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2015年1月20日(火)東京 霞が関

1月20日(火)、東京は快晴、何時もより少し暖かい。
久し振りに霞が関に来た。
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早めに着いて、農水省の友人Yと少しばかり世間話などして国交省に行った。
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関係者との挨拶などを終えて、夜のRFCの懇親会まで時間があるので、この界隈を歩いてみた。霞が関は各官庁の本省が集合した日本の行政の中核だ。ここがテロなどでやられると日本は完全に息の根が止まるだろうと歩く度に感じる。だから役所玄関の警備も厳重だし、道路には警察官が歩哨替わりに立っている。
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法務省の旧館は、赤レンガの風格のある建物だった。1994年に重要文化財に指定されたそうだ。
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なぜ霞が関というのか?霞が出そうな地形ではないように思うが・・・。
先日、駒込の六義園で1860年の江戸末期の地図を見た。この地図を現在の様子を対比させるといろいろな事が判ってきた。
霞が関は、江戸城の西側(西御丸)の内堀と外側の外濠に挟まれた地区だ。しかも譜代大名の屋敷が目立つ。当時から日本の中枢だったことになる。
幕末まで江戸城の外濠は完全に繋がっていた。現在、外濠は現在ほとんど埋め立てられて「外濠通り」に変わっている。「溜池」の交差点には当時まさに「溜池」があった。
何故、溜池を造ったかは不明だ。東京の街は高低差がかなりある。多分、外濠の水面の高低差処理かもしれない。江戸城の東側の外濠は今でも健在だ。飯田橋から市ヶ谷、四ッ谷までに高低差のある3つのお堀があり、おのおの土堤で仕切られている。その高低差はザックリ5mくらいはある。
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「霞が関」は江戸時代は譜代、親藩大名の屋敷跡のようだ。徳川家のルーツである松平姓の屋敷が多い。「松平」はいたるところに登場している。「松平肥後」、「松平陸奥」、「松平美濃」、「松平相模」、「松平土佐」、「松平阿波」・・・多分、「松平」の次男、三男などが諸藩に養子に入ったのではないか、姻戚外交のようにも思えるが。。。。
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井伊家は桜田門から少し国会議事堂よりにあった。今の憲政記念公園あたりだ。井伊直弼はお屋敷から桜田門に向かう途中に暗殺されたらしい。六義園に雪吊りがあったところを見ると、当時の東京は寒くて、結構、雪が積もったのだろうか。
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皇居の二重橋前の広大な広場は、この当時は大名屋敷だった。また、その下(東側)には現在の「丸の内」が、更に綺麗に小さく区画された地域が続いている。ちょうど、日本橋、京橋、有楽町や銀座がある場所だ。
日本橋は全国から来た物資の集散地のようなので、多くの商人が蔵やお店を構えて営業していたように思える。太い水路は多分外濠で、現在は埋め立てられて外濠通りになっているようだ。
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このあたりの水路は荷物を積んだ船が沢山往来していたのだろう。当時は鉄道は無く道路や橋自体も貧弱だったのだろう。この橋を貨物を積んだ大型馬車も走れなかっただろうし、首都防衛のために意識的に貧弱にしていたのかもしれない。
とにかく江戸末期までは、物資輸送の主役は舟だった。水路や運河は現在の鉄道や道路に相当する。したがって、水路や運河沿いには賑わいが出来たはずだ。三越の日本橋本店の地下通路に1805年の江戸期の日本橋界隈の賑わいを描いた絵が展示されていた。当時の橋はアーチ型なので、馬車を走行させるのも一苦労だったに違いない。
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先の農水省の友人Yに質問してみた。彼は30歳くらいの時に2年間パリに留学していた。
僕 「パリのセーヌ川に蓋をして、幅150mくらいの公園を造る計画があったとしてどう思う?」
Y 「それは、全くNG。パリ市民は絶対受け付けないよ・・・」
僕 「プラハのブルタヴァ川に蓋をして、幅200mくらいの公園を造る計画があったとしてどう思う?」
Y 「それも同じだろうね・・・」
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彼は、僕が川屋であることを承知していて、こんな事も言ってくれた。気を使ったようだ。
Y 「それと日本橋は、なんとかした方がいいと思っているけど。。。」
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最近、水都東京を復活させようという動きが出てきた。外濠再生のシンポジウムなどが大学で開催されている。三環状の完成に伴い、運河や水路の真上を走る首都高の必要性も薄れつつある。近い将来、日本橋がお天道様を仰げる時が来るかもしれない。
いささか「我田引水」の観もあるが、やはり洋の東西を問わず「川」や「水辺」は大事な財産だと思っている。そこそこ水を綺麗にして、水辺の賑わいが復活してくれればと思っている。



by camino0810 | 2015-01-24 13:37 | 東京 | Comments(0)  

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