ボローニャは、人口約40万人、エミリア=ロマーニャ州の州都で、ボローニャ県の県都。アペニン山脈とポー川の間にあるポー川谷に位置しており、1088年創立の西欧最古のボローニャ大学で有名な街でした。
旅先のマストアイテム『地球の歩き方』の説明書き・・・
「ミラノから約200km、赤いれんが色に染まる「芸術の町、ボローニャ」は、今も中世、ルネッサンス、バロック時代の息吹きがそこここに感じられる古都だ。高い甍の豪壮な館が軒を連ね、通りにはポルティコ(柱廊)がどこまでも続く。
現在のボローニャはイタリアを牽引する重要な経済都市であり、絵本、靴、美容器具をはじめとする国際見本市が開かれることで有名だ。ビジネス都市として近代的な顔を見せる反面、ほかのイタリアの町に比べて昔ながらの市場や個人商店のにぎわいに驚かされる。エコロジー、地産地消という、ボローニャ人の堅実な暮らしぶりがうかがえる町である。活動的で先進的な人々のいとなみとよく保存された中世の町並みが、イタリアのほかの町にはない一種独特の景観と雰囲気を作り上げている。」
3Dの地図を見ると、ボローニャは、多角形のリング(城壁)に囲まれた赤レンガの旧市街とリングの北西の新市街で出来た判り易い街でした。旧市街のヘソにあるマッジョーレ広場に観光名所が集中していました。ミラノでいえば、ドゥオーモ広場に相当する広場だと思います。ボローニャのリングの直径は概ね2km、ミラノの小リングと同じくらいのサイズでした。
(出展 Google)
駅前のベンチで一休みして、駅前通りを南に歩いて、マッジョーレ広場近くに予約したホテルに向かいました。駅前のメルキュールホテルの歩道はアーケード型の歩道になっていました。古典建築様式の柱で囲まれた豪華な歩道で、床の石材も豪華、ポルティコ(柱廊)というゴージャスなアーケードでした。旧市街の道路という道路にポルティコ(柱廊)がありました。ボローニャの街は「アーケードの街」といってもいいと思います。
人の流れに誘導されて、この建物の中庭に入ってみました。回廊には沢山のお店が入っていて、中庭のうねった通路やカフェにデザインの工夫も感じました。
中庭には「Galleria II Agosto 1980」という名前が付いていました。ガッレリアという名称からも、ミラノのガッレリアとは違った形のアーケードをコンセプトにしているのかもしれません。中庭は建物所有者が持つ私有地でしょうが、なんとなく、パブリックな空間みたいな感じでした。官でもなく民でもない第3セクター的な公共空間の上手な使い方を見たような気がします。土地の「第3セクター化」がこれからの街づくりのポイントかもしれません。
(出展 Google)
1階の奥が、「Galleria II Agosto 1980」の出入り口。
写真右手は、チェーザレ・ボルトリーニ通り・・・
ガッリエーラ門(Porta Galliera)は、14世紀に築かれ、その数回にわたり壊されては再建され、1660年~1663年に再建された門。
当時、ボローニャ郊外のCorticellaの河川港(河岸、船溜まり)から大船団がこの門に「入船」するという大きな出来事があったとか。その船団員が旧市街の運河や河川港を造ったそうで、この辺りに運河があったという証拠です。街歩きではその痕跡を見ることができませんでしたが、ミラノと同様、運河の痕跡があるのかもしれません。
(出展 Google)
古代ローマ時代の遺跡らしき遺跡・・・
駅前通り(インディペンデンツァ通り)のアーケードをどんどん歩いて行きました。
この時点では気付いていませんが、実は、反対側の歩道もアーケードでした。ボローニャは徹底した「アーケードの街」でした。
浮世絵の展覧会の幟・・・旧市街の建物の壁はほとんど「赤」でした。ボローニャは「赤の街」でもありました。
アーケードの幅は4m程度、建物の1階部分が歩道になっていました。この歩道が道路なのか私有地なのか、その法的な取り扱いは不明ですが、優れた公共空間であることには変わりありません。日本ではこのようなアーケード型の歩道を見たことはありません。歩道型アーケードの根拠法が道路法なのか建築基準法なのかは不明ですが、法的な規制があるのではと思います。
ホテル前の広場の銅像が目に入りました。
ミラノでも見た、イタリア統一運動の英雄ジョゼッペ・ガルバルディでした。
今日は金曜日、地元の中学生たちが徒党を組んで楽し気に歩いていました。
デ・ファレニャーミ通りとい路地裏通り・・・路地裏の建物の壁も赤。ボローニャ旧市街には建築に関する法的な縛りがあるようです。
サン・ピエトロ大聖堂という大きな大聖堂が通りに面していました。大聖堂があるという事は、教区の司教座がある訳で、ボローニャはカトリックの重要拠点だといってもいいでしょう。
サン・ピエトロ大聖堂のファサードはルール通り、西に向いていて、跳び梁なども付いていました。この3D地図に見る通り、旧市街の屋根は完全に「赤」一色なのがよく判ります。
付け加えると、ボローニャの旧市街には、鐘楼らしき塔状の建物が多いことが判ります。ボローニャは「塔の街」だったとも言えそうです。
(出展 Google)
大聖堂前のアーケードもお洒落でした。
ボローニャ旧市街の「ヘソ」マッジョーレ広場までやってきました。塔の付いた建物は、エンツォ王宮・・・。
写真右手の大きな建物がサン・ペトローニオ聖堂・・・。
市庁舎の裏手のアゼッリオ通り・・・旧市街中心部の一部の街路は、車を排除した人中心の街路にしてありました。
市庁舎の裏手を歩いて、ホテルを目指しました。
公園のオブジェ・・・
市庁舎は赤レンガ造りの防御力の高いお城でした。塔上部の跳ね出しや銃眼から敵を狙うやり方のようです。
予約したホテルは、この建物の5階にありました。
13時50分、チェックイン。部屋で休んで15時からボローニャの街歩きを開始しました。