2018年5月2日(水)イタリア その52 バーリ(1)

この日は、ナポリ中央駅のバスターミナルで高速バスに乗ってバーリに行きました。朝8時、ホテルの朝食はビュッフェ形式、青物野菜がないのはローマのホテルと同じでした。

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(出展 Google)

バスは10時45分発、時間はたっぷりとあるので、朝食を終えて、ベランダに出てみました。ホテルのベランダから見た中庭の様子にナポリの生活の一端を垣間見ることができました。洗濯物がベランダからぶら下がっているお馴染みの光景・・・駅に近い都心の1等地に住んでいるナポリの人たちは日本人の自分から見ると、なんとも幸せな人たちでもあります。

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中庭には所せましと車が駐車していました。都心に車が持てる状況も恵まれています。但、車の出し入れは相当なテクニックが要りそうです。

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イタリアの建物はこの緑のシャッターが目立ちました。板状の部品の一斉角度調整で採光が調整できる仕組みでした。

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ホテルのお向かいのアパートは1階が店舗階、2階以上が住居階。このパターンがナポリの建物の基本ルールみたいです。

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ホテル前のフィレンツェ通りは、ちょうど朝の通勤時なので車のラッシュとクラックションで随分騒々しかったです。一昔前の日本もこうだったのでしょうか。ナポリは不思議なエネルギーを感じる街でした。

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ホテルの部屋は随分と広い赤い部屋でした。

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10時、チェックアウト。少しおっかないボローニャ通りも明るいうちは平気です。ここを通り抜けてバスターミナルへ。

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ナポリ中央駅でイタリア入りして3回目のキャッシング、空っぽの財布に現金を補填して一安心。昨日の椿事で仮にクレジットカードを入れていた財布を掏られていたら、大事でした。自分にとって海外旅行のマストアイテムは、パスポート、クレジットカード、少額現金の3つ。この3点セットが揃っていれば、トラブルがあってもなんとかなります。これ以降、尻ポケットの使用禁止など危険分散を図りました。
これから、プルマンと呼ばれる長距離バスに乗って、バーリに向かいます。ガリバルディ広場も見納めです。

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バスターミナルはすぐでした。写真右手の青いバスは2階建て。先頭部分の2階席の眺めは文句なしに良さそうです。


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イタリアの高速バスは、バックミラーが犬の耳型のバスでした。

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昨日ここの切符売り場で切符を購入しました。指定席に着席して発車を待ちました。

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プルマンは、定刻10時45分に発車。目的地のバーリ着は13時45分、途中停車はありません。走行距離は概ね300km、所要時間は3時間。平均時速100kmとは恐るべき高速走行、料金も14ユーロ(1800円)と恐ろしくリーズナブル。ガリバルディ駅前広場ともお別れ。

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コルソ・ノヴァーラ通り・・・狭い道路が多いナポリにあって珍しく幅広の大通り。

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アクイラ通り・・・建物のスカイラインへの拘りを感じます。

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中国系のお店ですが、漢字の解読が困難でどんな商売をやっているのか、さっぱり見当が付きません。何となく旅行代理店のようにも思います。


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プルマンはナポリ中央駅の北側の道路を走ってICを目指しました。中央駅の北側にピカピカのオフィス街が現れました。

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昨日半日を掛けてナポリの古めかしい旧市街を歩いた自分には驚きの光景でした。

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調べると、チェントロ・ディレツィオナーレ・ディ・ナポリ(Centro Direzionale di Napoli)はナポリの新都心で、この都市計画は丹下健三が担当していました。丹下はボローニャの都市計画も担当していました。もしかしたら、旧市街の北にあるオフィス街かもしれません。
ナポリの新都心の開発面積は110ha、1982年計画完了、1985年着工、1995年完成。1960年代半ばに衰退した工業地帯の跡地利用でした。イタリアを含む南ヨーロッパで建設された最初の高層ビル群だとか。市内中心部の交通混雑を解消する目的もあったそうです。そういえば、ミラノのミラノ・ポルタ・ガリバルディ駅前に高層ビル群がありましたが、ナポリの方が先輩格だということになります。
東京の汐留、西新宿、品川駅前などの新都心と似たような感じで、使用されなくなった都市インフラを別の都市インフラに置き換えるのは、どこの国も同じ。再開発のポイントがまとまった土地が割と簡単に手に入ることも万国共通のようです。

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(出展 Google)


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(出展 wikipedia)

プルマンはナポリの郊外で高速道路に入ってバーリを目指しました。
以下、次号・・・


# by camino0810 | 2019-01-21 19:07 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月1日(火)イタリア その51 ナポリ(6)

19時、トリブナリ通りとドゥオーモ通りの交差点まで来ました。ドゥオーモ通りは2車線の幅広の道路でした。

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ナポリ大聖堂(Cattedrale di San Gennaro)は交差点からすぐでした。大聖堂は、上空から見ると十字架の形をしていました。その方位は少しずれてはいましたが、ファサードが西面、祭壇が東面にあるなど、大聖堂のルールが適用されていました。

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(出展 Google)

この大聖堂はナポリの守護聖人ジェンナーロを祭る司教座教会。シチリア王カルロ1世の命で13世紀末に建設が始まり、14世紀初めに完成。19世紀にファサード部分が改築されました。瓶に入った聖ジェンナーロの血が液化するという奇跡で知られ、5月と9月に盛大な祭りが催されるそうです。建築様式はゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式、ネオゴシック様式の混合様式。この大聖堂は1349年、1688年、1732年の地震で被害と修復を繰り返していました。
大聖堂は、5世紀からこの場所にあった初期キリスト教の教会を壊して建造されたそうです。大聖堂は中世以降街のヘソでした。14世紀の欧州も教皇と国王のダブルスタンダードの世界だったはず、ナポリの支配者アンジュー家も大聖堂の建設に異論はなかったようです。


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内観は時間がないのでスルー。壮麗な祭壇をネットから転載しました。

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(出展 Wikipedia)

トリブナリ通りに戻って、ナポリ中央駅に向けて歩きました。

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午後からずっと歩きまわってきたので、夕食の場所を探していました。結局、ナポリ大聖堂の裏庭広場のレストランに決めました。この広場のオープンカフェの気分がなんかナポリの家庭的な下町の気分に溢れるいたからでした。

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大聖堂の裏側は、ピカピカの白いファサードとは真逆の、使い古された親しみを感じる気分がありました。着慣れてくたくたになった古着みたいな気分がいいなと感じました。

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「カラヴァッジョ」というお店でした。お店の案内は「建物内に食堂あり」という意味合いでしょうか。イタリア語、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語の順。

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このレストランは家族経営で、40代の快活で精力的なご主人(お店の入り口に立っているエプロン姿の男性)が社長兼注文取り兼会計担当、一家の大黒柱という感じでした。オカミさんは、控え目な感じで料理運び担当、ご主人を支える役割に徹している感じ。ひと昔前の日本の働き者夫婦という気分を感じました。

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オーダーしたパスタは、6ユーロ(780円)のナポリターノ。太目のパスタにコンビーフ入りのトマトベースのソースを絡ませていました。シンプルですが、モッチリした独特の歯ごたえがあって実に美味かったです。ビール込みで10.5ユーロ(1400円)。

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自分の隣のテーブルで子供たちが無邪気に遊んでいました。母親連中がたむろして遠くから子供たちを見守っていて、何かナポリの下町情緒がタップリ感じられました。

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20時、食事を終えて再びトリブナリ通りを歩きました。

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スパッカナポリの終点、カプアーノ城が近づいてきました。

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窓から盛大に洗濯物が干されていました。

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サンタ・カテリーナ・ア・フォルミエッロ教会(Chiesa di Santa Caterina a Formiello)は、古代ギリシア時代の城壁跡カルボナーラ通り沿いの教会、ルネッサンス様式の教会、着工1505年、完成1593年。

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この教会脇にカプアーナ門(Porta Capuana)が建っていました。カプアーナ門は、古代ギリシア時代の城門。

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(出展 wikipedia)

カプアーノ城は、「スパッカ・ナポリ」の東の端にある、白い壁が延々と続く大きなお城でした。
古代ギリシア時代の城壁跡カルボナーラ通りの内側(南側)にあるので、ナポリ旧市街を外敵から守る重要な要塞だったのではないかと思います。スペイン統治時代の1656年、ナポリは、40万の人口を抱えた大都市でした。同時期、明暦の大火(1657年)当時の江戸は人口80万(武士50万、町人30万)と言われており、ナポリは世界的にも巨大な都市だったことが判ります。

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陽が落ちて、壁面のバロック様式のモニュメントがライトアップされていました。

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カルボナーラ通りをガリバルディ広場の方へ歩いて行きました。


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20時、暮れなずむガリバルディ広場まで戻ってきました。向こうにヴェスビオ山が見えていました。この日は14時からナポリの街歩きを始めました。この広場でスマホを掏られる災難に遭いましたが、6時間の街歩きでナポリの定番の観光スポットを無事に回れました。定番の地図アプリ「Google Map」というマストアイテムを失いましたが、これ以降、地図と住所を頼りに旅行を続けることになりました。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・・

5月1日(火)ナポリは曇り後晴れ、暑い。
「白い矢」8873号は定刻11時57分にナポリ中央駅に着きました。駅前のホテルに12時過ぎにチェックイン。13時30分からナポリの街歩きを始めました。
ナポリは、何とも形容しがたい不思議な魅力に溢れた素晴らしい街でした。今日はイタリアもメーデーでお休み、お祝いやデモがありました。駅前の大通りを港方向に歩きました。サンタ・ルチア港からベスビオス火山が綺麗に見えました。銀座中央通り相当する?トレド通りは恐ろしいくらいの人出、年末のアメ横以上でした。
スパッカ・ナポリと呼ばれるナポリの下町で夕食にしました。ドゥオーモの裏手の広場の屋外レストランは、無邪気に遊ぶ子供たちを遠くから母親連中が見守っていて、何かナポリの下町情緒がタップリ感じられました。オーダーしたパスタは、6ユーロのナポリターノ。太目のパスタにコンビーフ入りのトマトベースのソースを絡ませていました。実に美味かったです。
20時にホテルに戻りました。実は14時過ぎに駅前広場でスリに遭い、スマホを抜き取られました。40前後の男性が自分のズボンの裾をいきなり触ってきました。そちらに気をとられている隙に別の人間が抜き取ったようです。イタリアは要注意と思い警戒していましたが、被害にあってショックでした。
大事なコンパスを無くしたので、明日からの苦戦が予想されますが、財布を抜き取られなかったのが、不幸中の幸いだと思っています。
明日は、バスに乗ってイタリア半島の踵にあるバーリに向かいます。

翌日、イタリア半島を横断してアドリア海に面した港湾都市バーリに向かいました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2019-01-20 10:59 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月1日(火)イタリア その50 ナポリ(5)

トレド通りは、ナポリ旧市街の西の端にある南北1.5kmメーン通り、一番北のダンテ広場まで来ました。

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この広場は、詩人のダンテ・アリギエーリ(1265~1321)にちなんだ広場で、ダンテの像が建っていました。ダンテは、日本の鎌倉時代に生きた人で、フィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家。ボローニャ大学出身、著名な作品は『神曲』など。

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ダンテ広場の建物は中央の時計台と左右の円弧状のウィングのポルティコ(柱廊)で出来ていました。プレビシート広場のサン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂と何となく似た感じでした。

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この建物の北側に接した古めかしい門を潜り抜けました。この門の東側からガリバルディ広場までのゾーンは「スパッカ・ナポリ」と呼ばれていました。「スパッカ・ナポリ」はナポリの歴史・文化地区であるとともにディープな下町でした。延々と続く狭い路地の脇に沢山の教会があり、最もナポリらしさを感じた一帯でした。

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(出展 Google)

門を潜り抜けると古本屋街でした。

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サンテグジュペリの「星の王子さま」は5ユーロ(650円)。オリジナルのフランス語の題名は「小さな王子」、イタリア語訳も「小さな王子」、最近、日本でもこの「小さな王子」が使われるようになりました。

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建物の1階部分に穴を開けて通路にするやり方は欧州のあちこちで見掛けました。ナポリも例外ではありません。サン・ピエトロ・ア・マイエッラ通りではアパートの1階に大きな開口を設けていました。日本にはないやり方です。

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サンセバスティアン通りの坂道。この道はかつて古代ギリシア時代の城壁だったとか。

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サンタ・マリア・ディ・コスタンティノポリ通りを少しだけ歩いてみました。

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サンタ・マリア・ディ・コスタンティノポリ通り沿いに、ベッリーニ広場という広場がありました。ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801~1835)は、シチリア出身の作曲家。ロッシーニやドニゼッティとともに「ベルカント・オペラ」と称される19世紀前半のイタリアオペラを代表する作曲家。父親も祖父も音楽家であり、音楽を学ぶ前から作曲を始めたという神童だそうです。それはそれとして落書きはいけません。

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ベッリーニ広場には古代ギリシア時代の遺構が保存されていました。調べると、ローマと同程度の歴史を持つナポリにも城壁がありました。これまで観て来た、ミラノ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマには、はっきりとしたリング(城壁)やその痕跡、城門が残されていましたが、ナポリではその痕跡を発見できませんでした。

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これまで歩いてきたイタリアの主だった都市の町割りをまとめると、ローマは芯が沢山ある多芯構造、ミラノ、フィレンツェ、ボローニャは芯がひとつの単芯構造といった感じです。芯とは大聖堂とその前の広場で、芯から道路が放射上に形成され、リング状の城壁で旧市街が囲まれるという構造でした。ナポリは敢えて言うと、芯がない無芯構造みたいな感じがしました。確かに、ナポリ大聖堂という芯はあるものの、広場や放射状の道路はありません。
ナポリの町割りがこれまで観て来た街に比べて判りにくいのは、ナポリが様々な外国人による長い支配を受けてきた歴史に関係しているように思います。新支配者が旧支配者の痕跡を消去するのはよくあること。しかも支配者が別の国の外国人だとその消去もより徹底した可能性があるのかもしれません。歴代の外国人支配者による破壊と創造の繰り返しの結果、芯が曖昧になっていったのではないかと考えてみました。
調べると、ナポリのリング(城壁)は、古代ギリシア時代から存在していて、その直径は概ね1.5kmと小振りでした。古代ギリシャの時代の初期の城壁は北辺がフォリア通り、南辺がウンベル1世大通り、西辺がサン・セバスチアーノ通り、東辺がカルボナーラ通り。リングはこの4本の通りに囲まれた四角形。「スパッカ・ナポリ」はこのリングで囲まれたナポリの街で最も古い旧市街の一帯を指すのではないかと思います。
その後、城壁はポンペイを滅亡させた西暦79年のヴェスヴィオ山の噴火による難民を収容するために拡大されたとか。市街地の拡大に従って城壁が次々と壊され、その替わりに、カプアーノ城、ヌオーヴォ城、卵城、高台のサンテルモ城などの要塞が建設されたのではないかと考えてみました。現在の大通りが城壁だったのは、これまで観て来た他の街と似ていました。
ナポリは古代から貿易港としての価値が高い街なので、海に面したヌオーヴォ城、卵城は関税の徴収所や海賊からの防衛基地としての役割もあったのでは。

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〔初期のナポリのリング(城壁) Googleに加筆〕

トリブナリ通りを歩いていくと、左手に大きな広場があり、大きな教会が建っていました。
サンタ・マリア・マッジョーレ教会は、初期のキリスト教の教会として6世紀に創建、現在の教会は1653~1678年にバロック様式で再建されました。Googleの3Dでは教会は足場で覆われていましたので、見学したこの時は補修工事完了まじかということになります。

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ファサードはシンプルですが、確かにバロック建築の曲線模様も入っていました。現在は博物館になっていました。ミラノでは歴史的な建造物を民間会社がオフィスとして運営した事例を見ましたが、ここでは、教会の建物の維持管理を博物館が行っているのかもしれません。


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トリブナリ通りは、スパッカナポリの中心を東西に走る幅5m程度の路地裏通りでした。古い教会、酒屋、パン屋、食料品店、お土産屋、雑貨屋、花屋、レストランや古いアパートがごちゃごちゃと共存している路地裏通りの光景は何とも独特。これが、ナポリの真骨頂なのだろうと思いました。とにかくこの路地裏通りを歩いて、ディープなナポリが体験できて良かったなと思います。

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脇道のサン・パオロ通り・・・道幅4m程度の路地裏通りに両脇の建物が迫っていて、洗濯物が干してありました。

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しばらく歩くと、左手に別の教会がありました。
サン・パオロ・マッジョーレ教会は、サラセン人からの勝利を祝うために、8世紀~9世紀の間に建てられ、建築様式はバロック、1538年~1630年に改築。この教会もGoogle3Dでは足場で隠れていました。この時は補修工事が完了した、ピカピカの状態だと思います。サンタ・マリア・マッジョーレ教会と似たような名前とファサードを持つ教会でした。


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サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会は、トリブナリ通りを挟んでサン・パオロ・マッジョーレ教会の反対側にありました。建築様式は、鐘楼がゴシック様式、ファサードがバロック様式。着工は1235年、完成18世紀と500年近い工期を掛けて造り上げた教会。


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(出展 Wikipedia)

トリブナリ通りの両脇には5~6階建ての建物がびっしり並んでいて、ベランダから洗濯物を干していました。生活感に溢れた活気のある通りで、建物の1階がお店、2階以上はアパートでした。スパッカナポリ地区は、ナポリの都心にある職住近接の好立地でした。東京の下町に似て、道幅が狭いので消防車は入れません。心配事は火事とたまに起こる地震でしょうか。


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幅3mの脇道は、窓から手を伸ばすと届きそうな狭さ。

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スパッカ・ナポリは実に不思議な街でした。この地区内には他にも沢山の教会がありました。教会とアパートが軒を接する、ごちゃごちゃしていた猥雑さが独特の気分を出していました。何故、教会を集中させたのか?教会と民間の建物が隣り合っているのか?
相当無理筋ですが、こんなシナリオを考えてみました。
「スパッカ・ナポリは、もともと城壁で囲われた「安心・安全」で手狭な地区だった。日本には、コアとなる寺院の周りに沢山の小さな寺院を配した寺町が沢山ある。ローマ教会は、この寺町みたいに、この場所に司教座教会となるミラノ大聖堂を配置し、その周囲に教会を沢山集中させた。その結果、日本の門前町のように、教会に参拝客が沢山集まった。多くの参拝客を相手にする商工業者も集まるようになった。人が増え手狭になったので、教会の脇に住居や店舗を建てるしかなかった」

引き続き、ミラノ大聖堂を目指してトリブナリ通りを歩きました。
以下、次号・・・


# by camino0810 | 2019-01-19 12:37 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月1日(火)イタリア その49 ナポリ(4)

17時、サンタ・ルチアに到着。サンタ・ルチアは、ナポリ湾を一望できる美しい港湾地区。ここからヴェスビオ山が綺麗に見えました。ナポリの日暮れは20時、街歩きの時間が段々少なくなってきました。

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サンタ・ルチア港にある「卵城」を目指して、海岸沿いの道を歩きました。

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(出展 Google)

火曜日であっても、海岸通りは恐ろしい人混みでした。

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「巨人の噴水」というモニュメントは17世紀の作品、プレビシート広場から移設されたそうです。何故、巨人らしき像が見当たらないのに巨人なのかと不思議に思いましたが、かつてこのモニュメントがプレビシート広場にあった巨人の像のお隣にあったのでこの名前が付いたとか。

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中央のアーチには2匹の海の生き物によって支えられている杯があり、両サイドのアーチには彫像が建っていました。蛇みたいな生物を手に持つこの彫像は「川」の神だとか。初めて「川」の神なるものを見ました。
そう言えば、日本の川の神とはどんな神なのでしょうか。確か、水神様は偶像みたいな具体の形がありません。古代ローマの神様たちは擬人化された人の形。日本古来の神道の神様たちは、鏡、石や木など。仏教の仏像は擬人化された人の形。それぞれに違っています。

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スマホのハードケースを売る屋台・・・この手の屋台はあちこちで見ました。

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卵城はサンタ・ルチア港の要塞、ナポリに5つある城の中で、一番古い要塞だとか。卵城という不思議な名前の由来は、城に埋め込んだ卵が割れる時、ナポリに災いが起きるという伝説にちなむとか。12世紀にノルマン人により要塞として建造された後、アンジュー家の時代には倉庫として使われ、続くスペイン支配時代には大砲を備えて要塞化が進められたそうです。なるほど、この要塞は窓の少ない、随分と不愛想なお城でした。

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Googleの3Dでこのお城を見ると、城壁の高さは20mを超える難攻不落の巨大な要塞でした。籠城戦の時などに、水をどうやって確保したのか・・・。

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(出展 Google)

大勢の観光客に混じって、旧市街に引き返しました。

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この界隈は高級ホテル街という気分でした。クラシックな横目地の建物が軒を揃えてずらりと並んでいました。多分、五つ星クラスでしょう。

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王宮はすぐでした。王宮は17世紀スペイン統治時代に造られたそうです。内部は王宮博物館になっていて、南イタリアの首都として君臨したナポリ宮廷の歴史を物語る豪華な部屋や絵画、調度品が展示されているとか。この建物のファサードの淡いピンクもしっとりとして落ち着きを感じます。

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王宮前のプレビシート広場は式典の片づけ中でした。今日はメーデーなので大きなイベントがあったようです。この広場は150m×150mの石張りの大きな広場でした。広場正面のサン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂(1816年起工、1846年完成)も、大きくて立派な建物でした。ファサードとドームはローマのパンテオン、左右のウィングはサン・ピエトロ大聖堂のポルティコ(柱廊)に良く似ていました。新古典様式の建物とかで、この様式の建物にはそのような流儀があるのだろうと思います。この聖堂は、1814年~1815年のウィーン会議でブルボン家が両シチリア王に復位したことを記念して建てられた建物。ナポリの大衆から見ると反動的な王政復古の象徴であり有り難くない存在、ナポリの人たちはひたすら堪えてガリバルディの到来を待っていたことになります。

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ナポリ旧市街の核心部、トレド通りの入り口まで来ました。

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噴水広場の向こうのピンクの建物はサン・カルロ劇場・・・この建物は現在補修中、仮囲いに建物の写真シートを使っていました。ローマでも同じような光景を見ました。観光大国イタリアの流儀かもしれません。

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この劇場のお隣には、「ウンベルト1世のガッレリア」がありました。事前勉強不足でスルーしてしまいました。ミラノのドゥオーモ広場には父上の「エマニュエーレⅡ世のガッレリア」があります。通路上にガラスのドームを設置したアーケードで、空から見ると十字架の形状をしているなど、設計のコンセプトは全く同じと考えていいようです。

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(出展 Google)

調べると内部はこんな感じ、ミラノのガッレリアと良く似ています。

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(出展 Wikipedia)

火曜日でありながらトレド通りは半端ない混雑ぶりでした。路面が見えないほどの人の波・・・上野のアメ横以上という感じでした。街歩きの時点では、5月1日のメーデーがイタリアは祝日(Festa del Lavoro:労働者のお祝い)とは知りませんでした。そういえば、ナポリ中央駅前で赤旗のデモ隊に遭遇しました。イタリアは労働者の権利が強い国なのかもしれません。欧州のほとんどの国が5月1日を国民の祝日に決めていたとは知りませんでした。祝日にしていない日本は世界的に見ても珍しい国、その日本人の自分が気付かないのは当然の結果。
2013年、フランスの地方都市ツールに行った時、お店がほとんど閉まっていました。その日はちょうど日曜日でした。労働者はキリストの教えに従って安息日の日曜はきっちり休むのが彼らの文化。ただ、欧州の主だった観光都市などは祝日であっても観光用のお店は開いているのが普通だと感じています。これまでお店が休みで困ったというという経験はありません。

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トレド通りの南半分は、4m幅の1車線の車道、両脇が4mの歩道でできた12m程度の狭い通りでした。高級店も沢山並んでいて、東京の銀座中央通りといった感じでした。どちらかと言うと、クラシックな横目地の建物が中心で、建物のスカイラインは揃っていました。この日は休日ということで混雑していましたが、Googleのストリートビューで見ると石畳の路面がよく見えました。南側のトレド通りは、1車線で一方通行の車道なので、歩行者天国的な使い方かもしれません。なんとなく人中心の道路という感じです。

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照明灯には灯が入っていました。

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トレド通り脇の路地はせいぜい5 mくらいの道幅しかありません。この狭い路地裏通りにカフェのテーブルが目一杯張り出していました。如何にもナポリらしさを感じさせます。

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ナポリ銀行前・・・

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地下鉄1号線のトレド駅まで来ました。

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ポヴィオ広場に繋がる通りは幅広の大通りでした。

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路地裏通りのはるか先の高台にサン・マルティーノ国立博物館という建物が見えました。

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カリタ広場まで歩いて来ました。

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タバコ屋さん、20本入りで5.5ユーロ(720円)。日本より割高でした。

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カフェテラスで一休みしました。エスプレッソは2ユーロ(260円)。

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トレド通りに面した教会に入ってみました。サン・ニコラ・アッラ・カリタ教会(Chiesa di San Nicola alla Carità)は、1647年着工、1682年完成のバロック式の教会。

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バロック式の建物のファサードは、確かに曲線を多用した装飾の多い建物でした。バロック様式とは、日本の江戸期に欧州で流行した建築様式だとか。

16世紀から18世紀初頭にかけてヨーロッパ各国に広まった美術・建築・文化の様式。曲線や楕円が多く用いられ、豪華な装飾が特徴。建築では、バチカン市国のサンピエトロ大聖堂やフランスのベルサイユ宮殿が代表的。◇「バロック」は、過剰な装飾を比喩したポルトガル語「barroco(歪んだ真珠)」の転とされる。

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(出展 Wikipedia)

静かでおごそかな堂内のベンチに腰掛けて一休みしました。

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祭壇のフレスコ画には聖書から引用したと思われるような場面が描かれていましたが、宗教画の知識に乏しい自分には理解不能・・・

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教会を出て、トレド通りを北に歩きました。

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来た道を振り返りました。ピンクの建物も目立ちました。

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ダンテ広場はすぐでした。
以下、次号・・・


# by camino0810 | 2019-01-16 23:01 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月1日(火)イタリア その48 ナポリ(3)

15時30分、気分を切り替えて、ナポリの街歩きを再開しました。ナポリは、100万の人口をもつ、ローマ、ミラノに次いでイタリア第3位の大都市。ナポリの歴史はBC7世紀の古代ギリシアの衛星都市から始まっていました。ナポリはローマと同程度の長い歴史を持った都市だということになります。
先ずはナポリ中央駅のガリバルディ広場から海沿いの大通りを歩いてヌオーヴォ城を目指しました。

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(出展 Google)

イタリアを代表するミラノ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマを北から順番に歩いてきました。その街の歴史・文化について一定の知識があると、その街の理解がより深まるように感じました。
ナポリの歴史や文化を地球の歩き方(2018~2019)から引用しました。

「明るい太陽、狭い石畳、はためく洗濯物。お調子者でも憎めないナポリ男に、情け深く、たくましいナポリ女。善くも悪しくもイタリアとイタリア人が凝縮された町、それがナポリだ。・・・したたかで、ウィットとユーモアに富んだナポリっ子気質は、町の歴史を抜きにしては語れない。古代ギリシア時代からイタリア統一までの2000年、ナポリはヨーロッパのおもな人種に支配され続けた。入れ代わり立ち代わり変化した支配者たちと、うまく付き合う知恵のなかから、ナポリっ子の処世術が生まれたことは間違いない。ときには、権力に屈しながらも、それぞれの体制のなかで、巧みに庶民の知恵を生かして生き抜いたのが、正真正銘のナポリっ子だ・・・」

同書にはナポリの歴史も記載されていました。この歴史を読むと、ナポリが主権国家として輝いていたのは、ナポリ公国の8世紀から11世紀のおよそ300年間。それ以降800年に亘り外国人の支配下に入りました。ヴィトリオ・エマヌエーレ2世によるイタリアの統一が1870年に完成し、ナポリは主権国家として復活しました。ヴィトリオ・エマヌエーレ2世と彼を支えた3人の英雄の名前をナポリを含めてイタリア各地で見掛けたのは尤もなことだと思います。

「美しい自然環境と温暖な気候に引かれて古代ギリシア人がやって来たのは紀元前7世紀。ナポリの名前はギリシア語の新都市(Neapolis)が語源。その後、紀元前4世紀には古代ローマの支配下におかれた。アウグストゥス、ネロなどの皇帝にとってナポリはお気に入りの避寒地であった。ローマ帝国の衰退とともに、北方からの侵略が始まりゴート人、ロンゴバルト人などに支配された。落ち着きを見せるようになるのは8世紀の中頃から11世紀まで、ナポリ公国がここを首都と定めたため。12世紀になると北フランス出身のノルマン人の王が治めるシチリア王国に併合される。以後、ドイツのシュワビア家、フランスのアンジュー家、スペインのアラゴン王国の支配下におかれた。たび重なる外国支配による、さまざまな文化の摂取は、ナポリに独自の文化をもたらした。特筆すべきはバロック芸術」

ガリバルディ広場から南方向に海に抜けるガリバルディ大通り・・・下層階が横目地、上部階がモルタル壁の6階建ての建物が軒を揃えていました。

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路地裏は生活感が溢れるナポリらしい光景・・・洗濯物を外で干しても良いルールがあるようです。

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ガリバルディ広場の西側の褄の部分・・・・向かって一番左側のウンベルト1世大通りをナポリ港に向かって歩いていきました。

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ナポリ中央駅の駅前広場の名前にもなっているジュゼッペ・ガリバルディとは如何なる人物か・・・気になりました。
以下、Wikipedia・・・

ジュゼッペ・ガリバルディ(イタリア語: Giuseppe Garibaldi, 1807年7月4日 - 1882年6月2日)は、イタリア統一運動を推進し、イタリア王国成立に貢献した軍事家である。イタリア統一を進めるため、多くの軍事行動を個人的に率いた。ヨーロッパと南米での功績から「二つの世界の英雄」とも呼ばれ[1]、カヴール、マッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」の一人とされる。
1860年、千人隊(赤シャツ隊)を組織してシチリアの反乱を援助し両シチリア王国を滅ぼした。その後、征服地をサルデーニャ王エマヌエーレ・ヴィットーリオ2世に献上してイタリア統一に大きく貢献した。その後は政治家となることなく、余生をカプレーラ島で送った。

ガリバルディ広場の西側にガリバルディの像が建っていました。
引用文中の「両シチリア王国」は当時のイタリアの南半分とシチリアを治める王国で、保守反動的な体制を持ち、首都はナポリ。ガリバルディはこの「両シチリア王国」からナポリを解放した英雄だったということだと思います。生き方も含めて魅力あふれるキャラクターの持ち主だったようです。

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ウンベルト1世大通りは4~6階建ての横目地の建物が軒を揃えていました。ナポリのメーン通りに付けられた名前なので調べたら、ウンベルト1世はヴィトリオ・エマヌエーレ2世の子供でイタリア王国の第2代国王でした。

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ウンベルト1世大通りの路地の奥に城門が覗いていました。多分、ノラーナ門だと思います。

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別の路地裏通り・・・

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ニコラ・アモーレ広場までやってきました。工事中でした。ウンベルト1世大通りの真下には地下鉄1号線が走っています。

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ナポリ中央駅から次のポヴィオ広場の駅まで1.7kmもあります。この広場の真下に開削で新しい地下鉄駅舎を建設しているのではないかと想像します。イタリアに来て、地下の土留め工事を初めて見ました。切梁に鋼管を使う流儀がイタリア流、日本では鋼管ではなく型鋼を使います。そういえば、ポーランドのグダンスクでも鋼管の切梁を見ました。

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しばらく歩くと、横目地の灰色の建物が目に入りました。フェデリコ2世・ナポリ大学のファサードでした。この大学の創建は1224年、ボローニャ大学の向こうを張って設立された800年の歴史を持つ大学とは驚き。

以下、Wikipedia・・・

フェデリコ2世・ナポリ大学は1224年にローマ皇帝でありシチリア王でもあったフリードリヒ2世によって、教皇の保護下で繁栄したボローニャ大学に対抗して創設されることとなった。設立された当時は、高額な報酬を約束して著名な教員を招き、多くの学生が学びに来るように学生に対しても多くの特権を与えた。一方で大学は強力な国家統制の下に置かれ、大学の最高監督権は皇帝によって任命された国家のチャンセラー(書記官長)が有していたなど、大学が君主権力に完全に服属していたという点は教員主体のパリ大学、学生主体のボローニャ大学と対照的である。もっとも、当時のナポリ大学の中核を構成していたのはボローニャで学位を取得したシチリア王国出身の法学者たちであった。

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ポヴィオ広場まですぐの場所まで来ました。建物の風格が増してきた感じで、ナポリの中心部に近づいてきた感じです。

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ポヴィオ広場は風格の溢れる建物で囲まれた大きな三差路でした。中央にヴィトリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が建っていました。ミラノのドゥオーモ広場、ローマのヴィットリアーノで同じ騎馬像を観ました。イタリア三大都市のヘソに同じ人の同じ姿の像・・・・ヴィトリオ・エマヌエーレ2世の偉大な業績をイタリア人は忘れないようにしたいのだと思います。

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ヴィトリオ・エマヌエーレ2世・・・ 

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海沿いのアゴスティーノ・デプレティス通りを歩いて行きました。

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ヌオーヴォ城まで来ました。13世紀にフランスのアンジュー家の城が15世紀になってアラゴン家により再建された城。難攻不落の要塞みたいなお城でした。地元ではアンジュー家の城と呼ばれているそうで、ネイティブのナポリ人には複雑な思いがあったのでしょうか。

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ヌオーヴォ城前のムニチービオ広場では大きな工事が行われていました。ちなみに、イタリア人は水平ジブクレーン派、タワークレーン派はイギリスと日本だけ。

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Googleの3Dを見ると、大きな開削工事中でした。地下鉄1号線の駅舎もあるので、地下の複合施設でも造っているのでしょうか。

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ムニチービオ広場からナポリ港に向かいました。大きな建物はトレニタリア・マリッティマ駅はトレニタリア(イタリア国鉄)が経営する港湾駅でした。駅舎の左手には巨大なクルーズ船が停泊していました。

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大型フェリーの船着き場というにはあまりに立派な建物なので、駅という言葉が適切だと思いました。

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この駅のセキュリティーは厳格で埠頭への自由な出入りは禁止されていました。イタリア以外の欧州の鉄道駅はプラットフォームへの出入りは自由です。そんな気分で埠頭に行って船に近づこうとしましたが、駅のスタッフに止められました。駅構内から網越しに見た、埠頭に停泊した大型クルーズ船は「NORVESIAN EPIC」、ノルウェー船籍の大型クルーズ船でした。

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調べると、この船は超巨大クルーズ船でした。「EPIC号」は総トン数156,000t、全長330m、幅40m、乗客定員4,100名、乗組員数1,700名、巡行速度24ノット。2010年就航、2015年改装した最新鋭の観光クルーズ船でした。日本最大のクルーズ船「飛鳥Ⅱ」は、総トン数50,000t、全長240m、幅30m、巡行速度21ノット、乗客定員900名、乗組員数500名。1990年就航、2006年改装。

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(出展 Wikipedia)


2015年、大船渡に寄港した飛鳥Ⅱに体験乗船しました。動く巨大ホテルという印象でしたが、「EPIC号」は「飛鳥Ⅱ」4倍の超巨大船でした。最近、日本でもリーズナブルな観光クルーズが脚光を浴びてきたそうです。唯、受け入れ先の港の整備や肝心のクルーズ船の大型化や更新が遅れているという指摘もあるようです。

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(出展 Wikipedia)

ナポリ港には沢山の埠頭がありました。大きな水深、静穏な海、陸地へのアクセスの良さがあり、ナポリ港は古代ギリシア時代から天然の良港として栄えてきたようです。確かにナポリ港には河川が流れ込んでいません。河川は陸地から土砂を運んできて港を埋めていく厄介者、河川が流れ込む港は定期的な浚渫が必要です。
川がないナポリは港としては優れた立地であっても、都市用水の確保という面からはネックがあります。古代ローマは、都心から20km~60km離れた水源から水路トンネルや水路橋で都心まで導水していました。古代ナポリが水道問題をどう解決したのか興味深い課題です。もしかしたら地下水と井戸水でカバーしているのかもしれません。
トレニタリア・マリッティマ駅を後にして、埠頭に自由に出入りできるフェリーターミナルまで来ました。ヴェスビオ山と別の大型クルーズ船を背景に自撮りしました。

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海辺から見たヌオーヴォ城、大砲がない時代、聳え立つこの城を攻略するのは大変だったと思います。

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埠頭のピンクの建物は倉庫でしょうか。

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海沿いのモロジリオ庭園で一休みしました。

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この公園は王宮の裏側にありました。ナポリ人もローマ人と同様ピンクが好きな感じです。段々、落ち着いたピンク色は建物の色に合っているなと思うようになりました。

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モロジリオ庭園脇の坂道を登って、サンタ・ルチア港を目指しました。

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以下、次号・・・

# by camino0810 | 2019-01-14 08:17 | イタリア | Comments(0)