2015年11月15日(日)イギリスⅡ エピローグ(4)

エピローグ(3)の続きです。

④ 山
山はスコットランドくらいしか見ませんでした。パース郊外やエディンバラ市内に大きな岩山があった程度。

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エディンバラ城は市内を一望できる高い岩山の上に建っていました。

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イングランドを縦断しましたが、山らしい山を見る事はなかったです。山岳地方の北部スコットランドを除いて、ほとんど丘陵地ではないか。イギリスの可住面積は意外にも広いようでした。

⑤ 駅
車の移動なので駅舎は、訪問したのはエディンバラとヨークのみ。エディンバラの駅は谷底に位置した広大な駅舎でしたが、ホームに立つ時間はありませんでした。
屋根は恐ろしく広いトップライトでした。

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2015年11月、TBSの世界遺産シリーズでフォース橋が紹介されました。ウェーバリー駅のホームは全面トップライトなので明るいです。


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電車もお洒落でした。


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ヨークの駅舎はドーム型の屋根が付いた風格のある駅舎でした。


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ヨーロッパの著名な駅もにも行きましたが、すべてホームを覆う屋根はワントップ、ひとつの屋根でした。日本の駅舎でワントップの屋根の駅は大阪駅くらいしか知りません。

⑥ 橋
フォース湾に差し掛かると、右手に赤いフォース鉄道橋が見えました。イギリスの黄金期に架設されたものだと思います。トラス構造の珍しい形をした橋梁でした。
構造のコンセプトは、橋脚からヤジローベーのようにトラスを張り出して、支間中央部にゲルバー梁を乗せて連結させたといった感じでした。


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とにかく、これだけ巨大な鉄の橋を1890年(明治23年)に完成させたイギリスの土木技術力には脱帽です。


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(出典 Wikipedia)

2015年11月、TBSの世界遺産シリーズでフォース鉄道橋が紹介されました。この橋は2015年6月頃に世界遺産に登録されました。
以下の写真はTBSの世界遺産シリーズから引用します。赤い鉄道橋の上に2つの橋が写っています。手前がフォース第1道路橋、この橋を車で往復しました。奥の橋がフォース第2道路橋、橋脚が完成していて、現在、橋桁を架設中でした。


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橋の構造は橋梁技術の進展を明瞭に示しているように思いました。(以下の数字は大体のものです)
Aフォース鉄道橋(1890年完成)構造 トラス 橋長2500m 最大支間長500m 高さ100m
Bフォース第1道路橋(1964年完成)構造 吊橋 橋長2500m 中央径間長1000m 高さ 100m
Cフォース第2道路橋(建設中)構造 斜張橋(推定) 橋長2500m 最大支間長500m 高さ 100m
橋は、構造力学、風工学、材料力学、水理学、土質工学、測量技術、施工技術の進展に伴い最大支間長を大きく出来るようなりました。
(何故、フォース第2道路橋を吊橋にしなかったのか?その理由が気になりますが・・・)
とにかく、明治中期に5万5千トンの巨大な構造物を設計、施工できたイギリスの技術力には脱帽する以外にありません。


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北九州市の洞海湾にかかる若戸大橋(1962年完成:橋長600m 最大支間長370m 高さ80m)は、日本における長大橋の始まりであり、建設当時は東洋一の吊り橋だったそうです。日本の技術者も鍛錬を重ねて、1962年にはイギリスの水準に達したようです。


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(出典 Wikipedia)

放映を見て最もインパクトを受けたのは、架設中の写真でした。橋脚から支間中央に向けてヤジロベーのように徐々に部材を継ぎ足していく様子が判ります。現在架設中の第2道路橋も同じように組み立てていくと思います。
大きなクレーンや台船がない時代にこれだけ大きな部材をよくも組み上げたものだと驚かされました。それに、測量技術が不足していると橋桁同士がうまく閉合しなかったでしょう。


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円筒型のトラス主部材の継ぎ足しの写真です。当時、部材同士はリベットと呼ばれる鋲を叩き込んで接合したものと推測します。接合部の当て板を交互にずらして弱点にならないように配慮されていました。円筒型の部材は直径3~4mくらいはありそうです。


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建設会社32年、建設コンサルタント会社5年勤めた経験から言うと、橋桁のような上部工よりもむしろ橋脚と呼ばれる下部工が気になります。(鋼橋は橋梁専門会社や鉄鋼会社の系列会社が施工します)
フォース湾の水深や潮流は不明ですが、この鉄道橋の基本設計はどのようなものだったのか、何故、支間を500mにしなければならなかったのか・・・気になるところです。
そこを自分なりに考えてみました。以下は個人的な見解です。
① 多径間の橋
設計・施工面で容易な方法は、沢山橋脚を造って、支間を小さくするのがベストです。実際、パースのあるテイ湾では橋脚が沢山ある短支間の橋でした。支間長は橋桁の下を通過する船舶の大きさや頻度で決めればよいので、せいぜい30mもあれば十分、桁下空間の確保が決めてになるでしょう。この橋は強風で倒壊しましたが、テイ湾の水深は浅かったと思います。


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② 少径間の橋
水深が小さい時は橋脚を沢山築造できますが、水深が仮に50mもあると橋脚築造は当時の建設技術では不可能だったかもしれません。
当時の技術水準からはなんとなく水深が10mくらいになると仮締め切りが設計的にも施工的にも極めて困難だったのではないか・・・何時の時代でも、水深は大きな障壁です。当時、大水深での橋脚施工は、この頃開発された締め切りが不要なニューマチックケーソン(潜函工法)くらいしかなかったようです。

1883年に完成したニューヨークのブルックリン橋(橋長1800m、中央径間500m)はどうだったのか?

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(出典 Wikipedia)
この橋の橋脚はニューマチックケーソン(潜函工法)で築造されたのは間違いありません。多数の現場関係者がケーソン病で亡くなっていました。
以下、Wikipedia より引用

ブルックリン橋はベルリン王立高等理工科学校(現・ベルリン大学理工学部土木工学科)の橋梁工学を卒業したテューリンゲン州ミュルハウゼン出身のドイツ系移民のジョン・オーグスタス・ローブリング(John Augustus Roebling、1806~1869年、ドイツ語発音ではヨーハン・アウグスト・レーブリング(Johann August Rӧbling))によって最初に設計されたが、彼は橋の建設開始をまたずに破傷風で病死した。その後、南北戦争に従軍した息子のワシントン・ローブリング(1837~1926年)が建設を引き継いだが、彼もまたケーソン病により下半身を麻痺したため、同じドイツ系の妻のエミリー・ワーレン・ローブリング(1843~1903年)が工学を勉強し、現場の監督者と彼との意思疎通をはかった。ワシントンは1903年に妻を先立たれてからも、1926年に89歳で亡くなるまで自宅から望遠鏡で橋の建設を見守ったという。建設当時、ケーソン病はまだよく理解されていなかった。
(省略)
建設に際しては多数のケーソン病による死者を出した。

結局のところ、フォース橋の基本設計はフォース湾の水深で決まったように思います。湾中央に小島がありました。この小島の浅瀬に中央橋脚が出来ていました。この小島を上手に利用したように思います。橋脚の基礎は各々独立した円筒形ですが、多分、水深が浅いので仮締切りで造ったのではないか・・・。


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その答えとなる図面がありました。海中にある中央橋脚は水深の浅いところに設置されていました。基本設計にあたり水深の浅い場所を探してそこに橋を計画したのでしょう。橋脚の高さが100mなので最大水深はゆうに100mはあります。
この地点でフォース湾の幅は約1000m、両岸に橋脚を2本、中央部に1本、計3本の橋脚にして支間長を500mにすればよいという事になります。


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次に、支間500mの橋桁をどう設計・施工するか?
ブルックリン橋のように橋脚が2本なら吊橋が可能ですが、橋脚が3本だと吊橋は無理だと思います。
苦肉の策がヤジロベー形式のカンチレバー方式だと思います。支間中央部にはゲルバー梁と呼ばれる小梁を載せた形式にしていました。こうすると、橋脚は少し沈下しても致命的な事態には至りません。
この原理が番組で紹介されていました。ゲルバー梁に乗っているのは日本人技術者渡邊嘉一でした。彼はフォース橋を含む一連の鉄道の設計、現場監督を担当した土木技術者でした。
正直、驚かされました。渡邊嘉一については、土木技術者の項で触れたいと思います。

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この写真がスコットランド銀行の20ポンド紙幣に右上に印刷されているそうです。二度驚かされました。


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この橋で特筆すべき点はもう一つあります。
125年間の長きに亘り現役を続けているという事です。鉄の橋は放置するとすぐに錆が出て致命的な事態にも発展しかねません。フォース湾の過酷な海象や列車の繰り返し荷重に125年も耐えている事は大いに賞賛して良いと考えます。

以下、次号・・・



by camino0810 | 2015-11-15 15:46 | イギリスⅡ | Comments(0)  

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