2011年12月31日(土) 大分 日田 豆田町
2012年 07月 13日
豆田町は、JR日田駅の北1kmにある歴史文化地区。江戸、明治の気分を残しています。豆田町の北側を流れる花月川は、2012年7月3日、大雨で堤防が決壊して大きな被害を受けました。
車を月隈公園の駐車場に停め、月隈山へ・・・月隈山は、標高50m程度の小高い山。
つづら折りの山道の崖には、小さな洞穴が無数に掘られていました。埼玉県吉見町の吉見百穴とそっくりでした。多分、お墓ではないか?
程なく、頂上に到着。天守閣があったと思われる石垣が・・・三橋美智也の「古城」を彷彿とさせます。
天守跡から日田市の市街地が一望できました。
月隈神社には沢山の赤い幟が立っていました。
山道を下って、豆田町へ・・・。月隈公園の外堀はこんな感じ・・・綺麗に整備されていました。
花月川は、景観や親水性も一応考慮されているようですが、イマイチ感がありました。
橋を渡ると、いよいよ、豆田町。
この町は、2本の南北に走る通り(御幸通り、上町通り)とそれを結ぶ東西の1本の通りにお店が集中しています。なまこ壁の蔵など江戸の気分も・・・電柱を地下化してあるので、全体的にスッキリしてもいました。
御幸通りのお土産物屋は、長屋風の2階建て・・・
連結する通り沿いは、こんな感じ・・・まだ、電柱が残っていましたが、石張りの舗道にしていました。
お煎餅屋でひと休憩。店内でサービスのお茶を飲みながら、お煎餅を頂きました。
豆田町には、おしゃれな小間物屋、カフェもありました。若い女性たちには、打ってつけの観光スポットでしょう。
「布あそび」・・・端切れのお店でしょうか?
「雑議所」・・・喫茶店のようです。
このお店は、カフェ・・・
この通りには、広瀬淡窓資料館があります。淡窓は、江戸時代の高名な学者。
日田は、江戸時代、徳川の天領。九州地方の政治、経済の中心地だったようです。そのため、実家は、豪商。体が弱いためく家業を継ぐのを断念し、学問の道を目指したそうです。広瀬家は、大分県の名門、現大分県知事の広瀬勝貞?さんもこの広瀬家の出身だとか。
淡窓の実弟、広瀬九兵衛が、実家の家業を継ぎました。晩年、九兵衛は稼いだお金を大分のインフラ整備に投入し、自ら、工事の指揮も取ったとか。当時のインフラ整備といえば、新田開発、洪水防御のための河川開削、農業用水の導水路工事など・・・勿論、耶馬溪の青の洞門などの道路工事も。京都の高瀬川の開削を行った角倉了以は京都の豪商。九兵衛のインフラもこれらのどれかだと思います。
江戸時代のインフラ整備は、個人の資金で実施された事例が多いようです。現在は、国や県のお金で整備が実施されます。私財を投げ打って、地域に貢献する。実に、感心なことです。
日田もから揚げが名物のようでした。から揚げといえば、僕の実家のある中津と宇佐が、本家ですが・・・
から揚げで小腹を満たして、清酒の醸造元「薫長」へ・・・花月川沿いに蔵造りの酒倉が並んでいました。製造中の施設の中に、見学コースも用意されていました。
酒蔵の中にも杉玉が・・・
発酵用の甕のようなものが・・・
これは、見た瞬間に判りました。どぶろく状の原酒からお酒だけを分離する装置。土木工事でも使います。フィルタープレスと呼んでます。漉された固形分は、多分、酒糟になるはず。
懐かしいグッズの展示も・・・珍しい写真発見。女優の真屋順子さんの若い時の写真が・・・。彼女は、日田出身ということなのでしょう・・・随分前、萩本欣一の「きんどん」で彼のママ役で人気だった覚えが・・・最近、テレビで見掛けません。体調でも悪いのでしょうか・・・
館内のお土産物屋兼カフェでコーヒーブレイク。
by camino0810 | 2012-07-13 23:16 | 大分 | Comments(0)