2017年4月28日(金)ドイツⅡ その4 上海~フランクフルト

MU219便は定刻0時10分に出発しました。フランクフルトには6時05分到着予定、時差が6時間あるので12時間のフライトになる計算です。
辛抱、退屈な時間が始まりました。毎年1回きりのイベントなのでとにかく我慢する以外にありません。

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時間潰しは3Dの飛行マップか映画くらいしかありません。40本を超える映画には日本映画も用意されていました。
佐々木蔵之介主演の「超高速!参勤交代 リターンズ」(2016年9月)はいささか荒唐無稽な筋書きでしたが、ほろりとさせられるいい作品でした。
ナチスドイツの占領時代のフランス在住のユダヤ人少年を扱ったフランス映画はとても印象に残っていましたが、タイトルを想い出せません。

飛行コースは上海から北京を経由してシベリアを通過するコースでした。

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ヨーロッパロシア、バルト三国、バルト海を経てドイツに入りました。


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飛行高度は11,000m、外気温-55度、飛行速度は700km/時・・・随分とのんびり飛ぶなと思っていたら、飛行機はものすごい偏西風に逆らって飛んでいました。偏西風は、100マイル、169km/時という猛烈な風速でした。一体、どういう風なのか全く想像できません。


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機内の食事は普通に美味しかったです。この航空会社では赤ワインのお替りができませんでした。


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飛行距離はプードン1時00分発、1時間半遅れてフランクフルト7時30分着だったので、時差6時間を考慮すると飛行時間は6.5時間+6時間=12.5時間。平均速度を700~800km/時とすると、12.5h×700~800km/h=9,000~10,000km、地球を1/4周した計算です。

MU219便はフランクフルト空港に近づいてきました。ケルン、デュッセルドルフ、ドルトムント、ブレーメン、ハンブルク、ハノーファーなどドイツのお馴染みの都市も表示されていました。


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フランクフルト上空は幸運にも晴れでした。マイン川沿川の風景は緑が濃かったです。


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飛行機はフランクフルト市街地の東側から進入しました。マイン川の河川港が確認できました。入り江状の掘り込み型の河川港にはタンク、工場、アパートが建っていました。


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マイン河畔のフランクフルト大聖堂、旧市庁舎も視界に入ってきました。去年はマイン河畔の市街地をよく歩きました。懐かしい光景です。
http://camino0810.exblog.jp/26057112/


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ピカピカの新市街地の超高層ビル群もしっかり確認できました。

http://camino0810.exblog.jp/26033466/

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フランクフルト中央駅のマルチトップのドーム駅舎も見えました。

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市街地周辺の住宅地はゆったりとして、緑もたっぷりでした。

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フランクフルト国際空港は深い森の中にあります。


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MU219便は定刻より1時間30分遅れて7時30分、ターミナル2に無事到着しました。


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フランクフルト国際空港は2つのターミナルと滑走路4km3本、3km1本を持つ大きな空港でした。市街地から約10km西の森の中にあり、電車は20分程度、大変アクセスの良い空港です。


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(出典:Google)

入国審査を簡単に済ませて、バゲッジクレームに行きました。無事40Lのバックパックが届いていました。去年は同じものが1時間経っても届かず大慌てしました。


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到着ロビーを歩いていて、施設の様子がなんとなく去年の気分と違っていることに気付きました。なんか変だなと思っていたら、到着ロビーが去年はターミナル1で今年はターミナル2だったことにようやく気付きました。


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デュッセルドルフ行きの新幹線が発車するフランクフルト空港駅はターミナル1にあります。シャトルカーでターミナル2からターミナル1へ向かいました。


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(出典:Google)

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フランクフルト空港はルフトハンザ航空のハブ空港だと思います。ターミナル1にはたくさんのルフトハンザ機が駐機していました。


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フランクフルト空港駅のドイツ国鉄(DB)のインフォメーションに行って「ジャーマンレイルパス」という鉄道パスにサインをもらいました。鉄道パスを提示して、パスポートを見せと、係りの女性が使用開始日のサインや確認印を押します。この手続きで初めて有効なパスになる仕組みです。

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以下、次号・・・



# by camino0810 | 2017-06-19 17:04 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年4月27日(木)ドイツⅡ その3 羽田~上海

MU540便は羽田を定刻17時50分に出航、上海浦東(プードン)国際空港、第1ターミナル定刻20時05分に到着しました。去年のドイツ旅行は同じ中国の中国国際航空でしたが、今年は中国東方航空にしました。中国国際航空は北京、中国東方航空は上海をそれぞれハブ空港にしている航空会社でした。

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プードン空港について少し調べてみて驚きました。
この空港は、上海市街地から東に30km、長江の右岸沿いにある巨大空港でした。1999年に開港、約1.5kmもあるターミナルが2つあり、4kmの滑走路が、5本もある超巨大空港でした。リニアモーターカーで10分足らずで上海市街までいけるそうです。
ちなみに長江の河口もザックリ20kmはあります。中国という国は実に巨大で計り知れないポテンシャルを持つ国だと思います。


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(出典 Google)

第1のターミナルの延々と続く長い通路を歩いてトランジットの手続きに向かいました。

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何故か間違えて入国審査の列に並んでしまいました。

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トランジットは最初にチェックイン、写真撮影、手荷物検査の順番でした。危険物を探知するゲートで警告音が出ました。腕時計を外すのをうっかり忘れていました。その後、両手を水平に挙げて軍服姿の女性検査官のチェックを受けました。去年の北京空港の軍服姿の係官に比べていくらか親しみやすさを感じました。
21時30分に手続き完了、間違えたせいもあり、検査に1時間30分も掛かりました。トランジットの時間に余裕がないと完全にアウトだったでしょう。


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搭乗ロビーは実に広々としていてお洒落なデザインでした。

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ロビーのレストランではサンドウィッチが49元(780円)、牛肉ご飯が79元(1300円)、リーズナブルなお値段とはいえません。中国の物価水準は日本並みかもしれません。


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用意した2つのルーターうち、片方はスマホはOK、モバイルはNG、もう片方はスマホはNG、モバイルがOK。国によっても、器械によっても発揮できる機能が違っていました。フランクフルト行きのMU219便は00時10分の出発、待合ロビーのソファーに座ってFBに記事をアップしたりして時間を潰しました。

4月27日(木)上海は天気不明、蒸し暑い。
現地時間20時、上海浦東(プードン)国際空港に到着した。羽田から1900km、3時間のフライトだった。
何故か間違えて入国審査のゲートに並んでいた。毎年1回の海外旅行なのでトランジットのやり方をすっかり忘れていていつも往生する。
トランジットのコースは最初に窓口でチェックインして写真撮影、手荷物検査の順番だった。手荷物検査は去年の北京国際空港よりも少し緩い感じがした。時計を外すのを忘れてゲートを潜る時アラームが出た。軍服姿の女性検査官に厳しく睨みつけられた。
フランクフルト行きは0時10分、211搭乗ゲートでこの記事を書いている。【法兰克福】をフランクフルトと読める日本人は多分いないでしょう。


中国語は難解です。「小心」は要注意という意味は知っていましたが、下の標識は見当すらつきません。

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トイレは、何処に行っても必ずチェックします。欧州の小便器は脚なしタイプ。中国は、日本式の底まである小便器も用意されていて、まさに「和洋」折衷でした。

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搭乗表示にはフランクフルト(法兰克福)、マニラ(馬尼拉)、ピョンヤン行き。マニラはなんとか読めても、フランクフルトは日本人には読めないでしょう。

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MU219便には構内バスで行きました。


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空港の係員の方にスナップ写真を撮ってもらいました。


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MU219便は定刻0時10分に出発しました。フランクフルトには6時05分到着予定、時差が6時間あるので12時間のフライトになる計算です。
辛抱の時間が始まりました。毎年1回きりのイベントなのでとにかく我慢する以外にありません。

以下、次号・・・



# by camino0810 | 2017-06-16 18:42 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年4月27日(木)ドイツⅡ その2 羽田

出発日にハンガリーから日本に来たカップルと会いました。彼らは2日前に来日したばかり、入れ違い状態なので出発日の直前にしか時間が取れませんでした。
待ち合わせ場所は東京モノレールの天王洲アイル駅にしました。
2015年のイギリス旅行では彼らにヨークとリーズを案内してもらいました。2年前と全く同じで快活なカップルでした。


3人で天王洲の運河沿いを歩いて、TYHARBORに入って1時間くらいお話をしました。

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彼らは日本語堪能、これから箱根、長野を観光して東京に戻るそうです。男性のGさんはリーズで株関係の仕事をしていて休日にイタリアンレストランでアルバイト、女性のKさんはレストラン勤めや英語の先生をしています。リーズの街は金融、情報産業、大学などで活気があるそうです。天皇家の子女がリーズ大学に短期留学すると伝えると驚いていました。
ハンガリーの国民性、出稼ぎの理由、祖国への期待感などを話してくれました。
ハンガリー人は暗い性格で考え込む国民性だそうで意外でした。若者が海外に出稼ぎに出て、国内はお年寄りが多く、活気を失っているようでした。国内の高負担、低賃金、高い物価がその理由だそうです。国内の閉塞感が無くなれば、帰国したいとのことでした。
ハンガリーと日本の共通点は日時の記載順と姓名の順番だそうです。○○年△月××日、家族名→名前の順。ポーランドも日時は同じでした。


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羽田には15時到着、国際線の出発ロビーはモノレールのホームと同一階にあって大変便利です。羽田の出発ロビーはコンパクトで判りやすい配置なので助かります。
中国東方航空MU540便は17時50分に出航します。上海でトランジットして翌日の6時05分にドイツのフランクフルトに着きます。

両替所で40ユーロを入手しました。去年のドイツ旅行でドイツは日本と似ていてカードがあまり使えないと国だと判りました。すこし多めの当座の現金を用意しました。円→ユーロは125円/ユーロ、去年が130円くらいだったので、気持ち円高は海外旅行者にはありがたいことです。ユーロ→円は117円/ユーロ。差額が8円と為替のロスが小さいのも助かります。


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航空会社は出航2時間半前から搭乗券の発券を始めました。1時間近く並んでようやく搭乗券をもらえました。手荷物検査の係官は優しい人たちばかりで助かります。
お目当ての145番搭乗ゲートは建物の端にありました。中国の航空会社はあまりいい場所をもらえないようです。

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搭乗ゲートには有名なお寿司屋さんも出店していました。

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後でいろいろと想い出せるように、当日の出来事や感想を日記風にまとめてFBにアップします。半年くらい経つと、当時の気分をまったく忘れ去っているので、記事を書くのに重宝します。

4月27日(木)東京は薄曇り、適温。
2年振りにハンガリー人のカップルと天王洲アイルで会った。彼らはイギリスのリーズで働いていて、現在、日本を旅行中だ。2年前の今頃、僕がイギリスに行ったとき、彼らにヨークとリーズを案内してもらった。
羽田には15時に到着した。チェックイン、手荷物検査、出国審査を終えて、待合ロビーでこの記事を書いている。
これから上海でトランジットして、フランクフルトに向かう。約19時間の辛い時間の始まりだ。

中国東方航空MU540便は定刻17時50分に出航しました。上海プードン国際空港着が20時05分、日本と中国の時差は1時間なので実質3時間のフライトです。


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羽田上空のお天気は生憎の曇り、期待していた景色は望めませんでした。


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以下、次号・・・・



# by camino0810 | 2017-06-15 06:29 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年6月6日(火)ドイツⅡ その1 プロローグ

2017年4月27日~5月9日、昨年に続いて13日間ドイツを旅行しました。去年のドイツ旅行はドイツ中南部でした。今年は積み残した北部ドイツを見て、ついでにポーランドまで足を伸ばしました。
毎年、5月の連休を利用して海外旅行に出かけます。
 2012年 イギリス
 2013年 フランス
 2014年 中欧(スロバキア、ハンガリー、チェコ、オーストリア)
 2015年 イギリス
 2016年 ドイツ
今年は、どうしようか?1月くらいから考え始めました。
今回の旅行は、2017年の年明け、お世話になっている三番町のN先生に挨拶に行った折、先生に勧められた北ドイツの街を中心に選定しました。3月初めには航空券、ホテルの予約なども完了しました。
ドイツ国内は鉄道、ポーランド国内は鉄道と飛行機のセット、ドイツとポーランドの間は飛行機にしました。域内の航空料金が意外にも安いので助かりました。
前年に比べてお天気がいまひとつでしたが、どの街もそれぞれに綺麗かつ個性的で環境への配慮を感じました。鉄道沿線のドイツやポーランドの新緑も楽しめました。



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(デュッセルドルフとライン川)


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(ブレーメンとヴェーザー川)


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(ハンブルクとエルベ川)

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(リューベックとトラヴェ川)



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(クラクフとヴィスワ川)


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(グダンスクとモトワヴァバ運河)


今回の旅も例年同様、僕流にカスタマイスされた旅行になったように感じます。ドイツ国内では持参のルーターがしっかり機能してくれて助かりました。携帯できるルーターとスマホは自分の現在位置とターゲットを知るためのマストアイテムです。単独行の自分には欠かすことができません。
ポーランドは初めてでした。ポーランドでルーターが使えるどうかもポイントでした。事前にケータイ会社にポーランドでも使えることを確認していましたが、実際のところ、ワルシャワ以外の2都市ではNGでした。スマホのGoogleマップが使えず思わぬ苦戦を強いられました。

今回の行程はこんな感じ・・・

 4月27日(木)羽田~上海
 4月28日(金)上海~フランクフルト~デュッセルドルフ
 4月29日(土)ブレーメン
 4月30日(日)ハンブルク
 5月1日 (月)リューベック
 5月2日 (火)ツェレ
 5月3日 (水)ハノーファー、ベルリン
 5月4日 (木)ワルシャワ
 5月5日 (金)クラクフ
 5月6日 (土)グダンスク
 5月7日 (日)フランクフルト
 5月8日 (月)フランクフルト~上海
 5月9日 (火)上海~羽田


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自称川屋という事でライン川、エルベ川、ヴィスワ川の沿川の街を旅程に入れた事も大正解でした。
これからいつものように時系列で書き始めます。

# by camino0810 | 2017-06-06 17:08 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年2月21日(火)岩手県山田町、宮古市、岩泉町、田老町

2月21日(火)岩手湾岸は晴れ、気温は平年並みでした。
今日は、雪の峠道を越えて、月1回の大船渡駅前の工事連絡会に出席しました。

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工事連絡会は今回で28回目になりました。大船渡市の担当者から「今回で工事連絡会を終了させては如何か」いう提案があり、承認されました。関係者全員が関係する大きな調整事項の整理がついたためです。
2年前は大船渡市、岩手県、UR、JRの4つの事業者と2つのCMR(発注者代行業務受託者)、多数の建設業者が駅前地区で一緒に工事をしていて、40名を超える出席者がいたものです。最後になった今回の会議では出席者は20数名に減りました。
大船渡駅前の津波復興拠点は基盤整備はほとんど完成し、まちづくり会社「キャッセン大船渡」が運営する商店街の建物の鉄骨工事が始まっていました。4月に基幹県道が元の場所に戻ると駅前地区は概ね形が出来上がります。
お昼前にかねて懸案だった岩泉に向けて車で大船渡を発ちました。去年の夏、観測史上初めて台風が東北地方の大船渡に上陸しました。台風10号は長時間に亘って進路の右側にある岩泉町に多量の雨を降らせ、大きな被害を出しました。
大船渡から岩泉までは約140キロの道のりです。三陸沿岸道路、R45号を走りました。
山田町の海岸脇の高台にある墓地に登りました。ここから海岸沿いに建設中の高い防潮堤がよく見えました。大船渡の防潮堤は海面から7.5mですが、山田町の防潮堤は大船渡より1~2m位高いように感じました。


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お墓の墓碑銘には明治29年に発生した明治三陸大津波の犠牲者が刻まれていました。母親と子供2名が亡くなっていました。新暦では6月15日ですが、旧暦では5月5日だった事が判ります。
明治三陸の津波災害では岩手県で約2万3000人の方が亡くなったと記憶しています。当時の岩手県の沿岸部人口が約10万人なので住民の2割が死亡した事になります。2011年の大津波を超える大災害でした。

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2016年8月に吉村昭の「三陸海岸大津波」を読みました。衝撃的な事実が淡々と語られていました。

「三陸海岸大津波」は、1970年に刊行された「海の壁ー三陸海岸大津波」を1984年に文庫版の刊行にあたって改題したものだそうだ。内容は1970年(昭和45年)版と同じである。
三陸地方を襲った3つ津波の記録が彼らしい語り口で淡々と書かれていた。
①明治三陸大津波(1896年:明治29年)死者 26,360名
②昭和三陸大津波(1933年:昭和8年) 死者 2,995名
③チリ地震津波(1960年:昭和35年) 死者 105名
明治29年6月の明治三陸大津波の甚大な被害に驚かされた。読み進めながら記載された数字をEXCELに落として簡単な表にしてみたら、空恐ろしい思いに駆られた。
この地震津波の死者総数は26,360名、内岩手県は22,565名だった。津波の襲来が夜の8時過ぎだった事も被害を大きくしたようだ。
2011年の東日本大震災(死者・行方不明者約18,000名)を上回る被害が出ていた。死亡者数もさることながらその死亡率の異常な高さに驚かされた。
湾岸の岩手県4郡の数字を南から北に並べてみた。明治29年当時、大船渡、陸前高田や広田は気仙郡に属していた。
     人口   死者   死亡率
気仙郡   32,609  6,748   21%  大船渡、高田、吉浜、広田
上閉伊郡  16,259  6,969   43%  釜石、大槌
下閉伊郡  35,482  7,554   21%  宮古、山田、田老、普代
九戸郡   19,422  1,294   7%   久慈
 合計   103,772 22,565   22%
もっと驚かされたのは、吉浜村(現大船渡市)、釜石町(現釜石市)恐るべき死亡率の高さだった。海沿いの集落は全滅していた。
     人口  死者  死亡率
吉浜村  1,075  982   91%
釜石町  6,557  5,000  76%
大船渡市の北にある吉浜地区は2011年の大津波で犠牲者をだしていないと聴いている。この浜の住民は明治29年の津波の教訓を活かし全員が高台移転したそうだ。
釜石の湾口防波堤は、国の直轄事業として1978年より建設に着手、2009年に完成した。今年の3月に釜石港に行ってみた。埠頭には防潮堤が完成していた。大船渡の防潮堤より1~2m低い感じだった。
大船渡はチリ地震津波で52名(全体で62名)の死者を出している。大船渡の湾口防波堤は、国の直轄事業として1962年より建設に着手、1966年に完成した。現在、大船渡湾岸では海面から7.5mの高さの防潮堤工事が進められている。
X型防潮堤のある田老では、明治29年津波で1859名、昭和8年で911名の死者を出している。
何故、この危険な町に住み続けるのか?
吉村昭はこう書いていた。
「しかし、住民は田老を去らなかった。小さな町ではあるが、環境に恵まれ豊かな生活が約束されている。風光も美しく、祖先の築いた土地をたとえどのような理由があろうとも、はなれることなどできようはずもなかった。」
北海道の新十津川村を想い出した。明治22年8月の豪雨で奈良県吉野郡十津川郷は壊滅的な被害を受けたという。山体崩壊、河道閉塞による土砂ダムが発生し集落が壊滅したのだろう。この地での生活再建は不可能と判断し、北海道の地に集団移転した。十津川郷は陸の孤島であるとともに土地自体のポテンシャルが小さすぎたのかもしれない。
明治期、三陸海岸の町や村は交通の不便さはあるものの豊かな海があった。陸路は不便でも海路があった訳で、海産物を乾物や干物に加工すれば生計は充分維持できるという考えがあったのではないか。
江戸期までは、租税は収穫した米だった。そのため、住民は必ずしも土地に対する執着は大きくなかったと聞いた事がある。明治政府は土地に課税した。政策的に造られた土地本位制が高台移転に支障したのだろうか・・・
吉村昭が存命なら、2011年の大津波をどう記述するのだろうか・・・ふとそんな風に思った。


宮古市内の閉伊川では防潮水門が建設中でした。 


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宮古から峠越えの道で岩泉に向かいました。
岩泉の一部の地域には小本川氾濫の痕跡が残っていました。洪水で橋が流されたままになっていました。


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岩泉中心地区は洪水で一部の家屋が流出していました。


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小本川の河畔の道を海に向かって下りました。県道沿いの民家は1階部分が洪水で流出したまま放置されていました。


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逃げ遅れて多くの犠牲者が出た特養ホームは補修工事が行われていました。


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特養ホームの横にある新築の牛乳工場は浸水で休業中でした。


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洪水の痕跡から浸水深は地上から3mくらいだったようでした。


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下流にある道の駅は補修工事が行われていました。この記事をアップしている4月20日にオープン式典が開催されました。復興も確実に進んでいるようです。


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海沿いのR45号を南下して大船渡に戻りました。
宮古市の田老で途中下車しました。有名な田老のX型の防潮堤が小さく見えました。多分、陸前高田の巨大防潮堤を何度も見てきたからでしょう。


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夜の8時過ぎ、大船渡のホテルに戻りました。往復300キロの運転は結構こたえました。

# by camino0810 | 2017-04-20 18:12 | 東北 | Comments(0)