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2016年5月7日(土)ドイツ その77 シュトゥットガルト(4)

カンシュタットの堰の上流側のネッカー川は運河みたいでゆったりと流れていました。この川を貨物船が行き来しているようです。

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お天気も良く、気持ちの良い河畔の風景が拡がっていました。川は写真の上から下に流れています。

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右岸の河畔には遊歩道もありました。

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左岸の河畔にはスパが隣接していて、風呂上りのお客が裸で川を眺めていました。水辺のアクセスとしては申し分ありません。河畔道路をテラス替りに占有している訳で日本では考えられない光景です。


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閘門の上流側・・・橋には道路と鉄道が走っています。


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河畔公園のアート・・・芸術家?がスプレーアートの準備をしていました。土曜日のお昼に堂々と行っているところを見るとこの地区ではスプレーアートは公認されているように思います。


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作品群・・・

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彫像の落書きは如何なものか・・・

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U11のMercedesstraße(メルセデスシュトラッセ)橋上駅で中央駅行きの電車を待ちました。橋の上の駅も良く考える珍しい。東京では東急田園都市線の二子玉川駅、大阪では阪神電鉄の武庫川駅などを想い出しました。


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トラムの車内はボックス席でつり革がありません。

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トラムは途中まで地上を走ります。

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14時40分、中央駅で下車して市街地の街歩きを開始しました。メルセデスベンツはこの街に本社と工場があります。駅舎の塔の天辺にベンツのエンブレムが飾ってありました。シュトゥットガルトは豊田市のような企業城下町かもしれません。


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以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-01-25 04:52 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その76 シュトゥットガルト(3)

ネッカー川がどのような川か、少し調べてみました。この川は南ドイツの「黒い森」を源流にして、シュツットガルトを経由してマンハイムでライン川に合流している川です。
よく考えると日本の川でさえ上流から下流までどうなっているか、一気通貫に考えた事がありません。

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(出典 Google)
日本語版のWikipediaとドイツ語版のWikipediaを参照しました。

【ネッカー川】
流路長 367km
流域面積 14,000km2
源流標高 フィリンゲン=シュヴェニンゲン 706m
中間部標高 シュツットガルト       219m (河口から183km)
河口標高(ライン川合流部) マンハイム  95m
下流平均河床勾配 1/1500
上流平均河床勾配 1/400
年平均流量 145m3/秒
既往最大流量 2,690m3/秒

日本最大の流域面積を持つ利根川を同じ指標で比べてみると、産業舟運の盛んなネッカー川はシュツットガルトからマンハイムまでの区間の河床勾配は利根川より大きく、その勾配の水位差で水力発電も行っていました。舟運と発電の両方を行っているので27の堰と閘門がありました。ネッカー川流域には1年を通じて安定した流量もあるのもポイントだと思います。
ネッカー川の語源は「荒れた川」だったそうで、日本の荒川や鬼怒川と同じです。洪水については利根川の高水の約10%、雨降り方や河床勾配の関係でゆっくりと洪水が出てくる感じです。

【利根川】
流路長 322km
流域面積 17,000km2
源流標高 大水上山 1800m
中間部標高 伊勢崎市八斗島町 44m(河口から181km)
河口標高 銚子 0m
下流平均河床勾配 1/4100
上流平均河床勾配 1/80
年平均流量 290m3/秒(栗橋)
計画高水流量 22,000m3/秒

以下、日本版Wikipadia

河川の全長は367kmにおよび、主にバーデン=ヴュルテンベルク州内を流れ、下流域では、短い区間ではあるが、同州とヘッセン州との州境をなしている。
標高706mのフィリンゲン=シュヴェニンゲンの近くにあるシュヴェニンゲン・ムースに発し、標高95mのマンハイムでライン川に合流する。ネッカー川は、プロヒンゲンまで船での遡上が可能で、このためライン川、マイン川とともにバーデン=ヴュルテンベルク州内にある3つの連邦水路の一つとなっている。プロヒンゲン、シュトゥットガルト、ハイルブロン、マンハイムがその恩恵にあずかっている。
流域面積は、バーデン=ヴュルテンベルク州中央部の14,000km2に達する。工業用水、水運、水力発電と様々な用途に利用されており、河川環境に大きな影響を及ぼしている。平均流量は、145m3/sで、ドイツで10番目に大きな川である。

「ネッカー」の名は、ケルト語由来の「荒れた川」を意味する。元々「荒々しい」を意味する「nik」が語源となり、紀元前から「Nikros」と呼ばれていたが、「Nicarus」-「Neccarus」と変遷し、「Necker」となった後、現在の「Neckar」となった。

ネッカー川の舟運は1100年木材輸送から始まったそうです。800年間、「黒い森」の森林が燃料用のエネルギー源としてオランダまで筏流しで運搬されたとか・・・。江戸期の大都市江戸を支えたエネルギー源の木材は秩父から荒川(隅田川)経由で運ばれたのでしょう。何度かあった江戸の大火の後には更に需要が高まったと思われます。渓流を木材でダムにして一気に放流したとか・・・。

ネッカー川の利用が始まったのは1100年頃。以来、約800年間ネッカー川は、もっぱら木材輸送に用いられてきた。1476年、ネッカー川全流域の自由貿易に関する取り決めが合意され、シュヴァルツヴァルトの木材はこの川を通してオランダまで運ばれた。大航海時代に入り、より多くの木材が必要となったためである。プロヒンゲンではシュアヴァルトから伐り出された燃料用の木材が260mもの長さのいかだとなって川面を覆った。次第にいかだ流しは鉄道に完全に取って代わり、1899年、最後の筏がエスリンゲンを流れ下った。

本格的なネッカー川の舟運開発と電源開発は19世紀後半に始まったようです。ドイツが遅れた産業革命を成功させ、重工業が発展した時期と重なったようです。20世紀初頭、国や連邦が出資した「ネッカー株式会社」が閘門、水力発電所、運河を建設したとありました。

1713年まで大型船舶はハイルブロンまでしか航行できなかった。その後、シュトゥットガルト=カンシュタットまで改修がなされ、さらにエスリンゲン付近の改修がなされたことにより、プロヒンゲンまでの航行が可能となったのである。1873年のネッカー川航行規制によって規制が単純化されたことにより、他の物資の水上輸送が活発化し、その後15年間でネッカー川を航行する船舶数は3倍になった。当時の船は川をさかのぼる際には、牽引道から馬に引かれて遡上していたが、19世紀後半の鉄道と競合する上で、これは効率的な方法ではなかった。ネッカー川の水運が再び隆盛を見せるのは1878年のKettenschlepperei (「鎖による牽引の時代」)の始まりによってである。マンハイムとハイルブロンの間115kmを蒸気船が小舟を牽引してさかのぼることで、馬に引かせて5日から8日かかっていた行程を2、3日に短縮することができたのである。
しかし、洪水や流氷、渇水で航行が中止されるなど水運は不安定な状態は避けられず、1921年、閘門を建設し、大規模航路を開発する試みが始まった。ドイツ帝国、バーデン、ヘッセン、ヴュルテンブルクがこれに参加、さらに出資者を募って、ネッカー株式会社が創設された。初代の責任者にオットー・ヒルシュが就任し、ネッカー川の閘門建設、水力発電事業などを行うことになった。1935年、マンハイム-ハイルブロン間の11の閘門がまず完成し、ネッカー川のKettenschleppereiは終焉を告げ、200から300tの小舟は1,500tクラスの船舶に取って代わられた。
マンハイム-プロヒンゲン間の計画の上流部でも開発は進んだ。プロヒンゲンからフィル川をゲッピンゲンまで航行する大規模な計画もあった。ゲッピンゲンの港付近は1978年まで宇宙開発計画のあった場所である。ネッカー川の建築責任者であったオットー・コンツはシュヴェビッシュ・アルプにトンネルを掘り、ドナウ川のウルムまで航路を結ぶ計画も持っていた。
1935年以降進められた運河建設は難航し、1958年になってやっとシュトゥットガルト港が開港した。1968年のDeizisau閘門により運河化は完成した。川は27の閘門で仕切られ、マンハイムからプロヒンゲンまで航行可能となった。オットー・コンツは「ネッカー川の父」と呼ばれるようになった。

実際に歩いたシュトゥットガルトのカンシュタット水力発電所は1930年に発電を開始していました。


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1958年にシュトゥットガルト河川港が完成。

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【フィリンゲン=シュヴェニンゲン】
ネッカー川の源流のあるこの町は田園地帯の小さな町でした。ネッカー川の源流とドナウ川の源流は随分と近くにあり驚かされました。ネッカーの流域に落ちた水滴は1000km下流のロッテルダムにある北海に向かい、ちょっと離れた場所だと3000km下流の黒海に向かう事になります。

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ネッカー川の源流の小川・・・


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(出典 Google)
 
【チュービンゲン】
ネッカー川の源流とシュツットガルトの中間にある河畔の小さな町・・・旧市街はなんか中世の面影を留めている感じがします。
ネッカー川を直線化し運河状に改修していました。


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(出典 Google)


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(出典 Google)

【ハイルブロン】
人口12万のネッカー河畔の工業都市、ネッカー川のバイパスも兼ねた大きな運河港を開削していました。ネッカー川の産業舟運で発展した都市のようです。


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(出典 Google)

1648年、ウェストファリア条約でドイツ国内のカトリックとプロテスタントが融和し、同時に神聖ローマ帝国が事実上形骸化し、約300の領邦国家が出来たそうです。ハイルブロンはその独立領邦国家の一つになっていました。
1643年の鳥瞰図に当時の街の様子が描かれていました。ネッカー川の右岸側を完璧な城塞都市にしていました。左岸側は掘り取った土砂を盛って土塁にし、水を入れない空堀にした出先の要塞にし、両岸を連絡する橋を架けていました。ハイルブロン城の防衛力はかなり高いように感じます。
左岸の要塞には舟運用の荷揚げ用クレーンや筏流しの様子が描かれていました。この要塞の目的は何か?ハイルブロンの生活や経済を支える河川港の保護だったのかもしれません。
函館の五稜郭にも似た独特のお堀の形状は、当時の欧州のお城のプロトタイプのようにも思えます。


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(出典 Google)

ネッカー川とは別に専用運河港を開削して、水力発電用の堰と舟運用の閘門が建設されていました。

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(出典 Google)


Ⅲ ハイデルベルク

ハイデルベルクは、ライン川とネッカー川の合流点近くに位置する人口14万の歴史文化都市。ネッカー川及び旧市街を見下ろす高台にあるかつてのプファルツ選帝侯の宮廷であった城跡や、ドイツで最も古い大学ループレヒト=カールス大学で知られ、世界中の数多くの観光客や学者を惹きつけているそうです。


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(出典 Google)

この街の降水量は月平均60mmくらいで年間を通じて安定しています。多分、上流のネッカー川の流域は似たような感じかもしれません。ネッカー川の流況は安定しているので、水力発電、産業舟運に好都合なようです。

 1971年から2000年までのハイデルベルクの月別平均気温と降水量
         1月  2月 3月 4月  5月 6月  7月 8月  9月 10月 11月 12月
 気温(℃)   2.5  3.6 7.3  10.5 15.2 17.8 20.1 19.8 15.9 11.1 6.0 3.6 (平均 11.1)
 降水量 (mm)  48  44  53  49  77  79 81  56  64  64  68  63 745(平均 62)


【マンハイム】

ネッカー川はマンハイムでライン川と合流します。合流地点のライン本川の河道整理・直線化の痕跡に驚かされました。大昔のライン川はあちこち好き勝手に流路を変えて沢山の三日月湖を残していたようです。
川と共存するには人がそれなりに手を入れるのは日本もドイツも変わりありません。

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(出典 Google)

マンハイムは人口30万人を擁する大学都市で、シュトゥットガルトに次ぐ同州第2の都市です。かつてプファルツ選帝侯の宮廷所在地であったこの街は、現在ヨーロッパ有数の大都市圏であるライン=ネッカー広域連合の経済的・文化的中心都市となっているとありました。
ライン、ネッカーの洪水防御に加えて、沢山の河川港があることからも産業舟運も熱心な感じです。マンハイムは鉄道、空港、高速道路などの運輸インフラも豊富でした。その役割分担が気になるところです。


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(出典 Google)

マンハイム都心には円環道路(リング)の中に整然と区画された街区が拡がっていました。これまで見てきたドイツの旧市街の街路は不整形でしたが、この街は全く異質な形をしていました。何故、真四角の街区なのか?と思いました。


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(出典 Google)

答えは1645年の古地図にありました。30年宗教戦争の末期の街の様子には驚かされました。
現在の街区を囲うリングは17世紀の城塞都市のお堀と重なります。函館の五稜郭の上を行くマンハイムの七稜郭は2段重ねで、現在の真四角の街区はそのまま残されていました。


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(出典 Google)

ネッカー川の源流、中流、下流をざっと見てきました。ドイツの、川との濃いお付き合いを感じました。
再び、シュツットガルトの街歩きに戻ります。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2017-01-23 22:14 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その75 シュトゥットガルト(2)

普通なら市街地の街歩きから始めますが、電車が遅れた分残された時間が少なくなりました。13時に街歩きを始めましたが、17時には中央駅に戻る必要があったので4時間しかありません。
ネッカー河畔の道路地下化を見るのはドイツ旅行計画時点から立てていました。偶然にもケルンでその事例を見る事が出来ました。ケルンのライン河畔では6車線分の道路を地下化し、直上の公園は賑わいが出来ていました。
そんな事でネッカー川河畔のウィルヘルマを最初に見て時間があったら市街地を歩こうとという作戦にしました。


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(出典 Google)

ライン河畔のデュッセルドルフで河畔道路を地下化して直上を公園化した事例がこのネッカー川でも行われているのではと思って現地に行ったら空振りでした。
当日にアップしたFBの記事・・・

5月7日(土)、シュツットガルトは快晴、温暖。
列車事故で1時間40分遅れでシュッツットガルトに12時15分到着。
駅のロッカーに40Lのバックパックとお土産を入れた袋を預けて13時に街歩きを開始した。
最初に、地下鉄Uバーンでネッカー川河畔のWilhelma駅で下車して川歩きをした。河畔の道路を地下に入れて公園に変えた場所だと思っていたが、道路はまだしっかり地表に残っていた。事前の情報取りが甘かった訳だが、これはいつもの事だ。近くでNATMを施工していたのでいずれは地下化されるだろう。
大きな取水堰と閘門、水力発電所があった。観光舟運も盛んな様子だ。ただ、河畔の散策路は今ひとつの感じがした。
以下、省略

道路地下化はスカでしたが、ネッカー川の利用についてはいろいろと得るところがありました。正直な感想を言うと、この街もネッカー川をいい意味で「使い倒しているな」と感じました。水力発電、産業舟運、観光舟運それぞれにこの川を利用していました。ウルムやミュンヘンで見たドナウ川、イーザル川と似ているなと感じました。


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(出典 Google)

ネッカー川河畔のU14のウィルヘルマ(Wilhelma)駅で下車して川歩きをしました。


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ネッカー川の河畔には仮道路が設置されているところを見ると、河畔道路の地下化はこれからのようにも思えます。

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現場事務所の工事案内板には公園直下通るトンネル工事の案内図が掲示されていました。

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NATMトンネルの坑口が見えていました。公園とトンネルの離隔が小さく、二つのトンネルの離隔も小さいのでので難度の高いトンネル工事だと思います。

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ネッカー河畔の観光船は小型でした。
上流側・・・

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下流側・・・

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歩道橋を渡って右岸に行きました。歩道橋から下流側・・・河岸は自然河岸のようでした。

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ネッカー川はドルトムントで分岐したライン川の支川、全長360km、信濃川よりも長い河川でした。ここから上流5kmの地点には河川港がある事からも産業舟運は盛んなように思います。ウィルヘルマの堰で上下流の水位差が6mなので、河床勾配は800分の1程度だという計算になります。


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(出典 Google)

その一方で河川を横断する堰が設置されていました。水位差を必要する水力発電と水位差は通行の支障でしかない舟運とを両立させるにはどうしても閘門が必要です。
閘門は2基ありました。道路脇から見た感じで言うと、閘門の水位差は約6m、大きさは、幅10m、長さ150m程度でした。
写真は下流から見た閘門ですが、自称川屋にはゲートの形式が気になるところです。


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堰であれ、閘門であれ水門のゲートには、ゲートが上下にスライドするスライド式、観音開きのマイタ―式、起伏する起伏式、風船みたいに膨らむラバー式、ゲートが回転するラジアル式、ゲートが回転してスライドするローリング式などがあります。
日本の堰、ダム、水門、閘門にはスライド式、マイター式が多いように思います。いい機会なのでこれまで歩いて見てきたゲートをまとめてみました。

多摩川の二ヶ領宿河原堰・・・手前はスライド式、向こうは起伏式。スライド式ゲートを降ろし、起伏ゲート立てて、上流側を湛水し二ヶ領用水に導水します。洪水の時は2種類のゲートを降ろして洪水をスムーズに流します。

 
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隅田川の最上流部の赤羽にある岩淵新水門(青門)は、巨大なスライド式ゲートを引き上げた状態。荒川と隅田川は同一水位。洪水の時はこのゲートを降ろして荒川の洪水が隅田川に流れ込まないようにしている訳で、この水門には東京の守り神みたいな大事な役割があります。


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役割を終えた同じ赤羽の岩淵旧水門(赤門)はスライド式ゲートを引き上げて、上流の荒川と隅田川の水位差がありません。青山士が設計・監理した有名な水門です。


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旧淀川の入口の毛馬第一閘門はマイター式。

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大阪城の脇にある東横堀川のラジアル式ゲート。

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イギリスのバースのラジアル式ゲート。

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東横堀川にはマイタ―式ゲートもありました。

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旧北上川の北上運河の入り口にある石井閘門はマイター式。

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琵琶湖疏水の流入口の大津閘門もマイター式。

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現地ではいつも時間不足でワサワサと歩くだけで、不明な点がある時は後で判るよう写真を沢山撮ります。手前の閉じたゲートは鋼材に鋼板を貼ったゲートで真ん中に切れ目がないので、観音開きのマイター式には見えません。マイター式ゲートの開閉に必要な油圧シリンダーの類も見当たりません。スライド式ゲートだとゲートの高さ分、高い堰柱が必要ですが、堰柱は有りません。
2基の閘門の内、流芯に近い閘門は下流側のゲートが空いていますが、そのゲートが見当たりません。
とすると、ゲートを収容するスペースを
 ① 水路底より低い所に設置する。
 ② 閘門の脇に収容する横引き型にする。
なんとも言えませんが、水位差が約6mくらいなので①の可能性が高いような気もします。
一方、マイン・ドナウ運河には水位差が25mもあるヒルポルトシュタイン閘門がありましたが、①だと大事なので②ではないかと思います。


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写真左側の閘室の水位は下流面の水位と同じ、写真右側の閘室の水位は上流側の水位と同じです。このことからこの堰の上下流の水位差は約6mという計算になります。


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今度は堰のゲート形式が気になりました。スライド式、マイター式という感じはしません。


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堰柱の切り込み(戸当たり)にラック状のギアみたいなものが付いていました。戸当たりが斜めになっている行徳可動堰の改築前のローリングゲートを想い出しました。
このゲートは日本では適用事例の少ないローリングゲートではないかと思います。


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ローリングゲートは円筒状ゲートがゴロゴロ回転しながら上下するユニークなゲートです。
http://www.suiryoku.com/g_v/g_rollin/rolling0.html

この可動堰の目的は水力発電でした。ミュンヘンのイーザル川、ウルムのドナウ川と同様ネッカー川も電源開発が盛んな川だと思います。
可動堰の脇に発電用水の取り入れ口と発電機が入った茶色の建物がありました。


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バックホーのアームが写っています。取り入れ口のスクリーンに付着したゴミを除去するためでしょう。

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発電所の建屋・・・

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水力発電所の説明看板によると、この発電所は1930年から発電を開始しており、86年の歴史を持った発電所でした。年間CO2削減量が11,000tと記載してあるのが、環境立国ドイツらしいなと思います。

 発電出力 2.4MW(2400KW)
 年間発電量 11GWh
 CO2無発生電力 6800人分
 年間CO2削減量 11,000t
 最大流量 55m3/秒
 有効落差 5.26m
 運転開始 1930年

P(発電出力kW) = 9.8 × Q(m3/s) × He(m) × η
η:効率 0.6~0.85
ηを0.85として試算すると、説明の発電出力になりました。

2400≒9.8×55×5.26×0.85


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2016年11月、大船渡市の五葉山の太陽光発電所に行きました。73000枚のパネルで18MWが発電でき、5,800世帯分(17400人分)の電力を供給するそうです。

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日本でも農業用水路など利用した小水力発電が注目を浴びているようです。福島第一原発の問題も依然としてスッキリはしてないようです。
再生可能エネルギーの開発は益々大事になるように感じます。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-01-14 19:09 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その74 シュトゥットガルト(1)


12時15分、定刻より1時間40分遅れてベルリン東中央駅行きの電車は、シュトゥットガルト中央駅に到着しました。


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この駅はミュンヘン中央駅と似たタイプの直立式トップライト型のホームでした。


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駅舎は、自立式の土留め壁で大規模な改修工事を行っていました。くい打ち機で構台の支持杭を打っていました。

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通路に世界の著名な駅の写真が展示されていました。
巨大なライプチヒ中央駅・・・


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人気の原宿駅も判るけど、東京駅にして欲しかったです。


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リヨン駅はロココ風のゴージャスな駅舎みたいです。


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ニューヨーク中央駅は意外にも風格溢れる駅舎でした。

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シュトゥットガルト中央駅の通路は、デッキプレートを乗せただけの日本型の安上がりの屋根でした。


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構内の売店でお昼のサンドウィッチを買いました。

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フランクフルト空港駅行きのICEの時刻表を確認しました。
シュトゥットガルト中央駅発17時22分、フランクフルト空港駅着18時38分のICE572号で出発地の空港ホテルに戻ります。


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中央駅の玄関はお洒落なデザインでした。Sバーン、Uバーンの意味も判るようになりました。駅のロッカーに40Lのバックパックとお土産を入れた袋を預けて13時に街歩きを開始しました。


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今日は土曜日、駅前に民族衣装風の若い人たちが集まっていました。男子はチェックのシャツに半ズボン、女子は田舎ムスメ風の装い・・・
お祭りでもあるようです。


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シュトゥットガルトは、バーデン=ヴュルテンベルク州の州都で人口は約60万、フランクフルトと同程度の大都市でした。驚かされたのは、地下鉄が24路線もあることでした。人口1300万の首都圏でも地下鉄本数は13路線。この街では路面電車(トラム)を地下鉄に置き換えたのだろうと思います。
中央駅の地下からU14で市街地の北にあるネッカー河畔のWilhelma(ウィルヘルマ)へ向かいました。


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地下鉄構内・・・


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昼間から地元のサッカー応援団が電車の中で怪気炎を上げていました。ドイツ人はお祭り好きの国民だと感じました。


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以下、次号・・・・


by camino0810 | 2017-01-10 15:02 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その73 ミュンヘン~シュトゥットガルト

今日でドイツ滞在10日目、5月8日にフランクフルト空港から羽田に戻ります。
ミュンヘンを発ってシュトゥットガルトに立ち寄って今夜中にフランクフルト空港駅のホテルに入る必要がありました。


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(出典 Google)
7時55分、ホテルチェックアウト。これでミュンヘンともお別れです。


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ミュンヘン発8時10分 シュトゥットガルト着10時35分 ICE690に乗車しました。
久し振りのICEです。頭は扁平は顔つきをしていました。ミュンヘンとフランクフルト間は東北新幹線みたいな基幹新幹線だと思います。途中停車駅はアウグスブルクとウルム。


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朝ご飯は、駅構内の売店で買ったサンドウィッチ3.95ユーロ(510円)とコーヒー1.4ユーロ(180円)。


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お馴染みミュンヘン郊外のクラインガルテン・・・


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太陽光発電のモジュール群・・・


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麦畑とトラクター・・・


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白壁と赤屋根の民家群・・・

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途中停車駅のウルムに着く直前、車窓から線路脇に川が見えました。もしかしたら運河かもしれません。



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築堤の向こう側の運河の水面は手前の小川よりかなり高かったです。運河と思っていたら実はドナウ本川でした。


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ドナウ川のこの部分を切り出してみると、ドイツの川の使われ方がかなり理解できました。
治水、利水、環境という日本の河川の有り方を示す3つのキーワードが実践されているという感じです。
まず、洪水をスムーズに流下させるために河道を直線化していました。次に、堰を造って水力発電を行っていました。水力発電所は河床勾配に応じて一定の間隔で設置されていました。環境面は、河畔の砕石プラントで土砂を生産していましたが、採取跡地は湖に復元していました。ライプチヒ郊外の人造湖と似ています。堰の脇には魚道らしき水路も設置されており、ドイツ人の環境への拘りを感じさせます。
舟運については河床勾配が大きいので難しいようでした。一応、閘門らしき施設は付いてはいましたが、使用されている形跡がありません。中流部のドナウは勾配があるため水力発電利用がメーンにように思います。ミュンヘンのイーザル・ヴェルク運河と似ていました。


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(出典 Google)

堰と水力発電所・・・安定した流量を確保するため上流側の湛水面を大きくしてありました。


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(出典 Google)

砕石プラントの採取池は濁っていて、沈砂池も兼ねているようです。写真右側は採取跡地の復元湖ではないかと思います。


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(出典 Google)

電車がドナウ川を渡る直前、巨大な大聖堂が見えました。ウルム大聖堂でした。アインシュタインの生まれ故郷だそうです。
 
「地球の歩き方ドイツ2015~2016」によると・・・

「世界一高い塔を持つ大聖堂で有名なウルムは、中世以来ドナウの水運で栄えた町。色鮮やかな壁画で飾られた市庁舎にも、町の繁栄の名残が見て取れる。物理学者アルバート・アインシュタイン(1879~1955年)はウルム生まれ・・・


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ウルムの旧市街を見ると、これまで見てきた街と似たような様子です。リングに囲まれた旧市街は赤屋根の建物で埋まっています。この街は人口12万の大きな街ですが、ミュンヘンと同様に河川舟運で発展したとありますが、現在はその舟運も衰退したようです。


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(出典 Google)

ウルム大聖堂は1377年に建設が始まり、1890年に完成したとか、500年の工期とは驚きです。高さは161mで世界一だそうです。高さが157mケルン大聖堂のファサードよりも4mも高いとはもっと驚きです。


(出典 Google)

この大聖堂はゴシック式のルールどおり、主軸がキッチリ東西方向を向いていました。これまでの大聖堂との違いはファサードが1本、通常は2本が多いのですが・・・2本を1本にまとめて高みを目指したのかも。十字架の交点が祭壇側に寄っていて、尖塔はなく替りに短軸の両サイドに尖塔設けていました。まあ、ゴシック式といっても結構バリエーションがあるということでしょうか。


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(出典 Google)


菜の畑が見えてきました。ドイツ滞在も10日目になると車窓の風景がだんだん当たり前になってきて、新鮮味がなくなってきました。電車のドイツ人乗客たちは無感動な様子でしたが、考えてみれば当たりでしょう。


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自分も持っている「Online-Ticket」と同じ切符で乗車している方もいました。日本の新幹線はネットで購入しても従前の紙の切符に替えて使用しますが、ドイツでは自宅で購入印刷したキップでもOKです。


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シュトゥットガルトの一駅手前のゲッピンゲンという小さな駅で電車が停まりました。


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10時15分~11時48分まで1時間半の緊急停車でした。車掌さんに聞いてみたら衝突事故は発生したとの事、乗り換えた方が良いかと聞くと「乗車したままの待て」との事でした。
ドイツ人は、日本人、特にせっかちな自分と違ってノンビリしていました。ホームに裸足で座り込んでスマホで話したり、タバコを吸ったり、ビールを呑んで写真を撮ったり、日向ぼっこをしたりとこの椿事を楽しんでいる風にさえ見えました。


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この時の様子を時間潰しにFBにアップしていました。

5月7日(土)、ミュンヘンは快晴、温暖。
ホテルを7時55分にチェックアウト、慌ただしく8時10分発のICE690号に乗車した。
シュッツトガルトの一駅前のゲッピンゲンという駅で電車が緊急停車した。駅員に訊いたらクラッシュ事故が発生したと言う。「どうすればいい」と問うと、彼は「Wait」と苦笑いしながら応えた。
10時15分に停車してもうすぐ1時間が経つ。
最悪シュッツトガルトを諦めて、夕刻までにはフランクフルト空港駅に着かなければならない。
それにしてもドイツ人は大らかだ。ホームに座り込んでスマホで話したり、タバコを吸ったり、ビールを呑んで写真を撮ったり、この椿事を楽しんでいる風にさえ見える。
日本人ならそろそろカリカリし始める頃だ。


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電車はシュトゥットガルト郊外に入りました。斜面には一面にブドウ畑が広がっていました。


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ドイツの中核都市の中央駅は行き止まりの駅が多いように感じます。この駅にもたくさんの引込み線がありました。

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12時15分、定刻より1時間40分遅れてシュトゥットガルト中央駅に到着しました。
これまでのパターンでは予約したホテルに行って40Lのバックパックを預けますが、夕刻にはフランクフルト空港駅に向かいます。駅構内のコインロッカー(3ユーロ:390円)に荷物やお土産を入れて街歩きに出掛けました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2017-01-07 10:40 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月6日(金)ドイツ その72 ミュンヘン(3)

18時過ぎ、旧市街の路地を歩いてホテルに戻りました。
ミュンヘンの街も街路に面した赤屋根の建物の内部に立派な中庭を備えていました。

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路地裏でも建物のスカイラインは綺麗に揃えていました。

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「クリムト&春画」展のポスターが・・・

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ドイツ土産を旧市街のスーパーで買いました。チョコレートやビスケットなどにしました。その後はお決まりの「物価調査」を始めました。日本に比べて同程か少し高めの印象を受けました。

お肉コーナー、100g単位は日本と同じ。イギリス、フランスは1kg単位だった記憶があります。
ザックリ鶏は2ユーロ(260円)、牛4ユーロ(520円)、豚3ユーロ(390円)。


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野菜コーナーには豊富な種類の野菜が並んでいました。白菜もありました。1kg3.5ユーロ(460円)。

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豊富な種類のキノコが並んでいました。

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ジャガイモは、1kg2ユーロ(260円)、ショウガは100g1ユーロ(130円)。

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小腹が空いたので、休憩も兼て路地裏のカフェのテラス席で一休みしました。このカフェは、レーゲンスブルクのカフェで飲んだ「Hacker-Pschorr」というビールの専門店でした。


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お客はビールの大ジョッキを飲みながら楽しげに話していましたが、スープ3.5ユーロ(460円)にしました。肉団子はすこし臭みがありましたが、美味しかったです。

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ドイツ人は定置式水平ジブクレーンがお好みのようです。路地裏の建物の改修に台座付きのクレーンを使っていました。

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壁一面をレリーフにしたシックな建物もありました。


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天使が醜悪な鬼を懲らしめていました。日本ではお寺の山門で仁王様が鬼を懲らしめたりします。洋の東西を問わず、勧善懲悪の考えは共通しているようです。


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19時50分、旧市街の入り口にあるカールス広場まで戻ってきました。西日がきつくなってきました。それにしてもこの広場の人だかりには驚かされました。


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駅前通り・・・

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またもや「「春画&クリムト」展のポスター・・・日本の浮世絵とクリムトを関連付けた展覧会のようです。


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ミュンヘン中央駅まで戻って来ました。構内の寿司ショップに立ち寄りました。海苔巻きは「sushi、wrap」、海苔巻きとにぎりの詰め合わせは「bento,boxen」。海苔巻きは1本2ユーロ(260円)、詰め合わせは5.9ユーロ(770円)~15.9ユーロ(2100円)、お値段が張るのでスルーしました。

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20時、ホテルに戻りました。
この日は朝からオーバーアマガウに行って、戻ったその足でミュンヘンのさわり部分を歩きました。相当疲れました。
翌日は、シュツットガルトに寄ってフランクフルト空港駅まで戻ります。
ドイツ旅行もいよいよ最終段階に入りました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-01-04 10:47 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月6日(金)ドイツ その71 ミュンヘン(2)

17時50分、イーザル門を潜り抜けてルードヴィッヒス橋の袂まで来ました。日の入りは21時なので街歩きの時間はたっぷり残されています。


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(出典 Google)

この橋の親柱は随分と凝った装飾が施されていました。

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最初にイーザル・ヴェルク運河を渡りました。運河は写真上から下に流れています。写真左は中の島にあるドイツ博物館。

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中の島を越えるとイーザル川がありました。川は写真上から下に流れています。イーザル川の方は流れがあり、水深も浅かったです。水は澄んでいました。

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イーザル川右岸の河畔道路を上流方向に歩いてみました。建物→車道→河畔散策路→高水護岸の並び、建物は川を向いています。

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ルードヴィッヒス橋とイーザル川、良い眺めでした。川は写真左から右に流れています。

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川の中に入ってラインフィッシングをしていた釣り人が河畔に上がって、地元の人と何やら会話をしていました。都心の川で釣りとは何とも羨ましい限り。

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引き返してイーザル川右岸の河畔を下流方向に歩きました。この川はドナウ川の支流、源流はアルプスなので雪解け水が瀬となって流れていました。水量もあり、中流域のセグメント1といった河相でした。

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少し下流に行くと礫河原に着きました。粒径が10cm位の円礫が一面に拡がっていて、沢山の人が寛いでいました。川を縦断する堰が見えていました。堰の向こう側はイーザル・ヴェルク運河、イーザル川との水位差は7~8m位はありそうでした。

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正直、この光景に驚かされました。都心にこれほど自然があり、皆、当たり前のように河原で楽しんでいるのは自称川屋にはなんとも羨ましい限りです。なんといっても文句なしの水辺のアクセスでした。

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当日にアップしたFBの記事・・・

5月6日(金)、ミュンヘンは快晴、温暖。
16時30分、オーバーアマガウからミュンヘンに戻って、その足で街歩きを開始した。流石にこの街はドイツで3番目に大きい街だけの事はある。これまで歩いてきた街とはスケールが違っていた。

途中省略

旧市街の城門を抜けると2本の川があった。ドナウの支川イーザル川が分派していた。東側の川の礫河原では沢山の人たちが水着姿で日光浴をしたりビールを飲んではしゃいでいた。
こんな都市内河川の使われ方を見たのは初めての事だ。日本の都市内河川では大阪の旧淀川の人工海浜以外に見た事がない有り得ない姿だが、成程、この手もありかと感心させられた。


礫河原がある事からもイーザル川は相当の急勾配の河川だと思います。日本でいえば、京都の賀茂川や高野川に似た感じですが、せいぜい散策程度。ミュンヘンの人たちにとってイーザル川の河原は海水浴の砂浜替りみたいなものなのでしょう。


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右岸河畔公園を抜けて中の島に向かいました。

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中の島に渡る歩道橋・・・


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橋の上からからイーザル川を眺めました。川は写真下から上に流れています。清流が川一杯に流れていて水深は1mもないくらいでした。河床の礫も透けて見えていました。


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橋から上流を眺めました。川は写真右から左に流れています。左岸の河原にも沢山の人がいました。この1枚を撮影出来て幸運だったなと思いました。

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運河に架かるマリアンネン橋から運河を観ました。運河は写真下から上に流れています。勾配が小さいので流れもゆったりしていました。


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運河の上流側、写真左は堰、向こう側にイーザル川が流れています。

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ミュンヘンの街は12世紀ごろから発展が始まり、ザルツブルクなど塩の産地とドイツ北部を結ぶ交通の要衝にあり、商業で栄えた街だそうです。中世から近世にかけて、ドイツ国境に近いオーストリアのザルツブルグの塩をどうやってこの街まで運搬したか。ザルツブルグはミュンヘンの約150km西にあります。
ザルツブルグはドナウ川の支川イン川河畔の街、国境線にもなっているイン川を下ってドナウ本川を上って、支川イーザル川に入る舟運ルートがあったのではないか。
運搬には船に塩を載せて運搬する方法と塩を馬か馬車に載せて運搬する方法が考えられます。水運ルートは四角形の3辺を行くかなり冗長なルートで、陸上のルートの3倍くらいはありますが、輸送途中の安全確保も含めて重くて嵩のある運搬物は船の方が楽だったのではないか。

ミュンヘン市街地のイーザル川は上流の背割堤から下流の堰まで概ね800m、水面差が約8mくらいなので、河床勾配は概ね1/100とかなり急勾配河川だと推定されます。
イーザル・ヴェルク運河には閘門が見当たりません。下流端の落差工でイーザル川と摺りついていました。そうするとこの運河の役目は何だったのか。舟運用の運河ならこの落差工で荷物の積み替え作業が発生して厄介です。都市用水路や農業用かんがい水路かもしれません。


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(出典 Google)

イーザル・ヴェルク運河は途中からイーザル川と離れて北20kmのミュンヘン空港を越えた地点で再びイーザル川と合流していました。
とすると、やはりこの運河は舟運用水路、農業用かんがい水路だったと考えられます。
これまでマイン川、ライン川、エルベ川、ドナウ川を見てきましたが、どの川にもGoogleの地図には必ず船舶や河川港が写っていました。しかし、イーザル・ヴェルク運河には閘門も船舶の写真もありません。
バイエルン王ルートヴィッヒ1世(在位1825~1848年)は、鉄道などの運輸インフラにも熱心な国王だったようです。この時期を境に運河は舟運の役割を終えたように思います。イギリスの8000kmの運河が鉄道の出現によって衰退したのと同じでしょう。

現在の運河は、発電、都市用水、かんがい、観光、修景、環境保全の役割を果たしているように感じました。イーザル川の急勾配を利用した水力発電所が一定の間隔で設置されていました。
2011年のフクシマ事故でドイツのエネルギー政策は原発の新規開発を中止しました。水力のような再生可能エネルギーの再開発が始まっているのでしょう。


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(出典 Google)

運河脇には立派な教会が建っていました。


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建物→車道→河畔散策路→運河の順番になっていました。


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再び、旧市街に戻ってお土産などを買ってホテルに戻りました。
以下、次号・・・




by camino0810 | 2017-01-04 06:20 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月6日(金)ドイツ その70 ミュンヘン(1)

お馴染み「地球の歩き方」ドイツ(2015~2016)にミュンヘンは以下のように紹介されていました。

「ドイツ南部に広がるバイエルン州の州都ミュンヘンは、ベルリン、ハンブルクに次ぐドイツ第3の大都市。しかし都会というよりも、田舎町のようにのどかなあたたかさを感じる。人々はお祭り騒ぎが大好きで、市内には巨大なビアホールが何軒もあり、ジョッキ片手のおしゃべりは果てることがない。その頂点は、毎年9月下旬から開催される世界最大のビール祭りオクトーバーフェストだ。
町の発展は12世紀ごろから始まった。ザルツブルクなど塩の産地とドイツ北部を結ぶ交通の要衝にあり、商業で栄えた。ヴィッテルスバッハ家の居城レジデンツがおかれ、華やかな宮廷文化が花開いた。ギリシア・ローマの古典芸術を愛したバイエルン王ルートヴィッヒ1世(在位1825~1848年)は、いくつもの博物館や大学を創立し、ミュンヘンを「イーザル河畔のアテネ」と称される都に造り上げた」

16時30分、オーバーアマガウからミュンヘン中央駅に戻ってそのままミュンヘンの街歩きを開始しました。
ミュンヘン中央駅の東口から駅前通りに入りました。駅前通りは車を排除した歩行者優先道路になっていました。


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ミュンヘンは大きな街ですが、時間もないので歩いたのは旧市街のさわりの部分だけでした。


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(出典 Google)

電車通りに出てみました。


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格式の高い風格に溢れた裁判所に出会いました。


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ミュンヘン旧市街のメーン通りであるカウフィンガー通りの入り口には大きな城門がありました。


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カールス門を潜るとミュンヘン旧市街の核心部がありました。


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カウフィンガー通りを東の方に歩きました。この通りは平日の金曜日でも沢山の人で大賑わいでした。フランフルト、ケルン、ライプチヒ、ドレスデン、バンベルク、レーゲンスブルクでもメーン通りは車を排除した歩行者天国にしてありました。日本の銀座など行っている時間制限を掛けて一時的に車道を解放するやり方とは違って、常時「ホコテン」にしてあるのがミソだと思います。


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ミハエル教会のファサードはのっぺりしていました。


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フラウエン教会はミュンヘン最大の教会ですが、現在、足場を掛けて補修中でした。


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ドイツ人はアスパラが大好きのようです。ちょうどシーズンのようでした。1kg、8ユーロ(1040円)くらい。


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カウフィンガー通りは大賑わい、車を排除した方が街が元気になるように思います。


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マリエン広場まで来ました。ミュンヘンといえば、新市庁舎前のマリエン広場だそうです。


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(出典 Google)

新市庁舎はネオゴシック様式(建築期間:1867年~1909年)だそうです。明治初期に42年という長い工期を掛けて完成させていました。これまで見てきた欧州の大聖堂と似た気分を感じさせる風格のある建物でした。正直な感想を言うと、最初は自分には変則的なゴシック様式の大聖堂にしか見えませんでした。後で、市庁舎と判って驚いたものです。


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ミュンヘンの核心部を歩いてみて不思議に思ったことがあります。ミュンヘンの中心部には、これまで歩いて来た欧州の歴史のある大きな街に付き物の大聖堂が見当たらなかった事でした。
フランクフルト、ケルン、バンベルク、レーゲンスブルクには「DOM」(大聖堂)と命名された大聖堂が街の中心部にありました。フラウエン教会は大きな教会施設ですが、「KIRCHE」(教会)という名称でした。(ご当地の観光地図には”括弧付き”で「DOM」の名称が使われていましたが・・・)
いずれにせよフラウエン教会は、教区の司教座がある大聖堂ではないように思います。
冒頭の地球の歩き方のミュンヘンの概要にみるように、この街は経済的な発展を遂げてその地位を獲得した街のようです。
バイエルン王ルートヴィッヒ1世はマイン・ドナウ運河や鉄道を造るなど産業インフラにも熱心だった国王だったようです。マズローの欲求5段階説という学説にあるとおり、衣食住などの基礎的な欲求が満たされると、人は他の人から尊敬を求めるようなになるものだと言われています。ルートヴィッヒ1世は産業インフラによって蓄積した財力を文化的で風格のある施設建設に投入したのではないか・・・
見方を変えると、ミュンヘンは意図して造られた歴史文化都市なのではと思います。新市庁舎は意図して造られた「大聖堂」、意図して造られた「ヘソ」となる建造物だと個人的には思います。そういえば、ルートヴィッヒ2世のノイシュバンシュタイン城も似たようなものかもしれません。


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マリエン広場も大賑わいでした。これこそ「広場」というものでしょう。


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新市庁舎のお隣に旧市庁舎がありました。建物の下を通路にするのはバイエルンでは当たりまえだったのかも・・・


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旧市庁舎には渡り廊下も付いていました。街の発展で庁舎が手狭になったのかも・・・


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聖霊教会のファサードは何となくミハエル教会に似た感じでした。


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さらにカウフィンガー通りを東に歩きましたが、賑わいも続いていました。


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リングの外周部にあたるイーザル門まで来ました。バランスの悪い少し違和感のある城門でした。


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この部分のリングは道路に変わっていました。中世頃はお堀だったのかもしれません。


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当日、FBにアップした記事です。
8か月前に書いた記事の内容はすっかり忘れ去っていますが、「人口規模は建物の階数のみに反映される」とか「大河の流れを構成する水の粒子みたいな気分」など我ながらうまい事を思いついたものだと感心しました。

5月6日(金)、ミュンヘンは快晴、温暖。
16時30分、オーバーアマガウからミュンヘンに戻って、その足で街歩きを開始した。流石にこの街はドイツで3番目に大きい街だけの事はある。これまで歩いてきた街とはスケールが違っていた。
面白い事に気付いた。
これまで見てきた街の建物の構造やデザインの事だが、基本パターンはほとんど同じで、街の人口規模に応じてその階数だけが変わるという事だ。バンベルクは2階建て、レーゲンスブルクは3階建て、ミュンヘンは5階建てといった具合に街の大中小は、鉛直方向のみに反映されていた。
ミュンヘンの駅前大通りはレーゲンスブルクの大通りと似た造りだった。人車一体型で中央が最も低くなるように水勾配を付けていた。レーゲンスブルクの大通りは幅が約15mくらいだったが、ミュンヘンのは約30mもある。
この大通りを大勢の人がゾロゾロと道一杯に一斉に歩いて行く。渋谷センター街も顔負けの混雑振りだ。何となく自分も大河の流れを構成する水の粒子みたいな気分になってゾロゾロと皆の後を付いていった。
この街もリング状の道路に囲まれた旧市街に歴史的建造物が集中していた。ゴシック仕様の建物が市役所とは何とも贅沢な街だが、大聖堂が見当たらなかった。自分の経験則では必ず大聖堂が旧市街の中心部にあるはずなのだが・・・不思議な街でもある。
旧市街の城門を抜けると2本の川があった。ドナウの支川イーザル川が分派していた。東側の川の礫河原では沢山の人たちが水着姿で日光浴をしたりビールを飲んではしゃいでいた。
こんな都市内河川の使われ方を見たのは初めての事だ。日本の都市内河川では大阪の旧淀川の人工海浜以外に見た事がない有り得ない姿だが、成程、この手もありかと感心させられた。
20時、ホテル着。歩き疲れた一日がやっと終わる。
明日は、シュツットガルトに寄ってフランクフルト空港駅に戻る。ドイツ旅行も最終段階に入った。

引き続き、イーザル川の運河と川の周囲を歩きました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-01-02 10:05 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月6日(金)ドイツ その69 オーバーアマガウ(3)

14時を過ぎると広場には観光客が集まってきました。

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避暑地のこんなカフェでノンビリと時間を過ごすのが本来の姿でしょうが、貧乏暇なしの自分はやり過ごす以外にありません。フレスコ画は宗教画ばかりと思っていたらそうでもありません。題材は割と自由なようでした。


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キリスト受難劇場はピカピカの現代的な建物でした。


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街はずれのホテルには万国旗が揚がっていました。


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旗の掲載国の並びにはいつも注意を払います。この地方と各国との距離感が何となく推測できるからです。上からバイエルン州、ドイツ連邦、ロシア、アメリカ、EU,イタリア、スペイン、フランス、日本、ウクライナ、イギリス、カナダ。一番下はノイシュバンシュタイン城に執心したバイエルン王ルートヴィヒ2世でした。
ロシアやウクライナと近いのは意外でした。何か特別な関係があるようです。ドイツの辺境の観光地に韓国や中国パワーがまだ及んでいない事が判り少し安心しました。


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マッターホルン?ともお別れです。


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ガソリンのお値段は、軽油は1Lあたり1.079ユーロ(140円)、ガソリンは1.279ユーロ(170円)、日本よりかなり高めのお値段でした。


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駅のホームにはお馴染みの赤い電車が待っていました。



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帰りの電車は
オーバーアマガウ発14時38分 ムルナウ着15時19分 RB59574
ムルナウ発15時32分発 ミュンヘン着16時26分  RB59476


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テーブル付きのボックス席には観光案内が印刷されていました。


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乗換駅のムルナウに到着、乗り換え時間を利用して外に出てみました。ドイツを含め欧州の駅は改札がないので自由に出入りが出来るのでこういう時は便利です。


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雪を頂いたアルプスの山々が彼方に見えました。


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駅前には小さい電気機関車が展示していました。

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駅前でラウンドアバウトに出会いました。ケルン駅前で見て以来2回目になりました。2015年のイギリスでは車で全土を縦断したので大きいサイズから子供サイズまで沢山のラウンドアバウトを通りました。ドイツは地図も結構見てきましたが、ラウンドアバウトはこれからかもしれません。


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大きな湖が見えてきました。シュタルンベルク湖でした。


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電車は湖の近くを走るので湖畔の様子がよく判りました。


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「S」のマークは「Sバーン」という郊外列車のロゴです。ミュンヘンはもうすぐです。


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ヨットのセーリングなども行われており、この湖の観光価値は相当高い様に感じました。


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定刻16時26分にミュンヘン中央駅に到着、ミュンヘンの旧市街の街歩きを開始しました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-01-01 14:10 | ドイツ | Comments(0)