初めて観たドゥオーモに圧倒されました。これまでイタリア以外の欧州の国々で沢山大聖堂を観てきましたが、ドゥオーモのファサードは特別でした。ファサードの大きさだけで見ると、ドゥオーモを超えるファサードはドイツのケルン大聖堂など沢山あります。ドゥオーモのファサードの高さはせいぜい80m程度、ドイツのケルン大聖堂は160m、100mを超えるファサードは沢山あります。
それでは、ドゥオーモのファサードを際立だせるものは何か?
ファサードの尖塔の多さ、恐ろしく精緻な彫刻や装飾、何よりその輝くような白さだと考えてみました。ドゥオーモのファサードの尖塔は10本もありました。これまで観てきたゴシックの大聖堂のファサードの尖塔は2本が普通でした。
何故、カトリックの総本山があるイタリアの大聖堂のファサードが他国のそれと違っているのか?建築史の専門家でもない素人の自分には不明のままです。
2013年のフランス旅行で訪れたオルレアンのサン・クロア大聖堂は自分のお気に入りの大聖堂のひとつですが、このファサードも凝った装飾が施されてはいるものの、ドゥオーモに比べるといささか地味な感じが否めません。この大聖堂の石材は砂岩か石灰岩だったと記憶しています。太陽光の当り方で色合いは変わって見えるものの、白ではないので地味な風合いでした。
一方、ドゥオーモのファサードは白の大理石でした。恐るべきこの白さは白大理石のお蔭だと思います。フィレンチェのドゥオーモのファサードも白大理石でした。中世、ミラノが繁栄した頃、大富豪がパトロンにでもなったのではないかと思いました。
(オルレアン サン・クロア大聖堂)
ファサード中央の巨大な扉に実に精緻な彫刻が刻まれていました。識字率の低かった時代、聖書の重要な場面の「見える化」は、キリスト教の理解や布教のマストアイテムだったようです。無宗教に近い自分にはその宗教的な意味合いや価値はほとんど不明ですが、宗教の持つ神聖さ、荘厳さは感じることができました。
白大理石の彫刻・・・
ドゥオーモを上空から見ると、主軸が東西方向を向いた十字架の形をしていて、西側にファサード、東側に祭壇が配置されており、大聖堂の基本ルールを踏んでいました。
(出典 Google)
ドゥオーモの側面を歩いて、東側の祭壇に向かいました。
十字架の交点の尖塔がドゥオーモの最も高い部分でした。このタイプはイギリスの大聖堂で見たことがあります。
最高の尖塔の頂点には黄金の像が建っていました。ミラノの守護聖人かもしれません。
祭壇には大きなバラ窓が付いていました。
ファサードの階段から見たドゥオーモ広場は実に広大で、多くの観光客で溢れ返っていました。ドゥオーモ広場は概ね短辺100m、長辺150m、ポーランドのクラクフ旧市街のヘソの中央広場は200m✕200m。100mオーダーの広さを持つ広場にはオープンスペース感が感じられ、それだけで価値が高いように思います。広場の真下は、地下鉄駅になっていました。
(出典 Google)
ドゥオーモ広場のほぼ中央にブロンズの軍人像が建っていました。この時点では知識も乏しく、軍人関係者くらいだろうなという程度の思いしかありませんでした。
彼こそ、イタリア人にとって『救国の英雄』、1870年のイタリア統一の立役者『ヴィトリオ・エマニュエーレⅡ世』でした。以降、イタリアを統一した、このサルディーニャ王国の国王の名前を各所で確認することになりました。
当日にフェイスブックにアップした記事・・・
4月26日(木)ミラノは晴れ、暑い。
お昼前にミラノ中央駅に着きました。この駅舎はドイツのライプチヒ駅並みの豪華な駅舎でした。幅広の中央通路は高さ30mはあるでしょう。13時にホテルにチェックイン、14時過ぎからミラノの街歩きを始めました。ミラノの旧市街はリング状の城壁(今は道路)で囲われた歴史のある街でした。
そのヘソにドゥオーモと呼ばれる大聖堂がありました。ドイツではドームと呼ばれていました。恐ろしく精巧なつくりのファサードに驚かされました。ファーサードはきっちり西を向いているなどゴシック式の大聖堂のルールどおりでしたが、これまでスペイン、フランス、ドイツで観てきた大聖堂のファサード(1本か2本の尖塔)とは違った多塔型でした。お隣のガレリアは豪華絢爛なアーケードで、イギリスやドイツのパサージュの豪華版といった感じでした。スフォルツア城は中世からミラノの防衛の要の役割をしていたお城でした。この古城周囲の旧市街は実に風格に溢れていました。とにかくミラノの街に圧倒されました。
明日は電車でボローニャに向かいます。とにかく疲れた1日でした。
この後、広場に隣接したガッレリアに入りました。
以下、次号・・・