2010年9月5日(日) 23日目 Foncebadon ~Ponferrada
2011年 08月 05日
朝6時50分出発。
Camino中の最高点Irago(イラゴ)峠(標高1500m)を越えて、7時過ぎに、Cruz de Ferro(鉄の十字架)に到着。あたりはまだ夜明け前、うす昏かったです。
看板を眺めていると、日本語で「こんにちは」と声を掛けられました。振り向くと、若い外国人女性が立っていました。Camino中、外国人から日本語で話しかけられたのは、後にも先にもありません。
ハンガリー人のRekaさんでした。彼女とは、Barでも一緒になり、その後も何度か会うことになります。メールアドレスを交換し、Rekaさんからメールをいただきました。
彼女は、ブログを開設していました。ベースはハンガリー語ですが、このシーンは英語で書かれていました。以下引用すると・・・
There are two Japanese men here! Takeao and Takeshi, if I remember well. I met one of them while I was taking a photo of that board with the distances from cities on it. he was lauging at the "Mexico" sign and I asked him in Japanese, where he was from. (to be continued.)
<日本人2人と会った。看板の写真を撮っている時、そのうちの一人は、メキシコからの距離の看板を見て笑っていた。日本語で「どこから」と尋ねた。>
メキシコの看板を見て笑っていたのが、僕。彼女の記憶の方が正しいと思います。つまり「こんにちは」ではなく「どこから」が正解でしょう。写真中央をよく見ると、看板前の赤いTシャツの女性は確かに、Rekaさんでした。
これからは、、Ponferrada(ポンフェラーダ)までの下り道を歩きます。彼方にPonferrada(ポンフェラーダ)の街が見えました。
ここで、Rekaさんをご紹介。彼女はハンガリーのブダペスト在住。多分、学生さんでしょう。1年前から日本語の勉強を始めたとのこと。上手な日本語を話せます。ご本人の希望で、日本語でメールを交換をしました。大震災の直後、日本語のお見舞いメールをいただきました。うれしかったです。
街の入り口に2本の橋が・・・左が石造りの古いアーチ橋。右の橋はコンクリートの新しい橋。新しい橋は、古い橋のイメージに合わせたデザインにしていました。日本では見かけない斬新なデザインでした。支間が大きいわりに、橋げたの厚みが薄く、構造的にも難しい形状です。スペインの土木技術の高さを感じました。
この部分をアップしているのは、2011年8月10日。Caminoに向けて成田を発ったのがちょうど1年前の今日。ブログのタイトルは、8月10日にCaminoに出発したことにちなんでいます。
洗濯物を干し終えて、いつものように街の探検へ。
Ponferradaの旧市街地は2つの川に挟まれた城塞都市でした。川岸は、結構切り立っていました。この川をお堀替わりにしたようです。メーンはこれまでの街と違ってカテードラルではなく、カステージョ(古城)でした。素晴らしかったです。
日曜日の3時頃なので、市内は閑散としていました。多分、シエステ(昼寝)をしているからでしょう。
今日は、Adrianaさんの24回目の誕生日。皆で、「Happy Birthday」を歌いました。実は、敬博さんも24歳の農業経済専攻の大学院生。Adrianaさんは、心理学専攻の大学院生。スロバキアと日本の大学院生が、スペインの地で、同席したことになりました。
盛り上がったのは、写真中央、黒い髪のスペイン人女性Gloriaさんの手巻きタバコ。タバコを吸わないドイツ人男性Urlichさんが彼女をまねて、一所懸命、タバコをまきますが、さっぱりうまく行きません。皆で大笑いしました。
by camino0810 | 2011-08-05 06:35 | CAMINO(スペイン巡礼) | Comments(0)