2018年4月1日(日)ドイツⅡ その89 エピローグ(23)フランクフルト

フランクフルト:2017年5月7日(日)~8日(月)


・グダンスク発18時00分ポーランド航空3816便は定刻に出航、ワルシャワ空港に19時到着。

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・トランジットの余裕時間は1時間15分、トランジットは手荷物検査はなく単に移動だけで済んだ。シェンゲン協定というのはいい仕組みだと思った。フランクフルト空港行き、ワルシャワ空港発ポーランド航空383便ジェット機は定刻20時15分に出航。

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・ジェット機は定刻22時10分にフランクフルト空港に到着。

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・フランクフルト空港近くに予約したホテルまではタクシーにした。タクシー代は7.6ユーロ(950円)。ホテルの部屋からフランクフルト空港の第2ターミナルが良く見えた。

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・ホテルの部屋でテレビをつけると、BBCがマクロン大統領の誕生を伝えていた。

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・通信事情の良いドイツに戻ってこられたので、この日の日誌をフェイスブックにアップした。当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月7日(日)グダンスクは雨後曇り、寒い。
朝7時過ぎ、グダンスク本駅を手始めに街歩きを開始した。
この街の観光ホットスポットは本駅の東南に固まっていた。教会や市庁舎などメーンはすべて赤レンガで仕上げてある。
グダンスクは千年の歴史を持つ風格に溢れた街だった。大小様々な教会はそれぞれに素晴らしいがどちらかというと前菜かアラカルト、観光のメーンディシュは市庁舎のあるドゥーギ広場だろう。「黄金の門」を潜ると素晴らしい街並みが姿を現す。一番人気の市庁舎前でツアー客が写真を撮りまくっていた。
反対側の門を抜けるとモトワヴァバ運河が現れる。この運河河畔の景観にも驚かされた。建物と運河の間に広いところで20mくらいのスペースがある。カフェなどが並んでいて、建物は運河に向いている。観光舟運も盛んなようだった。
ヒルトンホテルが河畔のいい場所に立地していた。5つ星の超高級ホテルはこじんまりとした造りだった。建物のスカイラインに配慮したようだ。グダンスク空港の1階待合ロビーに「グダンスク・ヒルトン」が大々的に宣伝されていた。この河畔が5つ星ということだろうか。
11時にホテルに戻って12時にチェックアウト。駅前からバスで空港に向かった。途中、ラウンドアバウトを2つ通った。ポーランドにも信号なしの交差点が普及しているようだ。グダンスク空港はこじんまりとしているが、ピカピカでわかりやすい空港だった。
ポーランド航空18時00分発ワルシャワ行き3816便に乗り、ワルシャワでトランジットして22時10分にフランクフルトに到着した。
フランクフルト空港の近くのホテルでこの記事を書いている。4月28日にフランクフルトから旅を始めて10日振りに戻ってきた事になる。テレビをつけると、BBCがマクロン大統領の誕生を伝えていた。
明日の14時40分の中国東方航空の便で羽田に戻る。

・5月7日(日)は、午前中グダンスクの街歩き、午後からグダンスク、ワルシャワ、フランクフルト移動と忙しい一日だった。大きなトラブルもなく無事にフランクフルトに戻ることができホッと一息できた。
・5月8日(月)で4月28日にフランクフルト空港駅からICE(新幹線)で旅を始めて11日目になった。フランクフルトは曇って寒かった。そういえば、今回の旅行ではお天気にあまり恵まれなかった感じだ。フランクフルト空港発14時40分発の飛行機で上海に戻り、上海でトランジットして羽田に戻る。そんな訳で久し振りにのんびりできた。
・フランクフルト空港の地図を見ると工事箇所が意外にも沢山あることに気づいた。ホテルのある第2ターミナル周辺、反対側の第3ターミナルらしき工事場所やもうひとつの滑走路が増設中だった。この空港は、森の中に浮かぶ大きな島みたいな空港だが、新規の航空需要に対応するために新規インフラ投資が盛んに行われている様子が伺われた。

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(出展 Google)

・ホテルの窓からラウンドアバウトと新規開発の様子が見えた。工事中の場所には空港関連のハコモノができるのかもしれない。ラウンドアバウトはポーランドでも見たが、ドイツでも定着しているように感じた。

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・ホテルは意外にお洒落な外観、開業して間もない感じだった。

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・周りはお馴染みのホテルやドイツ国鉄のロジの会社などピカピカの建物が建っていた。何故か、DELLの建物もあった。去年のドイツ旅行ではフランクフルト空港付近の別のホテルに泊まった。そのホテルの隣はIBMの研究所だった。IT関連企業は国際空港の近くだと何かのメリットがあるようだ。


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・ホテルを10時30分にチェックアウト、空港行きのシャトルバスに乗車した。てっきり無料だと思ったら3.5ユーロ(440円)も取られた。グダンスクでは市内から空港まで3.2ズォティー(100円)だったので、料金というものは国で随分と違うもんだと思った。バスは例のラウンドアバウトをぐるりと回って提携ホテルに立ち寄って、第2ターミナルに向かった。乗客は一心不乱にスマホをいじっていた。何処の国でも同じ。

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・途中、不思議な土留めに出会った。深さ5mくらいのグランドアンカー付き自立型土留めだが、日本では見たことのない絵柄だった。グダンスクでは鋼管の切梁材を使った土留めを見た。それぞれの国にそれぞれの流儀があるものだと感じた。

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・シャトルバスは第2ターミナルに11時10分着、フラッグ・キャリヤのルフトハンザの黄色い幟がたくさん建っていた。チェックインカウンターのある1階のベンチで時間を潰した。
・時間潰しに建物の構造をザックリ目測で調べてみた。ターミナル2は幅が350m、奥行き100mくらいの巨大な建物だった。建物は5連のアーチ構造、アーチ支間は70m、高さは30m、ライズは1/7程度。アーチの支柱は20m真四角で高さは20m。アーチリブはトラス、鋼材は20cmと華奢な感じ。屋根は幅10mのトップライトと屋根板、材料は軽量のようだった。褄壁は全面透過型のガラスなので、今日みたいな曇りでも内部は明るいのが良い。

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・チェックイン12時50分完了、出国審査13時完了、セキュリティーチェック13時20分完了。最近、世界中のあちこちでテロが発生している。セキュリティーチェックでは万歳の格好でくるくると回って写真撮影された。検査員の愛想の良さに救われた。上海行き中国東方航空220便は定刻14時40分に出航した。

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・当日のフェイスブックにアップした記事・・・


5月8日(月)フランクフルトは曇り、肌寒い。
フランクフルト空港の近くのホテルを10時30分にチェックアウトし、シャトルバスでターミナル2に11時10分に着いた。いくつかのホテルが共同出資したバスみたいで、他のホテルの玄関に停車しては客を拾って行く。
空港まで20分程度だが、ラウンドアバウトを2つ通った。ドイツで都合7つ見た事になる。普及、定着が進んでいるようだ。
上海行き中国東方航空220便は14時40分に出航する。3時間の時間潰しをどうするか。
フランクフルト空港はドイツ最大級の空港だ。ポーランドの小振りな空港に比べると実に巨大だ。何処に何があるかさっぱり見当がつかない。
時間潰しにベンチから見上げてこの空港の構造をザックリ調べて見た。
ターミナル2は、5連のアーチ構造。アーチ支間は70m、高さは30m、ライズは1/7。アーチリブはトラス、鋼材は20cmと華奢な感じ。屋根は幅10mのトップライトと屋根板、材料は不明だが軽いようだ。褄壁は全面透過型のガラス。今日みたいな曇りでも中は明るい。
一定の大きさがあると、ハコモノもインフラもありがたみが出てくる。『大きい事は良い事だ』と言った音楽家がいたが、その通りだろう。
この空港のありがたみは、簡易に仕上げたアーチ屋根で造られた高くて広い明るい内部空間だろう。
チェックイン、出国検査、セキュリティチェックを終えて、空港の奥行きも判ってきた。
ターミナル2は幅が350m、奥行き100mはありそうだ。

以上、長々と書いてきましが、この辺で今回のドイツ・ポーランド旅行の『旅日記」と『覚書き』を終えることとします。
今年は、4月末から2週間を掛けてイタリアに行くことにしました。イタリアは細長い形をしていて日本と似ているし、日本のような急流河川も多そうです。どのような水辺やどのような街が待っているのか、今から楽しみにしています。


# by camino0810 | 2018-04-01 09:25 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年3月29日(木)ドイツⅡ その88 エピローグ(22)グダンスク

⑨グダンスク:2017年5月7日(日)その3


・ドゥーギ広場の「緑の門」を出ると、モトワヴァ運河だった。ジェロニー橋から運河が一望できた。グダンスクの伝統的な赤を基調とした建物が運河左岸にずらりと並んでいた。生憎の曇り空だったが、文句なしの素晴らしい水辺が拡がっていた。今回の旅行先にグダンスクを選んで正解だったなと思った。それくらい、モトワヴァ運河沿いの約800mの水辺は、価値が高かった。

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・最初にモトワヴァ運河を渡って中の島の再開発地区をぐるりと歩いた。

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(出展 Google)

・モトワヴァ運河の右岸はボードウォークになっていた。モトワヴァ運河の流路幅は約50m。

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・観覧車がある中の島は、再開発地区。既設の建物の地下室を撤去した直後だった。土留め用の切梁は円形の鋼管。日本では見たことのない光景というか、あり得ない光景だった。国より流儀が違うのはある意味刺激的でもある。モトワヴァ運河左岸は第2次大戦で消失した昔の街並みを忠実に復元したようだが、右岸側は再開発地区で老朽化した施設を壊して新しいものに造り変えていた。

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・完成予想図には運河沿いの賑わいの様子が描かれていた。運河沿いの白を基調とした建物群はマンションだそうだ。

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・新しい建物もモトワヴァ運河の風景と調和したデザインだった。三角屋根の建物のスカイラインも綺麗に揃える計画だ。

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・左岸側の背の高い黒い建物は、かつて港湾都市として繁栄したグダンスク名物の「木造クレーン」。跳ねだした頂部にウィンチでも取り付けて、接岸した船の荷揚げ、荷卸しをしていたようだ。産業インフラとしての役割を終え、現在は観光インフラとして活躍していることになる。

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・中の島の白い壁は海洋博物館。

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・再開発地区の古い赤レンガの建物の壁にはアーチ支保工が設置していた。この壁を再利用するようだ。欧州の「つぎはぎ流」、「使いまわし」の思想を感じさせる光景だ。空き家問題が顕在化した日本でも同様なリノベーションが盛んになってきた感じだ。

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・東側の運河沿いは、マリーナになっていた。建物群はマンションだそうだ。マリーナには、沢山のヨットが停泊していた。

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・モトワヴァ運河では警戒船らしき船が旋回中だった。観光舟運も盛んな感じだった。下段の遊歩道と水面の高低差は2m弱、上段で3m弱、転落防止柵が全線に設置されていた。

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・モトワヴァ運河の左岸河畔は、運河ウォーキングのハイライト。運河沿いのプロムナードの幅は、上段、下段合わせて20m。デュッセルドルフのライン河畔の遊歩道ほど広くはないが、プロムナードの幅が15~20mあると快適に歩くことができる。

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・海賊船を思わせる黒塗りの帆船は水上レストランだろうか。この船は、ある意味常設の観光施設であり、同様の水上レストランは2014年に訪問したプラハのブルタヴァ河畔でも見かけた。

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・黒い顔をした「木造クレーン」があるプロムナードには常設のカフェがあった。

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・運河沿いの建物群は、伝統的な形式で、壁面と屋根のスカイラインを見事に揃えていた。しかも、建物は運河にしっかりと向いていた。通常、建物と川の間に車道があれば、建物は必然的に川を向く。しかし、この運河には車道はない。グダンスクは中世からハンザ同盟都市であったため、産業舟運が盛んだった。運河はある意味当時の「道路」、建物が運河を向くのは必定。第2次大戦で破壊された当時の街並みをグダンスク市民の努力で忠実に再現し、現在まで維持してきたと考えてみた。
・現在は、産業舟運はバルト海に直接面した水深のあるグディニア港という外港に譲り、モトワヴァ運河を観光舟運や水上レジャーの観光インフラとして復活させた感じだ。衰退したインフラや使われなくなったインフラを巧みに造り変えた成功事例だと考えてみた。

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・写真左の青い建物は全世界に展開するヒルトンホテル。ヒルトンも周りの建物と屋根を揃えていた。この一帯はピカピカでお洒落なデザインの建物にリノベーションした感じだ。ヒルトン前の河畔遊歩道からの運河の眺めも文句なしに素晴しかった。2015年に歩いたリーズの駅裏の運河再開発でもヒルトンがあった。ヒルトンが立地しているという事実は、この場所が採算性の見込める価値の高い水辺だからだと考えてみた。

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・赤レンガの大きな建物はショパンフィルハーモニー。老朽化した発電所をリノベーションしたという。屋根に沢山の窓をつけるやり方は先に見た「大製粉所」に見られるグダンスク流の流儀かもしれない。

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・Uターンして聖マリア教会に向かった。お天気が良ければ、この辺りのカフェでビールを一杯呑んだことだろう。

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当日にフェイスブックにアップした記事(グダンスクではモバイルが電波を拾えなかったのでフランクフルトのホテルでアップした)

5月7日(日)グダンスクは雨後曇り、寒い。
朝7時過ぎ、グダンスク本駅を手始めに街歩きを開始した。
この街の観光ホットスポットは本駅の東南に固まっていた。教会や市庁舎などメーンはすべて赤レンガで仕上げてある。
グダンスクは千年の歴史を持つ風格に溢れた街だった。大小様々な教会はそれぞれに素晴らしいがどちらかというと前菜かアラカルト、観光のメーンディシュは市庁舎のあるドゥーギ広場だろう。「黄金の門」を潜ると素晴らしい街並みが姿を現す。一番人気の市庁舎前でツアー客が写真を撮りまくっていた。
反対側の門を抜けるとモトワヴァバ運河が現れる。この運河河畔の景観にも驚かされた。建物と運河の間に広いところで20mくらいのスペースがある。カフェなどが並んでいて、建物は運河に向いている。観光舟運も盛んなようだった。
ヒルトンホテルが河畔のいい場所に立地していた。5つ星の超高級ホテルはこじんまりとした造りだった。建物のスカイラインに配慮したようだ。グダンスク空港の1階待合ロビーに「グダンスク・ヒルトン」が大々的に宣伝されていた。この河畔が5つ星ということだろうか。
(省略)

・モトワヴァ運河河畔から聖マリア教会を目指して旧市街に入った。旧市街の街並みは、赤い三角屋根の建物が道路沿いに綺麗にずらりと並んでいて、内部は中庭になっていた。この街区パターンは欧州の各地でよく見掛けた。その中で聖マリア教会は圧倒的な大きさを誇っていて、旧市街の中心的な存在のようだった。

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(出展 Google)

・「木造クレーン」の裏側の街路は、地味目なパステルカラーの建物が並んでいた。多分、集合住宅だろう。道路を駐車場にしてあった。

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・所々、運河沿いの建物に通行門が設置されていて、運河と市街地を連絡していた。

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・この通りの建物は入口に階段が付いていた。奥に聖マリア教会の尖塔が見えていた。

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・聖マリア教会は修復工事中。欧州の旧市街は何処へ行っても歴史的な建造物は何処か補修中だった。

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・聖マリア教会は赤レンガの大きな教会だった。1343年~1502年の約160年を掛けて建造されたそうだ。1361年、グダンスクはハンザ同盟都市になった。この教会はグダンスクの発展期に建造されていた。ケルン大聖堂の600年を筆頭に日本人から見て異常に長い建設工期の理由は一体どういう事か?
建設工事には①図面②材料③職人④お金⑤土地⑦合意形成などが必要だ。バルセロナのサクラダファミリア教会はすでに130年以上の時間を掛けて今でも建設途中だ。宗教施設の場合は、材料や仕上げレベルの高さが効いてくるのかもしれない。聖マリア教会の場合は、ハイレベルな仕上げをするための建設資金がまとまって調達できなかったためかもしれない。商人などの寄付で一定額の建設資金が調達できた段階で部分的に工事を行なう。その繰り返しで160年という時間が必要だったのではないかと推測する。
・もう一つは「継ぎ足しの思想」もあったのではないかと思った。最初は小さい教会だったが、経済力の増加に伴い設計変更を重ねて段々と大きくなったのではないか。小さい教会に外から被せるように柱や屋根を重ねて行ったのではないか。フランスのツールの大聖堂やドイツのシュットガルトの教会がそんな感じだった。とにかく、この教会は完成後500年間に亘りグダンスクの変遷を観てきたコアな建物だ。大阪人にとっての大阪城、名古屋人にとっての名古屋城みたいなものだろう。ファサードの高さは78m、市庁舎の82mと並んでランドマークの機能は今でも十分。


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・ハンザ同盟都市のブレーメン、リューベックにはカトリックの大聖堂があった。同じハンザ同盟都市グダンスクには大聖堂は見当たらなかった。カトリックでは、教区の司教座があるのが大聖堂だと聞いている。グダンスクには司教が居なかったようだ。それでも、聖マリア教会は大聖堂と同等の骨格を持っていた。上空から見ると十字架の形、ファサードは西向き、教会の長手軸が東西方向に向くなど大聖堂の基本ルールが感じられた。

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(出展 Google)

・聖マリア教会脇の街路には、「大武器庫」という呼ばれる歴史的な建造物もあった。1605年に建てられた豪華で精巧な彫刻のある建物だった。

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・ラドゥニ運河脇の建物にグダンスクの昔の絵図面が掲示されていた。絵図左に聖マリア教会、市庁舎が描かれていた。市庁舎が1561年完成なので、この絵図は16世紀後半~17世紀の黄金期のグダンスクだろうか。稲妻型運河の角は要塞になっていた。右手の大きな建物2棟は現在では確認できなかった。第2次大戦の戦災で焼失したままなのかもしれない。手前の稲妻型の土塁と運河は旧市街の防衛インフラ、現在は道路や鉄道に変わっていた。

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・絵図右端の門と橋が旧市街の入り口「高い門」かもしれない。絵図上のバルト海には沢山の帆船が浮かんでいてグダンスクの繁栄振りが伺えた。

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・旧市街の南側の稲妻型運河に帆船が浮かんでいた。運河は防衛インフラと産業インフラを兼ねていたようだ。田園地区には風車が4基描かれていた。グダンスクは現在でも地盤が低い場所だ。排水用兼製粉用の風車ではないかと思った。

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・ホテルの近くの歩道に奇妙な壁が展示されていた。ベルリンのポツダム駅広場でベルリンの壁が展示されていたことを想い出した。もしかして、その壁の一部をグダンスクに運んできたのかもしれない。1989年のベルリン壁の崩壊を受けて、1990年「連帯」指導者だったレフ・ワレサがポーランド大統領ポーランドに就任した。レフ・ワレサはグダンスクの造船所の労働者だったそうだ。

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・ホテルの窓から見えた「欧州連帯センター」と記念塔まで戻ってきた。よくよく考えると世界史に記載されるくらい大きな事件のあった場所にいるわけだが、歩いている時はそのような感慨など感じなかった。

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・12時、ホテルをチェックアウト。受付の女性は親切で英語も達者だった。空港への行き方と両替所の場所を丁寧に教えてもらった。本駅の前にあるピカピカのショッピングセンターは、グダンスクの赤レンガをコンセプトにしたデザインかもしれない。

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・ショッピングセンターはクラクフと似てお洒落なデザインだった。

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・駅前の新市街地区には高層ビルやメルキュールホテルが建っていた。建築中のビルなど新規投資もあり、元気さを感じた。

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・朝7時から13時までたかだか6時間の街歩きだったが、グダンスクに来て良かったなと思った。バスで空港に向かい、旅の出発点であるフランクフルトに戻った。グダンスク本駅前の210線バス乗り場で空港行きバスに乗車した。料金は3.2ズォティー(100円)。

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・郊外にはピカピカの高層マンションが建っていた。

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・ドイツでは日本車はあまり見掛けなかったが、ポーランドには日本車が結構走っていた。右ハンドルのトヨタのヴィッツも走っていた。

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・ピカピカの空港アクセス線が完成していた。駅舎の色は大胆な赤で仕上げていた。

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・グダンスク郊外にはドイツのクラインガルテンみたいな家庭菜園もあった。

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・バスは3箇所のラウンドアバウトを通過した。ポーランドでもラウンドアバウトが普及しているようだった。

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・「グダンスク・レフ・ワレサ空港」もピカピカだった。

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・空港鉄道駅もできたばかり。空港アクセス線は高架だった。新規鉄道や道路は地下化するのが欧州流だと思っていたので意外な思いがした。地下化するのはお金掛かるし、ここは土地もタップリあるので高架を選んだようだ。

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・空港のチェックインカウンターもピカピカだった。グダンスク発18時00分のワルシャワ行き3816便の航空券を予約していた。ワルシャワでフランクフルト行きの飛行機に乗り換えた。

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・ヒルトン・グダンスクの大きな垂れ幕が掲げられていた。例の顔の黒い「木造クレーン」や造船所の「鋼製クレーン」やヨットも描かれていた。モトワヴァ運河ウォーキングでこのホテル前も歩いたが、ホテルも周りの水辺も文句なしに素晴らしかった。

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・今回の旅行ではルータを2種類持参した。モバイルもスマホもこのルータ、ISP経由でネットに入っていた。グダンスクの通信事情は、ルータの能力不足なのかスマホには電波を届けたが、モバイルにはできない状況だった。ホテルや空港などの無料Wifiを利用したこともあるが、自分の現在位置にいつも無料Wifiがある訳ではないので、持参のルーターは大事なマストアイテムだった。チェックインカウンターの隅のファストフードで昼食を摂りながら時間を潰した。

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この時は、仕方ないのでスマホでフェイスブックに記事をアップした。

5月7日(日)グダンスクは雨のち曇りのち晴れ。
午前中にグダンスクの観光ホットスポットを見終えた。
グダンスク空港の搭乗ロビーでこの記事を書いている。
ルータの能力不足なのかスマホには電波を届けるが、モバイルにはできない。写真はスマホを使わないので、ネタが空状態だ。
搭乗ロビーでポーランド航空18時00分発ワルシャワ行き3816便を待っている。ワルシャワでトランジットしてフランクフルトに22時10分に到着する。
ようやく旅も最終ステージに入った。明日、フランクフルトから羽田に戻る。今回は何故か睡眠不足で活動力が低下した気がする。年齢を考慮した旅程を検討する時期かもしれない。


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・ポーランド航空18時00分発ワルシャワ行き3816便は定刻に出航、ワルシャワ空港に19時10分に到着する。ポーランド航空機はプロペラ機だった。

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・ワルシャワでトランジットして22時10分にフランクフルトに到着する予定。今回の旅行もいよいよ最終ステージに近づいてきた。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-03-29 06:16 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年3月26日(月)ドイツⅡ その87 エピローグ(21)グダンスク

⑨グダンスク:2017年5月7日(日)その2


・グダンスクの街中にはモトワヴァ運河が流れていた。モトワヴァ運河はモトワヴァ川に繋がっている。モトワヴァ川は、地図にモトワヴァ・ヴィスワ川と記載されていることからも、かつてヴィスワ本川だった。ヴィスワ川はポーランド最大の河川、河口でグダンスクの街を流れていると考えることもできる。新潟市の信濃川となんとなく似ている感じだ。

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(出展 Google)

・自称川屋にはグダンスクの川や運河が何故か気になった。グダンスクは、ヴィスワ川の河口、ワルシャワは中流、クラクフは上流にある。今回の旅行でたまたま選択したポーランドの3都市は、意外にもヴィスワ川繋がりだった。ヴィスワ川はバルト海に注ぐ東欧の大河だが、河口のグダンスク周囲には独特の地形が形成されていた。地図右側にはヴィスワ川が運んだ土砂が砂州となって堆積し、内側に巨大な潟湖が出来上がっていた。干拓すれば大きな農耕地もできそうだが、ポーランドはオランダと違って土地がタップリありそうなのでその必要もなかったようだ。それにしても、この砂州のRの真円度の高さにも驚かされる。自然の営力の凄さを感じる。

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(出展 Google)

・中世の地図を見ると、ヴィスワ川は、河口手前で左側のグダンスクと右側の潟湖に分派していた。グダンスクはヴィスワ川が作った低平地にあって、バルト海に沿って形成された砂州のため洪水が抜けにくい地形になっていた感じだ。そのためか、常襲的に洪水被害に悩まされていたという。

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・調べると、グダンスク市街地の東側に放水路らしき水路が2本開削されていた。中世の地図には記載がないので放水路と考えて間違いなさそうだ。1840年に第一次ヴィスワ川放水路、1895年に第二次ヴィスワ放水路が開削されていた。第一次の放水路だけでは洪水流を吐き切らなかったようだ。潟湖にはヴィスワ川の派川Nogat川も流入していた。

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(出展 Wikipedia)

・この状況を見て新潟市を思い起こした。新潟市を流れる信濃川には、河口から約40km上流の大河津に放水路(分水路)があり、市内には関屋分水路がある。新潟市自体は信濃川が運んで来た土砂が堆積した場所に立地した、日本海側を代表する大きな都市だ。信濃川は海岸砂丘の陸地側に流れているので洪水が抜けにくい。新潟平野の人たちは、大河津分水路(1922年完成)が完成する前には信濃川の度重なる氾濫に悩まされていた。分水路の完成で市内の信濃川には洪水が流れなくなったため、市内では川幅を3分の1程度に縮小でき、洪水の被害もなくなった。グダンスクは日本でいえば新潟に似た都市ではないかと思った。グダンスクは、ヴィスワ川の河口に立地した2本の放水路を持つ港湾都市、新潟市は信濃川の河口に立地、同じく2本の放水路を持つ港湾都市という訳だ。ちなみにクラクフで見たグルンヴァルドの戦勝碑は、ヴィスワ川の河口付近の戦いだった。

https://camino0810.exblog.jp/18604722/

・グダンスクは、中世からハンザ同盟都市として繁栄してきた港町だった。稲妻型運河はハンザ同盟都市に共通した防衛インフラで、ブレーメン、ハンブルク、リューベックでも同じものがあった。17世紀のグダンスクの絵図面には旧市街西側にも稲妻型運河が描かれていた。現在、西側の運河は駅前の幹線道路や鉄道に変わっている。市街地の進展に伴い、役割を終えた運河が埋め立てられたケースもあった。グダンスクでは東側の稲妻型運河は歴史文化遺産として保存されているようだ。


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(出展 Google)

・ポーランドの歴史は、11世紀中頃から1600年頃までは首都のあったクラクフ、それ以降現在までは首都ワルシャワの2つの大都市を中心に展開されてきたように思う。グダンスクは中世から自治都市、ハンザ同盟の貿易都市として、独自の発展をしてきた都市国家みたいな街のように思える。自治権を持つとともに、納税や兵役などの義務を免除された「政治・経済特区」だったのではないか。調べると、グダンスクはドイツ騎士団との確執や何度か他国の支配を受けるなど複雑な歴史があった。

(グダンスク出身のKさんから戴いた資料などを編集)

・980年ごろポーランドのミェシュコ1世がグダンスクに砦を建設。
・1235年、グダンスク自治権を得る。1224年、リューベックと似た都市法を確立した。(リューベックは1226年、都市基本法を制定)
・1308年、グダンスクは、ドイツ騎士団により管理され、植民地化される。ドイツ騎士団との確執が始まるも経済成長。
・1361年、グダンスク、ハンザ同盟に加盟。輸出品は、穀物(特に小麦)、木材、炭酸カリウム、タールをヴィスワ川の舟運網を利用。
・1410年、ポーランド王国、グルンヴァルトの戦いでドイツ騎士団に勝利。グダンスク市民はドイツ騎士団支配を嫌っており、ポーランド側に加盟。
・1457年、ポーランド王とともに13年戦争でドイツ騎士団に勝利、ポーランド王からポーランド王国の自治都市としての特権を得る。ポーランド国内の市場参加も認められる。
・ ポーランド王国の直接の庇護を得た16世紀と17世紀は、グダンスクの貿易と文化にとって「黄金時代」。

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(出展 Wikipedia)

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(出展 Wikipedia)

・多民族の住民が混住することにより、街は繁栄を極める。カトリック教徒との深刻な対立はみられなかった。ポーランド王国には一貫して民族・人種・宗派・宗教の違いを受け入れる寛容な風土があったからである。
・1734年、グダンスク攻囲戦ではロシアに占領される。1793年、第2次ポーランド分割により、グダンスクはプロイセン王国に併合され、公式名称も「ダンツィヒ」に変更。ダンツィヒでは住民のドイツ文化への同化政策が徹底的に行われ、住民の多くはドイツ人(バルト・ドイツ人)となっていった。

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(出展 Wikipedia)

・第一次世界大戦後はヴェルサイユ条約によりドイツ領から切り離され、どの国にも属さない国際連盟保護下の「自由都市ダンツィヒ」となる。堤防が破損し、氾濫が頻発する。
・1939年、ポーランド侵攻に際して、グダンスクはドイツに占領される。グダンスクはドイツ軍と連合国軍との激しい戦闘により大半が破壊された。
・1952年、ポーランドが独立を回復すると、もとの「グダンスク」を公式名称としてポーランド領に編入。159年ぶりにポーランド領へ復帰。旧市街など、戦争で廃墟となっていた市街地は、残された資料をもとにポーランド人の手によって完全に復元される。
・1990年、「連帯」指導者だったレフ・ワレサがポーランド大統領。現在のグダンスクはポーランド最大の観光地の一つで、内外の多くの観光客でにぎわい、また主要貿易港の一つでもある。ポーランド北部の文化の中心地でもあり、ポーランド市民が精密に復元したグダンスク旧市街はその文化的価値が認められ、そう遠くないうちに世界遺産として正式登録される見込みである。

・以上、長々とグダンスクの治水や歴史・文化に触れてきた。本末転倒な話しだが、実際はこのような知識はほとんど持たずにグダンスクの街を歩いた。予備知識なしでも素晴らしい街並みや水辺を楽しむことができたのは、詰まる所、グダンスク自体の観光的価値が非常に高かったということになる。今から思うと、一定の予備知識があった方がより楽しみや理解が深まったのではないかと反省している。

・ドゥーギ広場の出口にある「緑の門」を潜り抜けてモトワヴァ運河に出た。


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以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-03-26 16:06 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年3月25日(日)ドイツⅡ その86 エピローグ(20)グダンスク

⑨グダンスク:2017年5月7日(日)その1


・20時00分発ポーランド空港LO3502便はグダンスク空港に21時05分に到着した。夕暮れ時の街がオレンジの街路灯で浮かび上がっていた。写真上側がバルト海、写真真ん中の川は、市内を流れるモトワヴァ川。

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・グダンスク・ワレサ空港の空港ターミナルもピカピカでお洒落だった。クラクフ空港とそのアクセス線もピカピカ、グダンスク空港とそのアクセス線もピカピカだった。ポーランドは新規投資が盛んな国かもしれない。

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・空港からホテルのあるグダンスク本駅までは約8kmとアクセス良好。バスを利用したが、料金は3.2ズオティー(100円)、クラクフよりも更にリーズナブルだった。

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(出展 Google)

・グダンスク本駅までの乗車時間は約40分、通勤客との乗り合わせなので車内は結構込んでいた。車内で乗客の若い男性に英語で「このバスは、グダンスク本駅まで行きますか」と尋ねると、英語で「OK、車内の検札機に切符を通すのも忘れないように・・・」と返してくれた。とても親切な印象があった。

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・22時、グダンスク本駅に到着、駅前に人通りはなかった。駅のコンビニや売店が閉まっていたので、夕食用に開いていたマックでハンバーガーを購入した。

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・初めての街でホテルまで暗い道を重い荷物を背負っていくのはとても危険だ。タクシーにした。料金は、12.55ズオティー(390円)と随分とリーズナブル。マックは消費税込み13.6ズオティー(420円)、コカコーラは税込み4.9ズオティー(150円)。マックのような食料品は消費税が23%、コカコーラのような飲料は消費税8%という具合に消費税を差別化していた。頻繁に食べるものや使用するものは消費税を安く、贅沢品?は消費税を高くしてあるだろうか。ポーランドでは日付の書き順が日本と同じ西暦、月、日の順番だった。ドイツを含め欧州では、普通、日、月、西暦の順。そう言えば、ハンガリーも日本式だった。1386年、ポーランド・リトアニア連合が成立した時のポーランド女王はハンガリー出身なので、何か関係があるのかもしれない。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月6日(土)グダンスクは晴れ、少し寒い。
22時、やっとの思いでグダンスク本駅近くのホテルにチェックインできた。クラクフ発のプロペラ機の出航時刻が1時間40分遅れた。グダンスク空港はグダンスク・レフ・ワレサ空港が正式名らしい。グダンスク空港もピカピカの空港だった。本駅行きのバスにうまく乗車できた。本駅まで40分、3.2ズウォンティ(90円)とは驚きのアクセスの良さとリーズナブル過ぎる料金だ。
駅のキオスクが閉店していたので久し振りにマックの夕食にした。
グダンスクが今回の旅行の最終地点になる。明日の18時の飛行機で出発点のフランクフルトに戻る。
明日のお天気が今一つなのが残念だ。

・海外旅行のマストアイテム「地球の歩き方 チェコ ポーランド スロヴァキア(’13~’14)」にグダンスクの紹介があった。グダンスクのキャッチコピーは「バルト海沿岸の歴史ある美しい港町」。

『バルト海沿岸の港湾都市グダンスクは、ポーランドで最も美しい町のひとつ。クラクフと並び、ポーランドが世界に誇る文化・歴史・観光の一大拠点だ。
町は1000年以上の歴史を誇り、14世紀にはハンザ同盟都市として繁栄を謳歌した。旧市街は、ゴシック、ルネッサンス、バロックといった各時代の建物で埋め尽くされており、当時の繁栄振りを今に伝えている。
華やかな街並みをもつ一方、グダンスクは、激動の歴史を歩んできた町でもある。グダンスクはドイツ名ではダンツィヒといい、自由都市、ポーランド領、プロイセン領とその帰属をたびたび変えてきた。第1次大戦後には、国際連盟管理下の自由都市となったが、1939年9月1日、ドイツ軍がヴェステルプラッテに奇襲をかけ、結果的にこれが第2次世界大戦の勃発につながった。戦争中には大きな被害を受けたが、その後復興し、町はかっての美しい姿を取り戻している。』

・グダンスク市内を貫流するモトワヴァ川の河口にヴェステルプラッテがある。第2次世界大戦が、ドイツ軍のヴェステルプラッテ侵攻で始まったとは知らなかった。グダンスクは、ワルシャワとともに第2次世界大戦の戦火で街はほとんど破壊されたが、戦前の姿を再建し、見事に復興していた。朝7時20分、ホテルを出発、街歩きを開始した。街歩きに充てる時間は4~5時間程度しかないので、グダンスクの核心部を歩いてお昼にホテルに戻る作戦にした。

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(出展 Google)

・ホテルの前に奇妙なデザインの茶色の建物が建っていた。2014年8月にオープンした「欧州連帯センター」という建物だった。1980年8月、レーニン造船所の一労働者だったレフ・ワレサ(後の大統領)が労組を結成し自由を求めて、立ち上がったそうだ。1989年、ベルリンの壁が崩壊、ワレサの率いる「連帯」が政権を取り、2004年にEU加盟。この建物は現在のポーランドの原点を記念するものだと感じた。

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・生憎、日曜日のこの日は朝から冷たい雨が降った。日本の真冬並みの寒さでだった。グダンスク本駅を目指して歩いた。グダンスク本駅は赤レンガ造りの実に優美な駅舎。大きな駅ではないが、ディテールまで手抜きが感じらない歴史的、観光的価値の高い駅舎だと感じた。

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・グダンスク本駅の東南にある旧市街の観光の核心部を歩いた。グダンスク本駅に近い、教会が集中している地区から歩き始めた。聖ヨゼフ教会の門柱の表面は真新しい赤レンガでリノベーションされていた。門柱の背後の赤レンガは創建当時のものかもしれない。

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・門柱には複十字が建っていた。複十字は2本の十字架を縦に並べた形をしている。腕木が2本の十字架はスロバキアの国旗にもなっているし、ハンガリーでもこの複十字を見た。東欧では十字架といえばこの複十字になっているようだ。

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・グダンスクの観光の中心部はグダンスク本駅の東南部(写真の右側)に集中していた。

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(出展 Google)

・聖ヨゼフ教会の斜向かいにある旧市庁舎は可愛らしい赤レンガ一色の小さな建物。外面は鮮やかな赤なのでリノベーション済みかもしれない。

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・花壇の手入れも文句なしに丁寧だった。

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・旧市庁舎前の公園には天体観測をしている人物の彫像があった。JAN HEWELUSZ(1611年~1687年)はグダンスク生まれの天文学者。月の地形学の創始者だそうだ。そういえば、コペルニクスは地動説を最初に唱えたマルチな才能を持つ天才的ポーランド人。ポーランドにはショパンやキュリー夫人など学術に秀でた人が多いように思った。

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・公園の脇には巨大な屋根の「大製粉所」があった。中世、近世にラドゥニ運河の水位差を利用して水車で製粉していたそうだ。そう言えば、ハンブルクの巨大な内アルスター湖は水車を回すための貯水池だった。リューベックの大聖堂脇の大きな湖には水車小屋があった。水車は中世~近世の都市の食を支える大事な産業インフラだと気づいた。役割を終えた産業インフラを見事に観光インフラに変えていた。

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・朝の早い時間で冷たい雨が降っていたせいか、ラドゥニ運河周りは静かで落ち着きがあった。路面と運河水面の高低差は3m弱、転落防止策が設置されていた。赤レンガの眼鏡橋は、レンガの色が新鮮なのでリノベーションが終わったばかりのようだ。重要な歴史的建造物の補修は観光インフラとしての価値を維持する上でも欠かせない。これまでの欧州旅行で補修中の大聖堂などの歴史的建造物をよく見掛けた。グダンスク市当局はしっかり予算を付けているようだ。

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・赤レンガの眼鏡橋からラドゥニ運河下流側を眺め。高欄には南京錠・・・有名な観光地によく見られる光景だ。中の島の奥に「大製粉所」がある。


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「大製粉所」と聖カタルツィナ教会・・・

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・旧市庁舎前の公園は、現代的なオブジェと中世からの歴史的建造物を見事に調和させていた。グダンスクには優れた「アーキテクト」がいるようだ。

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・大通りを歩いて、ドゥーギ広場を目指した。建設中の大きな施設が見えてきた。水平な腕木を持つジブクレーンが沢山建っていた。ポーランド人はジブクレーン派、ドイツ人と同じ。新規投資もしっかり行われている様子が伺えた。

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・グダンスク観光のホットスポットまで来た。入口の「高い門」は1588年に完成した、風格のある石造り風に仕上げた門。グダンスク旧市街の表玄関で、当初は跳ね橋だったそうだ。3つのエンブレムはポーランド、ドイツ騎士団、グダンスク市のエンブレムだとか。赤レンガのリューベック、ブレーメンと似ていた。この3つの都市はハンザ同盟の都市、貿易で繁栄してきた港湾都市だ。


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・その背後に控えるのが背の高い「囚人塔」、元々は街の防衛施設だったとか。外敵をいち早く発見する監視塔だったのだろう。

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・囚人塔の後に「黄金の門」が続いた。1614年完成したオランダ・ルネサンス様式だそうだ。

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・「黄金の門」からドゥーガ通りが見えた。

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・「高い門」などはある意味「前座」。ドゥーガ通り、ドゥーギ広場は「真打ち」、グダンスク観光の核心部だと感じた。生憎のお天気だったが、中世、近世の気分を感じさせる素晴らしい街並みだった。絵葉書のような美しい街並みが続いた。ドゥーガ通りは幅が20mの石畳の通り、車の通行はなかった。スカイラインを揃えた建物の向こうに背の高い市庁舎が見えていた。

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・グダンスク市庁舎は、高さは82m、1379年着工、1561年に完成、建設工期は182年。グダンスクの最盛期の建造物かもしれない。そういえば、クラクフの中央広場に建つ聖マリア教会も同じ82mだった。

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・市庁舎のファサードは小振りだが、精巧な彫刻で飾られていた。エンブレムは、王冠の下に十字架が2つ並んでいた。「複十字」とは2つの十字架の合成体かもしれない。

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・ドゥーギ広場は、幅40mで長さが200mの石畳の広場。5階建てのパステルカラー建物群が綺麗に屋根と壁面を揃えていた。正面の門の向こうにお目当てのモトワヴァ運河があった。


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・門を潜り抜けて、モトワヴァ運河を歩いた。

当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月7日(日)グダンスクは雨後曇り、寒い。
朝7時過ぎ、グダンスク本駅を手始めに街歩きを開始した。
この街の観光ホットスポットは本駅の東南に固まっていた。教会や市庁舎などメーンはすべて赤レンガで仕上げてある。
グダンスクは千年の歴史を持つ風格に溢れた街だった。大小様々な教会はそれぞれに素晴らしいがどちらかというと前菜かアラカルト、観光のメーンディシュは市庁舎のあるドゥーギ広場だろう。「黄金の門」を潜ると素晴らしい街並みが姿を現す。一番人気の市庁舎前でツアー客が写真を撮りまくっていた。
反対側の門を抜けるとモトワヴァバ運河が現れる。この運河河畔の景観にも驚かされた。建物と運河の間に広いところで20mくらいのスペースがある。カフェなどが並んでいて、建物は運河に向いている。観光舟運も盛んなようだった。
(省略)

以下、次号・・・


# by camino0810 | 2018-03-25 10:38 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年3月24日(土)ドイツⅡ その85 エピローグ(19)クラクフ

⑨クラクフ:2017年5月6日(土)その4


・12時にホテルをチェックアウトしてクラクフ本駅へ、クラクフ空港から飛行機でグダンスクに向かった。ホテルのスタッフに空港まではクラクフ本駅からの電車を勧められた。

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・40Lのバックパックと30Lのデイパックを携帯してクラクフ本駅まで歩いた。

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(出展 Google)

・中央広場の旧市庁舎・・・

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・12時30分、中央広場のカフェで一休みした。ビールは500ccで14ズオティー(430円)、他に比べてビールは少し割高な感じだった。カフェのテラス席から見た聖マリア教会や織物会館・・・

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・ポーランドのタバコは、平均13ズオティー(400円)、日本より少し安めのお値段。タバコの健康障害表示は各国毎に様々だが、ポーランドは東南アジアで売られているタイプの、グロテスクな写真付きのタバコも置いてあった。

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・リングの外に出てクラクフ本駅に向かった。リング公園にはチューリップが綺麗に咲いていた。庭の手入れの完璧さに改めて驚かされた。

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・公園の一隅で男性と女性が握手をしている彫像に出会った。台に刻まれた2つの数字、1386、1886の意味を調べてみた。

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・1386年は、ポーランド・リトアニア連合によりヤゲェウォ王朝始まった年だった。この像は、その中心人物の二人の国王で、その500周年を記念して1886年に建てられた顕彰碑だと考えてみた。

wikipediaから

ピャスト朝が1370年にカジミェシュ3世の死により途絶えると、アンジュー朝のハンガリー王ラヨシュ1世が選ばれポーランド王ルドヴィクとして即位した。1382年のルドヴィクの死後、ポーランド王位を継承した11歳の末娘ヤドヴィガは、1386年にリトアニア大公ヤギェウォ(ヨガイラ)と結婚した。ヤギェウォはキリスト教に改宗してヴワディスワフ(2世)を名乗り、ヤギェウォ朝を築いた。

・左側の女性はポーランド王位を継承した11歳の末娘ヤドヴィガ、右の男性はリトアニア大公ヤギェウォ。その二人が結婚したのが1386年ということだろう。ポーランド・リトアニア連合国は当時欧州有数の大国だったそうで、ポーランドが絶頂期を迎えた時代だったと思う。

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・リングの外にある広場で大きな彫像に出会った。「グルンワルド」というドイツ語風に綴られた文字が気になった。1386年に成立したポーランド・リトアニア連合が、1410年ポーランド北部のグルンワルドの戦いでドイツ騎士団を撃破したそうだ。ドイツ騎士団はこれから向かうグダンスクとも深く関係している。とにかく、ポーランドはそのドイツにも勝利した訳で、最盛期を象徴する戦いとして記念碑を造ったのではないかと思った。ポーランドは受難の歴史を背負った国だった。愛国や独立を示す顕彰碑が多いのはこのような歴史を反映した結果だろう。

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・14時、クラクフ本駅に到着。駅前広場は実に広々として気持ち良かった。この駅舎は使用されていなかった。建築遺産として保存されているようだった。何か別の施設として使用されているかもしれない。役割を終えたインフラやハコモノを別の用途に転換するやり方は欧州でよく見てきた。

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・駅のホームはショッピングモールの真横にあった。

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・ショッピングモールは、日本と似ていた。グダンスク駅前もこんなショッピングモールだった。

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・ポーランドでもお寿司は人気商品のようだった。この店では日本の都市名を商品名に充てていた。Nagoya 26ズオティー(810円)、Tokyo 25ズオティー(780円)、Yokohama 36ズオティー(1100円)、Osaka 32ズオティー(990円)。ニギリと海苔巻きの数で値段を決めているようだが、日本に比べて割高な高級食となっている。

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・当日のフェイスブックにアップした記事・・・

5月6日(土)クラクフは曇り、適温。
久し振りに遅めに起きてノンビリできた。10時から1時間半掛けて旧市街をおさらいした。12時ホテルをチェックアウト、駅まで重いバックパックを背負うのが辛くなってきたので、一休みしている。
クラクフ空港発18時20分発グダンスク行きの飛行機まで時間が有り余っている。時間潰しに中央広場のカフェでビールを飲むことした。
ポーランドは英語が通じにくい国だと聞いていたが、ホテル、スーパー、カフェのスタッフは英語が堪能で助かった。僕の下手くそな英語も理解してくれる。
結局、空港にはクラクフ本駅から電車で行くことにした。ホテルのスタッフの話しでは、所要時間は20分、9ズオティ(270円)だという。アクセス、料金も文句なしにありがたい。

・クラクフ本駅14時36分発の空港行きの電車に乗車した。これから、今回の旅行の最終目的地グダンスクに向かう。クラクフはポーランドの国境沿いの南端、グダンスクはバルト海に面した北の端にあり、その直線距離は概ね600km。クラクフ・バリツェ空港は市内から約13kmの場所にあった。9ズオティー(280円)、所要時間20分とは料金も含めて文句なしのアクセスの良さだった。

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・郊外の高層アパート群・・・。

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・戸建て住宅・・・

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・街中は電柱・電線が地下化されていても郊外での送電は日本と同じ鉄塔・架空線方式・・・。

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空港駅の駅舎は出来立てのピカピカだった。

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・空港駅と空港の建物は渡り廊下で繋がっていた。クラクフ・バリツェ空港のターミナルもピカピカのお洒落な建物だった。「 ヨハネパウロ2世・クラクフ・バリツェ国際空港」が正式名称、クラクフ出身のヨハネ・パウロ2世の名が付いていた。

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・クラクフ・バリツェ空港は、長さ3kmの滑走路が1本用意されていた。もう1本くらいは増設ができるよう用地が取得されていた感じだ。土地の広い国はうらやましい限り。

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(出展 Google)

・滑走路は小振りでも国際空港、アムステルダム、ロンドンの3つ空港、フランクフルト、リーズ、ベルリン、マドリッドなど欧州の主要空港行きの便が沢山運航していた。イージージェット、ライアンエアーなどのLCCも乗り入れていた。

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・もともと時間がたっぷり余っている上に、グダンスク行きの飛行機が遅れた。コーヒー(6.5ズオティー:200円)でも飲みながらPCで暇つぶしをした。

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・軍服姿の係員による手荷物検査が完了して搭乗ロビーへ。チェックインの時、係りの女性から「40Lのバックパックを機内持ち込みにすると155ズウォンティ(4500円)の追加チャージが発生する」と言われた。キャビン持ち込みなら無料だそうだ。当然のことながら、キャビン持ち込みを選択した。ベルリン~ワルシャワ間もキャビン持ち込みにすれば余分に60ユーロ(7500円)を支払う必要もなかった訳でチョッピリ悔しい思いがした。

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・LCCのイージージェットは移動式通路を使っていなかった。ジェット機を降りた乗客はエプロンを歩いてターミナルに移動していた。日本では見たことのない光景だった。空港施設利用料金を省いて安くするためかもしれない。

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・「RYANAIR」はアイルランドのLCC。

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・ポーランド航空LO3502便は小型のプロペラ機だった。クラクフ、グダンスク間の料金は3000円程度、格安のお値段で予約できたので文句はいえない。プロペラ機は80人乗りの小型機だった。ポーランド航空LO3502便は1時間40分遅れて、20時に出航した。

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当日のフェイスブックにアップした記事・・・

5月6日(土)クラクフは曇り、適温。
14時36分クラクフ本駅発の空港行きは15時にクラクフ空港に着いた。正式にはヨハネパウロ2世クラクフバリツェ国際空港というそうだ。ワルシャワにはショパンの名前が付いていた。個人を顕彰するお国柄かもしれない。
この空港は出来立てのピカピカの空港だった。
出発案内板にはがっかりさせられた。18時20分発グダンスク行きLO3502便は20時出航と1時間40分遅れになっているではないか。もともと時間潰しに困っていたので搭乗ゲートでこの記事を書いている。チェックインの時、係りの女性は40Lのバックパックを機内持ち込みにすると155ズウォンティ(4500円)の追加チャージが発生するという。キャビン持ち込みなら無料とアドバイスを受けた。キャビン持ち込みを選択したわけだが、ベルリン~ワルシャワ間もキャビン持ち込みにすれば余分に60ユーロを支払う必要はなかった訳でチョッピリ悔しい思いがした。

21時05分、グダンスク・ワレサ空港に到着。この空港ターミナルもピカピカでお洒落でした。

以下、次号・・

# by camino0810 | 2018-03-24 16:30 | ドイツⅡ | Comments(0)