時刻は18時前、そろそろお腹が空いてきました。15時から街歩きを始めて3時間が経過しました。
河畔公園に立ち並ぶカフェやレストランでお店探しを始めました。くだんの洪水防止板の基礎が延々と続いていました。
5月のヨーロッパの日暮れは21時くらい、まだまだお昼みたいに明るいです。この日は生憎の雨模様、真冬並みに寒かったです。
値段の安そうなお店を探し出して入りました。お店の前のテラス席は寒いので室内で食事を摂りました。
薄暗い店内のテーブル席についてメニューを吟味して、シュニッチェルに決めました。前日のリューデスハイムと同じ夕食です。シュニッチェルは8.9ユーロ、コーヒーが2.2ユーロ、締めて11.1ユーロ(1400円)。サイズは普通でしたが、美味しかったです。この食事がドイツ滞在10日間で最も贅沢な食事になりました。
以降、コメの飯が恋しくなって夕食はエスニックばかりになりました。支払いはカードを拒否されました。仕方なくなけなしの現金で支払いました。
前の席に座った若いカップルはピザを食べていました。こちらの食事は大き目、女性は完食できるかと注視していましたが、案の定食べ残しました。店員を呼んでそれを包んでもらって持ち帰りました。
日本では食べ残しのテイクアウトが一般的ではありませんが、大量の食品廃棄は感心できません。この習慣は大いに見習うべき美徳だと思います。
ちなみにお店のトイレは簡略式でした。
食事を終えて、ホーエンツウォレルン橋に戻りました。日本の公園でも見られるようになった縁なしの池がありました。
池にはオブジェも・・・
階段を登って大聖堂の裏手に出ました。
登り切った広場からケルン大聖堂の東側の祭壇、奥の西側のファサードの尖塔が見えました。
この視点から観た河畔公園の光景は実に優れた景観だと感じました。
ホーエンツウォレルン橋の袂は高台にあるので、眺めも良かったです。橋を通過船舶の運行に支障が出ない高さまで持ち上げたのでしょう。ライン川は古代ローマから2000年の歴史のある基幹運輸インフラ、交差する橋梁の出現は恐らく19世紀くらいからでしょう。優先権はライン川にある訳で必要な桁下空間を確保するのは当たり前という不文律があったのではないかと思います。
鋼材はリベット接合だったので相当古い橋だと思います。観光船とコンテナ船がすれ違いました。ライン川らしい絵柄だと思います。
高欄には無数の南京錠が取り付けられていました。パリ市内のセーヌ川のある歩道橋が南京錠で有名ですが、構造が華奢なため鍵の荷重が構造的に支障するため鍵が撤去されたと聞いています。鉄道橋には鍵荷重くらいは構造に影響することはないでしょう。
通りががりの2人連れの女性観光客にスナップ写真をお願いしました。
来た道をホテルまで戻る事にしました。大聖堂、駅舎は隣り合わせだという事が良く判りました。
中央駅に再び戻ってきました。駅前広場には車が入れません。そのせいで賑わいができているように感じました。
当日にFBにアップした記事は以下のとおり。
⑫またもやシュニッチェル
夕食はウィーン風のシュニッチェルにした。サラダとフライドポテトが添えられていた。今回のは少し小振りだったが、美味かった。
珈琲とセットで約11€(1,400円)、現金で支払った。
⑬親水
親水公園はお洒落なオブジェがセットになっていた。水際の境目にブロックなど置きたがるものだが、水際は変幻自在だ。
⑭公園
鉄道橋の袂から見下ろした河畔の公園の眺めは大変優れていた。
⑮鍵
鉄道橋の高欄には沢山の南京錠は付けられていた。セーヌ川の歩道橋が有名だが、構造が華奢なため鍵の荷重が効くため撤去されたと聞いている。鉄道橋には鍵荷重くらいは何ともないだろう。
⑯再び大聖堂
東面の祭壇方向から観る大聖堂は神々しさが感じられた。
⑰ラウンドアバウト
駅前にラウンドアバウトがあった。右側通行の国はリングを反時計回りに回る。ドイツもこの信号要らずの交差点を積極的に導入しているのだろうか。2015年、本家のイギリスで何度となく走った。
⑱公園B
ロマネスク式?教会の祭壇の隣りに瀟洒な公園があった。絵心に乏しい自分は写真しか撮れないが、絵画にするにはもってこい公園だった。
明日は、ドイツの新幹線ICEでライプチヒに向かう。
翌日の朝、東部ドイツのライプチヒに向かいました。
以下、次号・・・