2018年3月21日(水)ドイツⅡ その83 エピローグ(17)クラクフ

⑨クラクフ:2017年5月5日(金)その2


・海外旅行で携行する、マストアイテム「地球の歩き方 チェコ ポーランド スロヴァキア(’13~’14)」にクラクフの紹介があった。クラクフのキャッチコピーは「ポーランドの京都と称される美しい古都」。

『クラクフは11世紀中頃から1596年までの約550年間ポーランド王国の首都として栄えた都。特に1386年から1572年まで続いたヤギェウォ王朝の時代は黄金期といわれ、当時のクラクフはボヘミアのプラハ、オーストリアのウィーンと並ぶ文化の中心であった。旧市街の南、ヴィスワ川河畔の丘に華麗な姿を見せるヴァヴェル城には歴代のポーランド王が住み、同じ敷地内にある大聖堂は、王の戴冠式が行われたとともに、永眠の場所であった。
ポーランドのほかの都市が第2次大戦で壊滅的な打撃を受けたなか、クラクフが戦災を免れたのはここにドイツ軍の司令部がおかれていたためだという。「ワルシャワが東京とすればクラクフは京都」ともたとえられる歴史的な町並みは、1978年にユネスコに世界遺産に登録されている。ヴァヴェル城や旧市街をはじめ町全体が中世のたたずまいを残し、しっとりした古都の趣きが薫り立つ。時代を超えた雰囲気のなか、足の向くままに街をそぞろ歩いてみよう。風にのってどこかから漂ってくる音楽の調べが、遠い歴史の彼方へ誘ってくれる』

・第2次大戦中、アメリカ軍は京都だけを爆撃目標から外し、ドイツ軍はフランスのパリを無血開城し、その街並みを保全した。高名な歴史文化資産は市民をも守る力があったと考えてもいいだろう。18時、再び、ヴァヴェル城の北側まで戻って、クラクフ旧市街の街歩きを開始した。

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(出展 Google)

・写真左側の建物が王宮、ポーランド歴代国王の墓所もあるという。そのお隣の青い屋根の尖塔がヴァヴェル大聖堂。城壁の赤レンガと芝生の緑のコントラストも優れた景観になっていた。

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・旧市街の入り口・・・車を排除して人の通行だけにしている感じだ。欧州の中心市街地でよく見かけたパターンだった。石畳の道を北に向けて歩いて行った。


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・小学生らしい一団に出会った。服装は日本の小学生と似たような感じだった。

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・引率の先生だろうか。女性は全員パンツルック。これまで欧州の街でスカート姿の女性はほとんど見かけたことはない。日本人女性のスカートの割合が高いのは何故だろうか。

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・聖ペテロ聖パウロ教会は白壁のどっしりしたファサードで、賢人像がずらりと並んでいた。

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・聖アンデレ教会のファサードは尖塔タイプ。教会建築にもいろいろな流儀があるようだ。この辺りは教会が多く、宗教施設が集中していた。江戸時代の東京のみたいに職能別の住み分けがあったのかもしない。

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・旧市街には観光用の馬車がひっきりなしに走っていた。馬車の装丁もゴージャスだが、馬のお化粧も負けずに豪華だった。

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・今日は金曜日、5月のヨーロッパは21時くらいまで明るいので、これから益々人出があるだろう。

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・「SPAR」に寄って夕食を買い求めた。ドイツではコンビニが見当たらず結構困ったものだ。日本ほど高密度ではないけど、ポーランドはコンビニがあった方だ。惣菜パン、菓子パン、ジュースなどで15.18ズオティー(470円)、とにかくリーズナブルだった。コンビニでも野菜なども販売していた。
 オレンジ1kg 5.05ズオティー(160円)
 ブドウ 1kg 9.39ズオティー(290円)
 パプリカ1kg 11.48ズオティー(360円)
 ズッキーニ1kg 4.69ズオティー(150円)
 菓子パン1個 1.95ズオティー(60円) 
 食パン1個 2.79ズオティー(90円)

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・ドミニカン修道院のファサードは、閻魔大王の帽子みたいで日本人には怖い思いをするだろう。写真左端に「GETTO」という標識が写っていた。ユダヤ人居住区の「ゲットー」だろう。クラクフにはユダヤ人が沢山居住しているそうだ。ヴァヴェル城の東南にはゲットーがあり、映画「シンドラーのリスト」のロケが行われたそうだ。クラクフの近くのオシフェンチムにはアウシュヴィッツ強制収容所もある。

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・クラクフ旧市街といえば、何といってもヘソにあたる「中央広場」だろう。大きな尖塔は旧市庁舎の塔だった。

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・中央広場は200m四方の実に大きな広場だった。ワルシャワ旧市街の広場が70m×90mなので、ワルシャワの6倍の面積があることになる。中央にある織物会館は、お土産物さんが沢山入った一種のショッピングモールだった。中央市場は、東京でいえば、築地市場みたいなものかもしれない。広場の右上に「聖マリア教会」があった。

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(出展 Google)

・旧市庁舎の塔と織物会館・・・

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・これまで、これだけ広々とした広場を歩いたことはない。ドイツのライプチヒの駅舎もそうだが、大きいこと、広いことはそれだけで十分価値が高いなと感じた。

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・聖マリア教会は1222年に建てられたゴシック式の教会で塔の高さは82m。旧市街のランドマークになっていた。教会のファサードの2本の尖塔は左右非対称だった。尖塔は赤レンガ製、ドイツもそうだが、石材が乏しい地方だったのかもしれない。

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・織物会館のファサードは多連のアーチで長さは100m。ゴージャスな建物だった。クラクフの繁栄を象徴する建物だろう。2Fはクラクフ国立美術館。

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・広場周囲の建物群は5階建てでスカイラインを綺麗に整えていた。

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・中央広場の西側の通路を歩いて外側のリングに向かった。道路にはトラムの線路跡が残っていた。中央広場へのトラムの乗り入れを止めたようだった。ドイツのブレーメンでは中央広場にトラムを入れていたが、クラクフの方が正解ではないかと思った。

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・当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月5日(金)クラクフは晴れ、温暖。
15時にホテルにチェックイン、一休みして17時から街歩きを始めた。5月のヨーロッパは21時位まで明るいので時間は十分に取れる。
クラクフの街はリューベックと似ていた。旧市街は楕円状のリング道路、公園、城壁に囲まれている。中世の時代には、かなりの防衛力を持った都市国家だったのではないか。
リング道路はドイツのフランクフルト、ケルン、ライプチヒ、レーゲンスブルクでも見掛けた。中世~近世には、リング道路はお堀になっていて、現代になって埋め立てて公園や道路にしたのではないか。
ホテルはリングの南端にあるので、南のヴァヴェル城から歩き始めた。お城の城壁からヴィスワ川がよく見える。ワルシャワのヴィスワ川は河川利用がなかったが、上流のクラクフでは観光舟運が割と盛んだった。
リングの中は大勢の観光客で賑わっていた。第2次大戦で京都が爆撃対象から除外されたようにクラクフも爆撃を逃れたという。そのため中世からの歴史的建造物が沢山残されている。なるほど、古都クラクフが世界遺産に登録された所以だ。
欧州の街は大聖堂、教会や市庁舎と広場がセットになっているパターンが多いように感じる。
クラクフの広場はざっくり200m×100mが2面あり、大勢の人が集まっていた。
リングの北端まで行ってリング道路沿いに南下した。ホテルに帰り着いたのが19時、2時間の歩きでもこの街の素晴らしさが理解できた。
リング道路の外周には風格ある建物が並んでいた。リング公園は新緑が瑞々しかった。夕方近くでも沢山の人がせっせと歩いていた。
明日は雨の予報なので今日中歩いておいたほうが得策と考えてかなり無理して歩いた。朝はワルシャワで歩き、夕方クラクフで歩き相当疲労した。
明日の夕方、今回の旅の最終目的地グダンスクに向かう。

・引き続き、リングの西端から時計回りに北端まで行って、リング沿いに南下してホテルに戻った。

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・北を下にしたクラクフの旧市街の地図。リングを時計回りに歩いてホテルを目指した。

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(出展 Google)

・リングは道路と公園でできていた。道路はトラム、車、歩行者が混在していた。夕食時のせいか、買い物客らしい多くの市民が歩いていた。リングの内側は公園にしてあった。

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・リング内側の公園の手入れは実に丁寧だった。

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・リング外側の建物は、見事にスカイラインを揃え、デザインも合わせていた。統一感のある、風格に溢れた街並みだった。クラクフでは街区を綺麗に整えることがごく当たり前に浸透しているのかもしれない。十数年前、東京郊外の国立でマンションの建設が差し止めになった事案があった。確か、新規のマンションが周囲の景観を毀損する恐れがあって反対運動が起こったと記憶している。日本は未だ景観後進国という気がするが、最近、良い景観を目指そうという機運が高まってきたように感じる。

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・リング最北端の公園に入ってみた。恐るべき手入れの良さに唖然とした。

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・良く手入れされた瑞々しい新緑と水のある光景は、文句なしに素晴らしかった。

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・道路を渡って、リングの外側にある広場に立ち寄ってみた。

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・再び、リングの内側の公園に戻った。円形の赤レンガの建物は、バルバカンという1498年に完成した昔の砦だそうだ。ワルシャワ城の城壁にも似たような円形の城門があった。城壁から半島状に飛び出した防衛施設のようだった。

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・この辺りにはクラクフ城の外壁が残っていた。かつてリングの公園部分はお堀で、その内側に城壁が張り巡らされていたと想像する。フロリアンスカ門は、1300年に完成、高さが20m近い高い鐘楼になっていて、監視塔の役割もあったようだ。中世から近世に掛けてこのような城門が城壁の各所にあったと思う。城壁の高さは、10m程度はあったと思う。

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・バルバカンの裏側・・・現在は周囲と地続きだが、近世頃まではフロリアンスカ門とはお掘を横断する道路で繋がっていたのではないかと想像する。江戸城の半蔵門や平川門みたいな感じだったのではないかと思う。

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・何故か、公園内に東京の風景写真が展示されていた。道路上に高架の鉄道が走っているので、多分、秋葉原だろう。建物のスカイラインやデザインのバラバラ感、ど派手な宣伝看板などはクラクフ市民には全く異次元とも言える世界ではないだろうか。そもそも、京都ではなく東京の秋葉原の写真が何故展示してあるのか?日本人の自分としては自虐感を捨てて、肯定的な理由を考えてみた。もしかして、クラクフ市民は東京の街の価値をそれなりに認めているのではないか。
 ①東京の街並みは、クラクフとは相当違っていて、異文化的存在でなんか不思議で面白そう。
 ②漫画、お寿司、ラーメンなどの娯楽や食文化が興味深い。

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・再び、リングに戻り南に向けて歩いた。風格のある建物が続いた。

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・クラクフでもトラムは大活躍の様子だった。

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・クラクフ本駅の近くの噴水広場まで来た。沢山の通勤客が歩いていた。

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・写真の赤レンガの建物は消防署だった。

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・リング内の公園の遊歩道を歩いて行った。手入れは何処でも行き届いていた。

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・ホテルの裏口まで戻ってきた。

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・19時30分、ホテルの玄関に到着した。17時にここを出発したので、2時間半の街歩きだったが、クラクフの旧市街は大きな街ではないので一通り歩けた。部屋はシックで古風な部屋で、ブラウン管テレビが置いてあった。

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・この日は、朝早くからワルシャワを歩き、お昼に電車でクラクフに着いて、夕方からクラクフを歩いた。相当疲れたが、ポーランドを代表する2つの街を無事歩き終えて満足できた。翌日も再び旧市街を歩いた。

以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-03-21 17:20 | ドイツⅡ | Comments(0)  

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