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2018年4月26日(木)イタリア その12 ミラノ(8)

スフォルツァ城の外周にある建物は、例の「横目地」の建物でした。ミラノの旧市街は「横目地」の建物がマストアイテム。

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スフォルツァ城のお隣は、「ミラノ北駅」。時刻は18時前、この駅も「行きどまり駅」で沢山の通勤客で混雑していました。。「ミラノ中央駅」が東京駅なら この駅は池袋駅か新宿駅みたいな感じでしょうか。

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「ミラノ中央駅」の近くにある「ミラノ・ポルタ・ガルバルディ駅」も「行き止まり」のハブ駅でした。この駅舎は新市街地にあり、駅前には超高層ビルが並んでいました。「ポルタ」は「門」、この駅は文字通り「ガルバルディ門」の近くにありました。ガルバルディは1870年のイタリア統一運動で功績のあった英雄の一人、ミラノ以外の都市でも、ガルバルディゆかりのものを観ました。ガルバルディ門は大リングに位置していました。

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(出展 Google)

ミラノも含めて、ロンドン、パリ、ローマなど欧州の大都市には、「行きどまり駅」のハブ駅が多い理由は何故か?
また、「お題」が出されたみたいなので、答えを探してみました。
調べると、1825年イギリスで初めて鉄道が開業、1832年フランス、1835年ドイツと産業革命時期にあいついで鉄道が開業していました。鉄道建設工事はその2、3年前の1830年頃、欧州の大都市で行われたと考えられます。
1537年のミラノの旧市街の絵図面に見るように、当時の旧市街は、中心のヘソの部分に大聖堂、市庁舎、市場や広場があり、その周囲を密集した建物が埋めていたと思われます。
鉄道も含めインフラ整備のマストアイテムは3つ。いずれの一つでも欠けると、そのインフラは出来ないと言われています。
  ① 土地 
  ② お金
  ③ 合意形成
結局、旧市街の中心部に鉄道インフラに必要な線路や駅舎用地を確保するのが困難であり、駅舎は旧市街の外側に造らざるを得なかったと考えてみました。ただ、ドイツのケルン中央駅のようなケルン大聖堂のすぐ脇に立地した「通り抜け駅」もあり、一概には言えませんが・・・。
「ミラノ中央駅」、「ミラノ・ポルタ・ガルバルディ駅」は大リングの外に立地、「ミラノ北駅」は小リングと大リングの間に立地といった具合に、①土地と③合意形成が得られ易かったのではないかと考えてみました。

産業革命の進展により都市への人口集中が起こり、旧市街と外側の鉄道駅舎間の交通需要が増してくると、最初は路面電車や自動車がその役割を担った。都市化の進展が更に進み、自動車交通量が爆発的に増えてきた結果、深刻な道路の渋滞解消手段として、地下鉄が登場した。一方、開削技術やトンネル技術などの都市土木技術が進展した結果、高密度な旧市街の地下空間にトンネル型の線路や駅舎を造ることが可能になったということも、地下鉄の進展を後押ししたと思います。
2016年のドイツ旅行で行った「ライプチッヒ中央駅」は、巨大な「行きどまり駅」でした。この駅舎も旧市街のリングの外に立地していました。「ライプチッヒ中央駅」の地下にはピカピカの地下鉄駅舎が完成しており、旧市街中心部のマルクト広場にも地下鉄駅舎が完成していました。ちなみに、これらの駅舎は大変お洒落でデザイン的にも優れた駅舎でした。

https://camino0810.exblog.jp/26290729/

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(ライプチヒ中央駅の地下鉄駅舎)

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(マルクト駅の地下鉄駅舎)


「ミラノ北駅」の駅舎のデザインは赤と緑の大胆で斬新な色使いでした。「古い容器に新しいお酒をいれる」といったリノヴェーションがミラノでも行われている感じがしました。新旧を取り交ぜて、街にアクセントを入れる試みでしょうか。

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年代モノのレトロな電車も活躍していました。

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この大きな駅前通りは、ジョスエ・カルドゥッチ通り・・・Googleのイタリアの地図には必ず道路名が表示されますが、日本の街では通り名表示が少ないことが判ります。

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イタリアの住所表記は「通り名」表示でした。交差点の建物の角の目につく場所に必ず「通り名」が表示されていましたし、しかも、どんな小さな通りであっても名前が付いています。日本のブロック単位標記とは違うこのやり方は、道路名で住所が特定できるため街歩きには便利でした。日本の場合、東京の街にしても地方の街にしても道路名を示す標識が少ないため、Googleのマップのようなツールを携帯していないと、自分の位置を特定するには意外にも不便です。

・イタリア住所表示
『Hotel Vecchia Milano』: Via Borromei, 4, 20123 Milano MI, イタリア
自分が宿泊したこのホテルは、ボッロメイ通りに面した4つ目の建物という意味合い。
・ドイツの住所表示
『Centro Hotel Vier Jahreszeiten』:Kurt-Schumacher-Straße 23, 04105 Leipzig, ドイツ

パルディ通りには「横目地」の建物がずらりと並んでいました。


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街路樹付きの通り・・・

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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会はすぐに見つかりました。赤レンガのシンプルなファサードと円筒形の祭壇を持った教会でした。写真左のクリーム色の建物の食堂にダ・ヴィンチの「最後の晩餐」がありますが、事前予約をしていないので、スルー。


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館内は無料で参拝ができました。祭壇で讃美歌の練習が行われていました。

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教会内部も意外にも質素で何となく親しみを感じました。欧州の教会は外見が地味でも内部は恐ろしいくらい豪華な教会が多かったという記憶があります。

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フレスコ画かテンペラ画が区別がつきませんが、親しみを感じる絵柄でした。

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有名な「最後の晩餐」は、寡作のレオナルド・ダ・ヴィンチが1495年から3年掛けて完成させた巨大な絵画で寸法は4.6 m x 8.8 mだとか。ダ・ヴィンチが、彼のパトロンであったスフォルツァ城の城主ルドヴィーコ・スフォルツァの要望で描いた絵画だそうです。

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(出展 Wikipedia)

外壁にスフォルツァ城でも見た「蛇」のエンブレムが飾られていました。この教会はスフォルツァ城の城主ルドヴィーコ・スフォルツァの寄進を受けた教会かもしれません。

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次のターゲットのサンタンブロージョ聖堂を目指して歩きました。水道管の土木工事が行われていました。

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安全設備などは日本並みのレベルでしっかりしていました。

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ミラノで4番目の地下鉄新線が建設中でした。サンタンブロージョ駅の予定地でした。埋蔵文化財の調査や保全などご苦労があることと思います。ローマでもそうでしたが、必要なインフラに対してしっかり投資が行われているなと思いました。


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サンタンブロージョ聖堂の入り口に「小リング」の門が保存されていました。門の前は橋になっていて、中世はお堀になっていたと思います。

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サンタンブロージョ聖堂は、赤レンガ造りのシンプルな外見の教会でした。

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教会の脇の真新しい公園を歩いて、ホテルを目指しました。

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モニュメント・・・

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サクロ・クオーレ・カトリック大学(聖心カトリック大学)という私立大学がありました。良く考えると、中世から教会は研究組織でもあった訳で当然のような気もします。日本の聖心女子大学みたいな大学かもしれません。


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向かいの州警察の建物の外壁に「横目地」の秘密が垣間見えました。

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この建物は老朽化が進んでいるようで、外壁の剥離が進んでいました。

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外壁は、レンガの下地にモルタルを塗って横目地を入れていました。高価な「さざれ石」に比べてリーズナブルに外観を整えるというメリットがあるということでしょうか。

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2017年のポーランド旅行で歩いたクラクフの旧市街で、「横目地」の補修中のシーンを偶々見掛けたことがあります。

https://camino0810.exblog.jp/27860832/


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(ポーランド、クラクフ旧市街)

通りの脇にゴージャスな垂れ流しの水道栓がありました。ミラノにはアルプスの水が潤沢に導水されているということだと思います。


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リッタ宮という美術館まで戻ってきました。コルソ・マジェンタ通りは旧市街の中心部にある通り、レトロ電車と歴史を感じさせる街並みのコラボにミラノらしさを感じました。

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20時、出発点のメラヴィル通りまで戻ってきました。14時30分に街歩き開始、5時間半の街歩きがようやく終わりに近づいてきました。

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サンタマリアアッラポルタ通りまで戻ってきました。右の路地がホテルのあるボッロメイ通り・・・。

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ホテルに戻ってシャワー、洗濯を済ませました。20時30分、ホテルのお隣にある「Hostaria Borromei」というイタリア料理店で遅めの夕食を摂りました。


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外見は地味でも、室内は高級な気分に溢れたレストランでした。一番リーズナブルなリゾットを選択しました。お代は、リゾット13ユーロ、パン3ユーロ 合計16ユーロ(2100円)、リゾットはかなり濃厚なバター味、美味しかったです。お米は日本と同じ短粒米でした。


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21時過ぎ、ホテルに戻りました。イタリアでは21時になるとどっぷり陽が落ちました。

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朝、マルペンサ空港に到着して、ミラノ旧市街の北半分を歩きました。イタリア初日の長い一日がようやく無事に終わりました。とにかく疲れました。
翌日は、旧市街南側のナヴィリオ運河を歩き、お昼前にボローニャに向かいました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2018-07-01 07:19 | イタリア | Comments(0)  

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