2018年4月28日(土)イタリア その23 フィレンツェ(4)

ドゥオーモからカルツァイウォーリ通りを歩いて、シニョーリア広場を目指しました。

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(出展 Google)

ヴェッキオ宮はかつてフィレンチェ共和国(1115~1532年)の政庁舎、この建物もゴシック様式だそうです。2階の「500人広間」は共和国の会議場、ボローニャのマッジョーレ広場の市庁舎と似たような役割があったような感じです。塔の高さは94m、ドゥオーモと並んでフィレンチェ旧市街のランドマーク的存在。

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ヴェッキオ宮のファサード前にあるダビデ像に沢山の観光客が集まっていました。

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残念ながら、この彫像は複製。トスカーナ出身のミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564年)の高名な作品。本物は旧市街のアカデミア美術館 にあるそうです。

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ヴェッキオ宮の隣に、劇場の舞台風のユニークなホールがありました。ロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの回廊)という3つのアーチの建物は、中世のフィレンツェ市民の集会場だとか。共和国時代のフィレンチェは、直接民主制の時代だったようです。


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シニョーリア広場は100m×100mの変則的な矩形で、観光客で大賑わいでした。この広場は、数百年に亘ってフィレンチェの歴史をみてきた広場で、サヴォナローラの火刑もあったとか。『シニョーリア』は『僭主』という意味合いで、フィレンツェの僭主は歴代のメディチ家の人たちでした。

Wikipedia ・・・

シニョリーア(伊: signoria)は、イタリア語で支配、統治、主権などのことで、特に歴史上13世紀後半から15世紀頃のイタリア諸国に現れた、僭主が支配する政治体制を指す。紳士、主人、領主などを意味するシニョーレ(signore)の派生語である。
概要
12世紀以降、北部・中部のイタリアの諸都市は都市国家の形態をとり、共和制の伝統が根付いていた。しかし、戦争など緊急の際には共和政ローマにおける独裁官と同様に、臨時に1人に主権を任せることがあり、やがてこれが終身化し、のちには世襲化していった。ルネサンス期には、世襲の僭主国家が各地に見られるようになった。その後、多くの僭主たちは皇帝・教皇から公・侯などの封建領主に封じられ、世襲支配に制度的保障を獲得することになる。


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コジモⅠ世(1519~1574年)はメディチ家出身の初代トスカーナ大公。そういえば、フィレンツェで1870年のイタリア統一の英雄ヴィットリオ・エマニュエル2世やガルバルディの像を観た記憶がありません。何故でしょうか?

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ヴェッキオ宮の脇にある「ネプチューンの噴水」はリノベーション中でした。簡易なテント式の覆いはいいアイデアだなと思いました。

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写真右のウフィツィ美術館はヴェッキオ宮と高架の連絡通路で繋がっていました。もともとこの美術館はヴェッキオ宮とセットの建物だったようです。

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かつて、ウフィツィ美術館はフィレンチェ共和国(≒メディチ家)の役所の建物だったそうです。「ウフィツィ」は「オフィス」の意味合いだそうで、日本でいえば、ヴェッキオ宮は国会議事堂、ウフィツィ美術館は霞が関のお役所のような建物と考えると妙に納得できました。この美術館は、役所(≒メディチ家)の建物を世界的にも有名な美術館にリノベーションしたとも考えられます。

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ウフィツィ美術館は、僭主にして豪商、芸術家の大パトロンだったメディチ家の人たちが蒐集した絵画品が展示されている美術館でした。芸術品の価値が判らない自分は、内観はスルーして、近くにあるヴェッキオ橋を目指しました。

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細長い通路に沿って、高名な芸術家や科学者の彫像が沢山展示されていました。恥ずかしい話ですが、名前を知っている人はわずかでした。

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振り返って見たウフィツィ美術館。向こうにヴェッキオ宮が見えていました。

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ウフィツィ美術館の門の向こう側がアルノ川でした。

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アルノ川に出ました。イタリアに来て、3日目にようやく川に出合えて嬉しかったです。川は写真下から上に流れています。下流にお目当てのヴェッキオ橋が見えていました。

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アルノ川の上流側・・・

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河畔には高架の連絡路(写真左)が延々と続いていました。この連絡路はヴェッキオ宮、ウフィツィ美術館、ヴェッキオ橋経由で対岸のピッティ宮を連絡する通路だそうです。
フィレンチェの旧市街はアルノ川を挟んで直径約2kmの城壁(リング)で囲われていました。アルノ川北側の旧市街の中心ヴェッキオ宮と南側旧市街のピッティ宮を直接結ぶ専用連絡通路はフィレンチェの防衛上重要な施設だったのではないか。電話もスマホもない中世、外敵の侵入をいち早く伝える、安全な専用ホットラインは最も大事な通信インフラ、ヴェッキオ橋はその通路確保の役目を背負っていたのかもしれません。現在流に言えば、恵比寿駅とガーデンプレイスを結ぶ「動く歩道」みたいな施設でしょうか。

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ヴェッキオ橋はアルノ川に架かる3連に石造りのアーチ橋でした。「ヴェッキオ」は人名か地名と思っていたら、古いという意味のイタリア語、ヴェッキオ橋は「古い橋」ということになります。
橋長は概ね100m、アーチのライズが小さい橋で、アルノ川は隅田川と同程度の川でした。フィレンツェ最古の橋であり、先の大戦を生き延びたフィレンツェ唯一の橋だとか。河川の氾濫などで何度か建て直されており、現在の橋は1345年に再建されたもの。ヴェッキオ橋は橋上住居が残された現在では珍しい橋で、橋上の四角の窓が付いた建物が連絡通路。

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橋上の建物は橋からかなりはみ出して建てられていて、基礎は斜材で支えられていました。アルノ川の氾濫はこれまで何度かあったとかで、流木を引き連れた洪水流による攻撃でこの斜材が壊されなければいいなと心配しました。

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橋上住居は2015年のイギリス旅行で、イングランドのバースでも見ました。バース市街地中心部にあるパルトニー橋は中央が車道で両側の歩道にお店が並んでいました。


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(パルトニー橋(バース):2015年5月8日撮影)

ロンドンのテムズ川に架かるロンドン橋は童謡でも有名な橋ですが、17世紀のロンドン橋は橋上住居でした。


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(1632年のロンドン橋:出展 Bridges Now and Then)

中世、パリのシテ島には沢山の橋上住居がありました。橋の上に住むのは極当たり前で、商売するにも便利だったようです。洪水で度々流出する災害が起きたので、セーヌ川のポンヌフ(フランス語で新しい橋:1607年完成)は初めて道路専用の橋になったそうです。現在では考えられないことです。


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フェイスブック(2018年2月5日)にアップした橋上住居に関する記事は我ながら面白いコメントでした。

1632年のロンドン橋・・・。
昔の人たちは何故橋の上に住んでいたのでしょう?ほぼ同時代のパリのシテ島を描いた古地図を見ると、架けられた5本の橋のすべてに橋上住居がありました。
それにしても、これだけ多くの橋脚が林立するとテムズ川の河積が阻害されて、洪水がスムーズに流れそうにありません。流木も引っ掛かかり易いし、安心、安全と言えそうにありません。
それを承知の上で橋の上に住むメリットとは一体何か?
当時の橋の役割は通路機能以外に市場のような商業的な役割もあったのかも。ロンドン橋はロンドンの臍、沢山のロンドン市民が否が応でもこの橋を渡らざるを得ないので、商売的には最高の立地だったのでしょうか。
ロンドン橋の建設資金がどう工面されたのかも興味深いところです。もし橋上住居の組合員の共同出資で建設し、通行料金収入で運営されたとすれば、PFI先進国イギリスのPFIの魁かもしれません(^^)/
ロンドン橋の上には、建物が建っていない空きスペースが散見されます。現在流に考えると、区画整理や市街地再開発事業の保留地や保留床にも見えます。本当?

ヴェッキオ橋は沢山の観光客で賑わっていました。写真左の建物が連絡通路。

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橋のお店は、宝石店が目立ちました。


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橋の中央部にはお店のない展望スペースがありました。橋上商店の断面や跳ね出しが良く判る絵柄です。

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アルノ川の下流側。

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アルノ川の上流側。

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水の無料サービス・・・橋の上での水のサービスは初めて観ました。

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ヴェッキオ橋は、車道が5m、両サイドの歩道が6m、全幅で17m程度の橋だったと記憶しています。

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カルティエも出店していました。

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ヴェッキオ橋の左岸側の袂まで来ました。写真右手が連絡通路。

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左岸袂の小さな広場、正面の建物が連絡通路。

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ひさし付きの建物の狭い路地をピッティ宮の方向に歩いて行きました。

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ピッティ宮はすぐでした。ピッティ宮のファサードは、恐ろしく大きな茶色の石材を重ねたシンプルな構造でした。この日は晴天で無茶苦茶暑い日でした。日陰で一休みして水分を補給して体力の消耗を抑えました。

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石材は褶曲した堆積岩でした。多分、粘板岩ではないかと思いました。

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ピッティ宮前の広場。傾斜した広場は植樹が1本もないシンプルなデザインでした。

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フィレンチェの城壁(リング)の最南端にあるローマ門を目指して歩きました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2018-08-15 14:18 | イタリア | Comments(0)  

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