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2019年4月26日(金)デンマーク・オランダ・ベルギー・スイス その12 コペンハーゲン(8)

19時、コンゲンス・ニュートー広場まで歩いてきました。街歩きを始めたのが13時、すでに6時間が経過、日没は21時、街歩きに残された時間が2時間となりました。ホテルスタッフおススメのアマリエンボー宮殿、ローゼンボー城は断念しました。歩きに充てられる時間、気力や体力が無くなりかけたからでした。よくよく考えると、この日の早朝にドイツのフランクフルトに到着、時差ぼけ状態でコペンハーゲン行き飛行機欠航などのトラブルに遭遇、這う這うの体でこの街に到着した訳で、逆に言うとよく頑張った方かもしれません。そんな訳でコペンハーゲン観光のマストアイテム、ストロイエ通りを歩いてホテルに戻ることにしました。

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(1674年のコペンハーゲン:出典 Wikipedia)

(出典 Google)

コンゲンス・ニュートー広場は、ニユーハウンの運河を開削したクリスチャン5世(1646~1699年)が造ったコペンハーゲンで最も広い広場。コンゲンス・ニュートー広場( Kongens Nytorv:torvは広場)は、「王の新しい広場」という意味合い。コペンハーゲンの二重要塞で囲まれた旧市街が人口増加で手狭になってきたため、それまで中心部のガンメルトー広場にあった市場の移転が目的だったようです。同時期の江戸に多くの人が集まってきたのと何処か似ている感じで、戦争が一段落して政権が安定してきた一方、人口を支える農業基盤が整い、人口増加や交易が加速されてきた時代なのかもしれません。

コンゲンス・ニュートー広場は、生憎、芯の公園部分が工事中でした。地下街でも造っているのでしょうか。

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この広場は、1670年にクリスチャン5世によって計画された広場でその中心に彼の騎馬像があるとか。ネットの写真を見ると、石畳に囲まれた美しい庭園でした。

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(出典 Wikipedia)

広場の外周には風格のある建物群が建っていました。写真はデンマーク王立劇場(1874年完成)、赤れんがではなく、石材で出来た「横目地」の伝統的な仕様の建物でした。

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実に風格に溢れた立派なファサードでした。

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トット宮殿(現在のフランス大使館:1683年)、ホテル・ダングレテール(Hotel D'Angleterre)、マガサン・デュ・ノール(Magasin Du Nord :デパート)など歴史を感じさせる建物が並んでいました。フランス大使館があり、フランス語の名称が使われていることからも、デンマークはフランスと協調的な関係にあったのではと思います。

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(ホテル・ダングレテール(Hotel D'Angleterre):写真左の白い建物)


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(トット宮殿:写真中央の傾斜屋根の建物、現在はフランス大使館1683年完成)


コンゲンス・ニュートー広場の西の端にあるストロイエ通りの入り口まで来ました。ストロイエは歩くという意味のデンマーク語。ストロイエ通りは、コンゲンス・ニュートー広場と西側の市庁舎前広場をつなぐ長さ1.1kmの文字通り歩行者専用道路でした。

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ストロイエ通りは東京で言えば、銀座中央通りや表参道に相当するコペンハーゲンを代表する人気の観光スポット。観光客や市民で賑わっていました。1674年の絵図に見るとおり、通り自体は17世紀末には出来上がっていて、コペンハーゲンの旧市街の芯になっている幹線道路でした。
1962年、ストロイエ通りは、車を排除した歩行者専用道路に変えられたそうです。今から60年くらい前、全世界に先駆けて壮大な社会実験を試み、成功させた当局や関係者に敬意をはらわない訳にはいきません。その後、ストロイエ方式とも言うべきこの手法が諸外国に普及していったそうです。ニューハウンの運河でも触ましたが、「中心市街地の道路から車を締め出すと賑わいが戻ってくる」という法則めいたものの発信源が、このストロイエ通りだったとは知りませんでした。

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ストロイエ通りは市街地中心部の大人気の観光名所で、ヨーロッパで最も長い歩行者用ショッピングストリートのひとつだとか。H&Mなど日本でもお馴染みのお店もしっかり出店していました。


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先に見たニコライ教会の尖塔が見えてきました。

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コペンハーゲンを代表するアマートー広場まで来ました。建物は概ね4~5階建て、傾斜屋根を持った建物が連なっていました。建物のスカイラインを揃えるという意図はそれほど感じられませんでした。壁の彩色はパステルカラー。


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噴水の鳥はコウノトリだとか。彼方にクリスチャンスボー城が見えました。

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アマートー広場も沢山の観光客や市民で賑わっていました。ニコライ教会はランドマークも兼ねた教会でした。

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赤れんがの風格に溢れた建物は、創業1775年のロイヤル・コペンハーゲン。ファサードは1616年完成のルネサンス様式。デンマークの陶磁器メーカーで、絵付けはすべて手描き。古くから日本の古伊万里染付の影響を強く受け、手描きによるコバルトブルーの絵柄が特徴。世界中で愛されているが、中でも特に日本人の人気を集めているそうです。

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赤れんがの聖霊教会は、13世紀に創設。街で最も古い教会の一つ。

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お馴染みのユニクロが開店したばかりでした。この衣料チェーンは、世界の主要都市の主要なスポットに必ず出店する、世界的なブランドに成長した感じです。

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歩道は全線石貼り舗装、模様はいろいろ。

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ガンメルトー広場まで来ました。

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ガンメルトー広場の大きな噴水。17世紀末までは市場があった広場でした。

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ストロイエ通りを挟んで反対側のニュートー広場。この広場は何故か閑散としていました。

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ニュートー広場のパルテノン宮殿風の建物は地方裁判所。

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ストロイエ通りの終点は市庁舎前広場。赤れんがの市庁舎は、1905年完成の6代目で中世デンマーク様式とルネサンス様式の混合様式。高さ106mの時計台は、コペンハーゲン市内で最も高く、この建物を超える高さの建物は建設出来ないルールがあるとか。

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奇妙な怪獣の噴水。

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駅前通りのホテル。

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駅前大通りまで戻ってきました。

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チボリ公園もようやく灯がともり始めました。

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19時30分、駅前大通りとコペンハーゲン中央駅。日本ならとっくに夜の時刻ですが、まだ青空が残っていました。

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レストランを探す気力もなくなっていたので、コペンハーゲン中央駅の駅構内のセブンイレブンで夕食を購入しました。

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20時、暮れなずむ夕暮れの中、ホテルに到着。7時間の街歩き完了が終了しました。

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20時、ホテルの部屋で定番のカールスバーグの缶ビール(15クローネ:260円)とチキンのねじねじパスタ(45クローネ:770円)で夕食を済ませました。デザートのシナモンパン(19クローネ:320円)が美味しかったです。セブンイレブンのレシートには25%の消費税が記載されていました。今年の10月から日本も消費税が8%から10%に増えることが決まっています。改めてデンマークが高福祉・高負担国家だと感じました。

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翌日は、電車でオーフスに行きました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-08-22 23:23 | デンマーク・オランダ・ベルギー・スイス | Comments(0)  

2019年4月26日(金)デンマーク・オランダ・ベルギー・スイス その11 コペンハーゲン(7)

18時10分、コンゲンス・ニュートー広場から大運河(コペンハーゲン港)に戻って、河畔散策路を北に歩きました。多くの市民が広々とした運河河畔の至る所で金曜の夕方を楽しんでいました。コペンハーゲンには水辺を楽しむ文化がしっかり定着しているように感じました。

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(出典 Google)

ゆったりした河畔広場で沢山の市民が寛いでいました。北欧はこの時刻でも陽が高く、夕方という感じは全くありません。むしろ未だお昼といった感じ、仕事を終えた人たちが週末の夕方のひと時を楽しんでいる感じです。
最初に歩いた大運河河畔の「イスランズ・ブリュッゲ地区」との違いはというと、運河と建物の「離れ」くらい。イスランズ・ブリュッゲ地区は60m、ここは30m。似たところは転落防止柵がなく、「広々感」がたっぷりなこと。河畔に30mのスペースがあればと文句なしに「広々感」を演出できるという勘定です。東京都心の隅田川の河畔テラスは、幅が8m程度、背面に高さ6~7mくらいの防潮堤の役割をするカミソリ堤防が聳え立っています。コペンハーゲンでは防潮堤のような防災インフラが不要なように思えました。都市の水辺をデザインする上で水防災を考えなくて済むということは大変なアドバンテージですが、とにもかくにも都心にこれだけのオープンスペースが取れるのは羨ましい限りだと思いました。

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対岸の赤れんがのユニークな建物は、国立芸術ワークショップ(National Workshops for Arts)。運河河畔には他にもオペラハウス、劇場など芸術・文化関係の施設が沢山ありました。

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「THE STANDARD」は常設のレストラン。日本でも着々と河川区域における建物などの占有規則が緩和されてきた感じですが、コペンハーゲンにも河畔区域に堂々と常設店舗が設置できるルールがあるようです。多分、水防災を考慮する必要がないからかもしれません。
オープンテラス席で皆さんタバコを手にして会話を楽しんでいました。コペンハーゲンは意外にもタバコ天国、屋外喫煙はドイツ、フランス、イタリア並みの緩さでした。タバコ嫌いの人には辛い街かもしれません。

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河畔広場に置かれた不思議なオブジェとカフェテラス・・・。このカフェテラスも大繁盛でした。

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貨物船?を改造した常設水上レストラン。

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斬新な形をした橋が見えてきました。インデルハウンブロエン橋は、ローライズのPC橋で全長180m。Y型の橋脚で囲まれた部分が航路になっていました。先にみた古いタイプの道路橋は跳ね橋でしたが、この橋梁は跳ね橋ではありません。桁下空間は10m程度、通過可能な船舶を絞り込んだ感じです。

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インデルハウンブロエン橋を渡って大運河の東側を目指しました。この橋は2014年完成、大運河西側のニューハウンと東側のクリスチャンハウンを連絡する橋で、実にユニークな構造でした。写真は端支間の箇所で、2本の橋体で出来た中抜け構造。褄を青の透明なアクリル板でカバーしていました。向こう側の黄色いアクリル板が中央支間の褄の部分、ここで橋体が1本に絞られていました。

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この写真は端支間の部分。驚いたことに、この橋は歩道、自転車専用の橋で、車道橋ではありませんでした。日本人の自分はなんか大運河には車道橋が少ないなと感じていたので、何故この橋を車道橋にしなかったのかという素朴な疑問を持ちましたが、これは納得ずくで建造した橋であり、コペンハーゲン流の合意形成があったのではと思います。もっとも、最初に渡ったランゲブロ橋の近くには建設中の車道橋(回転橋)がありましたが・・・
とにかく河畔の不思議な黒い建物群やユニークな橋など、コペンハーゲンは意外にも突き抜けた街かもという印象を持ちました。

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橋から見た大運河南側の眺め・・・

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クリスチャンハウンの河畔に入り江がありました。写真左側の建物は北大西洋ハウス(デンマーク語:Nordatlantens Brygge)。デンマークはデンマーク本土、グリーンランド、フェロー諸島からなる連合王国。建物にはアイスランド大使館とグリーンランドおよびフェロー諸島の政府組織も入っているとか。この建物は、元は干物、塩漬けのニシンなどの倉庫、これを改造して使用しているそうです。写真右側の不思議な形の建物はスーパーマーケット。

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クリスチャンハウン側の岸壁は、陸地と運河の高低差は3m弱、転落防止柵はありません。もっとも、大運河という名称は、自分が勝手に付けた便宜的な呼び方、実態はコペンハーゲン港という港湾区域。普通、港湾の岸壁には転落防止柵はありません。当たり前と言えば当たり前。電線で一斉に休む鳥みたいに、皆さんが幅50cm、段差10cmの突起にずらりと腰掛けていました。

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北大西洋ハウス前の広場も半端ない混雑振りでした。

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軽食を求めて屋台に並ぶ皆さん・・・。

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ソーセージ1本で85クローネ(1400円)、自分にはとてもついていけないお値段でした。

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簡易ベンチで休む皆さん・・・コペンハーゲンの人口は60万、よくもこれだけの人が集まってくるもんだと半ばあきれました。

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再び大運河西側のニューハウンに戻りました。

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大運河北側のオペラハウスは扁平な帽子を被ったユニークな建物。

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ニューハウンのデンマーク王立劇場。

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ようやくお目当てのニューハウンまで歩いてきました。ニューハウン(Nyhavn)とは新しい港という意味合い。国王クリスチャン5世によって1671年~1673年に掛けて開削された運河でした。当時の運河は、最大の輸送力を持った運輸インフラ、コペンハーゲンの新しい中心部コンゲンス・ニュートーまでの基幹運搬路としての運河建設だったと推測します。童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセンが、ニューハウンに18年間住んでいたとか。

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飲食店やアンティークショップなど、カラフルなパステルカラーの5階建ての建物が軒を連ねていました。河畔のカフェテラスは大勢の観光客で賑わっていました。

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北側の河畔には白いテントを張ったカフェが延々と並んでいて、観光客でごった返していました。運河の幅は概ね30m。観光船、帆船やヨットなどが停泊していました。観光船は低空頭型のクルーズ船でした。帆船やヨットは、マストを倒せる構造ならインデルハウンブロエン橋の桁下を航行することは出来そうです。




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車道になっている南側の河畔通路では観光客は疎らでした。

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道路面と運河水面の高低差は概ね3m弱、転落防止柵はありません。例の注意喚起兼ベンチ替わりの幅30cm、高さ10cmの木材が端に並んでいました。

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北側の河畔通路は御徒町のアメ横並みの賑わいでした。ニューハウンの運河の幾何学的な関係を整理すると、運河幅30m、両サイドの河畔通路は13m。全幅で56m、水面との段差は3m。先に歩いたクリスチャンハウン運河は運河幅20m、両サイドの河畔通路は13m、全幅で46m、水面との段差は2m。
2つの運河の違いは、運河自体の幅、水面との段差、河畔通路の役割でした。ニューハウンの北側通路は全面的に歩行者専用道路としていたので、多くのカフェテラスが出店可能で観光客で大賑わい。反対側の車道付きの通路の閑散振りとの違いは明らかでした。クリチャンハウン運河の河畔通路は両側とも車道付き、実質的な歩道は4mと狭く、運河とお店の間に5mの車道が入っていたので、車が気になり歩きづらい感じがありました。車道が運河と建物を分断しているので、賑わいが遠のいた感じです。もっとも、人が滞留せず散策する、クリチャンハウン運河の静かな水辺も自分的にはいいなと思っていますが・・・
もし、ニューハウンの運河南側を賑わいのあるスポットに変えようと考えるなら、全面的に歩道に変える方法が手っ取り早いやり方でしょう。道路を活かしたいなら現在の車道部分を地下化するのも一法でしょう。ドイツのデュッセルドルフやケルンでは、ライン河畔の道路を地下化しました。道路部分を河畔公園に変えて賑わいを取り戻した成功事例でした。

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これまで、多くの欧州の街を歩いてきましたが、中心市街地から車を排除して歩行者専用の道路にして賑わっていた事例を沢山見てきました。パーク&ライド方式、道路地下化方式や大規模地下駐車場方式などで中心市街地の道路から車を締め出すと賑わいが戻ってくるという法則めいたものを感じます。最近、日本でも人口減少や高齢化の進展に伴って空洞化しつつある中心市街地の再建を指向する動きが始まってきました。京都の四条通りの車線を1車線分減らして歩道に置き換える社会実験も行われているとか、良い試みだとだと思います。

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運河の終点は、観光クルーズ船の船着場になっていました。
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再び、コンゲンス・ニュートー広場まで歩いてきました。

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東京でいえば、銀座中央通りに相当するストロイエ通りを歩いてホテルまで戻りました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-08-20 17:05 | デンマーク・オランダ・ベルギー・スイス | Comments(0)  

2019年4月26日(金)デンマーク・オランダ・ベルギー・スイス その10 コペンハーゲン(6)

16時50分、大運河に架かるクニッペルスボロ橋を渡って、四方を運河で囲まれたスロッツホルメン島まで戻ってきました。スロッツホルメン島は、クリスチャンスボー城を中心とする400m×500mくらいの島でした。
当初、この島はコペンハーゲンの歴史・文化の中心地という程度の認識でしたが、調べるとデンマークの政治、経済の心臓部でもありました。東京でいえば江戸城や国立国会図書館に加えて、国会議事堂、首相官邸、最高裁判所、経団連、東京証券取引所を一箇所に集めたような地区でした。丸の内のオフィス街、銀座の商店街に相当する地区がこの島を取り囲んでいる感じです。

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(出典 Google)

現在の街割りは、1674年のコペンハーゲンの絵図とよく似ていました。クリスチャンスボー城西側の旧市街は不規則な街割りで、現在のストロイエ通りは、当時の曲がった通りがそのまま使われている感じでした。

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(1674年のコペンハーゲン:出典 Wikipedia)

クニッペルスボロ橋は、大運河を渡る基幹橋梁。よく見ると、1674年の絵図にも記載されていました。手前の青い小判型の建物が跳ね橋の操作室でしょうか。南側のランゲブロ橋と同様、稼働しているかいないかは不明でした。大運河に架かる車道橋はこの橋と南側のランゲブロ橋の2橋のみ。日本人の自分は、もう2、3本車道橋があってもいいかなと思いますが、これがコペンハーゲンのやり方なのでしょう。

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クニッペルスボロ橋の上から眺めた大運河の北側。

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クニッペルスボロ橋を渡り終えて、大運河の西側まで戻りました。お隣の橋から見た運河とスロッツホルメン島。写真左から、商工会議所、ボルセン(旧証券取引所)、クリスチャンスボー城。

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大運河の河畔を南に歩きました。写真右から、商工会議所、ボルセン(旧証券取引所)、クリスチャンスボー城。

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大運河河畔の王立図書館まで来ました。ブラックダイアモンドと呼ばれる斬新な建物でした。つるんとした黒いガラス張りのシンプルなサイコロ状の建物でした。似たようなコンセプトの建物を大運河河畔で沢山観ました。同じ設計者かもしれません。大運河の対岸には似たような感じのピカピカの集合住宅?が並んでいました。
河畔散策路の幅は概ね8m。これくらいの道幅があると、気持ちよく歩くことができます。河畔散策路と大運河の水面の高低差は3m弱、転落防止柵はありません。10cm足らずの段差が注意喚起とベンチ替わりの役割をしていました。

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王立図書館南側の大運河河畔。河岸を木製の階段式テラスにして水辺のアクセスを確保していました。ベンチ替わりにもなっており、優れた設計だなと感じました。彼方に最初に渡ったランゲブロ橋が見えました。

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王立図書館脇の立ち入り禁止柵、池の水深は浅いけど、立ち入りの禁止には気を使っていました。

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王立図書館とお隣の赤レンガのユダヤ博物館は通路で繋がっていました。

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赤レンガの王立武器博物館の脇を通り抜けました。


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中庭から見たユダヤ博物館。ファサードの壁面緑化も見事でした。

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中庭に銅像が建っていました。デンマークの哲学者キルケゴールは、実存主義の創始者だとか。デンマークは優秀な人材も輩出する先進国だと改めて思いました。

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中庭のベンチでひと休みしました。中庭の屋根越しにクリスチャンスボー城の塔が見えました。

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SDGsの17のピクトグラムが展示されていました。万国共通の絵文字ですが、自分には絵文字だけで各施策の意味合いを理解するのは難しいなと思いました。

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表通りから見たボルセン(旧証券取引所)・・・風格に溢れた赤レンガの建物でした。17世紀にこれだけ品格のある建物を完成させたデンマークの建築技術の高さを思います。ファサードは2018年のイタリア旅行で見たローマの教会のファサードに何処か似ていました。ねじねじの高い塔が独特。

 建築様式    オランダ・ルネサンス様式
 建設工期    1619年~1640年
 クライアント  クリスチャンIV世

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スロッツホルメン島の案内図。3方を囲む運河はガンメル・ストランド運河というそうです。

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クリスチャンスボー城は、宮殿の他にデンマーク議会、デンマーク首相府、デンマーク最高裁判所が入ったまさにデンマークの中枢中の中枢的建物でした。立法権、行政権、司法権という3つの国権の最高権力が一つの建物に収容されている世界唯一の建物とは驚き。

建築様式:バロック、新古典主義、ネオバロック
建設工期 1907年~1928年


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コペンハーゲンの骨格を築いたクリスチャンIV世(1577~1648年)の騎馬像。

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北側の運河から見たクリスチャンスボー城。直径1mくらいの球形の石がズラリと並んでいました。意図的に境界を曖昧にして敷地の連続性を高める優れたデザインだなと感じました。

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クリスチャンスボー城の北側の運河。運河の幅は概ね20m。この河畔には両岸とも転落防止柵がしっかり設置されていました。路面と水面の高低差が5mくらいと大きいためでしょうか。反対側の河畔には中段にボードウォーク風のテラスを造って、水辺へのアクセスを高めていました。沢山の市民がテラスに腰かけて水辺を楽しんでいました。

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運河を跨ぐ橋を渡って対岸に行きました。

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橋の上から見た西側の運河河畔の眺め、観光クルーズ船が通り過ぎました。

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アマート―広場は、1674年の絵図にも描かれていました。写真右の塔はニコライ教会の尖塔。

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アマート―広場の真ん中に巨大な騎馬像が建てられていました。アブサロン(1128年~1201年)は、デンマークの 大司教にして政治家。聖職者にして軍人とは不思議な感じですが、初代のクリスチャンスボー城を建設し、コペンハーゲンの基礎を築いた偉大な人だったようです。

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クリスチャンスボー城と運河。先ほどのクルーズ船の船着き場。

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ニコライ教会は、市内で最も目立つランドマークのひとつ。教会の建物は、ネオバロック様式で高さが90m。元の教会の建物は13世紀初頭に建設され、コペンハーゲンで3番目に古い教会、1795年の火災で建物のほとんどが焼失し、1805年からは公式の教会ではなくなったとか。現在はアートセンター。

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コンゲンス・ニュート―広場はすぐでした。この風格溢れる建物はデパートでした。三越の日本橋本店みたいなものでしょうか。

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コンゲンス・ニュート―広場から再び大運河を目指しました。デンマーク国立銀行の交差点まで戻ってきました。

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写真右の黒い建物がデンマーク国立銀行。斬新なデザインでした。

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大運河まで戻ってきました。実に広々とした河畔の広場で沢山の市民が寛いでいました。運河の端から建物までは概ね30m、ゆったりとした施設配置もいいなと感じました。コペンハーゲンの街は、高さを低く抑えた建物とゆったりとした施設配置が特徴と言ってもいいなと感じました。

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大運河を北に向いて歩きました。
以下、次号・・・

by camino0810 | 2019-08-18 06:29 | デンマーク・オランダ・ベルギー・スイス | Comments(0)  

2019年4月26日(金)デンマーク・オランダ・ベルギー・スイス その9 コペンハーゲン(5)

16時、クリスチャンハウンの運河まで歩いてきました。北欧の日没は21時、街歩きの時間はまだ5時間も残されていました。ハウンはデンマーク語で「港」、クリスチャンハウンは「クリスチャンの港」という意味合いだと思います。
クリスチャンハウンの運河の幅はたかだか20m程度ですが、周囲の建物や道路も含め、素晴らしい水辺が出来上がっていました。河畔のカフェテラスでは金曜日の陽の高いうちから市民の皆さんがビールで会話を楽しんでいました。

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クリスチャンハウンは、コペンハーゲンの基盤を造り上げた「建築王」クリスチャン4世(1577~1648年)が造った準旧市街。街の名前はクリスチャン4世から取ったネーミングでしょうか。ここは、クリスチャンハウン運河を中心として17世紀末の救世主教会や18世紀に建造された煉瓦(れんが)造りの建物群など、歴史的建造物が数多く残っている地区だとか。

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(出典 Google)

1674年のコペンハーゲンの絵図を見ると、17世紀末にはコペンハーゲンの基本的な骨格が出来上がっていたことが判ります。この絵図は、クリスチャン4世(1577~1648年)が亡くなって26年後に作成された地図。当時の市街地は二重の城塞でガッチリ防護されていました。市街地中央にある大運河の西側がオリジナルの旧市街。そのヘソには政治、軍事の要であるクリスチャンスボー城がありました。クリスチャンハウンは、クリスチャン4世が市街地の膨張対策として新規に開発した地区でした。クリスチャン4世は、クリスチャンハウンの芯に当時のメーン運輸インフラであるクリスチャンハウン運河を造成していました。
街の新旧は街割り(街路の区画)にもよく顕れていました。クリスチャンスボー城西側の地区の街割りは不規則でグニャグニャと歪んでいました。この地区がコペンハーゲンで最も古くからあった中心地区で、東京でいえば銀座中央通りに相当するストロイエ通りはそのまま現在まで引き継がれているように思えます。それ以外の地区は、クリスチャンハウンも含めて碁盤の目のような街割りになっていました。クリスチャン4世の都市計画は、外側の二重城塞で内部市街地をガッチリを防衛し、内部は規則正しい街割りにして効率的な街にする計画だったようです。クリスチャン4世は、ほぼ同時期に江戸の街割りを築いた徳川家康(1543年~1616年)みたいな優れた都市計画家だったと想像します。ちなみに、半地下のコペンハーゲン中央駅は、クリスチャンスボー城の南側城塞を取り巻くお濠を埋め立てて造成したような感じでした。

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(1674年のコペンハーゲン:出典 Wikipedia)


地下鉄のクリスチャンハウン駅の駅前広場まで歩いてきました。

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駅前広場の大通りに架かる橋から見た南側のクリスチャンハウン運河。
これまで欧州の沢山の水辺を歩いてきましたが、この運河は自分的には上位ランキングに入る水辺だと思いました。沢山の市民が運河を楽しんでいました。
この運河自体の幅は20m、両サイドの道路幅(道路、駐車帯、歩道)は13m、全体で一律46m。全体で50m近いオープンスペースがあると開放感のある水辺ができるという勘定です。河畔の歩道面と運河水面の高低差が2mと小さいのも水辺の近さが感じられていいなと思いました。
河畔の建物は、運河を向いており、概ね5~6階建てでスカイラインを揃えてありました。大半の建物は集合住宅かもしれません。屋外広告やレストラン、お土産屋などのお店は見当たりませんでした。そのためか、何処か品格のある水辺だったと思います。運河の水は透明、両岸に沢山の小型プレジャーボートが係留されており、水面利用は盛んでした。

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「イスランズ・ブリュッゲ地区」の大運河河畔で見たソーラーパネルボートも活躍していました。

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大通り北側のクリスチャンハウン運河。水上レストランが用意されていました。基本的には同じ仕様の水辺が延々と続いていました。

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大通りの西側・・・彼方に大運河河畔の緑屋根のコペンハーゲン商工会議所が見えていました。沿道の建物はいい感じにパステルカラーで塗り分けられていました。建物の色使いにも規制や縛りがあるのでは思います。

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クリスチャンハウン運河の河畔を北方向に歩きました。お客を満載した中型の運河クルーズ船が通り過ぎました。散策路と運河の高低差は2m。転落防止柵替わりの、高さ20cmの枕木状の木製柵は気が利いているなと感じました。ベンチ替わりにもなっていました。

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支間が15mくらいの赤レンガのアーチ橋はすぐでした。シンプルなローライズのアーチですが、上路橋にして景観を支障しない配慮かもしれません。運河は全長で1kmくらいでしたが、橋はこの橋と大通りの橋の2橋のみ。日本人ならもう少し橋を増やそうと考えるところですが・・・

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このアーチ橋はクリスチャンハウン運河のホットスポット。観光客の方にスナップ写真をお願いしました。

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運河を離れて、近くにある救世主教会まで行ってみました。実は、クリスチャンハウンをターゲットにした理由は、無料で高さ90mの教会の天辺に上がってコペンハーゲンの街を一望することでした。結果としてクリスチャンハウン運河という素晴らしい水辺を思いもよらず発見ができて幸運でした。

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救世主教会は、らせん状の尖塔が目を引く教会。建設期間は1695年~1752年。赤レンガで建築様式はバロック様式。らせん状の尖塔はその後約50年たってから新たに付け足されたものだとか。最上階まで400段以上の階段を上ります。はじめは教会内の階段を上り、やがて外側のらせん階段へとつながり、尖塔のてっぺんまで行くことができるそうです。

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ところが、教会の到着時間が16時20分、閉館時間が16時なので閉まっていました。残念。

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再び、クリスチャンハウン運河に戻りました。

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50~60人くらいの観光客を乗せた観光船が通り過ぎました。

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観光船背後の貨物船の船首にはデンマーク語で「KØBENHAVN」(英語表記:COPENHAGEN)と記載がありました。

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クリスチャンハウン運河の三差路まで歩いてきました。写真の運河は南北方向の運河に直交する西向きの運河。

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北側の運河。

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ここで運河を南に引き返しました。運河の端から建物の端までは13mのスペースがありました。内訳は、運河側歩道4m(歩道2m、駐車帯2m)、車道5m、建物側歩道4m(歩道2m、駐車帯2m)。運河の片側に13mのスペースがあると、快適な水辺が出来上がって、快適な散策ができるという勘定です。

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運河利用は熱心、ゴムボートの一団が通り過ぎて行きました。

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運河沿いの不動産さん屋が目に入りました。

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価格は、4,196,000クローネ(7,100万)と高額ですが、食べ物程高いとは思いませんでした。ピクトグラムの表示は、多分、1938年完成、98m2ではないかと思います。

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別の物件も。

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価格は、5,095,000クローネ(8,700万)、1750年完成、132m2。18世紀の赤レンガ建物が多い歴史地区なので、古い建物も大事に使われているようです。

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大通りを大運河に向けて歩きました。通り脇のクリスチャン教会は、1754年着手、1759年完成のロココ様式の教会。

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クニッペルスブロ橋を渡りました。大運河(コペンハーゲン港)左側の河畔にはお洒落な建物が並んでいました。

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真新しい建物群は、斬新なデザインで黒いサイコロ型。これまで見てきた建物と何処か似ていました。集合住宅かもしれません。

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大運河(コペンハーゲン港)右側の河畔にもお洒落な建物が並んでいました。ブラックダイアモンドと呼ばれる王立図書館も見えていました。

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大運河を渡り終えて、コペンハーゲンの中心市街地に戻りました。
以下、次号・・・


by camino0810 | 2019-08-15 14:46 | デンマーク・オランダ・ベルギー・スイス | Comments(0)  

2019年4月26日(金)デンマーク・オランダ・ベルギー・スイス その8 コペンハーゲン(4)

駅前大通りを東に歩いて行くと、運河に出合いました。運河と思っていた水路は実はコペンハーゲン港の航路でした。ランゲブロ橋を渡って「イスランズ・ブリュッゲ地区」と「クリスチャン・ハウン地区」を歩きました。運河東側の市街地は、コペンハーゲンの拡大に伴って新たに埋め立てた地区だと思います。

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(出典 Google)

ランゲブロ橋はコペンハーゲン中心部と埋め立てて造成した東部の新市街地を連絡する基幹橋梁でした。この橋は、航路を横断するので、東京で言えば隅田川の勝鬨橋みたいな跳ね橋になっているとのことですが、稼働しているかしていないかは不明でした。

ランゲブロ橋から眺めた運河の南側、写真右が都心側、左側が「イスランズ・ブリュッゲ地区」。

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都心側の河畔には斬新なピカピカの建物が、沢山建てられていました。サイコロ型のツルンとした黒っぽいシンプルなデザインの建物でした。

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運河と河畔通路の高低差は3mほど、転落防止柵はありません。デンマークも、他の欧州の国々と同様、自己責任の文化の国と考えてよいと思います。

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ランゲブロ橋を渡り終えて、「イスランズ・ブリュッゲ地区」の河畔を歩きました。好天に恵まれて良い街歩きが出来て幸運でした。
この河畔は、オープンスペース感溢れる素晴らしい水辺でした。インフラの配置は、運河⇒散策路・公園⇒道路(車道・歩道)⇒建物の並び順ですが、運河と建物の間に、散策路・公園と道路を併せて、60mくらいのスペースがありました。なるほど、価値の高い水辺空間が出来上がった訳だと感心しました。建物は当然のことなから運河を向いていました。

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ランゲブロ橋付近の運河幅は概ね150m。運河部分は3スパンの赤レンガを貼ったアーチ橋。中央スパンを跳ね橋にして航路にしているようです。

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幅10mくらいの幅広な河畔散策路を歩きました。運河と散策路の高低差は3m程度ですが、転落防止柵はありません。運河の水の透明度は恐ろしく高いなと思いました。青い小さなボートが係留されていました。

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大きな運河クルーズ船は見掛けませんでしたが、ボートレベルの観光利用はありました。価値の高い水辺なので、クルーズ船から眺めるコペンハーゲンの街も良いのではとは思いますが・・・

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青色のボートは、8人乗りのソーラーパネルを備えたレンタルボート。レンタル料は1時間で449クローネ(7600円)と恐ろしく高額。


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広々した河畔の芝生公園で市民の皆さんがノンビリ寛いでいました。

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歩道に植えられた八重桜が満開を迎えていました。欧州では意外にも八重桜は人気のようですが、白の桜は初めて見ました。

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雲一つない晴天に恵まれて、河畔散策路の歩きは実に快適でした。

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北欧の人たちにとって太陽光は貴重な財産なのでしょうか。この日は金曜日ですが、意外にも沢山の市民の皆さんが河畔の日光浴を楽しんでいました。

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気温も高く、綺麗な運河なので、泳いでいる市民も・・・。

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対岸の都心側の水辺には真新しい建物がずらりと並んでいました。このあたりは、空港から郊外線でコペンハーゲン中央駅に入る直前に見た再開発地区の裏側にあたる地区、運河地区も含めた大規模な再開発を行っているのかもしれません。

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河畔のカフェテラスでビールを頂きました。コペンハーゲンはカールスバーグの本社があることからも、ビールだけは意外にもリーズナブル。旅日記を記したメモ帳を紛失したので、相当記憶が曖昧ですが、300ccで30クローネ(510円)くらいだったと思います。お店のスタッフに記念写真を撮ってもらいました。

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鉄道のレールと貨車が観光インフラとして再利用されていました。

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桟橋から、歩いてきた運河を振り返りました。転落防止柵もなく実に広々とした水辺でした。

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河畔公園の砂場ではビーチバレーも・・・。

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河畔の街歩きをを終えて、住宅街を歩きました。最初は伝統様式の集合住宅が固まった地区でした。概ね6階建ての赤レンガの建物が綺麗にスカイラインを揃えていました。都心まで歩いても20分程度で閑静で周辺環境に優れた住宅地に住めるとは羨ましい限りです。

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集合住宅の玄関・・・呼び出しのインターホーンが付いていました。

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管路を入れ替える土木工事でしょうか。立ち入り防止の横木は赤白の木製の板。日本では見ることのない光景です。土木工事にも彼我の文化の違いを感じることができます。

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街角のカフェで子育ての光景を目にしました。左側は子供を抱いた若奥さんとその友人、右側は子育ての若奥さん同士の井戸端会議でしょうか。

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1、2階が「横目地」風、3~6階が赤レンガの集合住宅。スカイラインを見事に揃えていました。

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建物の角にある「キオスク」は、日本で言えば「コンビニ」に相当する雑貨屋、欧州ではよく見掛けるお店です。そういえば、この住宅街ではセブン・イレブンのようなコンビニエンスストアは見掛けませんでした。ちょっとした買い物は「キオスク」で済ませていると思います。

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アート工房でしょうか。

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お花屋さん。

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勿論、電柱・電柱などはありません。青空に浮かんでいるのは、照明灯とそれを吊るワイヤーだけ・・・。

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英語表記の宣伝、ほとんどのデンマーク人は英語が達者だとか、いつまでたっても英会話が上達しない自分からは羨ましい限り。

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北側の新住宅街まで戻ってきました。伝統様式の住宅街と現代様式の新住宅街がキッチリ分かれていました。日本式も味噌もくそも一緒という街づくりとは明確に違っていました。コペンハーゲンには、よく練り込まれた都市計画、建物デザインやルール創りと合意形成を欠かさない文化があるのではと感じました。

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水と中庭のあるお洒落な集合住宅。

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透明なガラス貼りの斬新な建物もスカイラインを綺麗に揃えていました。

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中庭のオブジェ。

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この建物は伝統的な赤レンガのイメージを巧みに取り込んだ建物でした。飛び出したヴェランダがアクセントになっていました。

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駅前通り沿いの建物にも池を配置していました。

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「ランゲブロ橋」の袂まで戻ってきました。自転車のお店がありました。

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「ランゲブロ橋」の袂のカフェ「ランゲブロ」も繁盛していました。皆さん、ビールを楽しんでいました。


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「ランゲブロ橋」の橋の下を潜って、北側の「クリスチャン・ハウン地区」に入りました。

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運河に浮かべた12室の「水上ホテル」。

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運河に浮いた黄色い船は観光船かも。対岸には補修中の斬新なガラス張りの建物。驚かされたのは建設中の不思議な橋でした。

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この建設中の橋は回転橋だと思います。橋脚に設置した回転装置で橋体を回転させ、運河の航行船の航路を確保するやり方でしょうか。橋の桁下空間を小さくできる、ある意味効率的な手法。黄色い船は橋体を90度回転させてできた航路を移動中でした。
とにかく、斬新な橋は別の場所でも観ました。コペンハーゲンは恐ろしく斬新なモノと歴史的なモノを巧みにコラボレーションさせて、価値を高めている街だなと感じました。

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この船はレストラン、運河の水面利用は熱心なようですが、観光舟運はもう一つかもしれません。

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コペンハーゲンを取り囲む稲妻型の城塞の端部まで来ました。この園路が城塞沿いのお濠に沿って延々と配置されていました。

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園路とお濠と駅前通りのホテル。このホテルはこの一帯のランドマーク、高さ106mの縛りギリギリの高さでしょうか。

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お濠の浄化事業でしょうか。金網から湧水がコンコンと湧き出ていました。無数の貝殻が沈んでいました。

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園路を子供を載せた自転車が走り過ぎました。プッシュ式の自転車がコペンハーゲン流かもしれません。

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お濠の向こう側。

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大きな鳥もいました。生態系は豊かな感じでした。

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1800年頃のコペンハーゲンの絵図を見ると、すでに稲妻型の土塁は完成していました。その外側にさらに土塁を築いてました。外側の土塁は現在でも残っていました。二重の城塞で市街地を守らなければならなかったほど、コペンハーゲンを取り巻く状況はシビアだったということかもしれません。

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(1800年頃のコペンハーゲン:出典 コペンハーゲンの都市史)

城塞の土塁の天端は公園になっていました。この土塁はお堀の掘削残土をそのまま盛った堤防みたいな土構造物、この土塁が延々と5kmくらい続いていました。

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土塁の高さは6mくらいなので、平均幅を30mとすると、90万m3の盛土工事が必要という計算になります。機械のない時代なので、人力主体の工事、よく造ったなと思います。

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土塁の天端から北側の「クリスチャン・ハウン地区」がよく見えました。土塁を降りて、「クリスチャン・ハウン地区」を歩きました。

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6階建ての赤レンガの集合住宅・・・。

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路上の駐車場とセットになった集合住宅。南側の「イスランズ・ブリュッゲ地区」と違って、新旧の建物が混在していました。

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「クリスチャン・ハウン地区」のランドマーク「救世主教会」が向こうに見えてきました。

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自動昇降式のプラットフォームを使って建物を補修中、このやり方は気が利いています。

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緑色のパステルカラーの建物のエンブレムには、3匹の魚と1760という数字が記されていました。この建物は1760年完成、今年で259歳ということになります。

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少し行くと、幅20mくらいの運河に出会いました。運河周りの水辺の風景は実に素晴らしいものでした。

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以下、次号・・・

by camino0810 | 2019-08-13 16:36 | デンマーク・オランダ・ベルギー・スイス | Comments(0)  

2019年6月2日(日)パナマ・アメリカⅡ その6 パナマシティ(1)

今日は、パナマシティ視察1日目。
成田から24時間を掛けてやっとの思いでパナマシティに到着しました。時差ボケのせいか、良い睡眠がとれず、疲れが残っていました。疲れを引きずった状態が以降2、3日続きました。加齢のせいかもしれません。

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(出典 Google)

どんなに疲れてはいても、加齢のせいか、朝は早く目が覚めるようになりました。いつもより遅めの朝6時起床、窓を開けると快晴、なんか良い予感を感じました。ホテルの窓からパナマシティの都心が見えました。事前の予想と違って、随分と現代的な街だなと思いました。

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パナマ運河専用チャンネルもありました。この運河がパナマ国の経済を支える重要な運輸・観光インフラだということでしょうか。

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7時からホテルのレストランで視察団員の方と一緒にビュフェ形式の朝食を戴きました。疲れていても食欲だけは何時でも旺盛。ホテルの中庭はプールつきのオープンテラス、パナマは南米有数の観光大国でもあります。観光の目玉は、やはりパナマ運河でした。

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7時30分、視察団22名を乗せた専用バスがホテル前の車寄せを出発、最初の視察地であるパナマ運河のミラフローレス閘門を目指しました。
今日からいよいよ視察開始です。最初にI団長の挨拶がありました。先生からパナマ運河を視察先に選んだ理由が説明されました。交通計画、国土計画がご専門の先生ならではの理由でした。

 ①パナマ運河をまじかに見て、その仕組みやその巨大さを実感すること。
 ②仮にパナマ運河を計画する仕事を始める時、計画上考慮すべき範囲を何処まで設定すべきか?
 ③パナマ運河が完成後に実際に影響した範囲は一体どれくらいだったか?

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バスは干潟が現れた川を渡りました。太平洋はそこそこ干満差があるようです。

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8時、専用バスはミラフローレスビジターセンターに到着。
国交省からパナマ大使館に出向中の若手のKさんからパナマ運河の概要説明がありました。『1914年に完成した最初の運河は「閘門式運河」。閘室に供給する水を確保するために大きな貯水池が必要でした。川を堰き止めて、ガツン湖という巨大な人工湖を造りました・・・』
「閘門式運河」は、水位差のある運河のこと。階段状の水路を形成するために、開閉できるゲートを持つ閘門と呼ばれる施設がマストアイテム。2基のゲートで仕切られた部屋(閘室)に船を収容して、水を出し入れして前後の水位差を無くすことによって船は山登りや山下りが可能になります。「閘門式運河」の運用の肝は「水」。ポンプは使わないので、「水」を順次高い閘室から低い閘室へ垂れ流して水位を調節します。「閘門式運河」の運用とは、水を下流に「捨て続けること」と同義。だから、運河の一番高い所に巨大な貯水池を造るのが、なりより必要不可欠ということになります。
「海面式運河」のスエズ運河は、地中海と紅海を開削の水路で繋いだ運河。運河自体の水位差はありません。平坦な砂漠を開削して完成させたようです。「海面式運河」は、単なる水路。ハンドリング・メンテナンスフリーの安上がりで効率的な運輸インフラ。
何故、パナマ運河をハンドリング・メンテナンスフリーの「海面式運河」にしなかったのか?
水位差が26mの運河なので、水深10mの水路を確保するのは、最低でも高さ26mの開削が必要で、場所によっては高さ50mを超える開削も必要でしょう。1900年当時の建設技術レベルでは、大規模掘削、膨大な掘削残土処理、長大法面安定処理など技術的なハードルが高すぎたため断念せざる得なかったと推定します。
2016年に完成した新運河も「閘門式運河」ですが、1914年の旧運河に沿わせる路線を選定したのは極めて合理的。もし、全くの新規ルートなら、格段に進歩した土木技術を用いた「海面式運河」の選択肢もありだと思います。

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団員の方にスナップ写真を撮ってもらいました。

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ミラフローレス閘門は、1914年に完成したパナマ運河の初代の太平洋側の閘門。閘門を設計する際、閘門を通過する船舶の大きさは最も基本的なアイテム。パナマックス(通過が許可されている船舶の大きさ)は、65,000トンクラスの巨大船舶を想定した設定だそうです。ちなみに、1990年に就航した日本郵船の大型クルーズ船『飛鳥Ⅱ』が50000トン。1900年初頭にこれだけ壮大なブロジェクトが立案されたとは驚きの一言。

・全長:294m
・全幅:32m
・喫水:12m
・最大高:58m

パナマックスサイズの船舶を丸ごと収容する閘室の大きさ。

・全長:305m
・全幅:34m
・水深:13m

幅の余裕は左右1mとギリギリ一杯。船の操船を誤ると船腹や閘室のゲートや壁が痛みます。喫水の余裕は1m、過積載は厳禁。閘室の両サイドに設置したレール上を走行する特殊機関車が船を牽引していました。

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ちなみに、戦艦大和(1940年、昭和15年就航)はパナマ運河を通過できたか?
答えは、NO。巨大な砲弾を放つ大和は、幅広のお腹が当たって、ミラフローレス閘門に入れません。当時の日本海軍は、意図的にパナマックスを超える大型戦艦を築造する計画を立案しました。当時の海軍の戦略だったそうです。ミラフローレス閘門を通過できるアメリカの最大戦艦は、パナマックスサイズ。この大きさを超える大和で太平洋の制海権を握ろうとする戦略でした。

・排水量:72,000トン (満載)
・全長:263m
・幅:39m
・吃水:10m

ミラフローレス閘門(水位差16.5m)は2連の閘室を持った閘門。
写真手前の1段目の閘室と船がいる2段目の閘室を仕切るゲートは観音開きのマイターゲート。このゲートは、太平洋側の入り口から数えて2番目のゲート。水位差は、普通に考えると、8m程度のはずですが、閘室の幅が34mなので、16.5mくらいはありそうです。

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閘門最上流の3番目のマイターゲート。
先程の水色の船が、ミラフローレス湖(標高16.5m)に入っていました。

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ミラフローレス湖の左側の山腹に白い船舶が見えていました。船が山中に見えているという実に不思議な光景です。この運河が2016年に完成した新パナマ運河。よく見ると、大型の船舶が次々と3連のココリ閘門を抜けてガツン湖に向かって航行して行きました。山中の航路は、標高は26m。ミラフローレス湖(標高16.5m)との高低差は9.5m。

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ミラフローレス閘門は太平洋側の入り口にある2条の閘門。

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1番目のマイターゲートは開いた状態。太平洋の水位と第1番目の閘室は同一水位で標高0m。

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ミラフローレス閘門に次々と貨物船が入ってきました。現地案内のMさんが言うには、これだけ多くの船舶が出入りするのは珍しいそうです。

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パナマ運河の縦断図を見ると、この運河の仕組みが良く理解できます。図面左が太平洋側のミラフローレス閘門とペドロ・ミゲル閘門、右がカリブ海側のガツン閘門。

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(パナマ運河縦断図:出典 パナマ運河(2017パナマ運河庁))

太平洋から来た船は、2連閘門のミラフローレス閘門(水位差16.5m)を通過して、標高16.5mのミラフローレス湖へ。ミラフローレス湖から1段閘門のペドロ・ミゲル閘門(水位差9.5m)を経て、パナマ運河で最も高い標高26mのガツン湖へ。

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(ミラフローレス閘門とペドロ・ミゲル閘門:出典 パナマ運河(2017パナマ運河庁))

船は広大なガツン湖を航行して、湖北端のガツン閘門を通過してカリブ海に抜けるという段取りです。

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(ガツン湖とガツン閘門:出典 パナマ運河(2017パナマ運河庁))

図面左がココリ閘門(2016年完成)、右がミラフローレス閘門。

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(ココリ閘門とミラフローレス閘門:出典 パナマ運河(2017パナマ運河庁))

パナマックスと閘室の関係図。

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(パナマックスと閘室:出典 パナマ運河(2017パナマ運河庁))

写真手前がミラフローレス閘門の管理棟。その向こうにコンテナを積載した大きな船舶がゆっくりと動いていきました。山の中を巨大な船舶が通過しているとは、実に壮大かつ不思議な光景です。意味合いは違いますが、「船頭多くして、船、山に上る」という諺が即座に思い浮かびました。この運河が2016年に完成した新パナマ運河で、3連のココリ閘門を通過した船がガツン湖に向かっていました。

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ココリ閘門の管理施設。

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パナマシティは熱帯地方の都市。外は非常に暑くて湿度が高くむしむししました。ミラフローレスビジターセンターの屋内展示室は冷房が効いて快適。現地案内のMさんの熱心な説明を受けました。

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パナマ運河の全体図、下がミラフローレス閘門。

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当時の測量風景。

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運河の開削は階段式掘削。蒸気機関車の貨車に掘削土砂を積み込んで搬出、軌道の段取り替えを繰り返して、切り下がる掘削方式。現在なら大きなダンプトラックを使います。

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蒸気機関車と土砂を満載した貨車。

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センターの窓から閘門に入った船舶が見えました。第2マイターゲートを開いて、第2閘室に入る直前。水位は多分標高8mくらいでしょう。

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第2閘室に入室完了。第2マイターゲートを閉じて、これから閘室の水位をミラフローレス湖の水位16.5mに揚げる直前。

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2016年に完成したココリ閘門。右奥の小さい閘門がミラフローレス閘門。ココリ閘門は閘室の注入水を貯留する大きな池を3つ備えた最新式閘門。

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ミラフローレス閘門は垂れ流しの閘門ですが、ココリ閘門は水を循環使用する閘門。「閘門式運河」の運用は、閘室に注入する水の確保が最大のポイント。ガツン湖の貯留必要水量が一体どれくらいか?、ざっくり試算してみました。
太平洋から入船する場合、ミラフローレス閘門の第1閘室(標高8mと想定)の水を太平洋側に捨てて、水位を標高0にする必要があります。この時の廃棄水量は、305m(全長)✕34m(全幅)✕8m(水深)≒80,000トン。閘室1基に1台の船が入船、1日あたりの通船数は最大44隻ということなので、ミラフローレス閘門を利用する船を半分の22隻と想定すると、廃棄水量は1日あたり180万トン。カリブ海からの入船もあるので、2倍の360万トン。東京の1日あたりの水道給水量が400万トンなので膨大な水が廃棄される計算になります。年間廃棄水量は13億トン。ガツン湖の面積は概ね400km2なので、平均有効水深を5mと想定すると、有効貯水量は20億トン。天水の補給がないと1.5年でパナマ運河は運用不能に陥る計算になります。

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ココリ閘門では廃棄水量を節減するために、閘室の脇に3つの貯水地を準備していました。ミラフローレス閘門では廃棄していた水をポンプで汲み上げて再利用していました。多分、循環式にしないと、ガツン湖の貯水量が不足するという判断があったのではないかと推定します。

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カリブ海側のアグア・クララ閘門(2016年完成)も循環式閘門。
2016年に旅行したドイツ旅行で見たマイン・ドナウ運河(1992年完成)の閘門も循環式閘門でした。


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コンテナ船。

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ミラフローレスビジターセンターの小便器は、脚なし型。

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ミラフローレスビジターセンターの視察を終えて、パナマシティ沖合のアマドール島に向かいました。埠頭に40フィートのコンテナがどっさり積み上げられていました。


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かつてパナマ運河を運営していたアメリカの管理施設だとか。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

6月2日(日)パナマは快晴、暑い。
視察1日目は、パナマ運河。太平洋側のミラフローレス閘門を見ました。パナマシティからバスで割とすぐでした。大きな貨物船やコンテナをどっさり乗せた大型舶が次々と閘門を通過しました。
1914年に完成したミラフローレス閘門はマイターゲート式の閘門でした。太平洋と内陸のガトゥン湖の水位差は26m、船は2段のミラフローレス閘門と1段のペドロ・ミゲル閘門を通過して、標高26mのガトゥン湖を目指します。
2016年、新たに完成したお隣の3段のココリ閘門を大量のコンテナを積んだ大型船がゆっくりとガトゥン湖を目指して、通過していきました。『船頭多くして船山に上る』の前半部分を削除した光景を目の当たりにできました。
パナマ運河の1日の通過船舶は最大で44隻、最大船舶は2万TEUを積載したコンテナ船。運河を管理するパナマ運河庁は、通行船舶から積載したコンテナの数に応じた通行料を徴収するそうです。大きな船舶は1回に1億数千万円を通行料金を支払うとは驚き。
その後、アマドールという博多の『海の中道』みたいな道路を走ってフェリー乗り場へ。この道路は運河の掘削残土でできているとか。パナマ運河入り口のアメリカ橋は1962年完成した、桁下57mの巨大なメタルの橋でした。
パナマ旧市街を見た後、魚市場で昼食。ホテルに戻る途中バスから見た新市街の摩天楼の風景に結構衝撃を受けました。ピカピカの新市街地に電柱・電線がガッチリ建っていたのにも驚かされました。パナマの自動車も大半が日本車、ヒューストンと同じでした。その後、2014年に開通したパナマ地下鉄1号線を見学しました。構内は実に広々としていました。
素晴らしい好天に恵まれ、大変いい視察ができて感謝しています。
明日は、カリブ海側のガツン閘門、コロン市を見学して、再び、ヒューストン経由で、ニューオリンズに向かいます。

以下、次号・・・

by camino0810 | 2019-08-08 10:21 | パナマ・アメリカⅡ | Comments(0)