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2017年5月9日(火)ドイツⅡ その65 フランクフルト~上海(2)

上海行き中国東方航空220便は定刻14時40分にフランクフルト空港を出航しました。上海着が翌日の7時20分着、フライト時間は10時間40分。

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食事は普通に美味しかったです。


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前の座席の背もたれに設置されたモニターで3D地図を見ながら時間潰しをしました。航路はロシア上空を通過する大円航路のようでした。


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ジェット機は北京の上空で上海に方角を変えました。

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モニターの飛行高度10673m、外気温ー59度、時速916kmなど飛行時の状況がリアルタイムに更新されます。
驚かされたのは偏西風の時速117kmという猛烈な風速、秒速10mの風が時速36kmなので、秒速換算すると秒速33mに相当します。帰りはフォローの風で楽ですが、行きはアゲンストの風、時速100kmを超える風も想像を絶するものがありますが、その風に逆らって時速800kmの速度を維持できるジェット機の推進力にも驚かされます。


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ジェット機は上海上空まで達しました。プードン空港は巨大な長江の河口にあります。


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ジェット機は定刻7時20分に上海プードン空港に到着しました。


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巨大なターミナルの通路を延々と歩いてトランジットの手続き場所まで移動しました。トランジットのセルフチェックインには戸惑いましたが、何とかクリヤーできました。手荷物検査の担当者は去年の北京空港の検査官よりもフレンドリーだったように思いました。

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上海市内からの空港アクセスはリニア、高速道路、バスなど様々なアクセスがあるようです。

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時刻表には東京、羽田、沖縄、大阪、成田など懐かしい地名が沢山表示されていて、日本に近づいてきたことを実感できました。13時05分発羽田行きMU539便で帰国します。


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8時過ぎ、手荷物検査を無事終えて、待合ロビーで羽田行きの便を待ちました。13時05分発羽田行きMU539便までには約5時間の時間がありました。フランクフルト空港では空港の構造などを眺めながら時間潰しをしました。上海プードン空港でも同じことを試して時間を潰しました。
この搭乗ロビーの屋根の構造はユニークな形をしていました。簡単に言うと、飛行機の翼のような屋根になっていて、アーチ構造の梁に屋根を張り付けたイメージでした。アーチの支間は50m、下弦材がPC鋼線になっているようでした。アーチ梁のピッチは10m、この梁が延々と続いていました。端が見えないので長さは1キロメートルくらいはありそうでした。アーチ橋は普通上に凸型の形をしてますが、この空港では上下を逆さまにして下に凸にしていました。確か、ハンブルクのハーフェンシティの地下鉄駅舎も逆さアーチ構造でした。

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5時間の時間潰しも結構辛いものがあります。搭乗ロビーで日記替わりの記事をFBにアップしました。それにしてもこの空港は巨大の一言に尽きます。開港は何時かは知りませんが施設はピカピカでした。世界第2位の経済大国に相応しい国際空港という感じがしました。時折、日本語のアナウンスが流れてくるので、日本が近くなったことを実感しました。


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おなかが空いたので、搭乗ロビーのレストランで食事を摂りました。

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牛肉ライスは79元(1190円)はみそ汁とキンピラが付いた日本人にはありがたいワンプレート。総体に味が少し薄めでパンチに欠けていたのが残念、現地通貨の元は持っていませんが、カード使用がOKだったので助かりました。

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この空港では飲料水が無料で利用できました。中国や日本は、東アジアの温帯モンスーン気候で水が豊富な国、欧州では考えられないありがたいサービスです。星巴克珈琲(スターバックス)も出店していました。


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中国のおトイレは脚なし型、欧米と同じ合理的な選択だと感じます。

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島津製作所の宣伝がありました。1875年創業。中国語は簡単そうで理解するのが難しいです。

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羽田行きのジェット機の出航時刻が近づいてきました。

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当日のフェイスブックのアップした記事・・・

5月9日(火)上海は晴れ、気温は平年並みだろう。
フランクフルト発14時40分の中国東方航空220便は定刻7時20分に上海プードン空港に到着した。
トランジットのセルフチェックインには戸惑ったが何とかクリヤーできた。手荷物検査の担当者は去年の北京空港の人よりもフレンドリーだった。
まだ8時30分、13時00分発羽田行きMU539便までには時間があり過ぎる。
時間潰しも兼ねて搭乗ロビーでこの記事を書いている。それにしてもこの空港は巨大の一言に尽きる。開港は何時かは知らないが施設は新しい。世界第2位の経済大国に相応しい国際空港という感じがする。
この時刻は、ドイツ、ポーランド時間は夜中の2時30分に相当するので、今までは眠っている時間だ。11時間弱のフライトでもわずかにうつらうつらしただけなので徹夜状態でPCに向かっているようなものだ。
時折、日本語のアナウンスが流れる。日本が近くなった。
この搭乗ロビーの屋根の構造はユニークな形をしている。簡単に言うと、飛行機の翼のような屋根になっている。アーチ構造の梁に屋根を張り付けたイメージだ。アーチの支間は50m、下弦材がPC鋼線になっている。アーチ梁のピッチは10m、この梁が延々と続く。端が見えないので長さは1キロメートルくらいはありそうだ。アーチ橋は普通上に凸型の形をしているが、この空港では上下を逆さまにして下に凸にしている。
国際空港は国の威信を示すものでもある。世界中の空港を横並びで比べてみるのもなんか面白そうだ。

夕方には羽田に着くことができます。今回の2週間弱の旅行もようやく終わりに近づいてきました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-01-29 17:07 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月8日(月)ドイツⅡ その64 フランクフルト~上海(1)

今日で4月28日にフランクフルト空港駅からICE(新幹線)で旅を始めて11日目になりました。
フランクフルトは曇って寒かったです。そういえば、今回の旅行ではお天気にあまり恵まれなかった感じでした。フランクフルト空港発14時40分発の飛行機で上海に戻り、上海でトランジットして羽田に戻ります。そんな訳で久し振りにのんびりできました。
フランクフルト空港の地図を見ると工事箇所が意外にも沢山あることに気づきました。ホテルのある第2ターミナル周辺、反対側の第3ターミナルらしき工事場所やもうひとつの滑走路が増設中でした。この空港は、森の中に浮かぶ大きな島みたいな空港ですが、新規の航空需要に対応するために新規インフラ投資が盛んに行われている様子が伺われました。


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(出展 Google)

ホテルの窓からラウンドアバウトと新規開発の様子が見えました。空港関連のハコモノができるのかもしれません。ラウンドアバウトはポーランドでも見ましたが、ドイツでも定着しているように思いました。


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ホテルの客室は真新しくてお洒落、四つ星に相応しい備品が整っていました。


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朝、外から見たら、ホテルは意外にお洒落な外観でした。開業して間もない感じです。


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周りはお馴染みのホテルやドイツ国鉄のロジの会社などピカピカの建物が建っていました。


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何故か、DELLの建物もありました。去年のドイツ旅行では空港付近の別のホテルに泊りました。そのホテルの隣はIBMの研究所でした。IT関連企業は国際空港の近くだと何かのメリットがあるようです。


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タバコの自動販売機は日本みたいなパスモが必要な感じでした。ドイツは完全室内禁煙ですが、屋外は結構緩い印象がありました。1箱の本数は日本と違って20本、21本、22本、23本、27本、29本と様々、20本クラスで6ユーロ(750円)と日本の460円に比べて高めでした。


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ホテルを10時30分にチェックアウトして空港行きのシャトルバスに乗車しました。てっきり無料だと思ったら3.5ユーロ(440円)も取られました。グダンスクでは市内から空港まで3.2ズォティー(100円)だったので、料金というものは国で随分と違うもんだと思いました。バスは例のラウンドアバウトをぐるりと回って提携ホテルに立ち寄って、第2ターミナルに向かいました。乗客は一心不乱にスマホをいじっていました。何処の国でも同じです。


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途中、不思議な土留めに出会いました。深さ5mくらいのグランドアンカー付き自立型土留めのようですが、日本では見たことのない絵柄でした。グダンスクでは鋼管の切梁材を見ましたが、それぞれの国にそれぞれの流儀みたいなものがあるものだと感じました。


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シャトルバスは第2ターミナルに11時10分着。フラッグ・キャリヤのルフトハンザの黄色い幟がたくさん建っていました。


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チェックインカウンターのある1階のベンチで時間を潰しました。時間潰しに建物の構造をザックリ目測で調べてみました。
ターミナル2は幅が350m、奥行き100mくらいの巨大な建物でした。建物は5連のアーチ構造、アーチ支間は70m、高さは30m、ライズは1/7程度。アーチの支柱は20m真四角で高さは20m。アーチリブはトラス、鋼材は20cmと華奢な感じ。屋根は幅10mのトップライトと屋根板、材料は軽量のようでした。褄壁は全面透過型のガラスなので、今日みたいな曇りでも内部は明るいのが良いです。


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チェックイン12時50分完了、出国審査13時完了、セキュリティーチェック13時20分完了。最近、世界中のあちこちでテロが発生しています。セキュリティーチェックでは万歳の格好でくるくると回って写真撮影されました。検査員の愛想が良くて助かりました。


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上海行き中国東方航空220便は定刻14時40分に出航しました。


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当日のフェイスブックにアップした記事・・・


5月8日(月)フランクフルトは曇り、肌寒い。
フランクフルト空港の近くのホテルを10時30分にチェックアウトし、シャトルバスでターミナル2に11時10分に着いた。いくつかのホテルが共同出資したバスみたいで、他のホテルの玄関に停車しては客を拾って行く。
空港まで20分程度だが、ラウンドアバウトを2つ通った。ドイツで都合7つ見た事になる。普及、定着が進んでいるようだ。
上海行き中国東方航空220便は14時40分に出航する。3時間の時間潰しをどうするか。
フランクフルト空港はドイツ最大級の空港だ。ポーランドの小振りな空港に比べると実に巨大だ。何処に何があるかさっぱり見当がつかない。
時間潰しにベンチから見上げてこの空港の構造をザックリ調べて見た。
ターミナル2は、5連のアーチ構造。アーチ支間は70m、高さは30m、ライズは1/7。アーチリブはトラス、鋼材は20cmと華奢な感じ。屋根は幅10mのトップライトと屋根板、材料は不明だが軽いようだ。褄壁は全面透過型のガラス。今日みたいな曇りでも中は明るい。
一定の大きさがあると、ハコモノもインフラもありがたみが出てくる。『大きい事は良い事だ』と言った音楽家がいたが、その通りだろう。
この空港のありがたみは、簡易に仕上げたアーチ屋根で造られた高くて広い明るい内部空間だろう。
チェックイン、出国検査、セキュリティチェックを終えて、空港の奥行きも判ってきた。
ターミナル2は幅が350m、奥行き100mはありそうだ。

上海着が翌日の7時20分着、10時間40分の苦痛の時間が始まりました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-01-18 05:02 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月7日(日)ドイツⅡ その63 フランクフルト(2)

グダンスク発18時00分ポーランド航空3816便は定刻に出航しました。

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ワルシャワ空港に19時到着。

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トランジットの余裕時間は1時間15分でしたが、トランジットは手荷物検査はなく単に移動だけで済んだので問題はありませんでした。シェンゲン協定というのはいい仕組みだと思いました。

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ワルシャワ空港発20時15分ポーランド航空383便はジェット機でした。フランクフルト空港に22時10分に到着します。

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20時30分頃、暮れなずむ雲海。5月のヨーロッパの日の入りは遅いです。

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21時50分頃、ジェット機はフランクフルト空港上空に到達。

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定刻22時10分にジェット機はフランクフルト空港に到着しました。

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フランクフルト空港のホテルまではタクシーにしました。タクシー代は7.6ユーロ(950円)。ホテルの部屋からフランクフルト空港の第2ターミナルが良く見えました。

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ホテルの部屋でテレビをつけると、BBCがマクロン大統領の誕生を伝えていました。通信事情の良いドイツに戻ってこられたので、この日の日誌をフェイスブックにアップしました。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月7日(日)グダンスクは雨後曇り、寒い。
朝7時過ぎ、グダンスク本駅を手始めに街歩きを開始した。
この街の観光ホットスポットは本駅の東南に固まっていた。教会や市庁舎などメーンはすべて赤レンガで仕上げてある。
グダンスクは千年の歴史を持つ風格に溢れた街だった。大小様々な教会はそれぞれに素晴らしいがどちらかというと前菜かアラカルト、観光のメーンディシュは市庁舎のあるドゥーギ広場だろう。「黄金の門」を潜ると素晴らしい街並みが姿を現す。一番人気の市庁舎前でツアー客が写真を撮りまくっていた。
反対側の門を抜けるとモトワヴァバ運河が現れる。この運河河畔の景観にも驚かされた。建物と運河の間に広いところで20mくらいのスペースがある。カフェなどが並んでいて、建物は運河に向いている。観光舟運も盛んなようだった。
ヒルトンホテルが河畔のいい場所に立地していた。5つ星の超高級ホテルはこじんまりとした造りだった。建物のスカイラインに配慮したようだ。グダンスク空港の1階待合ロビーに「グダンスク・ヒルトン」が大々的に宣伝されていた。この河畔が5つ星ということだろうか。
11時にホテルに戻って12時にチェックアウト。駅前からバスで空港に向かった。途中、ラウンドアバウトを2つ通った。ポーランドにも信号なしの交差点が普及しているようだ。グダンスク空港はこじんまりとしているが、ピカピカでわかりやすい空港だった。
ポーランド航空18時00分発ワルシャワ行き3816便に乗り、ワルシャワでトランジットして22時10分にフランクフルトに到着した。
フランクフルト空港の近くのホテルでこの記事を書いている。4月28日にフランクフルトから旅を始めて10日振りに戻ってきた事になる。テレビをつけると、BBCがマクロン大統領の誕生を伝えていた。
明日の14時40分の中国東方航空の便で羽田に戻る。

この日は、午前中グダンスクの街歩き、午後からグダンスク、ワルシャワ、フランクフルト移動と忙しい一日でした。4月28日にフランクフルトから旅を始めて10日振りに戻ってきた事になります。大きなトラブルもなく無事にフランクフルトに戻ることができホッと一息できました。
明日、フランクフルト発の午後の便で帰国します。

以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-01-14 01:59 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月7日(日)ドイツⅡ その62 フランクフルト(1)

グダンスク本駅前の210線バス乗り場で空港行きバスを待ちました。1時間に1本しかないので乗り過ごさないように注意しました。13時13発空港行きバスに乗車、料金は3.2ズォティー(100円)。

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昨日、グダンスクに着いたのは夜中でした。今日は同じ路線でもお昼なので沿道の光景を観察できました。郊外にはピカピカの高層マンションが建っていました。

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ドイツでは日本車はあまり見掛けませんでしたが、ポーランドには日本車が結構走っていました。右ハンドルのトヨタのヴィッツも走っていました。

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ピカピカの空港アクセス線が完成していました。駅舎の色は大胆な赤で仕上げていました。

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クラインガルテンみたいな家庭菜園がグダンスク郊外にもありました。

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カラ松でしょうか。

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車内の黄色い検札機で切符を検札するのがルールでした。

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バスは3箇所のラウンドアバウトを通過しました。ポーランドでもラウンドアバウトが普及しているようでした。

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ピカピカの「グダンスク・レフ・ワレサ空港」に到着しました。

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空港鉄道駅もできたばかり。

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空港アクセス線は高架形式でした。新規鉄道や道路は地下化するのが欧州流だと思っていたので意外な思いがしました。地下化するのはお金も掛かるし、ここは土地もタップリあるので高架形式を選んだようです。

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13時50分、空港に到着。グダンスク中心部から40分のアクセス、お値段も文句なし。この空港のチェックインカウンターもピカピカでした。
グダンスク発18時00分のワルシャワ行き3816便の航空券を予約していました。ワルシャワでフランクフルト行きの飛行機に乗り換えます。シェンゲン協定加盟国間の移動とはいえ、安全を見込んで早めに到着しましたが、流石に早く着きすぎ、時間つぶしに腐心しました。

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ヒルトン・グダンスクの大きな垂れ幕が掲げられていました。例の顔の黒い「木造クレーン」や造船所の「鋼製クレーン」やヨットも描かれていました。モトワヴァ運河ウォーキングでこのホテル前も歩きましたが、ホテルも周りの水辺も文句なしに素晴らしかったです。

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今回の旅行ではルータを2種類持参しました。モバイルもスマホもこのルータ、ISP経由でネットに入っていました。グダンスクの通信事情は、ルータの能力不足なのかスマホには電波を届けましたが、モバイルにはできない状況でした。ホテルや空港などの無料Wifiを利用したこともありますが、自分の現在位置にいつも無料Wifiがある訳ではないので、持参のルーターは大事なマストアイテムでした。チェックインカウンターの隅のファストフードで昼食を摂りながら時間を潰しました。

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チェックインカウンターで搭乗券を発行してもらいました。客室持ち込みなら40Lと30Lのバックパックの合計2個なら無料。40Lのバックパックは客室の天井収納スペースに収まりました。この方が到着した空港で荷物を待つ時間が省略できるメリットもあります。

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手荷物検査を終えて、今度は搭乗ロビーで時間を潰しました。広々とした空港でした。アクセス道路には壁面緑化を施すなど環境への配慮を感じました。

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18時発の出航まで2時間弱時間がありました。

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この時は、仕方ないのでスマホでフェイスブックに記事をアップしました。

5月7日(日)グダンスクは雨のち曇りのち晴れ。
午前中にグダンスクの観光ホットスポットを見終えた。
グダンスク空港の搭乗ロビーでこの記事を書いている。
ルータの能力不足なのかスマホには電波を届けるが、モバイルにはできない。写真はスマホを使わないので、ネタが空状態だ。
搭乗ロビーでポーランド航空18時00分発ワルシャワ行き3816便を待っている。ワルシャワでトランジットしてフランクフルトに22時10分に到着する。
ようやく旅も最終ステージに入った。明日、フランクフルトから羽田に戻る。今回は何故か睡眠不足で活動力が低下した気がする。年齢を考慮した旅程を検討する時期かもしれない。

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ポーランド航空18時00分発ワルシャワ行き3816便は定刻に出航、ワルシャワ空港に19時10分に到着します。ポーランド航空機はプロペラ機でした。

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ワルシャワでトランジットして22時10分にフランクフルトに到着する予定です。今回の旅行もいよいよ最終ステージに近づいてきました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2018-01-07 18:48 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月7日(日)ドイツⅡ その61 グダンスク(6)

10時過ぎ、モトワヴァ運河河畔から聖マリア教会を目指して旧市街に入りました。
旧市街の街並みは、赤い三角屋根の建物が道路沿いに綺麗にずらりと並んでいて、内部は中庭になっていました。この街区パターンは欧州の各地でよく見掛けました。
その中で聖マリア教会は圧倒的な大きさを誇っていて、旧市街の中心的な存在のようでした。

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(出展 Google)

「木造クレーン」の門から旧市街に入りました。運河沿いの面は真っ黒ですが、市街地から見ると普通の赤レンガの建物でした。地味目なパステルカラーの建物は集合住宅だと思います。道路を駐車場にしてありました。

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所々、運河沿いの建物に通行門が設置されていて、運河と市街地を連絡していました。

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この通りの建物は入口に階段が付いていました。奥に聖マリア教会の尖塔が見えていました。

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ピンクの壁の建物は聖マリア教会の脇にある「王室礼拝堂」。1681年完成、グダンスクの黄金時代の作品。広場のライオン像にお客が集まっていました。


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聖マリア教会は修復工事中。欧州の旧市街は何処へ行っても歴史的な建造物は何処か補修中でした。


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聖マリア教会は赤レンガの大きな教会でした。1343年~1502年の約160年を掛けて建造されたそうです。1361年、グダンスクはハンザ同盟都市になりました。この教会はグダンスクの発展期に建造されていました。ケルン大聖堂の600年を筆頭に日本人から見て異常に長い建設工期の理由は一体どういう事か?
建設工事には①図面②材料③職人④お金⑤土地7合意形成などが必要です。バルセロナのサクラダファミリア教会はすでに130年以上の時間を掛けて今でも建設途中です。宗教施設の場合は、材料や仕上げレベルの高さが効いてくるのかもしれません。聖マリア教会の場合は、ハイレベルな仕上げをするための建設資金がまとまって調達できなかったためかもしれません。商人などの寄付で一定額の建設資金が調達できた段階で部分的に工事を行なう。その繰り返しで160年という時間が必要だったのではないかと推測します。
もう一つは「継ぎ足しの思想」もあったのではないかと思います。最初は小さい教会でしたが、経済力の増加に伴い設計変更を重ねて段々と大きくなったのではないか。小さい教会に外から被せるように柱や屋根を重ねて行ったのではないか。フランスのツールの大聖堂やドイツのシュットガルトの教会がそんな感じでした。
とにかく、この教会は完成後500年間に亘りグダンスクの変遷を観てきたコアな建物だと思います。大阪人にとっての大阪城、名古屋人にとっての名古屋城みたいなものでしょう。ファサードの高さは78m、市庁舎の82mと並んでランドマークの機能は今でも十分。


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聖マリア教会前の広場に、教会のレプリカが展示されていました。

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ブレーメン、リューベックにはカトリックの大聖堂がありました。同じハンザ同盟都市グダンスクには大聖堂は見当たりません。どうも司教が居なかったようです。それでも、聖マリア教会は大聖堂と同等の骨格を持っていました。上空から見ると十字架の形、ファサードは西向き、教会の長手軸が東西方向に向くなど大聖堂の基本ルールが感じられました。


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(出展 Google)

聖マリア教会脇の街路を歩いて行くと、「大武器庫」という建物に突き当たりました。


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豪華で精巧な彫刻のある建物で1605年の作品。

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振り返って見た聖マリア教会と建物群。

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ラドゥニ運河まで戻ってきました。

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建物にグダンスクの昔の絵図面が掲示されていました。絵図左に聖マリア教会、市庁舎が描かれていました。市庁舎が1561年完成なので、この絵図は16世紀後半~17世紀の黄金期にグダンスク。右手の大きな建物2棟は現在ではよく確認できません。第2次大戦の戦災で焼失したままなのかもしれません。手前の稲妻型の土塁と運河は旧市街の防衛インフラ、現在は道路や鉄道に変わっていました。

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絵図右端の門と橋が旧市街の入り口「高い門」かもしれません。絵図上のバルト海には沢山の帆船が浮かんでいてグダンスクの繁栄振りが伺えます。


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旧市街の南側だと思います。稲妻型運河に帆船が浮かんでいます。田園地区には風車が4基描かれていました。排水用兼製粉用の風車ではないかと思います。


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黄色い作業服の人が、旧市庁舎前の歩道を掃除していました。

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作業員の人たちのお蔭で綺麗な街並みが維持されていました。


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グダンスク本駅まで戻ってきました。

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緑の高層ビルが見えてきました。新市街のランドマークは初めての旅行者にはありがたい目印。

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歩道に奇妙な壁が展示されていました。ベルリンのポツダム駅広場でベルリンの壁が展示されていたことを想い出しました。もしかして、その壁の一部をグダンスクに運んできたのかもしれません。1989年のベルリン壁の崩壊を受けて、1990年「連帯」指導者だったレフ・ワレサがポーランド大統領ポーランドに就任しました。レフ・ワレサはグダンスクの造船所の労働者だったそうです。

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朝ホテルの窓から見えた「欧州連帯センター」と記念塔まで戻ってきました。よくよく考えると世界史に記載されるくらい大きな事件のあった場所にいるわけですが、歩いている時はそのような感慨などありませんでした。

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11時、ホテルに戻りました。写真左の白い建物が泊まったホテル、「欧州連帯センター」の傍にありました。

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ホテルはモトワヴァ川の中の島の近くに立地していました。折角の機会なので、造船所の方まで歩いてみました。かつてグダンスクはダンツィヒと呼ばれていた時代は軍港でした。その名残も沢山残されているようです。

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古めかしいアパートの向こうに造船所のクレーンが見えていました。

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造船所のクレーンはいささか旧式な感じがしました。造船不況なのか新規投資が滞っているように見受けられました。時間がなくなってきたのでホテルに引き返しました。


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12時、ホテルをチェックアウト。受付の女性は親切で英語も達者でした。空港への行き方と両替所の場所を丁寧に教えてもらいました。
本駅の前にあるピカピカのショッピングセンターに入りました。グダンスクの赤レンガをコンセプトにしたデザインかもしれません。

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ショッピングセンターはクラクフと似てお洒落なデザインでした。

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両替屋さんはショッピングセンターの地下にありました。朝イチに駅のATMで60ズォティー(1900円)のつもりが600ズォティー(18600円)をキャッシングするという大失態を演じました。市中の両替所の方が空港などより為替ロスが少なくて済みそうだと思いました。
ズォティーから日本円への両替ができないので、ユーロに両替しました。600ズォティー(18600円)⇒140ユーロ(16400円)、差額の2200円は両替手数料。この程度の損失で済んで良かったと思います。

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知り合いの人たちのお土産にチョコレートなどを買いました。支払いはカードと余りの小銭の混合支払いができました。一応、物価調査もしました。お肉コーナーでは豚と鶏のみで牛は見当たりませんでした。

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駅前の新市街地区には高層ビルやメルキュールホテルが建っていました。建築中のビルなど新規投資もあり、元気さを感じました。

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13時、グダンスク本駅前のバス乗り場に着きました。

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朝7時から13時までたかだか6時間の街歩きでしたが、グダンスクに来て良かったなと思いました。
これから、バスで空港に向かい、旅の出発点であるフランクフルトに戻りました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-01-06 19:37 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月7日(日)ドイツⅡ その60 グダンスク(5)

ドゥーギ広場の「緑の門」を出ると、モトワヴァ運河に出ました。ジェロニー橋から運河が一望できました。運河は写真下から上に流れています。グダンスクの伝統的な赤を基調とした建物が運河左岸にずらりと並んでいました。
生憎の曇り空でしたが、文句なしの素晴らしい水辺が拡がっていました。今回の旅行先にグダンスクを選んで正解だったなと思いました。それくらい、モトワヴァ運河沿いの約800mの水辺は、価値が高かったと思います。


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最初にモトワヴァ運河を渡って中の島の再開発地区をぐるりと歩きました。

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(出展 Google)

モトワヴァ運河の右岸はボードウォークになっていました。モトワヴァ運河の流路幅は約50m。


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振り返って見た「緑の門」とジェロニー橋。
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観覧車がある中の島は、再開発地区でした。写真は、既設の建物の地下室を撤去した直後だと思います。土留め用の切梁は円形の鋼管、日本では見たことのない光景というか、あり得ない光景です。日本では切梁材としてH型をした鋼材を使うのが普通です。円形の鋼管は、構造的には座屈に対して強弱がないので合理的ですが、日本ではお値段が高いので使われません。土留めの壁は本体壁兼用だと思います。ポーランドは水平ジブクレーン派、日本はタワークレーン派でもあり、好みの違い程度のことかもしれません。いい悪いではなく、それぞれの国毎に違った流儀があるということでしょうか。


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完成予想図には運河沿いの賑わいの様子が描かれていました。

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運河沿いの白を基調とした建物群はマンションだとか。


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背の高い黒い建物はハンザ同盟都市として活躍したグダンスク名物の「木造クレーン」。跳ねだした頂部にウィンチでも取り付けて、接岸した船の荷揚げ、荷卸しをしていたようです。顔に当たる部分が真っ黒なのでちょっと恐い気分がありました。

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中の島の白い壁は海洋博物館。


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再開発地区の古い建物の壁にアーチ支保工を設置してありました。この壁を再利用するようです。この辺りが欧州の「つぎはぎ流」、「使いまわし」の思想を感じさせる光景です。空き家問題が顕在化した日本も彼らのリノベーションのテクニックを参考にできるのではと感じます。

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東側の運河沿いは、マリーナになっていました。建物群はマンションだそうです。

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マリーナには、沢山のヨットが停泊していました。東側の運河は写真上から下に流れています。

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「緑の門」の通りまで戻りました。写真正面がマリーナ。写真左が中の島。

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観覧車と「緑の門」。

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再び、モトワヴァ運河に戻ってきました。観光舟運は盛んな感じでした。下段の遊歩道と水面の高低差は2m弱、上段で3m弱、転落防止柵が全線に設置されていました。


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モトワヴァ運河の左岸河畔を下流に向けて歩きました。運河ウォーキングのハイライト部分でした。運河沿いの遊歩道の幅は、上段、下段合わせて20mくらいありました。デュッセルドルフのライン河畔の遊歩道ほど広くはありませんが、遊歩道の幅が15~20mあると快適に歩くことができます。


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2隻の観光船が停泊してました。観光舟運は盛んなようでした。今日は生憎日本でいえば真冬並みの寒さで曇り、日曜日でもお客はいませんでした。


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黒塗りの帆船は水上レストランだと思います。

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常設のカフェの脇を歩いて行きました。正面に例の黒い顔をした「木造クレーン」が見えていました。

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運河沿いの建物群は、伝統的な形式で、壁面と屋根のスカイラインを見事に揃えていました。しかも、建物は運河にしっかりと向いていました。通常、建物と川の間に車道があれば、建物は必然的に川を向きます。しかし、この運河には車道はありません。グダンスクは中世からハンザ同盟都市であったため、産業舟運が盛んでした。運河はある意味当時の「道路」でしたので、建物が運河を向くのは必定。この時の街並みがグダンスク市民の努力で現在まで維持されてきたということでしょうか。
現在は、産業舟運はバルト海に直接面した水深のあるグディニア港という外港に譲り、グダンスクは観光舟運や水上レジャーをターゲットにしているようでした。


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写真左の青い建物は五つ星のヒルトンホテル。ヒルトンも周りの建物と屋根を揃えていました。この辺りはピカピカでお洒落なデザインの建物になっていました。


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ヒルトン前の河畔遊歩道からの運河の眺めも文句なしに良かったです。


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振り返って見たモトワヴァ運河。運河は写真上から下に流れています。写真左側は中の島。

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写真左の赤レンガの建物はショパンフィルハーモニー。大きな船舶も停泊していました。

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Uターンして河畔を歩いて聖マリア教会に向かいました。お天気が良ければ、この辺りのカフェでビールを一杯呑んだことでしょう。


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当日にフェイスブックにアップした記事・・・グダンスクではモバイルが電波を拾えなかったのでフランクフルトのホテルでアップしました。

5月7日(日)グダンスクは雨後曇り、寒い。
朝7時過ぎ、グダンスク本駅を手始めに街歩きを開始した。
この街の観光ホットスポットは本駅の東南に固まっていた。教会や市庁舎などメーンはすべて赤レンガで仕上げてある。
グダンスクは千年の歴史を持つ風格に溢れた街だった。大小様々な教会はそれぞれに素晴らしいがどちらかというと前菜かアラカルト、観光のメーンディシュは市庁舎のあるドゥーギ広場だろう。「黄金の門」を潜ると素晴らしい街並みが姿を現す。一番人気の市庁舎前でツアー客が写真を撮りまくっていた。
反対側の門を抜けるとモトワヴァバ運河が現れる。この運河河畔の景観にも驚かされた。建物と運河の間に広いところで20mくらいのスペースがある。カフェなどが並んでいて、建物は運河に向いている。観光舟運も盛んなようだった。
ヒルトンホテルが河畔のいい場所に立地していた。5つ星の超高級ホテルはこじんまりとした造りだった。建物のスカイラインに配慮したようだ。グダンスク空港の1階待合ロビーに「グダンスク・ヒルトン」が大々的に宣伝されていた。この河畔が5つ星ということだろうか。
(省略)

運河河畔から旧市街に入って聖マリア教会を目指して歩きました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-01-04 08:54 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月7日(日)ドイツⅡ その59 グダンスク(4)

グダンスクの街中にはモトワヴァ運河が流れていました。モトワヴァ運河はモトワヴァ川の一部で、モトワヴァ川は、ヴィスワ川の派川だと思います。

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(出展 Google)

自称川屋にはグダンスクの川や運河が大変気になりました。
グダンスクは、ヴィスワ川の河口、ワルシャワは中流、クラクフは上流にあります。今回の旅行でたまたま選択したポーランドの3都市は、意外にもヴィスワ川繋がりでした。
ヴィスワ川はバルト海に注ぐ東欧の大河ですが、河口のグダンスク周囲には独特の地形が形成されていました。地図右側にはヴィスワ川が運んだ土砂が砂州となって堆積し、内側に巨大な潟湖が出来上がっていました。干拓すれば大きな農耕地もできそうですが、ポーランドはオランダと違って国土には余裕がタップリありそうなのでその必要もなさそうです。それにしても、この砂州のRの真円度の高さにも驚かされます。自然の営力の凄さを感じます。
中世のグダンスクの絵図面には下の地図の放水路はありません。ヴィスワ川は、河口手前で左側のグダンスクと右側の潟湖に分派していました。グダンスクはヴィスワ川が作った低平地にあるため、常襲的に洪水被害に悩まされていたようです。

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(出展 Google)

調べると、グダンスク市街地の東側に放水路が2本開削されていました。
1840年に第一次ヴィスワ川放水路、1895年に第二次ヴィスワ放水路が開削されていました。第一次の放水路では洪水流を吐き切らなかったのかもしれません。潟湖にはヴィスワ川の派川Nogat川も流入していました。
この状況を見て新潟市を思い起こしました。新潟市を流れる信濃川の河口から約40km上流の大河津に放水路(分水路)があり、市内には関屋分水路があります。新潟市自体は信濃川が運んで来た土砂が堆積した場所に立地した、日本海側を代表する大きな都市です。新潟平野の人たちは、大河津分水路(1922年完成)が完成する前には信濃川の度重なる氾濫に悩まされていました。分水路の完成で市内の信濃川には洪水が流れなくなったため、川幅を3分の1程度に縮小でき、洪水の被害もなくなりました。
グダンスクは日本でいえば新潟に似た都市ではないかとも思います。グダンスクは、ヴィスワ川の河口に立地した2本の放水路を持つ港湾都市、新潟市は信濃川の河口に立地、同じく2本の放水路を持つ港湾都市という訳です。


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(出展 Wikipedia)


グダンスクは、中世からハンザ同盟都市として繁栄してきた港町でした。稲妻型運河はハンザ同盟都市に共通した防衛インフラで、ブレーメン、ハンブルク、リューベックでも同じものがありました。17世紀のグダンスクの絵図面には西側にも稲妻型運河が描かれていました。現在、その運河は駅前の幹線道路や鉄道に変わっていました。


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(出展 Google)

ポーランドの歴史は、11世紀中頃から1600年頃までは首都のあったクラクフ、それ以降現在までは首都ワルシャワの2つの大都市を中心に展開されてきたように思います。
グダンスクは中世から自治都市、ハンザ同盟の貿易都市として、独自の発展をしてきた都市国家みたいな街のように思えます。自治権を持つとともに、納税や兵役などの義務を免除された「政治・経済特区」だったのではないかと思います。調べると、グダンスクはドイツ騎士団との確執や何度か他国の支配を受けるなど複雑な歴史がありました。

・980年ごろポーランドのミェシュコ1世がグダンスクに砦を建設。
・1235年、グダンスク自治権を得る。1224年、リューベックと似た都市法を確立した。(リューベックは1226年、都市基本法を制定)
・1308年、グダンスクは、ドイツ騎士団により管理され、植民地化される。ドイツ騎士団との確執が始まるも経済成長。
・1361年、グダンスク、ハンザ同盟に加盟。輸出品は、穀物(特に小麦)、木材、炭酸カリウム、タールをヴィスワ川の舟運網を利用。
・1410年、ポーランド王国、グルンヴァルトの戦いでドイツ騎士団に勝利。グダンスク市民はドイツ騎士団支配を嫌っており、ポーランド側に加盟。
・1457年、ポーランド王とともに13年戦争でドイツ騎士団に勝利、ポーランド王からポーランド王国の自治都市としての特権を得る。ポーランド国内の市場参加も認められる。
・ ポーランド王国の直接の庇護を得た16世紀と17世紀は、グダンスクの貿易と文化にとって「黄金時代」。

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(出展 Wikipedia)

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(出展 Wikipedia)

多民族の住民が混住することにより、街は繁栄を極める。カトリック教徒との深刻な対立はみられなかった。ポーランド王国には一貫して民族・人種・宗派・宗教の違いを受け入れる寛容な風土があったからである。
・1734年、グダンスク攻囲戦ではロシアに占領される。1793年、第2次ポーランド分割により、グダンスクはプロイセン王国に併合され、公式名称も「ダンツィヒ」に変更。ダンツィヒでは住民のドイツ文化への同化政策が徹底的に行われ、住民の多くはドイツ人(バルト・ドイツ人)となっていった。

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(出展 Wikipedia)

・第一次世界大戦後はヴェルサイユ条約によりドイツ領から切り離され、どの国にも属さない国際連盟保護下の「自由都市ダンツィヒ」となる。堤防が破損し、氾濫が頻発する。
・1939年、ポーランド侵攻に際して、グダンスクはドイツに占領される。グダンスクはドイツ軍と連合国軍との激しい戦闘により大半が破壊された。
・1952年、ポーランドが独立を回復すると、もとの「グダンスク」を公式名称としてポーランド領に編入。159年ぶりにポーランド領へ復帰。旧市街など、戦争で廃墟となっていた市街地は、残された資料をもとにポーランド人の手によって完全に復元される。
・1990年、「連帯」指導者だったレフ・ワレサがポーランド大統領。現在のグダンスクはポーランド最大の観光地の一つで、内外の多くの観光客でにぎわい、また主要貿易港の一つでもある。ポーランド北部の文化の中心地でもあり、ポーランド市民が精密に復元したグダンスク旧市街はその文化的価値が認められ、そう遠くないうちに世界遺産として正式登録される見込みである。

以上、長々とグダンスクの治水や歴史・文化に触れてきました。本末転倒な話しですが、実態的にはこのような知識はほとんど持たずにグダンスクを歩きました。予備知識なしでも素晴らしい街並みや水辺を楽しむことができたのは、詰まる所、グダンスク自体の観光的価値が高かったということになります。今から思うと、一定の予備知識があった方がより楽しみや理解が深まったと思います。
ドゥーギ広場の出口にある「緑の門」を潜り抜けてモトワヴァ運河に出ました。


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以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-01-02 21:11 | ドイツⅡ | Comments(0)