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2018年4月26日(木)イタリア その11 ミラノ(7)

街歩きを始めて3時間が経過、17時40分、スフォルツァ城に到着しました。
このお城はミラノの旧市街の北西にあり、旧市街を囲むリングの始点・終点部分に位置していました。ドゥオーモがミラノの政治、宗教のヘソなら、このお城は軍事、防衛のヘソという感じがしました。

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(出展 Google)


スフォルツァ城の説明書きを読むと、なるほど、この城は、中世ミラノの黄金時代だった頃のミラノ公国のヘソで、ミラノのシンボリックな建物だと納得しました。

① Wikipedia
・ミラノ公国
中世後期とルネサンス時代にはミラノはヴィスコンティ家とスフォルツァ家のミラノ公国になった。1395年にミラノ公の称号を授かった初代ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351~1402年)の時代には繁栄を極め、黄金時代を迎え、ヴィスコンティ家の支配は1447年まで続いた。
1450年には軍人フランチェスコ・スフォルツァが権力を握り、ミラノの統治者としての地位を固めた。続いて息子ルドビコは学芸の保護にも熱心でレオナルド・ダ・ビンチをミラノに迎えた。しかし、15世紀の北部イタリアの拡張時代の後の1500年、フランス軍がこの町を占領。スフォルツァ家はフランス、スイス、オーストリアにあやつられながらも支配をつづけた。1535年にスフォルツァ家の血筋が途絶え、ミラノ公国は終焉した

② 「地球の歩き方」
ミラノのルネサンス期の最大の建物で、ミラノのシンボル。かつての領主ヴィスコンティ家の城跡にF.スフォルツァ侯爵により1450年に城兼要塞として建てられ、続くL.ルイ・モーロの時代にはここで宮廷文化が花開いた。ダ・ヴィンチをはじめイタリア各地から芸術家が集い、その才能を発揮した場でもあり、現在はいくつもの美術・博物館がおかれている。

スフォルツァ城の東側のカルミネ門からこのお城に入りました。城壁の南面には2つの円筒状の見張り台が付いていました。この見張り台は、日本のお城の隅櫓みたいな役割を持つ監視塔兼要塞だったのかもしれません。城壁に開けられた無数の小さな窓は、多分、銃眼兼明り取りではないかと思います。

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カルミネ門は跳ね橋になっていました。フランスのナントにあるブルターニュ大公城でも同じ跳ね橋を見ました。

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赤レンガの城壁の外側は空堀・・・堀に水を張るか、ドライにするかその理由は不明・・・そういえば、大阪城にも両方がありました。

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昔のスフォルツァ城の図面が展示されていました。六角形の城郭で現在の四角形とは大分形が変わっていました。

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城壁内部の中庭は広々としていました。写真右の塔が「フィラレーテの塔」と練兵場だった「武器の中庭」、左手の城壁の奥は2つの中庭に分割されていました。

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「フィラレーテの塔」はスフォルツァ城のシンボルともいえる塔でした。

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お城の北側の中庭に入ってみました。ブレラ絵画館と似たような回廊式の建物でした。

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城壁のエンブレム・・・青い蛇が人を飲み込もうとしています。実に不思議な文様です。

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回廊の天井画・・・この文様が太陽なのか蛇なのか?意味不明です。

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1573年作成のミラノ市街地の地図が展示されていました。このような古地図は、知識の乏しい一介の旅行者には当地の歴史や文化を理解する上で貴重な資料です。

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16世紀のミラノの街は、2つのリングで防衛されていました。写真黄色で示した大リング(直径約3km)と緑で示した小リング(直径約2km)の、ダブルの城壁とお堀で手堅く守られていました。油断をすると、すぐ外敵の襲来や占領を受ける当時の厳しい現実を如実に感じる絵図面でした。
ドゥオーモがある小リングの中は、道路が狭く、クネクネとうねっていて、見通しがあまり良くありません。一方、小リングと大リングの間は、道路は幅広で形が整っていて、見通しが良いように見受けられます。小リングのお堀と城壁を越えて侵入してきた敵がヘソのドゥオーモに到達する時間を送らせる、あるいは、街角に潜んで侵入者を逆襲する兵士の隠し場所を作っていたのではと考えてみました。
先ほど歩いたマンゾーニ通り、城門やプッブリチ公園が確認できました。現在のミラノの街の姿・形は過去の延長上にあり、将来のミラノの姿・形は現在の延長上にあるのだろうと思います。

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北側のお城の出口・・・センピオーネ公園が続いていました。


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スフォルツァ城に接するセンピオーネ公園は緑豊かな大きな公園でした。公園の芯にあたる場所は、幅広の芝生広場になっていて、この広場の軸線が公園北側の端にある「平和の門」まで続いていました。

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お天気に恵まれた日なので、上半身裸の市民もいました。

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池に架かる橋を渡って、「平和の門」を目指しました。

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来た道を振り返ると、大きな池越しにスフォルツァ城の「フィラレーテの塔」が望めました。

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木曜日の夕方ですが、沢山の市民が芝生広場で寛いでいました。仕事を終えたサラリーマンかも・・・「平和の門」が近づいてきました。

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センピオーネ公園の北の端に、「平和の門」がそびえ立っていました。この凱旋門風の建造物は、ネオクラシック様式で、もともとはローマ時代の遺跡だったとか・・・ナポレオンの指揮のもと建築が開始され、センピオーネ門の上に造られたもので、高さ25メートル、幅24メートル。
平和の門の建設が始まったのは、まだイタリアがナポレオンの支配下にあった1800年初期、ナポレオンの勝利と凱旋を祈願して建設され、門が完成したのは、ナポレオンが失脚した後だったとか。

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石碑にローマ数字が刻印されていました。「お題」出されたみたいなのでその答えを調べてみました。
上段の「MDCCCVII」は1807年、下段の「MDCCCLIX」は1859年。
イタリア語不如意につき、「1807年」はナポレオンのミラノ入城年、「1859年」はこの凱旋門の完成年ではないかと想像しました。

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公園の園路をスフォルツァ城まで戻りました。不思議な光景に出会いました。園路脇の崖に例の「集塊岩」の露頭がありました。

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この崖が人工的な修景なのか、自然由来のなのか・・・人為的な盛土と自然由来の地盤の見分け方は意外に難しいものですが、自分のような、年季の入った「土木屋」には、「地山」つまり自然由来の崖だと思えました。

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大きな円礫の間を少し小さい礫が埋め、その隙間を更に小さい砂が埋めていました。日本でいうところの「さざれ石」ではないかと思い当たりました。


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調べると、国歌の歌詞にもある「さざれ石」は、日本各地で見られるそうです。写真は、千鳥ケ淵戦没者墓苑の「さざれ石」。

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(出展 Wikipedia)

ドゥオーモ広場の建物、スフォルツァ城周囲の建物の石材は何か?・・・ずっと頭を離れなかった「お題」が解決してスッキリしました。  
「お題」の答えは、『ミラノは「さざれ石」の街だった』という事でした。得心が行きました。ミラノの「さざれ石」は、ポー川の支川がアルプスから運んできた円礫を石灰を含んだ砂や石灰分が固めた、天然由来のコンクリートであるというのが自分の見立てです。

再び、スフォルツァ城の外周道路に戻ってきました。

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スフォルツァ城の南面、空堀でした。

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スフォルツァ城のシンボル「フィラレーテの塔」・・・


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お城のエンブレムには蛇が沢山使われていました。蛇は何かの吉兆なのか、意味不明のまま。

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日本では噴水広場は日比谷公園や上野公園などで見かけたことがありました。この噴水は口が沢山あって実にゴージャスでした。

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ローマのトレヴィ広場の噴水も実にゴージャス、街中の各所で見た垂れ流しの水道栓・・・水は市民生活のマストアイテム。その貴重な水を惜しげもなく流すのは、時の権力者が自らの権力の大きさを示すやり方だと本で読んだことがありますが、なるほど、そのとおりだと得心しました。

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スフォルツァ城の周回道路と円環状の建物群・・・風格に溢れた街並みでした。初めて経験したイタリアの西陽は、「驚かされる」というレベルを超えた「半端ない」強烈さでした。

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スフォルツァ城の前にある屋台風のカフェで一休みしました。


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この屋台にメニューはリーズナブル、5ユーロ(650円)の様々なサンドイッチが用意されていました。食事はホテル近くのレストランに決めていたのでスルー。

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エスプレッソは1ユーロ(130円)、本場のエスプレッソは恐ろしく濃厚で、コーヒー中毒の自分にはとても美味しかったです。

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東側の見張り塔・・・

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東側の城壁・・・
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19時近くになり、日が傾いてきました。翌日のお昼前にミラノ中央駅から電車でボローニャに向かいます。今日のノルマを果たすために、気合いを入れ直して、引き続き街歩きを続けました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2018-06-24 09:39 | イタリア | Comments(0)  

2018年4月26日(木)イタリア その10 ミラノ(6)

スカラ座前のマンゾーニ通りをプッブリチ公園の方に歩きました。マンゾーニ通りは旧市街のコルドゥーシオ広場から北に向かうメーンの放射道路でした。

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(出展 Google)

マンゾーニ通りは、スカイラインを揃えたクラシックな「横目地」の建物がズラリと並んでいました。路面は石畳み、路面電車の軌道は2本で、車と電車の混在交通。街路に目を遣ると、流石に電線・電柱はないものの、UFO風の不思議な物体が青空に浮かんでいました。UFOは架空線に支えられていました。碍子らしきものが付いているので、どうも照明灯ではないかと思いました。
マンゾーニ通りは電車と車が混在する忙しい基幹道路、おまけに歩道の幅が広くはありません。照明柱を建てると、狭い歩道がさらに狭くなり、歩きの観光客の支障になるからこのような作戦に出たのではと考えてみました。照明柱は街路の景観や運転の視界確保に支障するという考え方もあるでしょう。この通りを夜歩いた訳ではないので、その照明的な効果は不明ですが、高いところから光線で街を照らすので意外に良いのかもしれません。

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このピンクの建物は、ポルディ・ペッツォーリ美術館 (Museo Poldi Pezzoli) 。ミラノの貴族であった美術収集家ポルディ・ペッツォーリの私邸を美術館として公開しているそうです。建物はポルディ・ペッツォーリが亡くなった1879年に、コレクションとともにミラノ市に寄贈されたとか。貴族やお金持ちのパトロンで「芸術の街ミラノ」は支えられているようです。それにしても、パステルカラー風のピンクもミラノの街の気分に良く馴染んでいるように感じました。

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2017年5月のドイツ旅行で見た、ベルリンのウンターリンデンのピンクのオペラ座も良い気分を出していました。淡いピンクの建物は意外にいけるものだと感じました。

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(オペラ座:ベルリンのウンターデンリンデン)

クラシックな路面電車が通り過ぎました。行き先に城門が見えてきました。

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マンゾーニ通りの城門の手前から、スピガ通りという幅4mほどの石畳の露地がリングに沿って伸びていました。このような路地裏もミラノの観光の隠れたホットスポットのように感じました。なんかこの露地を歩いてみたい気分になりましたが、時間がないので、先を急ぎました。

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マンゾーニ通りから少し入り込むと、このような建物もありました。かって邸宅だったポルディ・ペッツォーリ美術館でした。先に見た大きなピンクのポルディ・ペッツォーリ美術館とは別の、もうひとつの美術館で、こちらの方かホンチャンかもしれません。
以下、渋谷のBunkamuraのホームページから・・

スカラ座やドゥオーモにすぐ近いミラノの中心地にあり、ヨーロッパで最も優雅な邸宅美術館と言われているポルディ・ペッツォーリ美術館は1881年に開館しました。
ミラノ有数の貴族ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリは1822年7月27日にミラノに生まれ、祖父からパルマのポルディ家の、祖母からはベルガモの貴族ペッツォーリ家の莫大な遺産を相続し、先祖代々の素晴らしい財産を受け継ぎました。17世紀に建てられたミラノの邸宅は、当時からミラノで最も美しい館としてガイドブックにかかれるほどで、さらにミラノ有数の貴族トリヴルツィオ家との婚姻関係により、ポルディ・ペッツォーリ家のコレクションは充実したものとなりました。・・・


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ミラノの旧市街は直径2km程度のリング上の道路で囲まれていました。先ほどの路地裏通りもリングに一部だと思います。この城門は外部との連絡口、歴史的な建造物としてしっかり保存されていました。

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この城門を出ると、すぐにプッブリチ公園でした。

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公園の手前に広場があり、大きな彫像が建っていました。カヴールという人物でした。
調べると、カヴールは、イタリアを統一したサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の部下でサルデーニャ王国の首相を勤めた政治家、イタリア統一運動では、外交により統一戦争を進め、ガリバルディ、マッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」と称されるとか。このカブールもイタリア各所で見かけた人物でした。

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プッブリチ公園の入り口の鉄柵・・・お洒落なデザインでした。

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実に広々として緑の濃い公園でした。大きな木の下のベンチで一休みしました。お隣の年配の男性は持参した本を静かに読んでいました。

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公園の外周部に空堀がありました。最近、「ブラタモリ」風に街を探索するようになりました。タモリさんの地形、地質や岩石への拘りに大いに共感を覚えます。

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この不思議な石積みは何か?街中の建物の石材と似た岩石を積み石にしてありました。やはり、「集塊岩」だろうとと思いました。

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公園で一休みした後、街歩きを再開しました。外周道路のリングから例の城門を見ると、まるで建物に食い込んでいるように見えますが、一応、縁は切ってありました。

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マンゾーニ通りを戻って、ブレラ美術館に向かいました。時刻は17時過ぎ、車が混んできました。イタリアはヨーロッパでも低緯度、20時あたりから暗くなってきます。少し急がないと、陽のあるうちにホテルに戻れなくなります。

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トヨタ製のハイブリッド車のタクシーが4台並んでが客待ちをしていました。イタリアでは日本車が多かったように記憶しています。

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大理石製の階段状の風変わりなモニュメントが目に入りました。サンドロ・ペルティーニのモニュメントというそうです。反対側は泉になっていて、隣はアルマーニでした。サンドロ・ペルティーニは、戦時中は反ファシスト活動家であり、後に第7代イタリア大統領となった人で、1945年ムッソリーニやファシズム指導者を処刑台に送り込んだ中心人物だとか。その蜂起を宣言したのがミラノだったことで、1990年、彼が逝去した年にこのモニュメントが建てられたそうです。

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ブレラ絵画館を目指して、ボルゴ・ヌウォーヴォ通りという路地裏通りを歩きました。

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この路地裏通りに、どちらかというとひっそりと「ジョルジオ・アルマーニ」のお店が建っていました。「ジョルジオ・アルマーニ」はファッション業界で最も権威のあるブランドだそうで、ミラノは世界のファッション界のリーダーだとか。ファッションに無縁な自分には縁遠いお店ですが、その筋の人には興味深いお店かもしれません。

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ブレラ絵画館はすぐでした。この通りの照明はUFOではなく、通常の街路灯でした。幅広な道路のためかも知れませんが、その使い分けは不明です。

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欧州の街中の建物は、街路に面した建物の外見は地味でも中に入ると立派で大きな中庭がついていて、驚かされることがよくありました。ブレラ絵画館の内部も立派な回廊式の中庭になっていました。


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カノーヴァ作の「ナポレオン1世の銅像」・・・ミラノ市民は、当時のミラノを支配していた外国勢力からの解放を彼に託したのではと思います。

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この絵画館は中世の絵画を展示しているそうです。時間もないし、もともと絵画には興味が薄いのでスルーしました。Google地図に内部の紹介がありました。

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(出展 Google)
貸し自転車・・・かなり派手目な彩色、街歩きには便利なツール、手続き不明につきスルー。

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17時30分、ブレラ絵画館のカフェには沢山のお客が入っていました。
 
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スフォルツァ城を目指して、フィオーリ・キアーリ通りを歩きました。この路地裏通りもスピガ通りと一連でリングの一部になっていました。時間があれば、このあたりカフェでビールと行きたいところですが、先を急ぎました。

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ティヴォリ通りという大通りに出ました。電車の軌道は2本、車道は石畳み。横目地の建物が並んでいました。

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スフォルツァ城を囲む円環状の街区の裏側にあるメリカート通りと旧式トラム・・・

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最近式のトラムも活躍していました。

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大通りの交差点に小劇場「Piccolo Teatro Strehler」がありました。ロマネスク様式風のシンプルなデザインでした。

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スフォルツァ城のすぐ傍まで歩いてきました。この建物も横目地の建物ですが、石材の色と石材が持つテクスチャーも大事なデザイン要素のようです。

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使用している石材は集塊岩でした。大きな礫と礫の隙間を細かい砂利が埋めています。敢えて荒めに仕上げた凹凸のあるテクスチャーが、建物の風格を高めているようにも思います。


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スフォルツア城の外周道路と円環状に並ぶ建物群・・・この外周道路は幅員がたっぷりなせいか、お洒落な街路灯による照明でした。

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歴史を感じさせる実に風格に溢れた街区でした。


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正面ではなく、脇腹からスフォルツア城に入りました。
以下、次号・・・



by camino0810 | 2018-06-21 06:33 | イタリア | Comments(0)  

2018年4月26日(木)イタリア その9 ミラノ(5)

ドゥオーモのすぐ隣がガッレリアでした。風格に溢れた大きなアーチの門を潜ると、巨大なアーケードが続いていました。

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アーケードの幅は15m、ドーム型のトップライトまでの高さは30mくらいはあったでしょうか。トップライトは総ガラス張りなので、お天気に恵まれたこの日、館内は随分と明るかったです。通路の両脇には『横目地』型とは違ったタイプの古典的、装飾的な建物が並んでいました。ミラノ中央駅の中央通路のゴージャスさにも驚かされましたが、ガッレリアにはそれ以上のゴージャスさを感じました。

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世界的にも高名でゴージャスなブランド店がずらりと並んでいました。交差点の隅切り部分は、ガッレリアのホットスポット、その部分はプラダやヴィトンがしっかりと占めていました。

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床は大理石張りで、モザイクも入っていました。これだけ贅をつくしたアーケードは、多分、ミラノくらいしかないだろうと感じました。そんな訳こともあり、沢山の観光客で溢れ返っていました。

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アーケードは、交差点を含む、直交する2本の通路の一定区間に天井を掛けた構造ですが、実に贅沢な空間でした。上から眺めると、ガッレリアもドゥオーモと同じ十字架の形をしていますが、設計者がそこまで意図したかどうかは不明です。

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(出展 Google)

よく見ると、交差点の角々にはフレスコ画まで飾ってありました。『地球の歩き方』によると、『ヴィットリオ・エマニュエーレ2世のガッレリア』と紹介されていました。1877年に完成、1870年、イタリアを統一した『ヴィットリオ・エマニュエーレ2世』の功績を記念した建造物のように思います。設計者は、ドゥオーモとスカラ座を連結する「コリドー」の役割も考えたとか・・・なるほど、自分も含めた大勢の観光客は自然とスカラ座の方に誘導されていったようにも感じます。交差点の四隅に隅切りを入れて、装飾を施す手法は、シチリアのパレルモの観光ホットスポット「クワトロ・カンティ」でも観ました。

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これまで、歩いてきたアーケードを想い出して整理すると、このガッレリアの凄さが改めて理解できました。ドイツのパサージュと呼ばれるアーケードは、通路幅が5m、高さは15m程度。ガッレリアはアーケードの王者ともいえる、けた違いの「大きさ」、「絢爛さ」と「豪華さ」を持っているなと得心しました。

①リーズのアーケード(2015年のイギリス旅行)
リーズはイングランドにある人口80万の大都市です。1980年代は衰退していましたが、IT、金融や大学で元気を取り戻した街で、新規のハコモノやインフラ投資が盛んに行われていました。旧市街の一部やリーズ駅前の通りをアーケードにしていました。

https://camino0810.exblog.jp/24739949/

このアーケードは、リーズのコンセプトにもなっている赤レンガの建物に屋根を被せて、上品な気分を演出していました。

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別のアーケードでは、ドーム型のトップライトを被せてありました。ガッレリアのミニチュア版といった豪華さ感じました。

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リーズ駅に近い新市街には、道路に大きな透明のアーチ型の屋根を掛けたアーケードもありました。イギリス人はこの透明なドーム状のガラス屋根がお気に入りみたいで、ロンドンの大英博物館などにも使用していました。

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ドーム型の透明な屋根を付けただけで、街路の気分が一変し、賑わいが出来ているように感じました。日本の大都市の郊外都市や地方都市で社会実験として試してみる価値があるように感じました。

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②ライプツィヒの『メドラー・パサージュ』(2016年のドイツ旅行)


入り口は地味なので気付きにくいアーケードですが、中を歩いてみて驚かされました。「パサージュ」はフランス語の「通路」という意味合い。1914年に完成した『メドラー・パサージュ』は、ガッレリアを参考にしたとか・・・ライプチッヒの人たちは、名前はフランスから、中身はイタリアから輸入したわけで、両国の持つ芸術・文化水準の高さを上手に活用したように思います。

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通路は、ガッレリアに似せて、お洒落なお店が並んでいましたし、天井はドーム型のトップライトにしていました。写真左の銅像はゲーテの「ファウスト」の主人公ファウスト(後ろ)とメフィストフェレス(手前)、何だか「ファウスト」の一場面を再現しているような感じですが、肝心の「ファウスト」を読んでいないので詳細は不明。

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交差点のドーム屋根や隅切りも確かにガッレリアに似ていました。

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③ブレーメンの『ドームスホッフ・パサージュ』(2017年のドイツ旅行)


ブレーメンの観光ホットスポットは旧市街の市庁舎広場、その近くにこの『ドームスホッフ・パサージュ』がありました。「DOMSHOF PASSAGE]という名称を分解すると、「DOMS」はドイツ語の大聖堂、「HOF」は中庭または館、「PASSAGE」はフランス語の通路。つまり、『大聖堂の近くにある館のパサージュ』という意味合いでしょうか。ブレーメンの旧市街の広場には「聖ペトリ大聖堂」という立派な大聖堂があり、市庁舎とともにその広場が中心的な観光スポットになっていました。ドゥオーモ(大聖堂)の前にも大きな広場があります。ブレーメンも立地的な相似性があるため、このような名前をつけたのではないかと考えてみました。

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このパサージュは現代的でお洒落なデザインにしてありました。日本でも強化ガラスを使った建物が増えてきました。ベルリン中央駅やフランクフルト空港駅などに観られるデザインでした。

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交差点の隅切りやドーム型の屋根はガッレリアに良く似ています。

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ガッレリアを含む一連の建物の中に、デパートのような建物がありました。この建物は「横目地」の建物ですが、その石材が再び気になり始めました。

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この時点ではミラノについての知識は皆無、この石材が人工的なものは自然由来のものか、結論は得られませんでした。石材の切断面には丸い大き目の石を細かい砂粒が埋めてあるので、コンクリートかもしれないななどと思ったりしました。集塊岩だと判ったのは、その後で歩いた公園で似たような天然石を見てからでした。

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ガッレリアを抜けると、小さな公園があり、一休みしました。この日は晴天で暑く、アイスを舐めているいる観光客が沢山いました。道路を挟んだ向こう側のスカラ座は、オペラの殿堂として有名だそうですが、意外に地味目。ウィーンのオペラ座もそうでした。

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公園には、ダ・ヴィンチの彫像がありました。ダ・ヴィンチはフィレンチェ近郊の出身、彼が何故ミラノに?と素朴な疑問が湧きました。これも、後で知ったことでしたが、ダ・ヴィンチ最大の作品「最後の晩餐」が描かれた教会がミラノの旧市街にありました。ダ・ヴィンチもミラノの芸術・文化に大いに貢献した人物だったようです。

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公園脇の建物は、「ガッレリア・ディタリア」という美術館、風格のある「横目地」の建物でした。ミラノは芸術の街、ミラノの美術館と言えば「ブレラ美術館」や「アンブロシアーナ絵画館」などが有名です。この二つはイタリア古典的宗教的絵画(6世紀~ルネッサンスまで)を中心としたコレクション。一方このガッレリア・デイタリアは主に1800年代後半から1900年代前半の絵画を中心にした近代美術館。ミラノでは数年前に20世紀美術館がオープンし、ほんの少し前の時代の絵画を集めたようなコンセプトになっているそうです。絵画などの美術品の価値がほとんど判らない自分は大抵の場合スルーします。

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スカラ座前のマンゾーニ通りを北に向かって歩きました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2018-06-18 17:04 | イタリア | Comments(0)  

2018年4月26日(木)イタリア その8 ミラノ(4)

初めて観たドゥオーモに圧倒されました。これまでイタリア以外の欧州の国々で沢山大聖堂を観てきましたが、ドゥオーモのファサードは特別でした。ファサードの大きさだけで見ると、ドゥオーモを超えるファサードはドイツのケルン大聖堂など沢山あります。ドゥオーモのファサードの高さはせいぜい80m程度、ドイツのケルン大聖堂は160m、100mを超えるファサードは沢山あります。

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それでは、ドゥオーモのファサードを際立だせるものは何か?
ファサードの尖塔の多さ、恐ろしく精緻な彫刻や装飾、何よりその輝くような白さだと考えてみました。ドゥオーモのファサードの尖塔は10本もありました。これまで観てきたゴシックの大聖堂のファサードの尖塔は2本が普通でした。
何故、カトリックの総本山があるイタリアの大聖堂のファサードが他国のそれと違っているのか?建築史の専門家でもない素人の自分には不明のままです。


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2013年のフランス旅行で訪れたオルレアンのサン・クロア大聖堂は自分のお気に入りの大聖堂のひとつですが、このファサードも凝った装飾が施されてはいるものの、ドゥオーモに比べるといささか地味な感じが否めません。この大聖堂の石材は砂岩か石灰岩だったと記憶しています。太陽光の当り方で色合いは変わって見えるものの、白ではないので地味な風合いでした。
一方、ドゥオーモのファサードは白の大理石でした。恐るべきこの白さは白大理石のお蔭だと思います。フィレンチェのドゥオーモのファサードも白大理石でした。中世、ミラノが繁栄した頃、大富豪がパトロンにでもなったのではないかと思いました。

https://camino0810.exblog.jp/21799475/

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(オルレアン サン・クロア大聖堂)

ファサード中央の巨大な扉に実に精緻な彫刻が刻まれていました。識字率の低かった時代、聖書の重要な場面の「見える化」は、キリスト教の理解や布教のマストアイテムだったようです。無宗教に近い自分にはその宗教的な意味合いや価値はほとんど不明ですが、宗教の持つ神聖さ、荘厳さは感じることができました。

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白大理石の彫刻・・・

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巡礼のシンボルのホタテ貝も・・・

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ドゥオーモを上空から見ると、主軸が東西方向を向いた十字架の形をしていて、西側にファサード、東側に祭壇が配置されており、大聖堂の基本ルールを踏んでいました。

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(出展 Google)

ドゥオーモの側面を歩いて、東側の祭壇に向かいました。

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十字架の交点の尖塔がドゥオーモの最も高い部分でした。このタイプはイギリスの大聖堂で見たことがあります。

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最高の尖塔の頂点には黄金の像が建っていました。ミラノの守護聖人かもしれません。

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祭壇には大きなバラ窓が付いていました。

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ファサードの階段から見たドゥオーモ広場は実に広大で、多くの観光客で溢れ返っていました。ドゥオーモ広場は概ね短辺100m、長辺150m、ポーランドのクラクフ旧市街のヘソの中央広場は200m✕200m。100mオーダーの広さを持つ広場にはオープンスペース感が感じられ、それだけで価値が高いように思います。広場の真下は、地下鉄駅になっていました。


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(出展 Google)

ドゥオーモ広場のほぼ中央にブロンズの軍人像が建っていました。この時点では知識も乏しく、軍人関係者くらいだろうなという程度の思いしかありませんでした。
彼こそ、イタリア人にとって『救国の英雄』、1870年のイタリア統一の立役者『ヴィトリオ・エマニュエールⅡ世』でした。以降、イタリアを統一した、このサルディーニャ王国の国王の名前を各所で確認することになりました。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・


4月26日(木)ミラノは晴れ、暑い。
お昼前にミラノ中央駅に着きました。この駅舎はドイツのライプチヒ駅並みの豪華な駅舎でした。幅広の中央通路は高さ30mはあるでしょう。13時にホテルにチェックイン、14時過ぎからミラノの街歩きを始めました。ミラノの旧市街はリング状の城壁(今は道路)で囲われた歴史のある街でした。
そのヘソにドゥオーモと呼ばれる大聖堂がありました。ドイツではドームと呼ばれていました。恐ろしく精巧なつくりのファサードに驚かされました。ファーサードはきっちり西を向いているなどゴシック式の大聖堂のルールどおりでしたが、これまでスペイン、フランス、ドイツで観てきた大聖堂のファサード(1本か2本の尖塔)とは違った多塔型でした。お隣のガレリアは豪華絢爛なアーケードで、イギリスやドイツのパサージュの豪華版といった感じでした。スフォルツア城は中世からミラノの防衛の要の役割をしていたお城でした。この古城周囲の旧市街は実に風格に溢れていました。とにかくミラノの街に圧倒されました。
明日は電車でボローニャに向かいます。とにかく疲れた1日でした。

この後、広場に隣接したガッレリアに入りました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-06-16 21:13 | イタリア | Comments(0)  

2018年4月26日(木)イタリア その7 ミラノ(3)

ミラノの旧市街は、概ね直径2kmのリング状の道路に囲まれていて、この中に多くの観光スポットが点在していました。そのヘソにドゥオーモ(大聖堂)がありました。

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(出展 Google)

海外旅行のマストアイテム『地球の歩き方イタリア2018~19』にミラノの歴史が記載されていました。


・商業・経済都市ミラノの発展と沈滞
ヨーロッパの東西および南北を結ぶ位置にあり、かつロンバルディアという肥沃な平原の中心にあるミラノは、商業・経済都市として大きく発展する要素を兼ね備えていた。
西ローマ帝国は、ゲルマン民族の大移動により大きく混乱するが、ミラノは一時帝国の首都であり、西方キリスト教の中心地として栄えた。以後、ゴート族、ロンゴバルト族の移動などにより混乱するが、12世紀頃の社会意識の芽生えから起こったコミューン時代は、再びミラノに繁栄をもたらした。町の中心ドゥオーモから放射状延びる道路は、この時代に造られた城壁の城門へと通じている。
北イタリアに飛躍的発展をもたらしたのは十字軍による当方遠征だ。各都市は富み、勢い、ほかの都市を征服しようと争いが起きた。ミラノも例外ではなく、1395年来ミラノ公国として、ヴィスコンティ家、続くスフォルツァ家の支配を受けた。この小国的都市の発達は、富裕市民を生み、彼らによる学芸の保護・奨励が、やがて花開くルネッサンス文化となっていった。
新大陸発見などにより、15世紀末貿易体系が大きく変わってしまうと、ミラノなどイタリア各都市は沈滞を始める。小国割拠の状況にあるイタリア半島は、ドイツ、フランス、スペインなどの侵略、攻撃を受け、1870年のイタリア統一まで長く不幸な時代が続いた。

旅行前のミラノの知識は、ほとんど皆無に近く状態でした。青字を要約すると、『ミラノはポテンシャルの高い都市だが、元気があったのは、12世紀~15世紀の300年、それ以降は沈滞した。小国割拠の状況にあるイタリア半島は、諸外国の侵略、攻撃を受け、1870年のイタリア統一まで長く不幸な時代が続いた。』
イタリアの他の街も多かれ少なかれ似たような状況かもしれません。日本の幕末にあたる時代に、イタリアは『救国の英雄』が現れるのをじっと待っていたようにも思います。ターゲットにした観光地の歴史や文化を少しでも理解すると、当地の街歩きで得られた色々な情報が次々と繋がってきて、情報の化学変化が始まり、より立体的な都市像が浮かんでくようになりました。

この日は、旧市街の北半分を歩きました。これまでの経験から、小さい街なら4時間程度歩くとその街の全体的なイメージが出来上がってきたものですが、ミラノは大きな街なので6時間を掛けて街の半分を歩いてみました。翌日の朝に旧市街の南側を歩く計画にしました。


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(出展 Google)

14時30分、30Lのデイパックを背負ってミラノの街歩きを開始しました。
最初はホテル近くの露地に面した教会・・・2階建ての小さい教会ですが、ファサードには精緻な装飾を施してありました。

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メラヴィリ通りに出ました。石畳の車道にトラムや車が混然と走っていて、都電と共存していた、ひと昔前の東京もこんな感じだったのかなと思いました。

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歩道が狭いのですれ違いが大変、意外に歩きづらかったです。イギリスのパーク&ライド方式のような都心から車を排除する仕組みがあってもいいかなと思いました。

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ダンテ通りは、ドゥオーモ広場から放射状に伸びるミラノ旧市街のメーン通り・・・向こうにスフォルツア城が見えていました。

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建物のスカイラインへの拘りは感じましたが、イギリスの街ほど厳格ではないように感じました。

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旧市街の臍にあたるコルドーシオ駅はすぐでした。「横目地」の風格のある建物が並んでいました。

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路面電車は様々なタイプが走っていましたが、結構、旧式の電車が多かった感じでした。

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コルドーシオ駅の広場にパリーニという詩人の銅像が建っていました。パリーニ(Giuseppe Parini)(1729~1799)は、「朝」「昼」「夕」「晩」からなる四部作の風刺詩「一日」で貴族の怠惰と腐敗を鋭く風刺し、啓蒙主義者の模範とされた人だそうです。

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コルドーシオ駅前広場の正面の建物は、てっきりお役所か商工会議所の建物と思ったら、意外にも保険会社の建物でした。
この建物も典型的な風格のある「横目地」の建物。その特徴は
 ①壁には横目地を入れる。
 ②ファサードには大きな扉をつける。
 ③窓は凝った飾り窓にする。
 ④ヴェランダには凝った手すりを入れる。
 ⑤会社名は石版に彫る。
 ⑥屋上にはオベリスク風の塔をつけたり、ドームを載せる。
歴史的な建物の外部の意匠は変えず、居抜きで引き継いでいるのかもしれません。

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ドゥオーモ広場に繋がる、幅広の歩行者専用道路を歩いて行きました。自分の前を日本語のTシャツを着た青年が歩いていました。彼が日本語の意味を理解しているか、否かは別にして、日本文字の商標的なデザインが気に入っているのは間違いありません。

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この建物も歴史を感じさせる建物ですが、調べるとレンタルオフィスの会社が経営していました。教会や修道院のような歴史的な建物を上手にリノヴェーションしているように見受けられます。歴史的な建物や景観の保全と民業を上手にマッチングしているスマートなやり方だと思います。
お待ち兼ねの「ドゥオーモ」がまじかに迫ってきました。

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この建物の石材がひどく気になりました。これまで観てきた石造りの旧市街は砂岩、石灰岩、大理石、粘板岩、花崗岩で出来ていたように思います。そのどれとも違っていました。

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大きな円礫と円礫の間を細かい砂の粒々が埋めた感じでした。コンクリート的な特殊な人造石かと思っていても得心が行きません。結局、『さざれ石』のような集塊岩ではないかと思い当たりました。およそ、その街の石材は地産地消が大原則、ミラノの街の近くにはこの集塊岩があるのではないかと推測しました。この疑問がこの後歩いた「センピオーネ公園」で解けました。

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ミラノといえば、『ドゥオーモ』・・・恐ろしく精巧で真っ白な大聖堂が大きな広場の向こう見えました。

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以下、次号・・・



by camino0810 | 2018-06-15 20:45 | イタリア | Comments(0)  

2018年4月26日(木)イタリア その6 ミラノ(2)

ミラノ中央駅は欧州でしばしば見られる『行き止まり駅』でした。多数のプラットフォームと直交する中央通路の巨大さと豪華さに驚かされました。

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(出展 Google)

上段の中央通路の通路幅は23m、天井までの高さは30mくらいはあるでしょう。高くて広い建物の内部空間はそれだけで価値が高いものですが、立派な石造りの通路は精緻な装飾が施され、歴史を感じさせるとともに、風格や威厳まで備わっているので文句のつけようがありません。中央通路は2段構成になっていて、上段はプラットフォームと直結していました。ドーム状の天井は、開口が大きいので通路は明るかったです。

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上段の中央通路は、大勢の旅行客で賑わっていました。


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ミラノ中央駅は、2016年のドイツ旅行で乗り降りしたライプツィヒ中央駅に勝るとも劣らない巨大で立派な駅舎でした。


駅舎のプラットフォームも巨大でした。こちらも中央通路に負けず、巨大な内部空間を創っていました。屋根は3トップのドーム型で開口が大きいので内部は明るかったです。先頭部分が赤い電車は、トレニタリア(イタリア国鉄)が誇る新幹線『赤い矢』(フレッチャロッサ :Frecciarossa) 。最高時速は時速300km、今回のイタリア国内の移動でお世話になった電車です。行き止まり駅はあらゆる列車が行きどまり部分に集結します。一堂に会した様々な顔をした列車群は、鉄道ファンにこたえられないでしょう。


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イギリス、フランス、ドイツやスペインなどの欧州の駅舎はプラットフォームへの自由な出入りが原則ですが、何故か、イタリアではプラットフォームの入り口で係員に切符を見せなければ入場できない仕組みでした。事前予約したトレニタリアの乗車券を係員に見せて入場しました。


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下段の中央通路は、通路幅25m、高さ30m。石材は大理石でしょうか。上段と同様ドーム天井の開口が大きく明るかったです。

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ミラノ中央駅の正面玄関に出てみました。このファサードも巨大で立派でした。玄関の天辺に、ブランデンブルク門みたいな戦車を操縦する天使像などがあるとアクセントが効いて、更にインパクトが増すだろうと思いました。


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駅前広場にはライラックの花が咲いていました。

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駅前広場から見た南側の駅前通りの眺め・・・写真右側はオフィス街で超高層ビルが建っていました。

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ミラノは、北部イタリアの中心都市で、ファッションで有名な都市くらいの知識しかありませんでした。調べると、ミラノは人口130万、ローマに次ぐ大都市で北イタリアの商業、工業、金融の中心、観光地としても名高い街でした。1982年、160万いた人口がドーナツ化で長期減少、この数年は130万を維持しているとか・・・。観光の中心はミラノ中央駅から南に3kmくらいのところにあります。予約したホテルもその近くでした。40Lのバックパックと30Lのデイパックを持ってホテルまで歩くのは難儀なので、地下鉄を使うことにしました。


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(出展 Google)

ミラノ市内の地下鉄は4本。自動販売機で切符を買うのは初めての旅行者にはハードルが高いのものです。切符は窓口で購入しました。市内の一定範囲は一律1.5ユーロ(200円)。

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中央駅地下にあるM3線のチェントラーレ駅(CENTORALE)からドゥオーモ駅(DUOMO)に向かいました。この駅で乗り換え、M1線のコルドゥーシオ(CORDUSIO)駅で下車。写真はチェントラーレ駅(CENTORALE)のホーム階の様子、開削方式で築造されたようです。東京メトロの地下鉄との差異は感じませんでした。

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地下鉄の切符はクレジットカード並みの大きさでした。

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地下鉄車内は日本の地下鉄より気持ち広めでした。

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旧市街の中心部にあるコルドゥーシオ(CORDUSIO)駅で下車して、ホテルを探しました。ミラノには旧い型から最新型まで様々なトラムが沢山走っていました。

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ヨーロッパの旧市街といえば、「横目地」の建物・・・歴史や風格を感じさせる「横目地」の建物がどっさり並んでいました。

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この石造りの建物はイタリア銀行の建物・・・ミラノ支店でしょうか。ファサードには、古代ギリシア建築風の円柱、精巧な彫像やエンブレムが飾ってありました。


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13時、込み入った路地裏を歩いてようやく予約したホテルにチェックインできました。マストアイテムのGoogleのマップが大いに役立ちました。3つ星の古めかしいホテルですが、ドゥオーモ広場までは歩いて10分、観光には好都合のホテルでした。

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部屋に40Lのバックパックを降ろしてベッドで一休み、時差ぼけの疲れを取りました。
14時30分、ミラノの街歩きを開始しました。

以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-06-11 06:02 | イタリア | Comments(0)  

2018年4月26日(木)イタリア その5 ミラノ(1)

マルペンサ空港ターミナル1の玄関前でミラノ中央駅行きのシャトルバスに乗りました。
10時10分発のバスは高速道路を走って、ミラノ中央駅に11時20分に到着しました。マルペンサ空港はミラノの北西50kmにある空港です。空港から都心のミラノ中央駅まで70分、料金は8ユーロ(1100円)、悪くはないアクセスだと感じました。切符は運転手から購入できました。

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マルペンサ空港の玄関はピカピカでお洒落なデザインでした。

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空港の玄関の向かいはシェラトンホテルでした。

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バスは、ターミナル1を出発、ピカピカの斜張橋を見ながら、以前空港玄関だった北側のターミナル2に寄って、ノンストップでミラノ都心に向かいました。

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ターミナル2は、ひと昔前の空港という感じでした。そういえば、30年くらい前の羽田空港も随分と地味な空港でした。

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駐車している車は小型車が目立ちました。イタリアも、ドイツと同様1500cc前後の小型車が主体で大型の車はあまり見掛けなかったです。


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北部イタリアの地図を見ると、結構面白いことに気付きました。
ミラノは北をアルプス山脈、南をアペニン山脈の囲まれた「三角地帯」の頂点に位置する都市でした。「三角地帯」の中央部にポー川が流れ、北部イタリアの主要都市(ボローニャ、ヴェローナなど)は山裾に綺麗に並んでいました。一方、ポー川の周辺には大きな街は見当たりません。中央部はポー川の洪水の被害を受けざるを得ない地域、山裾地域は豊富な表流水や地下水が得られ、高標高で洪水の心配が少ないように思われます。そのため、この安心・安全な山裾地域に鉄道、道路が最初に整備され、工業や商業が発達したように思います。実際、ミラノ~ボローニャ間、ミラノ~ヴェネツィア間は高速道路と新幹線が同じような場所を走っていました。
アルプスと平原の境界部分にあたる湖水地方には、沢山の湖がありました。リゾート地として有名なコモ湖もミラノの北にありました。Googleの地図を見ると、湖の末端に堰堤はないので人造湖ではないように感じました。
だとすれば、その成因は何か?気になりました。
「五色沼」をはじめとする磐梯山麓の沢山の沼は磐梯山の噴火物によって沢が埋められてできたものですが、どうも火山現象では説明がつきません。北部イタリアの湖水地方の大湖沼群は、大昔、地球の海面が下がった時にできた氷河谷や浸食谷が、海面上昇時にポー川の運搬堆積土砂でその出口部分に蓋をされた結果出来上がったのではと考えてみました。

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(出展 Google)

中学か高校で習った「ロンバルディア平原」はこの「三角地帯」全体と勘違いしていました。本当は、部分的で、ミラノのあるポー川の北側の平原を指すそうです。「三角地帯」は、「パダノ・ベネタ平原」が正解のようです。「三角地帯」はポー川が形成した平野で、河口には大きな三角州ができていました。この「三角地帯」はイタリアを支える一大農業、工業、商業地帯だそうです。

以下、デジタル大辞泉・・・

《Pianura Lombarda》イタリア北西部にある平原。日本では、北イタリアに広がるポー川、アディジェ川流域のパダノベネタ平原を指すこともあるが、狭義にはポー川中流部の北岸地域、ロンバルディア州内の平野部を指す。肥沃な平地で小麦などの栽培が盛ん。ミラノを中心に同国最大の工業地帯を形成する。

《Pianura Padano-Veneta》イタリア北部、ポー川、アディジェ川流域の広大な平原。ピエモンテ州・ロンバルディア州・ベネト州・エミリアロマーニャ州にまたがる。北をアルプス山脈、南をアペニン山脈に囲まれ、アドリア海沿岸部に三角州を形成する。日本ではロンバルディア平原の名で呼ばれることがある。肥沃な平地で小麦などの栽培が盛ん。ポー平原。パダナ平原。

シャトルバスは、高速道路を走りました。沿道は広々とした緑豊かな森や麦畑が続き、工場の敷地も広くて緑豊かでした。


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この標識は、近傍のSAで提供されるガソリンの値段・・・左側がガソリン、右がディーゼルだと思います。5kmの先のSAのガソリンは1.599ユーロ/L(220円)、日本が140円くらいなので、かなり高額です。

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料金所は、通行券と現金併用方式みたいな感じ、日本のETC方式とは違っているようです。

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シャトルバスは、ミラノ市街地に入りました。郊外の団地でしょうか?お洒落な高層マンション?が建っていました。

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斜張橋の向こうにも団地らしき建物群が見えました。

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ロマネスク様式?の教会・・・

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シャトルバスは首都高のような高架道路を走りました。ゆったりとした緑豊かな都市環境が整っていました。

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奇抜なデザインの建物群・・・何となく観光名所の旧市街と機能的な新市街のゾーン分けがあるのかもしれません。

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シャトルバスは旧市街地に入りました。ヨーロッパで良く見掛けるお馴染みの光景・・・スカイラインを揃えた階層の低い「横目地」の建物がずらりと並んでいました。古風な路面電車も走っていました。


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別の脇道は、広めの中央分離帯が歩行者専用になっていて、プラタナスが植えられていました。

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シャトルバスは、中央の走行レーンをトロリーバスとともに走行し、両側の走行レーンは一般車が走行。街路樹が植わった中央分離帯でレーンが仕切られていました。

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11時20分、シャトルバスはミラノ中央駅に到着しました。写真右手が駅舎です。

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風格のある、なかなか立派な駅舎だなと思っていたら、実はここはミラノ中央駅の脇というか裏口でした。

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駅舎から見た駅前広場。手前の建物越しに見える高層ビルがミラノのオフィス街でした。

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裏口からミラノ中央駅の構内に入りました。駅の中央通路のあまりの立派さに驚かされました。

以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-06-10 04:51 | イタリア | Comments(0)  

2018年4月26日(木)イタリア その4 ミラノマルペンサ空港

CA967便は定刻1時30分に上海プードン空港を出航しました。ミラノ郊外のマルペンサ空港には8時05分に到着する予定です。イタリアと中国の時差は6時間、12時間を超える飛行時間を我慢しなくてはなりません。
時間つぶしは映画と3Dの飛行地図でした。中国の航空会社なので映画のほとんど中国語(英語、フランス語VERもあり)でしたが、日本映画が2本だけ用意されていました。土屋太鳳主演の『トリガール!』と阿部寛主演の『恋妻家宮本』を観ました。『恋妻家宮本』はホロリとさせられる大変いい映画でした。

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ジェット機は中国本土からシベリア、ヨーロッパロシア、ヨーロッパと大陸の芯の部分を飛んで、イタリアに入りました。飛行高度は11000m、気温ー60度、時速は偏西風がアゲンストになるので750km程度。


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朝方、ジェット機はヨーロッパアルプスの上空までやってきました。


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ジェット機は、マルペンサ空港手前で高度を下げ始めました。窓から見下ろすと、豊かな河畔林の中を川が流れている様子が見えました。中州や礫河原など何処か日本の川と似た気分を感じました。北部イタリアの河川はアルプスを源流にしているので、融雪による増水があるのかもしれません。


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光っているのは水を張った水田かもしれません。ミラノはロンバルディア州の州都。北部イタリアのロンバルディア州はコメの産地だと聞いています。

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高速道路のインターチェンジが見えました。

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CA967便は定刻8時05分にマルペンサ空港に到着しました。

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マルペンサ空港は、ミラノ市の北西50kmにあります。ローマ・フィウミチーノ空港と肩を並べるイタリア最大の国際空港の一つ。イタリアのフラッグキャリア、アリタリア航空の本拠地の一つでもあります。以前のマルペンサ空港はターミナル2、新規に構築された現在のメインターミナルは、ターミナル1となり北部イタリア最大の空港だとか。ターミナル1の設計者レンゾ・ピアノは、関空設計者だそうです。
長さ4kmの滑走路が2本ありました。空港の西側にはポー川の支川チィチーノ川が流れていました。空港は森の中に浮かんだ大きな島みないな印象があり、ドイツのフランクフルト空港と似ていました。


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(出展 Google)

ほぼ同じスケールで成田空港の写真を並べてみました。写真左下がA滑走路で長さは4km、写真右上のB滑走路は2.5km。B滑走路の端とA,B滑走路に斜交するC滑走路は歪んでいました。滑走路の中に未買収用地が残っていました。周囲にゴルフ場が沢山ありました。

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(出展 Google)


持参したルーターをローミングモードにすると、アンテナが4本立ちました。しっかりと電波を捉えてくれて一安心しました。

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バゲッジ・クレームで40Lのバックパックを待ちました。

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入国審査では、EU以外の外国人担当の入国管理官はわずか2名、長蛇の列が出来上がり、随分と待たされました。自分の前はお金持ちの中国人観光団でした。

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入国審査を終えて、空港内のATMでキャッシング。

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750CCのミネラルウォーターは、1.5ユーロ、換算レートを135円/ユーロとすると、200円。日本の2倍くらいのお値段、安くはありません。イタリア国内では、水道水をペットボトルに詰めて持ち歩きました。


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空港内のパン屋さんには5ユーロ(680円)前後のサンドウィッチが並んでいました。

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売店で買ったパンと水で朝食を摂りながら、フェイスブックに記事をアップしました。ルーターもしっか機能してくれて一安心しました。

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フェイスブックにアップした記事・・・

4月26日(木)ミラノは晴れ、適温。
朝、8時過ぎミラノマルペンサ空港に無事到着しました。EU以外の外国人担当の入国管理官はわずか2名、長蛇の列が出来上がり、随分と待たされました。自分の前はお金持ちの中国人観光団でした。
空港のATMでユーロをキャッシング、売店で買ったサンドウィッチとミネラルウォータで一休みできました。持参したルーターはシッカリ電波を拾いました。これで、一安心です。
時差ぼけでヨレヨレですが、これから、ミラノ市街地にバスで向かいます。

食事を終えて、空港のシャトルバスでミラノ市内に向かいました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2018-06-08 19:30 | イタリア | Comments(0)  

2018年4月25日(水)イタリア その3 上海

CA920便は定刻19時30分に成田空港を出航しました。

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前席の背もたれに付いているモニターで3Dの地図アプリをいじりながら時間潰しに入りました。

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AIR CHINA(中国国際航空)は中国のナショナル・フラッグ・キャリア、機内食は巻き寿司が付くなど美味しかったです。

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CA920便は定刻22時10分に上海プードン空港到着しました。

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この最近、上海プードン空港でトランジットしますが、1年に1回のイベントなので勝手を忘れています。トランジットの標識を上手く見つけられず、空港の中国人スタッフにもトランジットの案内を頼みましたが、何故か出国審査の列に並んで外に出る始末。
出国時の写真撮影は厳格でした。最初に左手の親指以外の4本の指紋撮影、右手4本、左手親指の指紋、右手親指の順に撮影。国によって随分安全審査に違いがあるなと感じました。手荷物検査を終えて、一瞬ですが、中国本土に足を踏み入れたことになります。AIR CHINAのチェックインインカウンターに行って、ミラノまでの手持ちの搭乗券を示して、搭乗券を再発行してもらい、入国審査、手荷物検査を受けて、搭乗エリアに入って、一安心。
CA967便ミラノのマルペンサ行きの飛行機は1時30分発、時間はたっぷりあります。それにしても、中国語の外国の都市名標記はクイズ問題になるくらい難読。ミラノは『米兰』、サン・フランシスコは『旧金山』・・・林修先生でも読めないかもしれません。
サン・フランシスコはアメリカ開拓時代のゴールドラッシュでできた街という解釈だと思います。『米兰』は、「米」と「蘭」、ミラン(英語読み)の表音文字のように思います。読み方の音の近似(表音)、意味の近似(表意)で漢字に当てはめているようですが、漢字一種類の言語ではこのような標記しかないということだと思います。漢字、ひらがな、カタカナを持つ日本語はこういう場合には便利な言語だと思います。

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上海プードン空港は真新しいお洒落な超巨大空港です。沢山の大型飛行機が駐機していました。各ゲートには緯度・経度の標記があり、面白いなと感じました。それにしても搭乗ゲートが1ターミナルで232箇所もあるとは改めて驚かされます。
構内のスタバでオーダーした28元(530円)のカフェラテは、シャバシャバで味がいまひとつでした。バーガーキングのハンバーガーセットは50から60元(950円~1100円),レストランの食事は90~100元(1700円~1900円)とかなりの高額。上海のような大都市はインフレが進み、中国の価格競争力に陰りが出てきたように感じました。

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空港のおトイレは脚なし型、リーズナブルな選定です。「小心地滑」(滑らないよう注意)という定番の注意書きにも慣れました。

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ミラノ行きの飛行機をD228番ゲートで待ちました。

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持参のルーターがスマホとモバイルに電波を届けてくれてとりあえず一安心できました。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

4月26日(木)上海は天気不明、暑い。
とりあえず、上海プードン空港まで来ることができました。トランスファーの案内を発見できず一度中国本土に出て、再入場するというお粗末さ。去年も上手く乗り継げませんでした。
搭乗ロビーでここの記事を書いています。先行きに不安を感じますが、何とかするしかありません。空港のレストランを覗くと、食事は100元近いものが販売されていました。成田のレートが19円なので、2000円近いお値段です。中国の価格競争力にも陰りが出てきたようにも感じます。スタバのカフェラテは28元(530円)かなり薄めのラテでした。持参のルーターがスマホとモバイルに電波を届けてくれて一安心できました。
ミラノ行きは1時30分発、あと1時間ベンチでゆっくりします。ミラノのマルペンサ空港まで12時間の辛い時間を我慢しなくてはなりません。

以下、次号・・・


by camino0810 | 2018-06-05 14:15 | イタリア | Comments(0)  

2018年4月25日(水)イタリア その2 成田

2015年、2016年、2017年とこの3年くらい羽田空港からヨーロッパへ向かっていました。羽田空港発のリーズナブルなチケットが入手できず、成田からの出航となりました。埼玉の人間にとって、やはり成田は少し遠いなという印象があります。日暮里から成田本線の特急に乗車して、成田空港に向かいました。沿線の風景は都市部は同じ顔をした街並みや住宅が延々と続き、成田を過ぎると田植えを控えた水田が拡がっていました。
地下の成田空港第1ターミナル駅に16時55分着、南ウィング4Fのチェックインカウンターまでエスカレーターを乗り継ぎました。

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4年振りに見る成田空港は施設が少し陳腐化して、なんか古くなってきたなという印象がありました。

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外の車寄せに出てみました。

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両替所に行って、当座の現地通貨を40ユーロ分用意しました。交換レート137円/€、去年の125円/€に比べて随分と悪くなっていてショックでした。円の実力が低下しているようです。

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CA920便は、成田発19時30分、上海プードン空港着22時10分。時差が1時間なので、3時間40分の飛行時間です。上海プードン空港でトランジット、ミラノ郊外のマルペンサ空港には翌日26日8時05分に到着します。

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第1ターミナル南ウィングにあるAIR CHINAのカウンターでチェックイン。自動チェックインが上手くできず、スタッフの方に搭乗券を発行してもらいました。スタッフの話では、最近は自動チェックインは当たり前になっているとか。


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間違えて最初はお隣の深圳航空の列に並んでしまいました。日本の電化製品をどっさり買い込んだ中国人観光客が並んでいました。


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手荷物検査18時40分、出国審査18時50分終了。日本人の検査係は優しいので安心して検査を受けられます。19時00分、搭乗ロビーに到着。


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CA920便は、定刻19時30分に成田を出航しました。これからいつものように辛い我慢の時間が始まります。


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後でいろいろと想い出せるように、旅行中は当日の出来事や感想を日記風に当日にフェイスブックにアップします。半年くらい経つと、当時の気分をまったく忘れ去っているので、ブログの記事を書くのに重宝します。
当日のフェイスブックにアップした記事・・・

4月25日(水)千葉は曇り、暑い。
久し振りに成田空港からの出発です。多分、4年振りくらいかも。
上海でトランジットして、ミラノのマルペンサに向かいます。
自動チェックインが上手くできず、スタッフの方に搭乗券を発行してもらいました。レートが1ユーロ137円、去年の同時期は125円でした。日本人旅行者には厳しい円安です。
これから、バタバタとイタリアの街歩きを始めます。


以下、次号・・・


by camino0810 | 2018-06-05 06:00 | イタリア | Comments(0)