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2018年5月3日(木)イタリア その60 パレルモ(4)

パレルモは、68万の人口を持つシチリア最大の州都。シチリアには、カターニャ、シラクーサなどのお馴染みの都市もあります。パレルモははっきりと旧市街と新市街が分かれた街で、観光スポットは旧市街に集中していました。
ルッジェッロ・セッティーモ通りを南方向に歩いて、パレルモの観光スポットが集中する旧市街を目指しました。ルッジェッロ・セッティーモ通りは派手な屋外広告のないスッキリとした街路で、ピンクの建物が目立ちました。伝統的な横目地の建物には、窓毎に凝ったヴェランダが付いていました。新しい建物はポルティコ風にして歩行通路を確保していました。

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ヴェルディ広場にあるマッシモ劇場はすぐでした。この劇場は、イタリア最大にして、ヨーロッパでも3番目に大きいオペラ劇場。ウィーンのオペラ座、パリのガルニエ宮のオペラ座に次いで、3番目に大きいオペラ座だとか。そういえば、クラシックの本家、本元はイタリアなのをすっかり忘れていました。

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この劇場は、1864年、パレルモ市長が1861年のイタリア統一を記念して国際コンペで調達した建物。ローマのヴィトリオとなんか共通したものを感じます。1897年完成の新古典主義様式設計はパレルモ出身の建築家、ジョヴァン・バッティスタ・フィリッポ・バジーレ。建築資材から内装に至るまで、殆どをシチリア産でまかなったとか。劇場のファサードは、古代ギリシア風の神殿、そういえば、パレルモNO2のポリテアマ・ガリバルディ劇場のファサードは凱旋門でした。新古典主義とはファサードに古代ギリシアの神殿や古代ローマの凱旋門など著名な歴史的建造物を設置する流儀のようです。

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時間がないので内観はスルー、内部はゴージャスなアールヌーボー様式だそうです。

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(出典 Wikipedia)

ルッジェッロ・セッティーモ通りがここからマクエダ通りと名前を変えました。道路幅が狭くなっていて、ホコ天にしてありました。

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路地裏のオロロージョ通りを歩いてみました。路地の向こうに見える尖塔はシチリア考古学博物館。この博物館は教会と一緒なっていました。この尖塔はこの教会のファサードでした。そういえば、ナポリのスパッカナポリでは大きな教会が博物館になっていました。公的な施設で古い建物の維持を図っている感じです。

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カヴール通りという幅広の大通りを海に向けて歩きました。通りの名前は、イタリア統一の三傑カヴールだと思います。バーリのカヴール通りもバーリを代表する大通りでした。写真右側(南側)が旧市街側、この建物はゴージャスな出窓を供えた横目地の建物。

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イタリア銀行パレルモ支店は、カヴール通りの北側の新市街に建っていました。風格のある横目地の建物で窓の造りはバーリのカヴール通りの伝統的な建物と似ていました。

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カヴール通りは新市街と旧市街の境をなす大通り、昔は城壁だったと想像します。これまで歩いてきたイタリアの街々にはリング(城壁)の一部かその痕跡が残されていました。パレルモも例に漏れず、その痕跡が通りと城門で残されていました。旧市街は不規則な街区形状ですが、新市街は碁盤の目になっていて、その境が大通りになっていました。バーリも同じでした。

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(出典 Google)

海辺には「Castello a Mare」(海の城という意味)の遺構が残されていました。エッジの利いた隅櫓や城門の一部が保存されていました。このお城は、バーリの旧市街にあった海城と同じ役割も持つ要塞だったようです。

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(出典 Google)

お城の城門の遺跡・・・

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(出典 Wikipedia)

「ラ・カーラ」という入り江に来ました。

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この入り江には沢山のヨットやプレジャーボートが停泊していました。素晴らしい水辺でした。

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地中海を見たのは、ナポリに続いて2回目、快晴に恵まれてラッキーでした。

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入り江の北側には小さい漁船も停泊、遥か北に大きな山が見えていました。

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入り江から旧市街に入りました。 タルツァナ広場の古めかしい建物脇を歩いていきました。

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迷路のような細い路地裏をクアットロ・カンティへ・・・生活感の溢れる下町でした。

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アルジェンテリア通りの野菜の露店・・・水ナスやアーティチョークも並んでいました。

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下町臭が溢れる Caracciolo広場・・・旧市街のこの一帯にディープなパレルモを感じました。

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ローマ通りとヴィットリオ・エマヌエーレ通りの交差点に出ました。ローマ通りは、パレルモ旧市街を南北に貫く大通りで、メーン通りのひとつ。風格のある横目地の建物が軒を揃えていました。

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ヴィットリオ・エマヌエーレ通りは、パレルモの旧市街を東西に貫くメーン通りで、1861年、イタリアを統一した英雄ヴィットリオ・エマヌエーレ2世を讃えた大通りで、バーリと同じでした。この先は海。

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ヴィットリオ・エマヌエーレ通りを山側(西側)に向けて歩いて行きました。

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お目当てのクアットロ・カンティはすぐでした。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-02-18 01:41 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月3日(木)イタリア その59 パレルモ(3)

15時10分、空港シャトル便は、パレルモ市内の中心地カステル・ヌオーヴォ広場に到着しました。道路を挟んで反対側のルッジェッロ・セッティーモ広場に格調高い円形の歴史的な建物が建っていました。

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旅先についてやるべき最初の大事な仕事は40Lのバックパックを予約したホテルに預けること。幸い、予約したホテルはシャトル便の発着所の近くで、歩いて行ける範囲にあるのは判っていました。
唯、何と言ってもパレルモの街自体が初めて。初めての場所で威力を発揮するGoogleの「MAP」が入っているスマホはナポリで掏られてありません。ナビが故障した車の運転みたいなもの、デジタルからアナログの世界に引き戻された訳で、地図とホテルの予約確認書に記載された住所で探すしかありません。
ホテルの住所『Via Principe di Belmonte, 102, Palermo PA, 90139イタリア』は、プリンチペ・ディ・ベルモンテ通り102番地、PAは「パレルモ県」、90139は郵便番号。
実は、この住所表記は大変な便利なやり方でした。通りさえ特定できれば、後は規則的に発番された番地を簡単に探すだすことができます。通り名の標識は交差点の角々の目につく建物の壁に必ず貼ってありました。日本の「〇丁目、△番地、✕号」表記より優れた方法だと感じました。

お目当てのプリンチペ・ディ・ベルモンテ通りは、歩行者専用の大きな通りで中央に緑地帯が付いていました。

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ホテルの住所の建物にホテルの看板は見当たりません。1階が店舗になった雑居ビルで、大きな扉が付いていました。

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この建物は間違いなくプリンチペ・ディ・ベルモンテ通り102番地、入り口に「102」と表記されていました。このホテルは、フィレンツェの2つ星ホテルと同じで、雑居ビルの住居部分をホテル用に改造したホテルだと気付きました。

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15時30分、建物の中に入って、二重扉の旧式エレベーターでフロントまで上がって、チェックインしました。荷物を部屋に置いて、受付の女性スタッフにパレルモのお勧めの観光スポットやレストランを尋ねましたが、英語のやり取りが上手く行きませんでした。結局、彼女は、マスターを呼びました。

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ホテルのマスターは実に快活で気の利く男性でした。明日のヴェネチア行きの飛行機の出航時刻を告げると、空港行きバス乗り場、時刻、観光名所、おススメのレストランをパレルモの地図に記入して、英語で矢継ぎ早に説明してくれました。

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気になる仕事を片付けておく必要がありました。それは、明日のヴェネツィア行きのLCCのライアンエアーのオンラインチェックインを事前に済ませておくこと。持参のモバイルからライアンエアーのサイトに入って、無事、チェックインを終えてホッと一安心できました。サイトの案内には、事前のチェックインが完了していない場合、50ユーロの追加料金が必要だと書かれていました。

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おススメの観光スポット、レストランの情報を得て、16時30分、ようやくパレルモの街歩きを始めました。バゲッジクレームの荷物待ちで1時間をロスした影響は大きかったです。日暮れの20時までに残された時間は、3時間30分、十分とは言えませんが、パレルモの核心部は何とか歩けると思いました。

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(出展 Google)

空港行きのバス停があるルッジェッロ・セッティーモ広場に行って、明日のバスの段取りを確認しました。広場の奥にあるポリテアマ・ガリバルディ劇場は、マッシモ劇場に次ぐパレルモで2番目に重要な劇場。凱旋門とパンテオンがセットになった感じの珍しい建物でした。着工1865年、完成1891年。建築様式は新古典主義。1882年に亡くなったイタリア建国の英雄ジュゼッペ・ガリバルディにちなんで命名されたとか。ガリバルディは保守反動の両シチリア王国を滅ぼし、ヴィトリオ・エマヌエーレ2世に献上した英雄、ナポリのみならずパレルモでも人気が高かったようでした。

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反対側のカステル・ヌオーヴォ広場・・・

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広場の横目地の建物・・・

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空港行きのバス乗り場で時刻表を確認、発車間隔は30分おきでした。

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シチリア島とはどんな島なのか、その歴史や文化はどうなっているのか。
いつものことですが、そんな知識も乏しいままに街歩きを始めました。本来は下記の内容を一応理解してから歩くべきだったと反省しています。
ザックリいうと、パレルモは古代ギリシアの衛星都市から始まる2000年を超える古い歴史を持つ街で、ナポリと同様、長い間複数の外国人の支配を受けてきた受難の歴史を持ち、イスラム文化とキリスト教文化が融合した特異な街という感じです。パレルモの黄金時代は、13世紀ドイツ人の国王時代だったとは驚き。フリードリッヒ2世は、教養の高い英明な人だったようです。
これまで歩いてきたイタリアの街の歴史を概観すると、元気があったのは中世まで。それ以降は他国の支配の受けてきた辛い歴史があり、19世紀後半のビットリオエマヌュエーレ2世のイタリア統一でようやく主権国家を取り戻すことができたという感じです。

【シチリア(英語表記)Siciliaデジタル大辞泉の解説】

イタリア半島の南にある地中海最大の島。レモン・オレンジ・アーモンドなどを産する。古代からギリシャ・カルタゴ・ローマ帝国などの支配を受け、1861年にイタリア王国に編入された。面積約2万5500平方キロメートル。英語名シシリー。
シチリア島と周辺島嶼からなるイタリアの自治州。経済面で北部諸州に遅れをとるが、独自の文化があり、農産物が豊かで観光客を集める。アグリジェント県・エンナ県・カターニア県・カルタニセッタ県・シラクサ県・トラパニ県・パレルモ県・メッシーナ県・ラグーザ県がある。州都はパレルモ。

【地球の歩き方2018~2019】

『イスラム文化とキリスト教文化の融合した島』
東にギリシア、フェニキア、南にカルタゴ、アラブ世界を控えたシチリアは地中海文明の十字路に位置している。最初にこの島を支配下のは、都市国家造りのために、ギリシア本土からやって来た古代ギリシア人だった。マーニャ・グレーチャ(大ギリシア)の一部を形作る都市国家がシチリア各所に築かれた。
次にやって来たのはカルタゴ人。そしてローマ人。8世紀には北アフリカのアラブ人。アラブ人はシチリアにアーモンドとオレンジを持ち込んだといわれている。
11世紀には、十字軍のノルマンディー騎士団を構成するノルマン人(北の人の意味)がやってきてシチリア王国を創り、ノルマン、ビザンチン、イスラムの三様式の共存を唱えた。次にシチリアを支配したのは、何とドイツのホーエンシュタウフェン家であり、ハインリッヒ6世からフリードリッヒ2世(1194年~1250年)に王位が継承された。
さて、フリードリッヒ2世は、ドイツ国王とシチリア国王を兼ね、神聖ローマ帝国の皇帝であったがパレルモにも居を定めた。彼の統治下、パレルモの黄金時代が訪れる。アラブ人もノルマン人もパレルモに都に定めたが、この時期のパレルモは、今までの都とはひと味もふた味も違っていた。ヨーロッパ中から詩人や音楽家が集まり文化の花が咲く一方、官僚制を整え裁判権を集中させ、政治的にも安定した。自ら詩作も楽しんだフリードリッヒは、近隣の地アフリカの国々とも友好関係を維持し、首都パレルモには王宮を中心とした国際的な文化が開花した。
そして、フランスのアンジュー家の支配に続き、13世紀から19世紀の間は、アラゴンをはじめスペインの圧政下にあった。スペイン支配の下では、一種の植民地として、財政的な収奪が行われ、農民たちの反乱や蜂起は力で抑えられた。強権的なこの支配に対抗するため、今日のマフィアの伝統や組織が生まれたといわれる。さまざまな支配の下で、力強く育ったシチリア人は、逆境に強く、頑固な性格を持っている。イタリアの北と南で人種が異なるのはよくいわれることだが、シチリア人は、そのどちらにも属さない独特の性格もった人々でもある。

ルッジェッロ・セッティーモ通りを南方向に歩いて、パレルモの観光スポットが集中する旧市街を目指しました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-02-12 22:24 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月3日(木)イタリア その58 パレルモ(2)


ボロテア1761便はバーリ国際空港を定刻より25分遅れて11時50分に出航、シチリア島のパレルモに13時00分に着きました。

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(出展 Google)

バーリ国際空港に駐機中のフラッグキャリアのルフトハンザ機・・・

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ボロテア1761便は、ピンクのチェック柄の尾翼がセールスポイント。

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機内から見た出発ゾーン・・・

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ボロテア1761便はパレルモを目指して離陸しました。

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バーリ郊外には、豊かな緑の中に住宅地が広がっていました。

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地中海上空・・・

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ジェット機は高度を下げ始めて着陸の準備に入りました。シチリア島の急峻な山が見えてきました。

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生憎の曇り空ですが、空港脇にそびえる、魁偉な形をしたこの山は強く印象に残っています。

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ジェット機は、パレルモ国際空港に20分遅れて13時00分到着。

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バスで到着ロビーに向かいました。

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ボロテア1761便は、B717型で25✕5席の125人乗りの中型ジェット機でした。

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ターミナル脇の車寄せ・・・

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バゲッジクレームで1時間待たされました。40Lのバックパックを客室の収納持ち込みにしておけば無駄な時間を掛けずに済んでいたでしょう。14時30分発のパレルモ市内行きのシャトル便に乗車。料金は往復で11ユーロ(1400円)とリーズナブル。

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この空港と市内の距離は概ね30km、アクセスに問題ありかもと思えましたが、所要時間は概ね40分とまずまずのアクセスだと思います。

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(出展 Google)
車窓の風景・・・海からすぐ近くまで山が迫っていました。イタリア本土とは全く違った特異な風景でした。

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パレルモの山々は相当古い地層のように思いました。露頭は堆積岩で層理面が傾斜していました。

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シャトル便は、パレルモ市内の中心地カステル・ヌオーヴォ広場に15時10分に無事到着しました。カステル・ヌオーヴォは「新しい城」という意味合い。ナポリ港にもカステル・ヌオーヴォ城という巨大な要塞がありました。美味い具合に青空が戻ってきました。

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40Lのバックパック、30Lのデイパックを抱えて、予約したホテルまで歩いて行きました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-02-10 13:29 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月3日(木)イタリア その57 パレルモ(1)

今日は、バーリ国際空港11時25分発ボロテア1761便でシチリア島の州都パレルモに向かいました。パレルモ国際空港着は、12時40分、1時間余りのフライトでした。ボロテア (Volotea) は2011年創設のスペインの格安航空会社。
7時、ホテルの朝食、バーリでも青物野菜のない朝食でした。

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3階のホテルの部屋から見た表通り・・・

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新しい建物では上げ下ろし式の窓のシャッター。

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三ツ星のホテルでしたが、清潔で快適なお部屋でした。

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8時15分、ホテルをチェックアウト。空港行きのシャトルバスはバーリ中央駅から出発しました。

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チケットは運転手さんから購入。4ユーロ(520円)はリーズナブル。

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空港行きのバスは、8時30分出発。この日は生憎の小雨、イタリア入りして初めての雨でした。渋滞した市内を抜けるのに20分ほど掛かりました。バーリ国際空港着は予定より10分遅れて9時10分、都心から概ね10km、アクセスの良い空港でした。

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バーリ郊外の地図には意外なものがありました。一つ目は、ピトントという都市の環状線SP218、この環状線の真円度の高さには呆れました。直径は5.5km、イタリアにはまだ土地の余裕があるのか、用地買収がしやすい環境があるようです。もうひとつは、2つの河川が断流状態にあること。イタリアの大半は「夏季少雨」、「冬季多雨」の地中海性気候。バーリの年間平均降雨量は560mm、乾季の5月でも30mm/月があります。中部地方の大井川や天竜川には発電専用ダムが沢山設置されてはいますが、一定の維持流量を流下させており、冬場でも断流した事はないと思います。断流の理由は何か?川の上流に発電用や農業用のダムでもあるのかと思って地図を見ても見当たりません。地下水を沢山汲み上げで水循環を変えた結果なのかもしれません。

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(出展 Google)

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郊外の高層住宅群・・・

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空港のターミナルビルに到着。

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バーリ国際空港は長さ3kmの主滑走路1本の空港でした。お隣の小さい滑走路は昔の空港、現在は、軍事利用かもしれません。これまでイタリア各地の地図を見てきましたが、ラウンドアバウトは随分と普及している感じです。

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(出展 Google)

雨のバーリ国際空港・・・。

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車寄せ・・・

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出発ロビーにあるカフェで、カプチーノ1.7ユーロ(220円)を飲みながら時間潰し。この時にフェイスブックにアップした記事・・・

5月3日(木)バーリは小雨、温暖。
イタリア旅行も後半を迎えました。
今日は、バーリ国際空港からシチリアのパレルモに向かいます。
これまで、高気圧とともにイタリアを歩いてきました。観光当日は晴れて、翌日の出発日にお天気が崩れるという幸運が付いてきました。流石に、パレルモでは雨に遭いそうな感じです。
Volotea1761便はバーリを11時25分に出航、パレルモに12時40分に着きます。

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10時25分にチェックインカウンターへ。窓口で印字した予約確認書を提示したら、スタッフにNGを出されました。
スタッフ 「ボロテアはオンラインチェックインがルール。あなたの予約確認書は使えません」
自分   「これまで印字した予約確認書で問題はなかった。何とかならないの?」
スタッフ 「なりません」
自分   「どうすればいいの?」
スタッフ 「30ユーロの支払いを追加すればOKです」
自分   「仕方ないけど、そうします」
迂闊でした。LCCは、オンラインチェックインによる省人化で低料金での提供を可能にしているようです。フラッグキャリアはネットで予約した予約確認書でOKでしたが、知識不足でした。諦めて、カードで30ユーロ(3900円)を支払いました。予約した料金40ユーロに30ユーロが加算され、70ユーロ(9100円)。何のためのLCCは判らなくなりました。

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出発便の一覧を見ると、行き先は国外のマドリッド、モナコ、国内はローマ、ミラノ、目的地のパレルモ。航空会社はフラッグキャリアのアリタリア、ルフトハンザとLCCのライアンエアー、イージージェット、ボロテアなど。

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小便器は脚なし型。

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10時40分、再チェックイン完了。40Lのバックパックは、客室持ち込みにぜす、機内預けにしました。この選択が大失敗でした。10時45分、搭乗ロビーに到着、手荷物検査は緩めでした。手荷物を入れる篭は、勾配の付いたレール上を移動して、自動で入り口に戻る仕組み、気の利いたやり方でした。

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Volotea1761便はバーリ国際空港を定刻より25分遅れて11時50分に出航、シチリア島のパレルモに13時00分に着きました。

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ジェット機はパレルモ空港に向けて出航しました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-02-10 09:52 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月2日(水)イタリア その56 バーリ(5)

サン・二コラ教会の城壁を抜けると、アドリア海でした。初めて見たアドリア海の水は青く澄んでいました。川屋を自称してはいますが、よく考えると、海辺も川辺も同じウォーターフロント、水辺は水辺に変わりありません。アドリア海を大河川と置き換えてこの水辺を考えてみました。この水辺の優れた点は、とにかく、水辺のアクセスが文句なしに良いことでした。海面と陸地の段差が小さいので水域と陸域の連続性が高いのがいいなと思いました。

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散策路からの眺望は実に広々としていて快適でした。歴史を感じさせる風格のある街灯、腰の低いパラペット、タイル舗装された歩道、凝った木製ベンチなどのパーツへの気配りも感じました。パラペットを低く抑えてベンチからの広い視点場を確保しており、よく考えられたデザインだなと感じました。

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バーリ旧市街の東側には城壁がしっかり残っていました。

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(出展 Google)

東の隅にはエッジの利いた隅櫓みたいな要塞もありました。城壁の高さは、一様ではないものの、概ね8mはある感じでした。

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(出展 Google)
ナポリのサンタ・ルチア港で「卵城」という海辺の要塞を見ました。
https://camino0810.exblog.jp/29191760/
バーリの旧市街を巨大化した「卵城」だと考えると意外にも納得した気分になりました。この旧市街は、長崎の軍艦島みたいなもので、堅固な城壁に囲まれた要塞だったと考えていいかもしれません。

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(出展 Google)

城壁脇の外周道路に沿って歩きました。この道路も中世は海だったと想像します。城壁の向こうに尖塔が見えました。鐘楼か監視塔ではないかと思います。

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教会みたいな建物に上がれる階段が見えたので、この階段を登って再び旧市街に入りました。

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サンタ・スコラスティカ教会とその建物を利用したサンタ・スコラスティカ考古学博物館でした。お隣の遺構の調査もしているようです。教会の向かいの3階建ての建物はB&B、こんな場所で一日のんびり過ごすのも悪いはないでしょう。

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ヴェネツィア通りに面した旧市街の様子・・・写真左の建物がB&B。この一帯は最初に見た場所より新しくお洒落な感じで、どこかアットホームな気分を感じます。

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ここからアドリア海と新市街が良く見えました。

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旧市街の外周道路を歩いていきました。旧市街の最北端にあるサンタ・スコラスティカ考古学博物館のファサード・・・

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旧市街の西側まで来ると、バーリ港でした。

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大型の観光フェリー船が停泊していました。ナポリ港には15万トンの巨大クルーズ船が停泊していましたが、バーリ港には2万トンクラスの観光フェリー船が停泊中でした。

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調べると、この船はイタリア船籍のAF Francesca号(AFフランチェスカ)、長さは148m、幅25m、総トン数 20,000トン、乗客定員2000人、客室数300、ベッド数860。

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(出展 http://www.adriaferries.com)

別の船は、キプロス船籍のMSリゲルIII号。総トン数 16,000トン、長さ136m、幅 24m 。定員1600人。

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(出展 wikipedia)

フェリーターミナルは風格に溢れた2階建てのピンクの建物。バーリ中央駅と似た感じです。

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旧市街西側にあるお城まで戻ってきました。

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このお城は窓もない随分と無愛想なお城でした。

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お城の空堀とエッジの利いた隅櫓・・・

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お城脇のジュゼッペ・マッサリ広場を歩いていきました。かつてはこの広場も海だったのではないかと想像します。

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バーリの新市街は都市計画に基づいた碁盤の目、斜めの大通りフランチェスコ・クリスピ通りを西方向に歩きました。

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(出展 Google)

ヴィットリオエマニュエーレ2世大通りの終点はガリバルディ広場公園でした。マッツィーニ以外のイタリア統一の英雄たちが勢揃いした街の造りでした。

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ガリバルディ広場公園では年金暮らし?の人たちがカードゲームに熱中。

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フランチェスコ・クリスピ通りを西の方に歩きました。

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おもちゃ屋さん・・・スパイダーマンやアナ雪が売れ筋。

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南北方向のエットーレ・フィエラモスカ通りを南に・・・このあたりは、中流階級のアパートという感じ。ナポリでもよく見たベランダと緑のシャッター。都心の便利な場所で職住近接の生活とは羨ましい限り。路上駐車が許可されている感じでした。

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東西方向のプリンチベ・アメデオ通りのアパート群、スカイラインはそれなりに揃えてありました。
バーリの新市街はどの街路も似通っていて識別のできない街でもありました。アパートには同じようなベランダと同じような緑か茶色のシャッターが付いていました。新市街は、ナポレオンの義弟でフランス人のミュラ(1767年~1815年:フランスの軍人、元帥。ナポリ王国の国王)の都市計画により造られた街だとかで、建物の仕様や用途地域まできっちり決められていたのかもしれません。
とにかく、これまで国内外の街を沢山歩いてきましたが、これだけ均一な顔をした街は初めてでした。

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ドメーニコ・ニコライ通りのピンクの建物群。右側はスーパーマーケット、ここも路上駐車はOKみたいです。

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バーリの街でもコンビニらしきお店は見掛けませんでした。キオスク風の雑貨屋さんがコンビニ替わり。

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駅前広場まで戻ってきました。この通りは幅広の大通りでバーリの最も繁華な場所ですが、オープン・カフェが一軒も見当たらない不思議さを感じました。通りの向こうはバーリ中央駅。駅前広場で明日の空港行きのバス停の場所と発車時間を確認しました。

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バーリは長い間ナポリ公国(両シチリア王国)に属した街でした。バーリの新市街がナポリに似ているのも考えてみれば当たり前。駅前の大きな公園は「ウンベルト1世広場」という名前が付いていました。ウンベルト1世はヴィトリオ・エマヌエーレ2世の子供で、ナポリの大通りの名前にもなった国王でした。
駅前公園(ウンベルト1世広場)のお寿司さん『Hanami』・・・pranzo(ランチ)19.9ユーロ(2600円)、cena (ディナー)23.9ユーロ(3100円)、お寿司は高級料理。このおすし屋の口コミ情報を読むと、バーリの人気店のようでした。
『(Google による翻訳) 優れた品質の時に用意された新鮮な食材、非常に迅速なテーブルサービス。それは価値がある、素晴らしい寿司!私は他の誰とも変わらない!。』

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ご飯が恋しくなっても、お寿司は高くて手が出ません。駅前をあちこち歩き回って中華を探しましたが、見つけられず、18時、夕食はケバブのお店にしました。

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ケバブライス3.5ユーロ、水1ユーロ、コーラ1.5ユーロ、しめて6ユーロ(780円)とリーズナブル。おいしかったです。

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19時、ホテルに戻り。4時間半のバーリの街歩きは無事終了しました。
当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月2日(水)バーリは晴れ、暑い。
ナポリ駅前からプルマンという長距離バスに乗車してバーリまで来ました。ナポリ駅前発10時45分、バーリ駅前13時45分着。高速道路を300kmくらい走りました。トイレ休憩なしでノンストップで3時間、電車より便利だと思いました。
イタリアは山あり谷ありで起伏があるせいか、風景はなんとなく日本的。車窓の新緑がなかなか快適でした。それでもバーリに近づくと平原になり、一面のオリーブ畑とブドウ畑でした。
駅前ホテルに14時過ぎにチェックイン。14時30分街歩きスタート。19時ホテルに戻り、夕食のケバブご飯が旨かったです。
バーリはイタリア南部のアドリア海に面した州都で人口30万の港湾都市、碁盤の目の新市街と不規則な狭い路地の旧市街がキッチリと分かれた街でした。旧市街の迷路のような狭い路地に面した建物のベランダには洗濯物が干していて、なんかナポリと似ていました。
初めてアドリア海を見ることができました。これまで、イタリアの大賑わいのメジャーな観光都市を歩いてきたので、久し振りにゆったりした地方都市のバーリでノンビリできて良かったです。
明日は、バーリ空港からシチリア島のパレルモを目指します。

翌日は、バーリ空港からLCCでシチリアのパレルモ空港に向かいました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-02-05 20:17 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月2日(水)イタリア その55 バーリ(4)

ヴィットリオ・エマニュエーレ2世大通りを右折して、お城の方に歩いて行きました。お城の前にいきなり旧市街が現れました。新市街のピカピカの建物とは間逆な、古めかしい不思議な建物がずらりと並んでいて、200年くらい前の世界にタイムスリップした気分でした。

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バーリの旧市街は東西600m、南北800mの縦長の敷地に固まっていました。北、東、西はアドリア海、南側が新市街と陸続き。南側はヴィトリオ・エマヌエーレ2世大通りでした。
これまで観てきたイタリアの街にはすべて城壁やその痕跡が揃っていました。街の地図を最初に見るとき、城壁を探すのが癖になってきました。バーリの旧市街は三方の海で囲まれた、外敵から守りやすい地形を選んで立地した感じです。今回のイタリア旅行の最終目的地ヴェローナはバーリと同様に三方を川で囲まれた中規模の都市で、南側の陸続きの部分には城壁が残っていました。
バーリの街の地図を見ると、東側の外周部には城壁が残されていました。西側にあるお城は、創建時にはナポリの卵城みたいに海に面した海城だったのではないかと想像します。気になる南側は、現在、ヴィトリオ・エマヌエーレ2世大通りですが、この通りは旧市街と新市街の境界。普通に考えれば、城壁は閉じて初めてその効果が発揮される訳で、この通りは城壁を壊して大通りに造り替えたのではないかと想像します。

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(出展 Google)

広場の端にあった建物のトンネルを潜りました。建物は白いペンキで塗ってあり、何かギリシア風、日差しがきついのかもしれません。この日は暑かったようで窓を開け放っています。洗濯物が堂々と干してあり、何処か別の国に来た気分になりました。

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旧市街は狭い路地が迷路のように不規則に繫がっている別世界、初めて経験する異次元の世界でした。

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路地裏で貝殻型のパスタを乾燥させていました。流石にパスタの本場イタリアです。

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建物の1階に通路を空けるやり方は、ローマ、ナポリでもよく見ました。狭い土地を有効利用するには優れたやり方です。日本では認められていないみたいですが、こうすれば、通路の上の空間を有効利用できるのは間違いありません。

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洗濯物を干してある路地の幅は2mもありません。余計なお世話かもしれませんが、火事が心配です。

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中庭みたいな広場に出ました。窓を開けて風を入れている様子でした。生活感が感じられる独特の気分があります。

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再び、お城に戻りました。大きな赤い石でできたお城で、防御能力は高い感じでも建物は窓が少なく無愛想。ノルマンの時代(11世紀)に創建、フリードリッヒ2世の統治下(13世紀)に再建。16世紀に堡塁と本丸が付け加えられたそうです。幅広の歩道脇の転落防止策の高さを低く抑えているのが気が利いているなと感じました。

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3ユーロ(390円)の入場料を払って、お城の中に入って見ました。遺構が展示されていました。

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このお城は変則4角形。建物の隅櫓、城壁の隅の出っ張りは、死角を無くし見通しを確保し、戦時には敵に十字砲火を浴びせることができます。このお城の城壁のエッジの利いた隅角部は、旧市街の東側の城壁とよく似ていました。

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お城の中庭・・・シンプルでした。

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階段を登って展示館の中に入って見ました。バーリ大聖堂のファサードの彫像を展示されているそうです。聖母マリアとキリスト、下の人たちは、12使徒でしょうか。

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上は聖母マリアとキリスト、天使。下の人たちは、キリストと12使徒でしょうか。

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ジオラマ・・・写真右側の城壁は海に接していました。かつてこのお城の西側は海だったことになります。現在は埋め立てられて道路になっていました。

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お城を後にして、バーリ大聖堂の参道を歩いて、大聖堂に向かいました。

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大聖堂のファサードはシンプル、バラ窓が付いていました。建築様式は典型的なプーリア・ロマネスク様式だとか。12世紀着工、1292年完成。バーリが十字軍遠征の中心都市だった時代の建造。

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バーリ大聖堂はルール通り、空から見ると十字架の形をしていて、ファサードは西側にありました。

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(出展 Google)

東側の祭壇と鐘楼。

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この大聖堂は、バーリ教区の司教座教会ですが、珍しいことに内部は極めてシンプルでした。十字架の交点のドームの真下に祭壇を置いていました。屋根は木製でした。

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旧市街の北側を歩いてサン・ニコラ教会を目指しました。カルミネ通りのカフェで一休みしました。1ユーロ(130円)のエスプレッソは美味しかったです。

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クロチアテ通りも狭い路地ですが、お土産物屋さんが並んでいました。

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路地裏通りを抜けると、サン・ニコラ教会の広場に出ました。バーリの守護聖人サン・ニコラを祀る教会。サン・ニコラはサンタクロース伝説を生んだ聖人だとか。建築様式は、ロマネスク。1089年着工、1197年完成。工期は108年。

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旧市街の東側を取り巻く城壁を潜り抜けました。振り返り見たサン・ニコラ教会、イルミネーションの用意ができていました。

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アドリア海はすぐでした。初めてアドリア海を見ました
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-02-04 05:06 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月2日(水)イタリア その54 バーリ(3)

高速バス、プルマンは定刻13時45分にバーリ中央駅の駅裏のバス停に到着しました。駅の地下通路を歩いて表の駅前広場に出ました。
バーリ中央駅のファサードはこじんまりとはしていましたが、これまで観てきたイタリアの建物の特徴を備えていました。多分、バロック様式の建物ではないかと思います。淡いピンクもいい感じでした。

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最初の仕事は駅の近くに予約したホテルにチェックインして、重い40Lのバックパックを降ろして身軽になること。

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(出展 Google)

ナポリでマストアイテムのスマホを掏られたので、ホテルの住所に記載された通りを探して歩きました。イタリアもそうですが、欧州の住所表記は日本と違って通リ名に地番が記載されています。「Via L.Zuppetta,10」と記載されたズッペッタ通りを探しました。イタリアの街では交差点の角に必ず通り名が記載された標識が付いていました。

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跨線橋を潜ると、ホテルの看板が見つかりました。

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ズッペッタ通りのホテルは割と簡単に見つかりました。ミラノ旧市街の曲がりくねったホテルを探し出すのは一苦労でしたが、バーリのホテルは新市街にあり、街割りは碁盤の目のように規則的。ホテルの建物はピンクでした。

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そもそも、バーリという街はどんな街なのか。全く予備知識がありません。
唯、地図を見た途端、非常に判り易い街だなと感じました。バーリはイタリア南部のアドリア海に面した州都で人口30万の港湾都市、碁盤の目の新市街と不規則な狭い路地の旧市街がキッチリと分かれた街でした。

「地球の歩き方2018~2019」

バーリには、ふたつの町がある。ひとつは、ブーリア州の首都として南イタリア最大の商工業都市である新市街。ナポレオンの義弟であった啓蒙思想家のミュラによって、都市計画に基づいて造られた町だ。道路は広く、碁盤の目のように交差している。バーリにはもうひとつの町は、北側に広がる旧市街だ。小高い丘の町である旧市街の坂道には、民家が建て込み迷路のようだ。旧市街の中心にはカテードラーレCattedraleが、北側には町の守護聖人を祀るサン・ニコラ教会SanNicolaがある。東側(西側?)の城Castellaはノルマンの王フリードリッヒ2世の手により建設された。

Wikipedia・・・

バーリ( Bari )は、イタリア共和国南部の都市で、その周辺地域を含む人口約32万人の基礎自治体(コムーネ)。プッリャ州の州都であり、バーリ県の県都である。
アドリア海に面した港湾都市であり、東地中海の国々と広範囲な貿易をおこなう商業の一大中心地である。サンタクロースのもととなった聖人ニコラオス(聖ニコラ)ゆかりの地として巡礼地ともなっている。
バーリの旧市街は岬にあって新旧の港をわけている。ここにサン・ニコラ聖堂(11~12世紀)と大聖堂(12世紀後半)という2つのロマネスク様式の教会がある。隣接する平野には新市街がひろがり、1924年創立のバーリ大学がある。
バーリは古代にはバリウムと呼ばれた。もとはギリシャの植民地で、後にローマの商業の中心地となった。その後はランゴバルド族、東ローマ帝国の支配を受けた。1071年、ノルマン人によって征服されたことで、東ローマ帝国の南イタリア支配が終わり、12世紀前半に成立したシチリア王国の統治下におかれた。第二次世界大戦中はイタリア海軍の主要な基地となったが、1943年9月には連合国軍に占領された。同年12月2日にドイツ空軍によって空襲が行われ、港湾施設などに多大な被害を受けた。

予約した駅前ホテルに14時10分チェックイン、14時40分街歩きスタート。
新市街を抜けて、北側(海側)の旧市街を目指して歩いていきました。歩行者専用の跨線橋は石造りの風格に溢れた橋でした。

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跨線橋に上ってみました。バーリ中央駅のプラットフォームはセパレート式、イタリアの駅は日本と似た感じです。

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線路脇の工業高校は、ピンクのバロック様式。1階は横目地、2階以上の窓には小さな屋根というか庇が付いていて、バーリにはこの手の建物が目立ちました。

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カヴール通りはバーリの新市街を南北に走るメーン通り。カヴールはイタリア統一の三傑のひとりだと思います。建物は真新しく、スカイラインも揃えられていました。

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真四角刈りこんだ街路樹には驚かされました。フランス人も同じように街路樹を四角や丸に剪定します。ラテン系の人たちの自然観は日本人のそれとは別物。

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脇道にもピンクのバロック様式の建物。

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カヴール通りをどんどん海の方に歩いて行きました。歩道の幅は5mくらいあって快適に歩けました。

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この建物もバロック様式の建物だと思います。装飾的な窓の小屋根やベランダで風格のある気分を出していました。スカイラインも綺麗に揃っています。

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ペトルツェリ劇場は、バーリで最大規模の劇場、イタリア第4位の大きな劇場とかで1903年完成。火災で屋根が焼けおちたとか。

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調べると、内部はゴージャスなオペラハウスでした。

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(出展 Wikipedia)
幅広の中央分離帯を北に歩きました。

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イタリア銀行バーリ支店・・・バーリは南イタリアの州都、大手銀行の支店もあります。

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商工会議所は淡いクリームのバロック様式。

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カヴール通りの最北端まで来ました。棕梠の樹とベンチ。

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マルゲリータ劇場・・・バーリは劇場が多い芸術の街かもしれません。

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ヴィトリオ・エマヌエーレ2世通りはバーリの東西の基幹道路。イタリア統一の英雄はイタリアの至る所に登場します。この大通りの歩道も幅広で、大きな棕梠の街路樹がずらりと並んでしました。

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ちょうど、フェスティバルのイルミネーションの準備中でした。

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大きな脇道は、趣向を凝らしたお洒落な街路でした。

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道路の入り口に大きな移動式の照明灯を置いていました。歩行者天国にして、人中心の街路にしてありました。車道に椅子代わりのブロックを沢山並べていました。

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ヴィトリオ・エマヌエーレ2世通りの幅広の歩道を歩いて行きました。馬のオブジェが置いてありました。

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バーリ県庁はピンクのバロック様式。

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通りの反対側の市役所は、ピッチーニ劇場と一緒の建物。ピッチーニはバーリ出身の音楽家。バーリは音楽も売りにしている街のようです。

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ニコロ・ヴィート・ピッチーニ(Niccolò Vito Piccinni、1728年~1800年)は、イタリアのオペラの作曲家。

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お目当ての旧市街はすぐでした。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-02-01 05:49 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月2日(水)イタリア その53 バーリ(2)

高速バス、プルマンは定刻10時45分にナポリ中央駅のバスターミナルを出発し、ナポリの新都心を後にしてバーリに向かいました。

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ナポリ市街地の高架道路を走りました。

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ヴェスビィオ山ともこれでお別れです。

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高速道路のランプが見えました。

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この大きな山は多分、パルテニオ州立公園の山、名前は不明。

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露天掘りの鉱山が見えました。

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プルマンは高速の料金所で一時停止。ナポリの高規格道路は都市内高速道路と都市間を連絡する高速道路の2種類、東京の首都高と東名や東北道の関係と似たような感じです。

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赤白のバーはETC用のバーだと思います。腕木に設置された頭上のカメラで赤白のバーを制御している感じです。赤白バーのないレーンもあるので、この料金所はETCと現金支払い併用、日本と同じ。


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この高速はA16ではないかと想像します。これまで、イギリス、フランス、ドイツ、スロバキアなどで高速道路走行を経験しましたが、高速道路自体の構造についてはどの国も差異は感じません。
調べると、A16は、ナポリとカノーザ(バーリの手前)を連絡する主要高速道路、延長は170km、供用開始は1969年で、今年で50歳。東名は、その開通が1969年なので、A16と同年齢。インフラは人間に似て50歳を過ぎるとあちこちに不具合が出てきます。イタリアの高速も老朽化という重い課題をどのようにクリヤーするかその対応に迫られていると思います。
この高速の運営管理は『Autostrade per l'Italia SpA』社。2002年にできた民間会社で、同社の主要株主はベネトン一族。イタリアの高速道路は早々と民営化路線に舵を切って、コンセッション方式を採用していました。2018年8月、ジェノバのモランディ橋が崩落するという大惨事が起きました。この橋は同社が運営管理するA10の橋なので、同社の管理物件。イタリア国土交通省は同社への事故責任を激しく追求しているようです。


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沿線の眺めは文句なしに素晴しかったです。イタリアの住環境も文句なく素晴らしい感じでした。

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ピンクの屋根と壁の住居が目立ちました。やはり、イタリア人はピンク好きな国民かもしれません。

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丘の頂上に住居・・・毎日、素晴しい眺めに囲まれた生活は羨ましい限り。

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一面のブドウ畑・・・

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一面のブドウ畑の向こうに豊かな光景が広がっていました。またしても、丘の上には大きな街が・・

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出発して1時間くらい経ちました。既に100kmは走っているので、このあたりはイタリア半島の背骨あたりではないかと思います。

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文句なしの眺めでした。

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風力発電も盛んな感じです。

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出発して2時間が経過しました。アドリア海沿岸の平野に入った感じでした。一面のブドウ畑が拡がっていました。

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出発して1時間40分経過、プルマンはA16の料金所を出ました。

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プルマンは、別の高速(多分、A14だと思います)に乗り換えて、バーリに向けて走りました。

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ビール工場?と送電鉄塔・・・バーリは南イタリアの主要工業都市、「Peroni(ペローニ)」はこれまで歩いてきた街々でよく販売されていました。
以下、wikipedia・・・

ペローニ (イタリア語: Birra Peroni)はイタリアのビール醸造会社。1846年にロンバルディア州のヴィジェーヴァノで創業され、2016年時点ではアサヒグループホールディングス社の傘下となりローマに本拠地を置く。
ペローニ社の主力商品はアルコール度数4.7%のペールラガー「ペローニ」と、度数5.1%のプレミアムラガー「ナストロ・アズーロ」である。「誰でも手軽に飲める」をコンセプトに低価格路線を採っているため、味もそれなりという批判もあるが、ピッツァのようなファーストフードには合うこともあって、イタリア国内のビール消費量ではトップクラスである[1]。


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13時40分、バーリの市街地に入りました。

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定刻13時45分にプルマンはバーリ鉄道駅の駅裏に無事到着しました。イタリアは鉄道、バスとも予想以上に正確な運行をする国で、正確さはドイツ以上かも知れません。

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40Lのバックパックと30Lのデイパックを抱えて、予約した駅前のホテルまで歩きました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-01-24 12:12 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月2日(水)イタリア その52 バーリ(1)

この日は、ナポリ中央駅のバスターミナルで高速バスに乗ってバーリに行きました。朝8時、ホテルの朝食はビュッフェ形式、青物野菜がないのはローマのホテルと同じでした。

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(出展 Google)

バスは10時45分発、時間はたっぷりとあるので、朝食を終えて、ベランダに出てみました。ホテルのベランダから見た中庭の様子にナポリの生活の一端を垣間見ることができました。洗濯物がベランダからぶら下がっているお馴染みの光景・・・駅に近い都心の1等地に住んでいるナポリの人たちは日本人の自分から見ると、なんとも幸せな人たちでもあります。

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中庭には所せましと車が駐車していました。都心に車が持てる状況も恵まれています。但、車の出し入れは相当なテクニックが要りそうです。

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イタリアの建物はこの緑のシャッターが目立ちました。板状の部品の一斉角度調整で採光が調整できる仕組みでした。

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ホテルのお向かいのアパートは1階が店舗階、2階以上が住居階。このパターンがナポリの建物の基本ルールみたいです。

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ホテル前のフィレンツェ通りは、ちょうど朝の通勤時なので車のラッシュとクラックションで随分騒々しかったです。一昔前の日本もこうだったのでしょうか。ナポリは不思議なエネルギーを感じる街でした。

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ホテルの部屋は随分と広い赤い部屋でした。

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10時、チェックアウト。少しおっかないボローニャ通りも明るいうちは平気です。ここを通り抜けてバスターミナルへ。

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ナポリ中央駅でイタリア入りして3回目のキャッシング、空っぽの財布に現金を補填して一安心。昨日の椿事で仮にクレジットカードを入れていた財布を掏られていたら、大事でした。自分にとって海外旅行のマストアイテムは、パスポート、クレジットカード、少額現金の3つ。この3点セットが揃っていれば、トラブルがあってもなんとかなります。これ以降、尻ポケットの使用禁止など危険分散を図りました。
これから、プルマンと呼ばれる長距離バスに乗って、バーリに向かいます。ガリバルディ広場も見納めです。

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バスターミナルはすぐでした。写真右手の青いバスは2階建て。先頭部分の2階席の眺めは文句なしに良さそうです。


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イタリアの高速バスは、バックミラーが犬の耳型のバスでした。

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昨日ここの切符売り場で切符を購入しました。指定席に着席して発車を待ちました。

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プルマンは、定刻10時45分に発車。目的地のバーリ着は13時45分、途中停車はありません。走行距離は概ね300km、所要時間は3時間。平均時速100kmとは恐るべき高速走行、料金も14ユーロ(1800円)と恐ろしくリーズナブル。ガリバルディ駅前広場ともお別れ。

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コルソ・ノヴァーラ通り・・・狭い道路が多いナポリにあって珍しく幅広の大通り。

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アクイラ通り・・・建物のスカイラインへの拘りを感じます。

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中国系のお店ですが、漢字の解読が困難でどんな商売をやっているのか、さっぱり見当が付きません。何となく旅行代理店のようにも思います。


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プルマンはナポリ中央駅の北側の道路を走ってICを目指しました。中央駅の北側にピカピカのオフィス街が現れました。

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昨日半日を掛けてナポリの古めかしい旧市街を歩いた自分には驚きの光景でした。

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調べると、チェントロ・ディレツィオナーレ・ディ・ナポリ(Centro Direzionale di Napoli)はナポリの新都心で、この都市計画は丹下健三が担当していました。丹下はボローニャの都市計画も担当していました。もしかしたら、旧市街の北にあるオフィス街(国際見本市)かもしれません。
ナポリの新都心の開発面積は110ha、1982年計画完了、1985年着工、1995年完成。1960年代半ばに衰退した工業地帯の跡地利用でした。イタリアを含む南ヨーロッパで建設された最初の高層ビル群だとか。市内中心部の交通混雑を解消する目的もあったそうです。そういえば、ミラノのミラノ・ポルタ・ガリバルディ駅前に高層ビル群がありましたが、ナポリの方が先輩格だということになります。
東京の汐留、西新宿、品川駅前などの新都心と似たような感じで、使用されなくなった都市インフラを別の都市インフラに置き換えるのは、どこの国も同じ。再開発のポイントがまとまった土地が割と簡単に手に入ることも万国共通のようです。

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(出展 Google)


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(出展 wikipedia)

プルマンはナポリの郊外で高速道路に入ってバーリを目指しました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-01-21 19:07 | イタリア | Comments(0)  

2018年5月1日(火)イタリア その51 ナポリ(6)

19時、トリブナリ通りとドゥオーモ通りの交差点まで来ました。ドゥオーモ通りは2車線の幅広の道路でした。

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ナポリ大聖堂(Cattedrale di San Gennaro)は交差点からすぐでした。大聖堂は、上空から見ると十字架の形をしていました。その方位は少しずれてはいましたが、ファサードが西面、祭壇が東面にあるなど、大聖堂のルールが適用されていました。

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(出展 Google)

この大聖堂はナポリの守護聖人ジェンナーロを祭る司教座教会。シチリア王カルロ1世の命で13世紀末に建設が始まり、14世紀初めに完成。19世紀にファサード部分が改築されました。瓶に入った聖ジェンナーロの血が液化するという奇跡で知られ、5月と9月に盛大な祭りが催されるそうです。建築様式はゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式、ネオゴシック様式の混合様式。この大聖堂は1349年、1688年、1732年の地震で被害と修復を繰り返していました。
大聖堂は、5世紀からこの場所にあった初期キリスト教の教会を壊して建造されたそうです。大聖堂は中世以降街のヘソでした。14世紀の欧州も教皇と国王のダブルスタンダードの世界だったはず、ナポリの支配者アンジュー家も大聖堂の建設に異論はなかったようです。


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内観は時間がないのでスルー。壮麗な祭壇をネットから転載しました。

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(出展 Wikipedia)

トリブナリ通りに戻って、ナポリ中央駅に向けて歩きました。

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午後からずっと歩きまわってきたので、夕食の場所を探していました。結局、ナポリ大聖堂の裏庭広場のレストランに決めました。この広場のオープンカフェの気分がなんかナポリの家庭的な下町の気分に溢れるいたからでした。

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大聖堂の裏側は、ピカピカの白いファサードとは真逆の、使い古された親しみを感じる気分がありました。着慣れてくたくたになった古着みたいな気分がいいなと感じました。

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「カラヴァッジョ」というお店でした。お店の案内は「建物内に食堂あり」という意味合いでしょうか。イタリア語、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語の順。

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このレストランは家族経営で、40代の快活で精力的なご主人(お店の入り口に立っているエプロン姿の男性)が社長兼注文取り兼会計担当、一家の大黒柱という感じでした。オカミさんは、控え目な感じで料理運び担当、ご主人を支える役割に徹している感じ。ひと昔前の日本の働き者夫婦という気分を感じました。

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オーダーしたパスタは、6ユーロ(780円)のナポリターノ。太目のパスタにコンビーフ入りのトマトベースのソースを絡ませていました。シンプルですが、モッチリした独特の歯ごたえがあって実に美味かったです。ビール込みで10.5ユーロ(1400円)。

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自分の隣のテーブルで子供たちが無邪気に遊んでいました。母親連中がたむろして遠くから子供たちを見守っていて、何かナポリの下町情緒がタップリ感じられました。

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20時、食事を終えて再びトリブナリ通りを歩きました。

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スパッカナポリの終点、カプアーノ城が近づいてきました。

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窓から盛大に洗濯物が干されていました。

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サンタ・カテリーナ・ア・フォルミエッロ教会(Chiesa di Santa Caterina a Formiello)は、古代ギリシア時代の城壁跡カルボナーラ通り沿いの教会、ルネッサンス様式の教会、着工1505年、完成1593年。

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この教会脇にカプアーナ門(Porta Capuana)が建っていました。カプアーナ門は、古代ギリシア時代の城門。

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(出展 wikipedia)

カプアーノ城は、「スパッカ・ナポリ」の東の端にある、白い壁が延々と続く大きなお城でした。
古代ギリシア時代の城壁跡カルボナーラ通りの内側(南側)にあるので、ナポリ旧市街を外敵から守る重要な要塞だったのではないかと思います。スペイン統治時代の1656年、ナポリは、40万の人口を抱えた大都市でした。同時期、明暦の大火(1657年)当時の江戸は人口80万(武士50万、町人30万)と言われており、ナポリは世界的にも巨大な都市だったことが判ります。

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陽が落ちて、壁面のバロック様式のモニュメントがライトアップされていました。

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カルボナーラ通りをガリバルディ広場の方へ歩いて行きました。


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20時、暮れなずむガリバルディ広場まで戻ってきました。向こうにヴェスビオ山が見えていました。この日は14時からナポリの街歩きを始めました。この広場でスマホを掏られる災難に遭いましたが、6時間の街歩きでナポリの定番の観光スポットを無事に回れました。定番の地図アプリ「Google Map」というマストアイテムを失いましたが、これ以降、地図と住所を頼りに旅行を続けることになりました。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・・

5月1日(火)ナポリは曇り後晴れ、暑い。
「白い矢」8873号は定刻11時57分にナポリ中央駅に着きました。駅前のホテルに12時過ぎにチェックイン。13時30分からナポリの街歩きを始めました。
ナポリは、何とも形容しがたい不思議な魅力に溢れた素晴らしい街でした。今日はイタリアもメーデーでお休み、お祝いやデモがありました。駅前の大通りを港方向に歩きました。サンタ・ルチア港からベスビオス火山が綺麗に見えました。銀座中央通り相当する?トレド通りは恐ろしいくらいの人出、年末のアメ横以上でした。
スパッカ・ナポリと呼ばれるナポリの下町で夕食にしました。ドゥオーモの裏手の広場の屋外レストランは、無邪気に遊ぶ子供たちを遠くから母親連中が見守っていて、何かナポリの下町情緒がタップリ感じられました。オーダーしたパスタは、6ユーロのナポリターノ。太目のパスタにコンビーフ入りのトマトベースのソースを絡ませていました。実に美味かったです。
20時にホテルに戻りました。実は14時過ぎに駅前広場でスリに遭い、スマホを抜き取られました。40前後の男性が自分のズボンの裾をいきなり触ってきました。そちらに気をとられている隙に別の人間が抜き取ったようです。イタリアは要注意と思い警戒していましたが、被害にあってショックでした。
大事なコンパスを無くしたので、明日からの苦戦が予想されますが、財布を抜き取られなかったのが、不幸中の幸いだと思っています。
明日は、バスに乗ってイタリア半島の踵にあるバーリに向かいます。

翌日、イタリア半島を横断してアドリア海に面した港湾都市バーリに向かいました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2019-01-20 10:59 | イタリア | Comments(0)