2018年3月24日(土)ドイツⅡ その84 エピローグ(18)クラクフ

⑨クラクフ:2017年5月6日(土)その3


・宿泊したホテルは三ツ星だがリーズナブルで、ヨーロッパでよく見掛ける伝統的な外観や内装のホテルだった。


b0214184_11185486.jpg

・このホテルはヨーロッパでよく見掛けた『横目地』の伝統的建物だったが、その外壁が、結構、痛んでいた。外壁は赤レンガの表面をモルタルで仕上げていた。この痛んだ外壁は目抜き通りから丸見えで、かなりの間放置されている感じだった。

b0214184_11251837.jpg


b0214184_11252669.jpg


・10時、再び旧市街の南端にあるヴァヴェル城から街歩きスタートした。伝統に溢れるこのお城も良く見ると補修の跡が沢山あった。城壁は赤レンガと自然石の2種類で出来ていた。お城本体の外壁も同じ。欧州の建造物は基本的に『ツギハギの思想』が基本的なコンセプトになっているように感じる。使い古した衣服を修繕して何度も使うというスタンスだ。それが貧相に見えないのが欧州流だろう。日本は、典型的なスクラップ&ビルト型のフロー社会だ。欧州は、日本とは対照的なストック社会だといつも感じる。

b0214184_08074055.jpg


・良く見ると、旧市街の教会の外壁もツギハギだらけだった。これが決してみすぼらしく見えないのが実に不思議だ。欧州では昔のものを大事に使いまわす伝統が今でもしっかり根付いているように感じる。

b0214184_11463206.jpg

・旧市街のモルタル造りの建物・・・例の『横目地』が落ち着いた風格のある気分を出していた。

b0214184_11460504.jpg

・旧市街の路地裏も石畳の舗道にモルタル造りの建物がしっくりと収まっていて落ち着いた良い気分を出していた。路地裏でも電柱や電線などは勿論ない。

b0214184_11471114.jpg

・『横目地』の建物もあった。

b0214184_11471423.jpg

・職人さんが外壁の補修をしている珍しい場面に遭遇した。このような職人がクラクフの街の落ち着いた景観を支えているようだ。プレミックスのモルタルをハンドミキサーで溶いていた。粗仕上げを終えた外壁のタッチアップをどう処理するのかが腕の見せ所だろう。

b0214184_13250484.jpg

・聖マリア教会は高さ82m、旧市街で最も高い建物。1222年に完成したゴシック様式だそうだ。この教会は、ヴァヴェル大聖堂があるので、クラクフにおいて教会の序列はNO2でもクラクフを代表する宗教施設だと感じた。リューベックの旧市街の中央部には、大聖堂を上回る大きさの聖マリア教会があった。リューベックの聖マリア教会もほぼ同時期の建物。尖塔以外は何となく似たような感じもした。西欧の大聖堂のファサードの尖塔はほとんど左右対称だったが、この有名な教会の2本の尖塔は非対称。ブダペストの王宮の近くにあった教会のファサードも非対称だった。日本的な感覚だと左右を揃えるのがしっくりくるが、東欧の人たちは違う感覚があるのかもしれない。良く見ると窓などのディテールも微妙に違っていた。設計者の意図は何か、少し気になるところだ。

b0214184_13264426.jpg

・広場に大きな彫像があった。ポーランドの国王と思いきや、19世紀の革命詩人で愛国詩人のアダム・ミツキエヴィッチという人だった。銅像は19世紀末に造られた。後で判ったことだが、詩人が中央広場のセンターを占めている理由はポーランドの受難の歴史に関係しているようだ。

b0214184_13281121.jpg

・中央広場の真ん中にある織物会館にはお土産物さんがずらりと並んでいた。東欧の気分が溢れた民族色豊かなお土産がどっさり陳列されていた。彫刻が入った小箱、素朴な木彫りの人形、ユダヤ人の人形、名産の琥珀を使ったペンダント、民族衣装など。ポーランドはほぼ100%カトリックだが、ロシア正教のイコン像、マトリョーシカ、イースターエッグなども並んでいた。何故か?・・・ワルシャワ市民は、ソ連から贈られた科学文化宮殿を嫌っていたが、ポーランドは18世紀末からソ連以前のロシアに支配されていた歴史がある。ロシアの生活様式が浸透していたということだろうと考えてみた。

b0214184_13294660.jpg



b0214184_13295052.jpg



b0214184_13301869.jpg


b0214184_13295315.jpg


b0214184_13303060.jpg

・琥珀を買ったお土産さんの若い女性店員は愛想が良かった。カメラを向けるとポーズをとってくれたし、英語もOKだった。


b0214184_13324873.jpg

・旧市街の北側にあるフロリアンスカ門の裏側は絵画の展示売り場になっていた。旧市街を守る城門・城壁はフロリアンスカ門付近だけが保存されていて、それ以外は撤去され、リングとして公園と道路に変わっていた。クラクフも人口集中に伴う市街地の進展で城壁を撤去したように感じる。

b0214184_14104684.jpg

・フロリアンスカ門の東側には風格に溢れた建物があった。ユリウシュ スウォヴァツキ劇場という劇場だった。ユリウシュ・スウォヴァツキ(1809年~1849年)は、ポーランドのロマン派詩人、劇作家。彼の遺骸は1927年、ヴァヴェル大聖堂に移されそうだ。お隣のお墓にはアダム・ミツキェヴィチが眠っているとか。アダム・ミツキェヴィチは、19世紀の革命詩人で愛国詩人、その銅像が中央広場の真ん中にあった。両人とも苦難の歴史を歩んできたポーランド人を芸術で励ました英雄たちだったようだ。

b0214184_14185370.jpg

・旅行先の国、街、建物や風景をそれなりに理解するには、その国やご当地の歴史的な成り立ちを一応知っておく方がいいと思うようなった。この街を歩いている時点では、クラクフに関する自分の知識が相当不足していた。クラクフは11世紀中頃から1596年まで約550年間ポーランドの首都だった。以下、『地球の歩き方』からポーランドの歴史を概括してみた。

1025年:ボレスワフ1世がローマ教皇から正式にポーランド国王として認められる。
1370年:カジミエシュ3世(在位1333年~70年)により最盛期を迎えたが、彼の死によりビャスト朝断絶。
1386年:ポーランド・リトアニア連合によりヤゲェウォ王朝始まる。
1654年:”大洪水”と呼ばれる、ロシア軍、スウェーデン軍などによりポーランド侵攻始まる。
1772年:18世紀に入り大北方戦争勃発、1733年には国内で王位継承戦争が起こるなど、戦争によって国は衰退の一途たどる。そして、ロシア、プロシア、オーストリアによる第1次ポーランド分割が行われる。
1795年:1793年には第2次ポーランド分割、そして1795年の第3次ポーランド分割によりポーランド王国は消滅する。
1830年:フランス7月革命に呼応してポーランド民衆のなかに独立の機運が高まり、11月蜂起発生。戦闘は9ヶ月続いたが、敗北。以後、ロシア化が強化され、ロシア帝国に併合される。1846年クラクフ蜂起(反オーストリア)発生。
1863年:1月蜂起(反ロシア蜂起)発生。ロシア領ポーランドで農奴解放令布告。独立運動は沈静化に向かう。

・1493年の旧市街の絵図面は北側から俯瞰した絵だろう。クラクフの街はヴィスワ川を挟んで2つに分かれていた。当時のヴィスワ川は大きく蛇行していたようだ。絵図の左側の市街地にはカジミエシュ地区も含まれていたのではないか。カジミエシュ地区はユダヤ人が現在でも生活する地区だが、1335年、カジミエシュ大王の手でクラクフとは別の街として造られたそうだ。大王は当時迫害されていたユダヤ人保護の熱心に取り組んだ王として知られ、彼の時代には多くのユダヤ人がクラクフに移り住み商工業の発展に寄与したと言われている。ポーランド人はドイツ人と違ってユダヤ人には比較的寛大だったと言えそうだ。当時の旧市街は、フロリアンスカ門に見たような城門と城壁で全周をガッチリ守られていたことが判る。

b0214184_00451513.png
(出展 Wikipedia)

・1896年の旧市街の地図に1493年の旧市街の絵図面の旧ヴィスワ川を入れてみた。およそ川というものは生き物みたいなもので、放置すると、どんどん蛇行していくものだ。人口増加に伴う市街地の拡大や洪水防御のために、川の付け替えや直線化は洋の東西と問わず行われてきたと考えてもいいようだ。

b0214184_00455856.jpg

(出展 Wikipedia)

・16世紀末の絵図面には西側から俯瞰した旧市街が描かれていた。ヴァヴェル城、聖マリア教会が描かれている。手前の広場で軍隊が行軍していた。ヴィスワ川には、材木で組んだ筏が浮かんでいて、筏に物資を載せて輸送していた。

b0214184_00464181.jpg
(出展 Wikipedia)

・同じ16世紀末のヴァヴェル城とヴィスワ川の産業舟運・・・

b0214184_00470907.jpg

(出展 Wikipedia)

・1654年、「大洪水」と呼ばれるロシア軍、スウェーデン軍などによるポーランド侵攻始まった。1655年のスウェーデン軍によるクラクフ城攻撃の様子が克明に描かれていた。この絵は東側から俯瞰的に描かれていた。スウェーデン軍の大群がクラクフ城を囲み、沢山の大砲からクラクフ城内へ飛ぶ砲弾や砲弾が炸裂している様子が描かれていた。この戦いでクラクフは陥落したという。

b0214184_00474648.jpg
(出展 Wikipedia)

・ワルシャワ旧市街に名門ワルシャワ大学があったように、クラクフ旧市街にも名門ヤゲェウォ大学があった。中欧ではプラハのカレル大学に次ぐ歴史のある大学で、コペルニクスや前ローマ法王ヨハネパウロ2世も学んだそうだ。このような関係からだろうか、旧市街には古本屋さんもあった。羊皮紙で包まれた古書も並んでいた。クラクフは、学問の街でもあった。

b0214184_14592323.jpg

・11時30分、ホテルに戻って、部屋で出発の支度をした。
以下、次号



by camino0810 | 2018-03-24 01:24 | ドイツⅡ | Comments(0)  

<< 2018年3月24日(土)ドイ... 2018年3月21日(水)ドイ... >>