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2018年5月3日(木)イタリア その59 パレルモ(3)

15時10分、空港シャトル便は、パレルモ市内の中心地カステル・ヌオーヴォ広場に到着しました。道路を挟んで反対側のルッジェッロ・セッティーモ広場に格調高い円形の歴史的な建物が建っていました。

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旅先についてやるべき最初の大事な仕事は40Lのバックパックを予約したホテルに預けること。幸い、予約したホテルはシャトル便の発着所の近くで、歩いて行ける範囲にあるのは判っていました。
唯、何と言ってもパレルモの街自体が初めて。初めての場所で威力を発揮するGoogleの「MAP」が入っているスマホはナポリで掏られてありません。ナビが故障した車の運転みたいなもの、デジタルからアナログの世界に引き戻された訳で、地図とホテルの予約確認書に記載された住所で探すしかありません。
ホテルの住所『Via Principe di Belmonte, 102, Palermo PA, 90139イタリア』は、プリンチペ・ディ・ベルモンテ通り102番地、PAは「パレルモ県」、90139は郵便番号。
実は、この住所表記は大変な便利なやり方でした。通りさえ特定できれば、後は規則的に発番された番地を簡単に探すだすことができます。通り名の標識は交差点の角々の目につく建物の壁に必ず貼ってありました。日本の「〇丁目、△番地、✕号」表記より優れた方法だと感じました。

お目当てのプリンチペ・ディ・ベルモンテ通りは、歩行者専用の大きな通りで中央に緑地帯が付いていました。

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ホテルの住所の建物にホテルの看板は見当たりません。1階が店舗になった雑居ビルで、大きな扉が付いていました。

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この建物は間違いなくプリンチペ・ディ・ベルモンテ通り102番地、入り口に「102」と表記されていました。このホテルは、フィレンツェの2つ星ホテルと同じで、雑居ビルの住居部分をホテル用に改造したホテルだと気付きました。

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15時30分、建物の中に入って、二重扉の旧式エレベーターでフロントまで上がって、チェックインしました。荷物を部屋に置いて、受付の女性スタッフにパレルモのお勧めの観光スポットやレストランを尋ねましたが、英語のやり取りが上手く行きませんでした。結局、彼女は、マスターを呼びました。

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ホテルのマスターは実に快活で気の利く男性でした。明日のヴェネチア行きの飛行機の出航時刻を告げると、空港行きバス乗り場、時刻、観光名所、おススメのレストランをパレルモの地図に記入して、英語で矢継ぎ早に説明してくれました。

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気になる仕事を片付けておく必要がありました。それは、明日のヴェネツィア行きのLCCのライアンエアーのオンラインチェックインを事前に済ませておくこと。持参のモバイルからライアンエアーのサイトに入って、無事、チェックインを終えてホッと一安心できました。サイトの案内には、事前のチェックインが完了していない場合、50ユーロの追加料金が必要だと書かれていました。

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おススメの観光スポット、レストランの情報を得て、16時30分、ようやくパレルモの街歩きを始めました。バゲッジクレームの荷物待ちで1時間をロスした影響は大きかったです。日暮れの20時までに残された時間は、3時間30分、十分とは言えませんが、パレルモの核心部は何とか歩けると思いました。

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(出展 Google)

空港行きのバス停があるルッジェッロ・セッティーモ広場に行って、明日のバスの段取りを確認しました。広場の奥にあるポリテアマ・ガリバルディ劇場は、マッシモ劇場に次ぐパレルモで2番目に重要な劇場。凱旋門とパンテオンがセットになった感じの珍しい建物でした。着工1865年、完成1891年。建築様式は新古典主義。1882年に亡くなったイタリア建国の英雄ジュゼッペ・ガリバルディにちなんで命名されたとか。ガリバルディは保守反動の両シチリア王国を滅ぼし、ヴィトリオ・エマヌエーレ2世に献上した英雄、ナポリのみならずパレルモでも人気が高かったようでした。

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反対側のカステル・ヌオーヴォ広場・・・

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広場の横目地の建物・・・

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空港行きのバス乗り場で時刻表を確認、発車間隔は30分おきでした。

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シチリア島とはどんな島なのか、その歴史や文化はどうなっているのか。
いつものことですが、そんな知識も乏しいままに街歩きを始めました。本来は下記の内容を一応理解してから歩くべきだったと反省しています。
ザックリいうと、パレルモは古代ギリシアの衛星都市から始まる2000年を超える古い歴史を持つ街で、ナポリと同様、長い間複数の外国人の支配を受けてきた受難の歴史を持ち、イスラム文化とキリスト教文化が融合した特異な街という感じです。パレルモの黄金時代は、13世紀ドイツ人の国王時代だったとは驚き。フリードリッヒ2世は、教養の高い英明な人だったようです。
これまで歩いてきたイタリアの街の歴史を概観すると、元気があったのは中世まで。それ以降は他国の支配の受けてきた辛い歴史があり、19世紀後半のビットリオエマヌュエーレ2世のイタリア統一でようやく主権国家を取り戻すことができたという感じです。

【シチリア(英語表記)Siciliaデジタル大辞泉の解説】

イタリア半島の南にある地中海最大の島。レモン・オレンジ・アーモンドなどを産する。古代からギリシャ・カルタゴ・ローマ帝国などの支配を受け、1861年にイタリア王国に編入された。面積約2万5500平方キロメートル。英語名シシリー。
シチリア島と周辺島嶼からなるイタリアの自治州。経済面で北部諸州に遅れをとるが、独自の文化があり、農産物が豊かで観光客を集める。アグリジェント県・エンナ県・カターニア県・カルタニセッタ県・シラクサ県・トラパニ県・パレルモ県・メッシーナ県・ラグーザ県がある。州都はパレルモ。

【地球の歩き方2018~2019】

『イスラム文化とキリスト教文化の融合した島』
東にギリシア、フェニキア、南にカルタゴ、アラブ世界を控えたシチリアは地中海文明の十字路に位置している。最初にこの島を支配下のは、都市国家造りのために、ギリシア本土からやって来た古代ギリシア人だった。マーニャ・グレーチャ(大ギリシア)の一部を形作る都市国家がシチリア各所に築かれた。
次にやって来たのはカルタゴ人。そしてローマ人。8世紀には北アフリカのアラブ人。アラブ人はシチリアにアーモンドとオレンジを持ち込んだといわれている。
11世紀には、十字軍のノルマンディー騎士団を構成するノルマン人(北の人の意味)がやってきてシチリア王国を創り、ノルマン、ビザンチン、イスラムの三様式の共存を唱えた。次にシチリアを支配したのは、何とドイツのホーエンシュタウフェン家であり、ハインリッヒ6世からフリードリッヒ2世(1194年~1250年)に王位が継承された。
さて、フリードリッヒ2世は、ドイツ国王とシチリア国王を兼ね、神聖ローマ帝国の皇帝であったがパレルモにも居を定めた。彼の統治下、パレルモの黄金時代が訪れる。アラブ人もノルマン人もパレルモに都に定めたが、この時期のパレルモは、今までの都とはひと味もふた味も違っていた。ヨーロッパ中から詩人や音楽家が集まり文化の花が咲く一方、官僚制を整え裁判権を集中させ、政治的にも安定した。自ら詩作も楽しんだフリードリッヒは、近隣の地アフリカの国々とも友好関係を維持し、首都パレルモには王宮を中心とした国際的な文化が開花した。
そして、フランスのアンジュー家の支配に続き、13世紀から19世紀の間は、アラゴンをはじめスペインの圧政下にあった。スペイン支配の下では、一種の植民地として、財政的な収奪が行われ、農民たちの反乱や蜂起は力で抑えられた。強権的なこの支配に対抗するため、今日のマフィアの伝統や組織が生まれたといわれる。さまざまな支配の下で、力強く育ったシチリア人は、逆境に強く、頑固な性格を持っている。イタリアの北と南で人種が異なるのはよくいわれることだが、シチリア人は、そのどちらにも属さない独特の性格もった人々でもある。

ルッジェッロ・セッティーモ通りを南方向に歩いて、パレルモの観光スポットが集中する旧市街を目指しました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-02-12 22:24 | イタリア | Comments(0)  

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