19時30分、視察団を乗せた専用バスはピッツバーグのダウンタウンに到着。ピッツバーグは、人口30万とは思えない巨大な摩天楼の街でした。
ピッツバーグのダウンタウンは、アレゲニー川とモノンガヒラ川に挟まれた三角地帯にありました。
(ピッツバーグの全体図:出典Google)
ダウンタウンのランドマークはひときわ高いUSスチール・タワー。そう言えば、ピッツバークはかつて「鉄鋼の街」として大いに繁栄した街でした。ニューヨークでいえば、かつて存在したワールドトレードセンターやエンパイアステートビルに相当する建物でしょうか。
ピッツバーグの概要・・・wikipediaより
ピッツバーグ(英語:Pittsburgh)は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州南西部に位置する都市。アリゲニー台地上、アレゲニー川とモノンガヒラ川が合流し、オハイオ川の起点となっている地点を中心に広がっている。ダウンタウンはその合流点近くの2つの川に挟まれた地帯に広がり、ゴールデン・トライアングルと呼ばれている。市域人口は302,971人(2020年国勢調査)[1]。アレゲニー郡を中心に7郡にまたがるピッツバーグ都市圏は2,356,285人、この都市圏にオハイオ州スチューベンビルの都市圏、および周辺の2つの小都市圏を加えた広域都市圏は2,657,149人(いずれも2020年国勢調査)[2]の人口を抱えている。
(省略)
地元のNFLチーム「スティーラーズ」の名にも見られるように、かつては鉄鋼生産の中心地として栄えた。1970年代にオイルショック、1980年代中盤に安価な輸入鉄鋼が、それぞれ地域の鉄鋼業を衰退させた。メロン財閥とロックフェラー家は鉄鋼業に見切りをつけ、地域のハイテク産業・保険・教育・金融に投資をした。その経験は2007年に始まったサブプライムローン問題や世界金融危機でも生きた。全米のみならず全世界を巻き込んだこの経済危機の最中にあっても、ピッツバーグの住宅市場は比較的安定し、2008年に入ってもピッツバーグにおける求人は増加していた[6]。こうした再生の成功は、バラク・オバマが2009年9月に開催された第3回20か国・地域首脳会合の開催地としてピッツバーグを選んだ要素となった[7][8]。
ピッツバーグは学術都市でもある。カーネギーメロン大学・デュケイン大学・ピッツバーグ大学など、多数の大学が市内および都市圏内にキャンパスを置く。カーネギーメロン大学とピッツバーグ大学がキャンパスを置いているオークランド地区は、高等教育・研究機関や文化施設が特に集中している。
ホテルはダウンタウンのランドマークUSスチール・タワーの真横にありました。USスチール・タワーはピッツバーグで最も高い建物で外壁はスチール製。64階建てで高さ256メートル、1970年完成。
(USスチール・タワー)
ホテルの部屋から見たダウンタウン。USスチール・タワーの向こうに見える3つの塔を持つ低層の建物は郵便局と裁判所。
(ホテルの窓から)
BNY Mellon Centerは、55階建ての超高層ビルで、高さ221 m。この建物は、USスチール・タワーに次いで2番目に高い建物、1984年6月に完成。
(BNY Mellon Center )
視察団のメンバー全員で歩いて、ダウンタウンの西側にあるステーキハウスまで歩きました。
(USスチール・タワー) (市庁舎)(アレゲニー郡裁判所)
(ダウンタウンの街路)
(マーケット・スクエア)
ステーキハウスは格式の高いゴージャスなレストランでした。本場アメリカのステーキは赤身の熟成肉で、日本の霜降り肉とは違った味わいがあり、とても美味しかったです。
(ステーキハウス)
(会食場)
夕食を終えて皆で夜のダウンタウンを歩いて、ホテルに戻りました。
(夜景)
マーケット・スクエアはたくさんに人たちで賑わっていました。今日は金曜日。アメリカにも「花金」があるのでしょうか。
(マーケット・スクエア)
(USスチール・タワー)
(BNY Mellon Center )
22時前にホテルに戻りました。今日も移動の多いハードな1日でした。翌日は、朝早く起きて一人でまち歩きをした後、視察団とピッツバーグのまちを視察しました。
以下、次号・・・