2016年5月7日(土)ドイツ その79 シュトゥットガルト(6)

シュティフト教会の尖塔は高さが68mで旧市街では一番高い建物だったと記憶しています。中世の昔からこの街を見つめ続けてきた歴史的な建物のようでした。

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教会の中は自由に見学できました。教会の内部はオーバーアマガウのロココ調の艶やかな内装とは大きく違っていて、質素な感じがしました。

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この教会の歴史は古く、10世紀に最初の建物が建てられていました。小さな建物に徐々に大きな建物を被せていく様子が記されていました。中世末期の15世紀に現在の骨格が形成されていました。キリスト教の普及・発展の歴史をそのまま体現しているような感じです。
欧州の歴史的建造物をこれまで観てきて、昔のものを大事に取っておいて使いまわすという思想を感じます。欧州の人たちには「建て増しの思想」、「継ぎ足しの思想」がイデオロギーとなって染みついているように感じます。

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教会を後にして再び街を歩きました。


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建築中の建物の柱の華奢加減に驚きました。地震のないとこれだけ柱を細くできるとは羨ましい限りです。

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15時30分、カフェで一休みすることにしました。この時間帯はお客は皆テラス席に座るので店内は空いているのでノンビリできます。


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ガラガラの店内席に座って500ccの黒ビール(4.2ユーロ:550円)を注文しました。ビールをやりながら当日の日記をFBにアップするのがお決まりのパターンになりました。


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トイレの取材は何処に行っても欠かせません。
小便器は脚なしタイプ・・・ドイツで日本みたいな脚付きの小便器をみることはついにありませんでした。


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それと、ドイツでシャワートイレを見掛けることもありませんでした。これまで欧州でシャワートイレを見たことがありません。欧州人はわりと頑な人たちだと感じます。


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面白かったのは「小は座って足しなさい」という案内板でした。自宅でもこの方法で用を足しています。ドイツ人も同じでした。


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勘定を支払う時、お店のスタッフに記念写真を撮ってもらいました。

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駅に向けて、来た道を引き返しました。


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何処に行ってもたくさんの人で賑わっていました。


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アラブ系の人たちがライブをしていました。

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例のパルテノン風のモールの前も人で溢れかえっていました。


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新宮殿前の芝生では相変わらず多くの人たちが日向ぼっこをしていました。


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中央駅が近づいてきました。

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落書きコーナーもありました。


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17時、シュトゥットガルト中央駅に戻ってきました。12時にこの駅に着いて街歩きを始めて7時間が経過していました。


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駅舎の右側の高い塔の天辺にはベンツのエンブレムが飾ってありました。名古屋はトヨタの企業城下町ですが、この街はベンツの企業城下町かもしれません。

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ドイツに実際に来てみて判ったことですが、ベンツはドイツ国内では大衆車であり、高級車だけを扱うメーカーではないことでした。


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中央駅の駅前道路は人の流れを遮断しているようであまり感心しませんでした。ライプチヒ駅前、ドレスデン本駅駅前も似たような感じがしました。この駅前道路を地下化するなど改善を加えるともっといい街になるでしょう。



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駅構内に戻ってきました。なんか天井の高いライプチヒの駅舎と似ていました。


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構内の寿司ショップで夕食用に巻きずしを買いました。

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巻きずしは4.99ユーロ(650円)、正直な感想を言うと味はイマイチでした。


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改装中の通路には世界の駅舎の写真が展示されていました。
ドイツ人から見た新宿駅は内装でも外装でもなく「人通りの多さ」でした。


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スペインのマドリッドのアトーチャ駅・・・2010年にこの駅からスペイン新幹線アヴェでバルセロナに向かいました。大きなドームにジャングルがあるユニークな駅舎でした。


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17時22分発ハンブルク行きのICE572号に乗車しました。


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ホームには民族衣装の若者たちがいました。


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今回のドイツ旅行の出発点となったフランクフルト空港駅にあと1時間20分で到着します。
以下、次号・・・



# by camino0810 | 2017-03-03 03:05 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その78 シュトゥットガルト(5)

ネッカー川の川歩きを終えて、14時過ぎ地下鉄で中央駅に戻ってシュトゥットガルトの街歩きを開始しました。
シュトゥットガルトの中心街は中央駅の南側に拡がっていました。両サイドの幹線道路に挟まれた地区の中央にある駅前通り(ケーニヒ通り)を南に向けて歩きました。
時間がないので三番町のN先生が研究生活を送られていたシュトゥットガルト工科大学は割愛しました。


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(出典 Google)


当日のFBにアップした記事・・・
5月7日(土)、シュツットガルトは快晴、温暖。
列車事故で1時間40分遅れでシュッツットガルトに12時15分到着。
駅のロッカーに40Lのバックパックとお土産を入れた袋を預けて13時に街歩きを開始した。
途中省略
Uバーンで中央駅に戻ってメーンの大通りを歩いてみた。この街は人口50万、通りの幅は約20m、上り線と下り線の中央に排水する仕組みだった。土曜なので人で溢れかえっていた。ミュンヘンと同じだった。
王宮前の大きな広場では芝生に大勢の人たちが休日を楽しんでいた。フリーマーケットも賑わっていた。
少し行くと大きな教会があった。15時30分、この近くのカフェで黒ビールをやりながらこの記事を書いている。
17時22分発のフランクフルト空港駅行きで出発点に戻る。
4月28日にフランクフルトに入って、ドイツ中南部の街まちを電車で移動しながら観てきた。
総括はこれからだが、ドイツという国は予想を遥かに超えた素晴らしい国だった事は確かだ。
この旅行のヒントを出して戴いた三番町のN先生に感謝、感謝だ。

土曜日のお昼時ということもあり、道幅20mくらいのケーニヒ通りは人、人、人・・・渋谷のスクランブル顔負けの賑わい振りでした。
賑わいの秘密は、車を排除したルールにあるようです。これまで歩いてきたフランクフルト、ケルン、ライプチヒ、ドレスデン、バンベルク、レーゲンスブルクと同じ構造、同じルールでした。ドイツにはこのような街づくりの指針などがあるのではないか・・・

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少し歩くと大きな広場に出会いました。

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シュロス広場の芝生には大勢の人たちが浜辺のオットセイかセイウチみたいに寝転んでいました。

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広場東側には格式のある古風な建物が建っていました。


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てっきりお城だと思っていたら、州政府庁舎でした。そういえば、ミュンヘンのゴシック式大聖堂風の建物は新市庁舎でした。シュトゥットガルトの街はミュンヘンと同様「意図して造られた都市」ではないかと思います。この街は元々ネッカー川の舟運など発展した商業工業都市で、市の拡大に伴って風格を後付けしたようにも感じます。


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大勢の市民が裸足になって芝生で休んでいました。南ドイツ人たちにとって貴重な日照なのでしょうか。


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広場の西側の建物も古典的な外見をしていました。

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こちらはショッピングセンターでした。それにしてもこの建物もその前の広場も実に広々としていて気持ちが良い。元々あったモールにパルテノン風の外装を施したようにも思えます。この手もありか、いい設計だと感じました。
とにかく建物、広場、街路が一体的に計画、設計されているなという印象を受けました。


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シュロス広場の南端に地下化された道路がありました。平面交差でも大きな問題はありませんが、敢えて車道を地下化して広場の連続性を確保していました。つまり、この駅前地区は歩行者を車に優先させるというコンセプトがあるのではないか・・・ケルンのライン川沿いの公園の車道の地下化と似たような感じです。


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シュロス広場に隣接したカールス広場ではフリーマーケットが行われていました。


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土曜の15時過ぎなのでオープンカフェは大賑わいでした。


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骨董品のお店に並んでいた品物には値札が付いていません。女主人にお値段を聞くと、如何にも高級そうなペンダントはたったの10ユーロ(1300円)でした。こちらの方をお土産にすれば良かったなと臍をかみました。

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お隣の建物にはライプチヒでも見た屋内市場「パサージュ」がありました。

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「パサージュ」はフランス語で通路の事なので、アーケード商店街ということだと思います。大きなトップライトが付いているので室内は明るい。このパサージュは古くなった建物を改造して再利用しているのではないかと感じました。レーゲンスブルクでも教会などを民間事業者がレストランとして再利用していました。日本でも「空き家」問題が深刻になってきましたが、このようなやり方もありかもしれません。


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食料品が沢山並んでしました。


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旧市街の街歩きを続けました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2017-02-07 06:48 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その77 シュトゥットガルト(4)

カンシュタットの堰の上流側のネッカー川は運河みたいでゆったりと流れていました。この川を貨物船が行き来しているようです。

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お天気も良く、気持ちの良い河畔の風景が拡がっていました。川は写真の上から下に流れています。

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右岸の河畔には遊歩道もありました。

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左岸の河畔にはスパが隣接していて、風呂上りのお客が裸で川を眺めていました。水辺のアクセスとしては申し分ありません。河畔道路をテラス替りに占有している訳で日本では考えられない光景です。


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閘門の上流側・・・橋には道路と鉄道が走っています。


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河畔公園のアート・・・芸術家?がスプレーアートの準備をしていました。土曜日のお昼に堂々と行っているところを見るとこの地区ではスプレーアートは公認されているように思います。


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作品群・・・

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彫像の落書きは如何なものか・・・

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U11のMercedesstraße(メルセデスシュトラッセ)橋上駅で中央駅行きの電車を待ちました。橋の上の駅も良く考える珍しい。東京では東急田園都市線の二子玉川駅、大阪では阪神電鉄の武庫川駅などを想い出しました。


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トラムの車内はボックス席でつり革がありません。

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トラムは途中まで地上を走ります。

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14時40分、中央駅で下車して市街地の街歩きを開始しました。メルセデスベンツはこの街に本社と工場があります。駅舎の塔の天辺にベンツのエンブレムが飾ってありました。シュトゥットガルトは豊田市のような企業城下町かもしれません。


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以下、次号・・・

# by camino0810 | 2017-01-25 04:52 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その76 シュトゥットガルト(3)

ネッカー川がどのような川か、少し調べてみました。この川は南ドイツの「黒い森」を源流にして、シュツットガルトを経由してマンハイムでライン川に合流している川です。
よく考えると日本の川でさえ上流から下流までどうなっているか、一気通貫に考えた事がありません。

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(出典 Google)
日本語版のWikipediaとドイツ語版のWikipediaを参照しました。

【ネッカー川】
流路長 367km
流域面積 14,000km2
源流標高 フィリンゲン=シュヴェニンゲン 706m
中間部標高 シュツットガルト       219m (河口から183km)
河口標高(ライン川合流部) マンハイム  95m
下流平均河床勾配 1/1500
上流平均河床勾配 1/400
年平均流量 145m3/秒
既往最大流量 2,690m3/秒

日本最大の流域面積を持つ利根川を同じ指標で比べてみると、産業舟運の盛んなネッカー川はシュツットガルトからマンハイムまでの区間の河床勾配は利根川より大きく、その勾配の水位差で水力発電も行っていました。舟運と発電の両方を行っているので27の堰と閘門がありました。ネッカー川流域には1年を通じて安定した流量もあるのもポイントだと思います。
ネッカー川の語源は「荒れた川」だったそうで、日本の荒川や鬼怒川と同じです。洪水については利根川の高水の約10%、雨降り方や河床勾配の関係でゆっくりと洪水が出てくる感じです。

【利根川】
流路長 322km
流域面積 17,000km2
源流標高 大水上山 1800m
中間部標高 伊勢崎市八斗島町 44m(河口から181km)
河口標高 銚子 0m
下流平均河床勾配 1/4100
上流平均河床勾配 1/80
年平均流量 290m3/秒(栗橋)
計画高水流量 22,000m3/秒

以下、日本版Wikipadia

河川の全長は367kmにおよび、主にバーデン=ヴュルテンベルク州内を流れ、下流域では、短い区間ではあるが、同州とヘッセン州との州境をなしている。
標高706mのフィリンゲン=シュヴェニンゲンの近くにあるシュヴェニンゲン・ムースに発し、標高95mのマンハイムでライン川に合流する。ネッカー川は、プロヒンゲンまで船での遡上が可能で、このためライン川、マイン川とともにバーデン=ヴュルテンベルク州内にある3つの連邦水路の一つとなっている。プロヒンゲン、シュトゥットガルト、ハイルブロン、マンハイムがその恩恵にあずかっている。
流域面積は、バーデン=ヴュルテンベルク州中央部の14,000km2に達する。工業用水、水運、水力発電と様々な用途に利用されており、河川環境に大きな影響を及ぼしている。平均流量は、145m3/sで、ドイツで10番目に大きな川である。

「ネッカー」の名は、ケルト語由来の「荒れた川」を意味する。元々「荒々しい」を意味する「nik」が語源となり、紀元前から「Nikros」と呼ばれていたが、「Nicarus」-「Neccarus」と変遷し、「Necker」となった後、現在の「Neckar」となった。

ネッカー川の舟運は1100年木材輸送から始まったそうです。800年間、「黒い森」の森林が燃料用のエネルギー源としてオランダまで筏流しで運搬されたとか・・・。江戸期の大都市江戸を支えたエネルギー源の木材は秩父から荒川(隅田川)経由で運ばれたのでしょう。何度かあった江戸の大火の後には更に需要が高まったと思われます。渓流を木材でダムにして一気に放流したとか・・・。

ネッカー川の利用が始まったのは1100年頃。以来、約800年間ネッカー川は、もっぱら木材輸送に用いられてきた。1476年、ネッカー川全流域の自由貿易に関する取り決めが合意され、シュヴァルツヴァルトの木材はこの川を通してオランダまで運ばれた。大航海時代に入り、より多くの木材が必要となったためである。プロヒンゲンではシュアヴァルトから伐り出された燃料用の木材が260mもの長さのいかだとなって川面を覆った。次第にいかだ流しは鉄道に完全に取って代わり、1899年、最後の筏がエスリンゲンを流れ下った。

本格的なネッカー川の舟運開発と電源開発は19世紀後半に始まったようです。ドイツが遅れた産業革命を成功させ、重工業が発展した時期と重なったようです。20世紀初頭、国や連邦が出資した「ネッカー株式会社」が閘門、水力発電所、運河を建設したとありました。

1713年まで大型船舶はハイルブロンまでしか航行できなかった。その後、シュトゥットガルト=カンシュタットまで改修がなされ、さらにエスリンゲン付近の改修がなされたことにより、プロヒンゲンまでの航行が可能となったのである。1873年のネッカー川航行規制によって規制が単純化されたことにより、他の物資の水上輸送が活発化し、その後15年間でネッカー川を航行する船舶数は3倍になった。当時の船は川をさかのぼる際には、牽引道から馬に引かれて遡上していたが、19世紀後半の鉄道と競合する上で、これは効率的な方法ではなかった。ネッカー川の水運が再び隆盛を見せるのは1878年のKettenschlepperei (「鎖による牽引の時代」)の始まりによってである。マンハイムとハイルブロンの間115kmを蒸気船が小舟を牽引してさかのぼることで、馬に引かせて5日から8日かかっていた行程を2、3日に短縮することができたのである。
しかし、洪水や流氷、渇水で航行が中止されるなど水運は不安定な状態は避けられず、1921年、閘門を建設し、大規模航路を開発する試みが始まった。ドイツ帝国、バーデン、ヘッセン、ヴュルテンブルクがこれに参加、さらに出資者を募って、ネッカー株式会社が創設された。初代の責任者にオットー・ヒルシュが就任し、ネッカー川の閘門建設、水力発電事業などを行うことになった。1935年、マンハイム-ハイルブロン間の11の閘門がまず完成し、ネッカー川のKettenschleppereiは終焉を告げ、200から300tの小舟は1,500tクラスの船舶に取って代わられた。
マンハイム-プロヒンゲン間の計画の上流部でも開発は進んだ。プロヒンゲンからフィル川をゲッピンゲンまで航行する大規模な計画もあった。ゲッピンゲンの港付近は1978年まで宇宙開発計画のあった場所である。ネッカー川の建築責任者であったオットー・コンツはシュヴェビッシュ・アルプにトンネルを掘り、ドナウ川のウルムまで航路を結ぶ計画も持っていた。
1935年以降進められた運河建設は難航し、1958年になってやっとシュトゥットガルト港が開港した。1968年のDeizisau閘門により運河化は完成した。川は27の閘門で仕切られ、マンハイムからプロヒンゲンまで航行可能となった。オットー・コンツは「ネッカー川の父」と呼ばれるようになった。

実際に歩いたシュトゥットガルトのカンシュタット水力発電所は1930年に発電を開始していました。


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1958年にシュトゥットガルト河川港が完成。

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【フィリンゲン=シュヴェニンゲン】
ネッカー川の源流のあるこの町は田園地帯の小さな町でした。ネッカー川の源流とドナウ川の源流は随分と近くにあり驚かされました。ネッカーの流域に落ちた水滴は1000km下流のロッテルダムにある北海に向かい、ちょっと離れた場所だと3000km下流の黒海に向かう事になります。

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ネッカー川の源流の小川・・・


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(出典 Google)
 
【チュービンゲン】
ネッカー川の源流とシュツットガルトの中間にある河畔の小さな町・・・旧市街はなんか中世の面影を留めている感じがします。
ネッカー川を直線化し運河状に改修していました。


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(出典 Google)


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(出典 Google)

【ハイルブロン】
人口12万のネッカー河畔の工業都市、ネッカー川のバイパスも兼ねた大きな運河港を開削していました。ネッカー川の産業舟運で発展した都市のようです。


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(出典 Google)

1648年、ウェストファリア条約でドイツ国内のカトリックとプロテスタントが融和し、同時に神聖ローマ帝国が事実上形骸化し、約300の領邦国家が出来たそうです。ハイルブロンはその独立領邦国家の一つになっていました。
1643年の鳥瞰図に当時の街の様子が描かれていました。ネッカー川の右岸側を完璧な城塞都市にしていました。左岸側は掘り取った土砂を盛って土塁にし、水を入れない空堀にした出先の要塞にし、両岸を連絡する橋を架けていました。ハイルブロン城の防衛力はかなり高いように感じます。
左岸の要塞には舟運用の荷揚げ用クレーンや筏流しの様子が描かれていました。この要塞の目的は何か?ハイルブロンの生活や経済を支える河川港の保護だったのかもしれません。
函館の五稜郭にも似た独特のお堀の形状は、当時の欧州のお城のプロトタイプのようにも思えます。


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(出典 Google)

ネッカー川とは別に専用運河港を開削して、水力発電用の堰と舟運用の閘門が建設されていました。

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(出典 Google)


Ⅲ ハイデルベルク

ハイデルベルクは、ライン川とネッカー川の合流点近くに位置する人口14万の歴史文化都市。ネッカー川及び旧市街を見下ろす高台にあるかつてのプファルツ選帝侯の宮廷であった城跡や、ドイツで最も古い大学ループレヒト=カールス大学で知られ、世界中の数多くの観光客や学者を惹きつけているそうです。


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(出典 Google)

この街の降水量は月平均60mmくらいで年間を通じて安定しています。多分、上流のネッカー川の流域は似たような感じかもしれません。ネッカー川の流況は安定しているので、水力発電、産業舟運に好都合なようです。

 1971年から2000年までのハイデルベルクの月別平均気温と降水量
         1月  2月 3月 4月  5月 6月  7月 8月  9月 10月 11月 12月
 気温(℃)   2.5  3.6 7.3  10.5 15.2 17.8 20.1 19.8 15.9 11.1 6.0 3.6 (平均 11.1)
 降水量 (mm)  48  44  53  49  77  79 81  56  64  64  68  63 745(平均 62)


【マンハイム】

ネッカー川はマンハイムでライン川と合流します。合流地点のライン本川の河道整理・直線化の痕跡に驚かされました。大昔のライン川はあちこち好き勝手に流路を変えて沢山の三日月湖を残していたようです。
川と共存するには人がそれなりに手を入れるのは日本もドイツも変わりありません。

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(出典 Google)

マンハイムは人口30万人を擁する大学都市で、シュトゥットガルトに次ぐ同州第2の都市です。かつてプファルツ選帝侯の宮廷所在地であったこの街は、現在ヨーロッパ有数の大都市圏であるライン=ネッカー広域連合の経済的・文化的中心都市となっているとありました。
ライン、ネッカーの洪水防御に加えて、沢山の河川港があることからも産業舟運も熱心な感じです。マンハイムは鉄道、空港、高速道路などの運輸インフラも豊富でした。その役割分担が気になるところです。


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(出典 Google)

マンハイム都心には円環道路(リング)の中に整然と区画された街区が拡がっていました。これまで見てきたドイツの旧市街の街路は不整形でしたが、この街は全く異質な形をしていました。何故、真四角の街区なのか?と思いました。


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(出典 Google)

答えは1645年の古地図にありました。30年宗教戦争の末期の街の様子には驚かされました。
現在の街区を囲うリングは17世紀の城塞都市のお堀と重なります。函館の五稜郭の上を行くマンハイムの七稜郭は2段重ねで、現在の真四角の街区はそのまま残されていました。


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(出典 Google)

ネッカー川の源流、中流、下流をざっと見てきました。ドイツの、川との濃いお付き合いを感じました。
再び、シュツットガルトの街歩きに戻ります。
以下、次号・・・


# by camino0810 | 2017-01-23 22:14 | ドイツ | Comments(0)  

2016年5月7日(土)ドイツ その75 シュトゥットガルト(2)

普通なら市街地の街歩きから始めますが、電車が遅れた分残された時間が少なくなりました。13時に街歩きを始めましたが、17時には中央駅に戻る必要があったので4時間しかありません。
ネッカー河畔の道路地下化を見るのはドイツ旅行計画時点から立てていました。偶然にもケルンでその事例を見る事が出来ました。ケルンのライン河畔では6車線分の道路を地下化し、直上の公園は賑わいが出来ていました。
そんな事でネッカー川河畔のウィルヘルマを最初に見て時間があったら市街地を歩こうとという作戦にしました。


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(出典 Google)

ライン河畔のデュッセルドルフで河畔道路を地下化して直上を公園化した事例がこのネッカー川でも行われているのではと思って現地に行ったら空振りでした。
当日にアップしたFBの記事・・・

5月7日(土)、シュツットガルトは快晴、温暖。
列車事故で1時間40分遅れでシュッツットガルトに12時15分到着。
駅のロッカーに40Lのバックパックとお土産を入れた袋を預けて13時に街歩きを開始した。
最初に、地下鉄Uバーンでネッカー川河畔のWilhelma駅で下車して川歩きをした。河畔の道路を地下に入れて公園に変えた場所だと思っていたが、道路はまだしっかり地表に残っていた。事前の情報取りが甘かった訳だが、これはいつもの事だ。近くでNATMを施工していたのでいずれは地下化されるだろう。
大きな取水堰と閘門、水力発電所があった。観光舟運も盛んな様子だ。ただ、河畔の散策路は今ひとつの感じがした。
以下、省略

道路地下化はスカでしたが、ネッカー川の利用についてはいろいろと得るところがありました。正直な感想を言うと、この街もネッカー川をいい意味で「使い倒しているな」と感じました。水力発電、産業舟運、観光舟運それぞれにこの川を利用していました。ウルムやミュンヘンで見たドナウ川、イーザル川と似ているなと感じました。


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(出典 Google)

ネッカー川河畔のU14のウィルヘルマ(Wilhelma)駅で下車して川歩きをしました。


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ネッカー川の河畔には仮道路が設置されているところを見ると、河畔道路の地下化はこれからのようにも思えます。

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現場事務所の工事案内板には公園直下通るトンネル工事の案内図が掲示されていました。

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NATMトンネルの坑口が見えていました。公園とトンネルの離隔が小さく、二つのトンネルの離隔も小さいのでので難度の高いトンネル工事だと思います。

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ネッカー河畔の観光船は小型でした。
上流側・・・

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下流側・・・

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歩道橋を渡って右岸に行きました。歩道橋から下流側・・・河岸は自然河岸のようでした。

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ネッカー川はドルトムントで分岐したライン川の支川、全長360km、信濃川よりも長い河川でした。ここから上流5kmの地点には河川港がある事からも産業舟運は盛んなように思います。ウィルヘルマの堰で上下流の水位差が6mなので、河床勾配は800分の1程度だという計算になります。


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(出典 Google)

その一方で河川を横断する堰が設置されていました。水位差を必要する水力発電と水位差は通行の支障でしかない舟運とを両立させるにはどうしても閘門が必要です。
閘門は2基ありました。道路脇から見た感じで言うと、閘門の水位差は約6m、大きさは、幅10m、長さ150m程度でした。
写真は下流から見た閘門ですが、自称川屋にはゲートの形式が気になるところです。


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堰であれ、閘門であれ水門のゲートには、ゲートが上下にスライドするスライド式、観音開きのマイタ―式、起伏する起伏式、風船みたいに膨らむラバー式、ゲートが回転するラジアル式、ゲートが回転してスライドするローリング式などがあります。
日本の堰、ダム、水門、閘門にはスライド式、マイター式が多いように思います。いい機会なのでこれまで歩いて見てきたゲートをまとめてみました。

多摩川の二ヶ領宿河原堰・・・手前はスライド式、向こうは起伏式。スライド式ゲートを降ろし、起伏ゲート立てて、上流側を湛水し二ヶ領用水に導水します。洪水の時は2種類のゲートを降ろして洪水をスムーズに流します。

 
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隅田川の最上流部の赤羽にある岩淵新水門(青門)は、巨大なスライド式ゲートを引き上げた状態。荒川と隅田川は同一水位。洪水の時はこのゲートを降ろして荒川の洪水が隅田川に流れ込まないようにしている訳で、この水門には東京の守り神みたいな大事な役割があります。


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役割を終えた同じ赤羽の岩淵旧水門(赤門)はスライド式ゲートを引き上げて、上流の荒川と隅田川の水位差がありません。青山士が設計・監理した有名な水門です。


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旧淀川の入口の毛馬第一閘門はマイター式。

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大阪城の脇にある東横堀川のラジアル式ゲート。

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イギリスのバースのラジアル式ゲート。

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東横堀川にはマイタ―式ゲートもありました。

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旧北上川の北上運河の入り口にある石井閘門はマイター式。

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琵琶湖疏水の流入口の大津閘門もマイター式。

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現地ではいつも時間不足でワサワサと歩くだけで、不明な点がある時は後で判るよう写真を沢山撮ります。手前の閉じたゲートは鋼材に鋼板を貼ったゲートで真ん中に切れ目がないので、観音開きのマイター式には見えません。マイター式ゲートの開閉に必要な油圧シリンダーの類も見当たりません。スライド式ゲートだとゲートの高さ分、高い堰柱が必要ですが、堰柱は有りません。
2基の閘門の内、流芯に近い閘門は下流側のゲートが空いていますが、そのゲートが見当たりません。
とすると、ゲートを収容するスペースを
 ① 水路底より低い所に設置する。
 ② 閘門の脇に収容する横引き型にする。
なんとも言えませんが、水位差が約6mくらいなので①の可能性が高いような気もします。
一方、マイン・ドナウ運河には水位差が25mもあるヒルポルトシュタイン閘門がありましたが、①だと大事なので②ではないかと思います。


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写真左側の閘室の水位は下流面の水位と同じ、写真右側の閘室の水位は上流側の水位と同じです。このことからこの堰の上下流の水位差は約6mという計算になります。


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今度は堰のゲート形式が気になりました。スライド式、マイター式という感じはしません。


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堰柱の切り込み(戸当たり)にラック状のギアみたいなものが付いていました。戸当たりが斜めになっている行徳可動堰の改築前のローリングゲートを想い出しました。
このゲートは日本では適用事例の少ないローリングゲートではないかと思います。


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ローリングゲートは円筒状ゲートがゴロゴロ回転しながら上下するユニークなゲートです。
http://www.suiryoku.com/g_v/g_rollin/rolling0.html

この可動堰の目的は水力発電でした。ミュンヘンのイーザル川、ウルムのドナウ川と同様ネッカー川も電源開発が盛んな川だと思います。
可動堰の脇に発電用水の取り入れ口と発電機が入った茶色の建物がありました。


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バックホーのアームが写っています。取り入れ口のスクリーンに付着したゴミを除去するためでしょう。

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発電所の建屋・・・

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水力発電所の説明看板によると、この発電所は1930年から発電を開始しており、86年の歴史を持った発電所でした。年間CO2削減量が11,000tと記載してあるのが、環境立国ドイツらしいなと思います。

 発電出力 2.4MW(2400KW)
 年間発電量 11GWh
 CO2無発生電力 6800人分
 年間CO2削減量 11,000t
 最大流量 55m3/秒
 有効落差 5.26m
 運転開始 1930年

P(発電出力kW) = 9.8 × Q(m3/s) × He(m) × η
η:効率 0.6~0.85
ηを0.85として試算すると、説明の発電出力になりました。

2400≒9.8×55×5.26×0.85


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2016年11月、大船渡市の五葉山の太陽光発電所に行きました。73000枚のパネルで18MWが発電でき、5,800世帯分(17400人分)の電力を供給するそうです。

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日本でも農業用水路など利用した小水力発電が注目を浴びているようです。福島第一原発の問題も依然としてスッキリはしてないようです。
再生可能エネルギーの開発は益々大事になるように感じます。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2017-01-14 19:09 | ドイツ | Comments(0)