でした。

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2014年5月、ドナウ河畔にある中欧のウィーン、ブラチスラバ、ブダペストを歩きました。下流のドナウ川は川幅が400mくらいありましたが、上流のドイツのバイエルンまで来ると川幅は100mくらいになっていました。隅田川と同じくらいです。


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ドナウ河畔の街歩きのルートはかなり限定的、折角の機会なのでもう少し歩く範囲を拡げておけば良かったと反省しています。


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生憎、シュタインエルネ橋(石橋)は補修中でした。この橋はプラハのカレル橋のみたいな観光名所になっていました。


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補修中の橋を渡って左岸に向かいました。ドナウ川は写真の下から上に流れています。バンベルクのレグニッツ川と同様、豊かな水量があり、流速もかなりありました。


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川幅が小さいためか観光船も小振りでした。河岸と水面の高低差は2m程度、転落防止柵は有りません。河岸の直壁に腰かけてノンビリしている人も沢山いました。水辺のアクセスも十分、このやり方もありでしょう。


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何気なく撮ったこの写真はバンベルクのレグニッツ川とよく似ていました。この記事を書いて初めて判りました。川の豊かな表情、沿川の赤い屋根やスカイライン、観光船・・・


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こちらがバンベルク・・・。


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中の島は背割堤みたいで全面的に石材で覆っていました。写真下から上に川は流れています。左側の静かな水面は運河でした。


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ドナウ本川の左岸まで来ると、大聖堂が視野に入ってきましした。川は写真右から左に流れています。


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「石橋」はドナウ川本川、運河、支川の3本に架かる全長300mもある橋でした。本川部分の仮橋を渡り終えました。


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「石橋」から上流を眺めてみました。写真上から下に川は流れています。写真左がドナウ本川、右が運河の静かな水面。運河の取り入れ口に4階建ての建物が建っていました。日本では規制があり、このような建物を見た事はありません。プラハのブルタバ川に架かるカレル橋にも同じような建物が建っていました。


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運河の下流側の河畔には豊かな自然がありました。


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石橋の左岸側の半分は補修が完了していました。


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振り返ると大聖堂の尖塔が見えました。


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中の島に降りる橋が分岐していました。水辺のアクセスは非常に良かったように感じました。


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左岸のライン支川の下流側は、本川と同様豊かな水量がありました。両岸の河畔とも豊かな緑がありました。


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支川の上流側・・・


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石橋を渡り終え、支川の左岸河畔まで来ました。


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左岸の旧市街はパステルカラーで綺麗に塗り分けられていました。5階建てでスカイラインも揃えていました。途中から車の駐車があるとことから住宅地かもしれません。


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橋の袂のビアホールみたいなレストランは大賑わいでした。楽隊の伴奏で皆が大ジョッキを飲みながら楽しそうに歌を歌っていました。ドイツらしい光景だと思います。


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ライン支川の河畔に降りてみました。水辺のアクセスは非常に良かったです。補修を終えた「石橋」は綺麗なハチミツ色のアーチ橋でした。


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ドナウ支川の左岸河畔を下流に向けて歩きました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2016-12-24 20:34 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月5日(木)ドイツ その61 レーゲンスブルク(2)

レーゲンスブルクはドナウ川河畔の美しい街でした。パリの街がセーヌ川を抜きにして語れないように、この街もドナウ川を抜いて語る事は出来ないだろうと感じました。
パリではセーヌ川とシテ島のノートルダム大聖堂がセットになっているように、レーゲンスブルクではドナウ川とこの大聖堂がセットになっているという印象があります。

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旧市街はドナウ川右岸の南側に展開されていました。ドナウ川の中の島が2つありました。ドナウ川の豊かな水量にも驚かされました。

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マキシミリアン通りという駅前通りを大聖堂を目指して歩き始めました。この街もメーン通りは車を排除した歩行者専用道路でした。

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道路には側溝などの付属構造物は顔を出していません。道路中央をへこませて排水しているようでした。

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その替り、旧市街には「City Train」というBRTが走っていました。

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駅前通りのはずれにタイ料理の店を発見、ここで夕食を摂る事に決めました。

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駅前通りを左折すると、お目当ての大聖堂の尖塔が見えてきました。大聖堂の尖塔は背が高いのでランドマークの役割にもなっています。

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大聖堂の裏手、祭壇の方から正面のファサードを目指しました。


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大聖堂前の広場に到着、テラス席には沢山のお客がいました。

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聖ピーター大聖堂は、フランスで見てきた大聖堂と同じ気分がありました。正統派のゴシック式といった感じでしょうか。ケルン大聖堂は巨大でしたが、煤で黒ずんでいましたが、この大聖堂は白さがありゴシック式の売りである精巧な装飾がしっかり確認できました。尖塔の高さは105mだそうです。写真に収めるのが結構大変でした。


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「石材でよくここまで装飾できるものだ」というくらい精巧な飾りがしてありました。

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西洋人は手先が不器用だという定説みたいなものは全く当たらないと感じます。


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大聖堂はフランフルト、ケルンで見てきた大聖堂と同様、ゴシック式の教科書通りの配置でした。十字架の主軸はキッチリと東西方向を向いていました。西面は2本の尖塔からなるファサード、東側は祭壇。十字架のの交点の尖塔は小さ目でスペイン・フランス型と同じでした。


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(出典 Google)

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(出典 Google)


ミサが行われていました。内部は3つの部屋に分かれていました。中央の部屋の奥に祭壇がありました。高さは30m以上はあるでしょう。大きな内部空間を確保する事でより荘厳な気分が演出できる仕組みのようです。両端の部屋は中央部を支える飛び梁の役目もあります。


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天井の屋根を支えるアーチ式の交差梁もゴシック式の定番のようです。

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ステンドグラスはかなり痛んでいました。

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当日にFBにアップした記事・・・

5月5日(木)、レーベンスブルクは快晴、温暖。
バンベルク8時36分発の快速に乗ってレーベンスブルクに10時38分に到着。駅横のホテルにチェックインして、12時に街歩きを開始した。
好天にも恵まれたが、この街にも驚かされた。バンベルクは掌のうちに納まる小さくて可愛らしい街だったが、この街は人口14万の地方の中核都市のようで巨大な大聖堂とドナウ川があった。
大聖堂の西側のファサードが天高くそびえていた。ケルンの大聖堂は黒ずんでいたが、ここの大聖堂は白くて青空に映えていた。個人的にはこちらの方がピンときた。
大聖堂の中に入ってみた。ちょうどミサが行われていて、異教徒というよりは無宗教の自分でも厳粛な気分になった。
しばらく歩くとドナウ川に出会う。2014年に下流のウィーン、ブラチスラバ、ブダペストを旅行した。かなり上流なので川幅はせいぜい200mくらいだった。そのせいか、ドナウ川の流速は結構大きかった。それでも沢山の観光船が行きかっていた。
分流している支川の河畔の遊歩道を歩いてみた。1998年に大きな洪水があったようだ。ケルンのライン河畔で見た洪水防止板をセットする支柱の基礎がここにも設置されていた。堤防らしきものがあったが、それとは判らないほど自然な感じが出ていた。
旧市街には、京都の先斗町並の狭い路地もあった。
広場には木曜日というのに沢山の人で賑わっている。今日はドイツの休日なのだろうか。
街の形や川の形など自分には勉強になる事が多すぎた街でもある。これまで観てきた街はいずれも個性的で画一的な日本の街とは随分違っている。
州政府がある事からも道州制みたいな独自のルールがあるのかもしれない。
旧市街の建物の中にあるレストランでこの記事を書いている。まだ、14時過ぎ。またまたどうやって時間潰しをするか思案中。

大聖堂の広場から狭い路地に入りました。

以下、次号・・・



by camino0810 | 2016-12-23 06:42 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月5日(木)ドイツ その60 レーゲンスブルク(1)

レーゲンスブルクは「地球の歩き方」(2015~2016)に次のよう紹介されていました。

レーゲンスブルクはミュンヘンの北約140kmの所にあるドナウ河畔の美しい古都。歴史は古く、ローマ時代からドナウ川沿いの要衝として重要な役割を果たしてきた。狭く曲りくねった石畳の道、世界遺産に登録された旧市街にそびえる大聖堂とそれを取り巻くれんが色の家並みなどは、昔のままの落ち着いた雰囲気を残し、ドナウ川を挟んで眺める町の景色は息をのむばかり。・・・


バンベルク発8時36分の電車でレーゲンスブルク駅中央駅に10時38分に到着しました。
この駅は中央駅にしては小さくで可愛らしい駅舎でした。40Lのバックパックを預けるため駅前のホテルを目指して歩きました。


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駅前公園の花壇には綺麗な花が沢山咲いていました。しょっぱなから「期待できそうな街」の気分を感じました。


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公園の中にはシンプルな教会がありました。

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5分も歩かないうちにお目当てのホテルに到着しました。
11時でもチェックインが可能なホテルだったのでお部屋に上がって荷物を降ろしました。

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3つ星ホテルでも清潔で広々した部屋でした。


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3つ星になると浴槽はありません。シャワー室でも問題なし。

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部屋からレーゲンスブルク中央駅が見えました。日本の駅と似た感じでした。

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ホテルの部屋に荷物を置いて、街歩きに出掛けました。最初に、DBのインフォに行って、翌日の電車の旅程表を貰いました。
最初に窓口の担当に「アロー」と挨拶します。自分が「グーテン・モルゲン」と始めても、ネイティブが「グーテン・モルゲン」と返した事はこれまで一度もありませんでした。ドイツ滞在が5日目くらいになると「アロー」で始めるようになりました。お互いに英語でやり取りするしかありません。僕は相変わらずの英会話下手なので、必要事項を書いた付箋を渡してからやり取りを始めます。終りは「ダンケ」で締めます。


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旅程表をもらったら駅構内の売店で買ったサンドウィッチ3ユーロ(390円)と珈琲1.1ユーロ(140円)で昼食にしました。

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食事をしながらホテルでもらった地図を見て一応街歩きの作戦らしきものを考えます。ドイツ滞在8日目になると、見どころは旧市街の大聖堂やドナウ河畔にありそうだという事くらいは判るようになりました。


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12時、レーゲンスブルクの街歩きを開始しました。
最初に駅前公園を歩きました。この公園は旧市街地の外周部のリング状の公園でした。中世にはお堀か城壁でもあったのでしょうか。レーゲンスブルクの街もこれまで観てきた街と同様大聖堂を中心とした都市国家だったようです。
とにもかくにも実に綺麗な公園でした。


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駅前公園を抜けると豪奢なホテルが建っていました。てっきり5つ星と思っていたら4つ星でした。


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旧市街のメーン通りに入りました。大聖堂を目指しました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2016-12-18 18:56 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月5日(木)ドイツ その59 バンベルク~レーゲンスブルク(2)

バンベルクの記事を書いている内にマインドナウ運河の正体が段々を判ってきました。理解が進むほど、この運河の凄さが見えてきた感じです。
そんな事で自称川屋には見過ごすことができないので簡単にこの偉大な運河について書きとめておく事にしました。

http://www.communitywalk.com/というサイトにこの運河の概要が判り易く書かれていました。

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「北海~黒海までの水路
1992年にライン川とドナウ川を結ぶライン・マイン・ドナウ運河が完成し、北海~黒海を結ぶ水路が出来上がった。この水路は大型の艀なら全区間、海洋船ならその一部を航行できる」
「North Sea to Black Sea Waterway
created by RP Mail
The completion of the Rhine-Main-Danube Canal in 1992 joined the Rhine-Main and the Danube to create a single waterway from the North Sea to the Black Sea. The waterway is navigable by large barges for its full length, and ocean going ships for part of its length.」

下図の赤い線が、全長171kmのマインドナウ運河です。

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記述はシンプルですが、書かれている内容は実に凄い事だと感じます。マイン・ドナウ運河によってヨーロッパの水の大回廊が完成した訳で、水インフラを語る上で外すことができないエポックメーキングな出来事だと思います。古くは大西洋と地中海を結ぶミディ運河(1694年完成)、スエズ運河(1869年完成)、パナマ運河(1914年完成)に匹敵する運河だと思います。
初代のマイン・ドナウ運河は、「ルードウィッヒ・マイン・ドナウ運河」(建設期間:1836年~1846年)と呼ばれていました。バイエルン王国のルートヴィヒ1世が年建設した運河でした。この運河は、バンベルク(マイン川)からケルハイム(ドナウ川)を結ぶ全長173kmの運河で、幅15m、深さ1.5m。閘門は全部で100基でした。幅も水深も小さいのは当時の船舶が小さかったためでしょう。
現在の2代目マイン・ドナウ運河(1960年~1992年)は大型船舶の通行を可能にした別ルートの運河でした。初代の運河では手狭で閘門数が多すぎ、効率的な物資運搬は難しいでしょう。


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     (出典:Google)

マインドナウ運河をWikipediaで検索してみました。日本語版は記事の内容が薄かったです。英語版はかなりの記載がありました。本家のドイツ語版は更に豊富な記載がありましたが、ドイツ語が不如意なので悪戦苦闘しました。

以下の記事はドイツ語版のhttps://de.wikipedia.org/wiki/Main-Donau-Kanalを参照しました。


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Ⅰ:運河の歴史
ライン川とドナウ川の連携は ① フォッサ・カロリーナ 793年 ② ルードウィッヒ 1834~1845年 ③ミンドルフェール・リニエ 1939年~1942年 ④マインドナウ運河 1960年~1992年
8世紀にマイン川とドナウ川を連絡する試みがあったことが判ります。③ミンドルフェール・リニエは第2次大戦で中止、④マインドナウ運河のルートはバンベルク~ニュルンベルクまではレグニッツ川沿い、ニュルンベルクからケールハイムまでは②の初代と大きく変えていました。②では大型船舶の航行が出来ません。別ルートを新規に開削していました。


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1903年のドイル全土の運河計画も紹介されていました。20世紀初頭のドイツの舟運の柱はライン川、ドナウ川、エルベ川、オーデル川だったことが判ります。この時のマインドナウ運河は②のルードウィッヒ運河と同じルートでした。


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Ⅱ:運河の諸元
運河を縦断的に見ると、全長171km、バンベルクから分水嶺までの水位差は175m、分水嶺からケールハイムまでの水位差は68m。上り区間に11基、下り区間に5基、合計16基の閘門が設置されていました。
運河は水の階段、階段数が多いと航行時間が増えて輸送効率が低下します。バンベルクから分水嶺までの175mの水位差を克服するために11基の閘門が設置されていました。閘門数を何ケースか変えてシュミレーションした結果だと思います。


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特筆すべきは最大水位差25mのヒルポルトシュタイン閘門、この水位差を支える閘門の構造は一体どうなっているのか。残念ですが、閘門の構造図がありません。ただし、マイン・ドナウ運河の閘門の閘室は長さ190m、幅12mで統一されていました。
閘室のサイズは航行船舶の大きさで決まります。この運河の貨物運搬実績の推移をみると、コンテナ船からばら積み船にシフトしていました。
運河の水深が4.0mなので、1000tを積載できるばら積み船(長さ67m、幅10.7m、喫水3.8m)なら航行可能。このサイズなら閘室内に2隻は入れそうな感じです。
水門のゲートは水圧を支える梁材に鋼板を貼り付けた構造になっています。水位差25mの水圧に耐えるには水路幅は大きいと梁材の背丈は大きくなります。そのために閘室の幅を船舶航行に支障しない最低幅12mを選定したようです。
効率的な航行には閘門での船舶の滞留時間を可能な限り短縮する必要があります。ヒルポルツシュタイン閘門は、毎分1.7mの速度で水位上昇が可能なポンプが付いているそうです。単純計算すると、約15分で上流側の運河と水位が同じになり、閘室から脱出が可能になります。
水量は190m×12m×25m=57,000m3、ポンプ能力は57,000m3÷15分=3800m3/分という計算になります。日本の排水機場の場合、ポンプの最大排水能力は50m3/秒、1台で50m3/秒×60秒=3000m3/分。概ね1台で揚・排水処理が可能という計算になります。
簡単にいうと、マイン・ドナウ運河は大きな排水機場が16基付いた水路と考える事もできます。
ヒルポルトシュタイン閘門の脇には小さな貯水池(閘室3基分?)が設置されていました。この貯水池と閘室をパイプで繋いで貴重な水の循環使用をしているのではと推定します。


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(出典:Google)

運河頂上部下流側のバッハハウゼン閘門の写真が掲載されていました。この閘門の水位差は17m、閘門ゲートの天端が頂上部の水位、手前の運河が下段面、この高低差が17mという事になります。


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Ⅲ 運河の建設
マイン・ドナウ運河は、1960年に工事を開始し、1992年に完成しました。32年の歳月を掛けて完成していました。工区割りをすれば10年位で出来そうなプロジェクトですが、途中、何らかの支障が出たようです。

1968年に完成したハウゼン閘門(水位差12m)の建設中と完成時の写真

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運河の標準断面は地方の一般部で底面で31mの幅、水深は4m。

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ニュールンベルク付近は底面で41m。都市部では広めにしてありました。


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レグニッツ川とドナウ川に水位差は107m、この高低差を利用した水力発電も別ルートの水路があれば可能ですし、ラインとドナウの水融通も可能、両河川の水資源開発の余地がまだまだ残されているようにも思えます。

Ⅳ 運河の運営方法
すべての閘門を4つの管理所(Neuses、Kriegenbrunn、ヒルポルツスタイン、ディートフルトデル・アルトミュール川)で遠隔操作しているそうです。センターには2名(日勤)、1名(夜勤)が配属されています。 管理操作システムの改良も行っています。

Ⅴ 貯水池と水収支
峠越えの運河では貯水池は閘門式運河の必須アイテム、貯水池がないと水位調節に必要な水を供給出来ません。昔の運河は閘室の水は上流の水路から供給するしかありません。水を下流に垂れ流して捨てている状況なので水路の頂点部に大きな貯水池が必要でした。1999年、フランスのミディ運河を視察をした時、連続5段閘門を登りきると、船溜まりも兼ねた大きな湖(貯水池)に出ました。ポンプが無かった時代にはこのような貯水池が運河の生命線といってもいいでしょう。
運河の頂上より少し低い場所のロス湖がその役割を果たしていました。貯水量は200万m3。それでは、ロス湖より高い閘門にどうやって水を運び上げるか?
毎秒35m3のポンプ場が5基設置されているそうです。ポンプ場は夜間および週末に安い電力価格を使用しているとか・・・。
自動翻訳の文章がうまく繋がらないのですが、ロト湖の水を最高点まで上げて、運河の水位降下時の水流を利用して水力発電を行っているのではないかと推定します。1994年の実績では1億m3の水を閘門に供給し、270万KWhの電力を生産したようです。
水位差25mのヒルポルトシュタイン閘門には電力の3 MWの水力発電所が設置されているとか・・・。

Ⅵ 事業化検討と経済効果 
ドナウマイン運河の建設費は23億ユーロ(3000億円)、連邦政府が1/3、バイエルン州政府は2/3を負担しました。運河の年間運営費は0.15億ユーロ(20億円)、通行料収入でその20%を残りを連邦が負担。
費用対効果分析が行われていました。1970年からこの運河を巡って政治論争も起きたとか・・・
1981年、連邦政府の運輸大臣が委託したPlancoコンサルティング社が実施、年間270万トンの想定輸送量からB/Cは0.52と計算しました。一方、ミュンヘンのIfo研究所が年間輸送量を550万トンと試算して(B/C≒1.0)、事業が継続されたようです。
運河の供用年数が不明ですが、仮に100年間の供用で計算すると、総便益は23億ユーロ(3000億円)、年間0.23億ユーロ(30億)の使用料収入がある事になります。
1992年9月25日にバイエルンマックスStreiblの首相立会のもとでオープニング式典が開催されました。


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1993年以降、この運河で運搬された貨物量は年平均600万トン、年最大運搬容量は1400万トンで設計されているとの事。2015年の日本全体の輸送量は46億t(車43億トン)なのでそれほど多くの量を扱っている訳ではありません。事業評価はCO2使用量をライフサイクルアセスメントなどで計算していることでしょう。
観光舟運の記載はないので不明・・・


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Ⅶ 環境対策
建設費の20%にあたる4.6億ユーロ(600億円)が建設中の自然に対する補償対策に費やされてきました。湿地600ヘクタールの破壊を通じて魚類、鳥類、両生類や植物の生物多様性の急激な減少があったことを判ったそうです。環境アセスメントも実施されたと思いますが、予想外の環境破壊も生じたようです。運河を介して他の環境リスク、いわゆる外来種の侵入も考えられます。

このような運河プロジェクトは、急流河川で流量の年間変動が大きい日本の河川には不向きでしょう。中国、アメリカ、ロシアなど緩流河川で一定量の流量がある大河川向きのプロジェクトだと思います。
次回からこれまでの旅日記に戻します。レーゲンスブルクの街歩きは、次号で・・・



by camino0810 | 2016-12-17 19:02 | ドイツ | Comments(0)