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2018年4月30日(月)イタリア その38 ローマ(12)

12時、お目当てのパンテオン正面のロトンダ広場に到着しました。

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(出展 Google)

パンテオンのファサードはギリシャのパルテノン神殿風でした。その後方に例の巨大なドーム(ロトンダ)が続いていました。この建物は現存するローマ建築の最も完全な遺構であり、世界最大のコンクリートおよび石造り建築だそうです。
初代のパンテオンはアウグストゥスの義理の息子であるアグリッパがBC27年に建設したとか。現在の建物は皇帝ハドリアヌスが再建した2代目で、AD124年完成の1894歳(イタリア版Wikipedia)、恐ろしく長生きな建物です。パンテオンは、創建当時の形を保全しており、今でも現役とはひたすら驚くしかありません。AD80年完成のコロッセオとほぼ同年齢ということになります。

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ファサードに刻まれている『M・AGRIPPA・L・F・COS・TERTIVM・FECIT』は『ルシウスの子マーカス・アグリッパが、この建物を3度目の執政官を時に建造した』という意味合い。パンテオン(Pantheon)の「Pan」は「すべて」、「theon」は「神」を意味するので、ローマの神々に捧げる目的でアグリッパが建造した神殿でした。
パンテオンは、日本で言えば、八百万の神々を祭る出雲大社や伊勢神宮みたいな建造物でしょうか。
とにかく、パンテオンは、古代ローマの絶頂期の作品だといえそうです。パンテオンは、「Chiesa di S. M. ad Martyres」(聖母マリアと殉教者たちに捧げる教会)とも呼ばれるれっきとしたキリスト教の教会。AD609年、教皇ボニファティウス4世が命名したそうです。キリスト教が国教になった後にも、破壊を免れて現在までキリスト教の教会であり続けている訳で、人類にとっても僥倖だったと思います。ちなみに、イタリア建国の立役者ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世やラファエロのお墓もあるそうです。

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月曜にも拘わらず広場は大勢の観光客で溢れ返っていました。コロッセオの広場より手狭な分、混雑ぶりも半端ありません。年末・年始のアメ横なみと言ってもいいでしょう。広場を囲む建物の屋根の高さは結構バラバラ。イタリア人は、メーンの大通りはそこそこ建物のスカイラインを揃えるものの、建物のスカイライン自体への拘りは割りと薄いように感じます。イギリス人、フランス人、ポーランド人なら頭をもう少し揃えるでしょう。建物の色は、薄めのパステルカラーでした。

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この広場にもオベリスクがありました。

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先に見たミネルバ広場の象のオベリスクと同じようなエジプト文字が刻まれていました。

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パンテオンの周りを歩いてみました。建物は半地下構造、日本の大学の建物などでよく見掛ける形でした。半地下構造のメリットとは何かを考えてみました。
 ①地面を掘下げて建物を支える均一で堅固な基盤を用意できる。
 ②建物周囲の掘り残した地山を支持力として利用でき、地面すれすれに建設するより大きな支持力が得られる。
パンテオンのあるカンプス・マルティウスは低地ゾーンでした。テヴェレ川が運んできた土砂がゆるく堆積して、地盤が悪かったのかもしれません。2000年も前のローマ人に建築・土木の技術的な知識があったか無かったかは不明ですが、とにかく高さが40mを超える重い石造りの建物の基礎をどうすべきかを経験的に知っていたではないかと想像します。

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ロトンダの壁はローマンコンクリートを薄い赤レンガで被覆しているように見えました。

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壁の本体は、大きな礫とその周りを埋める砂からできていて、カンピドーリオの丘のローマ市役所で見たローマン・コンクリートの壁と感じが似ていました。

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パンテオンの構造図が掲示されていました。時間に追われ、内観しなかったことを今頃になって後悔しています。

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16世紀に描かれたパンテオンの鳥瞰図にはパンテオンの全体像が判り易く表現されていました。パンテオンのロトンダは3層の壁に大きなドームが載せられた構造でした。壁には例の不思議なアーチが入っていました。
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(出展 Wikipedia)

ロトンダの内部は、直径43m、高さが43mの球体がすっぽり入る内空があります。色違いの大理石の床から壁が2層立ち上がり、そこからドームが始まっています。ドームは凹みのある四角形の文様が施されていました。

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(出展 Wikipedia)

1570年に描かれた絵図面にロトンダの構造が示されていました。外部と内部のドームの下端の高さがずれていました。内部のドームは、下から3層目の壁の下端から始まっていました。普通に考えると、円筒形の壁の天辺にドームをポンと載せるやり方が思い付きますが、パンテオンのロトンダは、壁の3層目は同時にドームの一部になっていて、厚みを増していました。この増厚の部分に、直径43mのドームを支える構造上の秘密が隠されているようです。

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(出展 Wikipedia)

数年前、NHKの番組でゴシックの大聖堂の構造的な仕組みが紹介されていました。通常、参拝者席が並ぶ大聖堂の中央部分は高い内部空間を有するアーチ構造になっています。このアーチの付け根の部分に、横に押し広げようとする力が働くそうです。大聖堂には、この力を抑え込むために跳び梁と呼ばれる「つっかえ棒(バットレス)」が付いています。

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(シャルトル大聖堂の跳び梁 出展 Wikipedia)

パンテオンのロトンダは3次元のドーム、大聖堂のドームは2次元。細かい部分は違っても2次元の押し広げ問題は3次元にも当てはまると考えてもいいでしょう。
イタリア語版のWikipediaによれば、部材の5と1の外壁が跳び梁に相当する「つっかえ棒(バットレス)」で、このバットレスがドームの押し広げの力を抑え込んでドームの自重を鉛直下方向に伝える働きをしているそうです。ロトンダのキモの部分は、不思議なアーチを内包した外壁で、アーチは外壁の補強をする役割を持っているようです。

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(出展 Wikipedia)

ちなみに、ロトンダのドームは、ローマン・コンクリート製で、重さは4535トンもあるとか。ドームは自重を減らすために軽い骨材を使ったローマン・コンクリートを使っていました。ロトンダに使われたローマン・コンクリートは5種類あって、場所別、目的別に配合を変えていたとは驚きです。リビアの古代ローマの遺跡から採取された圧縮試験結果は20MPa。推定引張強度は1.47 MPa(213 psi)。現在一般に使われるコンクリートの圧縮強度は30MPa程度、ローマン・コンクリートは現在のコンクリートと比べても全く遜色はありません。有限要素解析によれば、ドームと外壁を接合する点で0.127MPa(18.5 PSI)の引張応力が発生するとか。強度の余裕は問題なくあるということになります。

ローマン・コンクリートとは・・・Wikipediaより

ローマン・コンクリート(ラテン語: Opus caementicium オプス・カエメンティキウム, 英: Roman concrete)または古代コンクリート(こだいコンクリート)とは、ローマ帝国の時代に使用された建築材料。セメントおよびポッツオーリ(イタリア・ナポリの北にある町)の塵と呼ばれる火山灰を主成分とした。現代のコンクリートは、カルシウム系バインダーを用いたポルトランドセメントであるが、古代コンクリートはアルミニウム系バインダーを用いたジオポリマー(英語版)であり、倍以上の強度があったとされる。ローマのコロッセオには古代コンクリートも使用されており、二千年近く経過した現在も存在しているのはそのためとされる。ローマ帝国滅亡後の中世ヨーロッパでは使われず、大型建築は石造が主流となった。[要出典]現代のようなコンクリートが利用されるようになったのは、産業革命後である[1]。

そそくさとパンテオンを後にしてナヴォーナ広場に向かいました。パンテオンのファサードの側面は白の大理石貼りでした。

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石畳のロトンダ通りは如何にもローマの下町の路地裏といった感じです。

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「本の泉」(Fontana dei Libri)は、ピエトロ・ロンバルディ作の噴水で、学問の象徴である本と地区の紋章にある鹿の頭部を組み合わせたものだそうです。「SPQR」という例のローマ市のロゴが刻まれていました。

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コルソ・デル・リナリシメント通りに出ました。サンティヴォ・アッラ・サピエンツァ教会(Sant'Ivo alla Sapienza)にはEU旗とイタリア国旗が掲揚されていました。この教会は、ローマ市の公文書館も兼ねていました。

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この教会は、1662年完成、フランチェスコ・ボロミーニの設計。建物はバロック建築の傑作の一つだとか。

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この教会のドームにも「押し広げの力」を抑え込むための「つっかえ棒(バットレス)」が付いていました。バットレスを2層の回廊にしてありました。2000年前の建築技術が、400年前の建築技術へ伝承されているようです。

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(出展 Wikipedia)

ナヴォーナ広場はすぐでした。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-12-30 18:26 | イタリア | Comments(0)  

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