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2017年5月1日(月)ドイツⅡ その26 リューベック(4)

15時過ぎ、市庁舎に隣接する聖マリア教会までやってきました。尖塔の一部を足場を組んで補修していました。


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聖マリア教会は、1250年~1350年に築造されたゴシック式の教会だそうです。建設工期は100年、じっくり時間を掛けて赤いレンガを積み上げたようです。ケルン大聖堂の建設工期は1248年~1880年、同時期から開始して600年を超える時間を掛けて160mの巨大な聖堂を築き上げました。日本とワンオーダー違う時間軸の長さを感じます。
この教会は2本の巨大なファサードや大きな聖堂を支える跳び梁がついているなどこれまで観てきた大聖堂に近い骨格を備えた大きな教会でした。


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2本のファサードはキッチリ西を向いていましたが、十字架の形はしていません。旧市街地の真ん中の臍にあたる場所にあり、最も高い場所に立地している教会でした。市庁舎やマルクト広場も隣にあります。自分の感覚だと大聖堂の方が相応しいと感じましたが、大聖堂は旧市街地の南外れの低位置にあります。
何故か?

そういえば、ハンブルクの正式名称は「自由ハンザ都市ハンブルク(Freie und Hansestadt Hamburg)」でした。

自由都市の説明はWikipediaによれば

「自由都市とは本来、司教都市の中で、司教や大司教の統制から脱して皇帝直属の地位を得た都市が、他の帝国都市(貢納や軍役の義務を負う)と異なって貢納や軍役などから自由であったことを意味していた」

自治権を有する商業都市といった感じでしょうか。中世の統治ルールに縛られない独自の統治をしていたのではないかと思います。納税や兵役の義務がないのは実にありがたいことです。現在流にいえば、「経済特区」という気分を感じます。

中世から近世にかけてリューベックはハンザ同盟の盟主として経済的な繁栄をずっと維持した商業都市でした。この街は、自由なハンザ同盟の盟主、宗教よりも経済力が優位した結果、大聖堂は少し遠慮がちなスタンスにあったのではないかと想像します。
リューベックの歴史は日本語版のWikipediaには次のように記載されていました。12世紀に街の建設が始まり、ハンザ同盟の盟主として北海・バルト海の交易で独占的な地位を占めたものの近世に入りハンザ同盟の衰退に追随して衰退したとあります。

1143年、ホルシュタイン伯アドルフ2世によって建設された。一旦火事で荒廃したものの、ザクセンのハインリヒ獅子公によって再建された。1226年に帝国都市となる。北海・バルト海交易で一時期独占的な地位を築いたハンザ同盟の盟主でもあった。リューベック商人は、ノルウェーのベルゲンに商館を築き、ノルウェーの鱈を南に売却して大きな利益をあげた。また、リューネブルクの岩塩をおさえたことで、塩漬け鰊(ニシン)でも独占的な地位を誇った。近世にはいると、ハンザ同盟の衰退とともに、リューベックも衰退していった。
1806年の神聖ローマ帝国解体により主権国家となるが、ナポレオン戦争に巻き込まれ、1811年から1813年までフランス帝国に併合される。ナポレオンの没落にともない1813年に独立を回復するが、1815年にドイツ連邦に参加する。1867年には北ドイツ連邦に参加し、1871年のドイツ帝国成立に伴い、同国の州となる。ヴァイマル共和国時代も州の地位を保ったが、ナチス政権下の1937年にプロイセン州に併合され、同州の属州であるシュレースヴィヒ=ホルシュタインに編入される。
第二次世界大戦中は空襲を受け、戦後はイギリスの占領下におかれるが、ソ連占領地区(後の東ドイツ)に近接し、後背地とは鉄のカーテンに分断されることとなる。当時、東ドイツからの10万人の亡命者により人口が急増した。その後リューベックは州の地位を回復することなく、プロイセン州解体により西ドイツの連邦州に昇格したシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の一部として現在に至る。

中世、リューベックは南北2km、東西1kmと広くはない旧市街に随分と沢山の教会の尖塔が建っていました。これだけ塔が林立している絵柄も珍しいでしょう。
何故か? 


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(出展 Wikipedia)


「百塔のプラハ」と呼ばれるチェコのプラハには沢山の塔で有名な観光地ですが、中世の宗教・文化的な影響力や支配力を色濃く残した街ではないかと感じます。しかし、リューベックの歴史を概観しても、司教座のある大聖堂があるにせよ、宗教的あるいは文化的な影響力が支配的な街であったとは言い難いように感じました。
リューベックはハンザ同盟の盟主だったことからも基本的に商人の街だったように感じます。交易で財を築いた商人たちが競って塔の建設に寄進してその存在をアピールしたのではないかと考えてみました。豪商の競い合いの結果、沢山の塔ができたのではないか。
西洋社会では寄付の習慣が定着しています。古今東西を問わず、大きな富を築いた人たちは寄付や寄進でその富を社会に還元することはよく知られています。
アッピア街道は貴族の寄進できた道路で寄進した貴族の名前が街道の名称になっていると聞いたことがあります。ダイナマイトを発明して大富豪となったノーベルのノーベル財団、石油王ロックフェラーのロックフェラー財団、英国の化学者スミソンの遺贈した基金でできたワシントンDCのスミソニアン協会などなど・・・
日本の場合、宗教施設への寄進もあったとは思いますが、水路、分水施設のような水インフラ、新田開発など農業インフラなどに事業資金を提供したり、自ら工事を指揮したようです。
大分県日田の豪商広瀬久兵衛は、小ヶ瀬井路の開鑿、筑後川舟運の中城河岸の設置、周防灘沿岸の豊後呉崎、豊前久兵衛、筑前千早などの新田開発をはじめ公共土木事業にも力を尽くした人でした。
朱印船貿易で巨利を得た角倉了以は大堰川 の浚渫,疎通をはじめとして,富士川 ,天竜川 ,高瀬川 などの開削を行い,これらの河川を利用してまた資産を成した優れた実業家でもありました。

リューベックのドイツ語版のWikipediaに昔の絵図面が掲載されていました。ドイツ語は不如意でも絵柄ならそれなりに理解はできます。
1750年のリューベックは周囲を稲妻型の川と運河で守られた防衛力の高い城塞都市でした。ブレーメン、ハンブルクも似たような稲妻型の川や運河を持った城塞都市でした。ハンザ同盟の都市の形に共通した要塞都市のコンセプトを感じます。


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(出展 Wikipedia)


ちなみに大聖堂は1942年イギリス軍の爆撃により被災しましたが、尖塔の破壊は免れたようでした。ブレーメンの大聖堂は片方の尖塔が途中から折れてしまいましたが、連合軍もそれなりに配慮したのかもしれません。


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(出展 Wikipedia)

リューベックの水辺はアクセスが大変良いのが特徴ですが、裏を返せば洪水への防御力が小さいということになります。ただ、リューベックの周囲には放水路や遊水地のような洪水防御インフラが見当たらなかったので、トラヴェ川の流域は元々大きな雨が降らない地域かもしれません。
あるいは、トラヴェ川の流域が保水力の高い豊かな森林や草原で占められいて流域に降った雨の出方がゆっくりしているのかもしれません。
旧市街はお椀を伏せた形をしています。トラヴェ川やトラヴェ運河沿いの低い場所は一定の範囲までは冠水するのを覚悟の上で荷役施設、倉庫や住居を造ったのかもしれません。発生頻度が少ないであろう洪水被害よりは普段の経済的あるいは商業的な利便性を優先させた街づくりだったのかもしれません。2011年の東日本大震災後の復興街づくりのようなコンセプトがあったのかもしれません。リューベックは防潮堤を省略し、低平地には商業施設、高標高部は行政・宗教施設や住居などを配置したのかも・・・。
別の考え方もあります。
木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が合流する永島地区には輪中堤と呼ばれる特殊な堤防が残っているそうです。洪水から生活を守るために集落毎に堤防を築きました。川を堤防で閉じ込める通常の発想とは真逆の、自らを堤防内に閉じ込める逆転の発想です。
中世のリューベックの絵図面には運河沿いに城壁を巡らせていました。つまり、城壁に軍事上の防御機能に加えて洪水防御も兼用させたのではとも考えられます。城門の出入り口にゲート(陸閘)を設置すれば洪水防御も可能ですし、普段の経済活動にも支障がないでしょう。
現在、城壁が撤去され北側の城門だけが保存されているのは生活や経済の利便性が優先されたからだと思います。
Wikipediaには1904年の12月の洪水の記録写真が掲載されていました。旧市街の一部が冠水した写真でした。ケルン(ライン川)やプラハ(エルベ川)には河畔の散策路に洪水防止板を嵌め込む支柱用の基礎がありましたが、リューベックでは確認できませんでした。もしそうだとすれば水害を考慮する必要のない恵まれた街なのかもしれません。



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(出展 Wikipedia)

聖マリア教会の裏手を歩いてみました。


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聖マリア教会の裏手で観光客がスナップ写真を撮っていました。悪魔の彫像が観光スポットになっていました。


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「悪魔の石」に腰かけた「悪魔」は意外にも人の好さそうな愛嬌のある顔、姿をしていました。裸で尻尾があり、片方の足は馬みたいな蹄の足でした。

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英語版の説明書きがありました。

「聖マリア教会の最初の礎石が座った時、悪魔は建物はワインバーになると勘違いしました。悪魔はいい考えだと思い、建設職人を応援しました。建築がどんどん進んで教会の姿になりました。悪魔は騙されたと思い、怒りに震えて大きな石で完成した教会を壊そうとしました。勇気のある仲間が「隣にワインバーを造るから出来上がった教会を壊すのは止めて」と約束して彼の怒りを鎮めました。この悪魔の石には、悪魔の爪痕が残っているそうです。建設職人が教会の反対側にある市庁舎にワインセラーを造りました」



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聖マリア教会の道路を挟んだ反対側に『ブッデンブローク家の人々』の舞台になった建物が保存されていました。トーマス・マンはリューベックの出身、そう言えば、『ブリキの太鼓』の作者ギュンターグラスもリューベック出身だそうです。ノーベル文学賞の受賞者を二人も生み出した街でもある訳で文化・芸術方面でも卓越した街でした。



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大通りに戻って北に向かって坂道を下っていきました。


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聖ヤコブ教会の尖塔が近づいてきました。リューベックの宗教施設は屋根が緑色、壁はレンガの赤色で統一されていました。


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大通りに直交する坂道もまた風情を感じます。


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聖ヤコブ教会は北の端にあるせいか、少し小振りな教会でしたが、風格に溢れた教会でした。


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教会前は石張りで広々した広場になっていました。


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住宅と思われる建物は白色、モルタル壁かもしれません。


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小さい公園がありました。


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旧市街の北側の城門まで歩いてきました。旧市街の防衛の要に相応しい大きな見張り塔は高さが40mはあるでしょうか。


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当日のフェイスブックにアップした記事・・・現場を歩いた時の感想がリアルに記されていました。

5月1日(月)リューベックは晴れ、温暖。
ホテルで一眠りして13時から街歩きを始めた。実は駅からホテルまでの約2キロの歩きで気持ち的には既に腹一杯になっていた。旧市街を取り囲むトラヴェ川沿いの水辺の景観が文句のつけようがないほど完璧だったからだ。
リューベックの街が世界遺産に登録されていることを初めて知った。見どころの旧市街がトラヴェ川と運河に囲まれた中の島に収まっている判りやすい街だった。
リューベックは、中世のハンザ同盟を仕切った街らしい。高さが100mを超える、巨大な大聖堂と2つ教会がある。ハンザ同盟をEUに例えると、リューベックはEUの盟主ドイツに相当する都市国家だった訳で、その経済力や政治力に相応しいステイタスを整えたという事だろうか。
教会、市庁舎など大きな建物は皆煉瓦造りだった。この周辺には石材の産地がないからだろう。地盤もあまり良くないようだ。リューベック名物のホルステン門やリューベック大聖堂は肉眼でも判るほど傾いていた。地震がないので何とか持っているようで日本なら大騒ぎになるだろう。ドイツでは耐震設計は不要なのだろうか。
トラヴェ川の北半分は河川港になっていて、平日のお昼過ぎなのに沢山の若者や小学生がサッパみたいな細長い魚を釣っていた。多分、何か特別な日かもしれない。
トーマス・マン、ギュンター・グラスというノーベル文学賞作家を輩出した街でもある。マリエン教会の前にブッデンブローク家の建物があった。そう言えば、1980年頃観たギュンターグラスの『ブリキの太鼓』は傑作な歴史映画だった。
トラヴェ川の水面と旧市街南側の住宅街の路面の差が殆どないのは何故か?洪水や高潮の影響はないのか?水辺のアクセスが良すぎるのが逆に気になる。
とにかく、睡眠不足で疲れた1日だった。明日は、ツェレという小さな街に向かう。残念な事にどうも雨模様のようだ。


城門を潜り抜けて河川港に下りました
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-08-30 17:11 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月1日(月)ドイツⅡ その25 リューベック(3)

11時過ぎに予約したホテルにチェックインしました。ドイツのホテルは通常14~15時くらいがチェックイン開始ですが、部屋の準備が整っていたようなのでアーリーチェックインができたのが幸いでした。
荷物を降ろして1時間ほど仮眠を取りました。かなり疲れが取れたので13時から街歩きを再開しました。ホテルを出発、トラヴェ運河を渡って旧市街の中心部を目指して歩きました。


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橋の袂を降りてトラヴェ運河の河畔を歩いてみました。


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河畔の砂利道は快適でした。運河は写真下から上に流れています。


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水辺へのアクセスも文句なしに良かったです。


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清洲橋に似た緑の橋を渡って旧市街に入りました。丸いリベットを使った風格のあるアーチ橋でした。橋面を吊る部材は鋼棒を使っていました。



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旧市街に入りました。例の階段状の屋根が付いた建物もありました。


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左手に大聖堂前の湖を見ながら旧市街の中心部に向かいました。


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湖で少年がルアーで釣りをしていました。今日は平日ですが休日のようです。こんな気持ちの良い場所で釣りをするのは最高に気分がいいでしょう。


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旧市街の街路樹は新緑を迎えたばかりでした。

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14時、遅めの昼食はタイ料理にしました。

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折角のいいお天気なのでテラス席にしました。


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7.5ユーロ(940円)の八宝菜風のランチは美味しかったです。ドイツでもアジアのエスニック料理が相当浸透しているようでした。


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大通りが右に大きく曲がっていて一番高い場所が旧市街中心部のようでした。広々した広場は気持ちがいいものです。聖マリア教会の2本の尖塔が見えてきました。車道と歩道や広場の段差を無くし、境界を曖昧にしているのが優れているなと感じました。


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池の境界を排除した、この手の噴水は最近日本でも流行しています。ライプツィヒやケルンでも見掛けました。


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小さい尖塔が沢山並んだ市庁舎の建物が近づいてきました。


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大通りの建物のスカイラインはそこそこ揃えられていました。赤レンガをイメージした外壁の建物が目立ちました。とにかく、電柱・電線もなくスッキリした街を歩くのは快適でした。


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生憎、福音教会は補修中でした。


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教会の内部には沢山の支柱が建っていました。


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おトイレは例のよって脚なし型、大人、子供用が並んでいました。

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市庁舎のあるマルクト広場まで来ました。市庁舎の外壁は赤レンガではなく黒レンガでした。マルクト広場はこれまで歩いてきたブレーメン、ハンブルクに比べて小振りでした。


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お隣りは聖マリア教会です。巨大な2本の尖塔が聳え立っていました。


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市庁舎のファサードは艶のある黒レンガと艶を落とした黒レンガが使い分けられていました。小さな円形の尖塔が並んでいました。独自の建築様式を感じました。


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折角の機会なのでジドリをしました。お天気でしたが、ライトダウンとマフラーをしているくらい寒かったことが判ります。


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引き続き、お隣りの聖マリア教会に行きました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2017-08-26 18:19 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月1日(月)ドイツⅡ その24 リューベック(2)

10時過ぎ、リューベックの街歩きを開始しました。
予約したホテルまでは約2km、重い荷物を背負ってホテルを目指しました。荷物を預けて身軽にならないとサクサク歩き回ることができません。
連日の移動と睡眠不良で相当へたばっていましたが、根性を出して歩いていきました。
旧市街のトラヴェ川沿いの河畔コースを歩いたのが大正解でした。ホテルまでの歩きでほぼ満足の行く成果が得られたような気になりました。それくらい、この水辺は文句なしの素晴らしさでした。


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(出展 Google)

リューベックのシンボリックな建物、ホルステン門は風格の溢れる建物でしたが、よく観察すると違和感を覚えました。


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建物が肉眼でもわかるほど歪んで傾斜していました。建物の基礎にはトラヴェ川が運んだ柔らかい地盤に沢山の杭を打っているものと想像しますが、1400年代後半の建物なので地盤沈下が起きたようです。建物は川と反対方向に相当傾斜していましたが、倒れる方は公園にしてあるので、万一の事態が起きても支障のないよう配慮されているように思います。



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ホルステン門を真横から見ると傾きが良く判りました。


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内側のトラヴェ川を渡って旧市街に入りました。
この水辺には驚かされました。川は写真の上から下に流れています。この街はハンザ同盟の港湾都市として栄えたことからも赤レンガの建物群は倉庫ではないかと想像します。階段状の屋根部分にも窓が付いている独自の建築様式の建物が並んでいました。なんか手作り感があり、それも不思議といい景観要素になっていました。右側にホルステン門が見えています。


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倉庫の対岸には船着場も整備され、観光船が停泊していました。


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2隻の観光船が通り過ぎて行きました。トラヴェ川の観光舟運の盛んな様子が感じられました。


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街区側の建物にも階段状の屋根付きの建物が建っていました。
河畔のプロムナードの幅は約15m、道路も入れると全体で30mはありました。歩車道の境界は細長い石のベンチを置いてあるだけで、歩車道境界ブロックなどはありません。車道と歩道の連続性を意図的に演出してありました。
広い散策路は歩いていて気持ちがいいものです。建物の前に車道があるので建物は皆川を向いています。


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折角の機会なので持参した小さい三脚でジドリしました。プロムナードと水面の高低差は約1m、高低差が少ないとはいえ、河畔プロムナードには転落防止柵がないのにも景観に対する優れた配慮を感じました。


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トラヴェ川を横断する歩道橋はPC製、少しライズを付けて中央部に観光船が通れる空間を確保していました。


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上流側の木橋は船の航行に必要な桁下空間を確保していました。

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木橋の上から下流の眺め・・・・手前の単独の尖塔は福音教会、奥の2本の尖塔は聖マリア教会でした。


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写真の左側にはお洒落でモダンな集合住宅が建っていました。いつも素晴らしい水辺を借景にできるとは何とも羨ましい限りです。


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河畔を上流に向けて歩きました。川は写真上から下へに流れています。


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旧市街側の街路は電線・電柱がなくスッキリしていていました。坂道を登り切った高台が旧市街の中心部でした。


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遊覧船が通り過ぎました。川は写真上から下に流れています。写真左の芝生広場にも転落防止柵はありません。



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河畔の住宅は赤い屋根に白い壁で統一されていて、芝生広場と水面との高低差はわずか、水辺のアクセスも文句なしに良いです。川は写真下から上に流れています。
自称川屋は洪水や高潮がどうしても気になります。旧市街の上流で放水路のようなバイパスでも造っているのか?下流に防潮堤でもあるのか?その答えは見出せませんでした。


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しばらく河畔を歩くと、旧市街の外れにあるリューベック大聖堂のファサードが見えてきました。


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カトリック教会では司教座のある大聖堂は街の中心にあり、臍の役割を持っているのが普通です。これまで観てきたスペイン、フランス、イギリス、ドイツ各国での基本的なルールでした。
ところが、リューベック大聖堂は何故か旧市街の外れの土地の低い場所に建っていて、どちらかというと地味な存在でした。ただ、ファサードは西方を向き、上から見ると一応十字架の形はしていました。この謎も未だに解けていません。


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河畔を離れ大聖堂脇の湖の散策路を歩きました。湖の出口に水車小屋?が建っていました。小さいゲートと水の取り入れ口が設置されていました。


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大きな湖は多分、人造湖でしょう。ハンブルクの大きなアルスター湖は13世紀の人造湖でした。写真左側は内側のトラヴェ川、右側が人造湖、水位差は約2m、水車を回して製粉や紡織をしていたのかもしれません。この人造湖は周囲の川や運河より高いのでその水源は旧市街に降った天水ではないかと想像します。


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湖畔の散策路から見たリューベック大聖堂は文句なしに素晴らしかったです。写真左の尖塔が気持ち傾いているようにも見えました。2本の尖塔同士を青い横棒で繋ぎ留めて安全を確保しているように思いました。


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湖畔の散策路・・・実に快適でした。

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旧市街の南の外れまで来ました。城門のレプリカが展示されていました。


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橋を渡るとホテルはすぐそこです。


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トラヴェ運河を渡りました。


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城門のレプリカの片割れを復元した城門かもしれません。城門の高さは20mはありそうです。リューベックは、中世から川とお堀とこの城門で外敵の侵入に備えていたようです。


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リューベックの八重桜はちょうど満開を迎えていました。

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ここにもラウンドアバウトがありました。


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11時過ぎ、やっとの思いで予約したホテルにたどり着くことができました。


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自分には不似合いなゴージャスなホテルなので少し驚きました。


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当日のフェイスブックにアップした記事・・・疲れ切って記事になっていません。唯、アーリーチェックインができたのが幸運でした。


5月1日(月)リューベックは快晴、肌寒い。9時45分にリューベック中央駅に着いた。重いバックパックを担いでホテルまで歩いた。バテた。アーリーチェックインができてラッキー。

一休みして13時から街歩きを再開しました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2017-08-17 22:03 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月1日(月)ドイツⅡ その23 リューベック(1)

7時30分朝食、8時45分にホテルをチェックアウト。
40Lのバックパックを背負い30Lのデイパックを手に持ってハンブルク中央駅まで歩いて行きました。リングの外側であっても駅前の立地の良さから博物館やお洒落な建物が建っていました。


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折角馴染みになったハンブルク中央駅ともこれでお別れです。


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ハンブルク発9時04分RE8号でリューベックに向かいました。リューベック着は9時45分、40分足らずの電車旅でした。


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この巨大駅舎ともお別れになりました。

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9時4分発のRB41号は真っ赤な電車、赤はドイツ国鉄(DB)のシンボルカラーだと思います。


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沿線の風景・・・


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3階建てのアパートには屋根裏部屋が付いていました。


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市街地を過ぎるとお馴染みの風景が広がっていました。森、菜の花畑、麦畑、牧草地・・・森はほとんど落葉広葉樹でした。5月になって一斉に新緑を迎える感じです。何故かドイツで羊を見たことがありません。馬が多かったと思います。


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定刻の9時45分、電車はリューベック中央駅に到着しました。ドイツではお馴染みになったマルチトップのドーム型駅舎でした。


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ドーム屋根を支えるアーチ状の鋼材はデザイン的にも優れていると思いました。


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構内はトップライトの開口が大きいので明るかったです。


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リューベック中央駅のファサードは緑の屋根に赤レンガの壁、こじんまりとしていましたが、風格を感じさせる駅舎でした。駅のインフォメーションで明日のツェレ行きの時刻表をもらいました。



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駅前のバス停は宇宙船みたいな斬新なデザイン・・・違和感を感じさせないのが優れています。


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駅前のラウンドアバウトは環状部が2車線。基幹道路の交差点をラウンドアバウトに変えたところを見ると、ドイツのラウンドアバウトはかなり普及しているようです。


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リューベックは、バルト海から内陸に約20km入ったトラヴェ川に面した港湾都市、これまで見てきたブレーメン、ハンブルクと共通点のある街でした。
リューベックは人口20万の比較的小振りな地方都市でしたが、かつてはハンザ同盟の盟主として栄えたそうです。
トラヴェ川、トラヴェ運河に囲まれた旧市街は大聖堂や教会があり、世界遺産にも登録された観光都市でもありました。旧市街は南北方向に約2km、東西方向に約1kmの楕円形、トラヴェ川で守られた中世からの伝統を色濃く受け継いだ街のように感じます。トラヴェ川の外側の河川は例の稲妻型の形をしていることからも、ハンザ同盟の城塞は決まったパターンで造られたように感じます。


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(出展 Google)


駅からホテルまでは約2km、重い荷物を担いで旧市街経由で歩いて行きました。
最初に出会ったのがトラヴェ川の外側の河川でした。プッペン橋から見た上流側の眺めは川と建物がしっくり納まっているなという感じです。


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手前の河畔公園の手入れも行き届いていました。この街の水辺に大いに期待できそうな予感を感じました。


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リューベックのシンボル、旧市街の守衛門みたいなホルステン門まで歩いてきました。背後に高い尖塔が見えました。


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旧市街は予想をはるかに超えた素晴らしい水辺が展開されていました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2017-08-16 19:55 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年4月30日(日)ドイツⅡ その22 ハンブルク(6)

17時、エルベ河畔の船着き場を後にしてホテルに戻りました。

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運河脇にある地下鉄の地上駅舎をやり過ごして東に向けて歩きました。


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ドイツのガソリン事情・・・日本のガソリンは130円前後なので少し高いようです。
 ディーゼル 1.069ユーロ(134円)
 ガソリン  1.289ユーロ(161円)


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残念ながら聖ニコライ教会は総足場で補修中、欧州の街ではここかしこで補修工事を行ってるので仕方ありません。その左隣りのジブクレーンは実に不思議な絵柄でした。恐ろしく長い腕を伸ばして手前のビルの建設を行っているように見えます。


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市庁舎裏手の運河で珍しい光景に遭遇しました。
お堀の直上を高架が覆っていました。てっきりハンブルクの首都高かと思いましたが、実は先ほどのUバーン(地下鉄)の高架の続きでした。この部分は市庁舎真下の地下駅の線路が地上に顔を出した箇所でした。鉄道は大きな勾配が取れないのでこの区間で地上に上がる計画にしたようです。折角揃えた建物のスカイラインの良い景観を支障しているという意見があるのかもしれません。


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市庁舎裏手の路地を歩きました。ドイツ人お好みのジブクレーンを使ってビルを建設していました。


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市庁舎の裏手までやってきました。写真右の建造物は市庁舎の一部でした。


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随分と狭い場所で杭工事を行なっていました。鉄筋籠と呼ばれる材料を使う、現場で造成する杭を打っているということは堅固な地盤が地中深い場所にある訳で、この辺りはエルベ川が運んできた柔らかい土砂が厚く堆積しているようです。


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最近日本のマンホールの蓋が隠れた人気になっています。マンホール蓋に市の紋章とハンブルクの正式名称が記されていました。自由ハンザ都市ハンブルク(Freie und Hansestadt Hamburg)だそうです。ハンザ同盟の独立都市として自由な経済活動を維持して発展したことが伺える名前です。そういえば、フランクフルトの正式名称はフランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)。両市とも長い名前なので、さすがにしゃべり言葉で話す人はいないでしょう。


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市庁舎の裏手の広場で一休みしました。裏手からの眺めも恐ろしく立派な建物でした。州議会も入っているとか・・・


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建物の構造はRCの躯体に天然石材を貼った感じでした。恐ろしく精巧な彫刻の飾りが表面を覆っていました。ミュンヘン、ドレスデン、ブレーメンなどの市庁舎や州政府の建物は実に立派でした。ドイツ人は市庁舎や州議会の建物に対する思い入れが人一倍強い国民かもしれません。


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市庁舎のファサードは何度見ても立派でした。


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市庁舎前の広場、先ほど見たEU集会は終了していました。


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メンケベルク通りと聖ペトリ教会・・・


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メンケベルク通りを中央駅方面に戻りました。気持ちの良い街路でした。


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列ができているアイスクリームのお店で一休みしました。


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3.6ユーロ(450円)のアイスは美味しかったです。


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メンケベルク通りには2連のデコメバスが走っていました。


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18時、ハンブルク中央駅まで戻ってきました。改めてこの駅舎の巨大さを実感しました。


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駅前の博物館は風格のある建物でした。駅のホームは半地下になっていました。


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駅前のトイレで用を足しました。無料のトイレはありがたいけど少し匂いましたが、文句は言えません。


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ハンブルク中央駅の構内で食事できそうなお店を探しました。この巨大な構内は何度見ても驚かされます。


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構内のタイ料理屋で夕食にしました。ドイツに入って3日目、ご飯が欲しくなる時期です。八宝菜風のご飯は6.5ユーロ(810円)美味しかったです。


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中央駅の東口の通りを歩いてホテルに向かいました。歩いている人は外国人が目立ちました。ネィティブと外国人の棲み分けがあるように感じました。


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18時40分、ホテルに到着、2~3つ星クラスのホテルでも必要な施設は整っていて清潔な印象がありました。とにかく、駅から歩いて10分に立地は良かったと思います。


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14時に開始した約4時間の街歩きが無事終わりました。晴天にも恵まれハンブルクの核心部を上手に歩くことができて良かったと思います。

翌日は、電車でリューベックに向かいました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-08-15 11:12 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年4月30日(日)ドイツⅡ その21 ハンブルク(5)

16時20分、エルベ河畔のハーフェンシティ地区に到着しました。船着き場Aはエルベ川の派川に面した船着き場、写真右手には倉庫群がありました。浮き桟橋の支柱が水面から10mくらい突き出ていました。エルベ川の水面の変動高さは相当大きいように思います。高潮か洪水対応だと想像します。


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ハーフェンシティはエルベ河畔の再開発ゾーンのようでした。

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奇抜なデザインのコンサートホールはハーフェンシティのシンボリックな建物だそうです。

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Uバーン(地下鉄)の駅名はBaumwaLL(Elbphilharmonie)、エルベ川交響楽団という意味でしょうか。2017年1月にオープンしたばかりピカピカのホールだそうです。ハーフェンシティはドイツ伝統のクラシックをコンセプトにした再開発地区かもしれません。


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この高架駅舎は非常に珍しい構造をしていました。駅舎を支える主桁が逆さアーチ型のトラスになっていました。初めて見る構造です。普通ならアーチを上にするでしょう。周囲の景観を支障しない配慮かもしれません。

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今日は日曜日、河畔のプロムナードは大賑わいでした。ビートルズの人形を操る路上パフォーマーが見物客を集めていました。

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エルベ川は川ではなく海でした。言われなければ川だとは気づかないでしょう。対岸には荷役用のクレーンが見えていました。

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船着き場Bの河畔プロムナードは実に広々していて歩いていて実に気持ちが良かったです。


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この素晴らしい絵柄が撮影できて良かったです。

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プロムナードと水面までの高低差は10mくらいありました。流石に水辺のアクセスは無理、階段式護岸には沢山のお客が腰かけて河畔に風景を楽しんでいました。


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船着き場に繋がる連絡橋を渡って川面に降りてみました。


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連絡橋の窓から上流側のハーフェンシティがよく見えました。写真の上から下へエルベ川が流れています。

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下流側の眺め・・・直立式護岸の上に先ほど見た階段式ベンチが見えていました。直立式護岸は鋼矢板にコンクリートを巻いた構造で、高低差は10m近くもありました。ポンツーンの支柱が10mあることから、干満差が大きいようです。


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17時、ホテルに戻ることにしました。
奇妙な施設に出くわしました。巨大な陸閘でした。陸閘の収納スペースをベンチにする工夫に1本取られた思いがしました。


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陸閘自体は高さは2mと大きくはありません。エルベ川の高潮か洪水対策だと思います。

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再び、船着き場Aに戻りました。ここからは派川沿いの倉庫群がよく見えました。建物のスカイラインが見事に揃えられていました。

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当日のフェイスブックにアップした記事・・・

4月30日(日)ハンブルクは快晴、肌寒い。
10時59分ブレーメン発普通電車のRB 41号は定刻12時23分にハンブルク中央駅に到着した。
(省略)
運河がエルべ川に合流している場所まで来た。このあたりの光景にも度肝を抜かれた。ハンブルクという街の特徴がよく出ていた。ハンブルク港はエルべ川の河川港だが、実態的にはエルべ川は川というより海だった。エルべ川は長さが1000キロくらいのヨーロッパ有数の大河川だ。ハンブルクは河口から100キロの川沿いの街だそうだ。上流にはドレスデン、プラハがある。
エルべ川河畔の散策路は立派に整備されていた。日曜ということもあり、大勢の市民で大賑わいだった。ハンブルクはドイツ有数の大都市だが、中世から産業舟運で栄えてきた街のような気がする。とにかく、日本の川ではあり得ない光景だった。
帰り道に寄った中央駅のアジア料理店の食事はうまかった。
18時ホテル着、約4時間の街歩きだった。

ホテルまで歩いて戻りました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-08-14 17:57 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年4月30日(日)ドイツⅡ その20 ハンブルク(4)

15時50分、市庁舎前広場から運河沿いに歩いて河川港のあるエルベ川を目指しました。

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運河Aの上流端には3基の幅10m程度の閘門が設置されていました。内アルスター湖との水位差は約2m、上流のゲートはラジアルゲート、下流ゲートはマイターゲートでした。

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そもそも、内アルスター湖と外アルスター湖という湖は一体何なんだという疑問が消えませんでした。ネットで調べると、正解は13世紀にアルスター川を堰き止めた人造湖でした。目的は水車を動かす動力用施設でした。自分は運河の閘門の水を供給するリザーバーだと思っていましたが、見事に外れました。但し、この湖が旧市街を防衛するリングの一部になっていることからも、お堀の一部を兼ねた施設にしたように感じます。

【アルスター湖】
ドイツの北西部、エルベ川の支流、アルスター川の河口の港湾都市ハンブルク(Hamburg)にある人造湖。13世紀初めに、水車用としてアルスター川をせき止めてつくられた。北の外アルスター湖(Aussenalster)と南の内アルスター湖(Binnenalster)の湖面を合わせると184haの広さがある。湖畔には公園があり、夏はボートやボードセーリング、冬はアイススケートを楽しむ人々でにぎわう。また、湖上遊覧が楽しめる湖として観光客にも人気がある。市内のユングフェルンシュテーク(Jungfernstieg)に遊覧船の発着場があり、湖一周のほか、高級住宅地を縫って進む「運河巡り」や、ショッピング街や倉庫街をゆく「水路巡り」など、多彩な遊覧コースが用意されている。


運河Aに沿って歩いてみました。運河脇にはテラスが設置されていてカフェ席が用意されていました。


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このテラス部分を振り返ると、テラスは運河から張り出して設置されてることが判りました。運河は写真上から下に流れています。張り出し部には運河を航行する船が衝突しないよう防護柱が設置されていました。


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運河Aは幅30m程度の運河でした。建物群は運河に背を向けていました。運河舟運が陸上運輸にとって替わられたのでしょうか。運河と建物の間に道路でもあれば建物は運河に向かうとは思いますが、そのスペースはありません。東京の日本橋川、大阪の土佐堀川と似たような状況でした。

運河沿いのプロムナードは繋がっているのも大事なポイント。プロムナードの連続性が確保されていたのでストレスを感じることなく運河沿いを歩くことができました。


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張り出し部の運河プロムナード・・・


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建物と運河の離隔がある場所は斜路を設けて水辺のアクセスを確保してありました。運河は写真の上から下に流れています。


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運河Aの橋を渡って運河Bに行ってみました。


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お寿司のポスト・・・実に美味そうな寿司です。


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運河Bの橋の袂にある小さな公園で一休みしました。


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橋から眺めた上流側の運河B・・・運河は写真の上から下に流れています。建物の中に道路が設置され3連の眼鏡橋に繋がっていました。実にユニークな構造です。公園の河畔テラスと運河水面の高低差は約3m、転落防止策がしっかり設置されていました。ハンブルク当局は手堅い管理をしているようでした。


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下流側の運河B・・・建物は完全に運河に背中を向けてはいますが、赤レンガの建物群自体に風情があるのでそれなりの水辺を感じます。運河B自体が幅が20mもない手狭な運河なので、いじりようがなかったのだと思います。



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公園脇の広場のオープンカフェは賑わいがありました。


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再び、運河Aに戻りました。エルベ川はすぐ傍でした。運河は写真の下から上に流れています。


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運河脇にはUバーン(地下鉄)が走っていました。地下鉄といっても市街地の外れでは高架になっていました。東京と変わりありません。


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高架駅「RODINGS MARKT駅」まで歩いてきました。


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16時20分、エルベ河畔までやってきました。たかだか30分足らずの運河ウォーキングでしたが、ご当地の運河の様子がかなり理解できました。ハンブルク旧市街地の運河自体のポテンシャルは非常に高いのでこれからも整備が続いていくことでしょう。
引き続きエルベ河畔の散策路を歩きました。ヨーロッパの日の入りは21時、時間はたっぷり残されていました。


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当日のフェイスブックにアップした記事・・・


4月30日(日)ハンブルクは快晴、肌寒い。
10時59分ブレーメン発普通電車のRB 41号は定刻12時23分にハンブルク中央駅に到着した。
(省略)
運河に沿って南に歩いてみた。建物が運河に背中を向けている状況は日本と同じだが、運河沿いの散策路はかなり整備されていた。
運河がエルべ川に合流している場所まで来た。このあたりの光景にも度肝を抜かれた。ハンブルクという街の特徴がよく出ていた。ハンブルク港はエルべ川の河川港だが、実態的にはエルべ川は川というより海だった。エルべ川は長さが1000キロくらいのヨーロッパ有数の大河川だ。ハンブルクは河口から100キロの川沿いの街だそうだ。上流にはドレスデン、プラハがある。
(省略)
18時ホテル着、約4時間の街歩きだった。

以下、次号・・・


by camino0810 | 2017-08-14 13:05 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年4月30日(日)ドイツⅡ その19 ハンブルク(3)

予約したホテルはハンブルク中央駅の東側、歩いて10分の大通り沿いにありました。
中央駅駅舎の東面にはガラス張りのドーム型のファサードが沢山並んでしました。駅構内で見たサイドライトがこの部分に当たります。


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ハンブルクにも八重桜が咲いていました。

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ハンブルクの旧市街は、リューベックと良く似た構造をしていて、リングで囲まれていました。リングの直径は約2km、南面はエルベ川を利用した防衛力の高い都市国家だったと思います。西側のリングは幅200mの公園になっていて、ブレーメンでも見た稲妻型のお堀が残っていました。防火帯としても役立ちそうな感じです。
東側のリングは鉄道になっていました。ハンブルク中央駅が半地下構造になっていたのは、お堀を水抜きして再利用したからではないかと想像します。


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(出展 Google)

この日は好天に恵まれ、気持ちよくハンブルクの旧市街を歩くことができました。
13時に予約したホテルに到着、アーリーチェックインができたので助かりました。一休みして14時に街歩きを開始しました。お昼はホテルの近くのカフェが付いているパン屋さんで済ませました。菓子パン(0.78ユーロ:100円)とコーヒー(0.99ユーロ:130円)とリーズナブルなお店でした。お客はアラブ系の外国人が目立ちました。ホテルが立地している駅の東側はリングの外側にあり、夜の一人歩きは危険そうな場所でした。

メンケベルク通りを西側の旧市街地に向けて歩きました。
ハンブルク中央駅の西側・・・駅舎の半分が路面下に埋まっている勘定になります。

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中央駅の南面はメンケベルク通りに面していました。この道路の下に鉄道が走っていました。中央駅が珍しい半地下構造になっているのはリングのお堀の当る部分だったのではないかと思います。


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メンケベルク通りを市庁舎に向けて歩きました。聖ペトリ教会の尖塔が見えました。旧市街の建物群は新旧の建物が混在してはいましたが、建物のスカイラインはかなり綺麗に揃っていました。

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総ガラス張りの真新しい建物も・・・

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スタバがパルテノン神殿風の建物に出店していました。観光地の一等地を占めるスタバの戦略を感じました。

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大通り脇の広場・・・スッキリした街並みでした。

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聖ペトリ教会まで来ました。向こうに市庁舎の尖塔が見えていました。

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聖ペトリ教会は、赤レンガの大きな教会でした。

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ハンブルクといえば市庁舎・・・恐ろしく豪華な建物でした。


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ハンブルクの市庁舎はミュンヘンの市庁舎に負けないくらい立派な建物でした。1886年~97年の建設されたネオ・ルネサンス様式の建物だそうです。


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市庁舎前の広場にEUの旗を持った人たちが集まっていました。この記事を書いている時点ではフランスはEU残留のマカロン大統領が勝利しました。しかし、この時期はイギリスのEU離脱処理やフランス大統領選の時期、対抗馬の女性はEU離脱を訴えていました。EU残留の引き締めキャンペーンのようでした。
ドイツはEUの盟主、ドイツを代表する経済都市ハンブルクで決起集会を開いたということだと思います。

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市庁舎前広場に隣接した運河沿いの景観は文句なしの素晴らしさでした。ここは内アルスター湖とエルベ川を繋ぐ運河の起点にあたる場所でした。


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運河の左側はテラス席、右側は階段式の護岸、水辺のアクセスもしっかり確保されていました。


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運河から市庁舎を振り返りました。

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内アルスター湖の湖畔広場も素晴らしい景観に出来上がっていました。湖畔の建物のスカイラインは見事に揃えてありました。

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湖の観光船も賑わっていました。

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湖畔のプロムナードは幅が50mくらいありました。広幅の歩道を歩くのは実に快適でした。

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スペースがあるというのはそれだけで価値が高い・・・湖に向いた階段式のベンチは蹴込み幅が5mくらいあり超リッチでした。


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Wikipediaに記載された1890~1900年の、この場所の写真を見て驚かされました。写真左の尖塔は聖ペトリ教会、右の尖塔は市庁舎でした。今から120年前にその骨格が出来上がっていて、現在もそのコンセプトを維持されていることが判ります。

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(出展 Wikipedia)

運河に沿って南に歩いてエルベ本川に向かいました。

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当日のフェイスブックにアップした記事・・・

4月30日(日)ハンブルクは快晴、肌寒い。
10時59分ブレーメン発普通電車のRB 41号は定刻12時23分にハンブルク中央駅に到着した。
最初に巨大な駅舎に度肝を抜かれた。半地下のホームに巨大なワントップのドーム屋根が載せられていた。高い天井が独自の気分を造っている。日本では見ることのできない絵柄だ。
13時にホテルにチェックイン、ひと休みして14時に街歩きを開始した。
駅前通りを南に行くと、巨大な市庁舎があった。この建物は、単に大きいだけではない。実に美しく精巧な装飾が施されている。去年見たミュンヘンの市庁舎になんか似た気分がある。ブレーメンの市庁舎も凝った造りだが、ハンブルクはそれ以上だ。
そう言えば、ライプチヒの市庁舎もこんな造りだった。市庁舎とマルクト広場をセットにするのがドイツ人の流儀みたいだ。
市庁舎前の広場でEU統合強化を目指す集会が行われていた。参加者はウェイブを掛けながらEU旗を振っていた。イギリスの離脱、アメリカの自国最優先主義、フランス大統領選も予断を許さない状況の中、EUの盟主ドイツが主要都市でEUの引き締めを図るキャンペーンを挙行しているという事なのだろう。
広場に隣接した運河を取り囲む水辺の景観の素晴らしさにも度肝を抜かれた。そのお隣にある、スカイラインを揃えた建物と広大な湖も実に優れた水辺の景観だった。
運河に沿って南に歩いてみた。建物が運河に背中を向けている状況は日本と同じだが、運河沿いの散策路はかなり整備されていた。

(省略)

以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-08-13 14:46 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年4月30日(日)ドイツⅡ その18 ハンブルク(2)

ハンブルクは人口180万のドイツ第2位の大都市でした。東京都みたいな特別市だとか・・・中世からハンザ同盟の中心都市として繁栄してきたそうです。お隣のヴェーザー川流域のブレーメンとはハンザ同盟の同志ということになりますが、司教座(大聖堂)はブレーメンにあるので宗教的にはブレーメンの方が格上ということになります。
エルベ川の河口から約100kmの内陸にありながらドイツ最大の港湾都市でもあります。ブレーメンもそうでしたが、何故、臨海部ではなく内陸部に大きな港湾があるのか?日本人の自分から見ると、実に不思議なことです。


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(出展 Google)

ハンブルクはエルベ川の流域にある大都市です。エルベ川は流路1100km、流域面積150,000km2の国際河川、上流にはドレスデン、プラハ、支川にはベルリン、ライプツィヒなどドイツの著名な都市があります。ドイツの国土面積が360,000km2、日本最大河川の利根川の流域面積が17,000km2、エルベ川は大河川だといえるでしょう。
エルベ川はハンブルクの下流で大きな幅があり、ハンブルク上流で河川幅は極端に狭くなっていました。しかも、エルベ川は南北2つの川に分派して、挟まれた地域に自然由来か人工物かは不明ですが、沢山の河川や運河があります。随分と不思議な地形だと感じました。


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(出展 Google)

日本では、似たような地形は狭窄部と呼ばれる両岸が急峻な山地形の上流側で見たことがあります。淀川の山崎、北上川の一関も似たような地形になっていますが、ハンブルクのエルベ川には狭窄部らしい地形がなさそうなので説明がつきません。結局、ハンブルクはエルベ川の数千年前の旧河口で、それ以降の海面下降に伴い河口が現在の河口まで下ったのでは?などと考えてみました。

電車はエルベ川本川に架かる鉄橋を渡りました。もうすぐ、ハンブルク中央駅です。


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建設中の斬新なデザインの建物が見えていました。


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エルベ川沿いの空き地には沢山のクレーンが建っており、再開発や新規の建設投資も盛んなようでした。

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エルベ川の運河を渡りました。ハーフェンシティの東端には斬新なデザインの建物が建っていました。


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大通りの交差点は立体交差ですが、片方を地下化していました。高架形式はブレーメン駅前の高架と同様景観を支障したでしょう。なかなかの配慮だと思います。

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ホームの上の橋はホーム同士を連絡する跨道橋ではありません。街区の道路橋でした。ハンブルク中央駅は半地下の駅舎になっていました。

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12時23分、電車は定刻にハンブルク中央駅に到着しました。この駅舎の巨大さに驚かされました。ワントップの広々とした駅舎で、トップライトとサイドライトで採光してありました。
ホーム上にこれだけ広くてこれだけ高い無柱の内部空間を持つ駅舎は見たことがありません。ドイツ、フランスなど見てきた巨大な大聖堂の内部空間に通じるものを感じました。

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当日のフェイスブックにアップした記事を読むと、この駅舎の巨大さに感嘆している様子が伺われます。

4月30日(日)ハンブルクは快晴、肌寒い。
10時59分ブレーメン発普通電車のRB 41号は定刻12時23分にハンブルク中央駅に到着した。
最初に巨大な駅舎に度肝を抜かれた。半地下のホームに巨大なワントップのドーム屋根が載せられていた。高い天井が独自の気分を造っている。日本では見ることのできない絵柄だ。
13時にホテルにチェックイン、ひと休みして14時に街歩きを開始した。
省略

40Lのバックパックを背負って予約したホテルまで歩きました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2017-08-13 06:09 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年4月30日(日)ドイツⅡ その17 ハンブルク(1)

ブレーメン中央駅発10時59分ハンブルク行きのRB41号は定刻に発車しました。ハンブルク中央駅着は12時23分、約1時間30分の電車旅です。


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今日は朝から快晴、北ドイツの沿線の風景を楽しむことができました。
クラインガルテンはこれまで訪問したどの駅近くにもありました。ドイツ人のマストアイテムだと思います。


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2階が屋根裏部屋になっているのもドイツの住宅の特徴かもしれません。


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持参したモバイルPCが使えるようになったので、久し振りに電車の中でモバイルを使ってフェイスブックに記事を載せました。

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北ドイツの沿線の眺めは快適でした。
集落と牧草地・・・

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麦畑だと思います。

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耕作したての麦畑でしょうか。

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オッタースベルクという小さな駅の風景・・・

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若い女性が駅舎でギターを弾いていました。

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駅前の住宅街、綺麗にしてありました。


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12時20分、電車はハンブルク郊外のハールブルクに入りました。
赤レンガの凝ったデザインの駅舎でした。

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電車はアウトバーンを上越ししました。

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ハンブルクはエルベ川の沢山の派川がある大きな街でした。電車は派川を次々と渡りました。

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電車はハンブルク中央駅に近づいて行きました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2017-08-12 13:37 | ドイツⅡ | Comments(0)