ネッカー川の川歩きを終えて、14時過ぎ地下鉄で中央駅に戻ってシュトゥットガルトの街歩きを開始しました。シュトゥットガルトの中心街は中央駅の南側に拡がっていました。両サイドの幹線道路に挟まれた地区の中央にある駅前通り(ケーニヒ通り)を南に向けて歩きました。時間がないので三番町のN先生が研究生活を送られていたシュトゥットガルト工科大学は割愛しました。
(出典 google)
当日のFBにアップした記事・・・
5月7日(土)、シュツットガルトは快晴、温暖。
列車事故で1時間40分遅れでシュッツットガルトに12時15分到着。
駅のロッカーに40Lのバックパックとお土産を入れた袋を預けて13時に街歩きを開始した。
途中省略
Uバーンで中央駅に戻ってメーンの大通りを歩いてみた。この街は人口50万、通りの幅は約20m、上り線と下り線の中央に排水する仕組みだった。土曜なので人で溢れかえっていた。ミュンヘンと同じだった。
王宮前の大きな広場では芝生に大勢の人たちが休日を楽しんでいた。フリーマーケットも賑わっていた。
少し行くと大きな教会があった。15時30分、この近くのカフェで黒ビールをやりながらこの記事を書いている。
17時22分発のフランクフルト空港駅行きで出発点に戻る。
4月28日にフランクフルトに入って、ドイツ中南部の街まちを電車で移動しながら観てきた。
総括はこれからだが、ドイツという国は予想を遥かに超えた素晴らしい国だった事は確かだ。
この旅行のヒントを出して戴いた三番町のN先生に感謝、感謝だ。
土曜日のお昼時ということもあり、道幅20mくらいのケーニヒ通りは人、人、人・・・渋谷のスクランブル顔負けの賑わい振りでした。
賑わいの秘密は、車を排除したルールにあるようです。これまで歩いてきたフランクフルト、ケルン、ライプチヒ、ドレスデン、バンベルク、レーゲンスブルクと同じ構造、同じルールでした。ドイツにはこのような街づくりの指針などがあるのではないか・・・
少し歩くと大きな広場に出会いました。
シュロス広場の芝生には大勢の人たちが浜辺のオットセイかセイウチみたいに寝転んでいました。
広場東側には格式のある古風な建物が建っていました。
てっきりお城だと思っていたら、州政府庁舎でした。そういえば、ミュンヘンのゴシック式大聖堂風の建物は新市庁舎でした。シュトゥットガルトの街はミュンヘンと同様「意図して造られた都市」ではないかと思います。この街は元々ネッカー川の舟運など発展した商業工業都市で、市の拡大に伴って風格を後付けしたようにも感じます。
大勢の市民が裸足になって芝生で休んでいました。南ドイツ人たちにとって貴重な日照なのでしょうか。
広場の西側の建物も古典的な外見をしていました。
こちらはショッピングセンターでした。それにしてもこの建物もその前の広場も実に広々としていて気持ちが良い。元々あったモールにパルテノン風の外装を施したようにも思えます。この手もありか、いい設計だと感じました。
とにかく建物、広場、街路が一体的に計画、設計されているなという印象を受けました。
シュロス広場の南端に地下化された道路がありました。平面交差でも大きな問題はありませんが、敢えて車道を地下化して広場の連続性を確保していました。つまり、この駅前地区は歩行者を車に優先させるというコンセプトがあるのではないか・・・ケルンのライン川沿いの公園の車道の地下化と似たような感じです。
シュロス広場に隣接したカールス広場ではフリーマーケットが行われていました。
土曜の15時過ぎなのでオープンカフェは大賑わいでした。
骨董品のお店に並んでいた品物には値札が付いていません。女主人にお値段を聞くと、如何にも高級そうなペンダントはたったの10ユーロ(1300円)でした。こちらの方をお土産にすれば良かったなと臍をかみました。
お隣の建物にはライプチヒでも見た屋内市場「パサージュ」がありました。
「パサージュ」はフランス語で通路の事なので、アーケード商店街ということだと思います。大きなトップライトが付いているので室内は明るい。このパサージュは古くなった建物を改造して再利用しているのではないかと感じました。レーゲンスブルクでも教会などを民間事業者がレストランとして再利用していました。日本でも「空き家」問題が深刻になってきましたが、このようなやり方もありかもしれません。
食料品が沢山並んでしました。
旧市街の街歩きを続けました。
以下、次号・・・