スカラ座前のマンゾーニ通りをプッブリチ公園の方に歩きました。マンゾーニ通りは旧市街のコルドゥーシオ広場から北に向かうメーンの放射道路でした。

(出展 Google)
マンゾーニ通りは、スカイラインを揃えたクラシックな「横目地」の建物がズラリと並んでいました。路面は石畳み、路面電車の軌道は2本で、車と電車の混在交通。街路に目を遣ると、流石に電線・電柱はないものの、UFO風の不思議な物体が青空に浮かんでいました。UFOは架空線に支えられていました。碍子らしきものが付いているので、どうも照明灯ではないかと思いました。
マンゾーニ通りは電車と車が混在する忙しい基幹道路、おまけに歩道の幅が広くはありません。照明柱を建てると、狭い歩道がさらに狭くなり、歩きの観光客の支障になるからこのような作戦に出たのではと考えてみました。照明柱は街路の景観や運転の視界確保に支障するという考え方もあるでしょう。この通りを夜歩いた訳ではないので、その照明的な効果は不明ですが、高いところから光線で街を照らすので意外に良いのかもしれません。

このピンクの建物は、ポルディ・ペッツォーリ美術館 (Museo Poldi Pezzoli) 。ミラノの貴族であった美術収集家ポルディ・ペッツォーリの私邸を美術館として公開しているそうです。建物はポルディ・ペッツォーリが亡くなった1879年に、コレクションとともにミラノ市に寄贈されたとか。貴族やお金持ちのパトロンで「芸術の街ミラノ」は支えられているようです。それにしても、パステルカラー風のピンクもミラノの街の気分に良く馴染んでいるように感じました。

2017年5月のドイツ旅行で見た、ベルリンのウンターリンデンのピンクのオペラ座も良い気分を出していました。淡いピンクの建物は意外にいけるものだと感じました。

(オペラ座:ベルリンのウンターデンリンデン)
クラシックな路面電車が通り過ぎました。行き先に城門が見えてきました。
マンゾーニ通りの城門の手前から、スピガ通りという幅4mほどの石畳の露地がリングに沿って伸びていました。このような路地裏もミラノの観光の隠れたホットスポットのように感じました。なんかこの露地を歩いてみたい気分になりましたが、時間がないので、先を急ぎました。

マンゾーニ通りから少し入り込むと、このような建物もありました。かって邸宅だったポルディ・ペッツォーリ美術館でした。先に見た大きなピンクのポルディ・ペッツォーリ美術館とは別の、もうひとつの美術館で、こちらの方かホンチャンかもしれません。
以下、渋谷のBunkamuraのホームページから・・・
スカラ座やドゥオーモにすぐ近いミラノの中心地にあり、ヨーロッパで最も優雅な邸宅美術館と言われているポルディ・ペッツォーリ美術館は1881年に開館しました。
ミラノ有数の貴族ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリは1822年7月27日にミラノに生まれ、祖父からパルマのポルディ家の、祖母からはベルガモの貴族ペッツォーリ家の莫大な遺産を相続し、先祖代々の素晴らしい財産を受け継ぎました。17世紀に建てられたミラノの邸宅は、当時からミラノで最も美しい館としてガイドブックにかかれるほどで、さらにミラノ有数の貴族トリヴルツィオ家との婚姻関係により、ポルディ・ペッツォーリ家のコレクションは充実したものとなりました。・・・

ミラノの旧市街は直径2km程度のリング上の道路で囲まれていました。先ほどの路地裏通りもリングに一部だと思います。この城門は外部との連絡口、歴史的な建造物としてしっかり保存されていました。
この城門を出ると、すぐにプッブリチ公園でした。

公園の手前に広場があり、大きな彫像が建っていました。カヴールという人物でした。調べると、カヴールは、イタリアを統一したサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の部下でサルデーニャ王国の首相を勤めた政治家、イタリア統一運動では、外交により統一戦争を進め、ガリバルディ、マッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」と称されるとか。このカブールもイタリア各所で見かけた人物でした。

プッブリチ公園の入り口の鉄柵・・・お洒落なデザインでした。
実に広々として緑の濃い公園でした。大きな木の下のベンチで一休みしました。お隣の年配の男性は持参した本を静かに読んでいました。
公園の外周部に空堀がありました。最近、「ブラタモリ」風に街を探索するようになりました。タモリさんの地形、地質や岩石への拘りに大いに共感を覚えます。
この不思議な石積みは何か?街中の建物の石材と似た岩石を積み石にしてありました。やはり、「集塊岩」だろうとと思いました。
公園で一休みした後、街歩きを再開しました。外周道路のリングから例の城門を見ると、まるで建物に食い込んでいるように見えますが、一応、縁は切ってありました。
マンゾーニ通りを戻って、ブレラ美術館に向かいました。時刻は17時過ぎ、車が混んできました。イタリアはヨーロッパでも低緯度、20時あたりから暗くなってきます。少し急がないと、陽のあるうちにホテルに戻れなくなります。
トヨタ製のハイブリッド車のタクシーが4台並んでが客待ちをしていました。イタリアでは日本車が多かったように記憶しています。
大理石製の階段状の風変わりなモニュメントが目に入りました。サンドロ・ペルティーニのモニュメントというそうです。反対側は泉になっていて、隣はアルマーニでした。サンドロ・ペルティーニは、戦時中は反ファシスト活動家であり、後に第7代イタリア大統領となった人で、1945年ムッソリーニやファシズム指導者を処刑台に送り込んだ中心人物だとか。その蜂起を宣言したのがミラノだったことで、1990年、彼が逝去した年にこのモニュメントが建てられたそうです。
ブレラ絵画館を目指して、ボルゴ・ヌウォーヴォ通りという路地裏通りを歩きました。
この路地裏通りに、どちらかというとひっそりと「ジョルジオ・アルマーニ」のお店が建っていました。「ジョルジオ・アルマーニ」はファッション業界で最も権威のあるブランドだそうで、ミラノは世界のファッション界のリーダーだとか。ファッションに無縁な自分には縁遠いお店ですが、その筋の人には興味深いお店かもしれません。

ブレラ絵画館はすぐでした。この通りの照明はUFOではなく、通常の街路灯でした。幅広な道路のためかも知れませんが、その使い分けは不明です。
欧州の街中の建物は、街路に面した建物の外見は地味でも中に入ると立派で大きな中庭がついていて、驚かされることがよくありました。ブレラ絵画館の内部も立派な回廊式の中庭になっていました。

カノーヴァ作の「ナポレオン1世の銅像」・・・ミラノ市民は、当時のミラノを支配していた外国勢力からの解放を彼に託したのではと思います。


この絵画館は中世の絵画を展示しているそうです。時間もないし、もともと絵画には興味が薄いのでスルーしました。Google地図に内部の紹介がありました。

(出展 Google)
貸し自転車・・・かなり派手目な彩色、街歩きには便利なツール、手続き不明につきスルー。
17時30分、ブレラ絵画館のカフェには沢山のお客が入っていました。
スフォルツァ城を目指して、フィオーリ・キアーリ通りを歩きました。この路地裏通りもスピガ通りと一連でリングの一部になっていました。時間があれば、このあたりカフェでビールと行きたいところですが、先を急ぎました。
ティヴォリ通りという大通りに出ました。電車の軌道は2本、車道は石畳み。横目地の建物が並んでいました。
スフォルツァ城を囲む円環状の街区の裏側にあるメリカート通りと旧式トラム・・・
最近式のトラムも活躍していました。
大通りの交差点に小劇場「Piccolo Teatro Strehler」がありました。ロマネスク様式風のシンプルなデザインでした。
スフォルツァ城のすぐ傍まで歩いてきました。この建物も横目地の建物ですが、石材の色と石材が持つテクスチャーも大事なデザイン要素のようです。

使用している石材は集塊岩でした。大きな礫と礫の隙間を細かい砂利が埋めています。敢えて荒めに仕上げた凹凸のあるテクスチャーが、建物の風格を高めているようにも思います。
スフォルツア城の外周道路と円環状に並ぶ建物群・・・この外周道路は幅員がたっぷりなせいか、お洒落な街路灯による照明でした。

歴史を感じさせる実に風格に溢れた街区でした。
正面ではなく、脇腹からスフォルツア城に入りました。
以下、次号・・・