2017年5月7日(日)ドイツⅡ その60 グダンスク(5)

ドゥーギ広場の「緑の門」を出ると、モトワヴァ運河に出ました。ジェロニー橋から運河が一望できました。運河は写真下から上に流れています。グダンスクの伝統的な赤を基調とした建物が運河左岸にずらりと並んでいました。
生憎の曇り空でしたが、文句なしの素晴らしい水辺が拡がっていました。今回の旅行先にグダンスクを選んで正解だったなと思いました。それくらい、モトワヴァ運河沿いの約800mの水辺は、価値が高かったと思います。


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最初にモトワヴァ運河を渡って中の島の再開発地区をぐるりと歩きました。

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(出展 Google)

モトワヴァ運河の右岸はボードウォークになっていました。モトワヴァ運河の流路幅は約50m。


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振り返って見た「緑の門」とジェロニー橋。
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観覧車がある中の島は、再開発地区でした。写真は、既設の建物の地下室を撤去した直後だと思います。土留め用の切梁は円形の鋼管、日本では見たことのない光景というか、あり得ない光景です。日本では切梁材としてH型をした鋼材を使うのが普通です。円形の鋼管は、構造的には座屈に対して強弱がないので合理的ですが、日本ではお値段が高いので使われません。土留めの壁は本体壁兼用だと思います。ポーランドは水平ジブクレーン派、日本はタワークレーン派でもあり、好みの違い程度のことかもしれません。いい悪いではなく、それぞれの国毎に違った流儀があるということでしょうか。


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完成予想図には運河沿いの賑わいの様子が描かれていました。

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運河沿いの白を基調とした建物群はマンションだとか。


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背の高い黒い建物はハンザ同盟都市として活躍したグダンスク名物の「木造クレーン」。跳ねだした頂部にウィンチでも取り付けて、接岸した船の荷揚げ、荷卸しをしていたようです。顔に当たる部分が真っ黒なのでちょっと恐い気分がありました。

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中の島の白い壁は海洋博物館。


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再開発地区の古い建物の壁にアーチ支保工を設置してありました。この壁を再利用するようです。この辺りが欧州の「つぎはぎ流」、「使いまわし」の思想を感じさせる光景です。空き家問題が顕在化した日本も彼らのリノベーションのテクニックを参考にできるのではと感じます。

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東側の運河沿いは、マリーナになっていました。建物群はマンションだそうです。

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マリーナには、沢山のヨットが停泊していました。東側の運河は写真上から下に流れています。

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「緑の門」の通りまで戻りました。写真正面がマリーナ。写真左が中の島。

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観覧車と「緑の門」。

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再び、モトワヴァ運河に戻ってきました。観光舟運は盛んな感じでした。下段の遊歩道と水面の高低差は2m弱、上段で3m弱、転落防止柵が全線に設置されていました。


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モトワヴァ運河の左岸河畔を下流に向けて歩きました。運河ウォーキングのハイライト部分でした。運河沿いの遊歩道の幅は、上段、下段合わせて20mくらいありました。デュッセルドルフのライン河畔の遊歩道ほど広くはありませんが、遊歩道の幅が15~20mあると快適に歩くことができます。


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2隻の観光船が停泊してました。観光舟運は盛んなようでした。今日は生憎日本でいえば真冬並みの寒さで曇り、日曜日でもお客はいませんでした。


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黒塗りの帆船は水上レストランだと思います。

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常設のカフェの脇を歩いて行きました。正面に例の黒い顔をした「木造クレーン」が見えていました。

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運河沿いの建物群は、伝統的な形式で、壁面と屋根のスカイラインを見事に揃えていました。しかも、建物は運河にしっかりと向いていました。通常、建物と川の間に車道があれば、建物は必然的に川を向きます。しかし、この運河には車道はありません。グダンスクは中世からハンザ同盟都市であったため、産業舟運が盛んでした。運河はある意味当時の「道路」でしたので、建物が運河を向くのは必定。この時の街並みがグダンスク市民の努力で現在まで維持されてきたということでしょうか。
現在は、産業舟運はバルト海に直接面した水深のあるグディニア港という外港に譲り、グダンスクは観光舟運や水上レジャーをターゲットにしているようでした。


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写真左の青い建物は五つ星のヒルトンホテル。ヒルトンも周りの建物と屋根を揃えていました。この辺りはピカピカでお洒落なデザインの建物になっていました。


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ヒルトン前の河畔遊歩道からの運河の眺めも文句なしに良かったです。


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振り返って見たモトワヴァ運河。運河は写真上から下に流れています。写真左側は中の島。

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写真左の赤レンガの建物はショパンフィルハーモニー。大きな船舶も停泊していました。

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Uターンして河畔を歩いて聖マリア教会に向かいました。お天気が良ければ、この辺りのカフェでビールを一杯呑んだことでしょう。


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当日にフェイスブックにアップした記事・・・グダンスクではモバイルが電波を拾えなかったのでフランクフルトのホテルでアップしました。

5月7日(日)グダンスクは雨後曇り、寒い。
朝7時過ぎ、グダンスク本駅を手始めに街歩きを開始した。
この街の観光ホットスポットは本駅の東南に固まっていた。教会や市庁舎などメーンはすべて赤レンガで仕上げてある。
グダンスクは千年の歴史を持つ風格に溢れた街だった。大小様々な教会はそれぞれに素晴らしいがどちらかというと前菜かアラカルト、観光のメーンディシュは市庁舎のあるドゥーギ広場だろう。「黄金の門」を潜ると素晴らしい街並みが姿を現す。一番人気の市庁舎前でツアー客が写真を撮りまくっていた。
反対側の門を抜けるとモトワヴァバ運河が現れる。この運河河畔の景観にも驚かされた。建物と運河の間に広いところで20mくらいのスペースがある。カフェなどが並んでいて、建物は運河に向いている。観光舟運も盛んなようだった。
ヒルトンホテルが河畔のいい場所に立地していた。5つ星の超高級ホテルはこじんまりとした造りだった。建物のスカイラインに配慮したようだ。グダンスク空港の1階待合ロビーに「グダンスク・ヒルトン」が大々的に宣伝されていた。この河畔が5つ星ということだろうか。
(省略)

運河河畔から旧市街に入って聖マリア教会を目指して歩きました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-01-04 08:54 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月7日(日)ドイツⅡ その59 グダンスク(4)

グダンスクの街中にはモトワヴァ運河が流れていました。モトワヴァ運河はモトワヴァ川の一部で、モトワヴァ川は、ヴィスワ川の派川だと思います。

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(出展 Google)

自称川屋にはグダンスクの川や運河が大変気になりました。
グダンスクは、ヴィスワ川の河口、ワルシャワは中流、クラクフは上流にあります。今回の旅行でたまたま選択したポーランドの3都市は、意外にもヴィスワ川繋がりでした。
ヴィスワ川はバルト海に注ぐ東欧の大河ですが、河口のグダンスク周囲には独特の地形が形成されていました。地図右側にはヴィスワ川が運んだ土砂が砂州となって堆積し、内側に巨大な潟湖が出来上がっていました。干拓すれば大きな農耕地もできそうですが、ポーランドはオランダと違って国土には余裕がタップリありそうなのでその必要もなさそうです。それにしても、この砂州のRの真円度の高さにも驚かされます。自然の営力の凄さを感じます。
中世のグダンスクの絵図面には下の地図の放水路はありません。ヴィスワ川は、河口手前で左側のグダンスクと右側の潟湖に分派していました。グダンスクはヴィスワ川が作った低平地にあるため、常襲的に洪水被害に悩まされていたようです。

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(出展 Google)

調べると、グダンスク市街地の東側に放水路が2本開削されていました。
1840年に第一次ヴィスワ川放水路、1895年に第二次ヴィスワ放水路が開削されていました。第一次の放水路では洪水流を吐き切らなかったのかもしれません。潟湖にはヴィスワ川の派川Nogat川も流入していました。
この状況を見て新潟市を思い起こしました。新潟市を流れる信濃川の河口から約40km上流の大河津に放水路(分水路)があり、市内には関屋分水路があります。新潟市自体は信濃川が運んで来た土砂が堆積した場所に立地した、日本海側を代表する大きな都市です。新潟平野の人たちは、大河津分水路(1922年完成)が完成する前には信濃川の度重なる氾濫に悩まされていました。分水路の完成で市内の信濃川には洪水が流れなくなったため、川幅を3分の1程度に縮小でき、洪水の被害もなくなりました。
グダンスクは日本でいえば新潟に似た都市ではないかとも思います。グダンスクは、ヴィスワ川の河口に立地した2本の放水路を持つ港湾都市、新潟市は信濃川の河口に立地、同じく2本の放水路を持つ港湾都市という訳です。


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(出展 Wikipedia)


グダンスクは、中世からハンザ同盟都市として繁栄してきた港町でした。稲妻型運河はハンザ同盟都市に共通した防衛インフラで、ブレーメン、ハンブルク、リューベックでも同じものがありました。17世紀のグダンスクの絵図面には西側にも稲妻型運河が描かれていました。現在、その運河は駅前の幹線道路や鉄道に変わっていました。


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(出展 Wikipedia)

ポーランドの歴史は、11世紀中頃から1600年頃までは首都のあったクラクフ、それ以降現在までは首都ワルシャワの2つの大都市を中心に展開されてきたように思います。
グダンスクは中世から自治都市、ハンザ同盟の貿易都市として、独自の発展をしてきた都市国家みたいな街のように思えます。自治権を持つとともに、納税や兵役などの義務を免除された「政治・経済特区」だったのではないかと思います。調べると、グダンスクはドイツ騎士団との確執や何度か他国の支配を受けるなど複雑な歴史がありました。

・980年ごろポーランドのミェシュコ1世がグダンスクに砦を建設。
・1235年、グダンスク自治権を得る。1224年、リューベックと似た都市法を確立した。(リューベックは1226年、都市基本法を制定)
・1308年、グダンスクは、ドイツ騎士団により管理され、植民地化される。ドイツ騎士団との確執が始まるも経済成長。
・1361年、グダンスク、ハンザ同盟に加盟。輸出品は、穀物(特に小麦)、木材、炭酸カリウム、タールをヴィスワ川の舟運網を利用。
・1410年、ポーランド王国、グルンヴァルトの戦いでドイツ騎士団に勝利。グダンスク市民はドイツ騎士団支配を嫌っており、ポーランド側に加盟。
・1457年、ポーランド王とともに13年戦争でドイツ騎士団に勝利、ポーランド王からポーランド王国の自治都市としての特権を得る。ポーランド国内の市場参加も認められる。
・ ポーランド王国の直接の庇護を得た16世紀と17世紀は、グダンスクの貿易と文化にとって「黄金時代」。

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(出展 Wikipedia)

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(出展 Wikipedia)

多民族の住民が混住することにより、街は繁栄を極める。カトリック教徒との深刻な対立はみられなかった。ポーランド王国には一貫して民族・人種・宗派・宗教の違いを受け入れる寛容な風土があったからである。
・1734年、グダンスク攻囲戦ではロシアに占領される。1793年、第2次ポーランド分割により、グダンスクはプロイセン王国に併合され、公式名称も「ダンツィヒ」に変更。ダンツィヒでは住民のドイツ文化への同化政策が徹底的に行われ、住民の多くはドイツ人(バルト・ドイツ人)となっていった。

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(出展 Wikipedia)

・第一次世界大戦後はヴェルサイユ条約によりドイツ領から切り離され、どの国にも属さない国際連盟保護下の「自由都市ダンツィヒ」となる。堤防が破損し、氾濫が頻発する。
・1939年、ポーランド侵攻に際して、グダンスクはドイツに占領される。グダンスクはドイツ軍と連合国軍との激しい戦闘により大半が破壊された。
・1952年、ポーランドが独立を回復すると、もとの「グダンスク」を公式名称としてポーランド領に編入。159年ぶりにポーランド領へ復帰。旧市街など、戦争で廃墟となっていた市街地は、残された資料をもとにポーランド人の手によって完全に復元される。
・1990年、「連帯」指導者だったレフ・ワレサがポーランド大統領。現在のグダンスクはポーランド最大の観光地の一つで、内外の多くの観光客でにぎわい、また主要貿易港の一つでもある。ポーランド北部の文化の中心地でもあり、ポーランド市民が精密に復元したグダンスク旧市街はその文化的価値が認められ、そう遠くないうちに世界遺産として正式登録される見込みである。

以上、長々とグダンスクの治水や歴史・文化に触れてきました。本末転倒な話しですが、実態的にはこのような知識はほとんど持たずにグダンスクを歩きました。予備知識なしでも素晴らしい街並みや水辺を楽しむことができたのは、詰まる所、グダンスク自体の観光的価値が高かったということになります。今から思うと、一定の予備知識があった方がより楽しみや理解が深まったと思います。
ドゥーギ広場の出口にある「緑の門」を潜り抜けてモトワヴァ運河に出ました。


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以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-01-02 21:11 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月7日(日)ドイツⅡ その58 グダンスク(3)

グダンスク本駅に近い、教会が集中している地区から歩き始めました。
聖ヨゼフ教会の門柱の表面は真新しい赤レンガでリノベーションされていました。門柱の背後の赤レンガは創建当時のものかもしれません。


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門柱には複十字が建っていました。腕木が2本の十字架はスロバキアの国旗にもなっています。
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グダンスクの観光の中心部はグダンスク本駅の東南部(写真の右側)に集中していました。

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(出展 Google)

聖ヨゼフ教会の斜向かいにある旧市庁舎は可愛らしい赤レンガ一色の小さな建物でした。鮮やかな赤なのでリノベーション済みかもしれません。

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聖ヨゼフ教会の裏側、多分、祭壇がある側だと思いますが、扁平な壁に尖頭アーチの大きな窓が付いていました。自分がこれまで見て来た大聖堂や教会の祭壇は円形のドームが多かったので、切妻型の扁平な祭壇は初めて見た構造かもしれません。同じカトリックでも地域性や独自の教会建築の様式があるようです。

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花壇の手入れも文句なしに丁寧でした。

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旧市庁舎前の公園には天体観測をしている人物の彫像がありました。JAN HEWELUSZ(1611年~1687年)はグダンスク生まれの天文学者でした。月の地形学の創始者だそうです。そういえば、コペルニクスは地動説を最初に唱えたマルチな才能を持つ天才的ポーランド人でした。ポーランドにはショパンやキュリー夫人など学術に秀でた人が多いように思います。


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公園の脇には巨大な屋根の「大製粉所」がありました。ラドゥニ運河の水位差を利用して水車で製粉していたようです。そう言えば、ハンブルクの巨大な内アルスター湖は水車を回すための貯水池でした。リューベックの大聖堂脇の大きな湖には水車小屋がありました。水車は中世~近世の都市の食を支える大事な産業インフラだと気づきました。


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朝の早い時間で冷たい雨が降っていたせいか、ラドゥニ運河周りは静かで落ち着きがありました。路面と運河水面の高低差は3m弱、転落防止策が設置されていました。運河は写真の上から下に流れています。赤レンガの眼鏡橋は、レンガの色が新鮮なのでリノベーションが終わったばかりかもしれません。


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赤レンガの眼鏡橋からラドゥニ運河下流側を眺めました。高欄には南京錠・・・有名な観光地によく見られる光景です。中の島に「大製粉所」があります。


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「大製粉所」と聖カタルツィナ教会・・・

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運河を堰き止めて2m程度の水位差が出来上がっていました。この水位差で水車を回したのでしょうか。

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運河下流にある、運河を跨ぐ赤レンガの建物も水車小屋ではないかと思います。


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旧市庁舎前の公園は、現代的なオブジェと中世からの歴史的建造物を見事に調和させていました。グダンスクには優れた「アーキテクト」がいるようです。


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聖カタルツィナ教会・・・

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教会集中地区の南側の広場まで来ました。5月でしたが、真冬並みの寒さと雨が結構こたえました。

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広場の勇ましい騎馬像にはリースが供えられていました。


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大通りを歩いて、ドゥーギ広場を目指しました。


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建設中の大きな施設が見えてきました。水平な腕木を持つジブクレーンが沢山建っていました。ポーランド人はジブクレーン派、ドイツ人と同じです。


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グダンスク観光のホットスポットまで来ました。
最初は「高い門」は1588年に完成した、風格のある石造り風に仕上げた門でした。グダンスク旧市街の表玄関で、当初は跳ね橋だったそうです。
3つのエンブレムはポーランド、ドイツ騎士団、グダンスク市のエンブレムだとか。独特のテクスチャーを持った外壁は自然石ではなく人工的なものだと思います。グダンスク周囲には岩盤がないようで、赤レンガのリューベック、ブレーメンと似ています。この3つの都市はハンザ同盟の都市、貿易で繁栄してきた港湾都市でした。

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その背後に控えるのが背の高い「囚人塔」、元々は街の防衛施設だったとか。外敵をいち早く発見する監視塔だったのでしょうか。

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囚人塔の後に「黄金の門」が続きました。1614年完成したオランダ・ルネサンス様式だそうです。

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「黄金の門」を潜り抜けるとドゥーガ通りでした。

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振り返って見た「黄金の門」・・・

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「高い門」などはある意味「前座」、ドゥーガ通り、ドゥーギ広場は「真打ち」、グダンスク観光の核心部だと感じました。生憎のお天気でしたが、中世、近世の気分を感じさせる素晴らしい街並みでした。絵葉書のような美しい街並みが続きました。


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ドゥーガ通りは幅が20mの石畳の通り、車の通行はありません。スカイラインを揃えた建物の向こうに背の高い市庁舎が見えていました。


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市庁舎まで来ました。高さは82m、1379年着工、1561年に完成、建設工期は182年。グダンスクの最盛期の建造物かもしれません。そういえば、クラクフの中央広場に建つ聖マリア教会も同じ82mでした。


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市庁舎のファサードは小振りですが、精巧な彫刻で飾られていました。「高い門」は精巧な人工物?に見えましたが、こちらは自然石だと思います。


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グダンスク市のエンブレムも彫られていました。エンブレムは、王冠の下に十字架が2つ並んでいました。もしかして、「複十字」とは2つの十字架の合成体かもしれません。


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振り返って見た市庁舎。


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ドゥーギ広場の入り口・・・

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ツアー客の一団がデジカメで市庁舎を盛んに撮っていました。


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ドゥーギ広場は、幅40mで長さが200mの石畳の広場でした。5階建てのパステルカラー建物群が綺麗に屋根と壁面を揃えていました。正面の門の向こうはモトワヴァ運河でした。


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門を潜り抜けて、モトワヴァ運河を歩きました。
当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月7日(日)グダンスクは雨後曇り、寒い。
朝7時過ぎ、グダンスク本駅を手始めに街歩きを開始した。
この街の観光ホットスポットは本駅の東南に固まっていた。教会や市庁舎などメーンはすべて赤レンガで仕上げてある。
グダンスクは千年の歴史を持つ風格に溢れた街だった。大小様々な教会はそれぞれに素晴らしいがどちらかというと前菜かアラカルト、観光のメーンディシュは市庁舎のあるドゥーギ広場だろう。「黄金の門」を潜ると素晴らしい街並みが姿を現す。一番人気の市庁舎前でツアー客が写真を撮りまくっていた。
反対側の門を抜けるとモトワヴァバ運河が現れる。この運河河畔の景観にも驚かされた。建物と運河の間に広いところで20mくらいのスペースがある。カフェなどが並んでいて、建物は運河に向いている。観光舟運も盛んなようだった。
(省略)

以下、次号・・・

# by camino0810 | 2017-12-31 07:55 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月7日(日)ドイツⅡ その57 グダンスク(2)

前日は朝クラクフを歩いて、夜遅くグダンスクのホテルに着いた訳で相当疲れました。6時過ぎに起床、睡眠はよく取れたと思います。今日はグダンスク空港18時発の飛行機で旅行の出発点フランクフルトに戻ります。

海外旅行のマストアイテム「地球の歩き方 チェコ ポーランド スロヴァキア(’13~’14)」にグダンスクの紹介がありました。グダンスクのキャッチコピーは「バルト海沿岸の歴史ある美しい港町」でした。

『バルト海沿岸の港湾都市グダンスクは、ポーランドで最も美しい町のひとつ。クラクフと並び、ポーランドが世界に誇る文化・歴史・観光の一大拠点だ。
町は1000年以上の歴史を誇り、14世紀にはハンザ同盟都市として繁栄を謳歌した。旧市街は、ゴシック、ルネッサンス、バロックといった各時代の建物で埋め尽くされており、当時の繁栄振りを今に伝えている。
華やかな街並みをもつ一方、グダンスクは、激動の歴史を歩んできた町でもある。グダンスクはドイツ名ではダンツィヒといい、自由都市、ポーランド領、プロイセン領とその帰属をたびたび変えてきた。第1次大戦後には、国際連盟管理下の自由都市となったが、1939年9月1日、ドイツ軍がヴェステルプラッテに奇襲をかけ、結果的にこれが第2次世界大戦の勃発につながった。戦争中には大きな被害を受けたが、その後復興し、町はかっての美しい姿を取り戻している。

グダンスク市内を貫流するモトワヴァ川の河口にヴェステルプラッテがあります。第2次世界大戦が、ドイツ軍のヴェステルプラッテ侵攻で始まったとは知りませんでした。グダンスクは、ワルシャワとともに第2次世界大戦の戦火で街はほとんど破壊されたようですが、立派に復興していました。

朝7時20分、ホテルを出発、街歩きを開始しました。街歩きに充てる時間は4~5時間程度しかありません。グダンスクの核心部を歩いてお昼にホテルに戻る作戦にしました。

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(出展 Google)

ホテルの前に奇妙なデザインの茶色の建物が建っていました。2014年8月にオープンした「欧州連帯センター」という建物でした。1980年8月、レーニン造船所の一労働者だったレフ・ワレサ(後の大統領)が労組を結成し自由を求めて、立ち上がったそうです。1989年、ベルリンの壁が崩壊、ワレサの率いる「連帯」が政権を取り、2004年にEU加盟。この建物は現在のポーランドの原点を記念するものだと思います。

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このホテルは朝食が付いていません。昨日クラクフの屋台で買った名物のリングパンで済ませました。

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この日は朝から冷たい雨が降りました。日本の真冬並みの寒さでした。グダンスク本駅を目指して歩きました。

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グダンスク本駅は赤レンガ造りの実に優美な駅舎でした。

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建築についての知識は乏しいのですが、この優美な駅舎の建築様式はバロック式だと思います。


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大きな駅ではありませんが、ディテールまで手抜きが感じられません。歴史的、観光的価値の高い駅舎だと感じました。

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ポーランドも駅舎の出入りは自由、中に入ってみました。

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プラットフォームは日本型のセパレート型、ドイツでよく見たワントップのドーム型ではありません。

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最新式のピカピカの電車が止まっていました。

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駅の待合ロビーはこじんまりとしていました。財布の現金が減ってきたので駅のATMでキャッシング、60ズォティー(1900円)のつもりが間違えて600ズォティー(19000円)もおろしてしまい、ショックを受けました。


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グダンスク本駅の道路下の地下通路には菓子パンや惣菜パンのお店がありました。パンは一つ2.5ズォティー(80円)程度、グダンスク市民の朝食替わりになっているのかもしれません。


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グダンスク本駅のお隣には新しいホテルが出来上がっていました。駅舎と同じコンセプトで設計されていました。


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グダンスク本駅の東南にある旧市街の観光の核心部に歩いて行きました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2017-12-30 06:55 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月6日(土)ドイツⅡ その56 グダンスク(1)

クラクフ本駅14時36分発の空港行きの電車に乗りました。これから、今回の旅行の最終目的地グダンスクに向かいます。クラクフはポーランドの国境沿いの南端、グダンスクはバルト海に面した北の端にあり、その直線距離は概ね600km。


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車内で切符を購入できました。クラクフ・バリツェ空港は市内から約13kmの場所にあります。9ズオティー(280円)、所要時間20分とは料金も含めて文句なしのアクセスの良さを感じました。


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ホームには昨日ワルシャワからクラクフまでお世話になった特急電車と似た電車が停車していました。


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黄色い電車はローカル電車?


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空港行きの電車は黄色でユニークな顔をしていました。


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ボックス席に40Lのバックパックと30Lのデイパックを置いて、車窓の風景を観察しました。


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駅周辺の風景・・・欧州の何処でも見られる光景でした。


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高層アパート群・・・。


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戸建て住宅・・・


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街中は電柱・電線が地下化されていても郊外での送電は日本と同じ鉄塔方式・・・。


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麦畑・・・

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ほどなく空港駅に到着、駅舎は出来立てのピカピカでした。


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空港駅と空港の建物は渡り廊下で繋がっていました。クラクフ・バリツェ空港のターミナルもピカピカのお洒落な建物でした。「 ヨハネパウロ2世・クラクフ・バリツェ国際空港」が正式名称、クラクフ出身のヨハネ・パウロ2世の名が付いていました。


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クラクフ・バリツェ空港は、長さ3kmの滑走路が1本用意されていました。もう1本くらいは増設ができるよう用地が取得されていました。土地の広い国はうらやましい限りです。


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滑走路は小振りでも国際空港、アムステルダム、ロンドンの3つ空港、フランクフルト、リーズ、ベルリン、マドリッドなど欧州の主要空港行きの便が沢山運航していました。イージージェットなどのLCCも乗り入れていました。


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もともと時間がたっぷり余っている上に、グダンスク行きの飛行機はさらに1時間40分遅れました。コーヒー(6.5ズオティー:200円)でも飲みながらPCで暇つぶしをするしかありません。


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16時40分、チェックイン完了。17時、軍服姿の係員による手荷物検査が完了して搭乗ロビーへ。
チェックインの時、係りの女性から「40Lのバックパックを機内持ち込みにすると155ズウォンティ(4500円)の追加チャージが発生する」と言われました。キャビン持ち込みなら無料だそうです。当然のことながら、キャビン持ち込みにしました。ベルリン~ワルシャワ間もキャビン持ち込みにすれば余分に60ユーロ(7500円)を支払う必要もなかった訳でチョッピリ悔しい思いがしました。
18時20分発ポーランド空港LO3502便はグダンスク空港に19時40分に着く予定でした。出航時刻が1時間40分遅れて、20時に延期。


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今度は搭乗ロビーで時間を潰しました。


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LCCのイージージェットは移動式通路を使っていませんでした。ジェット機を降りた乗客はエプロンを歩いてターミナルに移動していました。日本では見たことのない光景でした。空港施設利用料金を省いて安くするためかもしれません。


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「RYANAIR」はアイルランドのLCCでした。


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ポーランド航空LO3502便は小型のプロペラ機でした。クラクフ、グダンスク間の料金は3000円程度、格安のお値段で予約できたので文句はいえません。プロペラ機は80人乗りの小型機でした。


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出航の1時間後、プロペラ機はグダンスク上空まで来ました。夕暮れ時の街がオレンジの街路灯で浮かび上がっていました。写真上側がバルト海、写真真ん中の川は、市内を流れるモトワヴァ川。


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当日のフェイスブックにアップした記事・・・

5月6日(土)クラクフは曇り、適温。
14時36分クラクフ本駅発の空港行きは15時にクラクフ空港に着いた。正式にはヨハネパウロ2世クラクフバリツェ国際空港というそうだ。ワルシャワにはショパンの名前が付いていた。個人を顕彰するお国柄かもしれない。
この空港は出来立てのピカピカの空港だった。
出発案内板にはがっかりさせられた。18時20分発グダンスク行きLO3502便は20時出航と1時間40分遅れになっているではないか。もともと時間潰しに困っていたので搭乗ゲートでこの記事を書いている。チェックインの時、係りの女性は40Lのバックパックを機内持ち込みにすると155ズウォンティ(4500円)の追加チャージが発生するという。キャビン持ち込みなら無料とアドバイスを受けた。キャビン持ち込みを選択したわけだが、ベルリン~ワルシャワ間もキャビン持ち込みにすれば余分に60ユーロを支払う必要はなかった訳でチョッピリ悔しい思いがした。

21時05分、グダンスク・ワレサ空港に到着。この空港ターミナルもピカピカでお洒落でした。


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空港からホテルのあるグダンスク本駅までは約8kmとアクセス良好。マストアイテムの「地球の歩き方」にバスの乗り方の説明書きがありました。バス料金は3.2ズオティー(100円)、クラクフよりも更にリーズナブルでした。


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空港脇のバス停で210番の21時20分発のバスに乗車。切符はバス停脇の券売機で購入しました。グダンスク本駅までの乗車時間は約40分、通勤客との乗り合わせなので車内は結構込んでいました。車内で乗客の若い男性に英語で「このバスは、グダンスク本駅まで行きますか」と尋ねると、英語で「OK、車内の検札機に切符を通すのも忘れないように・・・」と返してくれました。とても親切な印象がありました。


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22時、グダンスク本駅に到着、駅前に人通りはありませんでした。駅のコンビニや売店が閉まっていたので、夕食用に開いていたマックでハンバーガーを買いました。


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ホテルまでは1kmくらいありそうですし、暗い道を重い荷物を背負っていくのはとても危険です。タクシーにしました。料金は、12.55ズオティー(390円)と随分とリーズナブル。
22時、ホテルにチェックイン。カードの事前決済が効かないホテルだったので、167ズオティー(5200円)をカードで支払いました。部屋でマックで買ったハンバーガーを食べました。



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マックは消費税込み13.6ズオティー(420円)、コカコーラは税込み4.9ズオティー(150円)。マックのような食料品は消費税が23%、コカコーラのような飲料は消費税8%という具合に消費税を差別化していました。頻繁に食べるものや使用するものは消費税を安く、贅沢品?は消費税を高くしてあるということでしょうか。
ポーランドでは日付の順番を日本と同じ西暦、月、日の順番に記載していました。ドイツを含め欧州では、普通、日、月、西暦の順です。そう言えば、ハンガリーも日本式でした。1386年、ポーランド・リトアニア連合が成立した時のポーランド女王はハンガリー出身なので、何か関係があるかもしれません。


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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月6日(土)グダンスクは晴れ、少し寒い。
22時、やっとの思いでグダンスク本駅近くのホテルにチェックインできた。クラクフ発のプロペラ機の出航時刻が1時間40分遅れた。グダンスク空港はグダンスク・レフ・ワレサ空港が正式名らしい。グダンスク空港もピカピカの空港だった。本駅行きのバスにうまく乗車できた。本駅まで30分、3.2ズウォンティ(90円)とは驚きのアクセスの良さとリーズナブル過ぎる料金だ。
駅のキオスクが閉店していたので久し振りにマックの夕食にした。
グダンスクが今回の旅行の最終地点になる。明日の18時の飛行機で出発点のフランクフルトに戻る。
明日のお天気が今一つなのが残念だ。

結構疲れた一日でしたが、何とかホテルまでたどり着けました。
翌日は、朝からグダンスクの街を歩きました。
以下、次号・・・



# by camino0810 | 2017-12-27 19:39 | ドイツⅡ | Comments(0)