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2011年9月10日(土) 東京 隅田川ウォーキング(その1)

2011年9月10日(土) 隅田川ウォーキングに参加しました。
僕は、JRRN(日本河川・流域再生ネットワーク)の会員です。JRRNの会員ニュースでこのイベントを知り、参加を決めました。
川に関する仕事をしているので、趣味と実益も兼ねての参加でした。

主催は「むさしの歩こう会」、今回のイベントは、「隅田川歴史・文化発見ウォーキング」。

9時に赤羽駅の東口にある赤羽公園に集合、受付。参加費は、500円。30Lのデイパックにコンビニで買ったペットボトル2本とおにぎり2個を詰めて、スペイン巡礼でお世話になった2本のスティックも持参しました。

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今回のコースは、隅田川最上流の岩淵水門から河口の勝鬨橋まで隅田川沿いを歩く28kmのコース。東京スカイツリーがある墨田区役所が中間点。ここまでが、一般コース。勝鬨橋までが、上級コース。
僕は、スペイン巡礼で歩きには自信があったことと、荷物がほとんどないので、上級コースを迷わず選択しました。
この見通しは、完全に外れました。当日の天候は、高温多湿。スペインの乾燥した気候とは全く違っていました。中間地点では、バテバテのまったくのヨレヨレ状態でした。

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赤羽公園から出発点の荒川知水館へ皆で向かいました。

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知水館の前で記念写真を・・・この時点でかなり汗をかいていました。高温多湿の環境にスペインの経験は全く役に立たないことを追々痛感します。

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荒川知水館は、「治水」を含めた川の役割を「知る」に掛けた造語でしょう。なかなか気の利いたネーミングです。
館内に入ると荒川の様々な情報が展示されていました。荒川と隅田川に挟まれた墨田区などの江東デルタ地帯の地盤の低さは一目瞭然。ちなみに写真左側の蛇行した細い川が、隅田川。右側の太い川が荒川です。
江東デルタ地帯は、震度7の直下型地震が来たら、木造密集地帯の火事、液状化、地盤沈下、津波来襲など非常に苛酷な事態が想定されます。

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10時、体操を終えて、ウォーキング開始。

荒川の土手に上がると、旧岩淵水門が目に入ってきました。この水門は、日本の近代土木史に残る記念碑的な作品。設計、施工は青山士(あおやまあきら)。このあたりは軟弱地盤、水門の基礎は、ニューマチックケーソンにして、堅固な地盤まで根入れしたのではないか?

青山士は、荒川放水路開削工事、信濃川大河津分水工事といった近代土木の黎明期を代表する工事を指揮した責任者でした。

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少し前まで、荒川は荒川放水路という名称だった記憶があります。
荒川の岩淵水門から河口まで22kmの区間は、明治末期の洪水から首都圏を守るために人工的に開削した河川。それまで、隅田川に流れ込んでいた洪水を放水路に流し、合流地点に水門を造った。おかげで、隅田川は都内に降った雨だけを流下させるだけでよい。実に、壮大な事業です。
日本の主要都市は、ほとんど洪水防御のためこのような開削河川で守られています。

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青山士は、大学卒業直後に恩師の廣井 勇の紹介状を持って、単身、パナマ運河の開削工事に従事したそうです。廣井 勇は、内村鑑三らと札幌農学校の同期。内村のキリスト教的博愛精神に影響を受け、土木の道に進んだのでないか?青山士もキリスト者として、恩師に感化されたのではないか?

青山は、信濃川大河津分水工事の中核をなす可動堰の工事も現場で指揮し、「万象に天意を覚ゆる者は幸いなり。人類の為、国の為」という有名な言葉を残しました。

岩淵水門の説明看板をよく読むと、主任技師とあるだけで、青山士の名前がありません。多分、青山の「自分の氏名は出さないように」という遺言でもあって、それに忠実に従ったのではないか?もしそうだとすれば、実に美しい話です。
水門の完成は、1924年。関東大震災が1923年。つまり、水門は、完成1年前の強烈な地震力にも耐えたと言うことになる。被災して損傷すれば、最後に設置するゲート工事は、現代の技術力でも間に合わないでしょうから・・・

それにしても、琵琶湖疏水を指揮した田辺朔朗、青山士と若い時に国家的事業を陣頭指揮していました。偉大な土木人というべきでしょう。

前置きが長くなりました。実際のウォーキングは、稿を改めて、ご紹介します。

by camino0810 | 2012-03-18 13:01 | 東京 | Comments(0)  

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