2018年4月26日(木)イタリア その7 ミラノ(3)

ミラノの旧市街は、概ね直径2kmのリング状の道路に囲まれていて、この中に多くの観光スポットが点在していました。そのヘソにドゥオーモ(大聖堂)がありました。

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(出展 Google)

海外旅行のマストアイテム『地球の歩き方イタリア2018~19』にミラノの歴史が記載されていました。


・商業・経済都市ミラノの発展と沈滞
ヨーロッパの東西および南北を結ぶ位置にあり、かつロンバルディアという肥沃な平原の中心にあるミラノは、商業・経済都市として大きく発展する要素を兼ね備えていた。
西ローマ帝国は、ゲルマン民族の大移動により大きく混乱するが、ミラノは一時帝国の首都であり、西方キリスト教の中心地として栄えた。以後、ゴート族、ロンゴバルト族の移動などにより混乱するが、12世紀頃の社会意識の芽生えから起こったコミューン時代は、再びミラノに繁栄をもたらした。町の中心ドゥオーモから放射状延びる道路は、この時代に造られた城壁の城門へと通じている。
北イタリアに飛躍的発展をもたらしたのは十字軍による当方遠征だ。各都市は富み、勢い、ほかの都市を征服しようと争いが起きた。ミラノも例外ではなく、1395年来ミラノ公国として、ヴィスコンティ家、続くスフォルツァ家の支配を受けた。この小国的都市の発達は、富裕市民を生み、彼らによる学芸の保護・奨励が、やがて花開くルネッサンス文化となっていった。
新大陸発見などにより、15世紀末貿易体系が大きく変わってしまうと、ミラノなどイタリア各都市は沈滞を始める。小国割拠の状況にあるイタリア半島は、ドイツ、フランス、スペインなどの侵略、攻撃を受け、1870年のイタリア統一まで長く不幸な時代が続いた。

旅行前のミラノの知識は、ほとんど皆無に近く状態でした。青字を要約すると、『ミラノはポテンシャルの高い都市だが、元気があったのは、12世紀~15世紀の300年、それ以降は沈滞した。小国割拠の状況にあるイタリア半島は、諸外国の侵略、攻撃を受け、1870年のイタリア統一まで長く不幸な時代が続いた。』
イタリアの他の街も多かれ少なかれ似たような状況かもしれません。日本の幕末にあたる時代に、イタリアは『救国の英雄』が現れるのをじっと待っていたようにも思います。ターゲットにした観光地の歴史や文化を少しでも理解すると、当地の街歩きで得られた色々な情報が次々と繋がってきて、情報の化学変化が始まり、より立体的な都市像が浮かんでくようになりました。

この日は、旧市街の北半分を歩きました。これまでの経験から、小さい街なら4時間程度歩くとその街の全体的なイメージが出来上がってきたものですが、ミラノは大きな街なので6時間を掛けて街の半分を歩いてみました。翌日の朝に旧市街の南側を歩く計画にしました。


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(出展 Google)

14時30分、30Lのデイパックを背負ってミラノの街歩きを開始しました。
最初はホテル近くの露地に面した教会・・・2階建ての小さい教会ですが、ファサードには精緻な装飾を施してありました。

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メラヴィリ通りに出ました。石畳の車道にトラムや車が混然と走っていて、都電と共存していた、ひと昔前の東京もこんな感じだったのかなと思いました。

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歩道が狭いのですれ違いが大変、意外に歩きづらかったです。イギリスのパーク&ライド方式のような都心から車を排除する仕組みがあってもいいかなと思いました。

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ダンテ通りは、ドゥオーモ広場から放射状に伸びるミラノ旧市街のメーン通り・・・向こうにスフォルツア城が見えていました。

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建物のスカイラインへの拘りは感じましたが、イギリスの街ほど厳格ではないように感じました。

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旧市街の臍にあたるコルドーシオ駅はすぐでした。「横目地」の風格のある建物が並んでいました。

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路面電車は様々なタイプが走っていましたが、結構、旧式の電車が多かった感じでした。

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コルドーシオ駅の広場にパリーニという詩人の銅像が建っていました。パリーニ(Giuseppe Parini)(1729~1799)は、「朝」「昼」「夕」「晩」からなる四部作の風刺詩「一日」で貴族の怠惰と腐敗を鋭く風刺し、啓蒙主義者の模範とされた人だそうです。

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コルドーシオ駅前広場の正面の建物は、てっきりお役所か商工会議所の建物と思ったら、意外にも保険会社の建物でした。
この建物も典型的な風格のある「横目地」の建物。その特徴は
 ①壁には横目地を入れる。
 ②ファサードには大きな扉をつける。
 ③窓は凝った飾り窓にする。
 ④ヴェランダには凝った手すりを入れる。
 ⑤会社名は石版に彫る。
 ⑥屋上にはオベリスク風の塔をつけたり、ドームを載せる。
歴史的な建物の外部の意匠は変えず、居抜きで引き継いでいるのかもしれません。

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ドゥオーモ広場に繋がる、幅広の歩行者専用道路を歩いて行きました。自分の前を日本語のTシャツを着た青年が歩いていました。彼が日本語の意味を理解しているか、否かは別にして、日本文字の商標的なデザインが気に入っているのは間違いありません。

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この建物も歴史を感じさせる建物ですが、調べるとレンタルオフィスの会社が経営していました。教会や修道院のような歴史的な建物を上手にリノヴェーションしているように見受けられます。歴史的な建物や景観の保全と民業を上手にマッチングしているスマートなやり方だと思います。
お待ち兼ねの「ドゥオーモ」がまじかに迫ってきました。

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この建物の石材がひどく気になりました。これまで観てきた石造りの旧市街は砂岩、石灰岩、大理石、粘板岩、花崗岩で出来ていたように思います。そのどれとも違っていました。

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大きな円礫と円礫の間を細かい砂の粒々が埋めた感じでした。コンクリート的な特殊な人造石かと思っていても得心が行きません。結局、『さざれ石』のような集塊岩ではないかと思い当たりました。およそ、その街の石材は地産地消が大原則、ミラノの街の近くにはこの集塊岩があるのではないかと推測しました。この疑問がこの後歩いた「センピオーネ公園」で解けました。

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ミラノといえば、『ドゥオーモ』・・・恐ろしく精巧で真っ白な大聖堂が大きな広場の向こう見えました。

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以下、次号・・・



by camino0810 | 2018-06-15 20:45 | イタリア | Comments(0)  

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