2017年5月6日(土)ドイツⅡ その55 クラクフ(7)

12時にホテルをチェックアウトしました。これからクラクフ空港発18時20分LO3502便でグダンスクに向かいます。ホテルのスタッフに空港まではクラクフ本駅からの電車を勧めらました。


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40Lのバックパックと30Lのデイパックを持ってクラクフ本駅まで歩きました。時間はタップリあるので、再び旧市街を歩きました。

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(出展 Google)

中央広場の旧市庁舎・・・

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オブジェ・・・

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アインシュタインの蝋人形・・・

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12時30分、中央広場のカフェで一休みしました。

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ビールは500ccで14ズオティー(430円)、他に比べてビールは少し割高な感じでした。お店のスタッフにスナップ写真をお願いしました。


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カフェのテラス席から見た聖マリア教会や織物会館・・・この地に再び来ることは多分ないでしょう。


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ポーランドのタバコは、平均13ズオティー(400円)、日本より少し安めのお値段でした。タバコの健康障害表示は各国毎に様々ですが、ポーランドは東南アジアで売られているタイプのグロテスクな写真付きのタバコも置いてありました。


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リングの外に出てクラクフ本駅に向かいました。リング公園にはチューリップが綺麗に咲いていました。


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公園の一隅で男性と女性が握手をしている像に出会いました。

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台に1386、1886の2つの数字が刻まれていました。ポーランド語は全く不如意です。一体、この二人は誰か?「お題」を出された思いがしました。


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その答えを探してみました。
1386年は、ポーランド・リトアニア連合によりヤゲェウォ王朝始まった年でした。この像は、その中心人物の二人の国王で、その500周年を記念して1886年に建てられた顕彰碑だと想像します。ネットで検索すると

ピャスト朝が1370年にカジミェシュ3世の死により途絶えると、アンジュー朝のハンガリー王ラヨシュ1世が選ばれポーランド王ルドヴィクとして即位した。1382年のルドヴィクの死後、ポーランド王位を継承した11歳の末娘ヤドヴィガは、1386年にリトアニア大公ヤギェウォ(ヨガイラ)と結婚した。ヤギェウォはキリスト教に改宗してヴワディスワフ(2世)を名乗り、ヤギェウォ朝を築いた。

左側の女性はポーランド王位を継承した11歳の末娘ヤドヴィガ、右の男性はリトアニア大公ヤギェウォ。その二人が結婚したのが1386年ということでしょう。ポーランド・リトアニア連合国は当時欧州有数の大国だったそうです。ポーランドが絶頂期を迎えた時代だったと思います。

クラクフ本駅はリングの北側にあります。写真右側の赤レンガはバルバカンという円形の砦。


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リングの外にある広場に寄ってみました。

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この広場で大きな彫像に出会いました。「グルンワルド」というドイツ語風に綴られた文字が気になりました。
1386年に成立したポーランド・リトアニア連合が、1410年ポーランド北部のグルンワルドの戦いでドイツ騎士団を撃破したそうです。ドイツ騎士団はこれから向かうグダンスクとも深く関係しています。とにかく、ポーランドはそのドイツにも勝利した訳で、最盛期を象徴する戦いとして記念碑を造ったのではないかと思います。


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14時、クラクフ本駅に到着。駅前広場は実に広々として気持ち良かったです。この駅舎は建築遺産として残されているようでした。


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駅のホームはこちらのショッピングモールの真横にあります。


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日本と似たようなショッピングモールを駅に歩いて行きました。


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ポーランドでもお寿司は人気商品のようでした。


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このお店は日本の都市名を商品名に充てていました。Nagoya 26ズオティー(810円)、Tokyo 25ズオティー(780円)、Yokohama 36ズオティー(1100円)、Osaka 32ズオティー(990円)。ニギリと海苔巻きの数で値段を決めているようですが、日本に比べて割高な高級食となっているようです。


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14時25分、クラクフ本駅の改札階に到着しました。


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当日のフェイスブックにアップした記事・・・

5月6日(土)クラクフは曇り、適温。
久し振りに遅めに起きてノンビリできた。10時から1時間半掛けて旧市街をおさらいした。12時ホテルをチェックアウト、駅まで重いバックパックを背負うのが辛くなってきたので、一休みしている。
クラクフ空港発18時20分発グダンスク行きの飛行機まで時間が有り余っている。時間潰しに中央広場のカフェでビールを飲むことした。
ポーランドは英語が通じにくい国だと聞いていたが、ホテル、スーパー、カフェのスタッフは英語が堪能で助かった。僕の下手くそな英語も理解してくれる。
結局、空港にはクラクフ本駅から電車で行くことにした。ホテルのスタッフの話しでは、所要時間は20分、9ズオティ(270円)だという。アクセス、料金も文句なしにありがたい。

これから郊外線に乗ってクラクフ空港に向かいました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2017-12-24 17:49 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月6日(土)ドイツⅡ その54 クラクフ(6)

中央広場に飾り馬車の車列がずらりと勢揃いしていました。壮観な眺めでした。

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中央広場右手の尖塔は旧市庁舎、中央が織物会館、左手が聖マリア教会。


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中央広場の北側の路地を歩くと、例の横目地の建物が並んでいました。


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旧市街の北側にあるフロリアンスカ門の裏側は絵画の展示売り場になっていました。


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フロリアンスカ門の外に出て、リングを歩いてみました。


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リングの公園は、瑞々しい新緑です。

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クラクフの街ではリング状のパンを売っている屋台をよく見掛けました。日本のタコ焼きや大判焼きみたいなものでしょうか。お値段は3ズオティー(90円)、地元の人たちがスナック替わりに食べているようでした。


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旧市街は、フロリアンスカ門を含む城壁のみが保存されていました。


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フロリアンスカ門の東側には風格に溢れた建物がありました。ユリウシュ スウォヴァツキ劇場という劇場でした。
ユリウシュ・スウォヴァツキ(1809年~1849年)は、ポーランドのロマン派詩人、劇作家。彼の遺骸は1927年、ヴァヴェル大聖堂に移されそうです。お隣のお墓にはアダム・ミツキェヴィチが眠っているとか。アダム・ミツキェヴィチは、19世紀の革命詩人で愛国詩人で、その銅像が中央広場の真ん中にありました。両人とも苦難の歴史を歩んできたポーランド人を芸術で励ました英雄たちだったようです。




旅行先の国、街、建物や風景をそれなりに理解するには、その国やご当地の歴史的な成り立ちを一応知っておく方がいいと思うようになりました。日本人は京都、奈良や東京などの観光地について、ご当地の歴史・文化について一定の教育を受けています。京都、奈良や東京の歴史的な建物を見たとしても簡単な説明を受ければ違和感なく受け入れることができます。
この街を歩いている時は、クラクフに関する自分の知識が相当不足していました。

クラクフは11世紀中頃から1596年まで約550年間ポーランドの首都でした。以下、『地球の歩き方』からポーランドの歴史を概括してみました。

1025年:ボレスワフ1世がローマ教皇から正式にポーランド国王として認められる。
1370年:カジミエシュ3世(在位1333年~70年)により最盛期を迎えたが、彼の死によりビャスト朝断絶。
1386年:ポーランド・リトアニア連合によりヤゲェウォ王朝始まる。
1654年:”大洪水”と呼ばれる、ロシア軍、スウェーデン軍などによりポーランド侵攻始まる。
1772年:18世紀に入り大北方戦争勃発、1733年には国内で王位継承戦争が起こるなど、戦争によって国は衰退の一途たどる。そして、ロシア、プロシア、オーストリアによる第1次ポーランド分割が行われる。
1795年:1793年には第2次ポーランド分割、そして1795年の第3次ポーランド分割によりポーランド王国は消滅する。
1830年:フランス7月革命に呼応してポーランド民衆のなかに独立の機運が高まり、11月蜂起発生。戦闘は9ヶ月続いたが、敗北。以後、ロシア化が強化され、ロシア帝国に併合される。1846年クラクフ蜂起(反オーストリア)発生。
1863年:1月蜂起(反ロシア蜂起)発生。ロシア領ポーランドで農奴解放令布告。独立運動は沈静化に向かう。

1493年の旧市街の絵図面は北側から俯瞰した絵だと思います。クラクフの街はヴィスワ川を挟んで2つに分かれていました。当時のヴィスワ川は大きく蛇行していたようです。絵図の左側の市街地にはカジミエシュ地区も含まれていたのではないかと思います。カジミエシュ地区はユダヤ人が現在でも生活する地区ですが、1335年、カジミエシュ大王の手でクラクフとは別の街として造られたそうです。大王は当時迫害されていたユダヤ人保護の熱心に取り組んだ王として知られ、彼の時代には多くのユダヤ人がクラクフに移り住み商工業の発展に寄与したそうです。

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(出展 Wikipedia)
1896年の旧市街の地図に1493年の旧市街の絵図面の旧ヴィスワ川を入れてみました。およそ川というものは生き物みたいなもので、放置すると、どんどん蛇行していくものです。人口増加に伴う市街地の拡大や洪水防御のために、川の付け替えや直線化は洋の東西と問わず行われてきたと考えてもいいでしょう。


(出展 Wikipedia)

16世紀末の絵図面には西側から俯瞰した旧市街が描かれていました。ヴァヴェル城、聖マリア教会が描かれています。手前の広場で軍隊が行軍しています。ヴィスワ川には、材木で組んだ筏が浮かんでいて、筏に物資を載せて輸送していました。


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(出展 Wikipedia)

同じ16世紀末のヴァヴェル城とヴィスワ川の産業舟運・・・


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(出展 Wikipedia)

1654年、「大洪水」と呼ばれるロシア軍、スウェーデン軍などによるポーランド侵攻始まりました。
1655年のスウェーデン軍によるクラクフ城攻撃の様子が克明に描かれていました。この絵は東側から俯瞰的に描かれていました。スウェーデン軍の大群がクラクフ城を囲み、沢山の大砲からクラクフ城内へ飛ぶ砲弾や砲弾が炸裂している様子が描かれていました。この戦いでクラクフは陥落したそうです。


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(出展 Wikipedia)

ワルシャワ旧市街に名門ワルシャワ大学があったように、クラクフ旧市街にも名門ヤゲェウォ大学がありました。中欧ではプラハのカレル大学に次ぐ歴史のある大学で、コペルニクスや前ローマ法王ヨハネパウロ2世も学んだそうです。
このような関係からでしょうか、旧市街には古本屋さんもありました。羊皮紙で包まれた古書も並んでいました。


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例の閻魔大王の頭みたいな教会・・・教会の建築様式としてはなんと呼ばれているのか?


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ホテルに戻る途中、着ぐるみの人が何か勧誘していました。

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カフェテラス・・・

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この道も何度も歩きました。日が差してきました。

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ヴァヴェル城まで戻りました。


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11時30分、ホテルに戻りました。部屋で出発の支度をしました。
以下、次号・・・


# by camino0810 | 2017-12-22 22:13 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月6日(土)ドイツⅡ その53 クラクフ(5)

昨日は朝ワルシャワの街歩き、夕方はクラクフの街歩きと大変忙しい一日で疲れました。今日はクラクフ空港発18時20分発の飛行機でグダンスクに向かう予定です。久し振りに遅めに起きてノンビリできました。
ホテル「ROYAL」は三ツ星のリーズナブルなホテルでしたが、ヨーロッパでよく見掛ける伝統的な外観や内装のホテルでした。


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7時30分朝食、ビュフェ式でお好きな料理を好きなだけ食べることができました。美味しかったです。

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食事を終えて、ホテル裏口から表玄関まで電車通りの歩道を歩いてみました。ホテルの外壁を見てみると、結構、痛んでいました。ヨーロッパの伝統的な建物は赤レンガの表面をモルタルで仕上げていました。

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外壁はモルタルで仕上げていました。モルタルの横目地はこの手の建物のマストアイテムになっています。ハイレベルな建物だと砂岩や石灰石などの自然石を使用しているようでした。

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この外壁は目抜き通りから丸見えですが、かなりの間放置されているようでした。メンテナンスに回すお金が出せないのかもしれません。

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今日は40Lのバックパックと30Lのデイパックを持って空港まで行く必要があります。重い荷物を背負って動き回るのは大変です。そんな訳で、30Lのデイパックだけを携行して、10時から1時間半掛けて昨日見た旧市街をおさらいする作戦にしました。12時頃にホテルに戻ってチェックアウト、クラクフ本駅からクラクフ空港に向かう段取りです。

10時、旧市街の南端にあるヴァヴェル城から街歩きスタート。
伝統に溢れるこのお城も良く見ると補修の跡が沢山ありました。城壁も赤レンガと自然石の2種類で出来ていました。お城本体の外壁も同じです。欧州の建造物は基本的に「ツギハギの思想」が基本的なコンセプトになっているように感じます。


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旧市街のモルタル造りの建物・・・例の横目地が落ち着いた風格のある気分を出していました。


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旧市街の教会の外壁もツギハギだらけです。これが決して貧相に見えないのも実に不思議です。欧州では昔のものを大事に使いまわす伝統が今でもしっかり根付いているように思います。欧州は、日本のスクラップビルト型のフロー社会とは対照的なストック社会だといつも感じます。

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旧市街のメーン通りを右に折れて路地裏を歩いてみました。石畳の舗道にカフェがしっくりと収まっていて落ち着いた良い気分を出していました。電柱や電線などは勿論ありません。

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横目地の建物もありました。

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職人さんが外壁の補修をしている珍しい場面に遭遇しました。このような職人がクラクフの街の景観を支えているようです。粗仕上げを終えた外壁のタッチアップをどう処理するのかが腕の見せ所だと思います。


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旧市街を東西に横断する通りにはトラムが走っていました。

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旧市街のリングの公園・・・滴る新緑が眩しいかぎりです。

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飾り馬の馬車もすっかりお馴染みになりました。

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中央広場の東北の角に聖マリア教会があります。教会の裏手にある広場までやってきました。

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建物の外壁はパステルカラーを上手に塗り分けていました。

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聖マリア教会の裏手から中央広場に入りました。

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中央広場は一辺が200mの真四角の広場、実に広々しています。

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若い女性たちが広場でパフォーマンスを始めました。

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聖マリア教会は高さ82m、旧市街で最も高い建物でした。1222年に完成したゴシック様式だそうです。この教会は、ヴァヴェル大聖堂があるので、教会の序列はNO2でもクラクフを代表する宗教施設だと思います。リューベックの旧市街の中央部には、大聖堂を上回る大きさの聖マリア教会がありました。リューベックの聖マリア教会もほぼ同時期の建物。何となく似たような感じもします。
http://camino0810.exblog.jp/27081299/
西欧の大聖堂のファサードの尖塔はほとんど左右対称でしたが、この有名な教会の2本の尖塔は非対称でした。日本的な感覚だと左右を揃えるのがしっくり来ますが、東欧の人たちは違う感覚があるのかもしれません。窓などのディテールも微妙に違っています。設計者の意図は何か少し気になるところです。

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広場に大きな彫像がありました。ポーランドの国王と思いきや、19世紀の革命詩人で愛国詩人のアダム・ミツキエヴィッチという人だそうです。銅像は19世紀末に造られました。



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お土産でもないかと中央広場の真ん中にある織物会館に入ってみました。

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織物会館の中はお土産物さんがずらりと並んでいました。東欧の気分が溢れた民族色豊かなお土産がどっさり陳列されていました。

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彫刻が入った小箱・・・


素朴な木彫りの人形、ユダヤ人の人形もありました。

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ポーランドはほぼ100%カトリックですが、ロシア正教のイコン像が並んでいました。


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名産の琥珀を使ったペンダント・・・

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民族衣装・・・

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琥珀、お人形、レース・・・

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イコン像と十字架、イースターエッグ、琥珀・・・

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カミサンにお土産を買いました。お土産の琥珀は、255ズオティー(7900円)、日本で買うと3倍はするといわれています。カードで購入できました。日本円で決済できるのも便利です。

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琥珀を買ったお土産さんの若い女性店員は愛想が良かったです。カメラを向けるとポーズをとってくれました。英語OKでした。

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引き続き旧市街を歩きました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2017-12-15 09:28 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月5日(金)ドイツⅡ その52 クラクフ(4)

18時40分、中央広場の西側の道路からリングの西側に出ました。

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北を下にしたクラクフの旧市街の地図です。リングを時計回りに歩いてホテルを目指しました。


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(出展 Google)

リングは道路と公園でできていました。道路はトラム、車、歩行者が混在していました。夕食時のせいか、買い物客らしい多くの市民が歩いていました。リングの内側は公園にしてありました。



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リング内側の公園の手入れは実に丁寧でした。


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リング外側の建物は、見事にスカイラインを揃え、デザインも合わせていました。統一感のある、風格に溢れた街並みでした。クラクフでは街区を綺麗に整えることがごく当たり前に浸透しているのかもしれません。十数年前、東京郊外の国立でマンションの建設が差し止めになった事案がありました。確か、新規のマンションが周囲の景観を毀損する恐れがあって反対運動が起こったと記憶しています。
日本は未だ景観後進国という気がしますが、最近、良い景観を目指そうという機運が高まってきたように感じます。


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リング最北端の公園に入ってみました。恐るべき手入れの良さに唖然としました。




良く手入れされた瑞々しい新緑と水のある光景は、文句なしに素晴らしかったです。


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道路を渡って、リングの外側にある広場に立ち寄ってみました。


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再び、リングの内側の公園に戻りました。円形の赤レンガの建物は、バルバカンという1498年に完成した昔の砦だそうです。ワルシャワ城の城壁にも似たような円形の城門がありました。城壁から半島状に飛び出した防衛施設のようでした。



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この辺りにはクラクフ城の外壁が残っていました。かつてリングの公園部分はお堀で、その内側に城壁が張り巡らされていたと推測します。フロリアンスカ門は、1300年に完成、高さが20m近い高い鐘楼になっていて、監視塔の役割もあったようです。中世から近世に掛けてこのような城門が城壁の各所にあったと思います。




城壁の高さは、10m程度はあったと思います。




バルバカンの裏側・・・現在は周囲と地続きですが、近世頃まではフロリアンスカ門とはお掘を横断する道路で繋がっていたでしょう。江戸城の半蔵門や平川門みたいな感じだったのではないかと思います。




何故か、公園内に東京の風景写真が展示されていました。道路上に高架の鉄道が走っているので、秋葉原だと思います。建物のスカイラインやデザインのバラバラ感、ど派手な宣伝看板などはクラクフ市民には全く異次元とも言える世界ではないでしょうか。
そもそも、京都ではなく東京の秋葉原の写真が何故展示してあるのか?
日本人の自分としては自虐感を捨てて、肯定的な理由を考えてみました。もしかして、クラクフ市民は東京の街の価値をそれなりに認めているのではないか。
 ①東京の街並みは、クラクフとは相当違っていて、異文化的存在でなんか不思議で面白そう。
 ②漫画、お寿司、ラーメンなどの娯楽や食文化が興味深い。




再び、リングに戻り南に向けて歩きました。風格のある建物が続きました。



クラクフでもトラムは大活躍の様子でした。




噴水広場まで来ました。この近くにクラクフ本駅があります。沢山の通勤客が歩いていました。


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写真の赤レンガの建物は消防署でした。


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リング内の公園の遊歩道を歩いて行きました。

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手入れは何処でも行き届いていました。

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ホテルの裏口まで戻ってきました。

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電車通りに出て、ホテルの表玄関まで行きました。

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ヴァヴェル城も夕暮れに包まれていました。

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19時30分、ホテルの玄関に到着しました。17時にここを出発したので、2時間半の街歩きでしたが、クラクフの旧市街は大きな街ではないので一通り歩けました。


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ホテル内には昔のクラクフの絵が飾ってありました。

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部屋はシックで古風な部屋でした。ブラウン管テレビが置いてありました。

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この日は、朝早くからワルシャワを歩き、お昼に電車でクラクフに着いて、夕方からクラクフを歩きました。相当疲れましたが、ポーランドを代表する2つの街を無事歩き終えて満足できました。


当日にフェイスブックにアップした記事・・・明日のお天気が雨の予報なので無理をして歩いたことが判りました。

5月5日(金)クラクフは晴れ、温暖。
15時にホテルにチェックイン、一休みして17時から街歩きを始めた。5月のヨーロッパは21時位まで明るいので時間は十分に取れる。
(省略)
リングの北端まで行ってリング道路沿いに南下した。ホテルに帰り着いたのが19時、2時間の歩きでもこの街の素晴らしさが理解できた。
リング道路の外周には風格ある建物が並んでいた。リング公園は新緑が瑞々しかった。夕方近くでも沢山の人がせっせと歩いていた。
明日は雨の予報なので今日中歩いておいたほうが得策と考えてかなり無理して歩いた。朝はワルシャワで歩き、夕方クラクフで歩き相当疲労した。
明日の夕方、今回の旅の最終目的地グダンスクに向かう。

翌日も再び旧市街を歩きました。
以下、次号・・・


# by camino0810 | 2017-12-07 06:13 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月5日(金)ドイツⅡ その51 クラクフ(3)

海外旅行では必ず携行する、マストアイテム「地球の歩き方 チェコ ポーランド スロヴァキア(’13~’14)」にクラクフの紹介がありました。
クラクフのキャッチコピーは「ポーランドの京都と称される美しい古都」でした。

『クラクフは11世紀中頃から1596年までの約550年間ポーランド王国の首都として栄えた都。特に1386年から1572年まで続いたヤギェウォ王朝の時代は黄金期といわれ、当時のクラクフはボヘミアのプラハ、オーストリアのウィーンと並ぶ文化の中心であった。旧市街の南、ヴィスワ川河畔の丘に華麗な姿を見せるヴァヴェル城には歴代のポーランド王が住み、同じ敷地内にある大聖堂は、王の戴冠式が行われたとともに、永眠の場所であった。
ポーランドのほかの都市が第2次大戦で壊滅的な打撃を受けたなか、クラクフが戦災を免れたのはここにドイツ軍の司令部がおかれていたためだという。「ワルシャワが東京とすればクラクフは京都」ともたとえられる歴史的な町並みは、1978年にユネスコに世界遺産に登録されている。ヴァヴェル城や旧市街をはじめ町全体が中世のたたずまいを残し、しっとりした古都の趣きが薫り立つ。時代を超えた雰囲気のなか、足の向くままに街をそぞろ歩いてみよう。風にのってどこかから漂ってくる音楽の調べが、遠い歴史の彼方へ誘ってくれる』

第2次大戦中、アメリカ軍は京都だけを爆撃目標から外し、ドイツ軍はフランスのパリを無血開城し、その街並みを保全しました。高名な歴史文化資産は市民をも守る力があったと考えてもいいでしょう。

18時、再び、ヴァヴェル城の北側まで戻って、クラクフ旧市街の街歩きを開始しました。

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(出展 Google)


写真左側の建物が王宮、ポーランド歴代国王の墓所もあるそうです。そのお隣の青い屋根の尖塔がヴァヴェル大聖堂。城壁の赤レンガと芝生の緑のコントラストも優れた景観になっていました。


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旧市街には観光用の馬車がひっきりなしに走っていました。馬車の装丁もゴージャスですが、馬もお化粧も負けずに豪華です。

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旧市街の入り口・・・車を排除して人の通行だけにしている感じでした。石畳の道を北に向けて歩いて行きました。

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小学生らしい一団に出会いました。服装は日本の小学生と似たような感じです。

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引率の先生たちでしょうか、女性は全員パンツルック・・・これまで欧州の街でスカート姿の女性はほとんど見かけたことはありません。日本人女性のスカートの割合が高いのは何故でしょうか。

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聖ペテロ聖パウロ教会は白壁のどっしりしたファサードでした。

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賢人像がずらりと並んでいました。

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聖アンデレ教会のファサードは尖塔タイプ。教会建築にもいろいろな流儀があるようです。この辺りは教会が多く、宗教施設が集中していました。江戸時代の東京のみたいに職能別の住み分けがあったのかもしれません。

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馬車を引く2頭の馬の飾りもゴージャス。

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今日は金曜日、5月のヨーロッパは21時くらいまで明るいのでこれから益々人出があるでしょう。

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本通り脇の私有地?建物と芝生や樹木が良く調和していました。

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大通りを北に歩いて行きました。

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ホテルのフロントで夕食のおすすめのお店を紹介してもらうのを忘れていました。仕方がないので、通り沿いの「SPAR」に寄って夕食を買い求めました。ドイツではコンビニが見当たらず結構困ったものです。日本ほど高密度ではないけど、ポーランドはコンビニがあった方だと感じます。惣菜パン、菓子パン、ジュースなどで15.18ズオティー(470円)、とにかくリーズナブルでした。
コンビニでも野菜なども販売していました。
 オレンジ1kg 5.05ズオティー(160円)
 ブドウ 1kg 9.39ズオティー(290円)
 パプリカ1kg 11.48ズオティー(360円)
 ズッキーニ1kg 4.69ズオティー(150円)


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菓子パン1個 1.95ズオティー(60円)、食パン1個 2.79ズオティー(90円)


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ドミニカン修道院のファサードは、閻魔大王の帽子みたいで日本人には怖い思いをするでしょう。写真左端に「GETTO」という標識が写っていました。ユダヤ人居住区の「ゲットー」だと思います。クラクフにはユダヤ人が沢山居住しているそうです。ヴァヴェル城の東南にはゲットーがあり、映画「シンドラーのリスト」のロケが行われたそうです。クラクフの近くにはアウシュヴィッツもあります。

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両替商のレート・・・
ユーロの交換レート WE BUY 1ユーロ⇒4.02ズオティー(125円)
          WE SELL 1ユーロ⇒4.25ズオティー(132円)
日本円の交換レートはWE BUY100円⇒3.05ズオティー 1ズオティー≒33円
         WE SELL 100円⇒3.80ズオティー 1ズオティー≒26円

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「中央広場」に到着しました。クラクフ旧市街といえば何といっても「中央広場」。大きな尖塔は旧市庁舎の塔でした。

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中央広場は200m四方の大きな広場でした。中央にある織物会館は、お土産物さんが沢山入った一種のショッピングモールでした。中央市場は、東京でいえば、築地市場みたいなものかもしれません。広場の右上に「聖マリア教会」がありました。


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(出展 Google)
旧市庁舎の塔と織物会館・・・

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聖マリア教会は1222年に建てられたゴシック式の教会。塔の高さは82mだそうです。

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これだけ広々とした広場を歩いたことはありません。ドイツのライプチヒの駅舎もそうですが、大きいこと、広いことはそれだけで十分価値が高いなと感じました。


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聖マリア教会のファサードの2本の尖塔は左右非対称でした。尖塔は赤レンガ製、ドイツもそうでしたが、石材が乏しい地方だったのかもしれません。

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織物会館のファサードは多連のアーチで長さは100mもあるそうです。ゴージャスな建物でした。クラクフの繁栄を象徴する建物だと思います。2Fはクラクフ国立美術館。

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広場周囲の建物群は5階建てでスカイラインを綺麗に整えていました。


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中央広場の西側の通路を歩いて外側のリングに向かいました。道路にはトラムの線路跡が残っていました。中央広場へのトラムの運行を止めたようでした。ドイツのブレーメンでは中央広場にトラムを入れていましたが、クラクフの方が正解ではないかと思います。


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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月5日(金)クラクフは晴れ、温暖。
15時にホテルにチェックイン、一休みして17時から街歩きを始めた。5月のヨーロッパは21時位まで明るいので時間は十分に取れる。
クラクフの街はリューベックと似ていた。旧市街は楕円状のリング道路、公園、城壁に囲まれている。中世の時代には、かなりの防衛力を持った都市国家だったのではないか。
リング道路はドイツのフランクフルト、ケルン、ライプチヒ、レーゲンスブルクでも見掛けた。中世~近世には、リング道路はお堀になっていて、現代になって埋め立てて公園や道路にしたのではないか。
ホテルはリングの南端にあるので、南のヴァヴェル城から歩き始めた。お城の城壁からヴィスワ川がよく見える。ワルシャワのヴィスワ川は河川利用がなかったが、上流のクラクフでは観光舟運が割と盛んだった。
リングの中は大勢の観光客で賑わっていた。第2次大戦で京都が爆撃対象から除外されたようにクラクフも爆撃を逃れたという。そのため中世からの歴史的建造物が沢山残されている。なるほど、古都クラクフが世界遺産に登録された所以だ。
欧州の街は大聖堂、教会や市庁舎と広場がセットになっているパターンが多いように感じる。
クラクフの広場はざっくり200m×100mが2面あり、大勢の人が集まっていた。
リングの北端まで行ってリング道路沿いに南下した。ホテルに帰り着いたのが19時、2時間の歩きでもこの街の素晴らしさが理解できた。
リング道路の外周には風格ある建物が並んでいた。リング公園は新緑が瑞々しかった。夕方近くでも沢山の人がせっせと歩いていた。
明日は雨の予報なので今日中歩いておいたほうが得策と考えてかなり無理して歩いた。朝はワルシャワで歩き、夕方クラクフで歩き相当疲労した。
明日の夕方、今回の旅の最終目的地グダンスクに向かう。

引き続き、リングの西端から時計回りに北端まで行って、リング沿いに南下してホテルに戻りました。
以下、次号・・


# by camino0810 | 2017-12-02 14:12 | ドイツⅡ | Comments(0)